No.9

ジュヴナイル|魔人学園剣風帖

激突ラブチェイス
▽内容:京一のことが好きすぎてネジがとんでる系主人公のドタバタラブコメディの5作目。 
                                                           




「もういいよ。迷惑かけて悪かったな」
 聞いたことがないくらい冷たい声。全部をはねのける、拒絶のバリア。
 長い沈黙の後に、龍麻の態度は百八十度変わっていた。
 ちょっと待てよ、なんだよそれ!
 思っても、龍麻の硬質な雰囲気は崩れない。さっきまで、すげーにこやかに笑ってたのに。バカみたいな冗談みたいなこと言って、いつも通りふてぶてしかったじゃねーか。嫌になるくらいベタベタしやがってたじゃねーかよ。なのになんだよそれは!!
 龍麻は無言で机の上を片付けはじめる。見たとき正直げっそりした二段重ねの重箱。いくら二人で食べるったって多すぎるだろそれは。って言いたくなるくらいの量が入ってた。上の段は定番物から凝った物までいろんなおかずが入ってて、下の段はおにぎりと漬物だ。炊き込み御飯のおにぎりもあった。一体何時間かけて作ったんだよ。しかも漬物自家製だよおい。―――さっき俺はバカみてーと呆れたけど、こんだけのもの作るのにはそりゃ時間もかかるし大変だろうということに気づく。しかも龍麻は別に料理得意とかじゃねェし。実はすげーモノグサだし。目玉焼き作ったフライパンの上にご飯落としてソースかけて、フライパンから食べる男だぜ? よく作ったもんだ。
『男の手作り弁当なんて二人でつっつくもんじゃねーだろ。すげー寒ィぞそれ。冗談じゃねーよ』
 自分で何気なく言った言葉を思い出して、まずかったかと思っても時は既に遅い。それよりもっと酷いことを俺はしたし。龍麻が怒ってもしょうがない。しょうがないけど。―――いつもなら、俺が何言ったって何したって、反骨精神旺盛なのか知らないが、余計に闘志燃やしてかかってくるのに。じゃなきゃ、さっぱり気にもとめないで『照れるなよ』とか人の話聞いちゃいねーこと言ってベタベタしようとすんのに。食べかけの二人分の弁当をしまって、丁寧に風呂敷で包んで、龍麻は立ちあがる。―――俺には一言もなしで。
 教室中は静まりかえって、ただ俺達の方に視線だけ向けて様子を伺っていた。皆、食事の手も止めて物音一つたてない。唯一動いているのは龍麻だけだ。スタスタと教室を横切り、ドアへと向かう。
 俺はバカみたいにその場に立ち尽くして何もできないし何も言えない。俺の逃亡を防ぐためにドアを塞いでいた男子生徒が、近づいてくる龍麻に顔を引きつらせながらも慌ててドアを開ける。怒っているらしい龍麻の様子にかなりビビっていたそいつに、龍麻が笑顔で一言。
「ありがとう、もういいから」
 多分、もう昼休みに俺の逃亡を防がなくてもいいと、そういう意味だろう。その必要がないってことだ。そして風呂敷を持ったまま龍麻は教室を出て、後ろ手にドアが閉められる。
「………」
 残された俺や、他のクラスメート達は閉じられたドアを見つめたまま、しばらく動けないでいた。
 なんなんだよ、ちくしょーッ!
 俺は自棄になって音をたてて椅子に腰を下ろす。行儀もなにもなく、机に足をのっけて、椅子を傾けて不安定な態勢で天井を睨んだ。
 龍麻に対してものすごく腹がたったけど、同じくらいの罪悪感があって、どうしていいのかわからない。怒りたいのに怒れない。謝りたいのに謝れない。そんな気分だ。
 ふと、腹が減っているのを思い出す。結局、あの弁当は一口も食べてないのだ。―――うまそうだったんだけどな……。
 ……ハッ。いかんいかん。
俺は頭を振って龍麻とあの弁当のことを頭から追い払うと、本来食べるはずたったパンを取りだしてほおばる。けれど、いつも食べているはずの味なのに、なんの味もしなくて、食べた気にはなれなかった。



 ことの起こりはそんなに前じゃない。せいぜい五分か十分前。
 昼休みになると、すぐさま三年C組の教室は厳戒体制が敷かれる。ドアは一番近い席のやつらが三人がかりで塞ぎ、窓も同じく塞がれる。窓からの逃亡が成功したのは初めの一度きりだ。そして、龍麻と俺の机はいつのまにか向かい合わせでくっつけられているって次第。
 龍麻の宣戦布告から二週間あまりが過ぎていた。その間に《緋勇龍麻と蓬莱寺京一をくっつける会》なるものは発足するわ、全校生徒は龍麻の味方になるわ、マリア先生まで龍麻の味方になった挙句、俺のことまでホモだと勘違いするわ……。さらには龍麻のヤツ、俺の両親にまで取り入って、毎朝俺を起こしに来ては朝飯をウチで食っていく。そうすっと、自然と一緒に登校するハメになったりして、完璧に全校公認カップルってヤツだ。冗談じゃねー。
 そして学校に来たら来たで、昼はこのとーり。何故かいきなり実行された席替えによって授業中でも龍麻の隣だ。
 ―――陰謀だ、これは! イカサマだ! 
 と俺がいくら叫ぼうが、みんなしてグルだから太刀打ちできやしねー。
 しかも俺が学校に置きっぱなしにしていたせいで、教科書を隠されたりした。別に直接の嫌がらせではなく、二段構えの嫌がらせで、だ。俺は授業中ほとんど寝ているから教科書なんてなくても構わない。なくなったときもさして気にとめてなかった。だが、授業が始まったらクラスの女子数名が、
「龍麻くんに見せてもらえば?」
 とにっこり笑って、半ば強制的に俺と龍麻の机をくっつけたのだ。
 ―――以来、俺は真面目に教科書を持ち帰っている。この俺が!!
 だからつまり。こんな状態の中で二週間も過ごせば、そんな状況にも人間は慣れていくものらしいってことで。最近では素直に龍麻と向かい合わせで昼飯を食ってたんだよ、おとなしく。別に変なことを言ったり、したりしてこない限り、害はないし。龍麻が嫌いなわけじゃない。そう自分に言い聞かせて。普通に向かい合って飯食うだけなら、よかったんだ。くだらないこととか話ながら。それだけならさ。
 ―――それがあのヤロー、いきなり二段重ねの重箱入り弁当なんか作ってきやがって、二人で食おうとかいいだすし。それだけならまだしも、よりにもよって!! 『せっかくだし』とかよくわからない理由でアイツは……
「はい、京一、アーン♪」
 と、ひと昔前の新婚夫婦よろしく、俺に食べさせようとしやがったのだ! 誰が食うかッ、冗談じゃねー!!
 大体ここは教室だ。公共の場ってやつだ。しかも龍麻の味方して、俺の逃げ道を塞いでるクラスメート達がいるわけで。そいつらは、何かというとこっちを気にしてるっていうのに、そんな恥ずかしいことができるかッ。
 だから俺は、いつも通り思いっきり叫んで、座ってたせいで木刀も出しずらかったから拳で殴った。
「誰がするかー!!」
 と――― 。
 当たると思わなかったんだよ。拳はあいつの専門で、俺なんかの攻撃はいつも軽々よけやがるから。ここんとこ龍麻のベタベタ攻撃にも慣れてきて、殴ることも減って、久しぶりに殴ったからか? わからねーけど、珍しく俺の攻撃はヒットしたのだ。それも……顔面に。
「きゃーッ!」
 女子の悲鳴が聞こえる。
「顔はヤメテーッ」
 ……お前らなぁ……。
 なんて、かく言う俺もまさかこうまで綺麗に顔にヒットするとは思ってもみなかったから、本気で焦った。そろそろと腕を引っ込め、無反応な龍麻を伺う。
「……ひーちゃん……?」
 不気味なことに、龍麻の顔は殴る前の笑顔のまま固まっていた。箸も持ち上げた状態で止まっている。殴られたのに、箸で掴んでる卵焼きも落ちてやしねェ。なんて、どうでもいい事に感心している場合じゃない。
「京一、ちょっとやりすぎだぞッ!」
 美里と昼食をとっていた小蒔も俺のしたことは見てたらしく、片手を腰にあて、もう片方の手で俺を指さして言ってきた。
「わかってるよ、んなこたぁッ!」
 人を指さしちゃいけないって小学校で習わなかったのかお前は!
 って、それも関係ねーや。ヤバイ、俺かなり動揺してるぞ。とにかくまずは龍麻だと思って、何やら喚いている小蒔を無視して龍麻を伺う。
「お、おい、ひーちゃん……?」
 自分で思う以上に俺は焦っていたのか、すぐに謝らなきゃいけないのにその言葉も出てこない。何と言ったものか途方にくれていると、
 ゆらり……。
 と、蜃気楼みたいに龍麻の背後の景色が歪みだす。俺は思わず椅子ごとあとずさった。
 な、なにかヤバイ氣が出てないか……ッ?
「京一?」
 やっと龍麻の顔というか、口だけが動いて言葉を発したけど、感情のこもってない声で余計に怖い。
「はははははいぃッ!」
 またきっと、笑ってない笑い声とか発してすげーことを言い出すのかと思って俺は身構えたのだが、予想は外れる。
「お前の気持ちはよっくわかったよ」
 す、と笑顔のまま固まってた龍麻の顔から表情が消えたのだ。笑顔が、じゃない。表情そのものが。怒ってる顔でも、悲しんでいる顔でもない。
 途端に無表情になった龍麻に俺は本気で恐怖を覚えた。教室中が、いつもと様子の違う龍麻に、自然と無言になっていく。
 ―――よくわかったって、なにが? 俺がそんな新婚ごっこみたいなのは御免こうむるってことか?
 おい、どうしたんだよひーちゃん。らしくねーぞ、そこでおとなしくなるなよ。いつも俺が攻撃しても、ヘロヘロしてんじゃねーか。
 謝らなきゃいけねーのに、いつもと様子の違う龍麻への戸惑いと……
 それからやっぱりさっきのアレは怒ってもしょうがねーだろって気持ちから、何も言えない。もっとも、龍麻がいつも通りだったら俺はまた逆に怒って謝れなくなるんだろうけど。
 龍麻も何も言わないから、重い沈黙が教室にたれこめてた。無言のまま卵焼きを重箱に戻して、箸を置く龍麻を俺はじっと見守る。気持ちだけは焦るのに、口は神経通ってないんじゃないかと思うくらい上手く動かない。
 そして、長い長い沈黙の後、龍麻が言った。
「もういいよ。迷惑かけて悪かったな」



 ―――とまあ、そういうわけだ。

「あ~あ~、怒らせちゃったわね」
 早速騒ぎを聞きつけてやってきたらしいアン子が、俺の机の上に腰掛ける。ご丁寧に、裏密まで一緒に来やがった。
「彼は我慢の限界を超え~二度と振りかえることはないのよ~」
「うるせェッ」
 俺は邪険に手を振って、追い払う仕草をする。俺は今機嫌が悪ィんだ。
 それにアン子のヤツ、どうせ今度はこのケンカのことを記事にしようとでも思ってんだろ。首にはいつも通りにカメラが掛かってる上、手も常にスタンバイ状態。裏密は、なんでだか解らねェけど。……そういや、確かコイツも《緋勇龍麻と蓬莱寺京一をくっつける会》の副会長とかだったな。どうでもいいけど。
「そんな態度でいいと思ってんの!? あんたはよりにもよって龍麻くんの顔を殴ったのよ? 土下座して謝らないと」
「京一く~ん、闇夜には気をつけてね~。恋する乙女の復讐があなたを待ってるわ~……。う~ふ~ふ~」
 みんなして顔・顔・顔って、それしかねェのかよッ。顔だけ無事ならいいみてェな言い方じゃねーか。そんで裏密、お前は怖すぎるんだッ
「これでもう、龍麻くんもアンタに愛想尽かしちゃったでしょーね。顔殴られたんだもの。明日の真神新聞号外は《蓬莱寺京一、ついに緋勇龍麻にフラレる!》に決まりね☆」
 な、なんだとォ!?  聞き捨てならねェぞ!
「フラレてねーよ!」
 机をバンッと強く叩いて俺は椅子から立ちあがり、アン子を睨みつける。なんで俺が龍麻にフラレたことになってんだよ。言い寄って来てたのはアイツで、俺がずっと避け続けてたんだぞ。それ以前の問題だろうがッ。それに、もしその言い方するんでも、俺が龍麻を振ったんであって、逆じゃないはずだ。その後もしつこくつきまとってきたのはアイツなんだから!
 だが、俺の睨みなんて気にした風もなく、アン子は逆に憮然とした顔をして机から降りる。
「なによ、今更後悔したって遅いわよ。あんたがいつまでも逃げてるからいけないんでしょ」
 そして、捨て台詞のように言い残して、教室から出て行ってしまった。
「逃がした魚は大きいのよ~京一くん~。嫌よ嫌よも好きのうち~」
 更には裏密までが相変わらずの不気味な声で言い残し、アン子を追って出て行く。
 なんなんだよ。ワケわかんねェ……。大体、後悔ってなんだよ。逃げてたことか? 逃がした魚だのなんだの、勝手なこと言いやがって。
 だいたい俺は嫌いじゃねーけど、龍麻のことを好きだなんて言った覚えはねェぞ、絶対! 俺に勝手につきまとってたのはアイツの方なんだ。全校生徒やマリア先生にまで誤解されて、俺は迷惑してたんだ。後悔なんか、してるもんか。これでよかったじゃねーか。これでようやく元の静かな生活に戻れるってもんだ。もういちいち血圧上げて怒ることもねェ。腹たてて、ぶん殴ることもねェ。丁度いいじゃねェか。
 ……態度が急変したことに腹が立つのは、迷惑してたからだ。あれだけ人騒がせなことしといて、なにもなかった顔をしやがるからだ。それだけだ。
 ……それ以外の理由なんて、絶対にねェ……。






 それから五日が経過した。
 龍麻は相変わらず怒ったままのようだが、無視されることはなかった。一見すると、俺に告白する前の龍麻に戻ったみたいに普通に接してくる。挨拶もする、話もする。だけど、朝は起こしにこないし、昼休みになるとどこかへ消える。―――まるで、ちょっと前の俺のように。もう、ベタベタもしてこない。無視はされないけど、どこか他人行儀だ。俺を見る目も心なしか冷たい。今までなかった壁を感じる。
 なにそんなに怒ってんだよ。ただちょっと顔殴っちまっただけだろ。
 ―――と、心の中で反発するけど、それだけじゃないんだろうと、冷静な部分が告げてくる。
 思い起こしてみれば、ここんとこ、俺はずっと龍麻に酷いことばっかり言ってた。いきなり親友だと思ってたヤツから告白されて戸惑って焦って、どうしていいかわからなくて反発をして。アイツのなりふり構わない行動だって悪いと思うけど、それを言い訳にしてた。自分のことばかり考えてあいつの気持ちを真面目に考えてやることさえしなかった。……まァ、その暇とか隙とかをヤツが与えてくれなかったってのもあるんだが。ともかくも、そのツケが一気に回ってきたのかもしれない。
 ―――龍麻はもう、俺のことを好きじゃなくなったのだろうか。
 俺は迷惑してたんだから、これでいいんだ。後悔なんてしてない。そう何度も自分に言い聞かせるけど、段々それは単なる強がりのようになっていく気がした。なんでだ……。なんで俺がこんなに悩まなきゃなんねーんだよ。龍麻の他人行儀な態度に、どっか冷めた目に、なんで俺が傷つかなきゃならねーんだ!?
 イライラが、たまってく。他人行儀な顔される度に、穏やかなのにどっか拒絶してる微笑を見る度に。気にしたくないのに、気が付けば気にしてる自分がいて、余計に腹が立つ。迷惑だと思っていたのに、鬱陶しいと思ってた筈なのに、なくなってみると酷く不安定な気分になった。
 考えてみりゃ、龍麻がおかしくなってから一ヶ月にも満たない。それより前は龍麻のことを避けたりも鬱陶しいとも思ってなくて。それどころか、どっちかっていうと俺の方からくっついて回ってた。龍麻の家に遊びに行くことが増えてからは、一緒に行動することが殆どだった筈。そりゃ、堪えるわけだよな……。
 俺が逃げ回ってた時の龍麻の心境って、こんなんだったのだろうか。結構ツライぜこれ……。なんて今更思っても遅いけど。なんとか、なんねェだろうか。悩むのもバカらしくなってくる。だって考えてもどうにもならない。
 だから、俺は意を決して龍麻をとっ捕まえて。呼び出した。
 悩んでいても、埒があかない。直接話さないとどうにもなんねェ。何に怒ってんのかも分からないが、とにかく謝って、どうにかしようと。
 謝ってどうなるかとか。許してくれても、その後どうするとか。未だに龍麻の気持ちとかって分からないのに。大体、許してくれねェかもしれないのに。けど、こんなのは嫌だ。元ってのがもう、どこだか分からねェけど、戻れないだろうか。この際だから、頭おかしい龍麻でもいい。鬱陶しくてもアホでもいいから。お前に他人行儀にされる方が堪えるから。どうにか、してェんだ。
 考えるだけじゃ答えは出ない。当たって砕けろ。うじうじしてんのは俺の性に合わねェし。呼び出した龍麻を、半ばムリヤリ屋上に連れてって、向かい合った。

「おい、ひーちゃんッ」
「どうしたんだよ、京一。怖い顔して」
 ……これが以前の龍麻だったら
「やっと俺の気持ちに応えてくれる気になったか!」
 とか、勝手に全部都合いいように解釈して、いきなり抱き着いてきたりすんのにな。今はただ、クラスメートとか先生の前でするのと同じ微笑を浮かべてるだけだ。立つ位置も、心なしか距離がある。
「……京一?」
 黙ったまんま話を切り出さない俺の名を、訝しげに龍麻が呼ぶ。それをきっかけにして、俺はかなりな勇気でもって口を開いた。
「……ゴメン」
 とりあえず謝ってみる。他に、何て言っていいのかも分からねェし。一番先はやっぱりコレだろうと思って。
「なにがゴメン?」
 それに大して龍麻が浮かべるのは苦笑。本当に分かってないのか、とぼけてるだけなのか。それすら読めない。読ませない、苦笑。
「だから……顔、殴っちまっただろ」
 今ハッキリとわかってる、謝らなきゃいけない事実はそれだけ。情けないことに、それ以上は分からない。ここまで怒るんだから、それだけじゃないことは、分かってるのに。
 反応が怖くて、視線を逸らしてそっぽを向いた俺に返ってきたのは、あまりにもアッサリとした声。
「ああ、あのこと? 別に怒ってないよ、それくらい」
 視線を戻して顔を伺うと、もとの微笑に戻っている。
 ―――怒ってないだって……?
「じゃあ、何に怒ってんだ? なァ」
 何にも怒ってないはずはない。顔を殴ったことに怒ってるんじゃないなら、何に怒ってるんだ。
「なにも怒ってないよ。変な京一」
「怒ってないはずねェだろッ!? じゃあなんで俺を避けるんだよ!」
 ふざけんな。そんな見え透いた嘘つくんじゃねェよ。お前のその他人行儀な態度が怒ってないならなんだってんだ。
「避けてなんかないってば。今だって一緒にいるじゃないか」
 話はする。無視はされてない。冷たくもされてない。怒鳴られてもいない。確かに龍麻の言う通りだ。特別邪険にされるんでもない。他の奴らと同じように。ただ単に、今までのようにベタベタしないだけで。それだけの筈なのは分かっているのに、なんでか俺は龍麻が怒ってるように思えるのだ。今まで、俺にだけしてたことを、しなくなっただけなのに。なんでか俺は、それが腹立たしくて仕方がない。
「嘘つけッ。朝ウチに来なくなったし、昼だって放課後だってどっか行っちまうだろッ」
 すると龍麻は深々とため息をついて、呆れたように俺を見た。
「……別にどうでもいいだろ、そんなこと。お前、もう追いかけられなくていいんだからよかったじゃないか」
「よくねーよッ」
 どうでもよくねーから、こんなこと言ってんだよ。
 あれだけうざったいと思ってた朝の迎えも、一緒に食う昼食も、過剰なんじゃねーかと思うスキンシップだって。なくなったら、なんだかすげー物足りねぇ。不安になる。不自然な感じがする。あんなに嫌だったのに、俺だって変だと思ってるよ!! けどしょうがないだろ。
「さんざん人のこと好きだの愛してるだの言っといて、、顔殴られたくらいで嫌いになんのかよッ」
 龍麻の顔からはもう、微笑は消えていた。代わりに表れてるのは、見下すような、冷たい表情。
「殴られたことなんてどうでもいいよ。京一は俺のこと嫌いなんだから、俺に嫌われた方が好都合だろ?」
「俺はオマエのことが嫌いだなんて言ってねェッ」
 反射的に叫んでた。そりゃ逃げまくっていたけど、嫌いだったわけじゃない。鬱陶しいとも、コイツアホだとも思ったけど、嫌いだと思ったことは、一度もない。どんだけアホだって、鬱陶しくたって、しょうもなくたって、龍麻は俺の相棒なんだから。
 だけど嫌ってると思われてたことよりショックだったのは、龍麻に嫌われたってことだった。
 好きじゃなくなったのかもしれねェ、とは思ったけど、嫌われたとは思いもしなかった……。妙に、納得しちまったぜ。そっか怒ってたんじゃなくて、嫌われてたのか……。
 ヤバイ。すげェ、苦しいかもしんねェ。
「もう、俺のこと嫌いになったってことか……」
 龍麻の冷たい表情に耐えられなくて、俺は視線を落とす。
 ……しょうがねェよ。俺、酷いことばっか言ったし。始めに龍麻を拒絶しちまったのは、俺だし。悪いの、俺だよな。嫌われても、筋は通さねェとな、と思って。伏せた視線に引きずられるようにして、頭を下げた。
「今まで酷いことばっか言っちまって、避けまくったりして、悪かったよ。……ゴメン……」
 俺、自惚れてたのかもしんねェ。何しても、何言っても、どんなことあっても、龍麻は俺のこと好きでいるって、どっかで思ってたのかもな。
 嫌われるなんて思ってもみなかったぜ……。しかもそのことが、こんなにショックだとも思わなかった。
「……なに泣いてんだよ、京一」
 頭下げてたら、そのまま重力の関係で、緩んでた涙腺から滲み出た涙が落ちたらしい。
 ゲッ、みっともねー! なんで俺泣いてんだよッ。
「いや、ちちちがう、泣いてないッ」
 慌てて涙を拭うけど、顔が上げられない。
 うわー、恥だ! これぐらいのことで泣くなんて男として恥だ!!
「バーカ、バレバレだっての」
 かけられた龍麻の声は本当に冷たかった。心底からバカにしてる声だ。どうせバカだよ、悪かったなッ! オマエに嫌われてたのも気づかないしよ!
「お前、俺に嫌われて構ってもらえなかったのが、そんなに悲しかったのか?」
 しかも向けてくるのは、哀れみ半分、からかい半分の目。
 うるせーな。どうせそうだよ。ちくしょー、こうなりゃもう自棄だ。
「ああそうだよ、悪かったなァッ」
 怒鳴って、自棄ついでに顔を上げたら、すげー驚いた顔の龍麻と目が合う。だけどその意外そうな顔はすぐに影を潜めて、不敵な笑顔にとって変わった。
「フーン。ひょっとしてお前けっこう俺のこと好きだろ?」
 からかうような口調に腹がたつ。ニヤニヤした笑いも、俺の神経を逆撫でした。なんでオマエいつもそんな図々しいんだ。ついこの間まで俺のこと大好きだったくせしやがって!!
「あーそうだよ、好きだよ、悪かったな! 俺だって知らなかったけどなッ」
 売り言葉に買い言葉のノリで、つい口をついて出た言葉に自分でぎょっとする。
 ―――そうか、俺……龍麻のこと好きだったのか……。
 ―――ええ!? マジかよ。ヤバイだろそれは!!
 と、俺が自分で言ってしまって発覚した事実に驚愕していたら、突然龍麻が……
「よっしゃぁッ!!」
 と叫んだ。
 なんだ? 今度は何事だ?
「遠野、裏密!」
 そして龍麻がその名を呼ぶと、どこからかアン子と裏密が、如月よろしく忍者のように現われる。
 お前らどこにいた!?
 てゆーか、今の聞いてたのか、ひょっとしてー!!
 あまりのことに俺は声もでない。驚愕と恥ずかしさに、状況不明が加わって、頭はすっかり混乱しまくっている。
「首尾は?」
「バッチリ!」
「任せて~」
 短いやりとりで、ヤツラは互いに意思疎通ができているらしい。俺にはさっぱり内容がわからないが。何者だ、おまえら……。
「ちゃんと今の、録音できてるわよ♪」
「闇の契約書も~万全よ~」
 録音!? 闇の契約書!? なんのことだそれは。ううぅ……、聞きたいが聞きたくない。なんでって、アン子と裏密という時点ですでに嫌な予感がする上に、龍麻が……戻ってるんだが。……その、バリバリ全開俺追っかけモードっぽい龍麻に……。
「京一、手」
「へ?」
 言われて、何故か反射的に右手を出してしまうバカな俺。嫌な予感はバリバリだというのに、頭がまだついていっていないのだ。
 ピリッと走った痛みに顔をしかめる。見ると、龍麻の手には小さなナイフ。そして俺の親指にはうっすらと血が滲んでいた。切られたのはわかったが、何の為にそんなことするのか分からずにいると、裏密が近づいてきて、血の滲む俺の親指を手に持った古臭い紙に押し付けた。
 ―――それ、さっき闇の契約書とか言ってたやつかじゃないか……?
 今更気づいても遅いが、既に俺の血判が押されてしまったそれを呆然と見ていると、俺の耳に飛び込んできたのは、ここ最近で聞きなれてしまった笑い声。
「フフフフフフフ……!」
 こ、この笑いは……!! 
 俺の背に、戦慄が走る。これは、龍麻得意の笑ってない笑い声……。
 やはり、なんかいきなり戻ってる気がする。
 オマエ俺のこと嫌ってたんだろ? 怒ってたんじゃないのか!? それにその契約書ってなんだーッ!?
「かかったな、京一! 聞かせてもらったぜ、お前のトゥルーハート!!」
 呆然としたままの俺に、龍麻が得意げに言い放つ。……つーか、トゥルーハートってなんだトゥルーハートって……。
「押してだめなら引いてみろとは、昔の人はよく言ったもんだな。それに裏密の占いもよく当たる……。《今月の乙女座のあなたは先月に引き続きラブ運絶好調☆ でも時には押してばかりじゃなくて、引いてみるのも手。普段と違うクールなあなたに、相手はもうメロメロよ♪》って、その通りになったもんな!」
「うふふふ~。ミサちゃんの占いは百発百中~」
「あ、龍麻くん。協力したんだから約束守ってね♪」
「もちろん。俺と京一のラブラブショットだろ? 両思いになった俺達に障害はもはやゼロ! なんでもリクエストしてくれよッ」
 ……………。
 ………ちょっと待て、てめーら。
 呆然としていた俺にも、段々と事態が飲みこめてくる。額に青筋を浮かべ、よろよろと立ち上がりながらも、俺は木刀を袋から取り出してしっかりと握った。
「……ひーちゃん……両思いってなんのことだ?」
「なに言ってんだ、今更。お前さっき俺のこと好きだっていったじゃないか。遠野がバッチリ録音してるし、裏密の闇の契約書に印押しちゃったから、もう撤回できないぞ」
 ははは……。ご機嫌だな、ひーちゃん。そうかそうか、手回しのいーこって。つーかよ、何が押して駄目なら引いてみろ、だ。なにが占いだ。大体オマエ、星占い元に行動してんじゃねェよ。
「オマエ、俺のこと嫌いになったんじゃねェのか?」
「フ、バカだなぁ、京一。この俺がお前のことを嫌いになるはずないだろう。あれは演技だよ、演技」
 ああそう、演技だったわけかー。すっかり騙されちゃったぜ、俺。で、アン子と裏密にまで協力を頼んだわけだな? しかも報酬約束してるってどういうことだ、おい。
「ここのところ態度が軟化してたから、いけるかもとは思ったんだけどな。中々言ってくれないしさ。俺としても辛かったんだぞ? 京一にベタベタしたいのを抑えるのは!」
 俺の……俺の悩みはなんだったんだ……ッ。全部無駄だったってことか!? こんな……こんなヤツの為に俺は……ッ!!
「まー、そのおかげで晴れて両思いになったことだし、めでたしめでたしってことで許してくれるよな♪ なにしろ、俺のこと泣くほど好きなんだもんな!」
 ハッハッハッハッハッ、バカだな、ひーちゃん、そんなの……
「許すわけねーだろーがぁあああああ!!」
 俺(レベル99)は渾身の力を込めて、天地無双を放った。
 それくらいで俺の気が収まるわけもなかったが、まァこれくらいで許してやるぜ、とりあえず。
 その代わり、さっきの言葉は全て取消させて取消すからなッ!!


畳む

#主京 #ラブチェイス

back