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ヘタリア

恋人育成計画
▽内容:『天使育成計画』のアメリカ視点。日本に自分が主役のゲームを作ってほしいとお願いした結果、大変なことになったアメリカの話。
 
                                                           




「そうだ、日本。俺がヒーローで主役のゲームを作ってくれよ!」
「はぁ?」
「君ん家のゲームは面白いけどさ。やっぱりちょっと、ヒーローが足りないと思うんだよな。うん、名案だ!」
「いえ、あの、ちょっと待ってください、アメリカさん……っ」
「ちなみに、反対意見は認めないぞ!」

 それはほんの、気まぐれのようなものだった。
 日本に貰うゲームはどれも面白かったけれど、何かが物足りないなと思う時もたまにある。
 それは主にアクションゲームやシューティングゲームにおいての迫力だったり、演出の派手さだったりするけれど、それ以外の日本のゲーム……いわゆるアドベンチャーゲームやロールプレイングゲームなどにおいても、もう少し俺好みだったらいいのにと思っていたのだ。
 足りないのは果たして何だろう?
 自分なりに考えてみたところ、俺はあっさりと答えを得たんだ。
 日本のゲームに足りないもの。それは――圧倒的に格好良くて強くて絶対的で、尚かつ個性的で印象的な《ヒーロー》だ!
 日本のゲームにも数多くの格好良かったり可愛かったりするヒーローやヒロインが居る。そういったキャラクター達はとても魅力的だけれども、出来れば俺は、絶対にして唯一のヒーローらしいヒーローがいい。
 だから最初は、そういうゲームを作ってみないかと日本に頼もうと思ってたんだけど、どうせなら思い切り俺好みのヒーローにして貰えばいいじゃないか! と思い立って、それから俺の理想のヒーロー像を考え続けた。
 うちの映画もいっぱい見返して、どんなヒーローがいいかと考えるのは凄く楽しい作業だったし、どのヒーローも皆それぞれに格好良かったけれど、何故だかピンとこない。
 どうしてだろう。何が足りないんだろう。
 考えに考え抜いた結果、俺が行き着いた先。これ以外にないというヒーロー像。
 それが、俺だ!
 そうだよ、何でこんな簡単なことに気づかなかったんだ。何しろ俺はアメリカ合衆国なんだぞ。数多の格好良いヒーローを生み出し、世に溢れるヒーローをさらに格好良くして送り出すハリウッドをその身に抱えるエンターテイメントの先進国。
 つまり、俺のうちから送り出された数多くのヒーローは、そのまま俺の中で共存しているってことになる。
 俺自身がそもそも世界のヒーローだし、架空のエンターテイメントの世界のヒーローだって、その多くはうちから出しているのだから、考えてみるまでもなく、この世に俺以上のヒーローなんているわけないんだ!
 結論が出たからには、じっとしていられない。
 俺は早速日本を呼び出して、要望を告げたってわけだ。
 日本は凝り性だし、俺の家ほど演出が派手でないのが残念だけれど、良いゲームを作ってくれるだろう。
 しかも主人公が俺とくれば、面白くならない筈がない。
 そうして身を乗り出して言った俺に日本が見せたのは、いつも通りの曖昧な表情。視線を遠くに投げながら、いまいち覇気のない声で返してくる。
「……善処します」
 ゼンショ、ゼンショ。うん、良く分からないけどノーじゃないってことはイエスってことだよね。
「本当かいっ。じゃあ早速、制作に入ってくれよ」
 ひくり、と日本の頬が引きつったような気がするけれど、笑っているし気のせいに違いない。
「いえ、あの、早速って……」
「安心してくれよ。この件に関しては、ちゃんと俺からも資金を出すからさ」
「当たり前です」
「足りなかったら君にも出してもらうけど、いいよね」
「……」
 また日本の口が奇妙に歪む。日本は自分の意見を上手く言えないらしいから、俺の素晴らしい提案に感動しても、素直にその感動が出せないんだろうな。
「あ、その代わり、出来たゲームはウチで先に出すからね!」
「はぁ……まぁ、どうぞ」
 日本は俺から視線を逸らして、変な方向を見ながら何かぶつぶつ言っている。幻覚と話すイギリスじゃないんだからやめてくれよ。と思ったけれど、ここでイギリスの名前を出すのも変な気がしたので黙っておいた。
「俺に出来ることなら、なんでも協力するぞ! 何しろ世界一のヒーローをモデルにするわけだから、撮影も必要だろうしね!」
「ええ……はい、そうですね。そういうことにしておきます」
「だろう! 撮影はハリウッドの優秀なスタッフを呼ぼう。あと、CGスタッフもいるかな。日本のところのスタッフも優秀だけど。ヒーローらしさを撮らせたら、やっぱりうちの……」
「あー……いえ、それは結構です」
 色々とイマジネーションが広がって、次々とやりたいことが出てくる。ああしようこうしよう、と思いつくまま喋っていた俺を、しかし日本は微妙な様子で遮ってきた。
「どうしてだい?」
 きょとんとして尋ねと、日本はスーツの内ポケットからサッとメモ帳を取り出して開き、片手にペンを構えた。途端、シャキーンと音がしそうなくらいに日本の雰囲気が硬質なものへと変わる。
 先程までの覇気のなさが嘘のように目に鋭さが宿り、曖昧さをかなぐり捨てた日本は、猛烈なスピードで何事かを書き付けながら、同時に口も器用に動かして滔々とまくしたて始めたのだった。
「撮影は行いますが、衣装はこちらで用意します。CGも、現在の構想予定ですとアメリカさんの家風とは違う方面になると思われる為、うちのスタッフで行いますのでご了承ください。それと、ゲーム制作に当たりアメリカさんに対して詳細な取材を行わせていただきます。ヒーローをヒーローとしてヒーローらしく演出する為には、その土壌や背景、過去なども重要な要素となりますから。それから米国内での販売に関してはアメリカさんにお譲りしますが、著作権は放棄しません。うちからも資金を出す代わり、状況如何によっては我が国向けに修正を加えてこちらでも販売します。まったく別のゲームになる可能性も考えた上での対応をお願い致しますね。その辺りの権利関係につきましては、後日に改めて専門のスタッフを派遣しますので、その時に詳細を協議の上で決定ということでいかがでしょうか」
 思わずポカンとして日本を見つめてしまう。
 つらつらと一息に、かつ曖昧な言葉で濁さずにハッキリと喋る姿は、まるで別人のようだ。話している内容も耳には入って来ているのだけれど、驚きが強いせいで頭に入ってこない。
「ええと……」
 いかがでしょうか、と聞かれているのに日本の視線も語調もまるで「反対意見は聞きません」と言っているみたいだ。
 日本は普段はボンヤリしてるようにさえ見えるのに、たまにこうなるから油断が出来ないんだぞ。
「アメリカさん。YESかNOかでお願いします。また、恐れながらNOであればゲーム制作の話はなかったことにさせていただきます、すみません」
 いつもとは違う、嘘くさい程にこやかな笑顔。なのにどうしてか俺は少しばかり気圧されていた。ソーリーって先に謝っておきながら、脅されている気分になる。
 俺は首を傾げながら先程の日本の発言を脳内でリピートしてみて、まぁいいかと頷いてみせた。
 日本に頼むと決めたのだから、撮影だとかCGだとかは日本も勝手が分かっている方がいいだろうし、ヒーローをヒーローらしく描く為に取材は必要だ。権利関係については、日本だってボランティアでやってくれはしないだろうから、ある程度の利益が出るよう努力するのは当たり前のことだ。細かいことはこっちも専門家を連れていけばいいし、その辺りの駆け引きで日本に裏を掻かれることはまずないだろう。勿論手は抜かないように言っておくけど。
 もともと、国がどうとか関係ないゲームの話だし、俺からお願いしてる話だから、少しくらいは日本の意見を聞かないとな。
 うん、ちょっと日本が怖かったけれど、問題ないぞ。
「OK、それでいいよ。ただし、ちゃんと主役は俺にしてくれよ!」
 これだけは譲れないと念を押せば、
「ええ、勿論です」
 日本はまたもや、らしくない程にはっきりとした笑みでガクリと首の折れる、例のお辞儀とやらをしてみせた。
 



 それが二年くらい前の話になる。
 あれから日本は事細かく俺に昔の――特に子供時代の――話を聞いてきたり、当時の俺の国の様子なんかを熱心に調べていたりした。
 なんでそんな情報が必要なのか俺にはまったく分からなかったし、そんなことより今の俺の格好良い姿を撮影すべきだと思ったんだけど、日本は「それはまた今度でお願いします」と言って、はぐらかされてしまった。
 しかもどうやら、俺だけじゃなく他の国々にも昔の話を聞いたり、モデルになってくれと撮影を頼んだりしていたらしいのだから不思議でしょうがない。
 俺に対して日本が撮影依頼をしてきたのは、俺がすっかりゲーム制作を頼んだことなど忘れかけていた一年くらい前のことだった。
 しかも渡されたのは、俺がいつも着ているフライトジャケットと同じものや、少し前に着ていた軍服。かと思えば、ハイスクールの制服だという衣装。
「こんなの、ちっともヒーローらしくないんだぞ!」
 俺は日本に文句を言ったけれど、「まぁまぁ、アメリカさん。そうおっしゃらずに。ちゃんとアメリカさんが主役でヒーローのゲームですから」と宥められて、仕方なく撮影に付き合った。
 それはまだいいのだけれども、日本の不可解な要求はそれだけではなかったのである。
「アメリカさん、とても重要なことなのです。アメリカさんが持っている限りのイギリスさんの写真をお貸し願えませんか? 勿論、傷一つ付けずにきちんとお返ししますから。一枚残らず秘蔵品も見せて頂けると有り難いのですが」
 丁寧な物腰で申し訳なさそうな声の割に、よくよく聞けば日本らしからぬ強引な物言いだ。
 しかも俺に、イギリスの写真を、貸してくれ?
「じょ、冗談よしてくれよ、日本! 俺がイギリスなんかの写真を持ってるわけないだろう!」
「ああ、そういうツンデレも今は結構ですので。重要なことなのです。実はこっそりたくさん貯め込んでいらっしゃるのは承知しておりますし、決して他言など致しませんのでご安心ください。お酒に酔った時のものと、あと寝顔もお持ちですよね?」
 ……ちょっと待ってくれよ、これ誰だい?
 と、周りに誰もいないにも関わらず視線を巡らせて、助けと疑問に答えてくれる人を俺が求めてしまったのも仕方がないと思う。だってそうだろう。こんなの俺の知ってる日本じゃない。
 なんで日本は、こんなに確信に満ちた言い方なんだい。まるでどこかで見てたみたいに!
「な、なんのことだか分からないんだぞっ」
 しらばっくれてみるけれど、日本の表情は申し訳なさそうな顔のままなのに、何故だか眼光が鋭い。とても鋭い。まるで夏と冬あたりの一時期の日本みたいに。
 そして俺は、そういった時の日本にはあまり逆らわない方がいいと身をもって知っていた。知っていたけれども、今回ばかりはそれで納得するわけにはいかない。
 だって、どんな顔で認めろっていうのさ。
 俺がイギリスの写真を持ってるなんて!
「アメリカさん」
 日本が俺の名を、しっかりと呼ぶ。気がつけば、間近まで寄られて俺の手の甲の上に日本の掌が添えられていた。
 表情の読みにくい黒い瞳は細められて微笑の形を作っているけれど、明らかに笑ってない。笑ってないぞ、日本。まるで日本のホラーゲームみたいに怖い。
「このゲームを作る上で、一番重要なことなんです。アメリカさん以外の方からも、所有する全ての写真と一部の方からは肖像画もお借りしましたので、気になさることはありません。国同士で付き合いがあるのですから、必然的に写真の十枚や二十枚たまっていくのは自然なことですよ。現に私の家にもイギリスさんの写真はちょっと口にするのが憚られる枚数ございますし、なんだかんだ仰ってフランスさんのところにも何枚もありましたね、あれは良い写真ばかりでした。主に弱味というか酒乱の果ての凶行の証拠的な意味で。ね、アメリカさん。多少なりとて交流があれば、イギリスさんの写真を持っているなんて当たり前のことですよ。何も隠しだてするところではありません。さぁ」
 滔々と捲し立てられれば、確かに当たり前のような気もしてくる。実際にデジタル化の進んだここ十数年では飛躍的に写真が手軽になったせいか、何かにつけて写真を撮ってる国もあるくらいだ。主に日本とか。
 だから、変に隠し立てする方がおかしいと思いもするけれど、貯め込んでるとか、持ってる写真の中身を言い当てられては、認めにくいのも躊躇うのも当然だと思う。
 それはそれとして、日本が持ってる写真とフランスの写真は物凄く気になるけれど。
「ご希望でしたら、私が所蔵しているイギリスさんの写真の数々をお譲りしてもよろしいですよ。フランスさんからコピーしていただいたデータもありますし」
 ちらりと思考の片隅を掠めた言葉を見透かしたかのように日本は笑みを深めて言ってくるのだから本当に性質が悪い。
 怖すぎるよ日本。大体、ヒーローはそんな誘惑……じゃないな。ええと、そう、取引には乗らないんだぞ。
 でもまあ、傍迷惑なイギリスが余所でどんな悪行を尽くしているかを知っておくのもヒーローの務めのひとつかもしれない、と思いもする。
 力を入れさえすれば、簡単に振り払える日本のほっそりした手を払えないまま、俺はぐるぐると頭を悩ませることになった。
 そして喉の奥で唸っている俺を、日本は宥めるような声で追いつめていく。
「私の調べによりますと、写真機が普及を始める頃にイギリスさんと撮られたお写真があるとか。確実なところでは、前の世界会議終了後のパーティーでイギリスさんが酔っぱらってしまわれた時の写真はお持ちですよね。それと、一昨年のクリスマスパーティーでイギリスさんが酔って寝てしまわれた時と、その前の年に他の国の皆さんとスキーに行かれた時のもの。他にはイギリスさん宅で新型カメラの試し撮りと言ってとられた日常ショットを何枚か、お持ちですよね?」
 だらだらと、背中を冷や汗が伝い落ちていくのが分かった。
 一体どういうことだい日本。わけがわからないんだぞ。なんで君はそんな自信満々なんだい。声は穏やかなのに目が欠片も笑ってないよ怖いよトゥースキュアリーだよ。
 と、いうか。
 なんで知ってるんだい。
 確かに俺の家にはイギリスの写真がないとは言わないよ。欧州の国と比べたら短くても、俺の歴史に比したらイギリスとの付き合いは長いどころか生まれる前からあることになるわけだしね。
 国としての交流だって少なくないし、個人としての交流で言うならイギリスはあの通り俺に口出ししたり文句つけたり注意したりと、俺に構って貰うのが趣味みたいな人だから、それなりにある。
 歴史を顧みたって状況を省みたって、俺の家にイギリスの写真があるのはおかしいことでもなんでもない。なんでもないけど!
 見てきたように言うその細かさは何なんだと問いたいぞ俺は。
「……」
 理性は、別におかしくはないのだから堂々としていろと返してくる。けれど本能は危険を感じ取っている。
 日本の言い方がいけないんだ。当たり前の筈なのに、日本の言い様はまるで俺が特別に欲しくてイギリスの写真を撮ったり持っていたりしてるみたいじゃないか。
 そんなことあるわけないのだから、頷けないのも辺り前だ。
「アメリカさん」
 けれども、また日本が俺の名を呼んで。こちらを安心させるような綺麗な笑みを浮かべる。
「隠されても無駄ですよ。私はなにしろ、忍者を生んだ国なのですから」
 内容は笑みに似つかわしくないものだったけれども。
「にんじゃ……」
 単語を繰り返せば、纏わる色々な憶測や学んだことが脳裏を駆けめぐる。忍者は俺も大好きだから、良く知っている。忍者はスペシャルなスパイなだけでなく、なんでも知っていて強くて、闇に紛れて悪い奴をやっつけるスーパーヒーローだ。
「ええ、忍者です。ですから、アメリカさんがイギリスさんの写真を実はけっこう密かに持っていることも、携帯電話の中にも実は数枚潜んでいることも、お部屋に飾られている写真立てのブルーエンジェルスの下にはこっそりイギリスさんの写真が飾られていることも全て存じ上げていますので、今更恥ずかしがらなくても大丈夫です」
 な、ん、だ、っ、て……?
「に、日本……君」
 それ以上は声にならずに、ぱくぱくと虚しく口だけが言いたいけど言えない心情を伝える。
 プライバシーの侵害で訴えるべきだろうか。いやいや、訴えることなんて出来るわけがない。なにしろトップシークレットだ。誰の耳にも入れるわけにはいかないことばかり。
 なんて言ってやればいいかと考える俺をよそに、日本はこちらの手に添えていた掌を外して、上向きにした掌をそのまま差し出してくる。
「さあ、アメリカさん。時は金なり、ですよ。出して、いただけますよね――?」
 有無を言わせないほどの迫力が、その時の日本にはあった。
 



 そんな風にヒーローの俺にとって耐え難い精神的苦痛をもたらしながらも、件のゲームは遂に完成したのである。
 日本はわざわざ俺の家に完成版のロムを持ってきて微笑んだ。
 いつもの曖昧な笑みとは違うが、写真を寄越せと迫ってきた時のような怖い笑みとも違う、何事かをやり遂げた後の、爽快さをもった笑みだったことに、密かに安堵する。
 出来ることなら、あんな日本の笑みは二度と見たくないからね。
「必ずや、気に入って頂けると思いますよ」
 控えめな発言の多い日本がそこまで断言するのだから、きっと面白いゲームになっているだろう。そうでなければ困る。
 あんなに恥ずかしくて死ねると思ったことは、俺の人生において他にないくらいの羞恥だったのだから、これで面白くなかったら例え日本と言えども、俺は黙っちゃいないぞ。
 酒を飲んで酔って暴れて愚痴りまくった翌日にイギリスが「死にたい死にたい死にたい」と泣く気持ちが、ほんの少しだけ分かってしまった自分がとても嫌だ。
 まあでも、日本が二年近くかけて作ってくれたゲームだ。俺だってあれだけの犠牲を払ったのだから、きっと面白いに違いない。面白くないわけがない。
「有り難う、日本! 早速プレイしてみるんだぞ!」
「ええ、是非。私は国に戻りますが、何かありましたら、ご連絡ください」
 首をガクリと下げるものではない、腰から深く曲げるお辞儀をして帰っていく日本を見送ってから、俺はロムを片手に意気揚々と家の中へと戻る。
 途中、すっかりこのゲームを頼んだことを忘れたりもしたけれど、何しろ俺が主役のゲームなんだ。これが楽しみでない筈はない。
 ホームシアターシステムが完備されたリビングは、予め日本から連絡を受けていたこともあって準備万端だ。
 ポテトチップスにコーラにドーナツ。テーブルの上には携帯があるけど呼び出し音はオフにして、ローテーブルの近くにはデリバリーのピザのメニュー。
 トニーはくじらと一緒に暫く遊びに行ってもらったし、ボスに無理を言って五日の休暇も取ってきた。
 うん、完璧だ。
 これで休暇中は、思う存分ゲームに没頭できるぞ!
 ゲームの世界にどれだけ格好良い俺が待っているんだろう。
 日本お得意の、魔王を倒す勇者だろうか。それとも、世界を救うスーパーヒーロかな。でなければ、日本の家の時代劇みたいに、闇に紛れて密かに悪を斬るサムライだろうか。
 ああ、前にやらせて貰った日本のゲームみたいに、ガンとカタナを同時に操るサムライガンマンなんてのもいい。
 変身アイテムを掲げて変身して悪の組織と戦うヒーローも俺ならばバッチリ似合うし、戦うヒロインのピンチに颯爽と現れる謎のヒーローの俺……なんてのも凄く格好良いな。
 日本で見たことのあるヒーロー達の姿を思い浮かべながら、俺は逸る気持ちに急かされて、慌ただしくゲームの電源を入れた。
「楽しみだなぁ!」
 暫くは黒い画面に、関係会社のロゴなどが順に表示される退屈な時間が続くけれど、この後に訪れるものの期待に先走る気持ちを落ち着けるには、丁度良い。
 何度か深呼吸をしてからコントローラーを両手で持って、改めてゲームが始まるのを待つ。
 この先には一体どんなものが待っているんだろうか。
 好奇心を抑えきれずに待っていると、ようやく無音に近かったスピーカーから音楽が溢れ出す。
 しゃらららら~ん、と。予想とは違う系統の音がまず鳴った。
 なんだろうこれ。金属で出来た、硬質だけれど高く澄んだ音の集まりがしゃらしゃらと流れ、その上に重なるのは、やはり迫力満点とは言い難い、優しくて明るくて、元気の良さそうな音色だ。
「…………あれ?」
 俺は思わず首を傾げる。
 おかしいな。俺はもっとこう……格好良くて、迫力ある音楽を予想してたんだけど。
 予想外なのは音楽だけじゃなく、画面に流れ始めたムービーもだった。
 明らかにオープニングムービーなのだけれども、なんていうか、その色彩がポップなのだ。可愛いし、嫌いじゃなけれどヒーローっぽいかと言われれば、ヒーローっぽいとは言えない。
「なんか……思ってたのと違うぞ?」
 さらに描かれる建物や背景は、どこかの学校のようなものが多くて。さらに学校らしき場所を背景に次々に画面に現れるのは、学生服に身を包んだ登場人物達。
 その様子はまるで、ゲームというよりも日本の家で作っているテレビアニメのようだ。
「……前に、似たようなの見たことがあるなぁ」
 記憶を刺激され、ムービーを見ながら遡ってみれば、日本に何度か貸してもらったゲームに雰囲気が似ていることに気づく。
 おかしいな。俺は日本に、俺をヒーローにしたゲームを作ってくれってお願いした筈なんだけど。
 どう見てもこれは……日本が好んでプレイするという、《恋愛シミュレーションゲーム》じゃないか!
 違うのは、人物がほぼ実写に近いCGであるということと――オープニングムービーを駆け抜ける人物達に、どうにも見覚えがありすぎるということ。
 日本の家で良く見かけた短いスカートの学生服を着て画面の向こうから笑っているのはセーシェルだし、フライパン片手に誰かを追いかけているのはハンガリーだった筈だ。てことは、追いかけられているのはプロイセンかなぁ。顔と名前が一致しない子も多いけど、多少は見覚えのある《国》ばかりが登場している。
 さらには――なんでか分からないけれど、やたらめったらイギリスの出番が多い。
 他の国は一瞬で消えていって、そう何度も出てくるわけじゃないのに、イギリスばかりが画面に大写しの状態で何度となく出てくる。
 今まで俺がやってきた《恋愛シミュレーションゲーム》のパターンから言って、こうやって扱いがやたらいいのは《メインヒロイン》とか言うものの筈だ。
 明らかにおかしい。
 俺が頼んだのは、あくまで俺をヒーローにした格好良いゲームであって恋愛シミュレーションゲームじゃないし、恋愛シミュレーションゲームというものにしたって、普通は可愛い女の子のキャラクターがいっぱい出てくるものだろう?
 なのに、オープニングムービーを見る限り、出てくる女の子はとても少ない。
 ハンガリーにセーシェル、名前知らないけどロシアの姉妹に、それからええと……顔は見たことあるんだけど名前も思い出せない子が一人か二人。ええと一人は確かヨーロッパの辺りの子で、もう一人はアジアの子だったと思うんだけど……まぁいいか。
 女の子が三人しか出てこない恋愛シミュレーションゲームもあるけれど、その場合は一人一人の扱いが良かった筈だ。
 なのにこのゲームときたら、女の子はちょこっとしかムービーに登場しない。登場人物の大半を占めるのは男の国ばかりで、中でも断然イギリスが多いなんて、おかしいじゃないか。
 アップテンポの可愛らしい曲調の音楽が、クライマックスを迎える。だけどそれに合わせて画面でくるくると表情を変えるのは何故か知らないけど学生服に身を包んだイギリスで。
 更に言うなら、ムービーの中には肝心の俺の姿が映っていない。時々、俺のトレードマークのフライトジャケットや、それらしいシルエットは映るけれど、顔も姿も映らないんじゃ意味がない。
 なんなんだ、このムービーは!
 半ば呆然、半ば憤然として見守る中、オープニングムービーが終わりを告げて、画面にはタイトルが描き出される。
 メニュー画面と同時に示されたタイトルを、俺はなんとはなしに読み上げた。
「ツンデレ☆ハイスクール……?」
 意味が分からない。
 言葉に聞き覚えはある。確か日本が時々、イギリスやら俺やらを形容するのに使う言葉だった筈だ。
 あと、日本の大好きな二次元のキャラクターに対しても使ってた気がする。モエゾクセイがどうのって。俺にはさっぱり分からなかったけれど、これもそのひとつだろうか?
「……」
 撮影の時に、何で学生服を着させられたのかは良くわかった。
 オープニングムービーを見る限り、これは《学園物》と呼ばれる類の恋愛シミュレーションゲームなんだろうってことも予想がつく。
 だけどやっぱり腑に落ちないのは、男の方が圧倒的に多い上に、特別扱いされているのがイギリスってところだ。
「……凄く嫌な予感がするんだぞ……」
 一年くらい前の悪夢が、ふと脳裏を過ぎる。
 いつにない迫力で俺に《イギリスの写真を寄越せ》と言ってきた日本。
 俺が主役でヒーローだというゲーム。
 学生服での撮影。
 学園物恋愛シミュレーション風のオープニングムービー。
 そして《ツンデレ☆ハイスクール》というタイトル。
 まさか……いくらなんでも、そんな。
 メニュー画面をテレビに映したまま、しばし目線を意味なく彷徨わせる。
 ――すると、ローテーブルの上に小さな封筒が置かれているのが目にとまった。
 日本がソフトの入ったロムと一緒に置いていったものだ。確か説明書を入れておいたって言ってたな。
 普段は説明書なんて全く読まないのだけど、流石に不安になってきた俺は、少しだけ迷った後で、封筒を手に取って中身を取り出す。
 長方形の説明書は、パッと見では製品についている本物のようだ。もっとも、このゲームは実際には試作段階なので製品版のような説明書があるわけないんだけど。
 俺の手の中にあるのは、紙質こそ日本のゲームについてくる普段のものとは多少違うが、ゲームタイトルが打たれて表紙全面にイラストが載ったそれは、本物さながらの作りだ。
 これを見て、販売どころかまだ生産もされていないゲームだと思う人は、殆どいないだろう。
 多分、俺に渡すにあたって日本が自分で作ったんだろう。そういう細かい作業が好きな人だし、普段は真面目で大人しいくせに、こういう偏った部分では意外と遊び心を発揮するんだ。俺も知ったのは最近のことだけれどね。
 そうして暫く、説明書の表紙や裏表紙を感心と呆れ半々で眺めていたが、ハッと我に返った。
 感心している場合じゃない。いま俺に降り掛かっている潜在的危機は、ともしたら生まれてから今までの中で五指に入るかもしれないくらい高いのである。
 俺は気を引き締めて、再び説明書の表紙を眺めた。
 描かれているのは、オープニングムービーを凝縮したみたいな画像。中央に一番大きくイギリスの姿。その周りを囲むように、男性の各国が顔だけはきちんと映るように重なりあいながら描かれて、一番外側に小さく幾人かの女性の国が顔を覗かせている。
 そして説明書の下部には、装飾の施された文字でタイトルが描かれていた。
「そもそも、なんなんだい。《ツンデレ☆ハイスクール》って」
 全然、ヒーローらしくない。
 何しろ説明書のイラストとは言え、恐らくはパッケージを意識しているのであろうソコに、俺の姿がないのが一番の問題だ。
 しかも、何で一番目立っているのがイギリスなんだい。おかしいだろう、絶対。
 普通のゲームならそこは主人公の位置だし、本当にこれが恋愛シミュレーションゲームだというのなら、ヒロインの位置の筈。
 そこにイギリスが居るなんて、何かの間違いに違いない。
 そうだよ、あり得るものか。あんな極太眉毛でエセ紳士で変態で元ヤンで酒乱で鬱陶しい奴がヒロインだなんて、俺は断固として認めないぞ!
 ――あ。もしかして、これは倒すべき《悪》なんじゃないか?
 それなら各国がキャラクターとして描かれているのも納得できるし、その中央に大きくイギリスが描かれているのも納得できる。
 そうだ、そうに違いない。
 ようやく安心できる理由に思い至った俺は、日本の手作りらしい説明書を――それでも恐る恐る開いていったのだった。

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 【あらすじ】
 あなたは、とある超大国を担う王子様です。
 年頃になったあなたは、父王に言われて《各国の重要人物が通う》と言われる、世界W学園に転入してきました。
 あなたの目的は、この世界W学園で、自分と結婚して生涯のパートナーとなってくれる人を探すこと。
 父王からはパートナーが見つかるまでは帰国禁止の命を受けているので、気合いを入れて探さなければなりません。
 自由でエキサイティングでサバイバルな学園生活の中で、あなたはこれから多くの人と出会い、過ごすでしょう。
 時には喧嘩することも、あるかもしれません。時には陥れたり陥れられたりするかもしれません。けれども、愛し合うこともきっと、出来るはず。
 驚きに満ちたこの学園で、あなたは果たして、真実の愛を見つけることが出来るでしょうか――?
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 ワオ。俺、こういうのなんて言うか知ってるぞ。《ツッコミどころ満載》って言うんだろ!
 大体、サバイバルな学園生活って一体なんだい。学園物で恋愛物なのに、陥れたり陥れられたりって何かおかしいだろう。わけわかんないんだぞ。
 日本……本当にコレ、俺が頼んだゲームなんだよね?
 物凄く不安になりながら、俺はページをめくる。
 どうやら今度は、キャラクター紹介のページみたいだった。
 俺の姿は、学生服の上にフライトジャケットを羽織った格好で最初に描かれているけれど、やはり顔は微妙に影になってボカされている。
 俺の格好良い顔を出さないなんて信じられないんだぞ。何でこんな風に顔をぼかしているんだろう?
 ――ああ、だけど。そういえば日本が前に、
「最近、ギャルゲーでも主人公の顔が出ていることが多いんですよね。あれはあれで良いのですが、やはり私などは昔ながらの古式ゆかしい顔なしの方が感情移入が出来て好きですね。勿論、喋らせる必要がある場合などはキャラクター性が滲み出てしまいますし、中途半端になるくらいならば顔があった方が良いのですが、昔ながらの様式美が失われていくことは寂しく思います」
 とかなんとか言っていた気がする。
 ならこれも、日本の趣味というか。日本の考えによる《古式ゆかしい様式美》とやらのひとつなのかもしれない。
 日本もイギリスと同じで(内容や系統は随分違うとは言え)伝統やら格式やら様式美やらを大切にする人だ。二人の共通点なんて、同じ島国だってことくらいだけれど、これも島口の特長とでも言うんだろうか?
 俺にはさっぱり分からない魅力だし、それはそれとして、コレは更に何か違うような気もするけれど。
 そんな形で顔を隠された俺の横には、【あらすじ】で見た通りの設定が書かれていたが、情報は多くなかった。
 超大国の王子様って設定は悪くはない。
 良くないのは、目的が悪者退治じゃなくて《生涯のパートナー探し》なんて、ヒーローらしくない目的の方だ。
 ヒーローはまず、崇高な目的をもってなくちゃ。そうして目的に邁進しているうちに、自然と素晴らしいヒロインとで出会うようになっているものだ。
 日本は日本なりに頑張ってくれたんだろうけど……。これは最初に《ヒーロー》のなんたるかを、もっと説明しておくべきだったなぁ。
 プレイして面白くなければ、俺が払った分の制作費は返してもらわないといけない。
 そもそも俺がヒーローらしくなかったら、契約違反なんだぞ。うん。謝罪と賠償を要求しないとダメだな。
 思いながら、俺はまたひとつページをめくってみると――
「うわ」
 見開きいっぱい使って、イギリスがたくさん描かれていた。
「……だから、なんでイギリスなんだ」
 学生服を隙なく着込み、憮然とした表情で立っているイギリスの全身図が一番左にあり、中央にはイギリスの設定やらプロフィールやらが書かれている。名前、身長、体重、それから……
「……なんでスリーサイズがまで書いてあるのかな……」
 日本は一体何考えてるんだ。大体コレ、本当の数字なのかな。計ったのか日本。
 俺だってちゃんと計ったことなんかないっていうか別に俺はイギリスのスリーサイズなんて知りたいわけじゃないしどうでもいいけど。そもそも男のスリーサイズなんて知ったって面白くもなんともないし興味なんてない。全くない。断固としてない。
 それにあの人なんて貧弱そのものだしね。ああでもやっぱり細いなぁ、なんだいこのウエスト。身長は俺と凄く違うわけでもないのに、おかしいだろう。内臓とかちゃんと入ってるんだろうね。
 まぁ抱きしめたらすっぽり収まりそうでいいなぁとか考えているわけじゃないし心配しているわけでもないから、本当にどうでもいいんだけどさ。
 そうした数値情報以外には、恐らくゲーム中に登場するのだろうイギリスの様々な表情だったり、『生徒達から恐れられている生徒会長様の意外な一面…!?』みたいな謎の見出しと共に、薔薇を見つめて微笑んでるイギリスの姿だったりが描かれていて。
 俺はもう見ていられなくて、説明書を閉じる。
 説明書は結局、俺の胸に湧いていた不安を消しても和らげてもくれないばかりか、認めたくなかった現実というやつを突きつけてくるだけだったのだ。
 うん。現実を見つめよう。
 このゲームは間違いなく。
「……俺が主人公で、イギリスをメインヒロインにした、学園物恋愛シミュレーションゲーム……ってことだよね」
 心底信じられないことにね!!
 俺は説明書をテーブルの上に放ると、置いてあった携帯電話を代わりに手にとって、日本の携帯電話の番号を呼び出す。
 何かあったら電話くれって言ってたんだから、問題ないよね。どうせまだ車で空港に向かっているところで、飛行機には乗ってないだろうから。
 大体、何が『必ずや、気に入って頂けると思いますよ』だ。
 気に入るわけないじゃないか。
 俺が主人公と言ったって、顔も姿もきちんと描かれないし、全然格好良くて絶対的なヒーローなんかじゃない。
 しかも恋愛シミュレーションだというのなら、可愛くて綺麗な女の子に溢れているのが当然なのに、登場人物は見知った《国》ばかりで、おまけにメインヒロインがイギリスときてる。
 イギリスがヒロインの恋愛シミュレーションゲームなんて、やる気になる奴がいるのなら見てみたいと思う。いるわけないじゃないか、そんな物好き。
 なにしろイギリスと来たら、頑固だし口うるさいし古くさいし嫌味っぽいし料理は下手だし、庭いじりと刺繍は得意だけど友達いないし幻覚は見るし酒乱だし凶暴だし凶悪だし目つき悪いしエロ大使だし、良いところなんてひとつもない。
 そんなどうしようもない人を、わざわざゲームでまで落とそうなんて面倒なことする奴の気が知れないね。
 これで、どうして俺が気に入るなんて思うんだろう。
 俺には全く理解できない。ああ、できるわけがないとも。
 言い聞かせるように胸の内で何度か繰り返してから、俺は日本に抗議すべく、メモリから日本の番号を呼び出して通話ボタンを押したのだった。




 数時間後―――

『べ、別にお前のためじゃないからなっ。弁当作ってきたのは、あくまで俺のためであって……』
 俺の家の大型テレビからは、日本のとこの学校では一般的だという《体操着》とやらに身を包んだイギリスが、画面のこちら側に向けて弁当箱を差し出している姿が映されていた。

 ……そう。俺は結局、あの《ツンデレ☆ハイスクール》とやらをプレイするハメになっているってわけさ。

 だって、しょうがないじゃないか。
 抗議の電話を掛けた俺に、日本はいつになく――イギリスの写真を寄越せと迫った時以来の――にこやかな様子で
『まあまあ、アメリカさん。そう言わずに、とりあえず三時間程はプレイしてみていただけませんか。オープニングムービーだけでは、あのゲームの魅力はお分かりいただけないと思います。それに、我が国では一見ありきたりの学園物アドベンチャーゲームとみせかけて、その実は壮大な宇宙規模の戦闘に発展していくゲームや、いつの間にか多次元世界を描いた話へと移行していくゲームなどもあるんです。まぁ流石にそこまでの超展開はありませんが、オープニングムービーとプロローグだけでゲームを評価し、手を止めてしまうのは早計というものですよ。まずは遊んでみて、それでも全く面白くない、気に入らない、ということであれば、制作費も返還致しますし、謝罪と賠償も考えますので』
 などと、滔々と語ってきたのである。
 さらには。
『それに――契約によりますと、気に入っていただけなかった場合は責任もって費用を回収する為、私の家で販売する形になりますが、よろしいですか?』
 と、言ってきたのだ。
 日本と交わした契約書を思い出せば、確かにそういう内容だった気がする。
 そこで出た利益は、費用を超えたとしても全て賠償に上乗せされることになっていて、俺の方に一切の損がない形だったので、すっかり忘れてた。
 だけど――その、日本で販売されるゲームがコレだと言うのなら、全く別の問題が出てくる。

 アレを?
 イギリスがメインヒロインだっていう、あの恋愛シミュレーションゲームを?
 販売する?
 だって、それはつまり――
 オープニングムービーにあったみたいな、涙目でこちらを睨みつけてくるイギリスとか、頬染めて目を逸らしてるイギリスとか、戸惑ったようにこちらを見てくるイギリスとか、珍しくも楽しそうに笑ってるイギリスとか。説明書にあったみたいな薔薇を見つめて微笑んでるイギリスとかが、どこの誰とも知らない人達に出回るってことだろう?
 しかもアレは恋愛シミュレーションゲームなんだから、メインヒロインだっていうイギリスを攻略する人は多いだろう。あんな人落とすなんて物好きいるわけないから売れるわけないとも思うけど、世の中は広いからどうだか分からない。
 知らない誰かが、あのゲームをプレイする。ゲームの上の設定は俺でも、画面の向こう側にいるのは見ず知らずの他人だ。その誰かに向かって、イギリスが語りかける、笑いかける、説教する――。
 そんなの、許せる筈ないじゃないか。
 そう、ヒーローの務めとして、そんなことは許せない。
 イギリスみたいな極太眉毛の可愛げのない元ヤンがメインヒロインとしてどこかの誰かを誑かしたり、まぁあんなのに誑かされる人間なんていないと思うけど、それで不快な思いをしたりしたら大変だ。ヒーローたる俺には、そういう何も知らない人達を守る義務がある。
 だから俺は嫌々ながらにゲームをプレイし続けることを決めて、一端は日本との契約解除も引っ込めた。
 そして、ゲーム開始から十数時間が経った今――こうなっているわけである。
『せっかくの体育祭だからな。お前が食べ過ぎて競技の進行を妨げたりしないように、生徒会長の俺が見張っていてやるよ。だから、その……一緒に、食べてやってもいいぜ』
 イギリスがこちらに差し出している弁当箱は俺の目から見てもかなり大きくて、これだけ――しかもイギリスの破壊兵器のような食事を、だ――食べさせようとする時点で言っている内容と合ってないこと、分かってないんだろうか、この人。いやこの人って言ったって日本が作ったゲームの中のイギリスなんだけどさ。
 悔しいことに、流石に日本はその辺りが細かくて上手いようで、見た目といい表情といい声といい、ゲームの中のイギリスときたら、本物そっくりだ。それが良いことかどうかはさておいて。
 まったく何だって折角とった休みの日に、ゲームの中でまでイギリスなんかに会わなくちゃいけないんだ。しかもゲームの中の俺まで、あの破壊的料理を食べさせられそうになっている。
「冗談じゃない。体育祭なんて、俺が大活躍できる最高の舞台じゃないか。そんな時に君なんかの料理を食べて体調を崩したらどうしてくれるんだ。それ、単に俺の足を引っ張る策略なんじゃないのかい?」
 画面に向けて言ってやるけれど、そんな俺の声は当然のようにゲームの中のイギリスに届くことはない。
 いつもなら、こんなことを言えば涙目になって「ばかぁ!」と怒鳴ってくるか、傷ついた顔して去っていくか、でなければ「へっ。お前もなかなか目端が利くようになったじゃねーか」とか悪役じみた笑み浮かべて……でも目尻に涙を溜めながら強がりと捨て台詞を言って逃げてくか、なんだけど。
 現実の俺の台詞がゲームのイギリスに聞こえるわけもなくて、画面の中のイギリスは相変わらず僅かに頬を染めた顔のまま弁当箱を差し出してきている。
 画面下部に存在するメッセージウィンドウに並ぶ選択肢は三つ。俺の声が届かない代わり、この中から選んだものが、ゲームのイギリスに対する反応になるわけだけれど――。

==============================================
【選択肢】
 ▽「ありがとう、イギリス。嬉しいよ」
 ▽「弁当よりも君が食べたいな」
 ▽「君は馬鹿か?」
==============================================

 この選択肢考えたの誰だい。特に最初の二つを考えた奴は、俺の前に名乗り出て欲しいと思う。
 この選択肢なら、間違いなく三番目だろう。そうに決まっている。これ以外を選ぶなんて有り得ない。だって相手はイギリスなんだぞ? ご飯は破壊兵器だし、言い方は偉そうだし。俺が先程口にした内容に一番近いのは三番目なんだから。
 だけど――
 実を言えば俺は、この選択肢を見るのは初めてではない。正確に言うのなら、これで三回目である。
 一回目のとき。俺は迷わず、三番目の選択肢を選んだ。
 そうしたらイギリスは案の定に『くそっ。俺だって別にお前となんか食べたくねーんだからな、ばかぁ!』と叫んだ上に、持っていた弁当箱を放り投げて逃げていったばかりか、その先で何故だかフランスにぶつかって。
『なにやってんの、坊ちゃん』
『うるせぇ、失せろヒゲ。あとついでにテメェの昼飯を寄越せ』
『はぁ?』
『お前の昼飯を寄越せって言ってんだよ。ああ、お前はそこらの雑草食ってればいいから』
『なんでそうなるの。昼飯忘れたなら素直にそう言えよ。ほら、坊ちゃんの分くらいあるから、生徒会室で食おうぜ。どうせその後、午後の打合せだろ?』
『……チッ。仕方ねーな』
 などというやりとりの後に、二人で消えてしまったのである。
 恐らくは生徒会室で、二人で、フランスの作ってきた弁当でも食べたのだろう。俺にはイギリスの破壊兵器の弁当を押しつけておいてだよ!
 残された俺は、イギリスの弁当なんか捨てて自分の弁当を食べればいいのに、何故だから律儀にイギリスの弁当を食べて――あまりの不味さに苦しむこととなった。
 しかもゲームの中の俺が
『果たしてこの苦しさは、胃が訴えてくるものなのか、心が訴えてくるものなのか……? 俺には、分からなかった――』
 なんてモノローグをわざわざ入れてくるのだから最悪極まりない。
 あまりにも面白くない展開に、俺は即座にリセットボタンを押していた。セーブをしたのがだいぶ前だったから、やり直す時間は惜しいけれど、構っては居られない。
 そして迎えた二度目のチャレンジで――俺は、悩みに悩んだ末、自棄になって二番目の選択肢を選んでみたのである。
 すると――
『……アメリカ、お前……頭、大丈夫か?』
 さっきまで頬を染めていたイギリスは途端に真顔になってこっちの脳を心配してきたってわけさ。
 ああもうっ。再現率が高いのは結構だけど、ゲームなんだから、そんなイギリスの肝心な時に空気が読めないところまで再現しなくていいよ日本!
 結局その後は昼食どころじゃなくなって、俺の体調と脳を心配したイギリスに無理矢理保健室に連れて行かれて絶対安静を厳命され、体育祭が終了するっていう酷いオチだった。
 そして話は現在に戻るわけで――
 分かってる。ここまで来たら一番目の選択肢を選ばなきゃいけないんだってことは。
 多分、これが正解なんだろう。そんなの分かってる。俺は、本当は。何て言えばイギリスが喜ぶかなんて知ってるんだ。
 イギリスなんて、どうせ俺のことが大好きなんだから。ちょっと笑って、刺々しくない言葉で「お腹が空いたから、それ俺にくれよ」なんて言うだけで喜ぶ。
 だから「ありがとう、イギリス。嬉しいよ」なんて言おうものなら、それはもう目を輝かせて大喜びするだろう。
 そうして、お茶まで煎れようとして、甲斐甲斐しく俺の世話を焼きたがるに決まっている。
 別に俺だって、それ自体が絶対に嫌だってわけじゃない。そうしてもいいと、そうしたいという気持ちがないわけでもない。
 ただ、面白くないだけだ。問いつめたくなるだけだ。
 子供の頃に惜しみなく与えられていた溢れんばかりの愛情は、どうしたって俺の記憶にこびりついて離れなくて、なかったことにはならない。
 その記憶が、邪魔をする。俺の思考に待ったをかける。
 イギリスから向けられる好意を、愛情を、世話を、心配を。それら全てのものを受け取ることへの躊躇と拒否を生むんだ。
 イギリスがどうすれば喜ぶかなんて、俺は分かっているし、知っているけれど。喜ぶイギリスを見れば、俺だって悪い気がするわけじゃないけれど。
 喜べばどうせあの人は舞い上がって俺を更に期待させるような真似をするくせに、やっぱり俺が期待したような意図なんて欠片もなくて、俺を散々な気分にさせる。
 だから俺は馬鹿馬鹿しくなって、期待したくなくて、イギリスに振り回されたくなくて、逆に振り回してやりたくて。どうせ期待する気持ちが得られないのなら、例え別のものでもいいから、俺のことで頭の中をいっぱいにしてやりたくて。いつも、わざとイギリスが傷つくだろう言葉を吐くんだ。
 何を期待しているだとか、何に期待してるだとかについては、考えるのも嫌だから考えないぞ。
 そうだ。考えるのは、嫌いだ。
 現実のイギリスについてだって考えたくないのに、今度はゲームの中でまでイギリスに悩まされるなんて最悪だ。
 選択肢を前に固まること数分。
「……あー、もう。考えるの飽きたんだぞっ。こんなのどうせゲームなんだから、何だっていいじゃないか!」
 俺はもう面倒くさくなって、最初の選択肢にカーソルを合わせ、決定ボタンを押した。
 



 それから二日後。
 俺の家のテレビはまだ、《ツンデレ☆ハイスクール》の画面を映していた。
 画面にはスタッフロールとエンディング曲が流れていて、それはオープニングと同じく明るくポップな可愛らしい曲だけれど、今の俺の気分には全然合っていない。
 長い時間をかけて辿り着いた何度目かのエンディング。けれどそれは、明るい曲には似つかわしくないバッドエンドだった。
「一体何が気に入らないって言うんだ、イギリスのやつ!」
 コントローラーを放り、憤然として近くにあったポテトチップスを掴んで口に頬張ると、がしょがしょと食べる。チップスは美味しかったけれど、俺の気分はそれくらいでは晴れやしなかった。
 大体、何回目だと思ってるんだ。
 俺はこのゲームを既に五周(エンディングを見た回数であって、途中からのやり直しを含まないで、だよ)くらいしているけれど、未だにイギリスを落とせないでいる。イギリス以外の誰かを落としたこともないから、ひたすらバッドエンドばかり見続けているってことだ。
 本当に何が悪いんだか、俺にはさっぱりなんだぞ!
 ゲームの中でイギリスと仲良くなるのは、それほど難しい話じゃない。メインキャラなだけに他の何人かのサブヒロインと違って出会う為の条件もなく、プロローグ部分で強制的に出会う。
 イギリスはゲームの中では学園の生徒会長で、転校初日に暢気に遅刻した俺を校門の前で待ち構えて、いきなり説教をしてくるっていう、あんまり楽しくない出会い方だけどね。
 学園全体の案内役でもあるイギリスとの接点は最初から多く、ゲーム開始から一ヶ月間くらいの対応を大きく間違えなければ、それ以後も気軽に会うことが出来る。
 ちなみに対応を間違えると、学園の案内があらかた終わる一ヶ月後にはサックリバッサリと切られて、殆ど会えなくなったりするから注意が必要だぞ。
 最初にそれをやって、他人みたいな態度に腹が立ってすぐにリセットボタンを押したこともあったっけ。
 そこさえ乗り越えたら、あとは簡単だ。何かにつけて生徒会室に遊びに行ったり、行事の度に話しかけに行ったり。放課後に少し時間を潰してから生徒会室や校門に行って一緒に下校してみたり。
 こまめに接点をもってさえいれば、こっちが軽く引くくらいイギリスとの友好度はどんどん上がっていく。
 なのに、どうしてか落とせない。
 好感度はほぼマックス。行事も全てイギリスを誘ってイギリスと過ごした。過ごしたという割には微妙な結果になるイベントが多いのは気になるところだけど。ともかくフラグというフラグは回収している筈なのに、何がいけないんだろうか。
 最初の頃はともかく、二周目以降はヒーローらしく浮気もしていない。ゲームクリアの為だと言い聞かせて、この俺がイギリスだけをひたすら相手してあげたっていうのに。
「なんだって俺がこんなに必死にならなきゃいけないんだい。くたばれイギリス!」
 文句を言ってドーナツに齧り付くけれど、やっぱり気分は晴れなかった。再びタイトル画面に戻ったテレビを睨みつけながら考えるのは、どうしたらグッドエンドを迎えられるのかということ。
 しかも、あのイギリスと。
 他のキャラクターを落とそうとは、思えなかった。と言ったって落とせるのは男キャラクターばかりだから、そんな気分にならないのも当たり前だけれど。例え女の子のキャラクターが落とせたとしても、落とす気になったか分からない。
 ここまできたら、意地だ。
 別に俺がイギリスのことを特別に好きとか、そういうんじゃないけどね。単に、イギリスごとき落とせないなんて言われたら悔しいからさ。
 ――少し、嘘だけど。
 テレビ画面を睨みつけていた目を閉じて、ソファの背もたれに身を預ける。
 そうして瞼の裏に蘇るのは、忌々しいことにゲーム中のイギリスの姿ばかりだった。
『これが体育祭の正装なんだよっ』
 なんて赤い顔して言っていたTシャツに短パンなんて現実ではまず見られないような姿とか。
『いつも準備に駆け回ってて、落ち着いて見たことなかったな。……ありがとな、アメリカ』
 そう言って珍しく素直に微笑んだ、花火大会での浴衣姿とか。
『お前でも、こういう気の利いたことが出来るようになるとはな。ちょっと見直したぜ』
 なんて言って、あんまり可愛くないくせに何故だかドキッとさせるニヤリとした笑みを浮かべてみせたのは、クリスマスパーティーで着ていく服を贈って、それから迎えに行った時だっけ。
 次々と浮かんでくるゲームの中のイギリスは、どう見ても俺のことが好きそうなのにな。
 デートや行事毎に誘いをかければ、素直じゃない台詞を口にしながらも嬉しそうに了承してくれるし。
 当日だって、必死に嬉しそうな顔を隠そうとしても隠しきれないくらい嬉しそうだし、はしゃいだりもするし。
 殆ど毎週、あちこちにデートに行った。夏祭りも文化祭も体育祭もクリスマスもバレンタインも一緒に過ごした。
 さすがに修学旅行は学年が違うから一緒には行けなかったけれど、ちゃんとイギリスの為にお土産も買っていったら、涙ぐんで喜ばれた。……うん、あれは流石にちょっと引いたぞ。
 ともかく、ゲームの中のイギリスは絶対に俺のことが好きでメロメロな筈だ。二年目のクリスマスパーティーの時にはキスだったしたし、あまり有り難いことではないのだけれども、バレンタインには手作りのチョコレートだって貰った。(このゲームは日本が作っているせいか、日本の恋愛シミュレーションゲームにおける一般的なイベントは軒並み網羅されているらしいぞ。各イベントの日本での意味合いが注釈付きで説明書に書いてあったから間違いない)
 なにより――二年目の三月の、イギリスの卒業式。
 プロポーズの為に、『この樹の下で愛を誓い合った二人は、永遠に幸せになれる』という伝説のある樹の下に呼び出した時も、彼はすっぽかさずにちゃんと来るのだから。
 なのに、いざ告白してみれば――
『すまない、アメリカ。俺は……俺は、お前のパートナーには、なれない』
 なんて言い出すんだ。
 最初は、イギリスに好かれていると思ったのは勘違いなのかな、と思いもした。
 現実ならそれがどんな種類のものであれイギリスが俺への愛情を捨てられないのは当たり前だけれど、ゲームでは過去の俺との関わりがないのだから、俺への絶対的な好意だとか甘さだとかがなくても仕方がない。
 けれど二度三度と繰り返せばさすがにおかしいと思うし、俺の告白を聞いた瞬間のイギリスは、確かに嬉しそうなのだ。
 一秒もしないでハッとしたように顔を強ばらせて、表情を消してしまうけれど。そうして硬い顔になったイギリスは、泣きそうな辛そうな顔で、さっきの台詞を言うのである。
 何回目かのプレイである今回も。ずっと、ずっと同じ。
 まぁ一回だけ、一体何を間違えたのかロシアが来たことがあって、驚いてその場でリセットしちゃったけど。
 どう見ても俺のことが好きそうなのに、プロポーズには頷かないイギリス。
 何度繰り返しても、望む反応を引き出せても、決して俺の告白に頷いてはくれないイギリス。
 一体、何がいけないっていうんだ。
 ――これじゃ、まるで現実と同じじゃないか。
 いや……それでもまだ、俺のことそういう意味で好きそうなだけ、ゲームの方がマシなのかな。
 こんなこと考えるのは俺らしくないんだけど。
 ああ、そうだよ。いつまでも意地になって自分に言い訳を重ねていたって仕方ない。
 俺はイギリスが好きだ。認めよう。
 だからイギリスに、俺のことをそういう意味で好きになって欲しいってずっと思っている。
 本当はイギリスの写真なんていっぱい持ってるし、出来ることなら互いの了承の元でちゃんと二人並んで撮りたいし、その写真を堂々と飾りたい。
 ゲームの中とは言え、真っ直ぐに俺を見てくれているイギリスに喜んだ。俺が主人公のゲームのヒロインとして出てくるんだから当たり前なんだけどさ。
 馬鹿馬鹿しいと思いながらも、ゲームの中のイギリスは本物より少しだけ素直で乱暴さも気持ち少なめなせいか可愛く見えて、結局は何度もプレイしてしまった。
 クリア出来ない意地もあったけれど、それだけならもっと効率的に他のキャラクターと同時攻略ぐらいする。
 イギリスを好きだということは、俺としてはあまり認めたくないし信じたくもないことだけれど――さすがに否定するのも誤魔化すのも自分に言い訳をするのも疲れてきた。
 実を言えば、とっくの昔に自覚はしていたんだけど。
 なにしろ、かれこれ二百年以上は自問自答を繰り返しているんだから、否定しきれるなら、とっくにしている。
 どうしてイギリスなんかが好きなのか、どこが好きなのかなんて分からない。気がついたらイギリスが好きだった。
 彼の庇護下にあった子供の頃は、ただ純粋に。甘くて優しくて色々なことを教え与えてくれる彼は幼い頃の俺にとってはヒーローそのもので、嫌うことなんて考えられなくて、それどころか当時の俺にとってはイギリスに嫌われることが一番恐ろしいことだったくらい。
 それが変わったのはいつだろう。段々と体が大きくなっていって、色々なことが分かるようになってきたくらいだろうか。少なくともイギリスの身長を追い越すよりも少しだけ前だったことは確か。
 彼の愛情そのものを疑ったことはないし、実を言えば俺が彼を好きでなかった時など本当は長い生の中でもなかったけれど。
 ――ただ、いつの間にかズレてしまっていた。
 彼が俺に求めることと、俺が望むことが。
 俺には何も見せようとせず、何もさせようとしないイギリス。
 純粋な好意は、いつしか俺を押さえつけようとするイギリスへの反発の前に徐々に形を変えていってしまったのである。
 思い返して考えてみても、イギリスへの好意が恋情を伴ったものに変わってしまったから反発を覚えたのか。反発を覚えて彼から離れ違う個を目指す過程で変化してしまったものなのか……どちらが先かは、俺にも分からない。
 どちらにせよ、俺の中にあった『イギリスが好きだ』という思いは、いつの間にか兄を慕うものから恋情やらもっと即物的な欲求を伴うものへと変わってしまったのだ。
 そしてその思いは、イギリスへの反発を強めて互いにぎこちなくなってからも。その後の諸々を経て彼に銃を突きつけることになった時にも、何故か消えることはなかった。
 独立して、今まで俺に見せてこなかったイギリスの色々な面や本当の姿を知ってからは、それこそ俺の初恋を返せと思ったし、あんな奴が好きなんて冗談じゃないぞ何かの間違いだって消し去ろうと思ったりもしたけれど。諦めようと思ったことも、他の人を好きになろうとしたことも数知れない。
 だけど、何度くたばれイギリス! って本気で思っても、不思議なことに好きだって思いはなくならなかったんだよな……。嫌いになったこともあるし、本気で憎く思う時もあった筈なのに。
 イギリスなんて眉毛だし性格悪いし頑固だし口うるさいし堅いかと思えば変なとこでズボラだし変態だし会議中でも平気でエロ本読むし料理は最終兵器だし。
 いいところなんて殆どなくて、好きだという事実が本気で理解出来ないというのに、どうしてか前よりも『好きだ』って思いが強くなっているのだから、世の中本当に分からない。
 しょうがない。それでも好きなんだから。これだけ自分でも嫌だなと思っているのに、好きだと思ってしまうんだから。
 もっとも、現実は上手くいかないゲーム以上に、厳しいけれど。
 イギリスは俺の気持ちに気付くどころか、相変わらず人のことを子供扱いする。
 昔と全く同じように見られているわけではないと思いたいけど、やっぱり俺はイギリスにとって《弟》というカテゴリなんだろう。気づく気づかない以前の問題だ。
 そのくせ、俺に対しての好意だとか愛情だとかは鬱陶しいくらい持っているのだから堪らない。
 小さい頃のように真っ直ぐに向けられているわけでも、兄弟としての親しみをもって接してくるわけでもないけれど、少なくとも俺が求めるものと同じでないことは確かだろう。
 かつてとは違う距離感。抱えるものも互いに向ける感情も何もかも違う筈なのに、向けられていると感じる好意や愛情は厄介だ。
 違うと分かっているのに、勘違いしそうになる。
 小さい頃に惜しみなく与えられていたそれと、全く同じならば苛立ちや怒りは覚えても戸惑いなんて覚えなかっただろうに。全く同じでは嫌な筈なのに、同じでないことに違和感を覚えて戸惑って。どういうものか量りかねて――勘違いしそうになるんだ。
 かつてと違うのなら、それは――俺が望むものなんじゃないかと。同じものを含んでるんじゃないかと。
 そうやって期待しかけて、舞い上がりかけて――その度に肩すかしをくらって失望するのは、たくさんだ。
 現実でも辟易してるのに、ゲームでまで散々期待させて最後の最後でフられるとか、ほんと勘弁して欲しいんだぞ!
 面倒臭いのも、酷いのも、思わせぶりなのも現実のイギリスだけで手一杯だよ。
 例えば――久々に長めの休みがとれたから遊びに来ないかと誘ってくるとかさ。
 友達のいないイギリスが自分から誘える相手なんて限られてる。俺を誘うことに意味なんてないくせに、気軽くああいうことをするのはやめて欲しい。
 嬉しくなかったとは言わないけど、あの時はタイミングも悪かった。何しろゲームで最初にバッドエンドを迎えた直後で、ただでさえ苛立っていたところに電話が掛かってきたのだから。
 こっちの気持ちも知らないで。俺はたった今、君にフラれて落ち込んでる上にムカついてるんだぞ!
 さすがに口には出さなかったけど、そう思ったことは本当で。
 その上にイギリスが
「たまたまだ、たまたま! お前なら暇だろうし迷惑かけても気にならないしな。別にお前とどうしても遊びたいってわけじゃねーんだからな!」
 なんてことを言ってきたから、更にムッとしてしまって、
「HAHAHAHAHA、君が泣いて頼み込んできたってお断りだぞ☆」
 つい意地を張って、朗らかに言ってしまったのだ。
 その後はいつもの軽い口ゲンカになって、イギリスは相変わらず紳士って自称するのはやめた方がいいと思われる口汚い言葉で文句を言うだけ言って、電話を切ってしまったっけ。
 あの時は俺の名誉の為にも早いところゲームでリベンジをしなければと思っていたし、イギリスとのああいった遣り取りはいつものことだから、それほど後悔してるわけでもないけど。
 今から考えてみると、しまったかなぁと思う部分もある。
 ほら、イギリスは傍迷惑な人だからさ。俺が遊んであげないと、一人でぐちぐちと文句言いながら幻覚と戯れてる、なんて可哀想なことになってるかもしれないだろう?
 今だってひょっとしたら、そうかもしれないし。
 イギリスは今、どうしてるのかな。
 イギリスのことだから、どうせ俺に断られたからって、涙目で文句言って沈んで凹んで、一人寂しく庭をいじったりジメジメと刺繍したりしてるんだろうけどさ。
 まさか代わりに誰か他の人を誘って、そいつと一緒ってことはない……よね。イギリスは友達が少ないし、急に何日もの休みを共に過ごそうと言われたって、普通は対応出来ないだろうし。
 不意に思い浮かんでしまった可能性に、目が自然と携帯電話へと向かった。
 電話――してみようか。
 一人で寂しく休日を過ごしているなら、電話をしてあげればイギリスはきっと喜ぶだろう。最初は驚いて。嬉しそうな声になりかけて、慌てて怒ってぶすくれた声にかえて。
「何の用だよ!」
 って言いながら、そわそわするに決まってる。
 色々と、俺の方の気持ちが邪魔をして――それから癪に思ってしまって、なかなか素直にそうした行動をとれないけれど。
 俺には、イギリスが喜ぶことなんて簡単にわかる。
 こうすればイギリスは喜んで、素直じゃない台詞を言いながらも態度だけは素直になってくれるんだろうな、って本当は分かってるんだ。
 なのに、どうしてか現実もゲームも上手くいかない。
 思う行動を起こせない現実は仕方ないとしたって、あえて悔しいのと恥ずかしいのを我慢して、《これが正解》と思われる選択肢を選んでる筈のゲームでも五連敗中なのは何故だろう。
 どう見ても俺を好きそうなのに、最後の最後で俺から離れていくのはどうして?
 イギリスが何を考えているかが、分からない。
 どうすれば喜ぶのかは、分かるのに。
 感情の動きも、少なくとも仕事が絡まない時なら凄く分かりやすいのにな。俺がどういう行動をとったり、どういうことを言ったりすれば、イギリスがどうなるのか。俺にはそれが、手に取るように分かる。伊達に百年単位であの人の反応を伺ってたわけじゃない。
 独立を機に変わってしまった――自らの意志で変えてしまった関係と、変わってしまったイギリスの態度に受けた衝撃は意外と大きかったらしく。彼にどういう態度をとったらいいのか分からなくなった挙げ句、気がつけば皮肉だとか、からかうような態度をとるようになっていた。
 そして、最初は独立した時の反発の名残や、無様な姿を見せられないという虚勢で取っていた筈の態度は、いつの頃からかイギリスの反応を確かめる為だけにわざと行うものへと変化していったのだ。
 イギリスが俺をどう思っているのか。イギリスに残る好意がどの程度のもので、どんな種類なのか。嫌われていないか、どこまでなら嫌われないのか――。
 多分、それらを試して、確かめたかったんだろう。
 今となってはもう、癖みたいなもので。意識しなくても自然とそうした態度を取ってしまって後悔することも珍しくない。
 俺のどんな言葉や態度にイギリスがどう反応するのかが分かるようになったのは、その副産物のようなものだった。
 イギリスがどうしたら喜ぶか、俺には簡単に分かるし。
 イギリスがどうしたら怒るか、俺のどんな言葉や態度でどう反応するかも、俺は分かってる。
 それは嘘ではなく自惚れでもなくて、当たり前の事実なのに。
 けれど。ならばどうして。
 俺とイギリスは《このまま》なんだろう。
 正解を選んでいる筈なのに、確かに好意を――それもゲームの中なら俺の望む形での好意を――寄せられているにも関わらず、グッドエンドに辿り着けないゲームのように。
 ずっとそれを変えたいと思い続けているにも関わらず二百年以上経っても《そこ》で止まってしまっていて、現実が動いていないこともまた、事実だった。
 単にイギリスを喜ばせただけじゃ何も変わらなくて。
 イギリスを苛めて泣かせたって何も変わらなくて。
 なら、どうすればいいんだろう。
 後悔するのは好きじゃないし、したことも殆どない。自分が歩んできた道を間違ってるとは思わないけれど、目の前にあるのは、ゲームの中でさえままならない俺とイギリスという現実で。
 本当にイギリスは厄介で面倒くさい。
 俺にこんな手間をかけさせてさ。俺は待つのは嫌いだし、努力は惜しまないけど見合う結果がない努力をするのは嫌いだ。
 なのに俺は二百年以上、そんな無駄な努力を続けてる。
 ただイギリス相手だけに、だ。
 なんでこんなに上手くいかないんだろう。イギリスが俺のことを大好きなのは間違いないのに。
 視界の中に映る携帯電話が、存在を徐々に主張してくる。
 どうしようか。
 ゲーム画面はバッドエンドを終えてタイトル画面に戻ったところ。画面の中央ではムスッとしたイギリスが中央で腕組みしてこちらを睨みつけていて。
 ゲームの中でフられた直後で腹立たしくはあるけれど、休暇だと言っていたイギリスがどうしてるのかが、気になってもいる。
 ――うん。どうせ一人で寂しく過ごしているんだろうから、ヒーローの俺が寛大な精神でもって、ちょっとだけ慰めの電話をして元気づけてあげるのも有りだろう。
 誰かと一緒に過ごしてるなんてことは、ないよな。イギリスだし。ましてやフランスなんかと飲んだくれてたりしないでくれよ。
 少しの躊躇いの後によぎった悪い想像に耐えかねて、それを振り払うようにして、俺は携帯電話を手に取った。
 掛けるのは、迷った末にイギリスの家の固定電話。家に居ることを願ってと、携帯に掛けるなんて必死みたいで、なんとなく躊躇われたから。
「……」
 受話器からは、無機質なコール音が繰り返されている。
 いつもなら、数コール待てば怒ったような声ながらも嬉しさを押し隠せない様子で怒鳴ってくるイギリスの声が飛び込んでくるのに、一向に出る気配がない。
 どういうことだろう?
 少しだけ携帯を耳元から離して、その小さなディスプレイに表示された日付を確認してみても、確かにイギリスが休暇だと言っていた日程に入ってる。今日で二日目の筈だ。
 チリ、と。少しだけ嫌な予感が胸をよぎった。
 買い物にでも出かけているんだろうか。
 今度は時間を確認してみるが、イギリスの住む辺りはまだ真っ昼間な筈だ。普段の休日のイギリスなら確実に家でちまちまと家事をやっている時間。
「俺が電話してあげてるっていうのに、なんで出ないんだよ、イギリスのやつ!」
 これ以上コール音を聞いていたくなくて、電話を切った。
 ちょっと庭に出てたとか、買い物に出てたとかだと思うけど。まさかあのイギリス限って誰かと一緒ってことはないよな……。
前から分かっていた予定ならともかく、休暇まで二~三日の猶予しかない状態で捕まる相手が俺以外に居るとも思えない。
 悔しいけれど気になって、五分後にもう一度掛けてみたけれど結果は同じだった。誰も出ない。
 別に、気にする程のことじゃない。寂しく過ごしているだろうイギリスが可哀想だと思って、からかいついでに電話をしてやろうと思っただけなんだから。
 どうしても連絡を取りたいわけでもないし、用事があるわけでもない。ただちょっと思い出してしまったら気になっただけだ。
 電話が繋がらないのなら、これ幸いと携帯を置いて、またゲームを始めればいいだけの話。
 イギリスの携帯に掛けてみるという手もあるけれど……。固定電話に出なかったから携帯に……というのは、より必死になっているみたいで嫌だ。
「まったく。イギリスはゲームでもリアルでも厄介な奴だなぁ!」
 ぼやきながら俺は暫く携帯電話を睨みつけて――迷った末に、ひとつのアドレスを選んで電話を掛けてみたのだった。




 それから四日経っても、イギリスの家の電話には誰も出なかった。悔しさを押して一回だけイギリスの携帯にも掛けてみたのだが、留守番電話になっていて誰も出ない。
 あの後、万が一の可能性を潰す為にカナダとフランスに電話をしてみたけれど、素直に「イギリス居る?」なんて聞けるわけもなく、近況を聞くに留まった。
 まぁ、何故か二人とも
『久しぶりだね、アメリカ。言っておくけどイギリスさんは来てないからね』
『珍しいなあ、アメリカ。どうせ用件はイギリスだろ。来てないぞ、こっちには』
 と、聞く前に答えてきたのが不思議だけどね!
 確かに俺が彼らに電話をすることは滅多になくて、掛けるとそういえばイギリス絡みのことしか聞いてなかった気がしないでもないが、俺の名誉の為にもそんなのは勘違いだと言っておいた。
 二人とも嘘をついてる様子はなかったし、イギリスが現在休暇中なことも知らなかったから、本当に連絡も入っていないのだろう。
 カナダは気になるなら他の英連邦に聞いてみようかとも申し出てくれたが、流石に断った。
「そもそも俺は別にイギリスを探してるわけじゃないんだぞ!」
 強がってみせたが、イギリスがどうしているのか気になってしょうがないのも本当のところ。他の人には言えないけどさ。
 気になると言えば、日本も気になる。
 日本ならゲームの攻略法を聞くという大義名分もあるし、イギリスが頼る可能性も高いと思って連絡をとってみたのだけれど、『何かありましたら、ご連絡ください』と言っていたくせに、イギリスと同じく連絡がとれなかったのだ。
 携帯に電話を掛けても留守番電話になっているし、PCと携帯の双方にメールを送ってみても、なかなか返信がない。
 丸一日経過してからやっと届いたメールはPCからのもので、にも関わらず文章は短い一文のみ。
『ただいま、少々たてこんでおりまして。落ち着きましたら、こちらから連絡させていただきます』
 メールに書いたゲームに関する質問や、どうしたらイギリスが落とせるのかといった攻略に関する部分も無視して、日本ならいつも必ず文面の最初と最後に丁寧な挨拶がつくのに、それもない。
 もしかして、何か大変なことでもあったのかな。
 そう思う気持ちもあったけれど、イギリスの件でただでさえ苛々しているのにゲームまでちっとも進まないので、俺は再度メールを送ってみた。
『急いでくれよ! 俺はかれこれ七周も時間を無駄にしてるんだからな。バグじゃないなら、何かヒントとかおくれよ』
 そうしたら、これには割と直ぐに返信があったのだけれども
『それは、私よりもアメリカさんの方がご存知では?』
 という、やっぱり短い上に意味の分からない文面だった。
 俺の方が?
 どういう意味だい、それ。分かってたら、こんなに苦労してないんだぞ。ゲームでも、それから現実でも。
 どういうことか問い質すメールをもう一度送ってみたけれど、それに対する返答は来ないままで。
 結局、日本から俺に電話が入ったのは、それから三日経った――つまり今日のことだった。
『お待たせして申し訳ありませんでした、アメリカさん』
「遅いんだぞ、日本! おかげで俺は、あれから更に四回くらいバッドエンドを見るハメになったんだからなっ」
 色々と選択肢やパラメータを変えているつもりだけれど、ちっともグッドエンドに辿り着けやしない。
 イギリスのこともあったから、痺れを切らして日本に何度も連絡をとろうと試みたけれど、本当に電話に出ないしメールも返してこないし。
 俺の試行錯誤はちっとも報われず、ゲームのイギリスは相変わらず俺のこと好きそうなくせにフってくるし、現実のイギリスは何処に居るか分からない上、電話も掛け返してこない。
 留守電にメッセージこそ入れてないけど、俺からの着信があったことくらい気付くだろう、普通。なのに連絡がないって、どういうことなんだ。
 面白くない諸々をこめて言うと、日本は申し訳なさそうな様子を伺わせながらも、どこか弾んだ声で答えてくる。
『申し訳ありません、イギリスさんがあまりにも萌……いえ、可愛らしいものですから目が離せず。それに、ゲームは苦労してこそ、エンディングに辿り着いた時の感動も味わい深くなるものですよ』
「え……。イギリス?」
 そういうものかい。俺にはあんまり理解できないんだぞ。と言う余裕はなかった。というか、後半は殆ど頭に入って来なかった。
 だって日本は今、イギリスって言ったよね?
 しかも目が離せないとか可愛らしいとか、不適当な言葉も聞こえてきたんだぞ。
 もしかして、もしかして。
「ひょっとしてイギリスは――君んとこに居るのかい?」
 冷静になって考えてみれば、日本も俺と同じゲームをしてるのかな、と思うことも出来たのだろうけれど。直感だったのか、単に俺がイギリスの居所を気にしすぎていたせいか(前者だと思いたい)、殆ど反射的に問い詰めてしまう。
『ええ。長めのお休みを頂いたということで、私の家にいらっしゃってますよ。おや、ご存知ありませんでしたか』
 けれど日本は、ついキツイ声音になってしまった俺にも構わず、のんびりとすら言える様子で返してきた。
 日本のせいじゃないと分かってはいるけれど、面白くない気持ちが胸の中に沸々と沸き上がってくる。
 ああ、ご存知なかったとも!
 当たり前みたいにのんびり言ってくれたけど、休暇に入る前から数えれば十日近くも俺は知らなかったよ。
「イギリスの奴、いつから君んとこに居るんだい?」
 いつも通りの声で言ったつもりだったけれど、どうにもムスっとした声になってしまう。これでは日本に変に思われるか、もしくは見透かしたような生温い笑みを浮かべられるかもしれない。
「休暇に入ってすぐですから、今日で六日目になりますね」
「へーえ……」
 予想はしていたけど、そうかい。
 つまりイギリスは、俺に断られてからすぐに日本に電話をして了承を取り付けたってことだろう。俺の家とイギリスの家以上に、日本の家は離れてる。そうそう気軽に行ける場所でもない。
 しかし六日だって?
「俺がメールを送った日には、もうイギリスはそっちに居たってことじゃないか」
 どうして教えてくれなかったんだよ。
 繋げたかった言葉を、辛うじて飲み込む。
 しかし日本には言いたかったことが伝わってしまったのか、恨みがましい声になってしまったと後悔する俺の耳に、くすくすと笑う声が聞こえてきた。
『すみません。まさかアメリカさんがイギリスさんをお探しとは思わなかったものですから。イギリスさんのお誘いを断ったと聞いていましたので』
 くそう。今日は少し意地が悪いんだぞ、日本。今のは絶対にわざとだろう。俺がイギリスの誘いを適当に断ったことを責めてるに違いない。
 空気なんて読まない俺だけど、読める時だってあるんだぞ。
 読んでも面白くないことが多いから、読まないだけだ。今みたいにさ。分かったって、いいことなんかひとつもない。
「別に探してたわけじゃないんだぞ。『何かあったら連絡してください』って言ってた君が、イギリスなんかと遊んでて返答が遅れたなんて酷いじゃないか、って思っただけさ」
 日本の意図を無視して言ってみるけれど、日本は変わらずにくすくすと笑い声を零している。
『それは申し訳ありませんでした。イギリスさんは今、アメリカさんの勧めをうけてテレビゲームに挑戦されてるんですよ。それで相談を受けまして。折角ですから、うちへお越しくださいと私がお誘いしたんです。なにぶん初めてでいらっしゃいますから、私もついお教えするのに熱が入ってしまって』
 お恥ずかしい、とか日本は最後に付け足したけれど、実は、悪いとか思ってないだろう、君。
「イギリスがゲーム? 想像つかないな」
 ああ、でもそういえば……イギリスから電話があった時に言った気がするなぁ。
『イギリスも幻覚とばかり遊んでないで、たまにはゲームでもしてみればいいんだぞ!』
 まさかアレを真に受けて、ゲームをする為に日本に行ったってことかい?
 ゲームがしてみたいなら、素直に俺に言えばいいじゃないか。なんだって日本まで行くんだよ。
 ……そりゃ、確かに俺もあの時は態度が悪かったかもしれないけど、俺だってゲームするって言ってたんだから――いやまぁ確かにあの《ツンデレ☆ハイスクール》とやらをイギリスに見せるわけにはいかないけどさ。
 イギリスが、俺を頼らずに日本を頼ったことが面白くない。俺の対応が悪かったのは分かってるけど、面白くない。
 しかも六日も一緒に居るらしいじゃないか。
 初めてのイギリスに教えるのがつい熱入るとか日本も言うし、ああくそ、面白くないんだぞ!
 俺はその間もずっと、ゲームのイギリスにはフラれ続けるわ、現実のイギリスは何処に居るか分からないわで苛々し通しだったっていうのに。
『イギリスさんは覚えも早くて、今では随分と慣れたご様子ですし、楽しんでおられるようですよ』
「イギリスがねぇ。何をやってるんだい?」
 何をプレイしてるかなんて興味があったわけじゃない。ただ、胸の裡に溜まっていく苛々を表に出したくなくて、誤魔化すように口にしただけだった。
 けれど。
『先日お渡ししたアメリカさん用に作ったゲーム。アレと同じデータを使って我が国向けに別のゲームを作ったと申しましたでしょう。そちらをイギリスさんにやっていただいてます』
 日本がとんでもないことを口にしたので、苛々も吹っ飛んで俺の頭が真っ白になる。
「え……っ。ちょっと待ってくれよ、アレをイギリスに!?」
 だってアレは、《ツンデレ☆ハイスクール》は、イギリスがヒロインの恋愛シミュレーションゲームじゃないか。それをイギリスが見たら……見ただけなら日本の趣味が疑われるだけだけど、それを俺の希望で作ったなんて言われたら……っ。
 誤解だ。確かに俺が作ってくれと言ったゲームだけど、俺はあんなゲームを作ってくれと言ったわけじゃないぞ。あくまでも俺がヒーローで格好良いゲームを作ってくれと言ったのであって、決してイギリスと恋愛を楽しむようなゲームを作れと言ったわけじゃない。プレイしてないわけじゃないし楽しんでないわけでもないけれど、違うんだからな!
 脳内で言い訳がぐるぐると回るが、イギリスに面と向かって言えるわけもなければ、電話の相手は日本だ。
「何考えてるんだい、日本!」
 責めるというよりも、らしくなく狼狽えてしまった俺の声にも日本はいつものペースを崩さない。
『大丈夫ですよ。同じ素材を使っている部分があるだけで、あれとは全く違うゲームになっていますから』
「違うゲームって……一体どんなゲームなんだいっ」
 違うと言われても安心なんて出来なかった。俺はそれを見たわけじゃないし、同じ素材を使ってるってことは、少なくとも身近な《国》が出てくるってことだろう。
 焦って聞きだそうとするけれど、携帯電話の向こうからはタイミング悪く
『……い、にほーん、にほーん』
 という、少し遠くから日本を呼ぶイギリスの声が聞こえてきた。
 本当に日本に居るんだと、驚くようなガッカリしたような感覚が湧いたが、すぐに続いた日本の言葉に、それどころじゃなくなる。
『おや。呼ばれておりますので、これで失礼致しますね。アメリカさんのご健闘を、お祈りしております』
「えっ。ちょ、ちょっと待ってくれよ日本!」
 慌てて引き留めようとするけれど、受話器の向こうから返ってきたのは、通話が切られたことを告げる無常な機械音だけだった。
 携帯を手に握りしめた拳が、わなわなと震える。
「ああもうっ、イギリスがやってるのはどんなゲームなんだよっ。それに、ゲームの攻略法もヒントも答えてもらってないぞ!」
 携帯に向けて叫んでも、通話が切られていては意味がない。
 掛け直したとしても、今までの日本の対応を考えると、出てくれるとは思えなかった。
 大体、なんだよ。イギリスもイギリスだ。
 どうして俺じゃなくて日本を頼るんだ。なんで日本と一緒にゲームなんかしてるんだよ。しかも、『にほーん』なんて、気軽に助けを求めてさ。
 俺なんか君に頼られたり助けを求められたりなんか、殆どしてもらったことないんだぞ。
 あんな気の抜けた、リラックスしたような声で名前を呼ばれたことだってない。
 小さい頃は甘ったるくデレデレとした様子で呼ばれたけれど、それとも違う。最近でこそ、ようやくそれなりに気安く話せるようにもなったけれど、イギリスはどこか俺に対して身構えているような様子を崩すことはなかったから。
 イギリスが俺に対する気構えを解くのは、盛大に酔っぱらって過去の愚痴をつらつらうだうら並べ立てる時くらいだ。
 ただでさえイギリスに甘い日本や、日本に甘いイギリスに苛立つこともあるのに、あんなイギリスの様子を知らされては、例え日本にイギリスを友人以上に思う気持ちがなくたって、放置してはいられない。
 そうだよ、それに俺は、まだ日本に攻略法も教えてもらってないじゃないか。
 うん、そうだ。日本は連絡もとれないんだから、俺に残された手段はこれだけだもんな。何もおかしいことはないぞ。
「よし!」
 俺は携帯をジーンズのポケットにねじ込むと、早速財布とパスポートを探す為に、行動を開始したのだった。




 あの後すぐに自分の家を出て、可能な限りの最短時間で日本の家に辿り着いた俺を待っていたのは、衝撃的な光景だった。
 渋滞を避ける為に最寄りの駅からは全力疾走でここまで来た俺は、息を整えるのも待たずに――ついでにインターフォンも押さず、出来るだけ音をたてないよう気を付けて中へと入る。
 俺の名誉の為に言うなら、無理矢理こっそり入ったわけじゃないぞ。インターフォンを押そうかどうしようか迷って、試しに玄関の引き戸に手を掛けてみたらすんなりと開いたから、これはつまり入っていいってことだろうと思っただけだ。
 急に現れてイギリスと日本を驚かせるのもいいかと思ったし。
 そうやって静かに日本の家に上がり込んで、イギリスと日本が居るのだろう居間に向かった俺の耳に聞こえてきたのは、聞き慣れているようで聞き慣れない声だった。
『君が……好きなんだ』
 え……?
 聞こえた声は、イギリスのものでも日本のものでもない。誰のものでもないように聞こえるのに、どうしてか馴染みがある声に聞こえて、慌てて障子の隙間から室内を覗いて音の出所を探す。
 しかし居間にはテレビの方を向いているイギリスと、その少し斜め後ろでノートパソコンに向かっている日本の姿しか見あたらない。とすれば答えは直ぐに知れて、テレビから聞こえているものだと分かった。ゲームの音声なんだろう。
 だけど、どうして馴染みがあるような気になるんだ?
 そういえばイギリスがやっているゲームにも不安があったことを思い出した俺は、画面を見ようと更に障子を引いて隙間を広げてみる。
『好……き……?』
 間を置いて聞こえてきたのは、イギリスの声。少しだけ違って聞こえるのは、これもテレビから聞こえてくるせいだろう。
 それは分かったけれど、続いて聞こえてきたもうひとつの声に。
『ああ、好きだよ。言っておくけど、冗談でも、君をからかっているわけでもないぞ』
「……ッ」
 そして言葉に、俺は息を飲むはめになった。
 ちょっと待ってくれ。今の声は、今の台詞は……。
 まさか、と思うけれど。声も、口調も、何故だか馴染み深いもののようで、酷く胸がざわつく。
 だって、ゲームから聞こえてくるのは、片方はイギリスで。イギリス相手に好きだと繰り返すこの声は。
『そ、んなこと、言ったって……!』
 戸惑うようなイギリスの声を遮るように吐かれる声は。
『信じてよ、イギリス』
 真摯で、必死で、切実な声。
 信じたくないけれど、答えなんて殆ど知れている。
 聞き覚えなどない筈なのに声に馴染みがあるのも。告げる言葉と想いに馴染みがあるような気がするのも、当たり前だ。
『信じてくれるまで、何度でも言うよ。俺は、君が――』
 隙間を広げた障子の向こう側。イギリスの頭越しに覗きこんだテレビ画面に映るのはイギリスと――そして、イギリスを抱きしめて『好きだ』と告げている――見慣れたフライトジャケットを羽織り、目にはテキサスを掛けている青年。
『アメリカ……?』
 ゲームのイギリスが呆然と呼ぶのを聞くまでもなく。明らかに、どこからどう見ても、俺――アメリカ合衆国だった。
 ちょっと待ってくれ。どういうことだい。なんでイギリスがやっているゲームに俺が出てるんだ。俺が出てるのはともかく、どうしてこんなことになってるんだ。
 日本の家用に作った、もうひとつのゲーム。《ツンデレ☆ハイスクール》と同じデータを使っているのだから、俺達《国》を使ったゲームなのだろうとは思ったし、似たようなゲームなんだろうとも思ってはいた。
 だけどこれは――ダメだろう。
 一瞬と言ってもいい程に僅かしか見ていないけれど、《ツンデレ☆ハイスクール》と違ってゲームの中の俺もイギリスも学生服に身を包んではいない。どちらも見慣れた服装で、架空の世界だとは思えなかった。
 画面に映っているのは滑らかに動くムービー。
 ダメだろと思っても、やめてくれと思っても、留まることなく画面の中で俺とイギリスは動き続ける。
 ゲームの中の俺が、追い詰められた辛そうで苦しそうな顔をしてイギリスを強く抱きしめる。まるで縋りつくみたいに顔をイギリスの肩に埋めて強く抱きしめて。そのくせ躊躇いを残した掌は背中に触れきれずに。
 そして更に。俺が見ている中、ゲームの俺は抱きしめていた腕を少しだけ緩めると、顔を上げてイギリスを覗き込んだ。
 そうすると画面には、《俺》とイギリスが至近距離で見つめ合っているところがアップで映し出されることになる。
 それを見ているのは、俺と、日本と――イギリスで。
 目に映る全てに。《俺》がイギリスに告げた言葉に、態度。そしてゲームの《イギリス》の様子と、それを固まったように見守る現実のイギリス。どれにどんな感情を動かされたのかも分からない、色々なものが混ざり合った衝撃を受けている俺を放って、《ゲームの俺》がゲームのイギリスに顔を寄せていく。
「――ッ」
 受けた衝撃と、そこから沸き上がる衝動に突き動かされるようにして俺は無意識のうちに手を彷徨わせ、ぶつかった軽く硬い感触のそれを握りしめていた。
 うまく思考が働いていたとは思えない。脳裏にあったのは、言い表しがたい重苦しくて叫び出したいような衝動と、
 ――ダメだ。
 という。目に映るものを、その何かを拒否する言葉だけだった。
 画面の中でイギリスは驚いたように目を瞠っていて。それにも構わず《俺》は顔を寄せ、僅かに開いた口がまた言葉を紡ごうとする。
 ダメだ。ダメだよ。やめてくれ。例え《俺》だって、許せない。言葉だけなら、まだいい。いくらだって言い繕える。だけどダメだ。それはダメだ。例えゲームの中であれ俺の意志が介在しないところでなんて許せるわけない。それに、イギリスが。そうだよ、イギリスが、現実のイギリスが見てる。見てしまえば――分かってしまう。俺の意志を無視して、答えが出てしまう。そんなのは嫌だ。ダメなんだ。
『……好……』
 唇同士が触れる寸前、声が言葉を紡ぎきる直前。
 一秒にも満たないだろう瞬間に一気に押し寄せた、自分でも理解しきれていない思考と感情に押されるまま、俺は渾身の力を込めて手にした細長い物体を、テレビに向け投擲した。
 プラスチックの質感を持った白くて四角い筒は真っ直ぐに飛んで、キスしようとしていた《俺》と《イギリス》を映すテレビ画面に突き刺さる。

 ガシャァアアアアンッ!!

 そして、派手な音をたてて画面がブラックアウトし、音も不自然にブツリと途切れた。

「は……?」
「……ひっ」

 イギリスは驚きのあまりか真抜けた声をあげ、日本はテレビが壊れたことにだろうか、悲鳴にも似た声をあげて息を飲んだ様子。
 もう隠れている意味はないので障子を全て開け放って堂々と姿を現してやると、日本はこちらを向いて青い顔をしていて、イギリスは音がしそうな程のぎこちなさで、ゆっくりとこちらを振り向くところだった。
 なので俺は、イギリスがこちらを視界に捉えるまで待ってからにっこりと……わざとらしい程の笑みを貼り付けてやる。
「HAHAHAHAHA、随分と面白いゲームをしてるじゃあないか、イギリス! あと、日本?」
 額に青筋を浮かべ、全力疾走の名残か焦りにも似た衝動の為か、息も乱れている俺の様子は余程迫力があったみたいで、こちらを見あげたイギリスの顔は、そりゃあ見物だったぞ。
 引きつりまくって、顔色も見る間に真っ青になっていって。この世の終わりみたいな顔って、こういうことを言うんだろうな、と思えるものだった。
 そんな顔するってことは、俺に見られたら拙いっていう自覚はあったわけだよね。一体イギリスは、どんなつもりでこんなゲームをやってたのかな!
 俺もイギリスに見られたら拙いゲームをやっていたのだから人のことは言えないのだが、腹が立つものは腹が立つ。
 大体、俺がやってたゲームにはオープニングとエンディング以外にムービーなんてなかったぞ。イベントの時だって細かく表情は変わってたけど、ムービーなんか挿入されなかったじゃないか。
 イギリスがやっていたゲームの内容や、今のシーンについては勿論だけれど、その差についても日本に問い質さないと。
 とはいえ、今はイギリスだ。
 イギリスは俺の顔を見た態勢で固まっている。顔は真っ青で口はぽかんと間抜けに開いたままで、目も同じく見開かれた状態で瞬きもしてない。
 その様は指差して笑ってあげてもいいくらいだったけれど、今の俺はちょっとばかり機嫌が悪いからね! 君を思いきり笑ってあげるのは、もう少し後だ。先に念を押しておかなきゃならないことがたくさんある。
 さぁ、どうしてあげようか。
 少しばかり不穏なことも考えながら、俺は一歩、居間へと足を踏み出した。
 すると――
「……っ」
 今までガチガチに固まって呆けていた筈のイギリスが、弾かれたように立ち上がって瞬時に踵を返すじゃないか。
「えっ……イギリス!?」
 その素早さといったら、立ち上がったと思った瞬間にはもう駆けだしていて、俺が入ってきたのとは逆側の障子に辿りついていたくらい。
「待ちなよ!」
 呼び止める声をあげると同時に俺も追おうと畳を蹴るけれど、その時にはもうイギリスは障子を開け放ち廊下に出ていて、縁側の窓を開けるところ。
 その素早さに舌を巻きながら数歩で縁側へ辿り着いた俺が目を向けると、庭へ飛び出したイギリスは、いつの間にか履いたサンダルで地面を蹴り、塀を跳び越えていた。
「イギリス!」
 制止の意味を込めて呼ぶ名に応える声はなく、イギリスが戻ってくることもない。
「いきなり逃げるなんて卑怯だぞ!」
 何も言わずに逃げるなんて。
 せめて言い訳くらいしていきなよ!
 応えがないのを分かっていても言わずにいられなくて、塀の向こうへ文句を投げる。
 逃がさない、絶対追いかけて捕まえてやる。
 とはいえ、ここまで離されてしまったのなら塀を乗り越えて追うのも馬鹿馬鹿しい。玄関から出て、ちゃんと靴を履いて追いかけた方が効率もいいだろう。
 そう考えて踵を返せば、壊れたテレビを前に落ち込んでいる日本の姿が目に入った。
「ああああ……」
 大きな穴の開いてしまった薄型テレビを撫でさすりながら嘆いている日本の姿は可哀想だったけれど、元はと言えば日本が悪いんだから、俺は謝らないぞ。
 やりすぎたと思う気持ちもちょっとだけあるけれども。壊れる直前に画面が映していたものと、それを見た瞬間に沸き上がった色々な感情が思い出されると、素直に謝る気にはなれなかった。
 なんと声を掛けようか迷ったまま日本の前を通り過ぎようとした俺は――イギリスを追うのは勿論として、日本にも色々と聞かなければいけなかったことを思い出して、足を止めた。
 俺に持ってきたゲーム《ツンデレ☆ハイスクール》のこと。それから、イギリスがやっていたこのゲームのこと。
 ついでに、この数日間のイギリスの様子も。
 イギリスを追いたいと逸る気持ちを抑えながら、テレビに対して人間みたいな名で呼びかけている日本の肩を叩く。
「ごめんよ日本。テレビを壊したのはやり過ぎだったね。悪かったよ」
 そうして、するつもりのなかった謝罪と一緒に、にこやかにお願いをしたのだった。
「――ところで。色々と聞かせて貰いたいことがあるんだけど、答えてくれるよね。勿論、反対意見は認めないぞ!」




「ああもう、どこまで行ったんだよイギリスのやつ」
 一度足を止めて呼吸を整えながら辺りを見回すけれど、見慣れた金色のぼさぼさ頭は見あたらない。
 俺は仕事のこともあるから、イギリスよりも日本の家に遊びに来ることが多いし、気軽に訪ねすぎるせいか最近では買い出しを命じられたり、ご飯ご飯と騒ぎすぎて「散歩にでも行ってらして下さい」と追い出されるたりすることも多かったので、日本の家の近所の地理は頭に入っている。
 だからイギリスを探して歩き回っても迷うということはなかったけれど、なかなか見つからないイギリスに焦りを覚えてもいた。
 というのも、携帯や財布くらいは持ってるだろうと思っていたイギリスが何も持たずに逃げていたからだ。
 財布も携帯もないなら、自分の国に帰ったり大使館に逃げたりはないと思うけれど、それだけに不安になる。何かあってもイギリスは助けを呼んだり出来る状態にないということだからだ。
 まあ見た目がどれだけ貧弱で眉毛が変でも、あれでイギリスは喧嘩も強いし卑怯な技も姑息な手も大好きで得意な人だから、そうそう危険な目になんか遭わないだろうし遭っても自力でどうにかしちゃうだろうけれど。
 それでも《国》というのは特殊な存在だから、個人が対処できない危険に襲われることもないわけじゃない。
 そう考えると完全に安心しきることは出来なくて、ひたすら走り回っているというのに、イギリスは未だに見つかっていないのだ。
 大体いくらしょっちゅう忘れ物してるからって、馴染みのない土地を手ぶらで闇雲に逃走するとか、本当に馬鹿じゃないのかい、あの人。
 イギリスの携帯の情報なんてとっくに入手済みだから、携帯さえ持ってくれていれば例え電話に出なくたってGPSで位置くらい割り出せたっていうのに……持っていないどころか、日本の家に居る間、殆ど手元に置いてなかったというのだから呆れて物も言えない。
 日本の話によると、イギリスはゲームに夢中になっていたのと時差のせいとで、就寝時間が不規則な上に短かったらしく、滞在中の殆どを居間で過ごしていたとか。ゲーム中に寝落ちすることもあったというのだから驚きだ。
 しかも上司には日本の家に滞在することを告げてあり、何かあれば日本の家に連絡がいくことになっていたとかで、余計に油断してたんだろう。イギリスを追いかける前に念のため携帯に掛けてみたら、着信音は日本の家のイギリスが寝室に使っていた部屋から聞こえてきた。
 道理で俺が携帯に掛けてみても掛かり直してこないわけだ。殆ど寝室に置きっ放しで、携帯のチェックなんてろくにいてなかったんだろう。
 どれだけゲームに夢中だったんだろうね!
 そりゃ俺だって《ツンデレ☆ハイスクール》を何周もプレイしていたけれど。携帯は常に手元に置いてあったし、睡眠時間は多少削っていたとはいえ寝る時はちゃんとベッドの上で寝ていたし、他の全てを忘れたりなんかしなかった。
 テレビゲームを遊んだことのないイギリスがそこまで熱中するゲームは、一体どんなゲームだったのか。
 自分の家を出る前から気になっていたことの答えは、日本から聞けたけど――予想通り、ロクなものじゃなかった。
「イギリスさんがプレイされていたのは、アメリカさんにお渡ししたゲームとは随分違いまして。恋愛色が殆どない、《アメリカさん育成ゲーム》なんです」
 日本の言葉を思い出せば、また苛立ちが湧いてくる。
 《アメリカ育成ゲーム》――
 日本の説明によると、小さい俺を育てるシミュレーションゲームだということだ。
 俺用に作った《ツンデレ☆ハイスクール》と同じように、身近な《国》を登場人物として使用している以外は、根本的に違うゲームなのだという。
 天から授けられた子供《アメリカ》を、かつてのイギリスのように本国と新大陸を行き来しながら育てるシミュレーションゲーム。
 育て方によって《アメリカ》のパラメータが変動し、行き着く未来や途中で起こるイベントが変わるという、複数回プレイが前提のゲームなんだそうだ。
 あーあー、そりゃイギリスが夢中でプレイするわけだよね。なにしろ彼は、小さい頃の俺が大好きだものな!
 そして、俺の登場に驚いて逃げるわけだ。
 イギリスが小さい頃の俺が大好きなことを俺が知っているのと同じくらい、昔の話をしたり昔を想うイギリスを俺が嫌っていることをイギリスは知っているから。小さい俺を育てるゲームで遊んでたなんて俺に知られたら気まずくもなるだろうし、『失敗した』と思って逃げ出すのも納得がいく。
 まぁ、それだけじゃないんだろうけれど。
 小さい俺を育てていただけなら、少なくともあんなこの世の終わりみたいな顔はしなかっただろう。逃げ出すにしても、聞き飽きた言い訳だとかを喚きながら逃げたんじゃないだろうか。
 俺の一言すら聞きたくないというように、あそこまで必死に逃げ出したのは。俺が見たくなくて否定したくて消したくて、結果として物理的に破壊して止めてみせた、あのシーンのせいなんだと思う。
 何故なら、あのシーンだけを見たら、とてもじゃないけど《小さい俺を育成するゲーム》には見えないし。俺だって、てっきりあのゲームも《ツンデレ☆ハイスクール》と同じような恋愛シミュレーションゲームなんだろうと思ったくらいだしね。
「恋愛色が殆どないって、さっき俺が見た時には、俺そっくりのキャラがイギリスそっくりのキャラを抱きしめて告白してキスしようとしてたように見えたけど?」
 問い返してみれば、困ったり躊躇ったりする様子も見せず、むしろ自慢気な様子で日本が答えてくる。
「あれは特別です。なにしろトゥルーエンドですからね! あのエンディング以外は、全て小さいアメリカさんを立派に育てる健全なゲームですよ」
 そもそも小さい俺を育成するゲームというのが健全と言えるかどうかは疑わしいけれど。
 他の人の場合はともかく、イギリスがプレイすることに限って言えば酷く不健全というか非建設的な気がしないでもない。
 あの人の過去への拘りというか、小さい俺への拘りは、ちょっと並じゃないし。
 その辺りをさておくとしても、だ。
 なんでそんなゲームを――俺用だという《ツンデレ☆ハイスクール》も含めて――日本は作ったのか。
 最大の問題はここだろう。
 だって、おかしいじゃないか。俺が頼んだものとイメージがだいぶ違うこともだけれど、俺達にとって身近な《国》を登場人物にしたり。それだけならまだしも、イギリスがメインヒロインだったり、俺を育成するゲームだったり、そのくせトゥルーエンドがアレだったり。
 当たり前といえるだろう俺の問いに日本が返してきたのは、問いつめるこちらの口調には合わない穏やかな微笑だった。
 イギリスが俺を見る時に見せる懐古を滲ませるものとも違う、まるで小さな子を見守るかのような柔らかい視線。
 実を言えば、俺がもっとも苦手としているものだ。
「私としては、アメリカさんのご要望は勿論のこと、アメリカさんに喜んでいただけるゲームを作ったつもりだったのですが……お気に召しませんでしたか?」
「当たり前だよ。ちっともヒーローらしくないし、それにいつもバッドエンドだし。散々だったんだぞ!」
 俺が喜ぶゲーム?
 あの《ツンデレ☆ハイスクール》が?
 確かに思った以上に何度もプレイしてしまったし、楽しまなかったとは言わない。
 現実では望むべくもない様々なイギリスを見ることが出来たのも、イギリスと学校生活を送ったり、イギリスとデートしたり、イギリスと季節ごとの行事を一緒に過ごしたり出来たのも、正直に言えば楽しかった。
 だけどそれは。あのゲームを俺が楽しめてしまったのは、俺がイギリスを好きだったからだ。
 もし俺がイギリスを好きじゃなかったら、きっとあのゲームは日本に電話で宣言した通り、遊んでみることもなくオープニングムービーを見ただけで突き返していたことだろう。例えば『いかにもメインヒロインです』といった扱いなのがフランスだったなら間違いなくそうしていたように。
 常識的に考えるなら、俺が楽しめるなんて思うわけがないのだ。
 最初から、俺がイギリスのことをそういう意味で好きだと知らない限りは。
 なのに日本は、あのゲームを俺用として、俺が喜ぶように作ったという。
 それは、つまり――?
「日本、君……」
 日本は変わらずに穏やかな――至らないところのある近所の小さな子を見るような目で俺を見ている。
「アメリカさん。私はそろそろ、覚悟をお決めになっても良いのではないかと思うのですよ。アメリカさんに喜んでいただく為に作りましたが、ゲームはゲーム。私と違って、アメリカさんは二次元だけで満足されるような方ではないでしょう。現実のイギリスさんと、あんな風に過ごしてみたくはないのですか?」
 なんてこった。
 くらりと目眩がした。
 確定じゃないか。日本は知っていたのだ。いつからかは知らないけど、俺がイギリスを好きだということを。
 日本の態度から、薄々そうじゃないかとは思うことはあったけれど、出来ればこんな予想は外れていて欲しかった……。
 イギリスに共感を示すことの多い日本が、俺とイギリスの喧嘩のことになると、俺を窘めながらも慰めるようなことを言ってきたり。イギリスに意地を張った物言いをした時に、生温い視線を向けてきたり。
 記憶を手繰れば思い当たる不思議に思っていた幾つかのことが、日本が俺の気持ちを知っていたからこそのものだとすれば、確かに納得はいった。欠片も嬉しくないけど。
 それだけでも驚いたし衝撃的だというのに、どうして日本は俺をけしかけるようなことを言うのだろう。
 日本の発言は《ツンデレ☆ハイスクール》がそもそも俺をけしかける意図をもって作られたゲームだと言っているも同然だ。
 確かに俺はイギリスが好きだし、好きだからこそ現状のままでいるのを良しとしたくはない。互いの関係を変えたいと――恋人やそれ以上のものになりたいと思ってもいる。
 そしてそれは《ツンデレ☆ハイスクール》の中で具体的な形を見せられることにより、いっそう強くなったのは確かだ。ついでに、あんまり考えたくなかったことを考えさせられるハメになったりしたし。
 だけど俺がイギリスに告白したとして、一体日本にどんなメリットがあると言うのだろう。
「君は、どうしてそんなことを言うんだい?」
「お友達の幸せや恋の成就を願うのは、当たり前のことですよ」
 問いに答える日本の表情は大きくは変わらず、少しだけ目を細めて笑みを深くしただけだった。
 嘘だとは思わない。日本は良い奴だし、俺の気持ちに気付いていたなら協力をしてくれるのも自然なことのように思える。これで日本がイギリスと大して親しくないというのなら、特に疑問に思うこともなく納得しただろう。
 けれど。
「君にとっては、イギリスも友達だろう?」
 どちらとより親しいか、とかは関係ない。日本はこれでしたたかな面も厳しい面も、そして冷静な面も持っている。
 自分と直接関係のないことで両者の意見や要望が対立した場合、日本ならば普段の曖昧さを発揮して、特にどちらにつくこともなく、のらりくらりと介入や口出しそのものを避けるんじゃないだろうか。
 あまり他人に興味を持たない俺だけれど、日本とはつきあいもそれなりに深いし長いから、なんとなく分かっていることは多いと思う。それからすると、俺の中にある日本の印象に、今回のような行動は酷くそぐわないのだ。
 日本は、イギリスと親しい。
 二人とも俺との方が遙かに親しいのは勿論だけれど、今回のように時に俺が面白くないと思う程度には、二人は仲が良かった。
 仕事が絡まないことにおいて、俺とイギリスが何かをした時に日本が庇おうとするのは大抵がイギリスだし、窘められるのは俺だったのに。
 その日本が、俺の好きな人がイギリスだと知った上で俺を応援するだけならともかく、けしかけるような真似をするのは、どうにも腑に落ちない。
 問いかける声に不信が滲み出たせいか、日本は笑みを少しだけ困ったようなものに変える。
「ええ。勿論、イギリスさんも大切なお友達です。――ですから、お二人共に幸せになっていただきたいと、思っているんですよ」
 俺とイギリスの二人に、幸せに。
 だからだと言っているのだろうけれど、腑に落ちないことには変わりない。
 俺は世界一格好良いヒーローだから、俺の恋人になる人は世界一の幸せ者だと思うし、イギリスが俺の告白に頷いてくれさえするなら、これ以上ないくらい幸せにしてあげる自信もある。
 俺は自分に関してはこの上なく自信があるけれど、問題はイギリスがそんな俺の魅力が分からない可哀想な人だってことなんだ。
 何しろイギリスときたら頑固だし偏屈だし俺のことを未だに弟のように扱う時があるし、それがなくても年下扱いは続くだろうし、そもそも女好きだしエロ大使だ。
 俺が告白なんてしたところで、冗談だと思って笑い飛ばすか、頭の心配をするか、性質の悪い冗談だと怒るかだろう。頷いて了承を示して「俺も好きだ」と返してくれることなど、あるわけもない。
 同じ断るにしたって、ゲームのイギリスのように心苦しそうな顔を見せてくれるかどうかさえ、怪しかった。
 本気だと分かれば笑い飛ばしたりはしない……と思いたいけど、それがなくても焦って戸惑って……それから、困るだろう。
 それでどうやって、二人共に幸せになれるっていうんだ。
「なれると思うのかい、君は」
「おや。アメリカさんらしくもない仰りようですね。自信がなくていらっしゃる?」
 そう言われてしまうと、日本の言葉を否定出来なくなる。否定しようとすれば、それは俺の弱気だとか自信の無さとかを晒すことになってしまうから。
 自信は俺の友達で、いつだって俺の身近にあるものだけれど。どうしてか、イギリス相手になると途端に不安定になってしまう。だけどそれは、出来れば誰にも知られたくないことでもあった。
「ふふ。では、ひとつ教えてさしあげます。イギリスさんがプレイしていた《アメリカさん育成ゲーム》――。あれは先程も申し上げました通り、ひとつのエンド以外は全て恋愛色を含まない健全なゲームなのですが――。アメリカさんが一瞬ご覧になった《トゥルーエンド》は、育てたアメリカさんと結ばれるというものなんですよ」
 俺が見たシーン――イギリスを抱きしめて告白しようとして、挙げ句にキスしようとしていた、あのムービーのことか。そういえば、さっきも日本はトゥルーエンドだとか言っていた。
「育てた子供と結ばれるのがトゥルーエンドだって? 君のところのゲームは相変わらずギリギリだな!」
「恐れいります、すみません。しかし育てた子供と結ばれるのは、あの手のゲームにおいてはお約束であり浪漫ですから」
 日本の家のゲームは俺が好きな派手な演出や格好良さやアクションだとかの描写は控えめなくせに、倫理的には随分とチャレンジャーなものが多くて驚かされるけれど、まさかイギリスにやらせていたゲームでもそんな危険を冒しているとは思わなかったぞ。
「残念ながら途中で止まってしまいましたが、アメリカさんが止めずとも、あのムービーはあそこで止まる予定だったんです」
「どういうことだい?」
「最後の選択が出る予定だったんです。育てて、しかし己のもとを離れてしまった子供であるアメリカさんから告白されて――それを、受け入れるのか、拒むのか」
「……なんだって?」
 やっぱり、止めて良かった。
 たかだかゲームに先を越されそうになったこともだけれど、あのシーンを見て沸き上がってきた感情を思い出して、知らず掌に力が入り拳を形作る。
 もう少し遅かったら。ゲームの俺とイギリスがキスするシーンを見なくて済んだとしても、決定的な選択が現実のイギリスに突きつけられてしまうところだった。
 自分が《ツンデレ☆ハイスクール》を遊んでいる時には俺とイギリスのキスシーンが出てきても気にならなかったのに、どうしてあのムービーは許せなかったのかは自分でも分からないけれど、嫌なものは嫌なのだから仕方がない。
 それに、ゲームの中で答えを出されるなんて冗談じゃないぞ。確かにあの《ゲームの俺》は俺にそっくりだったけれど、俺じゃないのだ。
 きっと思いもしなかったのだろう《アメリカ》からの告白についてイギリスが考えるのなら、出す答えがイエスかノーかに関係なく、俺の為じゃなきゃダメだ。ゲームの中の俺なんかじゃなく、現実の俺のことを考えて現実の俺の為に必死で考えなくちゃダメなんだ。
「答えが出る前にゲームは止まり、イギリスさんは逃げてしまいましたが……続きはゲームでなく、現実で見せていただけそうですね」
 俺の心の中の動きを読んだかのように、日本がにこりと笑って小首を傾げてみせる。
 ひょっとして日本は、あのゲームの続きをイギリスにやらせてゲームの中で答えを出されるのが嫌なら、とっとと現実で正面きってぶつかって来い――って言ってるんだろうか。
 続きは現実で、って言ってるんだから、そうなんだろう……。
 決めつけるような言葉は日本らしくなく、可愛らしくすら見える筈の笑みを浮かべた瞳はしかし、いつだかイギリスの写真を寄越せと迫ってきた時に限りなく近い迫力を浮かべていた。
 そもそもの発端は、俺が日本にゲームを作ってくれと言ったこと。
 けれど、イギリスとの関係に変化を望みながらも立ち止まったままだったことを俺に思い起こさせたのは、日本が作ってきた《ツンデレ☆ハイスクール》で。
 今、俺を焦らせて現実で行動を起こさなければならないような状況を作ったのも、日本が作った俺育成ゲームとやら。
 イギリスが日本の家に来ることになったのは偶然だろうけれど、ゲーム内容と《トゥルーエンド》の特殊性からいって、《ツンデレ☆ハイスクール》が俺用なのと同じく、あのゲームはイギリスにやらせる為に作ったとしか思えない。
 なんだか日本にハメられているような気がしないでもないけれど、日本がそれで得をすることもないし。
 とりあえず、俺の為だと思っておくことにしようか。
 なんとなく脅迫されているような気分になるのも、気のせいだということにして。
「オーケイ。俺はヒーローだからね。応援してくれる人の期待には、応えてみせるさ」
「はい。楽しみにしております」
 本当のことを言えば、イギリスに思いを告げるのは、やっぱり怖い。
 俺のことを好きそうなのにグッドエンドを迎えられなかった《ツンデレ☆ハイスクール》を思い出すと、現実の困難さを更に痛感するし、そもそもイギリスの俺への態度は、俺が見る限りここ数十年単位で変化がない。となれば、告げたところで芳しい結果を想像することは俺のポジティブさをもってしても困難だった。
 けれど。例え今は無理だったとしても、いつかは絶対にイギリスとの最高にハッピーな結末を手に入れると俺は決めている。
 ならば、《いつか》への一歩が、今ではいけない理由はない。
 今は望むエンディングに辿りつけなくても、ゲームと違ってリセットボタンを押せなくても。今のままでは何も変えられないのだと分かってしまったなら、動きださなくてはならなかった。
 第一、このままではゲームの俺に負けることになってしまう。イギリスが俺の気持ちに気づいてないなら尚更、最初のインパクトというのは大事なのに、先を越されてしまった。
 俺の想いに対してイギリスが少しでも感じるものがあるのなら、驚きも戸惑いも迷いも、《ゲームの俺》から与えるものであってはならない。そうしてイギリスの中に生まれた感情は――それが例え嫌悪であったとしたって――向けられるべきは俺であって、《ゲームの俺》であっていい筈がないのだ。
 イギリスは、例えそれが恋でなくとも俺を一番に思っていなくちゃいけないんだから。
 そうだよ。イギリスなんて、いくら俺が断ったからってすぐに諦めて他の人と遊んだりしちゃダメだし、暇なら何度だって俺を誘わないといけない。何日間も俺以外の人と二人きりで居るのもダメだし、ゲームに夢中になって俺のことを蔑ろにするなんてもってのほか。我が侭なのも勝手なのも分かってるけど、イギリスは俺の我が侭をきくべきだ。きかなきゃいけない。
 だって、俺をそんな風に育てたのは――悔しいけれども、イギリスなんだ。
 だからイギリスは俺を見ていなくちゃダメなんだよ。俺がどんな態度をとっても何を言っても、俺を気にしてなくちゃいけないし、見てなくちゃダメなんだ。
 ねぇ、そうだろう? イギリス。
 ゲームの中でもなくて、過去の中だけでもなく。いつも、いつでも、どんな時だって。間違えずに、どんな俺だって見てなくちゃダメなんだ。
 イギリスは、俺がイギリスを想うようには、想ってくれていないだろう。《ツンデレ☆ハイスクール》で目指していたようなグッドエンドなんて、リセットも出来ない現実では期待できない。
 だけど、代わりに現実には、ゲームオーバーも存在しないのだ。
 なら、今は辿り着けなくても。変えていく勇気を持てたのなら。俺ならきっと、いつか辿り着くことが出来る。
 ゲームで用意されたようなグッドエンドでも、勿論バッドエンドでもなくて。もっと素晴らしく最高にハッピーな、俺とイギリスのベストエンドってやつに。
 それはもう確定的な未来だ。
 何故って?
 決まってる。
 それは俺が、ヒーローだからさ!
「さ、アメリカさん。あれから時間が開いてしまいましたし、お急ぎください。イギリスさんは携帯もお財布もお持ちでなかったようですし、この辺りはまだ不案内な筈ですから、迷っていらっしゃるかもしれません。迎えに行って差し上げてください」
 よし。と気合いを入れて外に出ようとした俺に日本が告げてきたのはそんな言葉で。
「なんだって? そんなんで逃げたのかい、イギリスは!」
 あまりの迂闊さに呆れ果てる。
「ええ。お一人で戻ってくるのは難しいと思いますので、よろしくお願いします。私はこの居間を片づけたら夕飯の買い物に出かけてきますから。それまでにお戻り下さいね」
 そう言って、日本は俺に合い鍵を渡してきた。
 あっさりと渡されたので、つい受け取ってしまったけれど、いいのかな。日本が平和な証拠なのだろうけれど。
「いいのかい?」
「はい。あとは若いお二人でどうぞ、ごゆっくり」
 確認の為の問いに返って来たのは、どうしてかあの、逆らい辛い迫力を湛える笑みで。
 さぁさぁと急かす日本に半ば背中を押されるようにして、俺はイギリスを探しに出かけたのだった。




 それから俺がイギリスを見つけたのは、一時間と少し経ってからのこと。
 探して探して走り回って。時々悪態をつきながらも、あんまり見つからないから不安になって。こうなったら衛星使って探せるべきかと考え始めた頃――曲がり角を曲がった先に、ようやくイギリスを見つけたんだ。
「……ッギ、リス……!」
 突然視界に入り込んできた求めていた姿に、考えるよりも前に体が動く。驚きで思考は一瞬止まっていた筈なのに、勝手に手は伸びてイギリスの肩を掴んでいた。逃がさないように。本当にイギリスなのだと、確かめるみたいに。
「……アメリカ……」
 そうして改めて顔を見れば、俺以上に驚いた様子のイギリスが、呆然とこちらを見上げているのが目に映る。少しだけ眉根が寄せられたのは、咄嗟に掴んだ肩が痛いからだろうか。
 それに手と表情を緩めかけて――次いでイギリスの顔に浮かんだ表情を見てしまい、止めた。
 何を思っているのかなんて、分かったわけじゃない。ただ――イギリスが浮かべた表情は、引きつって躊躇っていて。少なくとも、俺が来たことを歓迎する様子は欠片もなかった。それどころか、罪悪感さえ滲むそれは、俺を厭っているのと同じじゃないか。
 何度かゆっくりと息をして呼吸を整えるけれど、気持ちは落ち着くどころか荒れていく一方だ。整える最後に長く吐いた息は、まるで咎めるようなものになる。
「……君、いい加減にしなよね」
 そして。ようやくまともに告げた言葉は、吐いた息以上に冷たく突き放すように響いた。
「何も持たずに急に飛び出したりしてさ。追いかけるオ……じゃない探したり心配したりする日本の迷惑も考えなよ」
 そもそも俺から逃げたのだから、迎えに来たって歓迎される筈がないのも当たり前なのだろう。けれど、必要ないと分かっていても心配しないでいることは難しかったし、この一時間近くというもの、必死になって探し回ったことを考えれば、イギリスの反応が面白い筈もない。
「言っておくけど俺は心配なんかしてないんだぞ。日本がどうしてもって言うから仕方なくこうしているだけであって!」
 面白くないついでに、つい余計なことまで口走ってしまった。
 心配して探してようやく見つけた相手に「逃げたい」とか「しまった、見つかった」みたいな顔されて、素直に「心配してました」なんて言えるものか。
 感動しろとか、喜べとかは言わないけどさ。迷子だったなら、せめてホッとした顔くらい見せてくれたっていいじゃないか。
 イギリスが浮かべる表情のどこかに、少しでもいいからそうした安堵だとか、俺が来て良かったというような気持ちが見えれば良かったのに。徐々に俯いていった顔には自嘲めいた苦笑が浮かぶだけで。
「……悪ぃ……」
 いつものような軽口も俺に対する文句も説教もなく、ただ短く告げられただけのそれに、詰る気勢すら削がれた。
 なんだい、それ。どうしてそこで素直に謝るんだよ。心配してないって俺は言ったんだぞ。いつもなら「心配くらいしろよばかぁ!」くらい言うじゃないか。
 イギリスの態度に違和感と少しの焦燥を覚えながら、短く溜息を吐いて、今度は手首を捕まえて引っ張る。
「もういいよ。それより、早く戻るんだぞ」
「……ああ」
 これにも大人しくついてくるイギリスは、やっぱりおかしい。
 掴まれた腕を離そうともしないで黙々と歩くイギリスには、いつもの覇気も元気も、無駄に偉そうな態度もなかった。
 俺育成ゲームなんてやっているところを俺に見られたわけだから、酔っぱらって大騒ぎした翌朝みたいな気分になっているのかもしれないけれど……それにしては、泣いて取り乱した様子もない。
 空回った言い訳すら口にしないイギリスの無気力で投げやりな様子は、なんだか俺を突き放しているようにも思えて、もやもやとした苛立ちと不安を俺に与えてきた。
「ったく。何でこんなに横暴になっちまったんだか」
 誰にも負けない世界一強くて格好良いヒーローの俺にも弱い部分があるんだということを。そんな柔らかくて弱くてどうしようもない部分を、しかもイギリスが握っているんだと思い知らされるのは、こういう時だ。
 何気なく吐かれた一言に、一瞬で体温が下がって。その後、頭に血が上っていくのが分かる。
 日本の家へ戻る道中とは違って無言ということもなく、少しばかりいつもの調子を取り戻しかけていたイギリスが口にした言葉がそれだというのが、余計に堪えた。
 何気ないからこそ、イギリスにとっての《いつも》が。常に思っていることが出てきたということなのだろうから。
「それ、《いつ》と比べてるんだい」
 咎める声は、必要以上に冷たく堅く響く。
 口にしてしまえばそれは酷く子供じみた想いと言葉に聞こえるから、出来れば言いたくないと思っているのに、止めることのできない言葉。
 仕方ないじゃないか。俺にとってこれは、唯一と言っていい弱さなんだ。
 俺に向けられるイギリスの愛情を疑ったことはない。小さい頃も、今も。独立を勝ち取る為に争っていたその時にすら。
 本人の自覚なしに横柄な態度や横暴を行ったとしても、それと彼が俺へ向ける愛情は別物なのだと、俺は本能で理解していた。
 だからこそ、その矛盾に気付きもしないイギリスに腹を立てて反発したこともあるし、心底忌々しいと思ったことも数知れない。
 それくらいにイギリスの愛情というものは駄々漏れで、それから俺にとっては当たり前に存在するもので、存在しない状態というのが想像出来ないものでもある。
 そして実際、時が経ちイギリスと俺の関係が少しずつ変化するに従って、向けられる愛情の性質だとか表れ方も微妙に変化していったけれど、消えるということはなかった。
 なかった、のに。
 いつからか、イギリスは過去を引き合いに出すようになった。
 それはある意味で俺へのわだかまりや構えがなくなった結果でもあるのだろうけれど、その度に微妙な気分になってしまう。
 俺の行動を注意してもいい。もっとちゃんとしろと叱るのもいい。それは君が俺を見てくれている証拠だし、俺を思って向けられている言葉だって分かるから。聞いてあげるかどうかは別だけれども。
 だけど。俺に向ける愛情が本当は俺に向けるものじゃなく、俺と切り離された《過去》に向けるものだというのなら、それは許せることではなかった。
 イギリスの愛情なんて、欲しい思ったことはない。
 何故ならそれは、欲しがるものでも求めるものでもなく。与えられているという意識すらないほど、ただそこに在るものだったから。
 有り難いと思ったりも全然しないくらい当たり前のそれは、いつだってちゃんと、俺に向いてないといけないんだ。
 なのにイギリスは、俺がどう思うかなんて考えもしないで容易く口にする。過去を思う言葉を、過去を愛しむ言葉を、過去を望む言葉を。
 それらは、当たり前にそこにあった筈のものが幻だったのではないかと、俺を根底から揺さぶって分からなくさせるというのに。
 認めたくないし信じたくないけれど、俺にとってそれは可能性を考えるだけで不安になるもので。心臓が凍るような心地がすることを、イギリスはきっと知らないだろう。
「別に、比べてなんかねーよ」
 だからそんな簡単に、よく考えもせずに否定が言えるんだ。
「どうだか。君、小さい頃の俺が大好きだもんな。さっきまでやってたんだろう、小さい俺を育てるゲームとやらを。今度は思う通りに育てられたかい?」
 否定に否定を返した声は、吐き捨てるようなものになる。
 いつもみたいにバカにしたように笑って言ってやりたかったけれど、どうしてか上手くいかなくて掴んだままだってイギリスの手を振り払うように離して視線を逸らした。
 こんなネガティブなのはヒーローらしくないと思うけれど、イギリスが俺育成ゲームなんかやってるのが悪い。
 気にしたくないのに、認めたくないのに、ゲームであれ過去であれ、俺でないものをイギリスが求めている可能性を考えだけで嫌だ。
「アメリカ……」
 イギリスが今どんな顔をしているのかも知りたくなくて壁を睨みつけていると、躊躇いを残した声が俺の名を呼ぶ。
 なんだよ。何を言うつもりだい。
 聞きたくない。と反射的に思うものの、耳を塞ぐような真似もみっともなくて出来ず、他に意識を向けたくとも俺とイギリスしかいない部屋の中ではそれも難しく、ただ壁を睨みつけていることしか出来ない。
 そんな俺の耳に、どこか必死な……真摯とも言えイギリスの声音が聞こえてきた。
「思う通りとか、そうじゃないとか、関係ねーよ。どんなお前でも変わらない」
「……」
 ああ、だから嫌なんだ。
 イギリスなんて大嫌いだ。
 そうやって君は、容易く俺を混乱させる。分からなくさせる。期待させる。君の一言に、君の態度に、どれだけ俺が揺り動かされるのか知りもしないで。
 どうせ君は結局のところ、今の俺を否定して都合の良い過去かゲームを選ぶんだろうと突き放そうとする時に限って、俺を期待させるようなことを言うんだから。
「小さい頃のお前も、いま俺の目の前に居る可愛くねーお前も。どっちも俺にとっては――」
 そして。騙されるな信じるな、と自分に必死に言い聞かせているところに聞こえてきた言葉が、俺に目を瞠らせる。
 だって――比べる意味でなく過去の俺と今の俺とをイギリスが一緒に語ることが――多分、初めてだったのだ。
 本当に?
 本当にこの、らしくない後ろ向きな不安なんて、ただの杞憂なのだと思っていいの。過去を過去と。俺とは別のものみたいに思っているわけじゃないのだと、信じてもいいの。
 視線を逸らしたまま、固唾を呑んで俺はイギリスの言葉を待った。こんな風にイギリスの言葉を待つのが怖いのは、独立した後に初めて声をかけた時以来じゃないかと思う。
 そうして少しの不安と期待に取り巻かれ、じっと先を待っていた俺に告げられたのは、しかし――

「大切な、俺だけの天使だ」

 なんていうかもう色々と台無しにする言葉だった。
 ビキリと音を立てる勢いで、体と思考が固まる。
「……おい、アメリカ?」
 不安と言うよりは不満げに俺の名を呼ぶ声が続いて聞こえるけれど、くたばれイギリスとしか思えない。
 出来れば何を言われたかも理解したくないし、空耳だと信じたいというのに、わざわざそこで俺を呼ぶとかやめてくれよ。我に返っちゃうだろ。
 大体、君は俺にどんな反応を期待していたんだと問い詰めたい。俺だけの天使とか、堂々と自慢げに誇らしげに言うとか有り得ないだろう。俺が喜ぶとでも本気で思ったのかな、この人。思ってそうだな。ああもう最悪だ。
 喜んだりなんか、するわけないだろう。
 過去と俺を切り離していないというのなら、らしくない不安が杞憂だったというのなら、それは良かったと思うけれど。
 よりによって、天使とか!
 君は俺を、一体なんだと思ってるんだい!
 正直なところ、さっき以上にイギリスの顔なんて見たくなかったけれど、聞こえなかったのかと要らない気を遣われて同じ言葉を繰り返されたら堪ったもんじゃないし、沸き上がった怒りをこのまま抑えておくことも難しかったので、ゆっくりとぎこちなく振り返り、率直に言った。
「……君はバカか」
「は?」
 低く言った声に返るのは、こちらの反応なんて全く予想外で分かっていないんだろう間抜けた顔と声で。
 それにまた呆れと苛立ちを掻き立てられた俺は、イギリスの肩を強く押して畳の上へと倒し、上から体重と力を加えてイギリスの両手を押さえつける。

 それは、何のつもりなの。
 君は俺を、何だと思ってるの。
 君は俺を、どう思ってるの。




 いつもそうだ。イギリスは俺を期待させた後で突き落とす。
 期待するのは俺の勝手で、怒るのも落ち込むのも俺の勝手だと言われるかもしれない。だけど俺はイギリスを――もの凄く腹が立つし癪だけれど好きなんだから、仕方ないじゃないか。
 嫌われているのなら、興味すら持たれていないなら、諦めもつくのに。イギリスが俺を嫌うとか俺に無関心だとか、そんなこと許せる筈もないけれど。
 大切だと訴えられて、言葉からも態度からも当たり前のように愛情を向けられていると知って、期待しない方がおかしい。
「真面目な顔して何言い出すのかと思えば《天使》とか、ホント君は気持ち悪いな! 俺は確かに世界一格好良いヒーローだけど、もう立派な大人なんだぞっ。君はいい加減に目を覚まして現実を見るべきだ!」
「な……っ」
 腹の底で渦を巻く苛立ちは、同時に俺を泣きたい気にもさせる。

 ――苦しい。

 イギリスも分からないけれど、自分が何に腹を立てているのかも分からない。
 俺を見てくれないのが嫌だ。切り離した過去じゃなくて、かつての俺でもなく、いつかの俺でもなく、君の目の前に居る俺を見て無条件で俺の全部を分かってくれないと嫌だ。
 求めなくても空気がそこらにあるように、俺が欲しいと言わなくても要らないと言っても、俺に愛情を向けていないとダメだ。
 それは、絶対になくなってはならない最低限の条件で。
 今の俺が求めているものとは違うとしても、小さい頃から与えてきたそれをイギリスが捨てるなんてことも、なくなるなんてことも、俺は許せない。
 だけど――求めているものも、くれなくちゃ嫌なんだ。
 過去を想うイギリスへの苛立ち。過去だけを想うことを否定したイギリスに安堵しながらも、それしか持っていないイギリスに対する苛立ち。
 なくちゃダメなもの。
 それだけでも、ダメなもの。
 欲張りでも我が侭でも、止めようがない。
 押さえつけているイギリスを見下ろす。
 ねぇ、天使とか馬鹿なこと言ってないでさ。ちゃんと俺を見てよ。そんなもので括らないで。そんなもので遠ざけないでくれ。大切な君だけの俺だと言うのなら尚更、そんな言葉で狭めないで。
 こちらを見上げる表情は、心外だと示すものから徐々に歪んでいって、悔しげな、泣きそうなものになっていく。
 絶対に顔になんか出してやらないけど泣きたいのは俺の方だと思うのに、睨みつける先でイギリスの表情が一際くしゃりと歪んで目に涙を溜めていくのを見れば、胸が痛んだ。
 泣く、と思った次の瞬間には、見開かれたままの緑の瞳の淵から、予想通りにぼろぼろと涙が零れ出す。
「うるせぇ、目なんかとっくに覚めてるっての、ばかぁ! どうせ俺は気持ち悪いよっ」
 堪えていたものが決壊したみたいに一気に溢れ出すのは、涙と自棄になったような言葉。
「ああ、そうだよ。もう一回、お前に好かれてた頃を過ごせて楽しかったよ。ただのゲームだって分かってても、お前に好きとか言われて喜んだよ、羨ましかったよ」
 次から次へと零れる涙をそのままに、真っ直ぐに俺を睨みつけてくる瞳には、縋られているような錯覚すら覚えた。
 そして。
「しょうがねーだろ。お前が俺を嫌いでも、俺はお前が好きなんだよ!」
「……!」
 吐かれた言葉に、思った以上の衝撃を受ける。
 イギリスが、俺を、好きだって言った。
 当たり前だ。イギリスが俺を嫌うとか有り得ないし、俺はどれだけこの人が俺のことを好きか知ってる。
 知ってるけど。
 けっこう、衝撃的だった。
 だってこれは、間違いなくイギリスの本心だ。過去とか関係なく、緑の目は涙を零しながらも俺だけを睨み付けてる。
 含む意味がどんなものであれ、イギリスが泣くほど俺のことが好きだということが否応なく伝わってきて、堪らなくなった。
「昔が大事で悪いかよ。お前に好かれてたのなんか、あの時ぐらいなんだから仕方ねーだろ。お前が好きだから、嫌われてんの辛ぇんだよ」
 泣きながら溢れ出る言葉はどれも辛そうで、俺を好きだと伝えてくるそれに嬉しくもなるけれど、同じくらい苦しさも感じる。
 悪くないよ。昔が大事だっていいよ。大事にしないと許さないよ。だって俺と君が出会って一緒に過ごした記憶だろう。大切に決まってるじゃないか。
 それに待ってくれ。どうして俺が君のこと嫌いだってことになるんだ。嫌ってなんかいない。好かれてたのが昔だけとか言い出す理由が分からない。だって俺は、どんな時だって結局のところイギリスが好きだった。自分でも呆れるくらいずっと、イギリスが好きだという気持ちは消えなかったのに。
「そんなに昔の話されたくなきゃ、俺のこと好きになりやがれアメリカのばかぁ!」
 詰るような口調に反して、告げられる言葉はどうしてか甘く聞こえる。
「イギリス……」
 苦しいのと嬉しいのに挟まれて、それから少しの呆れもあって、上手く言葉出てこない。
 どうやって言ってやったらいいのかな、この馬鹿な人に。欠片も分かってない人に。
 言葉を探しながら名を口にすれば、悔いるような顔をしてイギリスは睨みつけていた目を逸らした。
「うっせぇ何も言うな黙ってろ見んなくそ死ねアホ離せ」
 それから涙でぐしゃぐしゃの顔のまま鼻を啜って、泣いたせいか掠れた声で全部を拒否するように一息で告げてから目をぎゅっと閉じる。
「イギリス……」
 なんだか叱られるのを怖がる子供みたいな様子に、呆れるのと同時に愛しくなって押さえつけていた手を離した。
「ほんとに、君はバカだな」
 代わりに丸まろうとするイギリスの動きを遮って、両脇に腕を差し込み掬い上げるようにして抱き上げる。
 そのままぺたんと腰を下ろし、細い体の背に腕を回して引き寄せれば、ちょうど座った俺の膝の上にイギリスを抱き抱える格好になった。
 突然の態勢の変化にか、腕の中でイギリスが固まったのが分かったけれど、それは無視して宥めるように背中を撫でる。
 本当に、この人は馬鹿だ。
 俺はイギリスが好きなのに、なんで嫌われてるのが辛いなんて言って泣くんだろう。好きになれなんて言って泣くんだろう。
 こんなイギリスを見るのは、初めてかもしれない。
 小さい頃の俺にとってイギリスはなんでも出来るヒーローだったし、独立して離れてからは割とどうしようもない人だと知ったけれど、その頃にはイギリスは世界の覇者と呼べる位置に居た。
 力が衰えてからも、俺の前でだけはしつこく格好つけたがって立派な大人ぶりたがって、弱いところや情けないところなんて、なかなか見せてくれなかった。
 そのイギリスが。過去を懐かしんで今を否定して愚痴るわけでもなく、こんな風に俺の前で泣いている。
 ねぇ、イギリス。今度こそ期待してもいいのかな。
 君が俺に向ける好意に、俺が望むものが含まれているのだと。
 子供の頃の俺がイギリスに抱いていたような《好き》を求めるのなら、こんな風には泣かないだろう? 何度か繰り返されたように、酔っぱらって愚痴を零して「あの頃の方が良かった」と嘆けばいい。
 それに子供の頃の俺はイギリスが好きなことを素直に伝えていたし、イギリスだってそこを疑ってはいない。好かれていると分かっている相手に「好きになれ」とは言わないだろう。
 嫌われていると思いこんでいるのは不思議だけれども、イギリスが嫌われるのが辛いと泣くのも、好きになれと求めているのも、間違いなく《俺》で。それから、小さい頃とは別のものだと思ってもいいんだよね――?
「君が俺のこと好きなんて今更だけどさ。……君のこと好きになれなんて。じゃあ君は、どんな《好き》が欲しいんだい」
 それでも、いつも肩すかしばかりだったから確信までは至らなくてイギリスに問えば
「……知るか、そんなの」
 未だ体を硬くしたままのイギリスがぼそりと返してきた。
 知るかって……それはないだろう。
 好きなれって言ったのは君じゃないか。何故だか俺に嫌われていると思っているみたいだから、なるべく優しく聞いてあげたっていうのに。
「ちゃんと考えなよ。君の答えによっては、好きになってあげてもいいんだぞ!」
 本当は言われる前からずっと好きだけれど、イギリスの答えを聞いていないのに俺だけ素直に全てを告げるのは憚られて、ついそんな言い方になった。
 それから、追い詰めるようにして問いを重ねる。
「俺が見たのは小さい俺を育てるゲームには見えなかったけど、君が羨ましかったのって、どっちさ」
 君が好きなことを隠さない、小さい俺と過ごせたこと?
 それとも、「好きだ」とゲームの俺に告げられたこと?
 小さい俺も「好きだよ」くらい言っただろうけれど、イギリスが「好きになれ」と言ったのは、現実の今の俺で。そしてあのムービーでイギリスに向けられた「好き」は、家族としてのものでも友情でもなく、明らかに恋情を含んだものだった。
 それが嬉しかったと言うのなら。羨ましかったと言うのなら。
 君が俺に向ける好意は、それと同じものなんだろう?
「言いなよ、イギリス」
 君が言ってくれるなら。それが俺の望むものだったなら。でなくとも、その可能性の残るものであったなら、今度こそ俺も素直に君が好きだと、ずっと好きだったのだと言えるから。
 言ってよ、イギリス。
 子供の頃と隔てるわけでなく今の俺への愛情も確かにあって、その上で俺に嫌われたくないと、好きになれと泣くなら。
 どうしてなのか。どんな《好き》が欲しいのかを言ってよ。
 そうしたら、例えそれが俺の望むものでなかったとしても、俺は君にその《好き》をあげるよ。あげられるように努力する。俺の望む《好き》もついでに押しつけて、君から返してもらうことが条件だけどね。
 命じる言葉に込めたのは、請うに近い願い。
 けれど。
「……無理だ」
 硬い声が、短く拒否を紡いだ。
「何が無理なんだい。どっちか答えるだけだろう」
 無理だという理由が分からず、唇を尖らせて答えを迫れば、もう一度短く――その分、明確な拒否が繰り返される。
「無理だ」
 口調は強くはなく、切り捨てる程の鋭さもない。まるで長年の努力の果てに諦めに辿り着いたかのような、否定の声。
 ――なんだい、それ。
「君が素直に言えば、好きになってあげてもいいって言ってるじゃないか」
 それの何が、どこが、無理だって言うんだ。
 言えないというのなら、それは何故。
「無理だよ」
 否定以外を引き出したくて自分でも理不尽だと感じる物言いをしてみても、イギリスは考える間も取らずに否定を返し、俺の発言を咎める言葉すら口にしない。
 しかも何が無理なのか、どうして疲れきって諦めたように「無理だ」と言うのか、諦めるというのなら何を諦めるのか、問い詰めようとした俺の行動は、イギリスの言葉で遮られる。
「無理するな」
 そんな、似ているけれど意味合いの随分と違う台詞によって。
 無理するな?
 無理って、何が。
 イギリスが否定と拒否を込めて不可能だと言う理由も分からなければ、どうしてその二文字が俺にかかってくるのかも分からない。
 俺は無理なんてしていないし、イギリスに求めていることは無理でも無茶なことでもないと思っている。
 わけが分からずイギリスを訝しげに見れば、彼は困ったように眉を歪めて、口元には自嘲めいた笑みを浮かべて、更にわけのわからない言葉を吐いたのだった。
「俺はどうしたって、お前が好きだから。大丈夫、何があっても嫌いになったりしない。だから別に、お前は俺を嫌いでもいいんだ」
 なんだって――?
 何を言ってるんだ、この人は。意味が分からない。
 俺が好きだから、嫌いになったりしない?
 そんなこと知ってる。それがどうした。
 だから、俺はイギリスを嫌いでもいい?
 なんだそれは。
 俺は君を嫌いだなんて言ったことは――ごめん、覚えてないけどあったかもしれない。言ったことがないとは確かに言い切れない。君に腹が立つことも君を嫌いだと思ったことも正直に言えば何度かあったから。
 だけどそれはあくまで俺が君を好きだから、思うようになってくれない君に対して腹を立てていただけであって、本当に君が嫌いだったわけじゃない。
 なのにどうして、そんなことを言うんだ。
「君、ほんとに面倒くさいな!」
 俺が好きだと言うなら、俺が君を嫌いだと思っているなら。それこそ、どうしてそんな台詞が出てくるんだよ。
 さっき君は言ったじゃないか。俺に嫌われてるのが辛いって。「好きになれ」って言ったじゃないか。なのに今度は「嫌いでもいい」って、わけがわからない。
 大体だよ、俺が本当に君を嫌いだったら、「好きになってあげてもいい」なんて言うわけないだろうっ。嫌いな人間に、どんな風に好きかなんて聞くわけがない。よく考えてみなよ。
「どうせ俺は面倒くせーよ。だから、いいんだって。好きになるったって、答え聞いたら嫌われるんだから、どっちだって一緒だしな。昔の話は……まぁ、今後はしないように努力する。お前の気持ちは嬉しかったし、有り難かったからさ。安心して嫌え。な!」
 挙げ句の果てにはそれかい!
「そうじゃないだろっ。ああもう、君はちょっと空気読みなよ!」
「……それはお前だろ……」
 空気を読めないと言われたことが余程心外なのか、呆れた顔で言い返されるけれど、今回ばかりは絶対にイギリスの方が空気を読めていない。
 安心して嫌えって、なんだいそれ。本当に意味が分からない。
 答えを聞いたら嫌う?
 あるわけないだろう。どんな答えが来たって、失望することはあったって嫌うわけないじゃないか。そんなことで嫌えるくらいなら、とっくに俺は君のことを諦められている。
 こんな風に必死になって君がどういう風に俺を好きか聞きだそうとしたりするわけないし、色々無茶をして最短時間で日本まで飛んで来たりもしなければ、一時間も走り回って探したりしない。
 昔の話だって、君が全くしなくなって小さい俺との記憶を忘れてしまったなら、俺はきっと悲しいし君に対して怒るだろう。
「日本が言ってた《フラグクラッシャー》って意味がようやく分かったぞ。君の答えを待ってたら、それこそ百年待っても事態が動かないってこともね!」
 真っ当に告白したって頷きを返してくれないゲームを思い出す。
 本物のイギリスがこのズレ具合なのだから、ゲームのイギリスだって簡単に頷かないわけだよ。
 何もしなければ、待っていたって何も変わらない。そう思ったから俺は結果としてここに居るわけだけれど、図らずも正しかったと痛感出来てしまった。
 まさかここまで酷いとは思わなかったけどね!
「俺のこと大好きなくせに、嫌われてるの辛いって泣くくせに、好きになれって言うくせに、安心して嫌えとか意味が分からないんだぞ。小さい俺を育てるとかいうゲームを嬉々としてやっていたって言うし、かと思えばゲームなんかでキスしそうになってるってのに君はぼんやり見ているし。俺なんて成功したの何周目だと思ってるんだい冗談じゃないよ。毎回、伝説の樹の下に来るくせに絶対に断ってくるし、空気読めてないのは明らかに君だろう!」
 ゲームをしている時からの不満と、イギリスと話が通じてないことの不満、イギリスが俺のことを分かってくれない不満が混ざり合って、一息に捲し立てる。
「……あ、アメリカ……?」
「イギリス」
 戸惑ったようにイギリスが肩を叩いてきたけれど、それは無視してイギリスの顔を覗き込み、睨みつけると言うのも温い逸らすことを許さない強さで、真っ直ぐに視線を合わせた。
「俺はもう何度となくリセット繰り返すのも飽きたし、日本に君の攻略方法聞くのもやっぱり面白くないし、君は君で放っておいたら勝手に俺を育てるゲームとかやり始めて、挙げ句に人のこと天使とかバカなこと言い始めるし、ホントこんな面倒なこと二度と御免だから、仕方なく言うけど」
 ゲームと違い、現実はリセットが効かない。
 一度の失敗くらいで諦める気はないけれど、どうもイギリスのこの様子からするとミスをした場合のロス――というかズレ――が大きそうなので、慎重に言葉を選びながら告げる。
「君が素直に俺に『好きだ』って言って、それから俺の生涯の伴侶でパートナーになるって誓うなら、君とのベストエンドを迎える準備が俺にはあるんだぞ。だから君は、俺が言ったことを今すぐ実行すべきだ。勿論、反対意見は認めないからね!」
 まったく、何てこと言わせるんだ。くたばれイギリス。さっき君が素直に俺をどんな風に好きか言っていれば、こんなことまで言わなくて済んだっていうのに。恥ずかしくて死にそうなんだぞ!
「……は?」
 しかし。物凄く恥ずかしいのを我慢して、かなりの決意でもって告げた言葉に返ってきた反応は、どうにも鈍いものだった。
 睨み付けるより強く合わせた視線の先。イギリスはぽかんと口を開けたまま、目も見開いた間抜けた表情で俺を見上げている。
 驚いているんだろうと思った。
 なにしろ俺が好きだと言って、俺に嫌われてるのは辛いと泣くくせに嫌っていいと言っていたわけだから。信じられないと驚いて、それから感動するのは良く分かる。
 だから俺は、辛抱強くイギリスが理解するのを待ったのだけれど。
「……何の話だ?」
 イギリスの鈍さは、俺の予想の遥か上をいっていた。
「……Oh、No……。さすがだよイギリス。まさかここまで言っても分からないとは思わなかった。君の空気の読めなさと鈍さは世界遺産レベルだね」
「いや、だから。お前には言われたくねーっての」
 いいや、絶対にイギリスの方が上だ。世界中の人はきっとヒーローである俺の意見に賛成してくれるだろう。ぞっとする程の鈍さと空気の読めなさだよ。
 生涯の伴侶だとかパートナーだとか言っているのに欠片も意味が通じてなさそうって、どういうことなんだい。まさか俺にもう一回言えなんて言わないだろうね。冗談じゃないんだぞ。どれだけ恥ずかしかったと思ってるんだ。
「とにかく、反論は認めないんだぞ! 君が俺のこと大好きなのはお見通しなんだから、早く誓いなよ」
「だから何の話か分かんねーって言ってんだろ! 俺がお前に好きって言えば、お前の生涯のパートナーになるとか、そんな有り得ないゲームどこにあんだよ、あるなら俺に寄越せよ!」
 分かっていてとぼけてるんじゃないかと疑って強いるように言ってみたら、理解してないどころか更に斜め上の発言が返ってきて、今度は俺がぽかんとしてしまう。
 だからっ、なんでそこでゲームの話になるのさ!
 いや確かに《ツンデレ☆ハイスクール》は、イギリスが頷きさえすれば生涯のパートナーになるゲームと言えばそうかもしれないけど、そういう問題じゃない。
 大体、寄越せって言うってことは、やっぱりなりたいんじゃないか。俺のこと好きなんじゃないか。
「~~~っ君は何でそう斜め上なんだい! なりたいなら、とっとと言えばいいだけじゃないかっ」
「どこが斜め上なんだ。俺はいつだってマトモだ」
「マトモな人は、人を天使天使言ったりしないよ! いいから、俺の伴侶になりたいの、なりたくないの、どっちだい!?」
「なりてーに決まってんだろばかぁ!」
 ――っ!!
 言った。遂に、イギリスが言った!
 体の奥底から感動と歓喜が沸き上がって、弾けたみたいだった。
「そうだろう! だからとっとと、俺に告白して誓うといいんだぞ! 拒否も認めないんだからなっ」
 噴き出すようなそれに突き動かされて、腕の中にある貧弱な体を思い切り抱きしめる。
「……え……?」
 戸惑うようなイギリスの声も気にならなかった。だってそれどころじゃない。
 どれだけ待っただろう。どれだけ遠回りをしたんだろう。
 いつかは絶対にベストエンドに辿り着くと決めてはいても、今のイギリスから望む好意を向けられることはないと思っていたのに。
 好きだと、俺に嫌われるのは嫌だと泣いても。それが俺の望むものを含んでいる可能性を、確かには信じきれなかったのに。
 まさかと思っていたことが、現実になった。
 しかもゲームではなく、現実で俺は辿り着いたんだ!
 嬉しすぎて、どうにかなりそうな感動に浸っていると、
「うぇえええええええええええええ!?」
 という、感動も何もないイギリスの叫び声が俺の耳を襲った。
「ちょ、イギリス。いきなり変な雄叫びあげないでくれよ。嬉しいのは分かるけど、もうちょっとムードとか考えてくれないかい」
 頬染めてはにかめとは言わないが、驚くにしたって感動するにしたって、もうちょっと何かあるだろう。
 それに、驚いてる場合じゃないぞ。
「ほら、イギリス。早く言いなよ。告白と誓いの言葉が、まだなんだぞ」
 ぎゅうっと抱きしめていた腕を少しだけ緩めて、もっと確かな言葉を強請る。
「聞いて、どうするんだよ」
 けれど顔を覗きこみ直した俺の目に映ったのは、何故だか喜びも感動もなく、戸惑いすら通り越した――何かに責められているような、辛そうなイギリスの表情だった。
「どうするって……ベストエンドの準備は出来てるって言ったじゃないか」
 それに違和感を覚えながら答えれば、腕の中のイギリスが僅かに身じろぐ気配。
 何か、おかしくないか?
 今ので分かっただろ、とか。何度も言わせんなばかぁ、とか。そういうことを言われるのなら、分かる。なんで「聞いてどうする」なんだろう。どうするも何も決まっているじゃないか。
 言ってくれるなら、改めて俺も好きだと告げて。ずっとずっと君が好きだと、例え世界情勢の関係で共に居られない時が来たとしても、君だけが俺のパートナーなのだと俺も誓うに決まっている。
 あれだけ驚いたのだから、伝わっていないわけではないだろうに。
 戸惑いながらイギリスの表情を注意深く見つめていると、不思議そうに目が一度上を向いた後で、また下を向いて思案する様子。
 それから眉を寄せて難しい顔になったかと思うと、今度は瞠目して驚きを示し、また戸惑いに瞳を揺らして――最後に、納得と諦めを含んだ息を吐いて、体から力を抜くのが分かった。
「アメリカ……あのな?」
 そうして躊躇いがちに俺に視線を合わせると俺の背に腕を回し、聞き分けのない子供を宥めるような、でなければ知らずに悪いことをしでかした子供に罪を諭すような口調で話し始める。
「さっきも言ったが、お前の気持ちは分かったし、有り難い。だけど、これは違うだろ。いくらお前がヒーローだって言ったって、それでお前の一生を棒に振っていいわけねーだろ」
 あくまでも優しく背を撫でる手と。同じように優しく穏やかな声。小さい頃、寝付かずにぐずっていた俺を宥めた時に似たそれらは、けれど俺を落ち着かせてはくれない。それどころか、俺を奈落へ突き落としていくものだった。
「俺は大丈夫だから。そういうのは、ちゃんとお前の大切な人に言ってやれ。今はいなくたって、出来てから後悔しても遅いんだぜ。ま、その心がけは立派だけどな」
 そうして言うだけ言うと背を撫でる手を止めて、イギリスは俺から距離を取ろうとする。
 ――呆然と、した。
 何を言われているのだか、最初は理解も出来なかった。
 どうしてそうなるのか、本気で分からない。イギリスは本当は俺が嫌いで、わざと俺を傷つけているんじゃないかと思うくらいに、その言葉は俺を打ちのめした。
 先程とは真逆の意味で堪らなくなって、イギリスを抱きしめる。離された距離を取り戻すように、もう離れたりしないように。
「……お、おい、アメリカっ、いてぇって」
 抗議の声が上がっても、気にしていられない。
 痛いのなんか、知らないよ。俺の方がもっと痛い。
「おい……アメリカ?」
 声を無視していると、腕の中でなんとか俺の腕を外そうとイギリスがもがくのが分かったけれど、逃れようとすることも許せなくて尚更に強く抱きしめる。
「アメリカ……。なぁ、どうしたんだよ」
 しばらくそんな攻防を続けていると、やがて根負けしたのかイギリスが体から力を抜いたのが分かった。溜息の後、躊躇いがちではあるけれども俺の体に体重を預けてくる。
 その重みに安堵を覚えて、俺もようやく無理にきつく閉じこめていた腕を少しだけ緩めた。
「……君のバカさ加減に、心底呆れたんだよ」
 大切な人に言ってやれって、なんだい。一生を棒に振るってなんだい。どうして俺の大切な人が自分だって思わないんだよ。
 やめてくれよ。俺を諦めるようなこと言わないでくれ。俺から手を離すようなこと言わないでくれ。物わかりのいい態度で宥めないでくれ。君に泣かれるのは苦手だけど、これならまださっきみたいに泣いて詰ってくれた方がマシだ。
 そりゃあ俺は君をからかってばかりだし、意地悪なこともたくさん言ったけれど。どうでもいい人や本当に嫌いな相手になんか、そんな面倒臭いことするもんか。ましてや生涯の伴侶なんて、冗談でも言うわけない。
 一体どこをどうしたら、そういう結論に至れるんだか。イギリスの鈍さもネガティブさも桁違い過ぎて呆れ果てる。
 俺が言いたかったことを理解したくせに。俺がイギリスを好きだということが信じられず《好きじゃないのに、そんなこと言い出した理由》まで無理矢理考えて、勝手にそっちを信じて窘めてくるとか、本当にイギリスはバカだ。大バカだ。
「……いや……馬鹿なのは俺かな……」
「アメリカ……?」
 イギリスが俺の気持ちを信じないのは――信じる以前に分かりもしてくれないのは、きっと俺のせいなんだろう。ずっと、俺がイギリスをどう思っているかなんて告げて来なかったから。
 イギリスは俺を好きなのだと、俺に愛情を持ち続けているのだと確かめることに必死で、そんな余裕がなかったというのもある。
 小さい頃からは随分と変わってしまった想いを向けたら、イギリスの愛情が消えてしまうのではないかと思うと、怖かったというのもあるだろう。
 それから、言わなくても分かって欲しいという、我が侭な願いもあった。
 けれどそんな俺なりの理由は、ただの臆病さと甘えだと言われてしまえばその通りだ。
「それにしたって、君の酷さが減るわけじゃないけどね! 人の話は聞かないわ、聞いたとしても捉え方が斜め上だわ。これなら、確かにゲームの方が簡単なんだぞ」
 ゲームのイギリスは、何の事情があるんだかは知らないけど少なくとも俺の気持ちも自分の気持ちも理解した上で、「一緒には居られない」と言っていた。
 対して現実は、俺の気持ちを理解していない上に「パートナーになってもいい」って申し出をヒーローらしい博愛精神からだと思いこんでいるんだから、本当にゲームより厳しいし、難解だ。
 ゲームもクリア出来なかったという事実については、今は忘れて蓋をしておくとして。まずは現実のイギリスに、俺は君が本当に好きなのだと、分からせなくてはいけない。
 負けたみたいで嫌だし、さっきだって俺にとっては随分と勇気の要ることだったというのに、もう一度もっとストレートに告げるのは恥ずかしいけれど。
 その勇気を振り絞った言葉を、「別の誰かの為にとっておけ」なんて言われるのは、二度と御免だからね。
「イギリス、君は俺を見くびり過ぎだぞ」
 抱きしめていた片手を外すと、顔の周りに疑問符でも浮かべていそうなイギリスの頬をなぞるようにして髪へと掌を差し込み、硬くてぼさぼさした髪を撫でる。
「いくら俺がヒーローだからって、生涯の伴侶を人助けでなんか選ばないよ。ヒーローだからこそ、ちゃんと愛し愛される人と結ばれなくちゃね!」
 疑問を深めた様子でぱちぱちと瞬きを繰り返すイギリスの意識が逸れないように、視線が俺から外れないように。それから、誰に言っているのか良く分かるように、こめかみの辺りも髪に差し込んだ手の親指で撫でた。
「勿論、愛し愛される人っていうのは、いつか出会うかもしれない何処かの誰かの話じゃないんだぞ」
 分かってよ。
 俺を見てよ。
 俺が今誰を見ているのか、誰に言っているのか、思いこみで視界を塞がずに、ちゃんと見てよ。今度こそ、意味不明な理由を考えられないくらい真っ直ぐに言うから。
 ちゃんと、受け止めてよ。
 そんな風に思うこと自体が、我が侭で甘えなんだろうけれど。
 君が俺をこんな風に育てたんだから、仕方がないだろう?
 そんな俺が君は好きで、そんな君でも俺は君が好きなんだから。
「好きだよ、イギリス。――だから君も、ちゃんと言わないと駄目なんだぞ!」
 言葉と同時に口づけた先は、撫でていたこめかみで。唇にしても良かったんだけど、イギリスが好きだと言ってくれた時の為にとっておこうかと思って、やめておく。
「……っ」
 驚いたのか、微かに音がするほど息を飲んで、イギリスが目を見開くのが視界の端に映る。
 見る間に赤く染まっていく顔は見物だったけれど、ぱくぱくと今度は音もなく開閉を繰り返す口が余計なことを言う前に釘を刺しておかなければ。
「今度は、ワケの分からないこと言いださないでくれよな。もう君にフラれるのは懲り懲りなんだぞ!」
 ゲームでも散々フられた上に、今日だけだって既に二回くらいフられた気分なんだから。
 肩を掴んで再び真っ正面から向き合って目を覗き込めば、見開かれていた目が幾度かの瞬きの後に細められ、今度は一転して睨みつけてくる。
「……って。いつ俺がフったよ。いい加減なこと言ってんじゃねーぞゴルァ! ワケの分からないことも言ってねぇし、フられたって言うなら俺だろうが。何回も何回もお前にどんだけ酷い扱い受けてきたと思ってんだ。『君が泣いて頼み込んできたってお断りだぞ☆』って言われたこと、俺は忘れちゃいねーからな!」
 今度は、俺が目を丸くする番だった。
 そういえば、あったね。そんなことも。だけどアレは別にイギリスをフったわけじゃないぞ。ただ、ちょっとイラッとしてたから八つ当たりと、早いところゲームの君にリベンジしたかっただけで。
「……君、そんなことまだ根にもってたのかい」
「もつに決まってんだろっ。俺がどんだけお前と休日過ごしたかったか分かってんのか!? 今更『好きだよ』とか、バカにするのもいい加減にしろ!」
 そこまで俺と休日を過ごしたかったのだと告白されるのは、悪い気はしないし嬉しいけどさ。だからどうして、そこでバカにするとかいう話になるのかな君は!
 いい加減、俺が君のこと好きだって理解しなよ!
「バカは君だろ。人が勇気を振り絞ったっていうのにさ! 大体、そういうのがフってるって言うんだぞ。俺がどれだけ君のフラグクラッシャーに泣かされたか、君こそ分かってないだろ!」
 貯め込んだ不満を一気に吐き出すみたいに怒鳴ってきたイギリスに、俺も同じかそれ以上の不満をぶつければ、いつの間に腕を抜き出したのか、イギリスが俺の胸倉を掴みあげて、半ば脅すような台詞を続けて吐いてくる。
「なんで旗なんか壊さなきゃならないんだよ。それにフってねーって言ってるだろ。俺がお前フるとか有り得ないしな。俺のお前への愛を舐めてんじゃねーぞ」
 何かズレてると思うんだけど、君の発言。そういう自覚ないところが《フラグクラッシャー》なんだと思うぞ。
 大体さぁ……
「そこ自慢するところなのかい……。ちょっと分かるだけに微妙な気分になるっていうか君ホント俺のこと好きすぎるよ」
「当然、自慢するところだろ」
 イギリスの俺への愛は、大きいのはいいけど凄く無駄だよね。盲目というか、ザルというか。自慢するのは、俺の愛をちゃんと誤解なく受け取ってからにして欲しい。
 俺がイギリスを好きだってことを、ちゃんと理解して。信じて。それから、イギリスがちゃんと俺を好きだってことも理解してからにして欲しいものだ。
「言っておくけど、もう《俺の天使》とかは要らないからね」
「なんでだよっ」
 念のために釘をさせば、さも心外そうに言って、掴んだままの胸倉をさらに持ち上げて締めようとしてくる。
 ちょっと、やめてくれよ。大体こんなことも分からないで、俺への愛なんて自慢できないぞ。
「決まってるだろ。そんなの――《俺の恋人》が正解だからに決まってるじゃないか」
 本当は、それだけでは――《恋人》だけでは足りないのだけれど。
 いまいち俺への恋愛感情を理解しきってない上、俺がイギリスを好きだということも理解出来てないみたいだし。まずはしっかり恋人という状況と言葉を覚え込ませないと、どうにもならない。
 そうやって《恋人》が馴染んできたら、また言ってあげればいいだろう。捨てきれないだろう君のその兄弟みたいな愛情も捨てる必要なんかないのだと。それだって、俺には必要なものなんだから、いいから君が持っている全部の愛情を、あるったけ俺に向けてればいいのだってことを。
「こ……」
 こちらの胸倉を掴んだ態勢で固まったイギリスの顔を半眼で見遣れば、再び顔が真っ赤に染まっていくところ。
 赤味と色づく範囲が広がるのに反比例して、掴みあげる力は抜けていくようだった。
 そうしてTシャツを掴んだままの両手がとすんと胸の辺りに落ちてきたところで、ぼそりとイギリスが口を開く。
「……ほんとに、いいのかよ」
「何が?」
 これだけ好きだとか恋人だとか生涯の伴侶だとか言わせておいて、いいも何もないと思うんだけど。イギリスはまだ納得仕切れていないのか不安なのか、躊躇う様子だった。
「俺、調子に乗るぞ」
「だろうね」
 俺の好意を信じない頑なさとネガティブさに反して、小さい頃の俺に対する愛情だとかは、隠さないし押しつけがましいし勘違いは多いし空回りばかりだし。それに浮かれてノリノリになったイギリスが性質悪いのは、本人も薄々子育て下手の自覚があるように、それから日本と友達になった時のように、割とロクなものじゃない。
 だけどそんなのは、今更だ。
「分かってんのかよ。俺、お前のこと好きなんだぜ?」
 それも、物凄く今更だよね。
「嫌になるくらい知ってるよ」
 だからこそ俺は、君に変に期待させられたりして色々と恥ずかしい思いだとか悔しい思いだとかをしたわけだし。
 それで次は一体、何を確認するのかと思えば――
「こいびと、とか言ったら……多分、抑え効かないからな」
 これだ。
 何を言ってるんだろう、この人は。そんなの、俺の方が効かないに決まってるじゃないか。
 恋人になりたいと思っていた時間と強さで言ったら、俺の方が圧倒的に上になんだから。
 それに、今日のイギリスとの遣り取りから察するに――イギリスが変に抑えようとすると、絶対に変な方向に突っ走って良く分からないことになると断言できるぞ、俺は。
「望むところだね」
 そもそも、あれだけ止めろと言われているのに酒を止められない君に。あれだけ昔の話はやめてくれと言っても止められなかった君に、自重が出来るとは思ってないよ、最初から。
 揺るがない自信と共に笑みを浮かべて言い切れば、イギリスの口から続く確認は出てこなかった。
 納得出来たのかな? どっちしろ、もう待つ気はないけど。
 少なくとも、俺がイギリスを好きだってことは、ようやく理解してくれたって思っていいんだよね。
「だからさ、そろそろ観念して『好きだ』って言いなよ。俺まだ言われてないんだぞ」
 笑みのままに顔を寄せてもう一度強請っても、今度は否定の言葉が返ってきたりもしなければ、視線が下を向くこともない。
「仕方ねーなっ。別にお前に言われたからじゃねーぞ。俺が言いたくて言うだけだからな!」
 恥ずかしげにしながらも、真っ直ぐ視線を合わせて代わりに口にされるのは、お決まりのような台詞で。
 そうして、言葉通り仕方なくという顔をしようとして失敗した、綺麗とも可愛いとも言い難いヘンテコに緩んだ――けれども惚れた欲目なのか、どうしてだか可愛らしく見える笑みを浮かべて、イギリスはようやく俺に告げたのだった。

「お前が好きだ、アメリカ」

 小さな俺へ向けたものでもなく、それを捨て去ったのでもない。
 ずっとずっと、俺が待ち望んでいた言葉を――。




『こんばんは、アメリカさん』
 日本から俺の携帯に電話が掛かってきたのは、こちらの時間で午後二十二時になろうかという頃。
 出来れば出たくなかったけれど、後で掛かり直してくるよりはと、ひとつ溜息をついた後で通話ボタンを押した。
「そこを気にするなら、週末の夜に電話なんか掛けてこないで欲しいんだぞ、日本」
 声量を抑えてはいるけれど、つい言葉と口調がきつくなってしまうのは仕方がないと思う。だって、日本がこうして電話を掛けてくるのは一度や二度じゃないのだ。
『申し訳ございません。最近は年のせいか、時差の感覚が覚束なくなりまして。こちらは昼間なのですが、夜だったのですね』
 時差が覚束ない人が毎度毎度、週末の夜に限ってきっちりと電話をしてこられるとは思えないけどね。大体、それなら電話の第一声が『こんばんは』なのはおかしいだろう。

 イギリスとようやく想いが通じて、目出度く恋人同士になれた日から二ヶ月近くが経っていた。
 互いに長めの休みをもぎ取ってしまった後だったことや、元々それなりに忙しい立場だったこと、それから俺とイギリスの家が離れていることもあって、二人で過ごせた時間はそれ程多くない。
 だというのに、だ。イギリスとゆっくり過ごせることになった週末の夜――しかもご丁寧に、ちゃんとイギリスが俺の家に来た日の夜か、逆に俺がイギリスの家に行った日の夜に、何故だか毎回、日本から電話が掛かってくるのである。
 夜と言ったって、日本の家での夜じゃない。どちらの場合も、きっちりと現地時間での夜だ。更に言うのなら、何らかの都合があって互いに会えない週末の夜には掛かってこないのだから、日本の電話を俺が警戒するのは仕方がないと思う。
 あれだけ俺のことを焚きつけるような真似をして、俺とイギリスの幸せを祈ってるなんて言っていたくせに、何のつもりなんだろうか。出来れば問い詰めてみたいけれど、かつての写真のことを思うと恐ろしい気もして、未だに聞けずにいた。
「それで、何か用かい? 特にないなら切るよ」
 冷たく宣言すれば、携帯電話の向こうからは、ころころと笑う声。
『おや、つれないですね。……あぁ、もしかしてイギリスさんがいらっしゃっておられるんですか?』
 ……今一瞬、メキって携帯電話が言ったんだぞ。しまった、つい力を入れて握ってしまったじゃないか。
 もしかしても何も、君がこうやって電話を掛けてくる時は、いつもイギリスと会ってる時じゃないか。しかも大抵、イギリスがシャワー浴びに行ってる時だったり、キッチンを片づけに行ってる時だったり、俺の傍にイギリスがいない隙を狙ったかのように掛かってくるのだ。一体どんな忍術を使っているんだい。
「その通りだよ。イギリスが来てるんだ。一人にしてたら可哀想だからね。あまり長電話は出来ないんだぞ!」
 念の為に釘をさしておくけれど、日本も心得ているのか、いつも通話時間はさして長くない。
 こうして掛けてきて、近況を聞いて。イギリスが今どうしているかを聞いて、それから――これを、聞いてくるのだ。
『そういえばアメリカさん。その後の首尾は、如何ですか?』
 何の首尾かと言えば、言うのも馬鹿らしんだけどさ。
 体を繋げたかどうか、なんだよ。ふざけたことにね!
 最初にこの件で愚痴と文句を言ったのは俺だったし、別に日常の性生活を聞かれてるわけじゃないけれど。所謂《はじめて》を迎えられたかどうかを毎回聞かれるのは、楽しいものじゃない。
「首尾も何も……。大体、元はといえば君のせいなんだからな!」
 しかも、なかなか上手くいかない原因の一端が日本にあるとなれば尚更だった。
 イギリスにようやく想いが通じたあの日。
 俺はイギリスと一緒に直ぐさま帰ろうと思っていたんだ。
 だけどイギリスは世話になった日本に挨拶せずには帰れないとか言うし。なら俺も待つと言えば、話がややこしくならからそれもダメだと却下されてさ。
「ようやく恋人になれた君と、なんで離れないといけないんだい!」
 って、納得いかなくて絶対に動いてやるものかと抗議したら、
「後で俺も行くから、どっかホテルとって先にそこ行って待ってろ」
 イギリスが困ったような顔を作りながらも、少しだけ嬉しそうにそう言うから。
 それならとイギリスの言う通りにしたっていうのに。どうやら全く何も考えずに――というか、俺を先に帰すことだけ考えて言ったらしいから、酷い話だ。
 二人で居たいって訴えの後にあんなこと言われたら、そういうつもりなんだって思うだろう?
 なのにイギリスはなかなか帰って来ないし。やっと来たと思ったら日本の家で夕飯食べてきたって暢気に言うしさ。
 その後も一緒に寝ようよって言って脱がそうとしたら盛大に抵抗されるわ説教されるわ怒られるわ泣かれるわで、大変だったんだぞ。
 別に、拒否の理由が「心の準備が出来てないから」とか可愛らしいものだったなら俺だって何も言わないぞ。子供じゃないんだから、優しく寛大な恋人として、そこは引くさ。
 だけど……
「つーか、日本に聞いたぞ! お前なに勝手に人を嫁とか決めてんだよっ。俺は納得してねーぞ。大体、日本にまで言うとか、ふざけんなよバカァ! すっげー恥ずかしかったんだかんなっ」
 これだよ。日本に勝手にバラしたことで怒られるし、俺が嫁だって言ったことも怒られたし。
「いいか、アメリカ。俺達は男同士だ。だからセックスするにあたっては確かにどちらかが突っ込まれる側に回るわけだが、こういったものはあくまでも平等にだな……」
 挙げ句の果てに、もの凄く不穏なことを言いだす始末。
「俺、突っ込まれるのなんてイヤだぞ」
 独立後にあれは勘違いだ過ちだ、ないない有り得ない、と何度も否定しようとしたとはいえ、イギリスが俺に本国で流行りの子供用のスーツとか着せてデレデレ嬉しそうにしている頃から、俺はイギリスを抱くんだって決めてたんだから、絶対にここは譲れない。
 そう思って間髪入れずに言えば
「あっさり勝手なこと言ってんじゃねぇよバカァ! せめて少しは悩めよ考えろよっ。俺のこと好きならちったぁ我慢しやがれ!」
 涙目で怒鳴られて胸倉掴まれて揺さぶられるし。
「イヤだよ。君こそ俺のこと好きなら我慢しなよ。俺の方が体格いいし、その方が自然だろ」
「それを言うなら俺の方が年上なんだから、お前が突っ込まれる方が自然だろーが」
「確かに君の方がおっさんだものな! うん、だから無理せず俺に突っ込まれればいいと思うんだぞ☆ そもそも君、俺のこと抱え上げられないしね」
「おっさん言うな!? つうか貧弱で悪かったなゴルァ!」
 ……って具合に、結局いつもみたいな喧嘩になって、その日は二人とも別々のベットで寝るはめになったわけさ。
 そしてその争いは、今も続いている。
 別に喧嘩をしてるわけじゃない。
 普段はそれなりに恋人同士らしく過ごせていると思うし、軽いキスも深いキスも自然と交わす。
 けれどその先になると――いきなり喧嘩越しというか、互いに隙を狙いあうことになってしまって。結局のところ、俺は未だにイギリスを抱けていないのだった。
 それもこれも、俺が《嫁》って言ったことを日本がイギリスに教えちゃったのが悪いんだぞ!
 いや。俺だって、うっかり口走ってしまった自分が悪かったんだってちゃんと反省したんだ。次の日に電話で八つ当たりして文句を言ってしまったけれど、その時は日本に悪気なんてなかったんだって思っていたしね。
 けれど、こうして俺がイギリスと会うタイミングを見計らって電話を掛けてくること。
 いくらそのことを愚痴って教えてしまったのが俺で、日本がその件で俺達を心配してくれているんだとしても、毎回電話で《ことの首尾》を聞いてくること。
 それから――
『その荒れようですと、まだ……というわけですか。お二人は恋人になられてもツンデレぶりが健在なようで何よりです』
 という電話での反応を考えると、それさえもわざとだったんじゃないかと俺が疑うのも、仕方ないと思わないかい?
 日本が《嫁》云々をイギリスに言わなくても、イギリスのことだからやっぱり大人しく抱かれる側で納得してくれなかっただろうとも思うけどさ。
 あれがなければ最初に喧嘩までしなかっただろうし、元々は俺のお願いに馬鹿みたいに甘いイギリスが、ここまで意固地になることもなかったと思う。
「俺からしたら、全然嬉しくないんだぞ!」
 何故だか満足げな日本にボヤきながら壁にかかった時計に視線をむければ、そろそろイギリスがシャワーから戻ってくる頃だ。
 時は週末の夜。泊まることを前提でシャワーを浴びにいった恋人を待つという状況は、本来ならもうちょっと心躍るものだと思うんだけれど。
 肝心の恋人がシャワールームへ行く前に見せたのは、不敵な笑みを浮かべて拳を打ち鳴らしている姿で。
 ――明らかに別の意味での臨戦態勢整えてるよね、君。
 と言いたくなる様子を思い出せば、どちらかというとゲンナリした気分が勝つ。
 今日も争う気満々なんだろうなぁ……。
 この勝負を譲るつもりは絶対にないし、純粋な力勝負なら俺が圧倒的に有利だから負ける気もしない。
 ただ――だからといって力づくで無理矢理というのは、ヒーローとしても恋人としても有り得ないから大却下だし、出来れば平和的に進めたいのだけれども。
 紳士を自称しながら卑怯な技や姑息な手も得意で大好きという困った性質を持つ恋人の油断ならなさを考えると――前途は、とてつもなく多難そうだった。
 まさか恋人になった後に、こんな試練が待っているとは思わなかったんだぞ。
 楽しい筈なのに溜息をつきたくなるこの先を思い、俺はありったけの恨みと八つ当たりをこめて――
「恨むぞ、日本」
 携帯電話の向こうへと、そう言葉を投げたのだった。



畳む

#米英 #○○育成計画

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ヘタリア

天使育成計画
▽内容:ゲームを理由にアメリカに訪問を断られたイギリスは、その魅力を知るためにゲームに挑戦してみることを決意する。そこで詳しそうな日本を頼ったのだが、差し出されたのは『アメリカを育成するゲーム』で…
                         






「あー、日本。それで話ってのはだな」
『はい』
「実は……その、俺もお前んちのテレビゲームってやつを、やってみようかと思ってな」
『え?』

 それはほんの気まぐれのようなものだった。
 たまたま、まとまって暇な時間が出来そうで。
 いつものように刺繍をしたり庭をいじったり妖精達と穏やかに過ごすのも良いけれど、せっかくだから遊びに来ないかとアメリカに電話をかけたのが始まりと言えば始まりで。
『へぇ。珍しいな、君がそんなこと言ってくるなんて』
「たまたまだ、たまたま! お前なら暇だろうし迷惑かけても気にならないしな。別にお前とどうしても遊びたいってわけじゃねーんだからな!」
 珍しいと指摘されて、ついいつものように意地を張った言葉を零してしまったが、即座に断られなかったこともあって少しは期待できるだろうか。と、思ったのだが……
『HAHAHAHAHA、君が泣いて頼み込んできたってお断りだぞ☆』
 朗らかに、切って捨てられた。
「な、別に泣いて頼んだりしねーよ! もういい、お前なんか誰が誘うかこのアホメタボリカ!」
『相変わらず失礼だな君は。俺は今、日本からもらったゲームで忙しいんだ。用がそれだけなら切るぞ!』
 しかも理由が、《ゲームで忙しいから》。
 前々から約束をしていたわけでもない。たまたま空いた予定を埋める為の誘いだったのだから、それほどショックを受けることではない。
 何度か自分に言い聞かせてみたが、悔しいような腹立たしいような寂しいような気持ちが沸き上がってくるのは止めようもなかった。
『イギリスも幻覚とばかり遊んでないで、たまにはゲームでもしてみればいいんだぞ!』
 脳天気なアメリカの声に苛立ち、胸中で何度となく(実際口にも8割くらいは出ていたが)罵りと文句と小言と呪いを吐きながら、受話器を叩き付けるようにして電話をきった。
 バカヤロー。今まさにゲームが嫌いになったぜ!
 受話器を切っても憤りは収まらず、全てをスコーン作りにぶつけることにした。
 結果、いつもより硬くてもそもそした食感になってしまったものの、少しばかり落ち着いた俺は、スコーンを茶請けに紅茶を飲みながら、改めて休暇をどう過ごすかを考え始めた。
 自慢ではないが、正直に言って俺には気軽に遊びに誘える友達など殆どいない。
 仲が良いどころかハッキリ悪いと言うことが出来るが、その分だけなんの遠慮もいらないフランス。
 気軽になんて誘えたものではないが、まだなんとかたまに勇気を出して声をかけるアメリカ。
 あとは、気を遣ってくれすぎるから、迷惑なんじゃないかと思ってなかなか誘えない日本。
 交友関係なんて、そんなもんだ。
 べ、別に寂しいなんて思ってないんだからな!?
 アメリカへのムカつきをフランスを殴って解消してもいいが、それはそれで別のストレスが溜まりそうだしな。
 アメリカには一刀両断で断られたし。
 となると、残るは日本だけだ。
 日本と過ごせるなら、それは俺にとってはとても楽しく有り難いことで。
 正直、アメリカやフランスと過ごすよりもよっぽど安らげる。
 あの二人だとストレスが溜まるが、日本と過ごしていてストレスが溜まることは殆どない。
 ただ、あの物静かで穏やかな友人が、誘いに対してきっぱりと断りづらい性格をしていることを知ってるだけに、本当は迷惑なんじゃ……と思うとなかなか誘えないだけで。
 そういえば、さっきアメリカが日本のゲームをやってる、って言ってたか。
 日本はゲームや漫画が得意らしく、最近では色々な国で流行っている。俺はあまり興味がなかったから詳しくないが、アメリカやフランス辺りが好きらしく、話している姿はよく見かける。
 ゲーム、ゲームね。
 昔からあるチェスやカードの室内遊戯や、うちに馴染みのあるスポーツなんかは嗜むが、テレビゲームやPCゲームといったものはさっぱりだ。
 興味もなかったから、まぁいいかと思ってたが……。
 考えてみたらアメリカも日本もフランスも、最近じゃ会うとその辺りの話題が多くてついていけないことも多い。
「ふむ……」
 断りの理由にされたゲームに恨みがないわけでもないし、まるでアメリカに言われたからのようで癪ではあるが……そんなに面白いというのなら、ちょっとやってみるのもいいかもしれないな。
 どうせ暫くは暇なんだ。
 たまには《いつも通りの休日》とは違ったものを凄そうと思ったのが発端だし。
 やってみるか。

 決心した俺は、そのまま日本に電話をして―――今に至るというわけだ。
「や、やっぱり俺がゲームなんておかしいか……?」
 自分でもらしくないなと思っているので、日本の問い返すような声に不安になる。
 だが、すぐに日本は優しい声で否定を返してくれた。
『いえいえ、とんでもありません。少し意外でしたが、興味を持っていただけて嬉しいです』
 その声は本当に嬉しそうで、俺の緊張もほぐれる。
 ああ、やっぱり日本と話していると落ち着くな。
「そうか。だが恥ずかしい話、全く分からなくてな。何を買って、何をやったらいいものか……。その辺りを聞かせて貰えるか?」
 受話器の向こうへと問いかけると、声でなく日本が考え込む様子が伝わってきた。
 さすがに図々しすぎただろうか……。
 もう少し自分で調べてからにするべきだったか。
 そう思って慌てかけた俺だったのだが。
『イギリスさん、しばらくはお休みだとおっしゃいましたよね?』
 まだ考えこんでいる様子を残した日本の声に、言いかけた謝罪を慌てて喉の奥に戻す。
「あ、ああ。久々に10日ほどは何もないんだ」
 予定を告げると、日本の声が明らかに変わる。
 よりハッキリ、嬉しげな声へと。
『それは良かった。あの、イギリスさん。もしご迷惑でなければ……私の家へ、いらっしゃいませんか?』
「え?」
 それは思いも掛けない誘いだった。
 1人で過ごすしかないと思い、その為にゲームでもやってみようかと思って日本に電話をかけたのだから。
「けど、いいのか? お前に迷惑じゃ……」
『遠慮なさらないでください。私も大きな仕事が終わったところで、お休みなんです。うちにはゲーム機もソフトもたくさんありますから、イギリスさんに実際に見て選んでいただくこともできますし。それに最初は色々と戸惑われると思うので、僭越ながらお手伝いさせていただけたら、と思いまして』
 じーん……。と、思わず感動してしまう。
 日本の家で日本と過ごせるだけでなく、俺が全く分からないというゲームについても教えてくれるなんて。
 あーあ、アメリカに日本の5%でもこの優しさがあればな……。
「本当か? 助かる。迷惑じゃなければ、ぜひ頼みたい」
『はい。お任せください』
 電話から聞こえる日本の声は嬉しそうで楽しそうで。
 俺が行くことを心から喜んでくれているような気がして、俺も嬉しくなる。
「休暇に入ったら、すぐにそっちに行かせてもらう。また詳しい予定が分かったら連絡するな」
『はい。お待ちしてます。イギリスさんをお招きするのも、久々ですからね。私も楽しみです』
「ああ、俺も楽しみだ。じゃあ、またな日本」
『はい。では、また』
 アメリカの電話とは真逆に幸せな気分で電話をきった俺は、休暇を日本で過ごす為の準備に早速とりかかった。
 




 待ちに待った休暇の日。
 俺は早速、日本の家を訪れていた。
 日本の家に行くことが決まってから、毎日なんとなくそわそわと浮き立って落ち着かなかったが、遂にこの日が来たのだ。
 友人との約束を待ちわびて過ごすというのは、なんていうか……いいものだな。
 こんな浮き立つような気持ちで待つ予定なんて、普段はなかなか持てない俺には、この日を待つ間も楽しくて仕方がなかった。
 思い切って日本に電話をかけて良かっと思う。
 でなければ今頃、アメリカに誘いを断られたことに落ち込んで、鬱々と過ごしていたことだろう。
「遠いところ、ようこそお越しくださいました。さ、イギリスさん。どうぞ」
 日本の家の居間に通され、お茶を出される。
 普段あまり感情を露わにしない日本だが、周囲に花が舞う幻覚が見えそうなほど浮き立っているのが分かって、俺もなんだかふわふわとした気持ちになった。
 約束をして、遊びに来て、それを歓迎されて。
 こういうのって、いいよなぁ……。
「すまないな、日本。あ、そうだ……これ、土産なんだが」
 日本が歓迎してくれている様子に感激しながら、俺は持ってきた紙袋を差し出す。
「これはどうも、お気遣い戴きまして申し訳ありません。ありがとうございます」
 深々とお辞儀をして受け取ってくれた日本が、紙袋の中を覗きこみながら緩く首を傾げた。
「これは、紅茶ですか?」
「ああ。俺の一番のお勧めを持ってきたんだ。キッチンを貸して貰えれば、後で俺が淹れてやるよ」
 日本が出してくれる緑茶も独特の香りと苦みがあって美味いが、長期間となると紅茶が欲しくなる。
 自分が飲む用と、その後に日本が気に入って飲んでくれればいいなと思って、もう1箱買ってきたのだ。
「それは楽しみです。イギリスさんの淹れてくださる紅茶は、格別ですから。自分でも同じように淹れてるつもりなのですが……なかなかどうして、上手くいきませんで」
「慣れもあるさ。教えてやるから、後で一緒にやってみるか?」
「はい、ぜひ。……と、これは……?」
 柔らかく微笑んで紅茶の箱を炬燵の上に並べていた日本が、一緒に紙袋に入っていたものに気づいたらしい。
 包みを取り出して、それも同じように炬燵の上に並べられた。
「ああ。せっかくだからな、スコーンを焼いてきたんだ。流石に時間が経っちまったが、軽く温めればいいかと思ってな」
 照れながらそう言った俺だったのだが……
「あ……そうですか。……わざわざすみません。ありがとうございます」
 な、何故だろう……日本の笑顔が先程よりも引きつっているように見えるのは気のせいだろうか。
「後で、戴きますね。……そうそう。近所の子供が外国のお菓子を食べてみたいと言ってましたし、その子にもお裾分けをさせて戴いても良いでしょうか。せっかくイギリスさんが作ってきて下さったんですから、私一人で戴くのも申し訳ないですし。たくさんあるようですから、ぜひ他の方にもお裾分けさせていただきたいです」
 微妙に引きつったように見えるが、日本は普段から柔和な笑みを浮かべていることが多いので、どこがどう違うかが俺には良く分からない。
 珍しく一息につらつらと語られる言葉に多少面くらいはしたが、俺の菓子を他の人にも食べさせてやりたい、と言われるのは嬉しかった。
「ああ、勿論だ。いくらでも持ってってくれ」
 快く頷くと、日本もほっとした様子で笑みが自然なものへと変わる。
「ありがとうございます」
「はは、そんなに喜んで貰えるなら、もっと作ってくれば良かったな。次に遊びに来る時は、その倍は持ってくるとするか!」
「あ。……いえ、その、充分ですので、どうかお気遣いなく……」
 恐縮した様子で言う日本に、俺は笑って遠慮するなと言ってやった。
 何しろ日本は遠慮深いからな。言葉を額面通りに受け取らず、その分も推し量ってやらなけりゃ。
 俺はアメリカと違って空気が読める男だ。
 よし、やはり次はもっとたくさんスコーンを焼いてこよう。
 そう決意していると、日本は曖昧に微笑んだまま「お茶のお代わりをお持ちしますね」と言って、キッチンへと戻っていった。
 紅茶の箱とスコーンを持って行って、代わりに緑茶の入った急須と、茶請けの煎餅を持ってきてくれる。
「イギリスさんのお口に合うか分かりませんが……緑茶には、とても合うんですよ」
 確かに緑茶にスコーンというのは、あまり合わないかもしれない。
 紅茶を後で淹れることになっているし、スコーンはその時でいいだろう。
 日本のせっかくの心遣いということもあり、俺は有り難く煎餅と緑茶を貰うことにした。






「さぁ、それではイギリスさん。参りましょうか!」
 お茶を飲み煎餅を食べながら、俺と日本はゆっくりと近況などを語り合っていたのだが……。
 ひとしきり話した後に訪れた、嫌ではない沈黙を日本が唐突に破る。
「え。参るって、どこへだ?」
 思わず問い返せば、日本は意外そうな顔をして、炬燵を挟んだ向こう側からズイとこちらに身を乗り出してくる。
「どこへ、というわけではないのですが。イギリスさん、今日はゲームをしにいらっしゃったのでしょう?」
「あ」
 しまった。そういえばそうだった。
 日本の家に招かれて、休暇を日本で過ごせるということに浮かれ、当初の目的をすっかりと忘れてしまっていたようだ。
「あー……だが、別に無理には……」
 元々、休日の暇潰しに何かをと思ったのが発端だったからな。
 日本と過ごせるのであれば、あえてゲームをする必要もないのだが……
「何を仰るんですか。ゲームをしないイギリスさんが、遂に私の家のゲームに興味を持って下さったんです。この機会を逃すわけにはいきません。是が非でもやっていただきます!」
 日本が拳を握りしめて力説するので、ついつられて「わ、わかった」と頷いてしまった。
 元から日本やアメリカが好むようなテレビゲームは馴染みがないし興味もないのだが、それを口実に日本に来たんだもんな。
 日本も張り切っているし……。よし、当初の目的通り、挑戦してみるか。
「実はですね、こんなこともあろうかと私の家で密かに開発を進めていたゲームがありまして。ぜひともイギリスさんにプレイしていただきたかったんです」
 はにかむような笑みを浮かべながら、日本はせっせとゲームの準備を始める。
 俺には何がなんだかさっぱりだが、テレビやゲーム機にコードを繋いだり、細々と動いていた。
「俺に? 一体どんなゲームなんだ?」
「ふふ……それはプレイしてからのお楽しみです」
 意味ありげな日本の言葉と笑みに首を傾げるが、そもそもテレビゲームというものにどんなゲームがあるかも分かっていない俺に、想像などつく筈もない。
 ゲーム機自体も持っていないし、どれがどの機種だとかいうことすらさっぱりなのだ。
「ゲームに不慣れな方には、本当は簡単なアクションゲームやパズルゲームが良いのでしょうが……。すみません、どうしてもイギリスさんに遊んでいただきたくて。少し戸惑うかもしれませんが、私も横でお教えしますので、試しにやってみていただけますか?」
 セッティングが終わったのか、日本がコントローラーらしきものを俺へと差しだしながら遠慮がちに微笑む。
 炬燵の上にはテレビへとコードの伸びた長方形の機体。
 コントローラーと機体は無線なのか、こちらにはコードが伸びていない。
 思った以上に軽いそれを受け取りながら、俺は当然だと頷いた。
「ああ。ゲームについては全く分かってないからな。どちらにしろ日本に1から教わらなきゃいけないんだし。それに、日本のお勧めなら間違いなく楽しめるだろから、有り難く遊ばせてもらうよ」
「そう言っていただけると助かります。では、始めましょうか」
 安堵したように笑んだ日本は、ゲーム機本体らしきもののスイッチを入れると、先程までのような向かい側ではなく、俺の隣へと座り直す。
 その位置がまた親しい友人のようで新鮮で。そんな些細なことに幸せを噛みしめながら、何かの映像を映し始めたテレビ画面に目をむけた。

 映画のように、まずはゲーム機のメーカーを示すのだろうロゴ、関連する企業のロゴなどが一通り流れてくる。
 そこで画面は一度真っ黒になり……耳に心地良い音楽が流れ出すと同時、画面に色彩が溢れた。
 色とりどりの花が音楽に合わせてくるくると回りながら画面を流れ、暗かった画面を色と光で塗り替えていく。
 花に導かれた虹が空へかかると、画面は真っ青な青空を映し、それからカメラが下がって今度は緑に溢れた地上を映した。
 風にたなびく草原。抜けるような青空。画面を彩る光と音。
 走るように画面は進み、草原を駆け抜け―――やがて、そこで光に出会う。
 視界が止まる。
 草原には変わらず穏やかな風が吹き、青空はどこまでも爽やかに青く。
 そんな中、小さな小さな光が、草原の真ん中に浮かんでいた。
 誰かの手が伸びる。
 そっと大切なものを扱うように、光を掌に上にのせ―――光が、弾けた。
 画面が一瞬で光に覆われ、何も見えなくなる。
 僅かの時をおき、徐々に光りから現れるのは、ひとつのシルエット。
 小さな小さな子供の影。
 誰かの手は、その子供に伸ばされ。
 小さな子供の手もまた、誰かの手に向けて伸ばされた。
 二つの大きさの違う手が―――触れあう。
 瞬間。
 逆光によるシルエットだけだった子供に、色彩が戻った。
 邪気なく、幸福な、嬉しそうな満面の笑みを浮かべて手を伸ばす子供。

「え……」

 その子供に、俺は見覚えがあった。
 見覚えがあるどころじゃなく、あった。

「しっ……。イギリスさん、とりあえずオープニングを全て見てください」

 思わず零れた声に、日本から注意が入る。
 いや、だって、でもコレ……。
 それどころじゃないと思ったが、かと言って俺は画面から目を離すことも出来なかった。

 小さな子供は誰かの手の中へと飛び込み、誰かの手は子供をしっかりと抱きしめる。
 嬉しそうにはしゃぐ子供。
 口元までしか映らぬ誰かも、同じように幸せそうに笑った。
 画面は切り替わり、様々な子供の姿が映し出されていく。
 難しい顔をして勉強をしている子供。 
 笑いながら荒野をかけて行く子供。
 鹿爪らしい顔をして、ナイフとフォークを必死に操ろうとしている子供。
 恐らくあまり上手くないだろうバイオリンを得意げに弾いている子供。
 川に浸かり、水を跳ね上げて楽しげに遊ぶ子供。
 船に向けて走り出す子供。
 誰かの乗る船を見上げ、泣きそうに顔を歪ませる子供。
 誰かの名を呼ぶように大きく口を開けて何かを叫び、涙をこぼす子供。
 そしてまた画面は変わり、今度は《誰か》を映し出す。
 あまりにも馴染みのある風景。室内の意匠。
 王宮。
 《誰か》をとりまく人々。
 その中には、見知った奴も多く混ざっていた。
 幾人かの顔が流れるように映っていき、そして再び画面は荒野へ。
 《誰か》が走っている。
 愛しい存在へ向けて、ひたすらに。
 光溢れる草原。最初に子供と出会った場所へ駆けていけば、そこには―――《誰か》の愛する子供が居た。
 喜びに溢れた笑顔で《誰か》を迎える子供はしかし、先程までよりだいぶ大きくなっている。
 それでも変わらずに、《誰か》の胸へと飛び込み、抱きついていく。
 《誰か》との幾つかのシーン。
 仲の良さを表すようなものもあれば、稀に反発しているのだろう場面もあった。
 子供も徐々に成長した姿へと変わっていく。
 何かを暗示するように、画面はセピア色になりくるくるとマスケット銃が画面の上で回転し、《誰か》と子供の想い出が見えなくなっていった。
 シルエットだけの旗が2本、画面中央で翻る。
 そこに交差するのは、2本のマスケット銃。
 セピアの画面は薄くなり、重なるようにして子供の姿が成長段階を追って素早くいくつも表示される頃には音楽もクライマックスを迎え―――
 再び最初の草原へ。
 遠くに見える、《誰か》と子供のシルエット。
 花が舞い、虹がかかり―――そして画面は二人を越して空を映した。
 大陽の光に画面が全て白くなったかと思うと、光に染まった画面に文字が徐々に描き出されていく。
 そして全ての文字が描かれると、強調するように文字の輪郭が浮き上がり、背景が白から鮮やかな青と赤に彩られ―――音楽が綺麗に終わりを迎える。

 画面に記された文字は

 ――― 『ANGEL MAKER』 ―――
 
 だった。
 
 その後、ゆっくりと画面には『NEW GAME』、『COUNTINUE』、『OPTION』などの文字が出てきたが、それらを気にしている余裕はなかった。
 画面に映ったものに、激しい動揺を隠せない。
 音楽は重厚なオーケストラで彩られ、素晴らしかった。
 画像も美しかったと思う。
 だが、それどころじゃない。そういう問題じゃない。
「日本……これ……これって……どういうことだ!?」
「……あ。その、駄目、でしたか?」
 かつての大英帝国がなんて様だと己を叱咤しても、この動揺を隠しきることは難しい。
 画面から目を離せず、わななく口をなんとか動かして伝えた問いは随分と不確かなものだったが、日本には通じたようだ。
「駄目とか、そういう問題じゃなくて、だな……」
「ええ。その……すみません。実はこれ……。その……ご覧になった通り、ええと……はい。『アメリカさん育成ゲーム』、なんです」
 は?

 アメリカ
 いくせい
 ゲーム?

 日本が口にした言葉を飲み込むのに、数秒を要した。
 そう、確かに。
 あのムービーに映った子供は、多少アニメ風CGとしてデフォルメされてはいるが、間違いなくアメリカだ。
 それもまだ小さい、初めて出会った頃のアメリカだった。
 その後に出てきた成長した姿も、見覚えがある。
 当たり前だ。アメリカは俺が育てたのだから。
 恐らくはプレイヤーを示すのだろう、顔の映らない《誰か》。顔は映らないから分からないが、彼の生活様式や服なども見覚えがありすぎる。
 あれは、アメリカと出会った頃のイングランドのものだろう。
 つまりは俺だ。
「日本。なんでこれを……俺に……?」
「ええと……試作品、ですので。その完成度をイギリスさんに確認して貰えたらなーと、思いまして」
 辿々しく日本が説明してくれる。
 まぁ、確かにアメリカ育成ゲームといって、実際に小さい頃のアメリカを模して作ろうというのなら俺に確認を求めるのはあり得る話だ。
 ただ……なんでそんなゲームを作ろうとしたかが分からないが。
「ゲーム初心者のイギリスさんに、こんなコアなゲームをプレイしていただくのも気が引けるのですが……。やはり小さい頃のアメリカさんを一番良くご存知なのはイギリスさんですし。自分でもなかなか良く出来たと思ってるので、試しにプレイしていただけたら……嬉しいのですけれど」
 困ったように、そして悲しそうに言われてしまうと、俺としても断りづらい。
 実際、ムービーのアメリカは良く出来ていた。
 幸せそうに《誰か》に抱きついてくる姿など、昔を思い出して感動し、うっかり涙が出るところだった。
 アメリカ育成ゲーム。
 正直、興味がないわけじゃない。
 実を言うと、すごく気になる。気になるんだが。
 出来が良すぎるのも問題だな……。
 あまりにもアメリカに似すぎていて、余計なことを思い出してしまいそうで、それが怖い。
 さすが日本だ。まさかゲームでここまで再現するとは思わなかった。
「やはり、無理でしょうか……?」
 隣に座る日本の手が、そっとコントローラーを持ったままの俺の手に重なる。
 驚いてそちらを向けば、悲しそうながらに真剣な顔をした日本がじっとこちらを見つめていた。
「イギリスさんの申し出にかこつけて、ご無理をお願いしているのは承知しております。ですが、どうか……プレイしてみていただけないでしょうか。お願いします」
「日本……」
 いつも真面目な日本ではあるが、ここまで真剣に必死な姿を見るのは久しぶりだった。
 それも、向けられているのは俺一人なのだ。
 日本が、必死に俺にお願いをしてくれている……!
 その事実の前に、多少の躊躇いなど吹っ飛んだ。
 あと実際、このゲームは気になる。非常に気になる。
「分かった。俺に任せとけ、日本!」
「有り難うございます、イギリスさん!」
 何を任せろというのか自分でもその辺りは不明だったが、とにかく日本を安心させたくてそう言うと、日本はとても喜んでくれたようで、コントローラーを持つ俺の手ごと、ぎゅっと両手で握りしめてくれた。
「イギリスさんに喜んでいただく為、私の持てる技術の全てを注ぎ込んで、こんなこともあろうかと作り続けていた『ANGEL MAKER』―――。それをこうして、イギリスさん本人に遊んで頂ける日が来るとは、やはり長生きはするものですね」
「日本……そこまで俺のことを……」
 俺の為にゲームを作ってくれていたなんて、日本はなんて良い奴なんだろう。
 じーん……と、再び深い感動が心に染み入っていく。
「さぁ、ゲームを始めましょう、イギリスさん。アメリカさんを、思うがままに育成する為に……!」
「ああ、そうだな、日本!」
 二人手を取り合い、決意も新たにゲームに向き直る。
 日本に教わりながらコントローラーを操作し、俺はカーソルを『NEW GAME』の欄へとあてたのだった。





【貴方は、長い長い航海の果てに、遂に新大陸に辿り着きました。
 そこはまだ手つかずの厳しい自然が支配する大地でしたが、とてもつもない力を秘めていることに、貴方は気づきます。
 そして貴方は、その広大な大地で―――奇跡に出会いました】

 絵本風の背景と語りでプロローグが綴られる。
 オープニングにあったような草原を歩く《誰か》。
 
【何かに導かれるかのように貴方が進むと……草原に小さな小さな男の子が眠っていました】

『こんな何もないところに……』
 《誰か》が呟く。
 
【その時、貴方は、天からの声を聞いたのです】

『この子に導きを……』

【貴方は、この子を育てることを決めました。
 貴方が手をのばすと、男の子はそっと目を覚ましました】

『……きみは、だぁれ?』
 子供特有の舌っ足らずの高い声。
 寝ぼけているのか、目をこすりながらその子供は画面……つまりこちら側に向けて聞いてくる。

【さぁ、この子を導く第一歩として、貴方の名を教えてあげてください!】

 すると絵本風の画面が消え、装飾的な枠に囲まれた文字入力画面が表示される。
「名前つけなきゃいけないのか?」
 表示された画面に戸惑い、隣に座る日本を見ると、何故か日本は爛々と目を輝かせていた。
「ええ。ですがここやはり、実名プレイでしょう!」
 なんだかまた拳を握りしめている。
「ジツメイプレイ?」
 首を傾げていると、そのまま俺の名前を入力することだと教えられ、じゃあ……と入力を始める。
「けど、俺の名前長いぞ? 入るかな…」
 示された入力枠にはそれなりに長い名前が入るとは思うのだが、何しろ俺の名前は世界で一番長いのだ。
「the United Kingdom……」
「あ。いえ、すみません。さすがにそれは入らないと思いますので、申し訳ありませんが便宜上《イギリス》でお願いします」
「なるほど。わかった」
 正式名称を入力し始めたところで、日本からストップがかかった。
 それもそうか。さすがに名前欄に48文字はないよな。
 名前欄に《イギリス》と入力して、教わった通りにスタートボタンを押すと、再び画面が変わる。
 画面には、ちょうど出会ったばかりの頃の小さなアメリカがこちらを見上げていた。

『い、ぎ、り、す……?』
『わかった、いぎりす、だね! きみがボクのお兄ちゃん?』

 どういう方法を使ったのか分からないが、このゲーム。
 なんと当時のアメリカの声をかなり忠実に再現したフルボイスである。
「………っ!」
 今となっては決して聞けぬ懐かしい声に、思わず涙が浮かんできてしまって、咄嗟に顔を覆った。
「イギリスさん、しっかりしてください。まだプロローグですよ! ここから小さいアメリカさんとの、めくるめく同居が始まるんですから」
「あ、ああ……」
 日本が横で励ましてくれなければ、俺は一向にこの先に進めなかったかもしれない。

 なんだか覚えのありまくるやりとりがアメリカと《誰か》―――いや、もう名前がついたんだから《イギリス》だな―――の間で繰り広げられ、二人は共に暮らす家へと向かうことになる。
 その家まで、一体どこで見てきたんだというくらい、あの時の家を再現していて驚いた。
 疑問に思って日本に問うと、彼は照れたように笑って答えてくれた。
「苦労しました。フランスさんやスペインさん、勿論アメリカさんにもそれとなくインタビューを繰り返し、資料をひっくり返し、現地を見に行き……。イギリスさんは気づかれてませんでしたが、イギリスさんから聞いたお話も、勿論参考にさせていただいてます」
 よく分からないが……とりあえず、日本がもの凄い情熱と労力でもってこのゲームを作ったのだということは良く分かった。

【こうして、貴方と小さなアメリカとの生活は始まったのです。
 貴方はこれから、小さなアメリカを導いていかねばなりません】

 ゲームの中の《俺》は、アメリカをどうやって育てていくかを考え始める。
 すると執事兼秘書を名乗る男が現れ、この屋敷の中とアメリカへの教育についての説明をしてくれた。
 内容はどうやらゲーム的な進め方や用語の説明らしいが、ゲームに不慣れな俺にはサッパリ分からない。
 一通り執事の話を聞き終えると画面が作業的なものに変わったが、話も頭に入ってきていないのだ。
 どうしたらいいかなど、分かるわけもない。
「なんだか難しそうだが……。俺に出来るかな」
「大丈夫ですよ。私が説明しますから、ゆっくり進めていきましょう」
 どん、と胸を叩く真似をして、日本が請けおってくれるのが有り難い。
「いきなり画面が変わったが、これはどうすればいいんだ?」
「ここから暫くは、この画面が中心になってゲームが進んでいきます。これをシミュレーションパートと呼びます。名前は覚えなくても構いませんけどね。先程までの、絵と文章が中心となった画面を、アドベンチャーパートと呼んでいます」
 ゲームってのは、ずっと同じ画面でやっていくものばかりじゃないんだなぁ。
 俺はやったことないが、アメリカがやっているのをたまに見ていると、殆ど画面が変わらないので意外だ。
 レースゲームや格闘ゲーム、アクションゲームと呼ばれるものらしいが、そのせいだろうか。
「アドベンチャーパートは、先程のように台詞を読み終わったらボタンを押して読み進めていけばいいだけです。たまに選択肢が出てきますが、それも十字キーで選んでボタンを押して決定するだけですね」
 先程までの操作を思い出し、頷く。
「問題は、ここからです。操作としては、同じく十字キーで選んでボタンを押して決定、なのですが……。選ぶものが多いので。そうですね……いきなりステータスの話をしても難しいでしょうから、まずはこのゲームの概要や目的からお話ししましょう」
 日本の説明によると、こうだった。
 このゲームは、アメリカ育成ゲームである。
 ゲームは主にシミュレーションパートとアドベンチャーパートに分かれ、イベントと呼ばれる特殊なシーンではアドベンチャーパートで表現されるが、基本的にはシミュレーションパートがメイン。
 そしてシミュレーションパートは、さらに《新大陸モード》と《本国モード》により構成される。
「イギリスさんはアメリカさんのところに居ますから、今の画面が《新大陸モード》です。ここでは、アメリカさんを育成することが主な目的になります」
 画面の左に幾つかの項目が表示され、右端には執事だという男の姿が描かれている。
 中央には1月を示すカレンダーと、週間のスケジュール帳のようなものが表示されていた。
 まだ何の操作もしてないので、スケジュールは空である。
「アメリカさんを教育するには、まず家庭教師を雇います。すると教えられる項目が増えますので、それらをスケジュールに組み込むことで育成していく形になるんです。1日単位でスケジュールを決定し、1週間で1ターン。アメリカさんの体調を見て、体を壊さないように適度に休息を入れながら決めていきます」
「俺が教えるわけじゃないのか」
「えぇ。この主人公……《イギリス》さんは、ずっと新大陸に居るわけじゃありませんから。信頼出来る者を雇って、教育させるという形をとってます」
 確かに、それはそうだ。
 俺も過去、アメリカには出来る限りついていてやりたかったが、本国に戻ってる間は様々な家庭教師やメイドを雇ってアメリカを育てたものだった。
 あんな可愛くて素直だったアイツが、今では見る影もないのが悔しいが。
「家庭教師を雇ったり、アメリカさんと二人で出かけたり、プレゼントを買ったりするとお金が減りますが、《新大陸モード》では、お金を稼ぐ手段がないので気を付けてくださいね」
「金がなくなったら、どうなるんだ?」
「そこまでです。家庭教師は辞めてしまいますし、アメリカさんと出かけることも出来ません。さすがに餓えて死んだり……ということはありませんが、アメリカさんの育成を行えなくなるので、残金には注意してくださいね」
 金は、具体的な金銭の数字ではなく《財力》という大まかなくくりで管理される、ということを教わる。
「ステータス画面で、イギリスさんの現在の状態を見ることができますので、時折確認してください」
 試しに見てみたら、色々な項目があってめまいがする。
「全てを一度に覚える必要はありませんから。最初は《財力》だけ気にしておけば大丈夫ですよ」
 あからさまに頼りない顔をしたのだろうか。日本がそっと肩に手を置きながら励ましてくれた。
 そうだよな。こんな最初の方で躓いてちゃ話にならない。
「詳細はまた後でも説明しますが、先程も申し上げた通り、このゲームの主人公《イギリス》さんは、数ヶ月に一度《本国》へ帰らなくてはなりません。その間は、雇った家庭教師によって緩やかにアメリカさんが教育されていくことになりますが……《イギリス》さんからすれば、本国に帰ってからも戦いです」
 人差し指を立て、真剣な表情で日本が説明をしていく。
「《本国モード》では、アメリカさんではなくイギリスさん自身を鍛えるモードとなります」
「俺!?」
「ええ。こちらでは、イギリスさんのスケジュールを決めていきます。内政や外交を行って世情を安定させると同時に、新大陸でアメリカさんを教育する資金を稼ぎます。あとは新大陸へ持ち込む文化や情報などを入手したり、本国でしか雇えない有能な家庭教師を雇ったり……アメリカさんと会えない間も忙しいですよ」
「複雑そうだな……」
 日本がついていてくれるとはいえ、やるべきことの多さに再び不安になってくる。
 ほ、本当に俺にアメリカがもう一度育てられるんだろうか……。
 あの時はアメリカに俺が出来ることは何でもしてやりたいと思って、必死だったからなぁ。
「やっているうちに慣れますし、イギリスさんが普段している仕事から比べたら、ずっと簡単になってますから、安心してください」
「あぁ、頑張ってみるさ」
 そうだ。今はとんでもなく腹の立つ男になってしまったが、このゲームのアメリカは、まさに天使そのものだったあの時のアメリカだ。
 俺は未だにアメリカの為なら、大抵のことは出来ると思ってるしな。
 うん、アメリカがあの笑顔で「イギリス♪」と呼んでくれるなら、例え難しいゲームだろうか怯んでいられない。
「よし。最初は……ええと、家庭教師を雇うんだったよな?」
「はい。左側のメニューにある<雇用/解雇>を選んでください。現在雇用できる家庭教師が表示されますので……」
 ひとつひとつ日本の指示に従いながら、俺はアメリカを教育する為のスケジュールを埋め始めたのだった。




 日本の言う通り、慣れてくれば難しいものではなかった。
 週の始めに執事に促されてアメリカのスケジュールを決定する。
 その前に、まずは自分とアメリカのステータスの確認。
 俺の残り財力、アメリカのHP(ヒットポイントの略らしい)とSP(こっちはスピリットポイントの略なんだと)の残量を見て、スケジュールを調整。
 慣れてしまえば、単純なルーティンワークだ。
 日本が途中で「そのうち、シミュレーション部分は単なる作業だと思うようになりますよ」と言っていた意味が段々分かってくる。
 とは言え、ゲーム自体に不慣れな俺にとっては、まだまだ新鮮な作業だ。
「今のアメリカは……っと。ん。HPはあるがSPが少ないな。ちょっと勉強させ過ぎたか……」
 アメリカのステータスを確認しながら呟くと、日本も手にしていたノートパソコンから目を離してテレビ画面に向けてくる。
 日本は俺がプレイしているのをレポートしているらしい。
 今後の開発に活かすのだと言っていた。
 ただ遊ばせてもらって世話になってるのも気が引けていたので、少しでも役に立てていると思えるのは有り難い。
「そうですねぇ。序盤は特に上がりにくい《教養》《品位》《忠誠》の3つが結構上がっていますし。少し休ませてさしあげてはいかがでしょう。ただ鍛えるだけでは、美味しいイベントも発生しませんから」
 何しろ初めてなので、今のアメリカのパラメータが通常から比べてどうなのかが俺には判別つかないが、日本が言うのなら高い方なのだろう。
 このアメリカには、今のアメリカのようなガサツでKYな男にはなって欲しくなくて、《品位》や《教養》が得意な家庭教師を雇った甲斐があった。
 このまま順調に育てば、きっと思慮深くて優しい良い子に育つだろう。
 さすが俺のアメリカ!
 ステータス画面に映る、まだまだ小さな子供のアメリカを眺めながら俺は未来に想いを馳せて暫し悦に入る。
「よし。それじゃあ今週は少しゆっくりするか。月曜日に遊びに出かけて、火曜日に外出して、水曜を休みにして全快にしたら、木曜日に久々に運動と、金曜日は勉強、土曜日は遊んで、日曜にもう一回休息、だな」
 何度か繰り返して、各コマンドにおけるHPとSPの増減の感覚はつかんでいた。
 これで、特にアクシデントが怒らなければ来週頭にはアメリカも万全になってることだろう。
 執事にアメリカのスケジュールを通達すると、恭しく頭を下げて執事が画面から消える。
 そうして画面中央に表示されるのは、小さなアメリカのグラフィックだ。
 現在はSPが低いので、少しばかり気落ちしたような顔をしている。
「あぁ……ごめんな、アメリカ……! ついお前によかれと思って色々詰め込んじまって……」
 思わず画面に向けて謝ってしまう。
 それくらい、画面上のアメリカは俺の記憶の中のアメリカにそっくりなんだ。
 当然、声をかけたところで答えが返ってくるわけじゃないが、
『イギリス、こんしゅうはオレ、なにすればいいの?』
 と、小首を傾げて問われれば、それだけで舞い上がってしまう。
「今週はいっぱい遊ぼうな、アメリカ!」
 意気揚々と俺は決定ボタンを押し、スケジュールを実行する。
 イベントが起こらない時は、画面上ではアメリカをさらにデフォルメしたミニキャラが画面上を動き回り、各コマンドに対応した動きを見せてくれる。
 勉強なら机の前でうんうん唸っていたり、マナーならナイフとフォークを手に必死に肉を切っていたり……といったような。
 セレクトボタンでスキップが出来ると言われたが、こんな一生懸命で可愛いアメリカを見ないなんて、そんな勿体ないこと出来るわけがない。
 月曜日の予定は《遊ぶ》なので、小さなアメリカと顔の見えない《イギリス》は、画面上で走り回ってはしゃいでいる。
 俺はいつも通り、画面上を動きまわる小さなアメリカを見て笑み崩れていた。
 日本はそういう時はそっとしておいてくれる。
 アメリカのように、「君の顔、気持ち悪いんだぞ!」とか「なに1人でニヤニヤしてるんだい。変態なのもいい加減にしてくれよ」とか言ってきたりしないので、安心して画面に集中できるというものだ。
 と、日付変更の合図が表示され、火曜日になったところで画面に変化が起きた。
 ミニキャラが表示されずに、《アドベンチャーパート》というやつになったのだ。
「お。イベントか……!」
 ステータスが一定値を満たしたり、様々な条件が揃った時に《イベント》が起きるのだと日本が言っていた。
 大きめの《イベント》は、アドベンチャーパートで展開されるので、画面が切り替わるのは大きめのイベントの合図にもなる。
 今の曜日は火曜日だから、予定は《外出》か。
 そういえば、このコマンドはイベントが起きやすいと日本が言っていたっけ。
 イベントになると、アメリカのグラフィックが大きく表示されたり、特別な台詞が聞けたりするので思わず俺は身を前に乗り出して画面を見守った。
 メッセージを読み進める為の決定ボタンを押す手が、期待に震える。

『アメリカ、今日は外に出かけよう』
 画面の中の《イギリス》が小さなアメリカに告げると、画面に映ったアメリカの顔が嬉しさを滲ませた驚きの表情に変わる。
『ほんと!? わあい。ありがとう、イギリス! どこ? どこに行くの?』
 小さなアメリカは両手を握りしめて、興奮した様子で聞いてきた。
 久々の外出が余程嬉しいのだろう。
『そうだな、今日は……』
 《イギリス》の台詞がそこで途切れ、画面に現れるのは選択肢だ。
「出かける先を選べってことか」
 頷いて、示された選択肢を良く見る。

 ▼街で買い物する
 ▼馬車でピクニックへ出かける
 ▼近くの森へ探検に行く
 ▼港へ遊びに行く 

 この4つから選ぶのか。迷うな……。
 街でアメリカに何か買ってやるのもいいし、弁当を作ってやってピクニックというのも捨てがたい。
 森に行って妖精にアメリカを紹介するのもいいし、アメリカと遊びついでに港の様子を見に行くのも良さそうだ。実際、小さい頃のアメリカはよく港に来てたしな。好きなのかもしれない。
「うーん……」
 俺はかなり長いこと迷っていたが、ようやく決意した。
「よし、ピクニックに行こう、アメリカ!」
 意を決して決定ボタンを押すと、画面上のアメリカの顔が満面の笑みに変わる。
『やったあ! ピクニックだあ! はやくはやく、イギリス、はやく行こうよ!』
 買い物は大きくなってからでも出来るだろうが、この小さいアメリカとピクニックに行く機会は、ひょっとしたら巡ってこないかもしれないからな。
 大きくなったら、そんなもの行きたくないと言われてもおかしくないし。
 かつて育てていた本物の《アメリカ》を思い出し、少しばかり感傷的な気分になってしまったが、今はこっちの《アメリカ》だ。
 弁当とお茶を使用人から受け取って馬車へ乗り込むと(ゲームの中の俺が作るわけではなかったようで、そこはかなり残念だったが)アメリカは馬車の窓に張り付いて歓声をあげる。
 次から次へと移っていく景色が楽しいのだろう。
 見えるものを忙しなく報告してくれる内容はどれも些細なものだったけれど、嬉しそうにはしゃいでいる姿を見ていると、それだけで幸福な気持ちになれた。
「ああ、やっぱりお前は世界一可愛いぜアメリカ……!」
 だが、可愛い可愛いアメリカを堪能して幸せに浸っていた俺を、このイベントはつき落としてくれたのだった。
 広々とした草原につき、絨毯を広げて弁当と紅茶を用意していた俺とアメリカの前に……ヤツが現れやがったのである。

『お? 坊ちゃんに……そっちは、ひょっとして《アメリカ》か? こんなところで会うとは奇遇だな』
 嫌味なまでにサラサラと風に揺れる長めの髪。派手な服。キザったらしい物言い。
『てめ、なんでこんなところにいやがるクソワイン!』
 まさに今俺が言おうとしていたことを、ゲームの中の俺が言う。
『なんでって、俺も《アメリカ》に会いに来たにきまってるじゃないか。ほう、こいつがアメリカかー。いいねぇ可愛いねぇ可愛いねぇ。フランス領になればいいのに!』
『させるかバカァ! とっとと失せろヒゲ!』
『酷いなぁ、イギリス。俺とお前の仲じゃない。どうせお前んとこの飯不味いんだろ? 俺の昼飯分けてやるからさ、俺も混ぜろよ』
『い、いらねぇよ! 消えろ! あとアメリカに近づくな!』
『ケチくさいこと言うなって。ほれ、ワインもあるぞ。あと菓子も』
『う、うぐぐぐ……』
『アメリカだって、美味い菓子食べたいよなー? 焦げたスコーンばっかじゃなくて』
 ゲームの俺は、俺が言いたいことを全て代弁してくれていた。
 ……実名プレイと日本が言っていたが……ここまで俺でいいのか? 他の奴が遊んだ時に違和感ないのだろうか。
 そんなことがチラと脳裏を掠めたが、その後、フランスの言葉にアメリカが頷いてしまったショックで吹き飛んだ。
『うん。なんだか美味しそうな匂いがするから、食べてみたいんだぞ!』
『「アメリカぁああああああ~!?」』
 俺の声と、ゲームの俺の台詞が完全にシンクロする。
「くそっ、なんだってフランスが出てくるんだ! せっかくアメリカと二人きりのピクニックだっていうのに!」
 画面に向けて文句を言ってると、日本が再びノートパソコンから顔を上げて遠慮がちに声をかけてきた。
「ああ……その、アメリカさんの《教養》《品位》が高いと、フランスさんがライバルとして登場してくるんです。あと、《愛情》と《体力》が高く、《教養》が低いとスペインさんが出てくるので、注意してください」
「なにぃ!?」
 フランスだけじゃなく、スペインの野郎まで出てくるとは……。
 アメリカをのんびり育てればいいだけだと思っていたのだが、なんてスリリングなゲームなんだ。
「そういうことは早く言ってくれ、日本……」
 悔しさに肩を落としていると、日本は困ったような笑みを浮かべる。
「システムや、ちょっとしたコツはお教えしますが、ネタバレは良くありませんから。よほどヘマをしない限りは大丈夫ですが、極稀にアメリカさんをライバルに取られてしまう場合もありますから、注意してくださいね」
「……!!」
 ネタバレってなんのことだと思わないでもなかったが、今の俺にはそれより遥かに重大な台詞に思考の全てを持って行かれた。
 アメリカを……とられる?
 フランスやスペインに……?
 冗談じゃない!
 そんなことがあってたまるか。
 こんなにこんなに可愛いアメリカがフランスの変態に連れていかれて派手な服を着させられたり、スペインに連れていかれてトマトまみれにされるのかと思うと、想像の中でもゲームの中でも耐えられない。
 ゲーム画面では、アメリカがフランスの菓子を美味そうに食べている。
 う……小さいアメリカは俺のスコーンだって美味しいって言って笑顔で食べてくれたんだからな!
 お前だけと思うなよクソヒゲ!
 悔しくなんかないんだからなバカヤロー!

「……フ……いい度胸じゃねぇか。燃えてきたぜ」
 フランスへの嫉妬を滾らせながら、俺はコントローラーを握りしめて決意する。
 そうだ。アメリカを渡してなるものか。
「アメリカは誰にも渡さねー! 大英帝国様の本気を見せてやるぜ!」
 画面に映るフランスに指をつきつけて宣言した俺は、憤然としてコントローラーを持ち直し、これからのアメリカ育成計画を練り始めたのだった。
 



『俺をここまで育ててくれて有り難う、イギリス』
 そう言って微笑むアメリカは、今よりほんの少しだけ若く見える。
 人間の外見年齢に換算して、大凡16歳前後といったところだろう。
 服装はゲームの中の俺があつらえてプレゼントしたフォーマルなスーツ。
 髪も乱したりせずきっちりと整えられて、どこに出しても恥ずかしくない紳士然とした良い男だった。
 背はとっくに俺を抜いて今のアメリカと大して変わらない身長になっていたが、身体そのものの成長は追いついておらずに線が細い。
 顔立ちもまだ幼さを僅かに残していて、少年期の終わり特有の独特なラインを描いている。
 子供の終わり。
 大人の始まり。
 そんな危うげな時期のアメリカの姿は俺に苦い思い出を湧き起こさせるけれど、今まで手塩にかけて育ててきたアメリカが立派な姿を見せてくれるのは、やはり嬉しい。
 それも、鬱陶しげな視線などではなく柔らかで親密な笑顔を向けてくれるのであれば、尚更。
『どうしたんだ、改まって』
 ゲームの中の俺が問う。
 するとアメリカは少しばかり躊躇って……言った。
『君には、本当に感謝してる。君に育てられたことは、俺の誇りで、幸せだよ』
 告げられる台詞は、とても嬉しいものな筈なのに、俺は喜べない。
 心のどこかがサッと冷えていくのが分かった。
 だって、こんなのは……まるで、分かれの台詞だ。
『何言ってるんだ、アメリカ……?』
『君とずっと一緒に居たいけど……俺、帰らなきゃ』
「『え……!?』」
 ゲームの俺と、俺の声が重なる。
 それくらい、アメリカの台詞は意外に過ぎた。
『帰るって、どこに? ここが、お前の家だろう!?』
『……思い出して、イギリス。君は、俺を拾った時に、誰かの声を聞いただろう?』
 そうだ。聞いた。
 [この子に、導きを……]
 どこからともなく聞こえた声。
『だけど、そんな……帰るなんて……!』
『ごめんね。でも、君が育ててくれたから、俺はこんなに大きくなれた。君が愛してくれたから、俺は胸を張って堂々と、立派なヒーローとして帰れるんだ』
『アメリカ……』
 ゲームの中の俺が、涙を流す。
 気が付けば、現実の俺の目からも涙がこぼれていた。
 涙を見て、アメリカがゲームの中の俺を抱きしめて、眦にキスを落とす。
 ゲームの中のアメリカは、知性も教養も鍛えて愛情もめいっぱい育て上げたおかげで、ゲームの中の俺にとんでもなく優しかった。
 それはそれで嬉しいのだが、現実のアメリカとの差を思うと悲しい気がしないでもない。
『泣かないで、イギリス。離れていたって、俺達は家族だろう? それとも、俺が離れてしまったら、もう君の家族ではいられないのかい?』
 そんな言い方は卑怯だ。
 何も言えなくなってしまう。
 言う言葉が見つかったとしたって、選択肢でも出なければ俺がアメリカに思いを伝える手段なんてないのだが。
『そ、そんなわけないだろ!』
 ゲームの中の俺が慌てたように言って。
 アメリカの表情が嬉しげな笑みに変わった。
『良かった。どんなに離れていても、俺と君は家族だ。俺が信じて、そして君も信じてくれるなら、俺はどこにいたって、なんだって出来る』
 アメリカの周囲を、柔らかな光が包み込み始める。
 最初にアメリカを探し当てた時に見たような光だ。
 光は徐々に強くなっていき、まぶしさでアメリカの姿を見ることが叶わなくなってくる。
『アメリカ……!』
 光に消えゆくアメリカに手を伸ばしすけれど何故だかもう触れることは出来ないようだ。
 視界全てが強い光に埋め尽くされた中―――アメリカの声だけが最後に聞こえた。
『愛してるよ、イギリス』
 そうして、愛しい愛しい弟は光にのまれて帰っていった。
 どこか遠いところへ。
 現実の俺の頬を、涙が伝い落ちていく。
 なんということだ。あんなに今回のアメリカは完璧だったのに。
 優しく、頭が良く、思いやりに溢れて、空気も読めるし、フランスだって一人で追い返せるようになったばかりか、最後の方は本国の手伝いまでしてくれるようになった。
 人には俺を《自慢の兄》として紹介してくれたし、アメリカの方から外出に誘ってくれることも多かった。
 なのにこんなエンディングはあんまりだ。
 涙を流しながら放心していると、画面がエンディングムービーを流し始める。
 このプレイで見たイベントCGがセピア調になって挿入され、スタッフロールが横の黒い画面に流れ。
 音楽もしっとりと感動的なものが流れて、しんみりと浸りながらも今までの苦労や良い思い出を蘇らせるが、今は逆効果だ。
 感動よりも悲しみが勝って、正視できない。
 そして全てを見終わって表示されるのは『GOOD END』の文字。
 このゲームを良い形でクリアしたことを示す文字だった。
 だが。
 だが!!
「どこがGOOD ENDなんだ!? てめぇこのヤロ、アメリカを返しやがれぇえええええええ!!」
 コントローラーを画面に投げつけたい衝動に駆られながらも、「これは日本のこれは日本の」と胸中で繰り返して必死にそれを抑え込む。
 それでも画面に掴みかかりそうな俺を、日本が慌てて止めに入ってきた。
「落ち着いてください、イギリスさん。一応これもグッドエンドなんですよ」
「だから、どこがだ!」
 納得いかない。
 俺が…俺が手塩にかけて愛して慈しんで育てたアメリカ。
 ほんの小さい頃も、少年の姿になってからも、パラメータを満遍なく鍛えて愛情にも溢れ俺を愛してくれた可愛い可愛いアメリカ。
 苦い思い出が蘇る青年の姿になってさえ、このアメリカは屈託のない笑顔を俺に向けてくれて。
 何もかもが完璧だったってのに!
「ゲームのアメリカさんも言っていたように、貴方は天の声から託されたアメリカさんを《完璧に育てる》という目標を達したんです。目標が達成されたなら、そこでゲームはクリアになりますし、グッドエンドにもなります」
「けど……アメリカが……アメリカが……!」
 言いつのる俺の背を日本がそっと撫でてくれる。
「申し訳ありません。こういうゲームなものですから……」
 分かってる。無茶なことを言っているのは俺だ。
 これはゲームなんだから。
 どちらにしたって、いつかはエンディングを迎えるのだ。
 その中でも、これは良いエンディングだと日本が言うのならば、そうなのだろう。
 そうだよ。何を不満に思うことがある。
 あのアメリカは優しかった。現実のアメリカなら絶対に言わないようなことをたくさん言ってくれた。
 ずっと家族だと言ってくれたのだ。
 それは俺がかつて夢見た言葉だった。
 ずっと一緒に居ることが無理だったとしても、反旗を翻らされたわけでもなければ、嫌われたわけでもないのだ。
 あのアメリカが言ったように、気持ちよく送り出してやらなければ。
 そう思い、ようやく落ち着いてきた俺だったのだが―――
「悪い、日本。取り乱した」
「いえ、お気になさらず」
「それにしても、難しいな。これでグッドエンドということは……他のもこんな感じなのか?」
 日本に聞いたところによると、このゲームはマルチエンディングといって複数のエンディングが用意されているのだという。
 バッドエンドが複数、そしてグッドエンドも複数。ノーマルエンドがひとつ(これは可もなく不可もなく育ててこれと言った決めてなくタイムリミットを迎えた場合)。
 あとトゥルーエンドがあるって話だ。
 俺は今までの自分のプレイ結果を思い出しながら日本に問いかけた。

 1回目は、やり方がまずかった。
 本国モードに必死になりすぎて、新大陸に行くタイミングを逃してしまったのだ。
 来月で間に合う。そう思ってたら、突発の『嵐』イベントが起きて出航できず、アメリカの愛情値が下がりすぎて家出をされてバッドエンドになってしまった。悲嘆に暮れまくった俺は、次にコントローラーを握るまで3時間ほど泣き続けた。

 2回目は、その教訓を生かしてめいっぱいアメリカに愛情を注ぎ注がれ、コミュニケーションを重視した。
 ……ら、今度は他の育成が疎かになりすぎて、青年にすらならない少年の状態のまま期限を迎えてしまい、怒った『天の声』とやらにアメリカを取り上げられてバッドエンド。
 育たなくたってアメリカはアメリカで可愛いんだからいいじゃねーか。
 思ったが、「お前にはもう任せておけん」と天の声から宣告され、ゲームは容赦なく『BAD END』の表示を出してきた。

 3回目は、アメリカの育成にも力を入れつつ愛情も上がるように頑張った結果、本国側が大変なことになり。
 フランスやらスペインやらスウェーデンやらが新大陸に現れて掴み合いの喧嘩になった挙げ句に、本国モードを疎かにしたツケが回ってきてフランスに負けた。
 あまりにも腹が立ったので、このデータは保存せずにリセットした。
 日本が「ああっ、CGコンプリートが……!」と悲鳴を上げていたが、フランスとアメリカが一緒に居るCGなんて見たくないから丁度いい。

 そして4回目の今回。
 育成は順調、本国モードも新大陸モードもバランス良くこなし、愛情も高く、他のパラメータも高く。イベントもそれなりにこなし、バッドエンド系の危ないイベントは避けて調子良く進んだ。
 完璧だ……。これこそが大英帝国の本気だぜ!
 ……と思ったら、この結末。
 確かに喜ばしいことも多かったが、寂しさがまとわりついて、素直に喜べない。

「そうですねぇ……このゲームはあくまでも表向きは《アメリカさんを立派に育てる》ことを目的としたゲームですから。他のグッドエンドも基本的には《立派になったアメリカさんが、一人立ちする》という形になりますね。このエンディングは、グッドの中でも一番ランクの高いものなんですよ」
 離ればなれになってしまうのは寂しかったが、確かにアメリカから向けられる態度や言葉は最上だった。
 離れることが前提の作りになっているのなら、なるほど、確かに先程のエンディングはグッドエンドなのだろう。

 だが、そういえば――― 

「なら、トゥルーエンドってのは、どういうものなんだ?」
 トゥルーというくらいだから、一番良いエンディングなのだろう。
 それならばもしかしたら、俺の望む形になる可能性もあるんじゃないかと思って聞いたのだが。
「企業秘密です」
 にこり。
 と、日本らしくなく曖昧でない、ハッキリとした笑みを浮かべて言い切られた。
 いつもある遠慮がちな様子が消え去り、しゃべり方までハキハキして続ける。
「なんと言っても、トゥルーエンドの為だけにイギリスさんにこのゲームをやって戴いていると言っても過言ではありません。ぜひ到達していただきたいと思っておりますが、過度のネタバレは厳禁ですので、申し上げることは出来ません。がんばって自力で辿りついてくださいね」
 日本にしては本当に珍しい反論など許さないという気迫に押され思わず頷いてしまうが、今までの状況を思い返していると、どうにも不安だ。
 本当に俺は、トゥルーエンドに到達できるのだろうか?
 不安に思うが、日本はこちらの不安など分かっているという自信に満ちた顔で(これまた日本にしては珍しい表情だ)、俺に頷いてみせてくれた。
 何も心配は要らないと言われているようだ。
「まだ3日目ですし、まだ4周ですよ、イギリスさん。エンディングに拘らなくても、このゲームは色々なアメリカさんを楽しむことが第一の目的ですから、気楽に構えてくださいね。それと、ゲームに必要なのは根気と気合いと愛とリアルラックです。がんばりましょう。どうしてもタイムリミット的にきつくなった時には、少しだけお手伝いいたしますから」
 日本がこれだけ言うからには、きっとトゥルーエンドは素晴らしいものなんだろう。
 このゲームも、エンディングで寂しくなったり己のヘマでバッドエンドになったりはしたが、ゲーム中はとても楽しかった。
 4回目だというのにコレ……と落ち込んでいたが、日本の物言いでは何十周もすることが前提の様子だ。
「そうだな。まだ、たった4周だ。まだまだ時間はあるし、トゥルーエンド目指して頑張るぜ」
「ええ。その意気です、イギリスさん!」
 俺達は手を取り合って、今後もゲームの攻略を続けることを誓うと、再びそれぞれテレビとノートパソコンに向き直る。
 アメリカとのトゥルーエンドを目指して、俺のあくなき挑戦は続くのだった。




 8度目の挑戦の時。
 本国モードと新大陸モードのバランスを重視し、アメリカのパラメータも躍起になって上げるのをやめて、ゆるやかな育成を行っていた。
 育成よりは、バランスを保ちながらイベントを見ることを優先したプレイをしていて。
 それ以外では特別なことなど何もしてなかったその回は、そのくせ酷くやり辛かった。
 何故だかは自分でも分からない。

 小さなアメリカは相変わらず可愛くて、俺に惜しみない愛情をくれたし。
 少し大きくなったアメリカも素直で優しくて、色々なところへ出かけてイベントを見た。
 俺と背が並ぶ頃には、アメリカの方から率先して色々なところへ誘ってくれた。
 何がどうやり辛いのか良く分からなかったが、そのアメリカは酷く俺の心をざわつかせた。

 何故だろう?
 どのアメリカも癒されるくらい可愛いのはいつものことなのに。
『イギリス、行かないでくれよ。ずっとここに居てくれなきゃやだよ』
 本国へ帰る時に見せてくれる顔も。
『お帰り、イギリス! 待ちくたびれたんだぞ!』
 新大陸へ来た俺を真っ先に出迎えてくれる笑顔も。
 どれもこれも前回までと何も変わらないはずなのに。

 目に見えない不安は、やがて的中していく。
 俺にとっては、もっとも嫌な形で。
『イギリス、俺もう、お土産はいらない』
『え?』
『もう、そういったものは新大陸でも手に入るよ。だから、いらない』
 ゲームを続けていて、アメリカにそんなことを言われたのは始めてのことだった。
 ゲームの中の俺も、現実の俺も、激しいショックを受ける。
「『どうしたっていうんだ、アメリカ!?』」
 俺の声が二つ重なるが、アメリカは答えずに首を横に振るだけだった。
 どうしたんだよ、アメリカ。
 それじゃまるで……まるで。
 口から零れそうになる言葉を、堪える。
 言ってしまったら認めることになりそうで。それが本当に現実になりそうで、言えなかった。
 
 けれど、容赦なく時は進んで。
 アメリカの態度は巻き戻ることなく、硬化の一途を辿っていく。

 そして。
 決定的な時が、訪れた。

『たった今、俺は君から独立する……!』
 
 かつて聞いた言葉。
 長い生の中で、最も俺を打ちのめした言葉がゲーム画面から流れてくる。
 コントローラーを持つ手が、震えた。

 これはゲームだ。独立とアメリカが口にしてもそれは、新大陸を自分が管理するという意味で実際にゲーム内で反旗を翻らせたわけではなかった。
 
 効果音は雨音。
 画面に映るのは、青い軍服を身につけたアメリカ。
 少年の青年の間に位置する年の頃。

 これはゲームだ。
 胸の内で繰り返す。これは戦いではない。 

 だから彼は武器を持っていないし、兵士を連れてもいない。
 ただ一人、俺と対峙していた。
 強い眼差しで。

『どうして』
『なんでだよ……くそっ』
 ゲームの中の俺が繰り返す。
 何故、と。
 何度となく俺自身が繰り返した言葉。

 違うのは、あの時は見ることの叶わなかったアメリカの表情が、ゲーム故に見ることができるところだろうか。
 勿論、あの時のアメリカの表情を映しているわけではないのは分かっている。
 けれど、それにしたって彼が浮かべているのはもっと……晴れ晴れとしたもののような気がしていた。
 画面の中のアメリカは、苦渋に満ちた顔をしている。
 苦しくて苦しくて仕方がない、という顔。
 本意ではない、そうとれるような。
 これはゲームだから、ある程度は俺に都合良く作られていても不思議じゃないから、そのせいかもしれない。
 
 画面が暗転する。
 もの悲しい音楽が流れ、これがBAD ENDなのだということが分かった。
 バッドエンドの場合、スタッフロールが流れずに短いバッドエンド用のエンディングが流れ、それが終わるとタイトル画面に戻る。
 ああ、だけど……流石にコレはキツイ。
 今まで見たどんなバッドエンドよりも堪えた。
 現実に起きたあれらが、つまりは俺とあいつにとってはバッドエンドで。そこから先なんてないのだと宣告されたような気分だった。
 たかがゲームだ。
 分かってる。これは現実じゃない。
 それでも、簡単に割り切れるほど俺の中で小さなものでもなかった。
 ゲームの中のアメリカの独立が、俺に武器を向けられたものでなかったとしても。
 
 エンディングの曲が終わる。
 この後は、タイトル画面に戻るのだろう。
 だが、暫くは再挑戦する気力を奮い起こすことは難しそうだった。
 通算、これで8度目の挑戦。
 9回目の挑戦は、明日にしよう。そして今日は、日本には悪いが少し休ませてもらおう。
 そう、思った時だった。

 タイトル画面に戻る筈の画面から、突如見たこともないムービーが流れ出す。
 先程までのようなもの悲しいゆっくりとした曲ではなく。
 もの悲しさは残しながらも、もっとテンポが速い。
 画面も音楽に合わせて次々と映像が切り替わり、効果が入る。
 今まで貫かれてきた絵本風の柔らかな色彩とは打って変わって、黒と原色に近いハッキリとした濃い色合いの2色を基本に描かれる映像。
 描かれているのは、相変わらず顔の見えない《イギリス》と……《アメリカ》。
 それは変わらない。変わらないのだが、ひとつだけ違うものがある。
 アメリカの顔には、テキサスがあった。
 このゲームでは基本的に全てアメリカは眼鏡なしで描かれている。
 小さいアメリカから青年一歩手前までが育成の範囲だからが。
 だが、このムービーのアメリカはテキサスをつけていて。
 ラフな格好。見慣れたフライトジャケット。
 こちらに向ける、硬質な視線。
 こ、これは……?
 バッドエンドで、こんな映像が流れるのは初めてだ。
 息を飲んで呆然と画面を見つめていると、激しいドラムの音で音楽が終わる。

 そして真っ黒な画面に、ペンキで殴り書いたかのように文字が描かれた。

 【ANGEL MAKER・R】

 と―――。

「……!?」
 驚いて、日本を振り返る。
 これはどういうことかと問いかけようとした。
 だが、それは叶わない。
「キタァアアアアアアアアアッ!!」
 ノートパソコンの前に座っていた筈の日本が、拳を握りしめて立ち上がった態勢で叫んでいたので。
「に、日本!? ど、どうしたんだ!」
 突然の雄叫びに動揺を隠せない。
 一体どうしたって言うんで日本。何がキタんだ!?
 一瞬、ゲームのショックも忘れて立ち上がった日本の顔を伺うが、日本の目はどこか遠くを熱心に見つめていて、俺の姿が見えていないようだ。
 やべぇ……ちょっと日本が怖い。どうしよう。
 どうしたものかと躊躇っていた俺なのだが、そんな俺に全く構わずに日本はがしっとこちらの肩を掴んできた。
 だが目は相変わらず、俺を見ているようで見ていない。
「に、日本……?」
「来ましたよ、イギリスさん!」
 だから、何が。
 問いたかったが、聞ける雰囲気ではない。
 何しろ普段は穏やかな雰囲気の日本が、見慣れないほど気迫を漲らせてこちらの肩を掴み、熱い視線をどこかに向けているのだ。
 ビビらない方がおかしい。
「ついに、ついにやり遂げましたね! 私も嬉しいです」
 何が嬉しいのかはサッパリ分からなかったが、とりあえず頷いておいた。
「あ、ああ。ありがとう」
 だが、おざなりに頷いた俺に返された言葉は、そんな俺の理性を粉砕するに等しい言葉だったのである。
「喜んでください。これが! これが唯一のトゥルーエンドに至る道です!」
「なにぃ!?」
 とぅ、トゥルーエンドだと!?
 グッドエンドは幸せそうながらも、大概がアメリカとの別れになるというこのゲームのトゥルーエンド!
 それは俺が今までずっと目指してきたものでもある。
 ごくり、思わず唾を飲み込んだ。
「つまり……これはバッドエンドではないんだな?」
「勿論です」
 日本も俺と同じくらい……いや、それ以上に真剣な顔で答えてきた。
「トゥルーエンドに、俺は近づいていると」
「その通りです」
「そうか」
 遂に……遂に俺は辿りついたのか!
 あれほど夢見た場所に!
 アメリカとのトゥルーエンドに!
「ここから先がゲームの本番と言ってもいいかもしれません。といっても壮大なエピローグ扱いですが。例えて言うならゼ●ギアスDisc2のようなものですね」
 日本の言っている意味は良くわからなかったが、日本がらしくなく興奮するほどの何かが、この先には待っているのだろう。
「……ついに、やってきたか」
「はい。あと少しですよ、イギリスさん!」
「ああ。ありがとう、日本」
 ふとテレビと、ゲーム機とコントローラを見る。
 この数日間、ひたすら向き合っていたものだった。
 今までの苦労がもうすぐ報われるのだと思うと、感慨深いものがある。
 先程までは、一番見たくなかった形のバッドエンドだと思っていたが、これがトゥルーエンドへ繋がるというのならば話は別だ。
「それにしても、バッドエンドを匂わせた後に、新たなオープニングムービーが入るとは……。随分と凝った作りのゲームだな」
「ええ。採算度外視、趣味120%で作ったものですから」
 にこりと日本が微笑む。
 ……いいのか、それで。
 と思わないわけでもなかったが、そのお陰で俺はこうして楽しめているのだし。
「ご安心ください。別ゲームとかなりの部分を共用して作ってますので、制作費の殆どは別ゲームの方でいただいてますから」
 うむ。深く追求するのはやめておこう。
「さぁさあ、イギリスさん。そんな細かいことは気にせず、今は……」
「ああ、そうだったな。トゥルーエンドだ!」
 二人、がっしと手を握りあってから離して、コントローラーを持ち直す。

 成長しきった今のアメリカそのものの、ゲームの《アメリカ》。
 果たして、トゥルーエンドとは……どのようなものなのだろうか。
 期待と不安に揺れながら、俺はカーソルを《START》の欄へと持って行き、決定ボタンを押したのだった。




 天から授かった子供《アメリカ》は、イギリスの元で成長し――やがて一人の立派な青年になった。
 いずれは天へ帰ることを定められた筈の子供はしかし、地上で暮らす内に一人の人間としての己を自覚する。

『俺はここに立って、動いて、生きてる。ここで。この国で』
『ここが俺の国だ。ここが、俺の居場所だ』
 頼るべき親をもち甘えることを当たり前とした子供の目はそこになく。
 真っ直ぐに見据えてくる瞳は強い光を宿して、もはや一人の男であることを示していた。
『俺はここで生きていくよ、イギリス。天なんて知らない。俺は、俺だ』
『もう俺は、誰のものでもない。――君のものでも、ね』
 己を自覚し人として生きると決めたかつての子供は、天へ帰らず。
 そして、自立と自由を求めて、自らの足で歩き始めた。
『たった今、俺は君から独立する――!』
 
 可愛がっていた弟に去られた《イギリス》は、かなり長い間を荒れて過ごした。
 本国に戻り、仕事に打ち込むことで寂しさを紛らわせようとしたことで国は栄えたが――。
 しかし《アメリカ》もまた、《イギリス》がかつて教えたように国に関わる仕事に就き、驚異的な速度で新大陸を栄えさせていった。

 二度と会うまい。
 《イギリス》は誓っていたが、国の要職に就いてしまっているが故に、二人の縁が完全に絶たれることはなく。
 かと言って、かつてのように振る舞えるわけもなく。
 新しい形を見いだせぬままに、時間は過ぎていった――。



 200X年、某国・某市――世界会議、会議場

『会議開始まで、まだ少し時間があるな。……紅茶でも飲むか』
 会議場への扉の前で一度足を止めて時計を確認した《イギリス》は、くるりと反転してドリンクコーナーへと向かう。
 だがそうして振り返った先に――
『やぁ、イギリス。久しぶりだね!』
 彼が――共に暮らしていた時にはなかった眼鏡をかけた《アメリカ》が、立っていた。
 後ろ暗いところなど何もない快活な笑み。
 それに怯みかけた《イギリス》は、なんとか気を取り直して短く『おう』とだけ答える。
 自販機の横に立つアメリカは、紙カップを片手にきょろりと周囲を見回してから言った。
『相変わらず君、友達いないのかい?』
 恐らくは《イギリス》の周囲に人がいないことを確認しての言葉だろう。
 だが《アメリカ》の周りにも今のところは《イギリス》しかいない。
『余計なお世話だばかぁ! お前だって一人じゃねぇか!』
『俺はさっきまでカナダと一緒だったんだぞ。君と一緒にしないでくれよ』
 心外そうに顔を顰めるところが憎たらしい。
 
 これは、ゲームだ。
 何度となく繰り返した言葉を、俺はもう一度繰り返す。
 だが、ともすれば忘れそうになってしまうくらい、このゲームは出来がいい。
 世界観などは微妙にぼかされていて、登場人物達は《国》ではなく、あくまでも国の要職につく《人間》らしきものとして描かれているが、それでも色々と似すぎていた。
 小さい頃のアメリカくらいならば、まだいい。
 だがこの……テキサスをかけたアメリカなんて、本物そっくり過ぎて嫌になる。
 今のアメリカならば現物が居るのだから、小さいアメリカより似てくるのはしょうがないのも分かるんだが……正直、きつい。
「……」
 ページ送りのボタンを押すのを止めて、小さく溜息をついてしまう。
 これ、トゥルーエンドって言ったよなぁ?
 グッドエンドは大抵が天へ帰ってしまうものばかりだったから、地上で生きていくことを決めたこのエンディングは確かに珍しいし、《アメリカ》からすればトゥルーエンドなのかもしれない。
 しかし俺やゲームの中の《イギリス》からすれば、トゥルーエンドどころか下手なバッドエンドよりも酷いんじゃないかと思った。
 大事に大事に育てた可愛い《アメリカ》には去られ、成長した子供は可愛げと素直さのかわりに強大な力と生意気さと無礼さを手に入れて、かつての育ての親に対して手厳しい態度をとってくるのだから。
 まるで、育てられた過去を消そうとするように。そんな過去は汚点だとでも言うように過去を、《イギリス》を否定しようとしているようだ。――現実と同じで。

『か、会議の前は資料確認したり、色々忙しいんだよ俺は。お前も邪魔ばっかしてカナダ困らせんなよ?』
 進めるのが怖いというわけではないが、あまり快い気分でないながら、このまま止まってもいられないのでボタンを押せば、画面では《イギリス》が必死の様子で《アメリカ》の言葉から逃げようとしている。
 ゲームの中の俺の気持ちなんて、分かりすぎる程に分かってしまう。
 あれは、アメリカの言葉に傷つかないように必死に逃げ道を探しているんだ。
 けれど俺達のそんな努力を嘲笑うかのように、アメリカは何でもない顔をしてさらりと言ってのける。
『俺がカナダを困らせるわけないじゃないか。大事な兄弟なんだからさ、君と違って』
 俺の心を抉る言葉を。
「『……ッ』」
 ゲームの《イギリス》と俺が同時に息を飲んだ。
 ズキリと胸が痛んで、コントローラーを取り落としそうになる。
 これはゲームだ、これはゲームだ、これはゲームなんだ。
 アメリカじゃない。本当のアメリカじゃない。
 言い聞かせるけど、意味なんてない。
 だってアメリカの声で、アメリカが言いそうな台詞をこの《アメリカ》は《イギリス》に言うのだから。
 冷たい声も視線も、覚えなんて在りすぎる。こんなやりとりだって、実際にどっかでしたことがある気さえする。
 これに、からかうような嘲弄するような奇妙な笑い声がついてこないだけ、ゲームの中の《アメリカ》の方が良心的なのかもしれないとさえ思う。
 つまりは、他国から客観的に見てさえ、アメリカの俺への態度はこんな冷たいものだということなのだろう。

『……あぁ。大事にしてやれ』
 今更な事実に打ちのめされたような気分になることを不思議に思っていると、ゲームの中の俺が苦さを押し殺した一言を口にした。
 お前なんかはもう兄弟でも大事でもないと《アメリカ》に言い切られることは、俺にとっても《イギリス》にとっても辛かったが、それに対して文句を言うわけにもいかない。
 恩知らずだと罵倒したところでアメリカが堪えるわけもなければ、そんなこちらばかりが囚われているような言葉を口にすることなど、プライドが許さない。
 ……いや、違う。落ち着け。これはゲームなんだから、俺の直接の気持ちなんて関係ない。
 俺がどれほど《アメリカ》に何かを言ってやりたくても、選択肢が出てこない限り何も出来ないのだ。
 それは苦しいようでありながら、何も言わなくて済むというこのは、それはそれで暗い安堵を覚えもする。
 言い訳をすることも出来ないが、代わりにもっとアメリカを怒らせたり気分を害させるような言葉を吐いてしまうこともないのだから。

『じゃあな。またどっか行って、会議に遅れるなよ』
 ゲームの中の《俺》は、思考回路まで俺と同じらしい。
 これ以上アメリカと一緒に居るのは苦痛だし、これ以上に相手の気分を害すことを恐れもして、その場を離れようとした。
 アメリカから視線を逸らして、その横をすり抜けるようにして再びドリンクコーナーへ向かおうとする。
『……っ、待ちなよ』
 だが、その《俺》の腕を、何故だかアメリカが捉えた。
 腕を引っ張られて強引に振り向かせられれば、目の前にあるのは不機嫌にも見える憮然とした表情のアメリカ。
 咄嗟に思ったのは、まだ何か俺に文句があるのだろうか、といった不安。
『……何か用か』
 機嫌が良いとは言えぬ様子のアメリカが、軽口の為だけに俺を引き留めるとも思えない。それなら、仕事上の用でもあるのかもしれない。
 立ち止まった俺が改めて不機嫌な顔を真っ直ぐに見ると、アメリカはバツがが悪そうに視線を逸らし、それから小さく舌打ちする。
 わけが分からない。
 何かに苛立ち、機嫌が良くないことは分かる。少なくともその一部が自分……いや《イギリス》に向けられているのだろうことも。
 けれど、それにしては苛立ちを真っ直ぐにぶつけてこないことが意外と言えば意外だった。
 アメリカはいつも躊躇わない。プラスの感情や行動は勿論、マイナス感情に起因した諸々さえ。文句を言うことも、不機嫌を不機嫌として発することも、苛立ちをぶつけることも、躊躇うことなど稀であるのに。
 あくまでも俺の知る本物のアメリカの話であって、ゲームの中の成長したこの《アメリカ》が、どこまで本物の思考をなぞるかは知らないけれど。
 不審に思いながらもアメリカの出方を知るためにページ送りのボタンを押せば、次なる動きをアメリカは得て。
『これ』
 ずい、と目の前に紙カップが差し出されて、俺と――それから《イギリス》も、目を丸くする。
 それは先程アメリカが持っていた自動販売機で購入したのだろう紙カップだった。
 アメリカが持っているくらいだから恐らくコーヒーだろうと、なんとはなしに思っていたものだが……それを、押しつけるようにして胸の前へと翳される。
 なんなんだ。ゴミでも押しつけるつもりか?
 思ったが、次の言葉を促せば
『間違えて紅茶を買っちゃったんだ。俺は紅茶なんか飲みたくないし、でも捨てるのも勿体ないから、君にあげるよ。仕方ないからね』
 アメリカはそう言って、さらに紙カップを押しつけてくるのだった。
『そうか』
 どこか呆気にとられた様子で、《イギリス》が紙カップを受け取る。
 カップの中の紅茶はどうやら温くなりかけていたらしく、《イギリス》は本当に飲みたくないものを処理したかっただけなのだな、と当たり前の事実に寂しさを覚えながらも納得したようだ。
『慌ててボタン押したんだろう。次からは気を付けろよ』
 感じた一抹の寂しさを振り切るように《イギリス》は苦笑を浮かべて紙カップを掲げてみせると、
『ま、でも紅茶に罪はないからな。礼は言っておいてやるよ。……サンクス』
 それでも短く礼を言って、掴まれたままだったアメリカの手から逃れるように手を引いた。
『どういたしまして。じゃあ、次は俺の番だ』
 だが何故かアメリカは《イギリス》の手首を掴みなおし、ぐいと引っ張って先程やってきた方向へと足を向け始める。
『お、おい……アメリカっ!?』
 事態が飲み込めずに《イギリス》がアメリカに問うと、足を止めずに《イギリス》を強引に引きずったまま悪びれない声で答えてきた。
『君の分を俺が買ってあげたんだから、君は俺の分のコーヒーを買ってくれなくちゃ不公平だろう?』
 つまりは、交換しろと言うことらしい。
『お前なぁっ。《あげる》つったろうが!』
『誰もタダで、なんて言ってないだろ。図々しいな、君』
『どっちがだよっ!』
『ああ、ちなみに俺はプレミアムコーヒー以外認めないぞ』
 アメリカが指定したのは、紙カップの自販機において一番値の張るものだ。たかだか自販機のコーヒーであるので、さほどの値段ではないものの、アメリカが《イギリス》に押しつけた安物の紅茶よりは、ほんの少しばかり高い設定となっていることをイギリスは知っている。
 日本が作ったゲームだけあって、この会議場は日本に実在するものだ。イギリス自身、何度か行ったことがあるので覚えている。
 スタッフが飲み物を適宜振る舞ってくる場合もあるが、《国》の存在は公にしていないこともあり、場合によっては会議場備え付けの自動販売機で各自適当に飲み物を調達する時も中にはある。これも、そういった時を模したものなのだろう。
『明らかに図々しいのはお前だろうが!』
 アメリカに手を引っ張られながら、手にした紅茶が零れないように気を遣いつつ怒鳴る《イギリス》を、すれ違う人や《国》が、時に呆れたように、時に面白がるように、時に気の毒そうに見ているのに、居たたまれない気分になる。
 これでは本当に、今のアメリカと俺のようだ。
 本当にこれが、トゥルーエンドなのだろうか?
 そんな風には、とても思えない。
 アメリカは人を傷つけるような物言いばかりするし、《イギリス》もまた俺に似すぎている。
 アメリカへの態度も、言葉も、思考も、何もかも。
 これでトゥルーエンドになるわけがないと思うのだが……。
 そこはそれ、ゲームだからと途中で劇的に何かが変わったりするのだろうか?

「どうかされましたか、イギリスさん?」
 コントローラーを握りしめたまま止まってしまった俺を不審に思ったのか、日本が軽く首を傾げて声をかけてきた。
 そちらへ顔を向けると、ノートパソコンで行っていたらしい作業を止めて、心配そうにこちらへ寄ってくるところ。
「……いや、その……出来の良さに、驚いてな」
 口にした言葉は、嘘ではなかった。
 驚いている。あまりにも出来が良く――似すぎていることに。
「そうですか」
 日本は困ったように少しだけ眉を寄せた微妙な笑みを作ると
「お茶を煎れてきますね。ゲームも、あまり根を詰めすぎては良くありませんから」
 そう言って、立ち上がる。
「あぁ。なら、俺が紅茶を淹れてやるよ。さっき持ってきた茶葉でな」
「おや。それは有り難いですね。ぜひ、お願いします」
 思い立って告げれば、世辞ばかりとは思えない日本にしてはハッキリとした嬉しげな笑みを浮かべられて、俺も安堵した。
 俺の様子がおかしいことに、日本はきっと気づいているのだろう。気を遣わせてしまった。
「では、私も勉強の為に見学させて戴いてよろしいでしょうか?」
「勿論。水の質が違うから、うちで出すのと全く同じ……とは言わないが、美味い紅茶の淹れ方を覚えるといい」
「よろしくお願いします」
 二人して連れだってキッチンへと向かえば、胸にまとわりついていたモヤモヤとしたものも薄れていく気がする。
 日本に教えながら紅茶を淹れて、ゆっくりと慣れた香りと味を楽しめば、きっとすっきりするだろう。
 ……その後にもう一度あのゲームに向き合うのは少々気分の重いことだったが、ゲームに振り回されて不安になっていても仕方ない。もっと気楽に楽しまなければ。
 そう思うけれども、小さなアメリカを育てていた時とは全く違う様相に、とてもではないが気楽には楽しめないと思うのも正直な気持ちだった。
 だって、そうだろう?
 ゲームの中の《イギリス》も《アメリカ》も、現実の俺達に、あまりにも似すぎている。
 口を開けば、フランス相手ほどではないにしろ和やかな会話など滅多に望めない俺達が……小さな《アメリカ》を育てていた時のように幸せになれるエンディングなど――迎えられるわけ、ないではないか。
 自分で言っておいて、《トゥルーエンド》の先に対して憂鬱な気分になりながらも、俺はふりきるようにして、紅茶を淹れることに専念し始めた。
 そうだ。期待など、しなければいいだけの話だ。
 俺の望む未来など、描かれることなどないのだから。
 それは、現実でもゲームでも変わりようのない事実だった。




 その後も、まったくトゥルーエンドらしくない――俺にとっては胃が痛くなるような場面が続いた。
 ゲームの中の《アメリカ》の言動も行動も全て本物の《アメリカ》そっくりだし、俺に対する態度までが全く同じと言っていい。
 ただ小さいアメリカを育て、小さいアメリカを見て、癒されたいと思っただけだったって言うのに、なんでこうなったんだ。
 確かに途中から、小さなアメリカそのままに俺を嫌わない、鬱陶しがらないアメリカとずっと一緒に暮らせるような……そんなお伽話のような結末を見たいと思ったのは本当だが。
 いくらそれが大それた望みだからって、こんな罰ゲームのように俺とアメリカの不仲を――というよりも、アメリカの俺への冷たさを改めて見せつけてくることはないじゃないか。
 小さいアメリカを育てている間はあんなにも心が浮き立っていたというのに、今はちっとも癒されやしない。
 それでも、もう嫌だとリセットボタンを押して再度小さなアメリカとの生活を始めないのは――
 なんでだろう。
 自分でも、良く分からなかった。
 トゥルーエンドというからには、幸せな結末が待っているとまだ俺は信じているんだろうか?
 これだけ、現実の俺達そのままの味気なく情けないやりとりを見せられて?
 常と同じように、こちらをバカにしたり鬱陶しがったりするアメリカを見て?
 そんなわけはない。
 ……と、思う。
 だが実際に俺はコントローラーを手にしたままで、時折ボタンを押すことを躊躇ったりもするけれど、黙々とゲームを進めているのだった。
 
『まったく、君は実にバカだな!』
 ゲームの中のアメリカが笑う。
 俺をからかう為のあまり良い笑みではないけれども、楽しげに快活に笑う姿を見ること自体は別段嫌いではない。腹は立つけど。
 普段はあまりアメリカの顔など見れないから、余計にそう思うのかもしれなかった。
 仕事柄、顔を合わせる機会も少なくないので別に本当に顔を見ていないわけはない。会議で意見を言う時は真っ直ぐ目を見て話しもするし、視界に入れることは多いだろう。
 けれどそれは、仕事上で伝えるべきことを伝えてこちらの意志を通す為のものであり、暢気に相手の顔立ちを眺めるものではなかった。
 プライベートで会った時などは特に、視線は向けても極力意識して眺めることを戒めていたような気がする。正直、こうしてゲーム画面のアメリカをまじまじと眺めるまで気にしていなかったのだが。
 率直に言って、アメリカの顔は嫌いではない。どころか多分、好きな方なのだと思う。
 何しろ小さいアメリカは俺にとって天使で、目の中に入れても痛くないほど可愛がっていたのだ。
 その頃からの刷り込みもあるのだろうが、俺にとってこの世で可愛いものの筆頭と言えば、小さいアメリカ以外にない。その次が妖精だろう。
 背も態度もでっかくなって空気も読めなくなって、俺の天使は変わり果てた姿になってしまったとは言え、それでもアメリカはアメリカで。
 テキサスを外せば、そのまま小さい頃の面影は見てとれるし、外さずとも顔が変わるわけではないのだから、小さい頃の面影を追うことは不可能ではない。
 だが、だからこそ本物のアメリカの顔を見ることは出来ないのだろうなと、画面のアメリカを眺めながら思った。
 トレードマークだからというのもあるだろうが、あいつは俺の前では特にテキサスを外したがらない様子だし。意識して顔を見ないようにする前の幾つかの経験で、あいつは俺があんまり顔を見てると機嫌を損ねてしまうようだから。
 確かに顔を無遠慮に見られるのは居心地が悪いだろうとも思うのだが。別に減るもんじゃねーし、いいじゃねーか。と、思わないでもない。
 だから、こうして無遠慮にいくらでもアメリカの顔を眺められているこのゲームは、やはり俺にとっては有り難いものなのかもしれなかった。
 中身まで本物そっくりで、いちいち俺を憂鬱にさせてくれるのは困りものだが。
『君みたいな迷惑な人を野放しにするなんて、ヒーローとして見過ごせないからね。勝手にどこかに行かないでくれよ』
 笑みを浮かべた《アメリカ》の目が、僅かだけ細められた。
 からかい、見下すような色が薄まって、ほんの僅かだけ優しい印象が加わる。
「……」
 気がついたらボタンを押す俺の手は止まってて、ぼんやりと画面の《アメリカ》を眺めていた。
 ああ、こんな表情をゲームのアメリカはしてくれるのだなぁと思う。見れて嬉しいような、けれど所詮ゲームの中の話なのだからと虚しいような、複雑な気分だ。
 現実そっくりの鼻持ちならないアメリカではあるが、やはりゲームなだけに少しだけ俺に優しい設計なんだろう。
 からかいの後に吐かれる台詞からは、少しだけ本物よりも棘が少ない。
 たかがそれだけの変化を有り難がるというのは、我ながらどうなのだろうと思わなくもないのだが。それだけアメリカの奴が考えなしのKYなのだということで納得しておくことにした。
 ずっと、こういう……できれば折角ゲームなのだから、日本に普段むけているような笑みを自分にも向けてくれればいいのに。
 あの可愛かった天使はどこにもいないのだと――今となっては、ゲームのこの世界にもいないのだと知っているけれど。
 今のあいつはKYでメタボで人をからかって扱き下ろすことを楽しんでるとしか思えない最悪な奴だけれど。
 俺の育て方が悪かったのだと皆は言うし、実は少しばかりでなく自分でもそう思う部分もあるから、多分そうなんだろう。
 だとするなら、自業自得としか言えない。
 それでも、腹立たしいことばかりの大きくなってしまった現実のアメリカだって、なんだかんだ言って俺は可愛いと思っている。
 だからこそ、この顔に冷たい態度をとられるのは、辛いものがあるのだ。
 俺に向ける筈もない顔で笑ってくれればいいのに、なんて。このゲームをもってしても、あまり叶いそうにないけれど。
 現実よりは俺に優しい設計な気がするゲームの《アメリカ》も、せいぜい現実比3%といったところだ。
 現実に近い道を通り、現実に近い存在となった《アメリカ》。
 俺の育て方が悪かったというのなら、その通りで。
 多分、ゲームを何回繰り返しても、現実の過去を何回繰り返しても――俺はきっと失敗して、アメリカとずっと仲良く居られる道など得られることはないのだ。
 それがつまり、トゥルーエンド。
 この世の真実ってやつなのかもしれなかった。

 それでも。辛いことも多くなってきたゲームだけれど。
 こうして3%程度でも少しばかりは優しいような気もするし、遠慮なしに顔をいつまでも眺めていられるし、悪いことばかりではない。
 だから俺は、きっとこのゲームを続けているのだろう。
 良い終わりがこないとしても、その過程に少しでも幸せがあるのなら、意味はあるのだから。
 そう思わなければ、やってられない。
 ゲームではなく、現実が。
 かつて現実で過ごした小さなアメリカとの日々が。その幸せが。
 ただの失敗で、意味がないものだなんて、思いたくはない。
「イギリスさん……?」
「へっ?」
 遠慮がちにかけられた日本の声に、俺は意識を引き戻された。
 沈みかけた思考から瞬時に我に返って、慌ててコントローラーを握り直す。
 どうやら、画面のアメリカをぼんやり眺めたまま随分と止まっていたらしい。
「悪ぃ。少しぼーっとしてた」
 決まりが悪く、無意味にメニューを呼び出してセーブを行ってみたりするが、そんなこちらの気持ちを知ってか知らずか、日本は穏やかな声で気にするなと言ってくれる。
「いえいえ、悪くなどありません。私もたまにあります。ついゲーム画面に見とれてしまって、時には一時間近く経ってたこともあるんですよ」
 だが、続けられた言葉は俺にとって、欠片も慰めにはならなかった。
「い、いいいいや、別に俺は見とれてたわけじゃねーぞ!?」
 何しろ俺が動きを止めている間に眺めていたのは、アメリカのドアップの顔である。
 しかも、現実比3%くらいは優しいように見えなくもないアメリカの。
 それに見とれていたと日本に思われるのは、とてつもなく恥ずかしいことのように思われた。
「ふふ。そうですね。分かっておりますとも。ああ、イギリスさん……そろそろイベントのようですよ?」
 欠片も分かっていなさそうな……というよりも、俺の否定したいことをこそ肯定して、希望と全く違うことを分かっていると言っていそうな日本の物言いに顔に熱が上るのが自分でも分かる。
 重ねて否定をしたかったが、日本の言葉の最後で意識をゲームに持って行かれたのも事実で。
「~~~~っ」
 ニコニコとした微笑みを向けてくる日本には、何を言っても勝ち目がないような気がしたこともあり、仕方なく諦めてゲームの続きに戻ることにした。
 日本は普段は穏やかでとても良い奴で。今だとて穏やかは穏やかなのだが……こういう時は、日本で言うところの《年の功》だとか言うものを痛感する。
 コントローラーを握り直してからも、背中に感じる日本のやたら暖かな視線が居心地悪かったのだが――それもページ送りのボタンを数回押すまでだった。
 先程までは、現実と殆ど変わらないようなシーンが繰り広げられていたゲーム画面が、有り得ないものを映し出していたからである。
「……な……っ!?」
 あまりのことに唖然として口を開け、凝固した俺の手から落ちたコントローラーが、ころりと畳の上へと転がっていった。




 心臓が苦しい程に早鐘を打っていた。
 掌からこぼれ落ちたコントローラーを拾うことも忘れて、俺は愕然として画面を凝視する。
 先程までぼんやりと眺めていたのとは違い、何度も瞬きをして自分の視覚がおかしくないことを確認しながら、それこそ穴の開くほどじっと細かく見てみるが、やはり俺の目に映るものが変化することはなく、間違いなく画面に映っているものが現実だと教えてくる。
「なんだ……?」
 何が起こったんだ?
 震える手で目を擦ってみたが、やはり変わらない。力なく手が畳へ向けて落ちるのが分かったが、全身から力が抜けていくほど、目に映る映像は俺にとっては衝撃的なものだった。
 どうしてこんなことになっているのだろう。
 さっきまで画面の中の《アメリカ》は、現実と同じように素っ気ない態度ばかりだったというのに。
 少し前の映像と文章を思い出す。
『君みたいな迷惑な人を野放しにするなんて、ヒーローとして見過ごせないからね。勝手にどこかに行かないでくれよ』
 からかうような笑みから、少しだけ目を細めて表情を柔らかくした《アメリカ》。
 ここまでは、まだ分かる。
『なんだよソレ。迷惑で悪かったなっ』
 表情は少しだけ和らいでも言っている内容が酷く思えたのか、画面の中の《イギリス》は顔を逸らして憮然として言い捨てて。
『俺の話、ちゃんと聞いてるのかい、君』
 その態度に気分を害したのか《アメリカ》もまた眉を潜めてムッとした顔になった。
『あーあー、聞いてる聞いてる』
 俺になら分かるが、これ以上に酷い言葉を聞きたくなくて。これ以上傷つく前に早々に会話を切り上げようとしているらしい《イギリス》が更に投げやりに手を振って、アメリカから離れようと身じろぎしたところで――
『ねぇ。俺は……君に、どこにも行かないでくれって言ってるんだけど』
 その手首を、《アメリカ》が捉えて、握りしめたのだ。
 二人並んだ図を写していた絵が切り替わり、《イギリス》の手首を掴む《アメリカ》の図が、大きく映し出される。
 描かれた《アメリカ》の表情はどこか苦しげで……痛みを堪えるような。けれどそれだけではない熱心さを孕んだ――《せつない》と形容できるようなものだった。
 その表情に、心臓を鷲づかみにされるような苦しさを俺は覚えて。
 なんでそんな顔をするんだ。なんで、そんなことを言うんだと、混乱する。
 どこにも行くな、なんて。迷惑な奴を野放しに出来ないからだと、からかうように宣言していたと言うのに、どうしてそんな表情で言うんだ。
『まだ分からないのかい? まったく……本当に君は、どうしようもないなぁ』
 呆れと苛立ちを滲ませる声。けれども、いつものバカにするような響きはどこにもなくて。
『なら、分かるように言ってあげるよ。俺は、ヒーローだからね』
 それどころか、甘くさえ響く声に更に混乱しかけたところで、とどめが来た。
『ずっと俺の傍に居てよ、イギリス。……俺のものになって』
 映像が切り替わる。
 痛みを堪えるような苦さが消え、切なさに愛おしさが混じったような表情へと変化した《アメリカ》が、強くと分かる様子で《イギリス》を抱きしめるものへと。
 画面に映るのは、まさに愛しいものを堪らずに抱きしめたかのような映像。
 全くの他人や、もしくは小さなアメリカを《イギリス》が抱きしめるというものならばともかく、成長した現実そっくりな《アメリカ》が、よりによって《イギリス》をそんな風に抱きしめるという有り得ない図を前に、衝撃を受けない方がおかしい。
 しかも。しかも、《アメリカ》はなんと言った?
 確か……『傍に居て』だとか、『俺のものになって』だとか、更に有り得ないことを言いはしなかったか?
 ……いや、落ち着け俺。いくらなんでも、そんなことあるわけがない。有り得ない。
 優しく可愛く素直だった小さい頃のアメリカや、ベストエンドで見たような成長してからも優しさを失わなかった天へ返ったアメリカならばともかく、この《アメリカ》が。現実そっくりの、俺に対して粗雑な扱いしかしてこない《アメリカ》が、俺を愛しげに抱きしめたり、こんなことを言ってくるわけがない。いや、俺ではなくゲームの中の《イギリス》だけれども。どちらにしたって、おかしい。ありえない。
 どくどくと、心臓がそれこそ有り得ない速度で脈打つのが分かる。手が震えるのを止めることが出来ない。
 これは驚いているだけだ。あまりにも予想外の事態だから、驚いて戸惑っているだけ。
 なのに何故、俺はこんなにも苦しいのだろう。
 それは脈が速すぎるせいだ。そうだ何もおかしくはない。
 けれど、ならば何故、こんなにも頬が熱くなっているのだろう。
 おかしい。有り得ない。
 だって、気色悪いと思わなきゃ嘘だ。例えゲームでも。
 もしくは、なんてことをと怒りを覚えなければ嘘だろう。
 アメリカは俺にとって弟や子供みたいなもので、昔のようにもっと優しくしてくれてもいいのにと思うことはあっても、こんな風に抱きしめられることを望んだことはなかった。
 もし望んだとしたって、それはあくまでも家族としての親愛を示すもので、こんな……こんな、まるで恋しい人にするような抱擁を望んだことなんてなかった筈だ。
 そうだ。これはどういうことだと日本を問いつめなければ。こんなゲーム、どうしてつくったのかと。
 いや待て、落ち着け。まだ早い。そうだ、相手はアメリカだ。ゲームだけれども、現実そっくりの《アメリカ》なのだ。
 どうせ何かの間違いに決まっている。ページ送りのボタンを押せば、いつも通りのアメリカが現れるに決まってるのだ。
 抱きしめてた腕を離して、愛おしげに見つめていた目を普段のからかうものに変えて。
『馬鹿だな、君は。本気にしたのかい? そんなことあるわけないのにさ!』
 そうしてDDDDD…といつものように笑うに違いない。
 そんな予想は容易く出来て。目に映る映像を信じるよりも余程簡単だった。
 けれど。
「……っ」
 どうしてそれが、こんなに苦しい。
 愛しそうな目をして《イギリス》を抱きしめる《アメリカ》を見ていた時とは違う種類の苦しさが胸に凝り、重くのしかかる。苦しさは痛みも伴って、俺は思わず心臓の辺りのシャツを掴んでいた。
 こんな《アメリカ》を認めることも出来ずに否定をするくせに、いつも通りの《アメリカ》を思い浮かべるのも辛い。
 なんなんだ、俺は。どうしたいんだ。
 分からない。分からなかった。どうしたいのかなんて。
 とにかく、こんなアメリカ、見ていられない。
 けれど。これが嘘だと小馬鹿にしたように言うアメリカは、見たくない。
「……くそっ」
 つまりはそれが、答えだ。
 見ていられない。
 見たくない。
 どっちを望んでいたかなんて、その時点で。
 いや、嘘だ。そんなことあるわけない。比較の問題で、俺に冷たいアメリカを見るくらいならば、多少意味合いが違ったところで俺に優しいアメリかを求めるのは普通だろう。
 思考が勝手に巡る。自分で自分に言い訳をしていると感じる。
 言い訳と思ってしまう時点で終わっているのに、止めることが出来ない。
 駄目だ。これ以上考えていては駄目だ。
 頭のどこか冷静な部分がそう告げてきて、俺は何かに追い立てられるように手を彷徨わせ、落としたコントローラーを探り当てて掴む。
 このままでは駄目だ。考えてはいけないことを考えてしまう。
 極力目を逸らしながら、たぐり寄せたコントローラーのボタンを、恐る恐るに押した。
 進むのは怖い。愛しいものを見るような柔らかな瞳が、冷たく嘲笑を含んだものに変わってしまうのが。
 だが、あのまま見ているわけにもいかないし、怖かった。よくないことを考えてしまいそうになる自分が。
 震える手でページ送りボタンを押すと、台詞が消え、新しい台詞が表示される――筈で。
 けれど、すぐには画面の文字表示部分には何も表示されなくて焦る。
 なんだ? 壊れたのか? 
 そう危ぶんだ時。
 ようやく画面に動きが現れた。
 それに安堵しかけた俺だったが、いつもと違う様子に、また目を瞠ることになる。
「……?」
 画面が動く。
 それは、今までのように画像とテキストが表示されるということではなくて。
 テキスト表示部分が消え、画面は画像でいっぱいになり、そして。
 動き出す。
 画面の中のアメリカが。
 そうか、イベントムービーなのか。と、理解しかけたところで――
「……っ!」
 思考が、再び停止した。
『イギリス……』
 アメリカが。《アメリカ》が名を呼ぶ。抱きしめたまま。さらに、抱きしめる腕に力を込めて。
 こんな……苦しさを滲ませるほど切なげな音で己の名が呼ばれるのは、生まれて初めてのような気がした。
 てっきり、冗談だと笑って突き放されるかと思っていたのに。
 これは……これでは、本当に……。
 戸惑い、狼狽する俺を余所に、ボタンを押さずとも進んでしまうムービー画面は待ってはくれない。
 そして。《アメリカ》は、《イギリス》の肩口に顔を埋めるようにして、苦しさに耐えきれずに零したかのように言った。
『君が……好きなんだ』
 現実では勿論、ゲームの中でさえ、最早聞くことなど出来ないと思っていた言葉を。




『好……き……?』
 ゲームの中の《イギリス》が、呆然とした様子で言われた言葉を繰り返す。
 何を言われたのか分かっていない。そんな様子で。
『ああ、好きだよ。言っておくけど、冗談でも、君をからかっているわけでもないぞ』
 《イギリス》を抱きしめたまま、《アメリカ》が念を押すように……でなければ、逃げ道を塞ぐように、言った。
『そ、んなこと、言ったって……!』
 抱きしめられたままの《イギリス》の瞳が戸惑いに揺れている。
 信じたい。けれど、信じることが怖い。冗談でないと言われても、すぐにアメリカの表情や口調がいつもの調子に戻って『引っかかったね!』と言われることが怖くてしょうがないのだろう。
 分かる。分かるに決まってる。だって俺もそうなのだから。次の《アメリカ》の台詞を聞くのが、怖くて仕方がなかった。
 けれど《イギリス》には分からず、俺には分かっていることが、もうひとつある。
 それは、ゲームの中の《イギリス》が見ることの叶わぬ、《アメリカ》の表情だ。
 《アメリカ》に強く抱きしめられているイギリスは、《アメリカ》の表情を見ることが出来ていない。だから不安になる。信じたいのに、信じられないと思う。
 けれど俺には見えている。抱きしめられている《イギリス》ごと、《アメリカ》の表情が全て。抱きしめる腕に込められた力の強さと、その掌の先が示す躊躇いまで全て。
 だから、分かった。
 見たいと思い、見たくないと思ったシーンの先。
 《イギリス》の言葉を待って、苦痛と期待がない交ぜになった《アメリカ》の表情を見てしまえば、信じざるを得ない。
 《アメリカ》の言葉が嘘ではないのだと。本当に《イギリス》が好きなのだと。

 不思議と、落ち着いた気分だった。
 現実に似すぎている《アメリカ》の、あまりにも現実離れした態度に動揺したけれど。
 そうだ。考えてみれば、これはゲームなのだ。
 《イギリス》は、どれだけ俺に似ていたって俺ではないし、《アメリカ》だって、どれだけアメリカに似ていたってアメリカではない。
 だから、現実では有り得ない展開にだって持って行けるのだろう。
 現実には迎えることの出来ない形の《トゥルーエンド》というやつに。
 
 我に返ることが出来たのは、《アメリカ》が《イギリス》を強く抱きしめたからだ。
 そして愛しさ故の苦しさを滲ませた声で、好きだと告げたから。
 あまりにも現実離れしたそれは、返って俺に現実を思い出させてくれた。
 辛すぎる現実を、思いしらせてくれた。
 ゲームの中で《アメリカ》に抱きしめられる《イギリス》を見て、俺は何を思った……?
 考えたくない。認めたくない。
 けれど、確かにあの瞬間、己の中を埋め尽くし走り抜けた感情を忘れきることは難しかった。

『信じてよ、イギリス』
 ゲームの《アメリカ》が請うように言う。
 そんな風に願われてしまえば、俺の――《イギリス》のとれる反応なんて、決まっているのに。
 ああ、嫌だな。見たくない。あれほど望んだトゥルーエンドだというのに。
 先程まで見たくないと思っていた悪い予想は外れ、このままであればいいと願った、その方向にいっている筈なのに。
 見たくない。見ているのが辛い。
 これはゲームで。トゥルーエンドで。ここまで来たなら、きっと向かう先はひとつ。
 ゲームの中とは言え、《アメリカ》に冷たく突き放されるのは辛い。ゲームの中でくらい、良い目を見たっていいじゃないか。
 そう思ってた。
 その気持ちに偽りはないし、今でも思っている。
 トゥルーエンドを迎える前の小さなアメリカ相手だったならば、その気持ちに一点の曇りもなくそう言い切れた。
 だけど今は。
 向かう先がハッピーエンドだと分かっているのに、見たくない。見続けるのが辛い。
『信じてくれるまで、何度でも言うよ。俺は、君が――』
 抱きしめていた腕が、少しだけ緩められて。
 肩口に顔を埋めていた《アメリカ》が顔を上げ、《イギリス》の顔を覗き込む。
 画面に映る二人の距離は、あまりなく。至近距離といっていい二人をアップで映し出している。
 
 嫌だ。見たくない。

 ゲームの中でくらい。
 そう、思ってた。
 だけど、ゲームの中でなければ、こんなことは起こり得ない。
 分かっている。知っている。それでいい。こんなこと現実に起こるわけはないし、起こってもらっては困る筈なのだから。
 いくらアメリカに冷たくされるのが辛いからって、これはない。こんな展開なんて望んでるわけがない。
 俺が望むのは、もっと家族のような。でなければ、親しい友人のような親愛であって、こんな……まるでラブシーンのようなものは望んでいる筈がないんだ。
 だからだ。見たくないのは。止めたいのは。
 弟と思っている相手とのラブシーンもどきなんて見たいわけはないのだから、見たくないのは当たり前で。
 なのに画面から目を逸らすことも出来ないまま、コントローラーを闇雲に押して止めようとしている手は震えて、どうしてだか胸が痛い。
 
『アメリカ……?』
 ただでさえ至近距離だった二人の距離が、さらに近づく。
 この先に訪れるであろう光景を思って、ひやりと胸が冷えた。
 やめろ。やめてくれ。嫌だ。見たくない。知りたくない。思いしりたくなんかないんだ。
 それを見て。訪れるであろう光景。迎えるであろう終わり。それを見て思いたくなんてない。
 困惑と少しの嫌悪以外のものなど、覚えたくない――!

 なのにどうしてか、目が離せない。瞼を閉じて耳を塞げばいいはずだった。でなければコントローラーを置いて電源を切ればそれで済む筈なんだ。
 現実と違ってゲームはリセットも電源オフも出来て、いつだってやり直しが可能で困ったら全てを消し去ることだって可能なのだから。
 どれだけ逃れようとしても逃れられない現実と違い、ゲームの世界はとても優しい。
 そう、優しいんだ。
 時に厳しく冷たいし俺の望み通りにいかない部分だって多くて、むしろそちらの方が多いけれど、それでも現実よりは遙かに優しい。
 嫌なのは、ゲームそのものではない。
 ハッピーエンドが嫌なのでも、ようやく迎えたらしいトゥルーエンドに不満があるわけでもない。

 だから問題なのだ。
 嫌じゃない。不満がない。それが嫌でたまらない。
 おかしく思わなければ嘘なのに。何だこれはと、戸惑って怒ってゲームを止めることが当たり前だと分かっているのに。
 有り得ない展開に。有り得ないエンディングに。
 それを優しいと思って現実よりもいいと思って、そして現実の冷たさを思い知って嫌になることが嫌だ。

『……好……』
 唇が、重なる――。

 そう思った瞬間だった。

 ヒュ、と何かが高速で頬を掠めたかと思うと―――

 ガシャァアアアアンッ!!!!!

 唐突に、突然に、画面が砕け散る。

「は……?」
「……ひっ」

 ぽかんと、砕け散った画面を見る俺の少し後ろから、日本が息を飲んだ音が聞こえた。
 一体、何が起こったんだ?

 テレビの画面の中央に、何かが刺さっている。白く細長いそれは、確かゲーム機のコントローラーのひとつだった筈だ。
 どうやらそれが、テレビ画面を粉々に砕いたらしい。
 コントローラーは随分と深くまで突き刺さったのか、画面だけでなく音声までも聞こえずに止まっている。
 図らずも、見たくないと思っていた俺の希望は叶えられたわけだが、予想外すぎる事態に思考が追いついていかない。 
 そもそも、このコントローラーはどこから飛んできたのだろう。
 俺の頬を掠めたということは、大凡俺の後ろから飛んできたと思われるのだが。日本が居るのは、後ろと言えども斜め左後ろにあたる為、違うだろう。
 それに、なんで日本が自分の家のテレビを壊す必要があるのか。自分で起こした不慮の事故というには、息を飲んだタイミングがおかしかった。
 俺がゲームをしていた日本の家のテレビは薄型で大きく、高そうなものだったし、日本が自分で壊したとは考えにくい。
 そして俺でもない。俺が使っていたコントローラーは、未だに俺の手の中にあるし、俺の両手はそれで塞がっている。
 となると――第三の人物が、居るということになる。
 これには間違いがあるまい。
 何故なら、背後に強烈なプレッシャーを感じているからだ。
 走ってきたのか、ぜーはーと苦しげな荒い呼吸が聞こえていることもあり、誰かが少し離れた位置とはいえ、俺の背後に立っていることは間違いがない。
 問題は、それが誰かと言うことだ。

 ギ、ギギ……と錆び付いた音がしそうな程のぎこちなさで、俺は恐る恐るに振り返る。
 すると、そこには――
「HAHAHAHAHA、随分と面白いゲームをしてるじゃないか、イギリス! あと、日本?」
 満面の笑みを浮かべながらも、肩で息をしてさらに額に青筋を浮かべて仁王立ちをしているアメリカの姿があった。

 ――ジーザス。




 数分後――


「……死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい」

 俺は、日本の家から随分と離れた住宅街の一角にある、小さな公園のベンチに居た。

 何故かと言えば、仁王立ちしているアメリカを見た瞬間、反射的に立ち上がって逃げ出していたからである。
 しょうがねーだろ。気がついたら足が勝手に逃げ出してたんだから。
 日本の家で寛いでいたから、携帯も財布も持ってない。
 どうやって逃げてきたかも分かってないので、どうすれば日本の家に戻れるのかも分からなかった。
 だが、そうした不安よりも今俺を埋め尽くしているのは――。
 逃げ遂せることが出来た安堵と、それを上回る後悔と羞恥である。

 見られた見られた見られた見られた見られた見られた……っ。

 よりによってアメリカに、よりによってあのゲームを遊んでいるところを。
 それもあんなシーンを暢気に(いや俺の心情で言うのならば暢気とはほど遠いものではあったのだが)見ていたところを見られた……っ。
 あんなところを見られるくらいなら、まだ部屋で自慰してるところ見られた方がマシだ。
 いや、それも随分と最悪だが。

 どちらにしろ駄目だ。もう駄目だ最悪だ終わりだ死ねる。
 笑顔でありながら、怒りも露わに額に青筋浮かべているアメリカなど、あまり見ない。
 あいつの場合は怒る時だって大概がストレートで、ぽこぽこと湯気をたてるような、拗ねるのに近い怒り方ばかりだってのに。
 いきなりコントローラーを投げるなんて、 アメリカにとっても相当な衝撃だったのだろう。
 俺が見たって驚いたんだ。突然現れて見てしまったアメリカが驚くのも当たり前と言えた。
 テレビを咄嗟に壊してしまったのも理解できる。普通、あんなもの見たくないだろうから。
 ゲームの中で自分そっくりの登場人物が誰かとラブシーンを演じているだけでも驚きだろうに、相手がよりにもよって俺ときているのだから、一秒でも見たくないと思ってテレビを壊すのも当たり前だった。
 考えたことすらない可能性に対する、生理的な拒否反応なのだろうから。

 ああ、日本に悪いことしちまったな。後でテレビは弁償しとかねーと……。
 壊したのはアメリカだが、壊させたのは俺みたいなものだし。
 ベンチに座りながら、膝に肘をついて項垂れるように地面に視線を落とす。
 ざらざらとした砂を意味もなくサンダルのつま先で蹴るようにしてから、深々と溜息をついた。

 途方に暮れて空を仰ぎ見れば、雲ひとつない青空が視界いっぱいに広がる。
 そうして見上げたまま目を凝らせば、空に重なるようにして、今のアメリカと……それからゲームの中で見た様々なアメリカの姿が過ぎっていった。

 出会ったばかりの頃の、小さなアメリカ。
 少しだけ成長して「イギリス」とちゃんと発音出来るようになったアメリカ。
 もう少し大きくなって、しきりに家の手伝いをしようとしていたアメリカ。
 空に映り蘇る姿はどれもこれも可愛くて、まさしく俺を癒してくれる天使だ。目に入れても痛くないほど愛しい。

 ああ、だけど――《トゥルーエンド》で見た、あのアメリカは一体、なんだったんだろう。
 あんなアメリカは知らない。
 本物のアメリカと同じように、冷たい言葉や適当な言葉で人を突き放したりもするのに。
 本物には有り得ない熱の篭もった目で俺を見て、請うように名を呼ぶようなアメリカは。
 勘違いだと、そういうものではないのだと誤魔化すことも許さず、ゲームのアメリカは『好きだ』と告げて、抱きしめてきた。
 あの時は驚く方が先で。ゲームの展開にも、それ以上に俺自身の思考にも驚いて冷静じゃなかったからな……。
 確かに俺は、アレを見てほんの少しだがゲームの中の俺を羨ましいと思ってしまった。それは認めよう。
 だが、あの展開は俺とアメリカということを抜きにしても、ゲームとしてもおかしいんじゃないかと俺は言いたい。

 日本は何を考えてあんなエンディング(しかも妙に凝ったもの)を作って、しかも《トゥルーエンド》だなどと言ったのだろうか。
 俺にプレイして欲しかったと言っていたが、最終的には多くの人間が遊ぶのだろうから、あのエンディングもそうした需要を見越してのことだったのかもしれない。
 とはいえ、主人公はモデルが俺なだけで別人だということを考えても、主人公もアメリカも男だ。
 その上であのエンディングが来る時点で何もかも間違っている気がするんだが……。

 本当に、日本はなんであんなゲームと、エンディングを作ったんだろう。
 アメリカ育成は、分かる。
 何しろ小さい時のアメリカは世界で一番可愛いのだ。誰もが癒され、そして幸福を味わうだろう。
 もし小さい頃のアメリカを見ても可愛くないと思う奴が居るのだとしたら、そいつの頭はおかしいに違いない。
 俺は全力でもってそいつの考えを矯正しにかかると誓う。
 もっとも――俺以外の奴がアメリカを育てて、あの眩しい笑みや「イギリス♪」と呼ばわる声を聞くのかと思うと、面白くもないけれど。

 ああ、そうか。その可能性を考えていなかった。
 あのゲームを多くの人がやるということは、多くの人間があの可愛らしいアメリカを見るということだ。
 どうだ、これが俺の可愛いアメリカだぞ、可愛いだろう! と自慢したい気がないではないが、それ以上に他人にあのアメリカを分けてやるのは癪だとも思う。
 それに――あの、トゥルーエンド。
 あれを、見るのか?
 多くの人が?
 
 どうしてだろう。
 どうしてかその想像は、小さなアメリカの可愛らしさを誰にもやりたくないと思うのと同じかそれ以上に、じりじりと胸を焦げ付かせるような苛立ちを俺に与えてきた。

 ――嫌だ。

 どうしてか分からないけれど、それは嫌だと思った。
 焦燥に急かされるようにして、俺は立ち上がる。
 まだ疲労は残っていたけれど、それよりも居ても立ってもいられない気持ちの方が勝った。
 
 けれど日本の家で戻ろうと足を踏み出した瞬間、重大な事実を俺は思い出した。

 そういえば、俺はあそこから――アメリカから、逃げてきたんじゃないか。
 今更ながらに思い出して一瞬足を止めるが、しばらく躊躇った末に結局は歩き出した。

 じっとしていることは出来なかったし、それにアメリカはとっくに帰っているかもしれない。
 怒って、憤慨して。俺と……顔を合わせたくないと思って。
 自分でその様を想像してズキリと胸が痛んだけれど、今ばかりはその方が助かる。

 いつまでも引きずる奴じゃないから、一年も我慢すれば忘れてくれるだろうし。
 元々、なくなるほどの好意もない。
 俺の方から会おうとしなければ、一年の間にアメリカと会う回数なんて、多分ほんの数回くらいのものだ。
 俺の顔を見なければ早めに忘れるだろうし、俺に会わなくて済めば向こうも万々歳で、はは……いいことだらけじゃねーか。
 良かったなアメリカ。
 何か言われたら、そう言ってやろう。
 暫くお前の前に顔出さないから、それでいいだろう。お前も嬉しいだろうと。

 自分で言っていてなんだが、流石にへこむな……。
 顔を合わさない、構わない。っていうのが交換材料になるってのはどうなんだ。
 くそ、どうせ俺はアイツに嫌われてる。

 精一杯の愛情を込めて育てても、結果はこの通りだ。ゲームのように行くわけがない。
 確かに小さい頃は俺を好きでいてくれたのに。
 何を間違えたのだか未だに分からないが、いつからか嫌われていた。挙げ句に独立までされた。
 今では、流石に独立そのものは仕方なかったと思っている。
 従順なカナダだって独立した。時代の流れで、どうあってもアメリカはいつか独立しただろう。
 けれど独立する少し前の態度や、独立後の態度を見ていれば、あいつが俺のことを嫌って独立したなんて明白すぎる。
 必要に迫られてもいたんだろう。機運だった。勢いもあった。
 それでも、根底に好意が――愛情が少しでも残っていたのなら。
 その後にあんな態度はとらない。……とれない筈じゃないのか?

 俺は、一体何を間違えたんだろう。
 ゲームの中で繰り返しアメリカを育てながら――本当は、ずっとそれを考えていた。

 何がいけなかった?
 どうすれば良かった?

 独立は避けられないとしても、俺への好意を消さないでいる方法が。
 愛情を残しておく方法が。
 どこかに、何か、あったんじゃないかと。

 独立されてから何度となく繰り返して、答えなんて出るわけもなく、結局は《そんな物はない》と諦めて切り捨てた疑問を、もう一度俺は、考えていた。
 俺を愛してくれたまま天へ返ったアメリカを見ても、答えなんて出なかったけれど。
 家族だと言ってくれたアメリカを育てられても、何がいけなかったのかなんて、分からなかった。

 ゲームと現実は違うけれど、ゲームでさえ分からなかったのだ。
 もし現実の過去を何度やり直すことが出来たとしても、俺にその答えは分からないのだろう。

 アメリカの中にあった筈の好意を消さない方法も。
 アメリカに嫌われない方法も。
 アメリカに、新たにでもいいから多少の好意を持ってもらう方法すら分からない。
 なのにどうしてあんな――《トゥルーエンド》のような好意など、抱かれる可能性があるだろう?

 ああ、分かってる。分かってるさ、そんなこと。
 今更だ。何度となく思い知った。この二百数十年の間に、飽きるほど。

 ――だったら。
 せめて、大切な過去くらい。
 アメリカを育てたという、人から見たら失敗だと言われて正直自分でもそう思うところがあったとしても、俺にとっては大事な過去を。俺だけが許された事実を。
 架空でさえも許さずに俺だけのものにしておくくらい、いいじゃないか。
 ついでに――ゲームの中のアメリカくらい、他の奴に渡したくないと思ったって、いいだろう。

 どうせアレを見られてアメリカには更に軽蔑されて嫌われたんだ。
 暫くは会えないだろうし、会っても喋るどころか目さえ合わせてくれなくてもおかしくない。
 だったらあのゲームを独占させてもらって、少しでも自分の心を慰めたい。
 それくらいは許されたっていいと思う。

 次に顔を合わせた時のアメリカの反応を思うと足が鈍りそうになるが、その度に頭を振って考えを払う。
 先延ばしにしたところで結果は同じなのだから、せめて心の慰めくらい確実に手にしておくんだと己を叱咤して歩を進めていたのだが、不意にそれが止められた。
 アメリカの反応とゲームの行方についてで頭がいっぱいになっていた俺は、周囲への注意が疎かになりすぎていたらしい。
 曲がり角の手前で、無様にも人に思い切りぶつかってしまったのだ。
 ぼけるにも程がある、と歯がみする思いと。
 それからぶつかった相手に謝らなければと、いつの間にか俯けていた視界を上げようとしたのだが――
 
 その前に、俺の意識と体は凍りついた。

「……ッギ、リス……!」
 目の前に居たのは、額から汗を流して俺以上に息をきらせた様子の、アメリカだったのだ。




「……ア、メリカ……」
 咄嗟に《逃げなければ》という言葉が脳裏を過ぎるが、驚愕に固まった体は今までの疲労もあってか咄嗟に動いてはくれない。
 その上アメリカはこちらの姿を認めると同時、殆ど反射と言っていい速さでこちらの肩をがっしりと掴んでいて、とてもじゃないが逃げ出せそうもなかった。
 手加減も忘れているのか、肩にかけられた手はぎしりと骨が軋み肌に跡が残りそうなほどの強さである。
 逃げられない。
 現状を認識すれば、次いで湧いてくるのは『痛い、離せ』という言葉だけれど、それすらも口に出来ずに俺は固まっていた。
 僅か見上げる視線の先。
 掴んだ肩を起点に己を引き寄せるようにして距離を詰めてきたアメリカの目には、苛立ちと同時に――必死の色が、強く浮かんでいて。
 その強い視線と、輪郭を幾筋もの汗が流れ落ちていく様。
 それから酸素を取り込もうと荒く喘ぐように繰り返される呼吸に、どうしてか意識を引きつけられて眼が離せなくなる。

 ――なんて顔を、してるんだ。

 瞳に滲む色そのままに、必死に。
 ずっと追って追いかけて探して、ようやく見つけたとでも言うような様子で、俺を見て俺を捕まえて俺の名を呼ぶ。
 そんなことが、どうして起こってる。
 まさか。あるわけない。
 と思うが、疑念は払えない。
 もしかして……俺が逃げ出してからずっと、追っていたのか。
 俺を、探していたのか……?
 そんなバカな。
 アメリカが俺を追う理由なんて、あまりない。
 あの光景を見て怒りか軽蔑か気色悪さか――。
 何かの感情を抱いたとしたって、わざわざ自ら追ってまで非難するほどの労力をアメリカがに俺にかけるとは思えないじゃないか。
 それとも――それほどに、あの光景はアメリカにとって許せないものだったのだろうか。
 画面を壊して見るのを止めただけでは済まないほど。
 その原因である俺を、間を置くことなく一刻も早く断罪しなければ気が済まない程?
 針で刺されたような痛みが、胃と心臓の合間あたりに走った。

 当たり前だ。それはそうだ。
 アメリカは正しい。
 あのゲームを見て。
 あのシーンを見て。
 嫌悪も覚えず驚愕よりも羨望を覚えるような俺を、アメリカが許しておく筈もない。

 一瞬でもアメリカの必死さを都合の良いように捉えようとした懲りない自分に嫌になる。
 気付いてしまえばアメリカの必死さが強ければ強い程に次にもたらされる言葉や表情が怖くて、自然と視線は俯いて唇を噛みしめていた。
 だがそんな逃げも許さないつもりなのか、ようやく呼吸が収まってきたらしいアメリカは、ひとつ大きな息を吐いてから無理矢理こちらに視線を合わせてくる。

「……君、いい加減にしなよね」
 だいぶ落ち着いてきたとはいえ乱れを残して向けられた声は、凍るような冷たさで響いて。
「何も持たずに急に飛び出したりしてさ。追いかけるオ……じゃない、探したり心配する日本の迷惑も考えなよ」
 言っておくけど俺は心配なんかしてないんだぞ。 日本がどうしてもって言うから仕方なくこうしているだけであって!
 なんて、次々と言葉が降ってきた。
 俺を突き落とすばかりの言葉に、なぜだか苦笑が浮かぶ。

 バカだな、アメリカ。
 そんなこと、言われなくても分かってる。
 ほんの数秒前に思い知ったから。
 自分のバカさ加減まで合わせて思い知ったばかりなんだから、そんな必死にならなくていい。
 お前が心配しなくても、もうそんな勘違い、一瞬だってしないようにするから。

 ――いや、きっとアメリカは正しいのだ。

 何度も何度も繰り返し俺を突き落とす言葉を放つのだって、必要に駆られてなんだろう。
 何故なら俺は何度繰り返されても懲りない。
 もうアメリカに視線すら向けて貰えないと思っておきながら、一瞬であれアメリカの必死さを都合良く受け止めかけてしまった。
 俺のしつこさを、どうしようもなさを、きっとアメリカは良く知っている。分かっている。
 だからアメリカは、俺にだけは他の奴にしないような、あえて突き放す態度をとるのだろう。
 
 俺はいつも、アメリカの俺に対する感情を読み間違える。
 願望のせいだろうか?
 ここまでは大丈夫だろうと思ったラインはいつでも間違えていて、アメリカを怒らせてばかりだ。
 今更アメリカを喜ばせる方法なんて、贅沢は言わないから。
 せめて気分を害さない方法くらい、分かればいいのに。
 たったそれだけのことさえ出来ない自分が嫌になる。
 俺を逃がしたままにしておけない程、お前が不快に思って怒っているなんて予想も出来なかった。
 そこまで厭われているのだとは、思いたくなかった。
 だから、逃げた。逃げていられた。
 戻っても大丈夫だなんて思っていられた。

「……悪ぃ……」
 胸の内に溜まる幾つもの思いを口に出来るわけもなく、短く謝罪を告げることしか出来ない。
 こんな簡単な謝罪では納得して貰えないだろうが、言葉にすることが怖かった。
 泣いてしまいそうだというのもあったし、口にすれば口にするほどアメリカを不快にさせるのではないかと思うと怖かったのだ。
 同じくらい、アメリカの反応が怖い。
 誠意のない謝罪だと詰られるのだろうか。
 謝罪くらいでは収まらないと、何某かの要求を――例えば今後一切、近寄るなだとか――されるだろうか。
 だからといって言い訳のような言葉を並べ立てる気にもならず、唇を強く噛んで身構えるしかない俺に向けられたのは――意外にも短い溜息で。
「もういいよ。それより、早く戻るんだぞ」
 肩を掴んでいた手を滑らせ、手首を強く握られて引っ張られる。
「……ああ」
 そうか。
 やっぱり俺には、アメリカのことなんて分からないんだな。
 視線を逸らすように踵を返し、無言で腕を引っ張って足早に歩く背中は、こちらの言葉の全て拒絶しているように見えた。
 詰る価値すらないのだと言いたいのかもしれない。
 一刻も早く戻らなければならないと思っていて。
 日本の家に戻る為に道を聞く誰かを捜していて、こうして無事に戻ることが出来るのだから喜ばなければならない筈だが――とても、そんな気分にはなれない。

 掴まれた手首が、苦しかった。

 そんな場合ではないのに、思い出してしまう。
 《トゥルーエンド》のアメリカを。
 彼に、同じように手首を掴まれていたゲームの《イギリス》を。
 同じ行為でありながら、こんなにも現実の俺達とは違うゲームの中の二人を。
 そして。

『君が……好きなんだ』
 切なさと愛しさを押し込めたような声で言った《アメリカ》を。

『信じてよ、イギリス』
 願うように口にされた言葉を。

 なんでこんな時に、《トゥルーエンド》を思い出したりするんだ、俺。
 馬鹿みたいだ。比べても仕方がないだろう。 
 アレはゲームなんだ。たかがゲーム。
 ゲームだからこその、有り得ない《トゥルーエンド》。

 引き合いに出すだけ馬鹿馬鹿しいと思うのに、思い返すだけで喉の奥が熱くなる。
 涙に似た、それよりも苦いものが溢れそうになる。

 そんな展開、望んでなどいない――と。繰り返した虚勢が、剥がれ落ちていく。
 考えたくはなかった。
 知りたくはなかった。
 考えるのを止めた。
 何度となく、何度となく、現実よりマシという意味での羨望だなんて、言い訳をした。
 ああ、だけど。

 思いを伝えたくて掴まれた手首。
 思いを否定する為に掴まれた手首。

 その差を思い知らされれば。
 現実に触れる熱の、その意味の冷たさを理解して。
 冷えて凍える胸とは相反して熱くなる眼の奥を喉の奥を誤魔化しようもなくなれば、認めざるを得ない。

 ――羨ましかったんだ。

 望んでいないと思っていた。
 ただ、ゲームよりも軽くどうでもいい存在でなくなれたら、それだけだと。

 考えたこともなかった。
 それも嘘ではないのに。

 現実には望むべくもない《トゥルーエンド》を見てしまった瞬間から、芽生えていた。
 自覚すらしていなかった酷く浅ましく醜く有り得ない望みを、知ってしまった。

 なんてことだ。
 俺は、あんなものを。
 あんな有り得ないものを、望んでるのか。
 これ以上、嫌われない方法すら俺には分からないのに。

 現実は残酷だ。
 トゥルーエンドなど、どこにもない。グッドエンドすら、有り得ない。
 こんな想いを自覚する前から決まってる。
 こんな想いを抱いてしまったのなら、尚更で。
 俺とアメリカにあるのは。
 この先に待っているのは。

 ――いつだって、バッドエンドだ。





 アメリカに引きずられるまま日本の家に戻り、先程までゲームをしていた居間へと入った俺は、そこに人の姿が見えないことに首を傾げる。
「日本はどうしたんだ?」
 家主である日本の姿がないことを不思議に思って問えば、アメリカは同じように俺の斜め左手に座りながら、どこか不機嫌な表情で答えてきた。
「夕飯の買い物に行ってくるってさ。『あとは若いお二人でどうぞ』とか、よくわかんないこと言ってたんだぞ」
「日本、いないのか!?」
「そう言ってるだろ。何か不都合でもあるのかい?」
 目を眇めるようにしてこちらを一瞥するアメリカの視線は冷たくて、つい「いや、そういうわけじゃ……」と返してしまったけれど、困った。
 そもそも俺は、日本にあのゲームの製造を止めさせる為に戻ろうと思ったのに。
 アメリカに見つかり連れ戻されたのは分かっていても、何故こんなことになっているのだろう。
 先程のことを問い詰めるなり責めるなりしたくて俺を連れ戻したんだろうに、不機嫌そうなままで何を言うでもなく座り込んでいるアメリカと二人きりというのは、どうにも落ち着かない。
 居間を覆い尽くす沈黙が重く、そわそわしていた俺は居たたまれなくなって口を開いた。
「そ、そうだ。紅茶でも淹れるか。俺ん家から持ってきた、良い茶葉があるんだ」」
 喉の渇きを覚える割に紅茶という気分ではなかったけれども、この空気の中でじっと座っているよりはと立ち上がりかけ――
「いらないよ」
 しかし、その腕をアメリカに掴まれて、強引に座布団の上に戻される。
「へあ!?」
 予期せぬ動きに真抜けた声をあげ、とすんと座布団の上に尻餅をつく形になった俺に、アメリカの呆れた溜息が落とされた。
「何やってんだい」
「お前のせいだろうがっ」
 自分でやっておいて、この言い草はないだろう。
 俺はただ手持ち無沙汰だし、紅茶でも淹れてやろうと思っただけじゃねーか。
 いらないにしたって、口で言えば済む筈なのに強引に止めておいて、溜息つくってどういう了見だ。
 アメリカが怒っているのも、アメリカに嫌われているのも、アメリカから心底軽蔑されただろうことも分かっている。
 だが、それと奴の行動や言動に腹が立つ立たないは全く別の話だ。
 それがいけないのだろうとは、思うのだけれども。
 たかが沈黙を誤魔化すことすら。たかが茶を淹れることすら、気にくわないと思われるのか。
 こんな些細な行動でさえ、アメリカの機嫌を損ねずにはいられないのかと思うと怒りよりも苦しさの方が強くなってくる。

 例えばこれが――ゲームなら。
 あの中の小さなアメリカなら、こんな風にはならなかっただろうか。
 立派に育って天へ帰ったアメリカだったなら?
 ああ、でも《トゥルーエンド》のアメリカは、俺への基本的な態度は本物に近いから似たようなことになったかもしれない。

 どちらにしろ、今はリセットなんて出来ない現実で。
 それはどこまでも俺には冷たく厳しい。
 《トゥルーエンド》など望むべくもなく、俺とアメリカの間にあるのは《バッドエンド》だけだなんて分かっているが、似たような道を辿りながら辿り着くのは全く違う場所というのが、一番堪える。
 望んだって仕方がないとは思うが、現実と殆ど同じ道を通った筈なのに迎えたあの《トゥルーエンド》を思うと、これが当たり前の現実なのだと分かっていても、理不尽に思う気持ちはどうしてもあって。
「ったく。何でこんなに横暴になっちまったんだか」
 二つの道の乖離を思って口から零れた言葉は、何故だか小さいアメリカを懐かしむ時と似たものになった。
 語る口調は懐かしむというよりボヤくと言った方が近かったけれど、アメリカにはどちらも変わらないものだったのか、瞬時に纏う空気がサーッと冷えていく。
「それ、《いつ》と比べてるんだい」
 低く冷たく吐き出される声。

 ――しまった。

 そう思う意識はあった。
 アメリカは自分の小さい頃を思い返されることや、引き合いに出されることを酷く嫌う。
 何度となく失敗して俺はさすがに分かっていた筈なのに、またやってしまった。そう、後悔する気持ちは。
 でも、違う。そうじゃない。そういう意味じゃない。
「別に、比べてなんかねーよ」
 言葉にしてしまえば、同じように聞こえるだろうけれど。実際に小さい頃のアメリカを全く思い浮かべなかったわけでもないけれど。
 かつて口にしていた似た言葉とは、少なくとも俺の中では意味が違う。
 今まではただ、理解できないだけだった。
 懐いてくれていた小さいアメリカの態度と、今のアメリカの態度の違いが理解できなくて。認めたくなくて。

『あんなに優しかったのに』
『あんなに可愛かったのに』
『こんなではなかった』

 現状を否定する、過去を望む故の言葉だった。
 それはいっそ――『返せ』と言うに、近いような。

 だけど今のは、そうじゃない。
 
 アメリカは冷たかろうが酷かろうが横暴だろうが俺のことを嫌いだろうが、それがアメリカで。
 天使のように可愛かった小さい頃も。
 KYで筋肉メタボで周りに迷惑もかけまくるけど、なくてはならない存在に育った今も。
 どれもこれも。俺が育てた、俺と暮らした、俺にめいっぱいの笑顔と愛情をくれた、アメリカだ。
 俺の手を振り払って独り立ちして。
 色々酷いことも不味いことも失敗もやらかしたけれど、いつの間にか俺よりも大きく逞しく育って。
 目の前で人をバカにしたり傷つけたり尊大に笑ったりしている、こいつこそが、あの小さかった天使。
 ああ、似合わねーなぁ。この筋肉メタボに天使とか。
 思って、笑いそうになるけれど。
 俺への好意をなくした、俺に冷たい、俺を嫌ってる――それこそがアメリカだと認めるのは、正直辛いものがあるけれど。
 ゲームを通して、何回も、いくつものアメリカを見て。
 《トゥルーエンド》のアメリカも見たから、分かった。諦めた。認めた。
 現実は厳しくて辛くてやり直しなどきかない。
 例え『あの時、どうすれば良かったのか』という答えが出せたとしたって、巻戻らない。繰り返せない。
 だからこそ、ゲームのように《違うアメリカ》なんて、存在しない。
 何周も何周もして、やっと迎えた《トゥルーエンド》が現実とあまりにもかけ離れすぎていたように。
 アメリカがアメリカとして在る限り、俺を好きでいてくれるアメリカなんて都合の用意ものは現実になり得る筈もないのだと。
 辛いからこそ、認めたくないからこそ、分かった。
 あの小さな天使の先に居るのが、このアメリカなのだと。

 だから今は、《小さいアメリカ》と比べて言ったわけではない。

「どうだか。君、小さい頃の俺が大好きだもんな。さっきまでやってんだろう、小さい俺を育てるゲームとやらを。今度は思う通りに育てられたかい?」
 意味を否定した俺に返るのは忌々しげに吐き捨てるような声と、棘のある言葉の羅列。
 不機嫌を通り越して怒りを露わにした顔の口元は、嘲笑を作ろうとして失敗したように奇妙に歪んでいて。
 掴んでいた俺の手を払うように離した後で逸らされた視線は、壁の方を睨みつけていた。

 ――なんだ?

 傷つくかとも思った。
 声に籠められた棘に、痛みを覚えなかったと言えば嘘になる。
 だが、それ以上に今のアメリカに感じたのは――違和感と、焦燥だった。

 アメリカの言葉に、冷たさを感じない。
 いつもの馬鹿にするものとは明らかに違うように思えてならない。
 いつもなら――もっと堂々とこちらを睨みつけている筈だ。
 真っ直ぐに俺を非難して嘲る筈なのに。
 逸らされた視線と嘲笑に辿り着かなかった口元は、むしろ自嘲にも似た感情を俺に伝えてくる。

『今度は、思う通りに育てられたかい?』

 今度は、とアメリカは言った。そして

『それ、《いつ》と比べてるんだい』とも――。

 なら、比較されているのは。
 アメリカが想定しているのは――かつて、目の前のアメリカを育てた時を指すのだろう。
 そして。こちらを嘲笑しているようで、しきれていないその表情の意味は。

『今度は、思う通りに育てられたかい?』
 今のアメリカを、思う通りに育てられたかと聞かれれば、それは否としか言えない。
 俺は何かを失敗してしまったと、思っている。

 だけど、違う。それは違う。意味が違う。
 失敗したと思うのは、俺がお前に好かれたままでいられなかったことで。
 嫌われるようなことを、してしまったことで。
 アメリカを責めるようなものでも、今のアメリカを否定したいものでもない。
 かつてはそうだったかもしれないけど、少なくとも今は違う。
 逸らされた視線に。歪み、噛みしめられた唇に、酷く焦燥を感じて――胸が、締め付けられる。

 こんな風に考えるのは、傲慢なのかもしれない。
 お前に嫌われている俺に、お前が某かの重みを感じてくれていると思うのは、自惚れなのかも知れない。
 だけど、疑念が拭えない。
 俺に直接向けられない、内へ向かうような嘲りの笑みは

『どうせ君は、俺が《失敗》だったとでも思ってるんだろう』

 そう言っているのではないかという。

 もしかしてアメリカは……過去を悔いて、今のアメリカ否定するような俺の言葉に――ずっと傷ついて来たのではないだろうか?
 そう考えることこそ、俺の傲慢なのかもしれないけれど。
 少なくとも俺が、自分を憐れんで現状を認めたくなくて吐いてきた言葉の数々は、確かに今のお前を否定する言葉だった。
 だけど俺は、いつだってお前を否定したいと思ったことはないんだ。
 嘘だと思うだろうけど、本当だ。
 かつて向けられた好意すら失ったと思いたくなかった。
 あの時の好意だけは、別物として遠い過去に《現存》するのだと、幻想を抱いていたかった。
 あの時、確かにあったのなら、それで充分だった筈のなのに。
 今はなくなったとしても、嘘になるわけでも、なかったことになるわけでもないのに。
 それでは足りないと。《今》も、好意がどこかにあるのだと、嘘でもいいから信じていたかった。
 否定したかったのは、《今》はどんな好意も得られない自分で。
 今のアメリカを否定したいわけではなかったのに。
 ごめん、ごめんな、アメリカ。
 謝っても仕方がない。口に出した言葉は戻らない。
 これを言ったからって、アメリカに好意が戻るわけではないだろう。一層嫌われる可能性の方が高いけれど。

「アメリカ……」
 躊躇いは、残る。
 それでも俺は、口を開いた。

「思う通りとか、そうじゃないとか、関係ねーよ」
 そうだ、関係ない。どうなっても。どう転んでも。どうあっても。

「どんなお前でも変わらない。小さい頃のお前も、いま俺の目の前に居る可愛くねーお前も。どっちも俺にとっては――」

 そうだ。
 例えとっくの昔に俺への好意など塵ひとつ残さず捨て去ってしまったお前でも。

「大切な、俺だけの天使だ」
 俺にとっては、大切な、大切なアメリカだ。

 真剣に、心底からの思いを込めて言った俺の言葉に、しかしアメリカはビキリと音を立てそうなくらいに固まる。
 なんだ。どうしたんだ。俺はいま、割といいこと言った筈んだが。
「……おい、アメリカ?」
 なんだろう。怒ったんだろうか。それとも、信じられないんだろうか。
 不思議に思って固まってしまったアメリカを呼んでみると、かなりの時間を置いてからギシギシと音がしそうにぎこちない動きで、逸らしていた視線がこちらに戻される。

「……君はバカか」

 そして、硬く乾いた声が発せられた。




 不機嫌な顔を怒りのあまりか呆れのあまりか引きつらせて、アメリカが俺を見る。
 その目に渦巻く感情に気圧されている隙に、伸びてきた手が肩を押さえつけてきて、勢いのままどさりと畳の上に倒された。
 真上から見下ろす視線は、苛立ちと苦渋を滲ませた強いもの。
 初めて見る筈のそれに何故だか既視感を覚えるけれど、記憶を辿ろうとする前に両の手が掴まれ、畳に押しつけられた。
 身動きすら取れなくなった俺に、詰るような声が降ってくる。

「真面目な顔して何言い出すのかと思えば《天使》とか、ホント君は気持ち悪いな! 俺は確かに世界一格好良いヒーローだけど、もう立派な大人なんだぞっ。 君はいい加減に目を覚まして現実を見るべきだ!」
「な……っ」
 そりゃ、言ったらまた嫌われるかと思ったが、『気持ち悪い』はないだろ『気持ち悪い』は!
「うるせぇ、目なんかとっくに覚めてるっての、ばかぁ! どうせ俺は気持ち悪いよっ」
 現実なんか見てるに決まってんだろ。こちとら今日は、思い知らされまくりだ。

 ゲームのあのシーン見られてたんだから、アメリカが俺からの好意なんて気持ち悪いと思うのは仕方がない。
 だけど、じゃあ――どうしろっていうんだ。

 好意を向けるのが迷惑だと分かっていたって、止められたら苦労しない。
 自分を騙しても。
 好きじゃないと、これは過去の名残の、癖になってしまった義務感なのだと言い聞かせようとしても。
 昔も今も、アメリカ以上に誰かを愛することなんて、俺には出来そうにないのに。
 しょうがないじゃないか。気持ち悪いとまで言われたって嫌いになんかなれない。
 既視感を覚える、怒りと苛立ちを込めた――けれど何故か思い詰めたようにも見える姿さえ、俺には天使に見えるんだから。

「ああ、そうだよ。もう一回、お前に好かれてた頃を過ごせて楽しかったよ。ただのゲームだって分かってても、お前に好きとか言われて喜んだよ、羨ましかったよ。しょうがねーだろ。お前が俺を嫌いでも、俺はお前が好きなんだよ!」
 自棄になって叫べば、昂ぶった感情を抑えられなくなって、言葉と一緒にぼろぼろと涙となって溢れ出す。
 情けない。せめて泣いたりせず、勝ち誇ったように言ってやりたかったのに。
 これじゃ、アメリカに言われるのも仕方ない。
 逆ギレて告白とかそれだけでも最悪だってのに、泣くとかホント俺、気持ち悪いじゃねーか。
 止めないと。もういい加減にしとかないと。
 思うけれど、一度堰を切ってしまった言葉と感情は容易には止まってくれない。

「昔が大事で悪いかよ。お前に好かれてたのなんか、あの時ぐらいなんだから仕方ねーだろ。お前が好きだから、嫌われてんの辛ぇんだよ。そんなに昔の話されたくなきゃ、俺のこと好きになりやがれアメリカのばかぁ!」
 みっともない恥ずかしい最悪だ。
 なんだコレ逆ギレにも程があるだろ俺。
 開き直るにしたって、これはない。どこまで口走ってんだ。
 好きになれとか、ほんとない。
 涙腺壊れたみたいに止まらない涙も、ぐしゃぐしゃのみっともない顔も見られたくないのに。
 出来ることなら自分の存在ごと消してしまいたいとも思うのに。
 両腕はアメリカの手によって畳に縫い止められたままで、顔を覆うことすら出来ない。
 ああもう、死にたい死にたい死にたい死にたい……。

「イギリス……」
 呆然とした様子のアメリカの声が嫌だ。
 頼むから何も言わないでくれ。
 気持ち悪いのも最悪なのも分かってるから、改めてお前に言われたくない。
「うっせぇ何も言うな黙ってろ見んなくそ死ねアホ離せ」
 お前に言われなくても、俺が一番俺に呆れてる。
 言ってやりたいのに、喉がつまって上手く喋れない。
 話しているつもりだけれど、未だ止まらない涙のせいか口にした言葉は随分と不明瞭だ。
「イギリス……」
 もう一度、アメリカが名を呼んだ。
 先程よりも呆れは増している筈なのに、どうしてか柔らかく聞こえる。
 憐れんでるんだろうか。
 もしもそうなら、やめてくれ。余計に惨めだ。
 憐れまれたいわけじゃない。嫌われたくもないが、憐れまれるくらいなら嫌ってくれたままでいい。
 そう言いたかったのに、涙のせいか喉がつまって、上手く喋れない。伝えられない。
 逃げることも顔を隠すことも出来ず、仕方なく硬く目を閉じていると――ようやく両の手を抑える手が外された。
 けれどホッとする間もなく、アメリカが。
「ほんとに、君はバカだな」
 苦しそうでありながら、暖かくさえ聞こえる優しげな声で言って。
 脇から掬い上げるように起こされた背中を、引き寄せられ抱き込まれ、抱えていた筈の言葉は全て霧散していった。

 なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ。

「君が俺のこと好きなんて今更だけどさ。……君のこと好きになれなんて。じゃあ君は、どんな《好き》が欲しいんだい」
 むしろ誰だこれ。
 こんな優しげな声をアメリカから向けられたことなんかない。ゲームの中でさえも。
 小さい頃のアメリカとも違う、初めて知る声に、様子に、驚き過ぎて涙が止まった。

 どんな《好き》――?

「……知るか、そんなの」
 問われても、分かるわけがない。いや、言えるわけがない。
 たとえ望むものがあったとしても、どうしてそれを求めることが出来る?
 そもそも好意自体が存在しない相手に。

 だけど――本当に、なかったのだろうか?

 いつも俺はアメリカを読み間違えて苛立たせてばかりで。
 好意なんて欠片も残されていなくて、嫌われてるんだろうと思っていたけれど。
 本当に、本当に欠片も好意が残っていないなら。
 いま、向けられてるこの声は。背に回る手は。触れる温もりは、なんだ。

「ちゃんと考えなよ。君の答えによっては、好きになってあげてもいいんだぞ!」
 なんだそれ。横暴すぎるだろお前、何様だよ。あげてもいいとか上から目線にも程がある。
 思うけれど。同情なんか欲しくはないけれど。
 からかうにしては、変な態勢。
 脇を抱えられて抱き込まれて、気が付けばアメリカの脚の上に乗り上げて抱きついているかのような状態に、ひょっとしたら本当に嫌われ尽くしたわけではないかもしれないと思えて、止まりかけていた脳を必死で動かそうとする。

 どんな《好き》――……?

 答えなら、ある。知りたくなかったのに、気づいてしまった最悪な答えならば。
 小さいアメリカから向けられたものと、《トゥルーエンド》のアメリカから向けられたもの。
 その間に確かに存在する、歴然とした差を思い知らされてしまったのだから。
 現状と《トゥルーエンド》を比較する度に、考えずにはいられなかった差異と違和感と胸に湧く羨望の意味までも。

「俺が見たのは小さい俺を育てるゲームには見えなかったけど、君が羨ましかったのって、どっちさ」
 アメリカの問いは、正確に痛いところを突いてきた。
 俺が羨ましいと思ったのは――たったひとつ。《トゥルーエンド》だけだったから。
 けれど、これを答えてしまえば自動的に《どんな好意》を望んでいるかが知れてしまう。
 答えられるはずがない。言える筈がない。

 俺が、望むものは。俺が望む《好意》は。
 大切な大切な俺の天使に向けていいものじゃないんだ。

 どうすればいい。どう答えればいい。だって無理だ、こんなの。
 ひょっとしたら……アメリカは俺のことをそこまで嫌いじゃないかもしれないのに。
 ほんの少しでも俺への好意を残していてくれたかもしれないのに。
 これを知られたら、終わりだ。もしかしたらの希望さえ消える。
 これ以上の悪化がないならと開き直っても。
 こうして、ほんの少しでも希望を覗かせられれば容易く俺は図にのってしまう。縋りたくなってしまう。
 万が一でもいい。ほんの一欠片でもいい。そこに好意があるのなら、それを失いたくないと思ってしまう。
「言いなよ、イギリス」
 答えられず、言葉に詰まって引きつった表情を隠すことも出来ないでいる俺を、アメリカが容赦なく急かしてきた。
 いつものからかうような笑みの中、どうしてか常よりも強く思える眼光は真剣にも見えて。簡単に誤魔化すことは出来そうにない。
 答えに窮して表情を作り損ねた時点で、もう遅いのだろうけれど。
 俺には、アメリカの嫌がることさえ、分からないのに。
 俺が望むことなど、とても言えない。
 アメリカが望む答えは、俺が望むものでは決してないんだから。
 答えても答えなくても、結果なんて一緒だ。
 アメリカを喜ばせることも、不快にさせないことも俺には出来ない。
 こんな時でさえ、俺は上手く選べなくて。
 ゲームと違ってやり直しなどきかない現実で、いつも間違える。
 だからバッドエンドにしか辿り着けないのだと分かっているのに、どうしてこう、僅かの希望をもって足掻こうとしてしまうのだろう。

 どうして、なんて。そんなの決まっているけれど。
 そんなの――アメリカが好きだからだ。

 好きだから嫌われたくない。
 好きだから好かれたい。
 だから言えない。
 言わなければ不快にさせる。
 言えば嫌われる。

 ――八方塞がりだ。

「……無理だ」
 強いられても、望まれても、言えない。
「何が無理なんだい。どっちか答えるだけだろう」
「無理だ」
 つまらなさそうに唇を尖らせるアメリカに、苦笑が浮かんでくる。
 聞けばどうせ、嫌な顔をするくせに。
「君が素直に言えば、好きになってあげてもいいって言ってるじゃないか」
 重ねられた譲歩に、今度は笑みだけじゃなく笑いが零れた。
「無理だよ」
 お前が俺を、好きになるわけがない。
 たとえ好意を少しだけ残してくれていたとしても、俺のこの醜く浅ましい《望み》を知ってしまえば、それも消えるだろう。
「無理するな」
 笑いは、思った以上に乾いた響きをたてた。
「俺はどうしたって、お前が好きだから。大丈夫、何があっても嫌いになったりしない。だから別に、お前は俺を嫌いでもいいんだ」
 嫌うことと、嫌われてもいいと思うことは違って。嫌っていても、嫌われれば辛い。
 そう。嫌われるってのは、辛いものだ。
 たとえ好きじゃない相手であっても。
 身に沁みるほどそれを分かっているからこそ、アメリカにはそんな思いを味わって欲しくなかった。

 嫌われるのは辛い。
 好きになって欲しい。

 脅すように願いを口にしながら、矛盾していると思うけれど。
 仕方がない。俺が、アメリカに好かれる存在でいられないのだから。
 アメリカは好きになろうと言ってくれているのに。
 その善意を上回るほどに俺が、アメリカに好かれようがないだけの話。

 けれど。

「君、ほんとに面倒くさいな!」

 かなりの労力でもって告げた言葉にアメリカが返してきたのは、苛立ちを含んだ、心底面倒そうな声だった。




「君、ほんとに面倒くさいな!」
  言い捨てるみたいに吐かれた言葉にムッとするが、面倒な人間だという自覚が少しばかりあるので、反論しづらい。
「どうせ俺は面倒くせーよ。だから、いいんだって。好きになるったって、答え聞いたら嫌われるんだから、どっちだって一緒だしな。昔の話は……まぁ、今後はしないように努力する。お前の気持ちは嬉しかったし、有り難かったからさ。安心して嫌え。な!」
 だから仕方なくヤケになってバンバンとアメリカの肩を叩き、深刻になりすぎないよう殊更に明るく笑顔で言い切ってみた。
 ……のに、何故かアメリカは胡散臭そうに半眼に目を細めてこちらを見てくるばかり。
 その目は明らかに不満と不信を伝えてきたけれど、だからと言ってより良い方法なんて思いつく筈もない。

 じっと見つめられると、困る。
 それが胡乱な視線であったとしても、真意を答えを探られそうで、とても困る。

 ……勘弁してくれ。俺に、これ以上どうしろってんだ。

 探らないでくれ。
 どれだけ格好つけたって強がったって、結果を比べてマシな方を選んだって。
 本当に本当の望みは、『好きになって欲しい』に決まってる。
 
 でもそれは無理だから、せめて嫌いにならないで欲しいと思う。
 それすらも無理ならば、嫌いでもいいから。
 放っておいてくれ。
 ただ、好きでいさせてくれ。

 アメリカの野郎、ほんと空気が読めない奴だな。
 俺がこれだけしてやってるんだ。少しは気遣って遠慮しやがれ。
 などと、アメリカ相手に求めても仕方がないことを思っていると――

「そうじゃないだろっ。ああもう、君はちょっと空気読みなよ!」
 思いも寄らない言葉を、投げられた。

 今まさにアメリカに対して思っていたことを当のアメリカから言われるとは思ってなくて、ぽかんとしてしまう。
 空気読めって、おい。
「……それはお前だろ……」
 賭けてもいい。世界の九割は俺の味方をしてくれると。
 空気の読めなさにかけてアメリカとタメ張れるのは、イタリアかポーランドくらいじゃねーか。
 だがアメリカは強く舌打ちしたと思うと、俺の反論など聞いていないかのようにぶつぶつと言い始める。

「日本が言ってた《フラグクラッシャー》って意味がようやく分かったぞ。君の答えを待ってたら、それこそ百年待っても事態が動かないってこともね!」
 ふらぐくらっしゃー、って何のことだ。
 そういえば日本が何回か口にしていたような気がするが、意味が分からない。
「俺のこと大好きなくせに、嫌われてるの辛いって泣くくせに、好きになれって言うくせに、安心して嫌えとか意味が分からないんだぞ。小さい俺を育てるとかいうゲームを嬉々としてやってたって言うし、かと思えばゲームなんかでキスしそうになってるってのに君はぼんやり見てるし。俺なんて成功したの何周目だと思ってるんだい冗談じゃないよ。毎回、伝説の樹の下に来るくせに絶対に断ってくるし、空気読めてないのは明らかに君だろう!」
 アメリカは更に俺には理解できないことを滔々と切れ目なく一息に近い勢いでまくしたてて、俺は圧倒されて口も挟めなかった。

 すまん、アメリカ。愛だけじゃどうにもならないことがあるんだ。
 お前が何を言っているのか、俺にはさっぱり分からない。
「……あ、アメリカ……?」
 説明を求めるべきか否か迷いながらも、ひとまずアメリカに正気に返ってもらう為に控えめに肩を叩いた。
 ……と、アメリカの視線がギロンとこちらに向けられて、それから両肩を強く掴まれ視線を強制的に合わせられる。

「イギリス」
 向けられたアメリカの目は、胡乱を通り越して、もはや《据わっている》と表現して差し支えない不穏なもの。
 どこまでも真剣に、切羽詰まった様子さえ滲ませた目が俺を射抜いた。
 何某かの強い決意を秘めた空色の瞳に、思わず息を飲む。

「俺はもう何度となくリセット繰り返すのも飽きたし、日本に君の攻略方法聞くのもやっぱり面白くないし、君は君で放っておいたら勝手に俺を育てるゲームとかやり始めて、挙げ句に人のこと天使とかバカなこと言い始めるし、ホントこんな面倒なこと二度と御免だから、仕方なく言うけど」
 なんとなく俺に対して失礼なことを言っているような気がしないでもないでもないのだが、前半の謎すぎる台詞に気を取られて良く分からない。
 ここ数日で、幾つかのゲームに関する単語を日本に教わったとははいえ、まだ使いこなせているわけではないのだ。
 どうして《リセット》だとか《攻略法》だとかいう言葉がこの場で出てくるのかが分からない。
 これらの単語には、俺の知らない用法でもあったのだろうか?
 困惑しながら問い質すべきか迷っているうちに、俺の肩を押さえる手が更に強められて、開きかけた口を閉じる。
 射抜く視線は一向に揺るがず、肩に感じる痛みよりも、眼に宿る決意らしき何かが、俺を押し留めた。

「君が素直に俺に『好きだ』って言って、それから俺の生涯の伴侶でパートナーになるって誓うなら、君とのベストエンドを迎える準備が俺にはあるんだぞ。だから君は、俺が言ったことを今すぐ実行すべきだ。勿論、反対意見は認めないからね!」

「……は?」

 ……いま、俺は、何を言われたんだ?
 なんかのゲームの話か?
 話が見えない読めない分からない。
 俺が素直にアメリカに『好きだ』って言って、アメリカの生涯の伴侶でパートナーになるって言う?
 そしたら、アメリカには俺とのベストエンドを迎える準備がある。
 だから俺が今すべきことは、アメリカの言う通りにアメリカに『好きだ』って言って生涯の伴侶でパートナーになるって誓うこと?
 ……。
 ………。
 ……………。
 それで迎えるベストエンドって何だ。
 もしかして、『ANGEL MAKER』の話か?
 俺か――いや、俺というのも変だな。
 ゲームの《主人公》がアメリカの言う通りのことをすれば、別のグッドエンドに行くって、教えてくれてるってことなのだろうか。
 そうとも思えないし、アメリカがあのゲームの先を知っているとも思えない。
 第一、あのゲームが無事かどうかも分からないんだ。
 よくよくアメリカの発言を吟味してみたが、やはりアメリカの意図も、アメリカがどうしたいかも、そもそも何についての話なのかも分からなかったので、素直に聞いてみた。
「……何の話だ?」
「……Oh、No……。さすがだよイギリス。まさかここまで言っても分からないとは思わなかった。君の空気の読めなさと鈍さは世界遺産レベルだね」
「いや、だから。お前には言われたくねーっての」
 わざとらしく身を震わせる真似までされると腹が立つ。
 空気読めないとかアメリカにだけは言われたくない台詞トップスリーに間違いなく入る言葉だろ。
 心からの感想をもう一度繰り返せば、アメリカはまたも忌々しげに睨みつけてきた。
「とにかく、反論は認めないんだぞ! 君が俺のこと大好きなのはお見通しなんだから、早く誓いなよ」
「だから何の話か分かんねーって言ってんだろ! 俺がお前に好きって言えば、お前の生涯のパートナーになるとか、そんな有り得ないゲームどこにあんだよ、あるなら俺に寄越せよ!」

 しまった、つい本音が出た。

 だってそうだろう。そんな有り得ない話でベストエンドがどうとか言うなら、何かのゲームである筈だ。
 俺がさっきやってたみたいなゲームがもう一つあるとするなら――そしてそこに、そんなエンディングの可能性があるとするなら欲しいに決まってる。

「~~~っ君は何でそう斜め上なんだい! なりたいなら、とっとと言えばいいだけじゃないかっ」
「どこが斜め上なんだ。俺はいつだってマトモだ」
「マトモな人は、人を天使天使言ったりしないよ! いいから、俺の伴侶になりたいの、なりたくないの、どっちだい!?」
「なりてーに決まってんだろばかぁ!」
 殆ど売り言葉に買い言葉だった。
 正直、自分が言っている言葉の意味を理解していたわけじゃない。
 ゲームの話だと思っていたから、特に考えもせずに、つい欲望を素直に口にしてしまっただけで。
 言ってしまってからも、「しまった」とは思ったけれど、その時はまだゲームの話だと思っていて。
 だからあくまで、そんなゲームを真剣に欲しがっていることが知られたらアメリカは俺をさらに気持ち悪がるだろうと思ったからだった。

 なのに――

「そうだろう! だからとっとと、俺に告白して誓うといいんだぞ! 拒否も認めないんだからなっ」
 アメリカがそう言って、俺を抱き潰しそうな勢いで嬉しそうに抱きしめてきたので。
「……え……?」
 ようやく、互いの認識に齟齬がある可能性に気づいた。
 あ、れ……。
 なんか、コレ、違くないか。
 ゲームの話だよな。
 何でここで抱きしめられてるんだ俺。
 しかもアメリカが更に『俺に告白して誓うといい』とか言いだしてるって、明らかにゲームの話じゃなくて。
 ――現在、絶賛俺を抱きしめ中であるところの、このアメリカに対しての……話だったのか?

「うぇえええええええええええええ!?」

 行き着いた結論を、理性が瞬時に受け入れることを拒否して、とりあえず俺は衝動のままに叫んだ。

 ない。ない。有り得ない。
 なんだそれ。なんでこうなったんだ。
 俺は日本の家でゲームをしてて。
 ちょっとヤバイ感じの画面をアメリカに見られて逃げ出して。
 でもそんなアメリカがゲームとして販売されるなんて許せなくてアメリカをゲームの中だけでもいいから独占したくて日本と交渉する為に帰ろうとしたら、怒った様子のアメリカに見つかって日本の家に連れ戻されて。
 俺の失言のせいでアメリカの機嫌を損ねたから、どうにかしようと思ったら呆れられて、キレられて。
 今度は俺が逆ギレして。
 それを聞いたアメリカがどんな《好き》が欲しいのか聞いてきて答えられなくて。
 好きになれって言ったけど、言えば嫌われるの分かってたから言えないって言った先が――なんで、これなんだよ。

「ちょ、イギリス。いきなり変な雄叫びあげないでくれよ。嬉しいのは分かるけど、もうちょっとムードとか考えてくれないかい」
 俺は理解がついていかない状態だというのに、アメリカはなんだか憑きものが落ちたように晴れ晴れとしていて、それが凄く解せない。
 つうかムードってなんだ。
 それより、なんでお前は機嫌良さそうなんだ。
 俺がアメリカを好きだって言って、伴侶になりたいって言ったりしたら、困らないと嘘だろう。
 なんで嬉しそうなんだ。意味が分からない。
「ほら、イギリス。早く言いなよ。告白と誓いの言葉が、まだなんだぞ」
 しかも、こんなことまで言ってくる。
 楽しそうに。そわそわして、早く聞きたくて堪らないといった様子で。

 俺からの告白と、誓いの言葉を?

 なんで。
 ああ、弱みになるからか?
 確かに弱みだ。凄く恥ずかしい。正直、そんなこと言ったら死ねる。
 俺がアメリカを好きなんて今更すぎるが、それをネタに一方的に優位に立たれるのは癪だ。
 だけど何故だかアメリカには、いつものからかう様子がなくて、それが俺を戸惑わせる。
 聞いても楽しくないだろうに、何でこんなことを言うんだ。俺の弱みを握る為と言うには邪気がない。
 いや、こいつは無邪気に酷いことするから、それだろうか。

「聞いて、どうするんだよ」
 録音でもして、弱味にでもするのか。
 録音までしなくても、後々のからかいの種にするのか。
 それとも単純に、俺をへこませて立場の優位を味わいたいだけなのか。
 欲望に任せて口を滑らせるから、こんなことになるんだ。
 自分で自分を責めてみるけれど、アメリカが嬉しそうだからまぁいいかと思いかけてしまう自分が嫌だ駄目だアホだ。
「どうするって……ベストエンドの準備は出来てるって言ったじゃないか」
 ベストエンド?
 言われた言葉に首を傾げる。
 アメリカの腕は俺の背中と肩の後ろ辺りをホールドしていて、実際には身じろぎした程度だったが、気分的には首を傾げたつもりだった。
 そう言えば言ってたな。
 俺が好きだって言って生涯の伴侶になるって誓えばベストエンドを俺と迎える準備は出来てるとか。

 ……。

 ………は?

 ……………え?

 ……えぇえええええええええええええ!?


 単に俺に言わせればそれで終わる話じゃなかったのか……!?
 俺とベストエンド迎える準備って。
 生涯の伴侶と誓えと言ったってことは、それか。それなのか。
 いくらなんでも有り得ないだろ。どうして。
 だってお前、俺のこと嫌いなのに。なんでそんな。
 確かに、どんな《好き》をアメリカから欲しいか聞かれて。
 答えによっては、俺を好きになってやってもいいとか言ってたけど。
 ひょっとしたら、思ってたよりは嫌われてないんだろうかと思いもしたけれど――まさか。
 一体、どんな気まぐれが働いたんだ。気まぐれにしたって性質が悪い。
 《生涯》なんて、国にとっては永遠に等しい長すぎる時間だ。
 だからこそ有り得なくて。
 有り得ないから、気まぐれな悪戯の一つだろうとは思えたけれど……そんな重たい枷をつけることなど、仮であってもアメリカは好む筈ないのに、何を考えてる?
 どう考えても、アメリカにメリットなんてない。からかう悪戯にしては度が過ぎている。
 ならなんでこんな無茶を俺に言わせて、それを叶えようとなんてするんだ。
 しかも嫌そうでなく、嬉しそうになんて。
 分からなくて、俺は必死に何度もアメリカの発言を思い返して考える。

『君とのベストエンドを迎える準備が俺にはあるんだぞ』
 そして、ようやくその言葉と、言葉が示す意味の可能性に思い至れば、すとんと納得がいって、肩から力が抜けた。
 ああ、そうか――そういうことか。
 それなら分かる。
 喜ばしいことではなくて、苦しさを覚えたけれど、理解は出来る。

「アメリカ……あのな?」
 慣れた苦しさや痛みは安堵にもなって、緊張を解いた手をアメリカの背に回し、宥めるように撫でた。
「さっきも言ったが、お前の気持ちは分かったし、有り難い。だけど、これは違うだろ。いくらお前がヒーローだって言ったって、それでお前の一生を棒に振っていいわけねーだろ」
 そうだ。アメリカは言った。

『君の答えによっては、好きになってあげてもいいんだぞ』と――。

 偉そうに。と詰る前に、俺は気づかなきゃいけなかったのにな。
 アメリカはKYでメタボでガキで自分勝手だけれど、ヒーローを自負して目指しているからか、根は優しい。
 俺がみっともなく泣いて逆ギレたりしたから、気にしたんだろう。
 ずっと過去に囚われて、ようやく過去だけの幻想を捨てられてもアメリカへの執着を断てない俺を、哀れんだのかもしれない。
 アメリカらしい。ヒーローらしい正義感で、きっと一生アメリカに拘り続けるだろう俺を、助けてくれようとしてるのだろう。
 そんなの、許していいわけがない。許されていいわけがない。
 昔はともかく、表向きは平和となった世界での国の一生なんて、永遠ではないにしろ人と違って数十年では終わらない。
 そんな長い間、義務感や正義感だけでアメリカを縛り付けておいて良い筈がなかった。
 しかも、思っていたよりは嫌われてなかったみたいだとは言え、そもそもが好かれてない俺なんかに。
 寂しいとも、苦しいとも思ったけれど、それ以上に俺は、嬉しかった。そこまでアメリカが言ってくれたことが。
 やっぱり、アメリカは天使だ。
 可愛げは随分となくなってしまったけど、俺にはあまり向けてくれなくなったけど、アメリカは小さい頃に持っていた優しさをちゃんと持ってる。
 間違えてばかりの俺に育てられたのに、立派に育ってくれたことが嬉しい。
 そして、その優しさを俺に向けてくれたことが嬉しい。
 それだけで、充分だ。俺は満足しなけりゃいけない。

「俺は大丈夫だから。そういうのは、ちゃんとお前の大切な人に言ってやれ。今はいなくたって、出来てから後悔しても遅いんだぜ。ま、その心がけは立派だけどな」
 なるべくアメリカを傷つけないように。穏やかに聞こえるよう、感謝の気持ちを込めながら告げた。




 泣きたいような気持ちになるのは、きっと嬉しいからだ。
 こんなにも優しく育っていたアメリカが、誇らしいから。
 他の理由なんかじゃ、決してない。他の理由でなど、あってはならない。

 あんまり触れていても嫌がられるかもしれないから、俺はそっと手を止めて、代わりにアメリカとの間に距離をとる。
 まだアメリカの腕の囲いの中ではあるけど、顔が見える程度まで離れれば、アメリカはいつの間にか楽しそうな様子を消していて。
 それどころか無表情と言っていいほど感情の読み取れない顔で俺を見ていたことに戸惑った。
 けれど疑問を口にするより前に、背中に回っていた手が不意にまた抱きしめる力を強めて、離した筈の距離が再びゼロに近くなる。
「……お、おい、アメリカっ、いてぇって」
 より強い戸惑いと焦りを得ながら、俺はなんとかアメリカの腕と自分の体に隙間を作って押しのけようとするが、アメリカは馬鹿力だ。
 一向に上手くいかないばかりか、身じろげば身じろぐほど押さえ込むみたいに抱え込み直されて、叶わない。
 なんなんだ、一体。

「おい……アメリカ?」
 せっかくの好意を踏みにじったことを怒ってるんだろうか。
 それとも、実行に移さずともよくなって安心してるんだろうか。
 どっちにしても、俺に顔を見られたくないのかもしれない。
 迷った末に、仕方なく俺は体から力を抜いて、こちらを抱え込んでいるアメリカへと体重を預けた。
 正直、そうでもしないと骨がおかしくなりそうだ。

「アメリカ……。なぁ、どうしたんだよ」
 肩の辺りに頬を寄せた状態で小声でもう一度問いかければ、長い間をおいてから、ようやく答えが返される。
「……君のバカさ加減に、心底呆れたんだよ」
「っ……」
 あんなことを言い出すお前の方がバカだと、言ってやりたかった。
 俺みたいなのが他にも居たら、お前は一体どうするつもりだったんだと。
 だけどアメリカの声が、らしくなく弱々しかったから。
 飛び出しかけた文句も口の中で萎れて、出ていくことはなかった。

「……いや……馬鹿なのは俺かな……」
「アメリカ……?」
 どうしたって言うんだ。
 いつだって要らないくらいに自信満々なのがアメリカなのに。
 そんな言葉は似合わなさすぎて、不安になる。
 どんな表情をしているのか知りたくて動こうとするけれど、やはりアメリカの腕に強く押さえられいて上手くいかない。
「それにしたって、君の酷さが減るわけじゃないけどね! 人の話は聞かないわ、聞いたとしても捉え方が斜め上だわ。これなら、確かにゲームの方が簡単なんだぞ」
 俺の酷さってなんだ。
 人が自分の辛さを押してお前のことを諦めようとしてるってのに、その言い草はない。
 大体、ゲームってなんのことだよ。
 文句と疑問だらけの言葉は、今度もまた出て行くことはなかった。
 背に回っていた手が一度離れたかと思うと、今度は俺の頬を掠めてから髪に差し込まれ、撫でてきたから。
 それどころじゃなかった。
 アメリカに似つかわしくない、力任せに人を抱き込んでいた腕と同じには思えないほど、優しく柔らかな手付きに、言葉をなくす。
 なんだこれ。
 なんだこれ。

「イギリス、君は俺を見くびり過ぎだぞ。いくら俺がヒーローだからって、生涯の伴侶を人助けでなんか選ばないよ。ヒーローだからこそ、ちゃんと愛し愛される人と結ばれなくちゃね!」
 手が髪を撫でて。親指だけがこめかみの辺りをなぞっている。
 そんな風に優しげな手付きで触れられた記憶など長い人生を顧みても見あたらなくて、未知の感触に戸惑った。それから考えてみれば凄い態勢の今を思い出して頬に血が上る。
 俺はアメリカの脚の上に座っていて、向かい合って抱き合うような状態だ。
 しかも距離をあけようとして出来なかった結果、上半身が殆ど密着しているのだから、端から見たら随分と拙いことになるんじゃないだろうか。
 それだけでも脳がパンクしそうだと言うのに、アメリカの言葉がまた俺を混乱に突き落とす。

 アメリカは優しいから。ヒーローらしい優しさと正義感で言いだしたのだと思っていたそれを、真っ向から否定されて。
 愛し愛される人とヒーローは結ばれなくちゃと言って。
 なんで、そんなこと言うんだ。
 有り得ない。有り得ないのに。
 どうしたって思考が傾く。愚かにも望む方向へ捉えようとしてしまう。

「勿論、愛し愛される人っていうのは、いつか出会うかもしれない何処かの誰かの話じゃないんだぞ」

 ――アメリカは俺を嫌いなのに。
 言い聞かせる胸の内の声が、どんどんと弱まっていく。

 ひとつ言葉が落とされる度。
 ひとつ優しく撫でられる度に。
 駄目だ、と思うのに、止まらない。
 信じそうになる。望みそうになる。
 ないと思っていた、その先を。《トゥルーエンド》のような、そんな未来を。

「好きだよ、イギリス。――だから君も、ちゃんと言わないと駄目なんだぞ!」

「……っ」
 言葉とほぼ同時にこめかみに触れたのは、掌ではなくて。
 もっと柔らかな感触のそれは恐らく唇で――血が、脳が、沸騰するかと思った。

『君が……好きなんだ』
 ゲームの中で聞いたものより、随分とあっさり明るく告げられた言葉。
 だけど今度は疑う隙も、他の意味を考える余裕もなく、強引に容赦なく、力業で脳に胸に入り込まれる。

『好きだよ、イギリス』
 なんで、だとか。どうして、だとか。
 俺こと嫌いなんじゃなかったのかとか。
 どうしていきなり好きってなるんだとか。
 ぐるぐると思考は回るけれど。ぐいと肩を押されて体が離れたところを正面から覗きこまれれば、それも止まった。

「今度は、ワケの分からないこと言いださないでくれよな。もう君にフラれるのは懲り懲りなんだぞ!」
 悪戯っぽく煌めくのは、俺の愛した空色の瞳。
 ついでとばかりに額にも唇を落とされて、飽和していたものがついに破裂する。

「……って。いつ俺がフったよ。いい加減なこと言ってんじゃねーぞゴルァ! ワケの分からないことも言ってねぇし、フられたって言うなら俺だろうが。何回も何回もお前にどんだけ酷い扱い受けてきたと思ってんだ。『君が泣いて頼み込んできたってお断りだぞ☆』って言われたこと、俺は忘れちゃいねーからな!」
 言われたことが嬉しくないわけじゃない。
 嬉しいに決まってる。天にも昇る気持ちってきっとこういうことを言うんだろうな、とも思う。
 だが喜んで安心し切ってしまえば、おかしなもので。一気に今までの苦労だとかが思い起こされてしまっただけだ。

「……君、そんなことまだ根にもってたのかい」
「もつに決まってんだろっ。俺がどんだけお前と休日過ごしたかったか分かってんのか!? 今更『好きだよ』とか、バカにするのもいい加減にしろ!」
 そうだ。どこを思い返しても、嫌われてると思いこそすれ、俺を好きだったように見える部分が全くない。
 俺が好きだって言うなら、それらしい態度のひとつでもとれよ!
「バカは君だろ。人が勇気を振り絞ったっていうのにさ! 大体、そういうのがフってるって言うんだぞ。俺がどれだけ君のフラグクラッシャーに泣かされたか、君こそ分かってないだろ!」
「なんで旗なんか壊さなきゃならないんだよ。それにフってねーって言ってるだろ。俺がお前フるとか有り得ないしな。俺のお前への愛を舐めてんじゃねーぞ」
 正面にアメリカの顔を見据えられるってことは、俺の腕もある程度自由になってるってことだ。
 アメリカの腕の隙間から抜き取った手で、襟元の緩んだTシャツの胸倉を掴みあげて傲然と言ってやれば、アメリカは顔を引きつらせて微妙な表情になる。
「そこ自慢するところなのかい……。ちょっと分かるだけに微妙な気分になるっていうか君ホント俺のこと好きすぎるよ」
「当然、自慢するところだろ」
 アメリカは俺を嫌ってると思っていたから、アメリカにだけは言えないと思っていたけれど。
 アメリカ以外の他の奴になら、いくらでも堂々と言えた。
 もしもゲームが販売されてアメリカを思う奴が出てきたなら、片っ端から喧嘩を売って亡き者にしてやる心づもりだったしな。

 たとえ含む意味合いが変わってしまっても、アメリカは今も昔も俺にとって最愛の――

「言っておくけど、もう《俺の天使》とかは要らないからね」
 まさに言おうと思っていたタイミングで先手を打たれて俺は口を開きかけたままで固まる。
「なんでだよっ」
 まさかそれを止められると思ってなくて、胸倉を掴んだまま締め上げるようにすれば、アメリカは呆れきった溜息を零して俺を半眼で見下ろしてきた。
「決まってるだろ。そんなの――《俺の恋人》が正解だからに決まってるじゃないか」
「こ……」
 おれのこいびと――?
 いやまあ確かに俺はアメリカが好きで、アメリカも俺を伴侶になれとかいう意味で好きだと言ったのだから、そう言ってもいいのかもしれないが。
 改めて言われると恥ずかしいものがある。
 考えてみれば伴侶も相当恥ずかしいよな。
 なのになんで今更俺は恋人とか言われて戸惑ってるんだろう。
 伴侶だとか、現実味がなさすぎて遠くて実感が湧かなかったのかもしれない。
 収まっていたと思っていた顔の熱が、再び一気に上昇するのが分かった。
 締め上げる手が緩んで、ただ掴むだけになる。

 こいびと、とか。
「……ほんとに、いいのかよ」
「何が?」
 俺で。俺に、そんなことを許して。
 アメリカの気持ちを疑う気はもうない。
 けれど、今まで言われてきたことを思い返せば、俺の性質自体をアメリカが厄介に思ってることだけは確かだろうから、やっぱり不安だった。

「俺、調子に乗るぞ」
「だろうね」
 しかも、あっさり頷きやがるし……。

「分かってんのかよ。俺、お前のこと好きなんだぜ?」
「嫌になるくらい知ってるよ」
 重ねて言い募っても、細めた目のまま、あっさりと答えが返る。

「こいびと、とか言ったら……多分、抑え効かないからな」
 そして最後と思って念を押せば――アメリカは眇めていた目を笑みにしならせて、言い切ってきた。

「望むところだね」

「……っ」
 なら、いい。
 本当に分かってんのかと、問い質して問いつめたい気持ちはあるけれど。
 覚悟してると、臨んでみせると言うのなら、もういい。

「だからさ、そろそろ観念して『好きだ』って言いなよ。俺まだ言われてないんだぞ」
 そうして明確な答えを望むのならば、もういい。
 どうなっても――知らないからな。

 視線を合わせれば、鮮やかな空色の目が期待に満ちた目でこちらを見つめてきていた。
 子供じみた素直さは、小さい頃そのままの可愛さで。
 けれど、期待に輝く瞳の奥に微かに見える熱のようなものは、立派な一人の男になった故のものだろう。
 どちらも、アメリカで。
 どちらも俺の、最愛の天使。

「仕方ねーなっ。別にお前に言われたからじゃねーぞ。俺が言いたくて言うだけだからな!」
 ねだられるままに言うのも面白くなくて、咄嗟にそんな風に言ってしまったけれど。
 顔が緩むのは止めようもない。

 初めて出会った草原と、その上に広がっていた空のような。
 俺が最も愛する色を見つめながら、手を伸ばして大きくなった体を抱きしめる。
 もう、かつてのように抱き上げることは出来ないけれど、悲しくはなかった。
 抱き上げられなくても。世話なんて出来なくても。
 抱きしめれば、抱きしめ返してくれる腕がある。
 小さな手ではなく、俺よりも大きく頼もしくなった腕が。
 それは悲しいことでも寂しいことでも何でもなく、俺を安心させ、喜ばせ、暖かくしてくれるもの。

 変わらないものを含んで、そして変わっていった全て。
 ふたつは途切れるものでも、分かたれるものでもなく――連綿と続く、一繋がりの存在。

 決して辿ることはないのだと思っていた《トゥルーエンド》。
 それとは随分と趣は違うけれど、俺は辿り着いたのかもしれない。
 トゥルーエンドよりも多少、滑稽で。
 けれど、トゥルーエンドよりも俺達らしい――アメリカが言っていた言葉を借りるなら《ベストエンド》というものに。

 日本が知ったら、こんな終わりをなんて言うだろう。
 考えると、少しだけ可笑しい。

「お前が好きだ、アメリカ」

 だって、そうだろう?
 きっと、誰だって驚くに違いない。

 俺の愛する天使は、育ちまくって可愛くなくなってそして。

 俺の愛する恋人になったんだ、なんて――。
 



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#米英 #○○育成計画

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ヘタリア

よろこびのうた。
▽内容:アメリカの誕生日への諸々の屈託を乗り越えようと頑張るイギリスの話。
                                                           





 アメリカの誕生日パーティーの招待状が来たのは、パーティーの一月ほど前のことだ。
 他の私的な目的も絡むパーティーなら招待状と前後して電話がかかってくることも多いのだが、こと彼の誕生日パーティーとなると、ひっそりと招待状が届くだけである。
 空気の読めない彼にしては、珍しく気を遣っているのだろう。
 その昔。まだアメリカの独立の衝撃から抜け切れていない頃、招待状とは別に、口頭でも来るように念を押されたことがある。
 その時は、自分から人の手を振り払って離れておいた挙げ句に自分との決定的な決別を突きつけたその日を誕生日にした彼に対しての怒りとだとか悲しみだとか……一言では言い表しにくいどろどろとした感情でいっぱいで。酷く詰って二度と招待状など寄越すな誘うな関わるなと告げた。
 彼は酷く傷ついた顔をして、短く「わかったよ」とだけ言って、去っていった。
 以来、口頭で直接誘われることはなくなったが、それでも彼の誕生日パーティーへの招待状は毎年必ず届いた。
 一体、なんの嫌がらせだろうと思った。
 最初に招待状が届いた年から、毎年届けられるそれを、何通も何通もむちゃくちゃに破り捨てた。
 破り捨てるだけじゃ足りなくて、燃やしてみたこともある。
 最初は封すら開けずに。
 そのうち、封は開けるようになった。
 添えられた、彼にしては珍しく常識的な手紙にも目を通せるようになったのは、そう遠い昔の話ではない。
 けれど、読んだ後は必ず破り捨てていた。
 どれほど素晴らしい文で誘われようとも、自分にとって彼の誕生日とは即ち、彼に裏切られた日だ。
 決定的な絶縁状を叩き付けられ、長い生の中で最悪の絶望を味わった日に他ならない。
 生まれてから、殆ど知らなかった《愛》というもの。
 それを教えてくれ、与えてくれ、与えさせてくれた唯一の存在が己の手を振り払い、あまつさえ銃をつきつけてきた日。
 初めて得た幸せから、一転して絶望の底へと叩き落とされた、最悪の日。
 どうしてその日を祝うことなど出来るだろう。
 彼の誕生日を祝う日など、一生こない。
 頑迷にも俺はずっとそう思ってきて、実際殆どそれは事実のように思われた。
 けれど時の流れというのは優しくも残酷なもので、記憶や感情というものは決して一所に留まっていてはくれない。
 人からは頑固だ古くさいだ過去にしがみつき過ぎだと散々に言われるこの俺ですら、二百年というのはそう短い年月でもなかった。
 百年ほど前……アメリカとようやくまともに会話を交わせるようになった頃から、俺は招待状を破くのを止めた。
 とは言え、祝う気分になど到底なれなかったし、返事など出せる筈もなく。それどころか、届いた招待状を見るのもやはり辛く、鍵のかかる書類入れにひっそりとしまい込むようになった。
 1通、2通、3通……と、しまい込む招待状が増えるにつれ、いつの間にか専用の箱に入れるようになって。
 彼から届く招待状が通算で二百通に達しようかという頃には、出欠席の返事だけでも出そうかと迷うようになった。
 そしてこの二十年くらいは……行くか行くまいかで悩むようになった。
 我ながら、随分と穏やかになったもんだと思う。
 迷いを繰り返して数年後には、出席しようという意志を固められるまでになった。
 けれども、俺は彼の誕生日が近づくと体調が悪くなる。
 行こうと決めたはいいものの体調がふるわず、とても動ける状態じゃなかったり、人前に顔を出せる状態じゃなかったりして、結局行けないまま、更に数年が経ってしまった。
 ここ五~六年は、なんとかアメリカの家の近くまでは行ったのだが、怖じ気づいて直前で帰ってくるということを繰り返した。
 何年もかけて少しずつパーティー会場への最高接近距離を更新し、とうとう去年―――ついに俺は、彼の誕生日パーティーに顔を出すことに成功した。
 とは言え、彼を祝う輪の中にはどうしても入ることが出来ず、プレゼントだけを渡して帰ってきてしまったのだが、自分からすれば凄い快挙だった。
 パーティー会場にたどり着けたばかりか、なんとか彼を詰るような言葉も(多分)口にすることなくプレゼントを渡すことに成功したのだから。
 アメリカは、プレゼントを喜んでくれた。
「大事にするよ」
 と、言ってくれたのだ。
 嬉しかった。
 喜んでもらえたことが。
 彼を祝おうとする俺を、否定されなかったことが。
 そして何より、彼を祝おうと思える自分になれたことが、嬉しかったんだ。

 今年届いた招待状を見て、最初に湧き上がったのは、喜びで。
 複雑な思いを捨て去ることは難しかったが、近年まれに見るほどの前向きさで俺は招待状をいそいそと開けることが出来た。
 中には綺麗な装飾と模様の入った招待状と、短い手紙が入っていた。
 手紙をやや緊張しながら開いて読んでみた俺だったのだが、最初の一文で緊張は解けて吹き出してしまう。
『やぁ、イギリス。去年は良くもやってくれたね!』
 出だしがこれだ。
 去年渡したプレゼントにはちょっとした悪戯を仕込んでおいたので、それを言っているのだろう。
 そういえば、パーティーの次に会った時にも散々言われた。
 君は子供かい。嫌がらせにしたって古すぎるよ! あやうくテキサスが割れちゃうところだったじゃないか! などなど。
 拗ねた顔で文句を垂れているアメリカを想像して、頬が緩む。
 それだけで緊張はとれて、次の文を目で追った。
『だけど、今年はそうは行かないぞ! ちゃんとしたプレゼントを用意してくれよ。くだらない仕掛けをしようと思っても無駄さ。今年はプレゼントを俺が開けるまで君につきあってもらうんだからね! 覚悟しとくといいんだぞ! それじゃ、待ってるから。必ず来てくれよ!』
 アメリカらしい物言いに、口からは笑いが零れてた。
 まさかこんな穏やかで楽しい気持ちで、アメリカの誕生日の招待状を見る日が来るとは思わなかった。
 けれど今、恨む気持ちは湧いてこない。
 ほんの少しの寂しさはあるが、それは過去に向けるもので。
 今この時。彼に対する怒りや悲しさや寂しさは感じなかった。
 そうだな。今年は顔を出すだけじゃなく、パーティーにもちゃんと出席しよう。
『待ってるから』
 そう。彼は、待っててくれてるのだ。
 色々とあった。彼がこの手を振り払ったことは、未だに俺にとって深い傷となって残っている。
 けれど。
 彼は今ふたたび俺に手を差し出して、待ってくれている。
 関係は変わってしまったが、考えてみれば今の関係の方がずっと自然だ。
 宗主国と植民地。
 兄と弟。
 かつての俺は、その名づけやすく、分かりやすい《関係》に縋っていたのだと、今ならば分かる。
 アメリカを愛していいのだと。愛されていいのだと。
 無条件に二人を繋いでくれる《関係》に縋り、溺れてたのだ。
 兄弟だから、大丈夫。宗主国と植民地なのだから、大丈夫。
 彼を愛する理由。彼に愛される理由。
 そんなものがないと、怖くて愛することさえ出来なかった。
 勿論、名前だけでは無意味であることもよく分かっていた。
 現に本当の俺の兄弟と言える存在たちは俺を愛してもくれなければ、愛することさえ許されなかったから。
 本当の兄弟でさえそうなのに、関係性のない他人など、愛してもいいのかという不安が付きまとっていたんだ。
 あの時の小さなアメリカの純粋な愛情や好意を疑ったことはない。
 けれど、それを信じていいのだと。それを受け取る資格があるのだと何かに縋って安心したかった。
 それくらい、俺にとって愛する存在や愛される存在というのは馴染みがなく、無条件に信じられるものではなかったから。 
 今の俺とアメリカには、当時のような理由など、ない。
 愛する理由も愛される理由もゼロだ。それどころか、ひょっとしたらマイナスかもしれない。
 それが不安で、怖くて。けれど彼そのものを断ち切ることも出来なくて、ずっともがいていた。どう接していいのかも分からず、分かりやすい安心できる《形》の名残を求めて保護者ぶった態度をとり、彼を苛立たせたりもした。
 それはもはや癖になっていて弟だという意識の薄れた今でも直すことが出来ていないが……。
 まぁいくら関係や感情が変わろうとも過去が消えてなくなるわけではないのだから、完全に態度を改めることが難しくてもしょうがないだろう。
 それでも、今の俺に《弟》であるアメリカに固執する想いは薄れつつあった。
 緩やかすぎる変化は自分でも気づかなかったが、こうして節目のように彼の誕生日を目前にして己の内を垣間見ればさすがに気づけた。
 俺は今のアメリカとの関係を、それなりに気に入っているんだということに。
 弟では、当然ない。
 友達というのも、微妙に違う……らしい。(なにしろ友達になってやると言ったら、あいつは「やーなこった☆」と言い切りやがったのだ)
 国としての仕事上の付き合いだけかといえば、そうとも言えない。
 あいつはフラっと一人で俺の家に勝手に遊びに来たりするし、何かあれば人を自慢するためだけに呼び出したりもする。
 自分としてはそこそこ親しい友達くらいにはなれたんじゃないかと自惚れてみたりもするのだが、そんなことを言ったらあいつは容赦なく否定するだろう。
 俺達の今の関係は、なんと言い表すのか。
 その言葉を、俺は知らない。
 けれど今。
 俺はアメリカと親しくしたいと思っているし、アメリカも俺をそこそこ邪険にはするけど嫌ったりはしてない……と思う。互いに嫌味やからかいばかりが多いのはどうしようもないけれど。
 俺は俺で。イギリスとして。
 彼は彼で、アメリカとして。
 なんと名付けていいかは分からないけれど、確かにただの仕事上の付き合いだけはない何かがある。
 名前などなくても。
『待ってるから』
 アメリカがそう言ってくれるのなら。
 あの日に、どうしようもない拘りがあるのは本当で。一言ではとても表現しきれない想いを消し去ることは難しい。
 けれど、彼が祝福を待っていて。
 彼が生きてここいる今を疎めるかと言われれば、そんな問いの答えは当然にNoだ。
 腐れ縁の隣国とかならば別だけれど。
 少なくともアメリカが生きて、元気で過ごしていて、俺の訪れを待ってくれているのなら―――祝いたい。
 独立、という日を素直に祝うことはできなくても。
 誕生日という……彼が生まれ、生きて。そして出会えたことを。
 共に過ごせた時を。得てきた思い出を。
 そしてなにより、多くの争いを経ても、こうして祝いの席を共に出来る今を。
 祝いたかった。
 感謝すらしたかった。
 だから今年こそは。
 ちゃんと彼を心から祝おう。
 パーティーにも最初から出席して、プレゼントも持って。
 それでも手放しに祝うのは気恥ずかしいから、去年とは違ったダミーや仕掛けと、あとはほんの少しの皮肉を用意して。
 それでも最後には、言ってやるのだ。
『ハッピーバースデー』
 と。

 大丈夫。毎年俺は、少しずつだけれど前進してる。
 去年は会場に辿り着けただけでなく、プレゼントまで渡せたのだ。
 今年はきっと、最初から参加するくらいわけないに決まってる。
 
 心に決めた俺は、生まれて初めてと言っていいほど、アメリカの誕生日を楽しみに思っていた。
 浮き立つような気持ちでプレゼントを選んで。
 それから。それ以上にワクワクして、プレゼントにしかける罠を考えた。
 
 今年の7月4日は、今までと違う7月4日になる。
 これをきっかけに、アメリカとの関係だってもう少し良くなるかもしれない。

 そんな確信を、俺は抱いていた―――。
 




 甘かった。
 ほんっとうに甘かった。
 俺は、俺のしつこさを甘く見ていたと言わざるを得ない。

 生まれて初めてアメリカの誕生日を楽しい気分で待てる。
 そう思ってたというのに、アメリカの誕生日パーティーに、今年こそは最初から出席すると決めたその翌日、日付にして6月27日。きっかり一週間前から、俺は体調を崩した。
 二百三十年も続いた習性というのは、そう簡単に突然治ってくれるものではないらしい。
 考えてみれば、アメリカの誕生日にまつわる体調不良なんて、最初は一月くらい続いてたんだ。
 一週間という短さになるまでだって、百年以上かかってる。
 それがたった一年で、ゼロになると思う方が無理ってことか?
 この体調不良は、過去に拘る俺の精神的なものが原因なんだろうと思っていたんだが、違うんだろうか。
 最初はそうだったとしても、もはや習慣のように身に付いてしまって、気力だけじゃどうにもならないものになったんだろうか。
 それとも―――俺は。
 俺は本当は、まだ、アメリカを許せていないんだろうか?
 まだ。まだ俺は、あいつの誕生日を祝えないんだろうか?

 テーブルの上におかれた紙袋に目を向ける。
 飾り気のない、シックな光沢ある黒の紙袋の中には、アメリカへの誕生日プレゼントが入っている。
 一月くらい前から何がいいか考え続けて。
 出かける度に、何かいいものはないかと探し続けて。
 幾つか候補は出来たものの、もっといいものがあるんじゃないか、本当にこれでいいのか、その中でもどれが一番いいか。
 最後の最後。買うぞ! と決めてからも、四日ほどかかってしまったくらい、真剣に選んだものだ。
 正直、人への贈り物でここまで悩んだことはない。
 仕事上の付き合いなら品物の選定は部下に一任しているし、私的な付き合いで贈り物を渡すような相手は殆どいない。
 長い時を生きる上で付き合った人間の女性に贈り物をしたことは幾度となくあるが、彼女らの好みは大概が分かりやすいものであったりしたし、それでなくとも女性に送るものならば、基本さえ抑えておけばそう外すことはない。
 だが、アメリカに渡すとなると、そうもいかない。
 あまり子供っぽいものではまた「君はいつまで俺を弟扱いするんだい」と言って拗ねられかねないし。
 かといって、あいつの好みに沿わないようなものでは「君の趣味は本当に古くさいな! 黴が生えるよ!」と言われそうだ。もしくは、趣味の押しつけになりそうで怖い。
 ならばあいつの好みそのままのものを……というのも、なんだか癪だ。それに、あいつの趣味の系統だと俺には何が良いのかさっぱり理解が出来ないので、どれがいいかの判別もつかない。似合ってることは分かるんだが。
 適当なものでは俺のプライドが許さないし、センスにケチをつけられたくもない。
 渡すからには文句を言われたくないし、それになにより……喜んでもらいたい。
 あいつのパーティーは盛大に行われるから、プレゼントもたくさん貰うんだろう。
 その中に埋もれないくらい、特別に喜んで欲しいと思うのは―――我が侭というものだろうか。
 こんなんだから、あいつに鬱陶しく思われるんだろうなぁ、というのは分かってる。
 けど、しょうがないじゃないか。
 思っちまうものは、どうしようもない。
 喜んでほしい。
 一番に。
 そんなの無理だと分かってても。
 ……何しろ、買ってきたものがものだ。
 あれだけ考えに考えて、あいつが喜びそうなもの、あいつが喜びそうなもの……と悩みに悩んだというのに。
 分かってる。間違いなくあいつの趣味からは外れてる。それと、恐らく俺の趣味が丸出しだ。
 きっとこんなのあいつに渡したら、「また君の堅苦しい趣味の押しつけかい」とか言われるに違いない。
 必死になって考えてたのに、一度目についてしまったらそれ以外考えられなくて、あいつの趣味じゃないんだろうとは思うけど、やっぱり似合うと思ったらつけてみて欲しくて何度も何度もやめようと、違うのにしようと思って実際違うのも買ってみたけど諦められずに買ってきてしまったそれ。
 喜んでは貰えないんだろう。
 だけど、喜んで欲しいんだ。
 そんなのは我が侭だと知ってるけれど。
 喜んで欲しいと思う気持ちだけは、嘘じゃない。

「なのに、なんでだ……?」
 祝いたいと、喜んで欲しいと思ってるのに、体がついていかない。
 眠れなくなってから4日目。
 睡眠を充分にとれてない頭は重く、体も怠い。
 俺は《国》だからそうそう寝ないくらいじゃ死なないが、それでも人間に良く似た見た目のせいか、キツイものはキツイ。
 眠れない上に、食事もろくにとれない。
 ここ数日、口にしたものと言えば紅茶と、スポーツドリンクと、栄養剤。あとは少しのオートミールくらいだ。
 菓子の類も喉を通っていかなかった。
 水気の多い果物なら……と思ったが、それでも暫くすれば吐いてしまう。
 この時期に必ず訪れる、お決まりの症状と言えば症状だ。慣れている。
 慣れているが、今年はきっとこんなことにはならないだろうと思っていただけに、ショックが大きい。
 くらりと眩暈に襲われて、掌で顔を覆う。
 ソファに座っていても、このざまだ。
 酷いときはベッドから起きあがれもしなかったこともあるとは言え、体調不良が直接の原因ではない不快さが付きまとう。
 目を閉じれば、浮かんでくるのは今朝方に見た夢の欠片。
 雨音。
 銃声。
 軍靴の音。
 剣戟の音。
 彼の、声。

『たった今俺は、君から独立する』

 そして、胸の痛み。

 胸を痛めているのは、夢の中の自分だ。
 今の自分ではない。
 痛みは遠く、雨に霞んだ向こう側にあって、この身を苛むものではない。
 なかった。
 なのに、夢を思い出すと、今度はその痛みが直接この身を苛む。

 こんな夢に惑わされそうになる自分が、嫌だ。
 夢という形で蘇る過去に、胸を痛めそうになる自分が、痛い。
 容易に過去へと引きずり戻されそうになる自分が、厭わしい。

『戻りたい』
 小さいアメリカと過ごした、唯一と言っていいほど幸せに満ちた時間に。
 それはこの時期に己が繰り返し続けてきた望み。
 あの夢は、そこへ自分を連れていってしまう。
 
 眩暈が酷い。 
 目を閉じていてもぐるぐると頭が回る。
 気持ちが悪い。
 胃には殆ど何も入っていないというのに、吐きそうだ。
 目を開けていることは辛かったが、こうして目を閉じていると悪夢に捕らわれそうになる。
 何度となく脳裏を掠めていく悪夢の残滓から逃れるようにして、重い腕を動かし、目をこじ開ける。
「………っ」
 強くもない筈の照明に目を焼かれ、目の前に手を翳して視界を守った。
 眩暈はやまず、視界も回る。
 起きあがるのは無理そうで、あてずっぽうの手探りだけでテーブルの上を探した。
 かさり、と手に触れた感触に安堵を得て、それを引き寄せる。
 眩暈で安定しない上に、吐き気のせいか涙を滲ませた目ではろくに見ることもできなかったけれど、触れればそれが何か分かった。
 アメリカの誕生日パーティーの、招待状だ。
 中には彼からの短い手紙も入っている。
 それを胸にあて、深呼吸を繰り返す。

 何度となく願った筈のことば。
『戻りたい』
 だけれども今は、逆のことを願う。
『戻りたくない』
 戻りたいと願う自分に、戻りたくない。
 ぐしゃぐしゃにならないように、慎重に。
 けれどしっかりと、招待状を胸に抱く。
『待ってるから』
 その言葉が、何かの呪文のように思えた。
 大丈夫だ。
 必ず行く。
 招待客はそれこそたくさん居て。別に俺だけを待ってるわけじゃないなんてことは、分かってる。
 だけど。
 お前が待っててくれるというのなら、行くから。
 絶対に。
 大丈夫だ。
 行きたいと、俺は思ってる。
 お前の存在を祝いたくないと、思いたくない。
 祝いたい。
 お前を祝いたいんだ。
 おめでとう、と言ってやりたい。
 
 とんでもなく空気が読めなくてバカでアホでメタボで後先考えなくて、誰にでも無茶なことばかりいって、自分大好きで自分が一番で、俺にばっかり一言多くて酷いことばっか言って。周りが見えてなくて、荒唐無稽なことばかり言って。
 だけど。
 そんなお前に小言を言ったり説教したり、お前の意見を否定したり、文句ばっかり言うお前の為にアイスを用意しておいたり、バカなこと言い合ったり喧嘩したり、皮肉を言い合ったり、たまには一緒に酒を飲んだり。
 小さいお前と過ごしていた時とは違うそんな日々が、今の俺には大切で。
 なくしたくないもので。
 過去は痛くて悲しくて辛いこともあったけれど。
 いまの大切なものに、それが必要だったというのなら、耐えられるから。
 戻りたくない。
 還りたくない。
 お前を恨みたくない。
 いまのお前を、なくしたくない。
 
 招待状を胸に抱いて、気を抜けば甦りくる夢を遠ざけようと、俺は脳裏に彼を思い浮かべる。
 小さな姿でもなく、悪夢の中の姿でもなく。
 今の。
 空気が読めなくてバカでメタボでどうしようもない彼を。
 絶対にお前は昔の方が頭が良かったと思うけれども、それでも今の彼を。
「アメリカ」
 お前が、アメリカだ。
 どれだけ空気読めなくても。バカなことばっか言ってるほんとのバカでも。
 ハンバーガーばっか食ってメタボになっても。
 きったねー食べ方して周りに食べかす散らかしてたって。
「アメリカ」
 お前が、アメリカだ。
 底抜けに明るい、何も考えてなさそうで、「読める空気? それって食べ物かい?」とか素で聞いてくるアホ面を思い浮かべれば、ほんの少しだけ気分が軽くなる。

 眩暈は去らない。
 多分、今夜も眠れないだろう。
 食べ物だって、食えないに違いない。
 それでも。
 大丈夫だ。
 俺は、大丈夫だ。
 行ける。必ず行く。
 お前を祝いに行くから。
 アメリカのアホ面を思い浮かべれば、きっと耐えられる。
 過去から走り逃げ切ることはまだ難しくても。
 少しずつでも前進していける。

 招待状を抱きしめながらそう思えば、目から涙がこぼれていたことに気づく。
 吐き気のせいだけではないだろうそれに苦笑が浮かぶが、まぁいい。
 
 あと少し。
 3日後には、誕生日パーティーだ。
「アメリカ」
 お前に、必ず会いに行く。
 そして心からの祝福を、お前に伝えに行くから。

 ああ、どうしてかな。
 ただ祝いたいだけの筈だったのに。
 祝えるようになった自分が嬉しかっただけの筈なのに。
「アメリカ」
 今、どうしようもなく、お前に会いたい―――。


 あと、三日。




 空港には、現地時間の3日夜についた。
 あらかじめとっておいたホテルで休んで、翌日の昼頃に会場へと向かう。
 飛行機の中でもホテルでも相変わらず眠れなかったが、事前に点滴を打ってもらったこともあり、多少は体の重さを感じずに済んだ。
「カークランド卿、本当に行かれるのですか?」
「無理はなさらない方が……」
 俺の体調が悪いことを知っている部下達はどうしても心配らしく、ロンドンを出るときからもはや何度目かわからぬ制止の意味をこめて問いかけてくるのに、心配ないと笑って告げる。
「ああ。今日は会議でもないし、公式の行事でもない気楽なものだ。疲れたら早めに帰るし、心配はいらないさ」
 今日のパーティーは、あくまでもアメリカが個人的(なにしろ国そのものなので、個人と言ってしまっていいかは分からないが)に開くものだ。
 正式な政府が関わるようなものは、別途上司やその命をうけた者達が行っていることだろう。
 俺が向かっているのは、あくまでもアメリカ主催の《国》が主な招待客であるパーティー。
 派手好きだが、堅苦しいものを好まない彼らしく、ドレスコードなども一切ないらしい。
 そう言われると逆に服に困ってしまう俺は、結局フォーマルすぎない……けれどいつも仕事で着ているものよりは明るめのスーツを着て向かっているのだが。
 昨年の様子を見るに、元々が知人を集めたホームパーティーを派手にしたような感じらしいから、本格的に具合が悪くなって帰ることになっても、さほど面倒はおきないだろうと思われた。
 もっとも……そんな事態にはしたくないし、するつもりもない。
 目眩がなんだ。吐き気がなんだ。
 最悪に国の状態が悪く、どうしようもなく辛い時だって弱みを見せられない相手との仕事ならばそれら全てを押し隠すことだってしてきた。
 それに、体調とは裏腹に気持ちだけは逸っているのだから。

 何度となく心配してくる部下をその度に宥めながら、彼らの運転する車に送られて、パーティー会場へとたどり着く。
 場所はアメリカが所有する邸宅の中でも本宅にあたる大きな屋敷だ。
 車を降りれば、係の者がすぐさまドアを開けて出迎えてくれる。
 招待状を見せると、恭しく受け取ってから案内をしてくれた。
 なんだか、アメリカの家じゃないみたいで不思議な感じがする。
 派手好きな割に堅苦しいことを嫌う彼は、普段は気楽な一人暮らしを好んでいるらしく、こうした邸宅よりも便利な都市部にあるアパートを住居にしていることが多い。
 ハウスキーパーは雇っているらしいが、寄った時に会ったことはないので、アメリカの家を訪問して別の誰かに迎え入れられるということは、ひょっとしたら初めてかもしれなかった。
 案内されて通されたのは、車を止めた側とは建物を挟んで反対側。芝生が敷き詰められた庭だった。
 俺の家の庭と違い植物をメインにしたものではなく、広々とした芝が続く広場のような庭だ。
 樹木や花木などはそのスペースを邪魔しない程度に、どちらかというと敷地やスペースの区切りとして置かれているようだ。
 今はパーティーの為に長く大きな机がいくつも置かれ、その上にはたくさんの色とりどりの料理が並んでいる。誇張でなく、文字通り《色とりどり》なのが少々困りものだが。
 ざっと見渡せば、パーティー会場には既に何組かの人が来ているようだった。
 開始ちょうどに来るつもりだったのだが、ホテルを出るまでに何度となく部下に止められたり、それを説得したりしてるうちに、時間を食ってしまっていたらしい。
 見てみると、知っているところでフィンランド、スウェーデン、日本、スイス、ドイツ、プロイセンの姿があり、それと半分以上眠っているとしか思えない状態のイタリア(ヴェネチアーノの方)が机につっぷしているのが見える。
 来て良いと指定された時間からさほど経っていないので、今居るのは時間に正確な面々と、それに連れられて来た者だけなのだろう。
 女性との待ち合わせには遅れたことがないと豪語するくせに、普段は時間にルーズな憎たらしい隣国の姿も今はない。
 居たら居たで、俺がこの場に居ることを絶対にからかってくるだろうから、少しばかりホッとする。
 だが、見回してみても、アメリカの姿は見えなかった。
 今日のホストで主役でもある彼は、何かと忙しいのだろう。
 残念に思ったのは確かだが、焦ることもないと思い直して見知った顔がある方へと歩いていく。
 すると、こちらが声をかける前に日本が気づいてくれたらしく、柔らかな微笑と共に一礼をしてきた。
「イギリスさん、こんにちは。……ここでお会いできて、嬉しく思います」
 同じく招かれた者同士にしては丁寧すぎる様子に戸惑いながらも、日本に会えたことは素直に嬉しかったのでこちらからも手を挙げてそれに応えた。
「ああ。久しぶりだな、日本。俺もここでお前に会えて嬉しいが……」
 物言いの妙にどう返したものかと思っていると、日本が口元に手をあててくすくすと笑う。
「アメリカさんが、いつも以上に浮かれていらっしゃるわけだと、納得したんですよ」
「アメリカが?」
 日本の言葉は、繋がっているようで繋がっていない気がするのだが、日本からすれば繋がっているのだろうか。
 アメリカが誕生日に浮かれるのはいつものことだし、それと俺と日本が会えて嬉しいこととの関連性が分からない。
 いつもならば添えられるフォローが入らず、日本の発言の意図は分からないままだ。
「どういうことだ?」
 そう重要なことでもないとは思うのだが、なんとなく落ち着かなくて、意味を問う。
 すると日本は心から嬉しそうな笑みを浮かべて言った。
「イギリスさんと、アメリカさんの誕生日パーティーでお会いするのは初めてでしょう? それが嬉しいのです。私も……それからきっと、私以上にアメリカさんも」
 知らず、顔が熱くなる。
 俺とアメリカは友好国で。その誕生日パーティーに俺が頑なに出席しない理由など、そりゃあ知れ渡っていることだろう。
 改めて考えると、頑なにアメリカの誕生日パーティーに出ないってことは、《俺は過去に拘っている》と世界中に吹聴して回ってたようなものだったらしい。
 そう考えると赤面する思いだが、日本の発言はそれを俺に気づかせてくれただけではなくて。
 それ以上に、別の意味で顔が熱くなるものも含んでいた。
『嬉しいのです』
『私も……それからきっと、私以上にアメリカさんも』
 アメリカは、嬉しいと思ってくれるのだろうか。
 手紙には『待ってる』と書いてあったのだから、来てほしくないわけではないと思うのだが……。
 いざこうして会場に来てみると、急に不安になってくるのも事実だった。
 アメリカの姿が、見えないとなれば尚更。
「そ、そんなことないだろっ。あいつのことだからどうせ、『君だけ呼ばないのは可哀想だと思ったから誘ってあげただけなんだぞ!』とか思ってるに決まってるさ!」
 つい喜んでしまいそうになる自分を抑えようと咄嗟に言ってみた言葉だったが、あまりにも有り得そうで凹みそうになる。
 自分で言ってて傷ついていては世話ないが、俺の来訪をアメリカが喜ぶより何倍も真実味があるから困る。
 考えてみれば、アメリカに来訪やら何やらを喜ばれたことなど、独立されて以後は皆無と言ってもいいんじゃなかろうか?
「いいえ。それこそ、そんなことありません」
 自分の考えで勝手にへこんでいた俺の様子に、日本はまたくすくすと笑って緩く首を傾げる。
 その様子と表情が、聞き分けのない子供を暖かく見守ってるかのようで妙な気分だ。いたたまれない。
「アメリカさんは毎年……イギリスさんがお越しになるのを待っておいででしたよ。ずっと、ずっと。パーティーの終了時刻がきても、入り口の方を何度も見ながら、皆さんを引き留めて。日付が変わるまで……」
「え……」
 日本の言葉に、心臓を鷲掴みされたような気になる。
 そんなの別に俺を待っていたとは限らない。そうだよ、あいつは大騒ぎが大好きだから、単にパーティーが終わってしまうのが、自分が最大の主役になれる日が終わるのが寂しかっただけで。そこに俺はきっと関係ない。
 そう何度も自分に言い聞かせるのに、顔が緩んでいくのはどうしようもなかった。
「そんなの……」
 嘘だと。日本の勘違いだと。
 言い切ってしまえばいいのに、言い切れない。
 それは信じてるとはまた別で。
 そうであったらいい、という俺の願望でしかないのに。
 あるわけない、あるわけない。
 何度も言い聞かせるけど、どうしても上手くいかない。
 信じたくなってしまう。
「あ。噂をすれば、ですね。イギリスさん、アメリカさんがいらっしゃいましたよ」
「……!!」
 そんなことを考えていた最中に聞こえた日本の言葉に、ぎくりとして身体が固まる。
 抑え込んでいた、常につきまとう目眩や吐き気など一瞬で吹っ飛んだ。
 心臓が跳ねて、それどころじゃなくなったのだ。
 さっきはアメリカの姿が見えないことを寂しく思ったのに、いざ当人が来たとなると、どういった顔をしてどう挨拶を交わせばいいのかも分からなくなる。
 なにしろ、こうしてアメリカの誕生日パーティーに出るのは初めてのことだ。
 いや、でも去年はさりげなく出来た筈だ。落ち着け、落ち着くんだ俺。
「イギリス!?」
 こちらを見つけたのか、驚いたようなアメリカの声が背後から聞こえる。
 それに軽くパニックになっている俺に、しかし日本は柔和な笑みはそのままに強引に背を押して俺を振り返らせた。
「さ、イギリスさん」
 らしくない強引さに日本を恨めしげに見るが、変わらぬ聞き分けない子供を宥めるような目を見るに、どうやら彼は分かっていてやっているらしい。
「に、日本……」
「アメリカさんが、お待ちですよ」
 日本の目は、しょうがないですねと窘めるものであったが、そこに込められた色は優しかった。
 労るようであり、喜んでいるようでもある。
「今日は、良い日ですね」
 優しく響く声音に、不意に泣きそうになった。
 心優しい友人は、恐らくずっと案じてくれていたのだ。
 この日を未だに気にして、祝いにこれない俺を。そして、いつもなら人の都合など全く考えないアメリカが俺に遠慮する唯一の日であるこの日を。
「ああ……そうだな」
 そうだな。きっと今日は、良い日だ。
 日本に背を押されるまま、今度こそアメリカの方へと向き直る。
 そこには、ここ数日ずっと会いたいと思ってた姿があった。




「イギリス……来てくれたんだね」
「お、おう……」
 いつもならパーティーともなれば止めようもないほどはしゃいで喜んで、周りの迷惑なんか考えずに突っ走って騒ぐアメリカが、らしくなく静かな様子で立っていた。
 来訪を喜ぶ言葉に安堵して恐る恐るに顔を見れば、そこには見慣れない優しい笑みが浮かんでいる。
 もっと……こう。喜んでくれるにしろ、
『ようやく来たね、イギリス! まったく君は本当に頑固なんだぞ。それも今日でようやく観念したってことかな!』
 とか言って、いつものテンションで勝利宣言のように言われるんじゃないかと思っていたのが、予想と違って戸惑った。しかも真っ直ぐに見つめられているのが分かるから、余計に。
 アメリカの浮かべる笑みを何故だか見ていられなくて咄嗟に逸らしてチラと周囲の様子を窺えば、日本がいつの間にか俺たちから離れて、そして皆を少し離れた方へと誘っていた。
 他の連中もこちらに一瞥をくれると、納得したかのように少し離れたテーブルへと自然と移動していくのが見えて、気を利かせてくれたのは分かるんだが、なんだか居たたまれない。
「イギリス?」
「あ、いや。なんでもねぇ」
 黙ったままの俺を不審に思ったのか、いつの間にか俺の間近まで来てたらしいアメリカに名を呼ばれて我に返る。
 まだ頭が重いせいばかりでなく、アメリカの態度が違い過ぎてどうにも調子がでない。
 嫌なわけではないのだ。歓迎されてるらしいというだけで嬉しい。
 嬉しいのだが、いつものあっけらかんとした笑みでなく、柔らかく嬉しさを滲ませるような笑みなんて見慣れてなさすぎて、落ち着かない。
 たかがアメリカの笑みひとつで、なんで俺はこんなにそわそわしなきゃいけないんだ。くそ、理不尽だ。
 胸中で悪態をつけば少しだけいつもの調子を取り戻せて、隣に立つアメリカを軽く睨みつけながら言ってやる。
「言っとくが、死ぬほど暇だっただけだからな! お前を祝う為なんかじゃなくて俺の暇つぶしの為なんだからなっ」
 我ながら説得力に欠けるとは思うが、素直に祝いに来たとは言い辛い。
 いや、祝いに来たんだが。こんな早い内に素直にそんなこと言ってしまっては、この後どんな顔をしてパーティーを過ごせばいいか分からないじゃないか。
 アメリカのことだから、またからかうようなことを言ってくるんだろう。そうすればきっと、いつも通りに軽口を叩きながら過ごせる。
 素直に祝ってやりたい気持ちはあるが、それは帰り際にでも言えばいい。
 それなら恥ずかしくて死にそうになっても耐えられる。
 自分なりに予定というか計画をたててのことだったのだが。
 今日のアメリカは、とことん俺の予想を裏切ってくれる。
「そっか。そうだよね。うん、でも君が来てくれただけで、嬉しいんだぞ!」
「へ……?」
 素直に、喜ばれてしまった。
 からかうような言葉ひとつなく。
 なんだそれ。なんだそれ。
 頭が混乱していく。
 こいつほんとにアメリカか!?
 いや、本気で疑うわけじゃないが、俺のああいった物言いに素直に返してくるアメリカなんて有り得ない。
 ああ、くそ。ほんとになんなんだ。
 なんで俺が照れなきゃいけないんだ。顔が勝手に赤くなってくのが分かる。
 こんなの、らしくない。
 俺も、アメリカも。らしくない。
 らしくないけど、嫌ではなかった。むしろ、嬉しいと思ってしまって困る。すごく困る。
『今日は、良い日ですね』
 日本の言葉が脳裏をかすめていくが……今は、頷いていいのか否定していいのか分からなかった。
 だけどきっと、良い日なんだろう。
 良い日に、しなければいけない。
 今年こそ、ちゃんと。
 そうだ。せっかくアメリカが素直に喜んでくれてるのだから、ここは俺も素直になってアメリカを祝わなければ。
 思い、口を開いた筈なのだが、俺の口から出てきたのは、何故か
「そ、そうかよ。まぁ、わざわざ俺が祝いに来てやったんだから、せいぜいもてなせよな!」
 ……こんな言葉だった。
 違うだろ俺!
 今日はアメリカの誕生日なんだから、アメリカは祝われる側だし、そうでなくてもこの言い方はない。
 普段ならともかく、素直に来訪を喜んでくれた相手にこれでは、いくら機嫌が良さそうなアメリカだって気分を害するだろう。
 一体どんな皮肉が返ってくるのだろうと冷や冷やしていると、アメリカの手に背中を軽くポンと叩かれた。
「勿論さ! さぁ、君にも喜んで貰えるように色々用意してるから、その……楽しんでいってくれよ!」
 会場の中程へと促されているのだと分かり、促されるまま歩を進めるが、俺はちゃんと歩けているのだろうか。
 ずっと抱えてた目眩とは違うもので、頭ががくらくらする。
 真っ直ぐ歩けている自信がない。
 背を叩かれて、反射的に見上げたアメリカの顔。
 あんな偉そうなことを言ったのに、アメリカは嬉しくて仕方ないという顔をしていた。
 なんて顔をしてるんだ。
 なんでそんな顔してるんだ。
 ただ単に、誕生日だから。パーティーが楽しくて仕方ないだけだ。
 そう、思えないこともなかった。
 だけど。
『楽しんでいってくれよ!』
 一瞬の躊躇いの後に言われた言葉。
 普通に言われたなら、何も思わなかっただろう。
 けれどアメリカは一瞬だけだけれど、その言葉を口に出すことを躊躇った。
 俺はアメリカの誕生日パーティーを素直に楽しめない。
 そういった可能性が高いと思っていない限り、躊躇う理由はないだろう。
 空気なんか普段まったく読まないくせに。
 読む気なんか、欠片もないくせに。
 こういう時だけ読むなんて、こいつはズルイ。

 二百と三十年と少し。
 毎年毎年、欠かさず届けられた招待状を想う。
 散々に詰って、目の前で破り捨てたこともある。
 それでも絶えることなく、送られ続けた招待状。
 どんな嫌がらせだと、思い続けていたもの。
 どうしても素直に受け取ることの出来なかったもの。

『イギリス』
『君は怒っているかもしれないけど』
『俺は、後悔はしてない』
『君を傷つけたけれど』
『自分勝手だと君は怒るだろうけれど』
『イギリス』
『俺は』
『君に』
『祝ってほしいんだ』
 添えられた短い手紙の数々に綴られた言葉たちが、断片的に蘇った。

 嫌がらせだと決めつけていた。
 なんて傲慢なと、吐き気さえ覚えた。
 けれど。
 ずっとずっと。
 ひたすらに届けられたそれは。

『祝ってほしいんだ』

 彼の、心だったんだ。

 読まずに捨てたもの、燃やしたものを、今更ながらに惜しく思う。
 なんて酷く冷たいことをしてきてしまったんだろうという後悔が胸を襲った。
 涙が滲みそうになるのを、ぐっと堪える。
 泣けない。泣くわけにはいかない。
 そんな資格はきっとないし、何より。
 いま必要なのは後悔ではなく、彼を祝う心だ。
 届けられた、請われ続けた想いに応えようと思うのなら、それは涙ではなく笑顔でなければならない。
 
 ごめん。
 ごめんな、アメリカ。
 ずっと意地を張っていてごめん。
 ずっとお前を誤解していてごめん。
 ずっと寂しい思いをさせていてごめん。
 過去を振り返らないお前の。
 未来だけを見て突き進むのが似合うお前の。
 その脚を年に一度だけでも、ほんの少し止めてしまうものが俺だったのだとしたら。
 ああ、なんてこった。
 本当に俺は最悪だ。
 そんな存在は許せないと思いながらも、何故か。
 どこかで。
 嬉しいと、そう思ってしまったんだ―――。






 パーティーが本格的に始まったのは、それから1時間後くらいのことだった。
 何しろ昼から騒ぎまくるという、アメリカらしいこのパーティー。
 それほど律儀でない慣れた者達は、思い思いの時間に来ることが定番になっているらしい。
 何しろ参加自体が初めてなので、仕事で連れ出される普通のパーティーとの違いに少しばかり戸惑うが、考えてみればアメリカ主催のクリスマスパーティーも似たようなものだったことを思い出す。

 パーティー自体は、楽しいものだと思う。
 アメリカの誕生日パーティーだけに、とにかく派手で騒がしいのが難点だが、今日は不思議とそれに嫌悪感だとかは沸いてこなかった。
 それでも、素直に褒める気にはなれなくて、あっちの方がいいだの品がないだのと文句は散々につけてやったけれど、俺もアメリカも機嫌は良くて、笑い合いながらのそれらは、いつものような険悪な雰囲気を作ることなく穏やかに楽しく過ぎていった。
 途中からふらりと現れたフランスに見つかった時には、また喧嘩になりかけたけれど。
「よぉ、ぼっちゃん。ついに観念したか」
「うるせぇ黙れ髭。なんか文句あっか」
「べーつにぃ~」
 予想していたことだが、案の定にフランスはによによと思わせぶりな笑みを浮かべて視線を投げてくる。
「成長したねぇ」
「黙れつってんだろ腐れワイン」
「いーじゃないの。おにいさん、これでも褒めてんのよ」
「いらねぇよ」
 言いたいことは分かってる。分かってるから、わざわざ言うなと思う。
 とは言え、それくらいなら流せたのだ。
 体調と反比例するように今日の俺は機嫌が良かったし。
 だが……
「照れちゃってまぁ、かわいいねー」
 こうこられては、手が出るのもやむなしだろう。
 せっかく良い気分だったってのに、見ろこの鳥肌!
「その口、永久に開かねえようにピアノ線で縫いつけてやろうか?」
 ギロリと睨んで拳を握りしめる。
 せっかくのアメリカの誕生日パーティーに揉め事を起こしたくはないが、フランスの口を閉じさせる為だ。
 今後の時間を気持ちよく過ごす為にも、今の内に掃除はしておくべきだろう。
 そう思ってフランスに喧嘩をふっかけようとしたのだが―――
「イギリス!」
 振り上げかけた腕ごと、アメリカに後ろから拘束されて、止められた。
「アメリカ!?」
 同時、驚いただけではない勢いで心臓が跳ねる。
 止められたのは分かる。分かるけど、俺を止めてるのはアメリカの腕で。
 つまり後ろから、抱きしめられてるみたいな状態になっている。
 ちょっと待て、なんだこれ。
 止めるなら腕だけ掴んで止めるとか他にも色々あるだろアメリカ!
 なんでよりによってこんな止め方するんだ!?
 体格差のせいか、背はそれほど違わないはずなのに完全に腕の中に抱き込まれている。
 その状態に動揺して、更に何で俺はこんなに動揺してるんだと動揺して、わけもわからず恥ずかしい気になって混乱する。
 なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ。
「今日は俺の誕生日なんだから、揉め事はよしてくれよ! まったくおっさんのクセに血の気が多くて困るな君達は!」
 アメリカの言うことは尤もで、だけどそれ以上に今のこの状態から逃れたいが為に良く考えもせずにコクコクと素直に頷いた。必要以上に何度も。
「わ、わかった! 悪かった。しない。しないから!」
 だから頼むから離してくれ!
 自分の状態がわからないながらも、とにかくこの状況に耐えられなくて必死にアメリカの腕を外そうとするが、存外に強い力で拘束されているようで叶わない。
 くそ、この馬鹿力! メタボ!
 胸中で罵ってもアメリカの腕は緩まない。
 どうしたものかと視線を忙しなく彷徨わせていると、さっき以上にニヨニヨした笑みを浮かべたフランスと目があった。
「な、なんだよ……っ」
 動揺しまくっている様を見られてたのかと思うと屈辱で、それを誤魔化す為に再度睨み付けてやると、ヤツはわざとらしく肩を竦めてみせる。
「いいやー? 今日は随分仲がいいじゃないの、お二人さん」
「!!?」
 それほど腹立つ言葉ではなかった筈だ。
 反応する方がどうかしてる。
 そう頭の隅で理性は言っていたが、一瞬にしてカッと頭に血が上って、冷静な判断はどこか遠くへ飛んでいった。
 これがせめて普通の状態の時なら、冷静に「何言ってんだばーか。頭沸いたか?」とでも返せたかもしれないが、アメリカに抱き込まれたみたいな状況で言われてしまうと、とても冷静ではいられない。
 こんなの、ただ単に誕生日パーティーに暴れられるのが面倒で、口で言っても俺とフランスの喧嘩が止まるわけないと知ってて、やや強引な手段に出ただけに過ぎない。
 頭では分かってるのだが、何故だがさっきから俺はおかしい。
 この状況に羞恥と、ああくそ認めたくないが、何故だがほんの少しだけ嬉しいような気がしているのだ。
 だから冷静でいられない。
 こんなことで照れてどうする。ただ場を治める為の実力行使に顔を赤くしてるなんて、変に思われて当然だ。
 だが、考えれば考えるほど泥沼になりそうで自分を誤魔化す為にフランスにもう一度怒鳴りつけてやろうとしたところで、ぎゅっとアメリカの腕に力が込められて。
「何言い出すんだこのクソひ……!?」
「そうなんだよ。ははは、羨ましいだろうフランス!」
 言いかけた俺の言葉を遮るように、アメリカがフランスへと朗らかに言ってのけた。
 うわぁ。何言い出すんだこのバカメリカ!?
 仲良いとか言われて肯定した!?
 肯定したのかアメリカが!
 いつもなら絶対に否定する場面だってのに。
 あまりの事態に、脳がついていかない。
「あー、別に羨ましくないから、お前らとっとと何処かいってくれば……?」
 アメリカの反応が予想外だったのか、呆れたのか。フランスはもう俺達をからかうのは止めにしたらしく、ひらりと手を振って離れていった。
 これでもう今以上に事態が悪化することはないだろうと少しばかり安堵するが、まだまだ状況は油断ならない。
 なにしろフランスが立ち去ってからも、なんでかアメリカの腕が俺から離れてないのだから。
 勘弁して欲しい。
 今の俺は寝不足と体力低下のせいで、思考がまともに働いてないんだ。
 こんな風に頭がぐちゃぐちゃなのも、アメリカに対しての反応がおかしいのも、全部体調不良のせいに違いない。
 これでまだ、アメリカがいつも通りなら良かったのに。
 なんでか今日のアメリカは様子が違う。誕生日で浮かれているのもあるんだろうし、全体的に機嫌が良いのもあるんだろうが……なんというか、心臓に悪い。
 どうしたものかと考えあぐねていると、アメリカがようやく俺を抱き込んでいた腕を解いてフランスが去っていったのとは違う方向を指さして言った。
「さぁイギリス! フランスもいなくなったし向こうへ行こうよ! マジックショーをやってるんだ。君、そういうの好きだろう? 魔術だとか言ってるけど」
「な……っ。アレは本当に魔術であって、マジックとは全然違うんだからな! ……って」
 誘ってくれるのは嬉しいが、その内容は聞き捨てならない。
 反射的に反論をした俺だったのだが、またそこで言葉を止めるはめになる。
「あ、アメリカ……?」
「うん?」
 戸惑いながらも口にした名に振り返るアメリカの表情は、楽しげな笑み。
 今まで殆ど見ることの出来なかった素直な表情が、どうしたことか今日は大安売りだ。
 誕生日万歳、と頭のどこか遠くで思いながら、言い掛けた疑問を喉の奥にしまいこむ。
「い、いや。なんでもない」
「変なイギリスだな。さ、行こうよ!」
 不審を口にしてもアメリカの表情が曇ることはなく、楽しげな様子のままだ。
 抱き込まれてた腕が解かれたと思ったら、行く先を促すように肩に回された腕が気になって仕方ないのだが、この様子からして、きっと他意はないのだ。ただ浮かれているだけで。
 なら、細かいことを言うのはやめておこう。
 気にしないというのは難しかったが、上機嫌なアメリカに水を差すのも憚られたので、それについては言及せず、マジックショーが行われているというエリアに向けて二人連れだって歩いていった。






 その後も、アメリカに連れられてパーティーを楽しんだ。
 アメリカを祝おうと決めて。
 けれど例年通り訪れる症状に、俺は本当はアメリカを祝いたくないんだろうかと、アメリカを前にしたら祝う気持ちがなくなってしまうんじゃないかと不安に思ったりもしていたが、本人を前にしても気持ちは変わることはなくて。
 こうしてパーティーをアメリカと一緒に過ごしていても、過去を思って沈むようなことは幸いなかった。
 驚くほどにアメリカの機嫌が良かったし、おかげで俺もいつものような棘もなく対応することが出来たから、そのせいもあるかもしれない。
 絶食に近い状態だった身だけに酒や食事を摂ることはあまり出来なかったが、目眩や吐き気はいつの間にか消えいて、不安に思っていたことが馬鹿らしいと思えるほどに、素直に楽しめていた。
 アメリカは今日の主役だけに、色々なヤツが挨拶に来たりプレゼントを渡しに来たりして忙しそうだったが、常に俺から離れることがなかったのが不思議と言えば不思議だ。
 他の奴らに話しかけられている時に邪魔しても悪いし、今日の主役を独占するのも申し訳ないだろと思って話し込んでいる間に離れようとしたのだが、そういった時には決まって腕を掴まれて留め置かれた。
 アメリカの誕生日パーティーにまともに出席するのは初めてだから、勝手が分からないだろう俺に気を遣っているのかもしれない。
 あのアメリカが? と思わぬでもないが、今日のアメリカは気味が悪いと思えるほど機嫌がいいので、長い時の中で、たまにはそんなこともあるんだろう。
 昼頃から始まって、そろそろ夕方を越えるという時間になっても、楽しいと思える気持ちが消えることはなかった。
 アメリカは常に俺を連れて色々とパーティー会場内の催し物を案内してくれたし、酒や食べ物が喉を通らないのを知ってか知らずか色彩の激しい食べ物を勧めてくることはなく、スープやゼリーといった喉を通りやすいものだけをたまに持ってきてくれた。
 本当に誰かに操られてるんじゃないかと思うほどに今日のアメリカはいつもの傍若無人さがなりを潜めていて、とうとう友人だとかいう宇宙人にキャトられて改造でもされたんじゃないかと不安に思ったほどだ。
 とは言え、会いたいと数日間思い続けていたアメリカに会えて、歓迎されているのだと思えば、嬉しくないわけがない。
 当初の不安が嘘のように、こうして誕生日パーティーを過ごせて。
 嬉しかった。
 楽しかった。
 来て良かったと、心底から思った。
 もう、不安に思うことなど何もないと、そう思えていた。
 ―――ひとつのことに、気づくまでは。

「イギリス、そろそろ花火が始まるんだぞ! 外でもいいけど、二階のバルコニーから見るのが一番綺麗なんだ。早く行こうよ!」
「おいおい、引っ張るなって」
 はしゃいだ様子で俺の手を引いて先を急ぐアメリカは、図体ばかりでっかくなった子供ようで、つい笑みを誘われる。
 遙か昔の独立前。こうして俺の手を引いて自分の見つけたものを見せようとしてくれた小さなアメリカを思い出したけれど、沸いてくるのは懐かしさと無邪気に見えるアメリカへの愛しさばかりで、胸が痛くなることはなかった。
 あれだけあった目眩も吐き気も今は遠く、過去を思い出せば付きまとっていた恐怖や不安も今はない。
 隔てられてしまった過去。それを経ても。
 こうして過ごせる今が、幸せだと感じる。
「もう疲れたのかい? 君、もうちょっと鍛えた方がいいぞ!」
「うるせぇ。お前みたいな筋肉バカと一緒にすんなっ」
 昼からあれだけはしゃぎ回っていて、よく疲れないもんだ。
 寝不足や体力低下がなくたって、俺は途中でバテてただろう。
 実際今日も、歩き回るのに疲れて何度か休憩をさせてもらっていた。
 そういえば、会場の隅で椅子に座ってぼうっとしてる間も、他を回ってくればいいのにアメリカは俺の傍に立って、黙って待っていてくれていた。
 あれがアメリカにとっても休憩になってたのかもしれないな。
「バカって言い方はないんじゃないかい? 人に文句言う暇があったら、歩いてくれよ。一番最初の花火が肝心なんだからね!」
「わかったよ。ったく、忙しねーな」
 文句は言っても、俺の顔が緩んでいるのはアメリカにだって分かってるんだろう。
 いつもみたいな皮肉に聞こえるけど、アメリカの声には棘がなくて表情も柔らかい。
「あ。疲れて歩けないって言うなら、俺が抱き上げて運んであげてもいいんだぞ。年寄りを労るのもヒーローの務めだからね!」
「なっ、ば、バカ! いらねーよ! 年寄りじゃねーし!」
 一瞬、アメリカに抱き上げられて運ばれる自分を想像してしまい、あまりの恥ずかしさに俺の手を引っ張ってるアメリカの腕を払おうとするが、どれだけ振り払おうとしても解けない。
 くそ、だから馬鹿力なんだよお前!
「はははは、冗談だよ。君、顔真っ赤だぞ!」
「う、うるせー! お前が変なこと言うからだろっ」
 顔の赤さまで指摘されて、恥ずかしさが倍になって、更に赤くなるのが分かった。
 悪循環だ。
 冷静になれ、落ち着け、と胸中で繰り返すけれど、アメリカの手は相変わらず俺の腕を掴んだままだし、アメリカはずんずん進むくせに前を見てなくて何故だか俺の顔を見てるし、からかうような台詞の割に、その表情に浮かぶのは悪戯めいたものですらない優しげなもので、どれもこれもが俺が冷静になるのを邪魔する。
 無理だ、こんなの。
 落ち着けるわけなんかない。
 冷静になれるわけなんかない。
 今日は、色々とおかしいことが多すぎる。
 俺も、アメリカも。
 何日も前から、アメリカに会いたいと思い続けていたせいだろうか?
 アメリカがらしくなく、気を遣ってくれたり、優しいからだろうか?
 今のアメリカが大切だと、そう思ってたのは確かで。
 今の関係を大切にしたいと思ってたのも確かで。
 ついでに、もう少し近づけたらと思っていたのも確かで。
 だけど、こんなのはおかしいだろう。
 いくら会いたいと思ってたからって。
 いくら大切だと思ってたからって。
 こちらの手を掴む手に。その熱に。向けられる優しい表情に。
 どうして熱くならなきゃいけないんだ。
 どうして、それらがずっと続けばいいのに、なんて思わなきゃいけないんだ。
 アメリカは「こっちだよ」と言いながら、屋敷の階段を上って二階へ半ば駆けるように進む。
 その顔は本当に嬉しそうで楽しそうで、それこそ彼が好む星型が周囲に舞っているかのように見えるほど。
 アメリカが楽しそうにしてるのを見るのは、楽しい。
 アメリカが嬉しそうにしてるのを見るのは、嬉しい。
 そんなのは彼が小さい頃からずっとで。
 アメリカの笑顔を守る為ならなんだって出来ると息巻いていたのは二百年も前のことの筈なのに、こうしてアメリカの笑顔を見ていると、すんなりと同じことを思ってしまう。
 随分長いこと、俺は彼を不機嫌にさせるかうんざりさせるかしか出来なかったから、こんな気持ち忘れてた。
 アメリカのてらいのない笑顔が俺に向けられるのなんて、一体何十年ぶりだろう。
 だけど、あの頃は、こんな風にアメリカに手をとられるだけで熱くなることも、いたたまれない気持ちになることもなくて、その一方でずっとこのままならいいのに、なんて思うこともなかった。

 アメリカ。お前がずっと笑顔ならいい。
 アメリカ。お前がずっと幸せならいい。

 二百年前と同じ言葉。
 なのに、全く違う言葉のように思える。
 二百年前と違う気持ち?
 なら、これはなんだ。

 アメリカが俺の手を引いて歩く。半ば駆けるように、けれど俺の歩調を少しだけ気にして。
 機嫌の良さが端から見ていても分かる足取りは軽く、踊るよう。
「イギリス」
 急かす声と裏腹に待っていてくれる速度。
 嬉しそうに呼ばれる名前。声。
 どれもこれもに愛しさと幸福を感じて、どうしていいか分からなくて泣きたいような気持ちになる。
 
 アメリカ。お前がずっと笑顔ならいい。
 アメリカ。お前がずっと幸せならいい。

 この日にまつわる様々なことは俺を未だに離してはくれなくて、この日を何も思わずに過ごすことは未だに難しいけれど。
 お前の幸せを願う気持ちに偽りはない。 
 今でも、お前の幸せを祈ってる。
 幼いお前と二人で過ごした穏やかな日々に願っていたよりも強く、強く、今改めて願う。

 アメリカ。お前がずっと笑顔ならいい。
 アメリカ。お前がずっと幸せならいい。
 そして、アメリカ。
 お前がずっと……俺に笑いかけてくれればいい。

 無理な願いだ。3つめだけは、どうせ。
 今、アメリカが俺に笑顔を向けてくれてるのは、今日だけの魔法のようなものだ。
 誕生日という、特別な日。
 傍若無人で他人に興味など殆ど抱かないくせに自分だけはいつだって注目されたくて、存外に寂しがり屋で構われたがりのくせに甘く見られることを嫌う彼が、祝ってほしいと素直に言える日。
 二百年以上、不参加を貫いて来た俺が参加したことも、彼なりに喜んでくれてるんだろうと思う。
 俺が祝うことが、彼にとって某かの意味になっているのかもしれない。と思うのは自惚れだろうか?
 それも、今日だけの魔法。
 誕生日が終わって、いつもの日々が戻れば、こんな笑みを俺に向けてくることなんてないだろう。
 来年の誕生日になら、見ることが出来るだろうか?
 それとも最初に参加した今日だけのものだろうか。
 去年、会場の外から垣間見た彼は楽しそうではあったけれど、ここまでの笑顔を浮かべてはいなかったから、やはり今年だけのものかもしれない。
 
 もう見ることはないんだろうと思うと、尚更に惜しくなる。
 ずっとこのまま、バルコニーになど着かなければいい。
 パーティーが終わらなければいい。
 
 アメリカ。お前がずっと笑顔ならいい。
 アメリカ。お前がずっと幸せならいい。

 あの頃と似て。けれど決定的に違う、泣きたくなるようなこの想いはなんだろう。
 過去に口にした願いとの差だけは、なんとなく分かる。
 あの時は、もっと優しい気持ちで願っていた。
 先の見えない時代にあって、ただ漠然と彼の未来に幸あれと願った言葉。
 今のは、違う。
 彼の幸せを心底から願った言葉なんかじゃない。言葉は同じでも、込められた意味は真逆で、酷く身勝手なもの。
 漠然とした幸せと笑顔なんて願えてない。
 ああ、どうしようもない。なんでこんなことを思うようになってしまったんだろう。
 アメリカが、こんな風に笑うからいけない。
 アメリカが、らしくなく俺に優しくするからいけない。
 ずっと欲して、得ることなどないと思っていたものを不意に寄越されてしまえば、なくなることに耐えられるわけがない。
 かつてのように願えない。
 これはアメリカの為の願いなんかじゃない。
 こんなのは、自分の為の願いで。否、願いですらない願望だ。

 アメリカ。お前の笑顔が向けられるのが、俺であればいいのに。
 アメリカ。お前の幸せの傍らにあるのが、俺であればいいのに。

 涙と共に滲み、溢れそうになる想いを、言葉を、堪えて喉の奥に押し込める。
 こんなのは酷すぎる。
 これじゃあまるで、アメリカのことが好きみたいだ。
 子供としてじゃなく、弟としてでもなく、もっと自分勝手で我が侭な好意。
 
 そんなこと、あるわけがない。あってたまるものか。
 俺は今、ちょっと寝不足で頭の回転も鈍いから、思考回路が少しばかり壊れているだけだ。
 必死に否定して、冷静になれ正気に返れと何度となく自分に言い聞かせるけれど。
「イギリス、ここだぞ!」
 向けられる笑顔が暴力的なまでに眩しくて。名を呼ぶ声の響きが甘く聞こえて。
 俺の滑稽なまでに健気な努力を一瞬で打ち砕いていく。
 こんなところまで問答無用に傍若無人じゃなくてもいいじゃのに。
 アメリカという男は、本当に酷い。
 いつも俺には、うんざりした顔や呆れた顔しか見せないくせに。
 どうして今日に限って、眩しいほどの笑顔を惜しげもなく見せてくれるんだ。
 お陰で、気づきたくなかったことに気づいてしまった。
 今日が終われば、もう二度と俺に対して向けられることなんてないと分かってるのに。
 ―――気づいてしまった。
 
 俺は、アメリカが好きなんだ。
 家族としてでなく、多分、恋愛の意味で。

 





 辿り着いたのは、屋敷の二階のほぼ中央にあたる、広間だった。
 一階のホールよりは流石に劣るが、ここでもちょっとしたホームパーティーを開けそうな広さがある。
 両開きの扉を開けて中に入れば、アメリカの家のものにしては品があって落ち着いた色合いの応接セットが置かれていて、新しい物好きの彼らしくなく、年代物であることを伺わせるインテリアに少しばかり首を傾げた。
 俺の家の名残が見え隠れするそれを通り過ぎて、アメリカは真っ直ぐにバルコニーへ続くガラス扉へと進んでいく。
 ここを開ける段階になって、ようやくアメリカの手が俺の腕から離れた。
 想いを自覚して余計に居たたまれなさを感じていたのでホッとするが、その一方で、いざその温もりが離れていくと寂しいと感じてしまう自分が居ることも確かだ。
 扉を開けるアメリカの手を気が付けば視線で追っていて、己の未練がましさに嫌気が差す。
「良かった、間に合ったみたいだぞ」
 ガラス扉を開け放ったアメリカは、暗くなり始めた空をきょろりと見渡してひとつ頷いた。
 どうやら花火の打上はまだ始まっていなかったようだ。
 無理にアメリカの手から視線を外して、俺もガラス越しに外の空を見遣―――ろうとして、固まる。
 離れた筈のアメリカの手が、再び俺の腕をとって、引っ張ったのだ。
「な」
 目と口をぽかんと開けて思わず外へ向けていた視線を戻してアメリカの顔をマジマジと見上げるが、アメリカは良く分かってない様子で、手を引く力をほんの少しだけ強くする。
「ほら、イギリス。ここまで来たのに部屋の中で止まってたら意味がないじゃないか!」
 そう言ってアメリカは俺をバルコニーまで連れ出し、優美な線を描く華奢な柵の傍らまで引っ張っていった。
 勘弁してくれ。
 こっちはさっきから、些細な表情やら接触に振り回されっぱなしなんだ。
 挙げ句の果てに、厄介な事実まで気づいてしまって余裕なんかないってのに。
 そうやって、なんでもないことのように触れないで欲しい。
 ただでさえ体力も思考力も衰えている今、心臓が保つ自信がない。
 それに―――こんな状態では、いつ口を滑らすか分かったものじゃない。
 掴まれた腕にじんわりと滲む熱。
 一度離れ、戻ってきたソレに安堵を感じてしまう自分に、危機感を募らせる。
 気づきたくなかった。
 気づいてしまった。
 だけど、だから。
 知られるわけには、いかないじゃないか。
 せっかく、皮肉混じりであっても普通に語らえるようになって。
 せっかく、歩み寄ろうと決めて、誕生日を祝おうと思えるようになって。
 せっかく、今の関係を今のアメリカを大切にしたいと思えるようになって。
 せっかく、こうしてアメリカが今日だけだろうとは言え、俺にも優しくなってるのに。
 こんな気持ちが知られたら、全て台無しだ。
 共に兄弟のように暮らした過去も。
 壊れた後、築き直してきた今も。
 今日だけだろう、この優しさも。
 そして……俺がどれだけ拒否しようが、毎年届けられ続けた招待状さえも。
 気づいてしまった気持ちを知られれば、全てが壊れ、なくなってしまうだろう。
 それだけは、それだけは嫌だ。
 一度、明確に感じてしまった危機感と恐怖は一瞬で俺の胸を覆い尽くしていく。
 アメリカに握られた手。そこからこの気持ちが伝わってしまうのではないかという馬鹿な妄想に囚われる。
 アメリカが好きだ。
 アメリカに触れられているだけで、らしくなく舞い上がってしまう。
 触れる些細な熱すら愛しくて、ずっと離れなければいいのにと思う気持ちは確かにあって。
 けれど、そこから全てが壊れてしまう恐怖の前には、ささやかな願いに身を浸している余裕などない。
 嬉しいという気持ちを黒く塗りつぶしていく不安と恐怖に押されるように、俺はアメリカに握られた手を強く振った。
「おい、離せよ」
 しっかりと握られた手はそれくらいじゃ離れはしなかったので、仕方なしにアメリカに直接言うしかない。
「ああ。痛かったかい? 君は貧弱だものな!」
 照れを不安を恐怖を知られたくなくて目を逸らして行った抗議は、アメリカの耳に届いた筈で。
 返ってくる言葉もいつものような、からかい混じりのものなのに、何故だかアメリカは掴む力を僅かに緩めただけで、手を離すことはしなかった。
「お前が馬鹿力すぎるんだっ。つか、離せって言ったろ」
 言いながらも、アメリカの手から自分の手を取り戻そうと引いてみたり捻ってみたりするが、そうするとアメリカはまた握る手に力を入れてきて、失敗する。
 ほんとに何がしたいんだお前。
「駄目だよ。そろそろ夜だしね。今日はずっと、こうしといて貰うよ!」
「はぁ!?」
 思わぬアメリカの言葉への反応は、酷く間抜けた声と顔になった。
 いきなり何を言い出すんだこいつは!
「な、ななななんでだよっ。大の男二人が手つないだままって、おかしいだろ!」
 混乱のまま正論めいたことを言ってみるが、アメリカは拗ねたような表情でフイと顔を逸らし、不満たらたらと言った体で
「君なんかを野放しにしたら、どうせ酒飲んで酔っぱらって大暴れするだろ。俺の誕生日にそんな悪事は許せないからね! 俺がこうして君を捕まえて皆を守ってるんだぞ!」
 そう、言ってきた。
「分かったら、おとなしく俺に捕まってるんだね!」
 ついでの、駄目押しつきで。
 ああ。
 ああ、そうか……。
 そうだよな。
 呆気にとられてアメリカの顔を見上げていた筈の視線が、意識せずに徐々に下がってバルコニーの床へと落ちる。
 今日ずっと笑顔だったアメリカが見せた不満げな顔。それと共に吐かれた言葉に、傷つきながらも納得してしまった。
 パーティーの間中、俺についていてくれたのも。手を繋いでくれていたのも。
 それが理由なら、納得がいく。
 ああ、でもアメリカにしては上等な方だ。俺一人に気を遣ってるなんてよりも、ずっと立派だ。
 いつも空気の読めない自分勝手な彼にしては、周りの皆の為にそういう気を回したんだろう行動を、褒めてもいいぐらいだ。
 その内容が、《俺が酔って暴れるのを防ぐ為》というのが腹立つが。
 人を気遣えるようになったことは、喜ばしいじゃないか。
 理由に腹をたてて「誰がそんなことするかばかぁ!とか「大きなお世話だ!」とか文句を言っても。
 そんな風に見られていることに落ち込むことはあっても。
 今日のアメリカの行動の理由が《俺の為じゃなかった》ことに落ち込んで傷つく理由なんて、どこにもない。
 少なくとも、アメリカに対して向ける抗議になんて、なるわけがない。
 たったひとつ理由があるとすれば、それは俺がアメリカを好きだから。ということだけだ。
 知られるわけにいかない一方的な感情を理由に傷ついたからって、そんなのは本当に俺の勝手であってアメリカにどうこう言える筋合いじゃないのだ。
 だが今、言葉を失って勝手にへこんでいる理由は、間違いなくそれで。
 だから普段の俺なら言って当然の筈の言葉さえ出てこなくて、意味もなく何度も口を開閉させて、言わなければいけない言葉を思い出せずにいる。
 さっきまで居たたまれない一方で浮き立つような気持ちに俺をさせていたアメリカの手から伝わる熱は、今は俺を責めているようにも感じた。
 どこにもアメリカを責める要素なんてなくて。俺が勝手に、アメリカの行動が珍しいけれど天変地異の前触れかもしれないけれど、ひょっとしたら僅かであれ俺の為なんじゃないかと、俺に気を遣ってくれたからなんじゃないかと期待して。それが事実でなかった。ただそれだけの話なのに。
 そんな勘違いをしている俺を、責めているんじゃないかと。
 くだらない妄想だ。
 早く、何かを言わないと不審に思われる。勘ぐられる。
 知られるわけにはいかないんだから、いつもやってるように、アメリカに対して文句を言わなければ。
 大きなお世話だと怒鳴って、手を振り解かなければ。
 何度も胸の内で言い聞かせるけれど、思ってた以上に俺の落ち込みは深いらしく、怒鳴るような気力が欠片も湧いてこない。
 それどころか、立っている気力さえ失われて、何もかも投げ出して倒れ込んでしまいたい衝動に駆られてもいた。
「イギリス……?」
 葛藤を繰り返す間に、当たり前だがこちらの反応を不審に思ったアメリカがとうとう問いかけてきた。
 驚いたような、戸惑うような声。
 言い過ぎたと、後悔しているのかもしれない。
 アメリカは俺に対しては冷たいことも酷いことも言うが、基本的には優しい性格をしている。多分。恐らく。きっと。
 ヒーローを自称するだけあって女子供には当然のように優しいし、男相手でも遠慮をしないのと空気を読まない発言なだけで、悪と決めつけた相手以外には、わざと傷つけるような物言いをすることはあまりない。筈だ。
 だから俺相手であっても、本気で傷ついたと知ればフォローくらいしてくれるのだ。たまにだけれど。
 アメリカは掴んだままの俺の手を引いて引き寄せ、俯いている俺の顔を伺おうとしてくる。
 みっともないことになってるに違いない顔を見られたくなくて、下を向いたまま、自由な方の手でアメリカの体を押し、それを止めた。
 その拍子に、腕にかけていた紙袋がふらりと揺れる。
 ああ、そう言えば……プレゼントをまだ渡していない。
 頭のどこか隅でそう思いながら、俺は苦労して口を開く。
「はは、ばーか。飲まねぇよ、今日は。安心しろって」
 声は、震えていないだろうか。
 平然とした、もしくは小馬鹿にするかのような声で言えただろうか。
 アメリカを押しのける手は。繋がれた手は。震えていたりしないだろうか?
 心の奥が震えていて、もうどこが正常に動いているのかも分からなくて、祈るしかない。
「一滴も飲まねーし、暴れない。女王陛下に懸けて誓う。だから」
 いいだろう、もう。
 手を離してくれ。辛いんだ。
 離して欲しくないのに、離すことを願わなければならないのが辛い。
 お前のせいじゃないけれど、全部何もかも俺のせいだけれど。
 お前なんかを好きなった、好きだと気づいてしまった俺のせいだけど。
 これ以上、俺の為にお前が何かしてくれるなんて馬鹿な期待を抱く前に。
 離してくれと思うのに、性懲りもなく、繋がれた手を惜しんで離せなくなる前に。
 俺の思いが、つないだ手からお前に伝わってしまう前に。
 手を握られているくらいで、ここまで翻弄されてしまう俺のどうしようもなさが、お前に伝わる前に。
 頼むから、離してくれ。
 祈るように願った。
「………」
 沈黙が落ちる。
 階下からは楽団の演奏や楽しげに語らう人々の喧噪が聞こえてくるのに、このバルコニーだけが別世界のように静かで重く感じられた。
 そういえば、ここには俺とアメリカしかいない。
 パーティーはメイン会場が庭で、一階のホールも使われていたけれど、二階へ昇る階段でも廊下でも人とはすれ違わなかったことを思い出す。
 花火を見るならバルコニーが最高なのだと言っていたから、もっと人が居るのだと思っていたのに、考えてみればおかしな話だが……今となってはどうでもいい。
 むしろ、こんなみっともない姿を見られなくて済むので、何故だか知らないが誰もいなくて良かった。
 幸運に感謝しながらアメリカを押しやるのと同時にもう一度掴まれた手を引くと、アメリカの口から溜息がひとつ落ちて―――ようやく、こちらの手を掴む力が緩められる。
「わかったよ」
 不本意そうな声に、ずっと機嫌の良かったアメリカの不機嫌そうな声を、今日始めて耳にしたことに気づく。
 さっきの声はまだ、不満そうではあったけれど不機嫌とまではいかなかったのに。
 今のは、明確に温度が低かった。
 せっかくずっと機嫌が良かったのに。ずっと笑顔で居てくれたのに。
 消えてしまったそれを寂しく残念に思いながら、簡単に解けるほど緩められていたけれど離してくれたわけではなかったアメリカの手から、自分の手をそっと引き抜く。
 アメリカの手から逃れたことに心底から安堵すると同時、やはり寂しいと思ってしまう。
 自分から解くのは、何度もそうしようと思っていたくせに、なかなか難しいことだった。
 ただでさえ珍しすぎる事態だ。もうこんな風に手を繋ぐことなどないのだろうなと思うと、尚更惜しむ気持ちが湧いてくる。
 無意識にぬくもりを追いそうになる手をきつく握りしめて体の横へと下ろし、意識して動かさぬよう固定した。
「その代わり、俺の目の届くところにいてくれよ!」
 まだ少し機嫌の悪そうな声で言うアメリカの声が頭の上から降ってきて、苦笑が零れる。
「ああ。わかった、わかった」
 まったく、俺はどれだけ酒乱だと思われてるんだか。
 否定しきれないのが辛いところだが。
 本当を言えば、これ以上みっともない姿をみせる前にアメリカの前から消えてしまいたかったが、こう言われてはそうもいかない。
 それに、花火を見ようと言ってくれたのだから、その誘いまで無駄にしたくなかった。
 いや、違うな。
 本当の、本当は。
 やっぱり、アメリカと一緒に居たいだけなんだろう。
 手を離して欲しいと思っても、離して欲しくないと思ってしまうのと同じように。






「花火、そろそろだぞ。あっちの方から上がるんだ」
 気を取り直したように、明るい声に戻ったアメリカがバルコニーの外、庭の奥の方を指さした。
 いつまでも下を向いているわけにもいかず、軽く頭を振って気持ちを切り替えて、示された方を向こうとして―――片腕に下がったままの紙袋に、もう一度気づく。
 そういえば、さっきも思ったんだった。
 まだアメリカに、プレゼントを渡していないじゃないかと。
 喜んでくれる可能性は凄く低いが、それでも貰ってほしくて買ってしまったプレゼント。
 そうだ。まだ渡せていなかった。そろそろ、いいだろうか。渡してしまっても。
 ここに来るまで、他の奴等が渡している時に紛れて渡そうとしたり、休憩の最中に思い出して渡そうとしたり。何度かそういう機会はあった筈なんだが、その度に
『それは後でいいよ』
 とか
『今日は俺の誕生日なんだから、君が荷物持ちってことでいいじゃないか』
 とか
『君のプレゼント、どうせまた古くさい仕掛けがついてるんだろう? その手には引っかからないんだぞ!』
 とか言われて、結局受け取ってもらえずに、未だに俺の手にあるのだった。
 ……あれ?
 ちくりと、胸に何かが引っかかる。
 なんか、おかしくないか?
 後で言われて、それもそうかと納得した。
 荷物になるからと言われて、それもそうだし、しょうがないから持っててやるかと思った。
 だけど、考えてみれば次々やってくる招待客からのプレゼントをアメリカは嬉しそうに受け取っていたし、それらは直ぐに使用人達に預けられ一カ所に飾られていたような気がする。
 俺のプレゼントだけ持ち歩かなければならない理由もないのだから、荷物になるというのは理由にならない。
 あれ……?
「………」
 ずしりと。今まで気にもしてなかった腕にかけた紙袋が、酷く重くなったような錯覚を覚える。
 もしかして。
 もしかして、アメリカは―――俺からのプレゼントを、受け取りたくないんじゃないか―――?
 浮かんでしまった疑問が胃の辺りを冷たくした。
 そんな、まかさ、いくらなんでも。
 だって、アメリカは苦手としてるロシアからだってプレゼントを受け取ってる。
 誰だっけ。と、失礼にも名前も覚えていないらしい国からだって、平然とプレゼントを受け取っているんだ。
 あげる方なら渋るのは分かる。理由の分からぬ贈り物も、受け取らないのは当然だ。
 だが、今日はアメリカの誕生日パーティーで。誕生日プレゼントを受け取らない理由なんて、どこにあるんだ?
 誰だって、招かれたなら礼儀としてプレゼントのひとつくらい持ってくる。
 それを受け取らないのは、なんでだ。
 いくらなんでも、俺から貰いたくないとか、そんなことはないよな?
 招待状に添えられた手紙には、プレゼントを用意するようにと書いてあった。
 プレゼントを開けるまで、付き合うようにとも書いてあった。
 受け取る意志がないのだとは思えない。思いたくない。
 まさか、そんなことはないだろう。
 言い聞かせるけれど、一度沸き上がった不安を拭い去るには未だ俺の手にある紙袋の存在は重すぎて、消えてくれない。
 手紙で言っていたように、去年みたいな仕掛けをしてないかと警戒してるだけだ、きっと。
 花火を待って、暗くなりかけた空を見上げるアメリカの背を見つめる。
 もう一度、渡してみよう。
 罠を警戒してるとしても、周りに誰もいないし今ならば失態を見られる心配もないのだし。
 パーティーもそろそろ佳境なのだから、「後で」に叶っているだろう。
 不安と緊張の為か渇き始めた口の中を、ごくりと唾を飲み込むことで無理矢理に潤して、アメリカの背へと声をかけた。
「アメリカ」
「ん?」
 呼べば、すぐに彼は振り返ってくる。
「なんだい、イギリス」
 先程一瞬だけ見せた不機嫌さも今は見えない。こちらを真っ直ぐに見てくる目は、今日の殆どがそうであったように、楽しげに煌めいていた。
 それに安堵し、背中を押されたような気になって、俺は手にしていた紙袋をアメリカへと突きつける。
 けれど、アメリカは紙袋を意外そうに見て、それから僅かに眉を寄せた。
「なに?」
「プレゼント、だろ。わざわざ今まで持っててやったんだから、そろそろ受け取れよ」
 問い返されたことに、そして寄せられた眉にひやりとするが、今更引っ込めることも出来ない。
 自棄になったようにアメリカの腹のあたりに紙袋をさらに押しつける。
 頼むから受け取ってくれ、と願いながら。
 なのに。
「やだよ」
 きっぱりと言い切って、アメリカは紙袋を俺に押し返した。
「君のは後で貰うって言ったろ? あと少しじゃないか。持っててよ」
 冷たく響く声は、再び不機嫌の色に染まる。
 目の前が、暗くなったような気がした。
 後でって。後でって、それ、いつだよ。
 何度も渡そうとして、その度に受け取らないのは、なんでだ?
 他のヤツからは何時でも受け取るのに、俺のプレゼントだけ後回しにして受け取らないのは、なんでだ?
 去年仕掛けた悪戯を怒ってるのか。
 そうでないなら、何故。
 拘ることじゃない。後でと言っているのだから、パーティーの終わりにでも押しつければいい。
 理性は頭の隅で告げるけれども、感情がついていかない。
 なんで、なんで、どうして。
 聞き分けのない子供のように、そればかり繰り返す。
 落ち着け。プレゼントなんて些細なことだ。
 今日はアメリカの誕生日なんだ。俺はここに何をしに来た?
 プレゼントを渡す為? 
 それもあるが、何よりもアメリカを祝う為だろう?
 アメリカを不機嫌にさせる為でもなければ、必要とされない、受け取りたくないと言うプレゼントを無理に押しつける為でもない。
 アメリカを祝う為に来たんだ。
 だから、気にすることじゃない。
 俺が傷つくことじゃない。
 俺が怒ることでも、泣くことでもない。
 言い聞かせるのに。
「…………ッ」
 目の前が暗くなって、目頭が熱くなって、胃の辺りが苦しくて辛くて。
 喉の奥、胸の奥から熱くて苦しい何かがせり上がってくるような感覚に襲われる。
 手にした紙袋が酷く重くて、厭わしい。
 必死に、選んだんだ。
 お前は気に入ってくれないかもしれないけど。
 それでも、お前にと。
 お前に似合うものを。相応しいものを。そう思ったら、他を選べなかった。
 嫌がられるかな、と思っても。一度くらいはつけて貰えたらと期待して。
 誤魔化すように、当たり障りのないダミーを用意するくらい、必死で。
 今日アメリカが受け取る多くのプレゼントに埋もれてしまうだろうと分かっていたけれど。
 受け取って欲しかった。
 せめて否定はしないで欲しかった。
 アメリカを祝う気持ちを。
 アメリカを祝う俺を。
 お前を好きだという、そんなものを押しつけたりはしないから、せめて。
 口から零れそうになる嗚咽を、歯を噛みしめて堪えながら。
 ああ、そうか……と、頭のどこかが妙に冷静に納得していた。
 なんで急に、受け取られないプレゼントがこうも気になったのか。
 ……そうか。
 アメリカへの気持ちに、気づいてしまったからだ。
『好きだ』
 そんな気持ちを、伝えるわけにはいかないから。
 せめて、プレゼントは……アメリカを祝う気持ちだけでも、受け取って欲しいと思ったから、だったのか―――。
 なんて身勝手な理由。
 最低だ。
 純粋に祝おうと思ってた気持ちさえ、自分でねじ曲げたのか。
 何が、祝う気持ちだ。
 『好き』の代わりなんて、アメリカが受け取りたがらないのも当たり前だ。
 そう思うのに。
 喉の奥からこみ上げる苦しさは増すばかりで、噛みしめても噛みしめても、抑えきることが出来そうもない。
「イギリス……?」
 紙袋をアメリカに押しつけたまま、俯いてというより上半身を伏せるような態勢で止まっていた俺の背に、気遣うようなアメリカの手が伸びてきて、それがとどめになった。
「なんでだよっ!」
 叫びだして、紙袋を持ったままの両手を、アメリカの胸に何度も叩き付けた。
 理不尽でも、身勝手でも、止められない。
「受け取るくらい、したっていいだろーが!」
 一度口を開けて叫んでしまえば、後から後から抑えていたものがあふれ出す。
「そんなに、そんなにっ、俺のプレゼントは受け取りたくないのかよ!」
 こんなのは八つ当たりだ。
 受け取らないなんて、アメリカは言ってない。
 俺は卑怯だ。
 怖いだけなんだ。要らないと言われるのが。
 分かっていても止められない。
 言葉が、涙が、溢れてきて、どうにもならない。
「ちょっ、そんなこと誰も言ってないだろ!?」
 アメリカの言葉も、耳に入らなかった。
 入ってきても、聞かなかった。
「俺は! 俺だって……!」
 叫ぶような声は、せり上がる嗚咽に邪魔されて、途切れ途切れになってしまう。
「お前を……っ」
 祝いたいんだ。
 祝いたいのに。
 どうしてこんなに、上手くいかない。
 楽しみにしてたのに、眠れなくなるのも食べれなくなるのも体調が悪くなるのも変わらなくて。
 お前と居られるのが嬉しかったのに、余計なことに気づいて素直に喜べなくなって。
 挙げ句の果てに、たかがプレゼントを受け取ってもらえないくらいのことで、こんな八つ当たりじみた真似をしてアメリカを詰ってる。
 いつだって俺は、アメリカに対しては上手く物事を運べない。
「い、いわ……祝って……おめで、とう、……って!」
 泣きすぎてるせいなのか、自分の嗚咽が五月蠅すぎるせいなのか。
 頭が痛い。目眩がする。視界はもう暗くて揺れて、アメリカの姿もろくに見えない。
 どこか遠くで、イギリス、イギリス、とアメリカが俺の名を繰り返し呼んでくれているような気がしたが、よく分からなかった。
 その代わり、両の手首に加えられた痛いほどの力と、次いで訪れた身体を覆うように伝わる温もりから、手首を掴まれ引き寄せられたことを辛うじて知る。
 駄目だと分かっているのに、抱きしめられているような包み込む温もりが愛しくて、安らぎを覚えて。
 涙が流れるままになっていた目を閉じて、力を抜いた。
 視界が完全に閉ざされれば、急速に意識が遠のいていく。
 こんな突然泣き叫んだ挙げ句に気を失うなんてみっともない姿を見たら、アメリカだって今度こそ俺を完璧に嫌うだろう。
 駄目だ、せめて謝らなければと思うのだけれど。
 ぎゅっと強く抱きしめられているようで、何かの間違いか勘違いだと分かっていても嬉しくて。
 遠ざかる意識を引き留めることが出来ない。
 
 ごめん。
 ごめんな、アメリカ。
 八つ当たりして、ごめん。
 素直に祝えなくてごめん。
 それから……好きになってごめん。
 ごめん。
 ごめんな。
 でも。

 好きなんだ。

 そうして意識が閉じる瞬間。
 遠くの方で、花火の上がる音がした。




 心の奥からじんわりと暖かくさせてくれるような温もりを、感じていた。

 遥か昔にはじめて手にした温もりを思い出す。
 のばされる小さな手。小さな体で精一杯にしがみついてくる、可愛く愛しい子供。
 あの時、生まれて初めて、こんなにも安堵できる温もりがこの世には存在するのだということを知った。
 戯れや一時の慰めで求めるものは勿論、今まで自分が恋だと思っていたはずの相手から得られるものとも違う暖かさ。
 触れあう肌の温もりがただ伝わるだけのものではなく、心の底から湧き出でるように。でなければ、春の日だまりにゆっくりと温められているかのように、それは優しく穏やかな温もりだった。
 長い生の中、人がそういった温もりのことを口にするのは何度となく聞いてきたが、それは決して自分には手に入らないものなんだろう思っていた。
 自分は人と違う存在―――《国》だから。
 生きる時が違う。価値観が違う。見目は似ていても、成り立ちも性質も違う。
 人が唱える《愛》などによって結びつくべきものはなく、人同士が持ち得るものとは違う愛で国民を愛し続け忠実であることだけが許された全て。互いの個を認め、共に立ち、並びながらも愛し合う存在など、《国》に持ち得る筈もないのだと。
 他国は全て利用するかされるか、潰すか潰されるかであり、敵か、現時点では明確な敵ではない潜在的な敵か、その二種類しか存在しないと、そう思っていた。
 人とも違う、そして現時点で敵でないというだけの敵でもない存在など、居るわけもないと考えすらしなかった。
 可能性すら知らなかったものの存在は、考慮とも否定とも無縁だ。
 だから初めて《アメリカ》の存在を知った時も、彼はただ単に《敵ではない存在》でしかなかった。違う部分があったとすれば、まだ未熟で幼い相手だから与しやすいだとか、己と己の国民により益をもたらしてくれる存在になるだろう、そうしてやる。と言ったような計算高い思いだけで。
 彼がヨーロッパの流れを色濃く組む容貌を持ち、確かに己と同じ某かのものを受け継いでいることを確信しても、争い合い続けてきた兄弟のことを思えば、それは己を安堵させるには値しない要素だった。
 けれどそれも、僅かの間のこと。
『今日からお前は、俺の弟だ!』
『うん。じゃあ、おにいちゃんってよぶね』
 今思えば不審極まりなかっただろう己に向けて、真っ直ぐに向けられた空色の瞳と微笑みに、自分は瞬時に落ちていた。
 敵意も警戒すらなく受け入れられ、返された好意に酷く戸惑って。
 それから、じんわりと……居たたまれない程に、嬉しくなった。
 幼いとは言え《国》なのに、敵でない存在が居ることが。自分を嫌わず、憎まず、警戒せず、素直に受け入れてくる存在が居ることが嬉しくてならず、感動すら覚えた。
 兄の座をフランスと争った時、彼が自分を選んでくれたことは、今考えても理由は分からず、奇跡としか思えない。
 ざまーみろとフランスを蹴りだした後、改めて小さなアメリカに向けておずおずと両手を差し出した自分に、アメリカは小走りでかけて来て、小さな両手を伸ばして全身で抱きついてきた。
 受け止めたその重みと暖かさに、泣きたいほどの安堵と幸福を覚えたことは、今でも鮮明に覚えている。
 世界の全てが変わったようだった。
 どれほどの富をもたらしてくれるのかと、検分するように見えていた大地や景色が、途端に神聖で愛しく光り溢れるものに見えて。
 気にしたこともなかった空の色が、腕の中の子供と同じ色なのだと気づいて、空の全てが美しく見えた。
 頬を撫でる風も、無骨ながら逞しく力強さを感じる大地も、何もかもが愛しく思えた。
 利をもたらす何か。そんな無機物に対するようだった見方の何もかもを変えていき、気が付けば全てが目映く、美しく、愛しい。
 人が信じる神というものを《国》であるイギリスはさほど熱心には信じていなかったが、あの時ばかりは神に、何かに、ありったけの祈りと感謝を捧げた。
 そうでもしないと、幸福と歓喜に押しつぶされて、どうにかなりそうだった。
 手の中に収まるこの小さく愛しい存在に、全ての恵みよ在れ、と。
 どんな些細な苦難も苦労も不幸もこの子に降りかかることなどないようにと。
 そして、胸に湧き出でて溢れんばかりの愛しさを、叫びだしたいような思いで感謝として捧げた。
 感謝します。
 この子に出会わせてくれた全てに感謝します。
 この子を生みだした、大地と、人と、全ての事象に感謝します。
 何もかもが奇跡のようで。
 あの時、自分は世界中に向けて歌いだしたいような気分だったのだ。
 神への感謝と、腕の中で眠る幼子に向ける感謝と。
 そしてなにより―――胸から溢れて止まることのない、よろこびの歌を。
 
 生まれてくれたことが。
 出会えたことが。
 出会えて、そして自分を選んでくれたことが。
 こうして腕の中で安らいだ表情で眠ってくれていることが。
 愛というものを知らなかった自分に、それを教えてくれたことが。

 何もかもが嬉しく、喜びに満ちて。
 あの瞬間、確かに自分は世界中の誰よりも幸せであり、よろこびを謳ったのだと、今でも確信している。

 それは、全ての根源。

 例え、幼子が成長し、己の下から独り立ちをしても。
 例え、その道程ですれ違い、互いに銃を向け合うことになろうとも。
 例え、向けられる冷たく心ない言葉に傷つこうとも。
 例え、かつての手痛い決別が未だに消えぬ傷となって己を苛み続けていようとも。
 例え、誕生を祝う筈の日を、己との決別の日と定められようとも。 

 心底憎たらしく思う時はあるけれど、それでも。

 嫌える筈がない。
 祝わぬ筈がない。
 喜ばぬ筈がない。

 お前の誕生を。
 お前が生きている今を。
 お前の存在を。

 彼へ向ける想いが、いつ変質してしまったのかは、未だに分からない。
 気づいたのは先程だが、弟と思っているのだと己に言い聞かせ続けていただけで、もうずっと昔から変質していたのかもしれなかった。
 反旗を翻され離れられたことが辛くて、暫くの間は顔を見ることすら苦痛だったというのに、それでも顔を見れば愛しかった。近づきたかった。話しかけたかった。
 元より仕事を挟まぬ人付き合いには不慣れな身のせいか、沸き上がる思いをどうすればいいのか分からなくて。
 けれど欲求を諦めることも出来ずに、仕方なく独立を詰る言葉や恨み言めいたことを口にして、彼へ話しかけた。
 少しは情勢が落ち着いてからも、己の中の欲求は増すばかりで。
 姿を見れば、目で追っていた。
 幼い頃の甘やかな少年の声とはもう違うと分かっているのに、様変わりしてしまった声も何故だか聞きたくて、理由を無理にでも探して、彼の服装や態度のだらしなさを上げ連ねることを、そのうちに覚えた。
 それから、もうあの手が己に向けて伸ばされることはないのだと分かっていても、触れたくて。口だけで注意しても直らないからしょうがないのだと己に言い聞かせて、手を出して直して彼の服を直してみたことも何度となくある。
 その時は、何も考えてなかった。
 反射のように体は動き、思考はただアメリカに一直線に向かっていて、近づきたいと思うことも、声を聞きたいと思うことも、触れたいと思うことも自分にとっては当たり前すぎて、その理由など考えたこともなかったのだ。
 
 愛しい愛しい小さなアメリカ。
 代え難く、決して失いたくないものであり、彼との決別は未だ己に大きく傷を残している。
 だが、その存在が当たり前のものであると、果たして自分は思っていただろうか?
 手にしたものが無条件に永遠のものであると思えるほど、自分は甘い性格はしていなかった筈だ。
 それが馴染みのない《愛》というものであれば尚更のこと。
 永遠であればいいと思った。離れることが許し難かった。
 けれど、本当に永遠を信じていたのかと言えば、答えは否だろう。
 信じたいと、思っていた。
 永遠であればいいと、祈っていた。
 そう。祈っていたのだ。
 全身全霊をかけて。あの日に謳った歓喜と同じだけの強さで。
 どうか、どうか。この存在が失われませんように。
 どうか、どうか。この愛が失われませんように。

 けれど日々、彼が成長していく中で―――胸が掻きむしられるほどの切実さでもって祈る自分の心は、果たして兄として適ったものであっただろうか?
 弟だと思っていた。それが、全くの偽りだとは思わない。
 結果から言えば上手くいかなかったとしても、自分は彼にとって良い兄であろうとしたし、その努力だけは惜しまなかった。
 兄と慕われることが嬉しかったし、それに不満を覚えたこともない。
 世間の兄弟というものが、どういうものなのか。結局のところ真っ当な兄弟関係を結べたことのない自分には分からないけれど。
 少なくとも、必死に神に祈り縋って継続を願うのは―――兄弟の絆とはほど遠いと思える。

 一度は別たれ。その後、長い時間をかけて《他国》から《友好国》へと歩んできた。
 その間も、己にあるのは祈りのような願いばかりではなかったか?

 どうか、どうか。これ以上、嫌われることがありませんように。
 どうか、どうか。ほんの少しだけでいいから、近づけますように。

 一体いつから?
 そんなことは、考えるだけ無駄なような気がしてきた。
 中身など、細かな質など気にしたところで、今更どうしようもないのだろう。
 
 ただひとつ、確かなこと。
 結局のところ、自分はアメリカを今も昔も愛しているのだ。
 小さな子供のアメリカも。今の可愛げなど全くないアメリカも。
 憎しみ混じりになることがあっても、出会ったあの日から、決して途絶えることなく。
 己の個としての愛は、全てアメリカへと向かっているのだ。

 これでは、アメリカに鬱陶しがられるのも当然だ。
 一体何年越しだ?
 二百と三十年以上、延々とアメリカを愛し続けていることになる。
 我が事ながら、正直気持ち悪いと思わざるを得ない。
 弟だから、元弟だからと言い訳してきたが、アメリカは本能的にその裏にあるこちらの必死さに気づいているから、あそこまでの拒否反応を自分に示すのかもしれないとさえ思った。
 実際、もし自分が兄弟からこんな重苦しい愛を延々と投げ続けられたなら―――想像するのは酷く困難なことではあったが―――耐えられないと思う。
 まだハッキリと気づかれてはいないと思うが、気を付けなければ。
 あれだけ兄としての立場に拘っていた筈の自分が、本当はその裏で弟に向ける以上の重苦しい愛を抱いていたと知られたら、気味悪がられるどころではないだろう。
 
 そう、思うのに。
 
 それでもどこかで、浅ましく願う自分がいることに辟易とする。
 本音を言うのならば、やはり自分の思いを受け止めて欲しいと願う気持ちはある。
 願うだけ無駄だからそこまでは求めないし、この想いを受け入れてくれる夢など見ることすらおこがましいと思うが。
 せめて、せめて。
 ほんの少しの友情にも似た好意を求めては、いけないだろうか。
 せめて己が彼に向ける好意を、認めないまでも否定しないで欲しいと思うのは。
 自分の存在を否定しないで欲しいと思うのは、そんなに大それた望みだろうか?
 それは、願うことすら罪になることだろうか?
 ―――そうかもしれない。
 思うだけは自由だとしても、それを相手に受け取ることを強要するような真似は、罪だ。
 ずきりと胸が痛む錯覚を覚えて、突き返されたプレゼントを思い出す。
 受け取ってもらえないプレゼントに自分の想いを重ねたりして、本当に俺は馬鹿だ。
 アメリカは戸惑っただろう。悪いことをしてしまった。
 
 己の失態を思い浮かべれば、ようやく今どうなっているのかということに考えが至った。
 あの後、俺はどうしたんだったか―――。
 確か、アメリカに当たり散らして―――感情が昂ぶったせいなのか、強烈に気分が悪くなって頭痛や眩暈や吐き気がして―――気を失ったのだ。
 悪いことどころじゃない。最悪だ。
 アメリカはどれだけ俺に失望しているだろう。
 ああ、目を覚ますのが怖い。
 もう一生このまま気を失っていたい。
 無理だと分かっているけれど、そんなことを望んでしまった。
 まるで最悪なまでに酔って暴れた翌日のようだ。
 己の犯した失態に消えてしまいたくなるのと同じ。
 死にたい死にたい死にたい死にたい……。

 けれどこのままで居るわけにもいかない。
 こうして、くだらぬ思考がぐるぐるしているということはつまり、意識はほぼ戻っているのだ。
 どんな顔をしてアメリカに詫びればいいのかが分からず、このままで居たいと思っているだけで。
 
 ああ、けれど起きなければ。
 どれほど難しくとも、アメリカにちゃんと謝って。
 それから、プレゼントを今度こそ渡して―――いやもう受け取って貰えないかもしれないし、しつこいと怒られるかもしれないが―――受け取って貰えなかったら、今度は激昂したりせず、おとなしく持って帰って処分しよう。
 大事なことは、プレゼントなんかではないんだから。いや、俺にとってはプレゼントももの凄く大事だけれども。
 本当に大事なことは、アメリカを祝うことだ。
 起きたら、今度こそ言おう。ちゃんと、心から。
「おめでとう」
 と―――。

 例えこの想いの意味合いが変わっていようとも、変わりようのない根源の想いがあるから、大丈夫。
 この想いを押し隠しきるのは難しいかもしれないが、頑張ろう。
 プレゼントが駄目でも、せめてこの―――祝いたいという気持ちだけは、否定されないといい。

 生まれてくれて、嬉しい。
 出会えたことが、嬉しい。
 どんな形であれ、今を共に過ごせることが、嬉しい。

 あの時と同じように。
 いいや、あの時よりももっと強く思っているから。
 
『おめでとう』
 お前の誕生を、成長を、祝うことだけは、どうか許して欲しい。
 俺にだって、これくらいは許して欲しい。
 目を覚ましたら……今度こそ、素直に祝うから。
 長年の不義理を謝って……本当はずっと祝いたかったのだと告げて。
 ありったけの愛をこめて、心から、祝うから。
『好きだ』
 気づいてしまったら、バカの一つ覚えのように胸の裡で繰り返される言葉なんて、決して口にしないから。
 お前に迷惑をかける真似だけはしないと誓うから。
 もう、無理に気持ちを―――プレゼントを押しつけようともしないから、だから。
 お前に、心からの『おめでとう』を、笑って言いたい。
 誕生日というこの日。
 誰にでも許された祝福を告げる言葉のひと欠片を、どうか、どうか―――取り上げないでくれ。
  
 眦を伝う涙の熱い感触と、伝った跡に触れる空気の冷たさに、意識が呼び戻されていく。
 これ以上、暢気に寝ていられないようだった。
 掌に妙に安堵する温もりがあることを訝しく思いながら、俺は恐る恐るに瞼をゆっくりと開けた。
 






 目を開けて一番最初に目に入ったのは、見知らぬ天井だった。
 目を覚ますのが怖くてぐるぐると眠りの淵にしがみついていただけで、本当は随分前から覚醒の兆しはあったせいか、気を失う前の苦しさが嘘のようにすっきりと目と意識は覚めている。頭痛も吐き気も今は感じられない。
 体の下にある柔らかな感触はソファではなくベッドだろう。いま視界に映っている天井を見るだけでも、この部屋が随分と広いことが伺えた。
 天井に光はなく、窓があるのだろう片側と、その反対側の一部だけがぼんやりと明かりを得ている。片側を染める青白い光は恐らく窓からの月明かりで、反対側の小さな明かりはルームランプか何かだろうと思われた。
 広い室内を照らすにはささやかな照明と静けさ、体の下のベッドの感触から、恐らくここはアメリカの家の客間なのだろうと判断する。
 室内は静かだが、少し離れたところからは喧噪とまではいかなくとも人の賑やかさを感じさせる音の数々が聞こえてきていて、パーティーがまだ終わっていないだろうことを教えてくれた。
 倒れてからどれほどの時間が経ったかは分からないが、日付的にもアメリカの誕生日が終わってしまったわけではないらしい。
 それに安堵を覚えて、息をついた時――
「目が覚めたかい、イギリス?」
「っ!?」
 思わぬ声が思わぬ近くから聞こえて、俺はぎょっとしてそちらを向いた。
 横たわったまま顔だけそちらに向けた俺の視界には、アメリカの姿が映っている。
 ベッドの横に置いた椅子にでも座っているのだろう。こちらを見下ろすようにしてくる位置は、思ったよりも低い。
「アメリカ……ッ?」
 まさか目覚めてすぐ目の前にアメリカが居るなんて思わなくて心の準備も出来ていなかった俺は、必要以上に動揺して瞠目する。
「見ればわかるだろ。寝ぼけているのかい?」
 じっと見てもアメリカの姿が消えることはなく、これが幻でもなんでもないということを確認するに至って、俺は余計に慌ててしまった。
 だって、思わないだろう。
 アメリカからしたら俺は、訳の分からないことで突然怒りだして泣き出して喚きだして、挙げ句の果てに気を失ってしまった迷惑な客だ。招待したことを後悔していてもおかしくはない。
 それにパーティーはまだ終わってない様子だし、月の明るさからして俺が倒れてからそれなりに時間が経っている。ならば当然、アメリカはパーティーの席上にいなければおかしい。今日の主役は彼なのだから。
「なんでお前……ここに」
 呆然としたまま思わず口から零れた疑問に、アメリカが不愉快そうに眉を寄せた。
 それにちくりと胸は痛んだが、アメリカが不愉快になるのも当然だったから俺は痛みを飲み込んで、彼が何か言う前にと慌てて謝罪を口にする。
「わ、悪ぃっ!」
 一言で済ませるわけにはいかず、気を失う前からの非礼を詫びなければと続けようとした俺の口を、しかし鋭く放たれたアメリカの声が止めた。
「それ、何に対しての謝罪?」
 険のある声音に、ひやりとする。――怒っている。機嫌が悪いどころではなく、アメリカは怒っているようだった。
 理由など、心当たりがありすぎて何なのか分からない。どれが一番、彼を怒らせたのだろう。
 己の行動や言動を思い返してみれば、どれもこれもが彼を怒らせるに十分なものように思えた。
 咎めるようなアメリカの視線に竦みそうになる心と体を叱咤して、ゆっくりと上体を起こしていく。まさか横になったまま見上げる態勢で謝罪するわけにもいかない。
 体を支えようとベッドについた左手が右手に比べて妙に暖かく感じるのが不思議だったが、それどころじゃないので意識の端から追いだして、僅かばかりアメリカの方へと体を向けた。
 視線を合わせることは難しくて顔を俯けたままになってしまったし、何を言えば怒りが解けるのか欠片も分からなくて気が重かったけれど、どうにか口を開く。
「さっき……いきなり取り乱して、わけわかんねーこと言っちまったことと、気ぃ失っちまったことと、その後に面倒かけちまったことと……」
 ひとつひとつ上げていくが、アメリカは胸の前で腕を組んだ姿勢のままで、伝わる気配も張りつめたまま。
 顔を見ることなんてとても出来ないばかりか、軟化も望めない様子に視線はいっそう下に下がっていった。
「プレゼント、押しつけようとした、こと」
 再び蘇る痛みを無視する。涙なら、夢の中で流した。責める資格もないくせに、アメリカを詰りながらも流してしまった。だから今、泣くわけにはいかなかった。
 それから……あとひとつ。本当に謝らなければならないのは、多分こちらだ。
 好きになってしまったこと。
 謝罪としてさえ口に出せない分、心の中で何度となく謝る。
 思いつく限りに並べ立てた後は、判決を待つ被告人のような気分で俺はじっとしていた。
 他にもっとあっただろうかと不安なまま必死に思い返していると、腕を組んだままのアメリカがわざとらしい程に深々とした溜息をついて――
「君は実にバカだな」
 言ってきた。
「なッ!?」
 人が素直に謝ってるってのにそれはないだろう。
 あまりな言い様につい顔をあげて睨み付ければ、正面近くに座るアメリカの視線とぶつかった。
 強く睨んでやりたいのに、膨れ上がった感情に押されてか目にじわりと涙が滲んでしまって嫌になる。 
 そのせいかどうかは分からないが、呆れ果てたと言いたげな表情をしていたアメリカの表情がフッと緩んで柔らかな――まるで慈しむような、微笑になった。
「……っ」
 思わず息を飲む。こんなアメリカの微笑、初めて見た――。
 大人になってからは勿論だが、俺に惜しげもなく笑顔を向けてくれた子供の時だって、こんな笑みは見たことがない。
 あまりに綺麗な笑みにポカンと見惚れてしまっていると、アメリカの手が躊躇いもなく極自然な様子で伸びてきて、指でそうっと眦を拭われる。
 あ、れ――?
 ひょっとして、今、アメリカが、俺の、涙拭った、のか――?
 驚きに滲んでいた涙が止まった俺は、手を伸ばしてきた為か距離の近くなったアメリカの顔を、真抜けた顔で凝視するしかない。
 そうしたら、あまりにも俺の顔が間抜けだったのだろうか。
 アメリカの笑みが柔らかなものから、面白がるようなものに変わり、更には吹き出した。
「プレゼントは俺が持って来いって言ったし、迷惑なんて、あんなもの迷惑の内に入らないさ。普段、君が酔って暴れてる方がよっぽど迷惑なんだぞ!」
 挙げ句の果てに、こんなことを言ってくる。
 迷惑じゃないと言われても、そんなものと比較されたんじゃ、素直に喜べるわけねーだろ!
「う、うるせぇっ、どうせ俺は酒癖悪ぃよ!」
 腹いせに手元にあった枕を掴んでアメリカに投げつけてやるが、堪えた様子はかけらもなくて余裕で受け止めると面白そうに笑っている。
 くそう、やっぱり今日のアメリカはワケがわからねぇ。不機嫌になったり怒ったり、かと思えば急に珍しい顔で笑ったり……。
 人がせっかく、きちんと謝ろうとしたってのに。台無しどころか更に悪化だ。枕なんて投げてしまった。
 だけどアメリカの言葉は……腹は立つけれど、つまり謝る必要はないってことだろうか。それとも謝るポイントがズレてるって話か?
 さっきは確かに怒っていたのだから、後者の可能性が高い。
 ただそうすると――俺にはアメリカが何で怒ったのかさっぱり分からないことになる。
 謝罪もアメリカの怒りも、なんだか有耶無耶になってしまったような状況で、怒った顔のままでいいのか、もう一度謝罪し直すべきか、俺はどういった顔をすればいいのか分からないでいると、またアメリカが俺を混乱させる言葉を投げてきたのだった。
「でも、嫌いじゃないんだぞ」
「はぁ?」
 嫌いじゃないって、何が。
 真抜けた声と共にまたポカンと見上げてしまえば、アメリカはやっぱり面白げに吹き出す。
「俺は君のことを心底迷惑だなーと思うこともしょっちゅうだけど、君に迷惑をかけられるのが、嫌いじゃないってことさ」
 軽い口調で告げられ、アメリカが良くやるように、頬にさっくりと指をさされた。
 痛いというほど痛いわけでもないが、爪が食い込むので心地良い物ではない。
 普段なら止めろと言うところだけれど、アメリカの言葉が頭の中をぐるぐると回っていてそれどころじゃなかった。
 物凄く失礼で酷いことを言われた気がするのだが、これは怒ってもいいところだろうか。
 それとも、嫌いじゃないと言うのなら、前半は無視すべきなのか?
 早々聞き流せない程度には酷いと思うのだが、確かに今、俺の中のどこを探してもアメリカに対しての怒りは湧いてきていない。
 じゃあどんな気分かと言われると凄く困るが。
 心底迷惑だと思うけど、でも嫌いじゃない?
「……変な奴だな」
 率直な意見を俺は口にした。
 そうしたら、アメリカは少しだけ口を引き結んでムッとした顔になると、また人の頬をサクサクとつついくる。
「じゃあ、君はどうなんだい?」
「は?」
 問いかけの趣旨が掴めずに疑問を音にすれば、アメリカは表情はそのままながらも少しだけ迷う風情を見せてから、言い直してきた。
「君だって、俺のことに文句言ってくるじゃないか。君は、俺のこと……迷惑だって思ってる?」
 今度は、俺にも分かりやすい言葉で。
 ……俺が、アメリカを、迷惑に?
 問われた意味を脳が理解した途端、意識するより先に口は言葉紡いでいた。
「そんなわけねぇだろ」
 自分でも意外なほど強い口調で否定する。
 そうしたらアメリカの口元が少しだけ緩んで、頬を刺していた指が離されて――代わりに、片頬を包むようにして掌が添えられた。
「……っ?」
「だよね」
 からかうようなものとは違う接触に俺は狼狽えるけれど、目を僅かに細めて先程のように表情を柔らかくしたアメリカに何も言えなくなる。
「さっきのは、迷惑なんかじゃないよ。心配はしたけどね」
 添えられた手の親指が頬を撫でてくるのも気になったが、《心配》の言葉が更にアメリカと馴染まなくて、俺はやはり間抜けな顔のままアメリカを見上げるしかない。
 心配? アメリカが? 俺を?
 そんな馬鹿な。
 アメリカに心配されたことなんて、こいつが子供だった頃を除けば一、二度くらいのものだ。
 その時だって、俺が死にそうだったから心配してくれたのかと思いきや、最後の願いは「やーなっこった☆」とあっさり却下されたり、くたばった後に祝おうとしたりしやがったのだ。
 アメリカが俺を心配するなんて、そんなの俺の夢の中以外有り得ないと思う。
「君の部下に聞いたぞ。君、ずっと具合悪かったんだって?」
「……っ」
 けれど続けられた内容に、否定の言葉を飲み込まされた。
 何でアメリカにそんなことを言ってしまったのかと部下を恨みそうになるのを、どうにか堪える。最低だ……。彼らの失態ではない。誰の失態かと言えば、倒れたりなんかした俺の失態に他ならない。
 俺の部下に限らず他の国の付き添いや部下達も、この屋敷の別棟で待機していた筈だ。俺が倒れたなら関係者である彼らが呼ばれるのは当然だし、そこで最近の健康状態を彼らに問うのも当たり前と言える。もし俺がアメリカの立場だっとしても、同じことをしただろう。
 ああ、だけど……知られてしまった。
 パーティーの最中もアメリカの態度がらしくなかったから、ひょっとしたら気づかれているだろうかと思ってはいたが……誤魔化しようもなく知られてしまったのか。今年もまた懲りずに体調を崩していたことを。
 事実だけれど、出来ればアメリカには知られたくなかった。今年だけは。
 このことが知れれば、ここへ来てアメリカを祝おうとする気持ちの全部が単なる表向きで、本当はアメリカを祝う気などないのだと思われそうで嫌だったのだ。
「別に大したことない。あいつら、心配性なんだ」
 なんとか笑みらしきものを浮かべて言ってみるが、アメリカは欠片も信じてないって目をして見下ろしてくる。
「大したことない? 一週間くらい前から全然食べないし寝れてないし顔色も悪いし、本当なら来させたくなかった、って文句言われたんだぞ、俺」
「う……」
 あいつら……そんなことまで言ったのか。
 よりによってパーティーの主催者に『来させたくなかった』とは……。
 かなり俺のことを心配してくれていた彼らには悪いが、少なくともそれを主催者本人に言うのは無しだろう。
「悪ぃ。後で、そういうことは他国相手に言うことじゃねぇって言っておく」
 部下の非礼は俺の非礼だ。俺は素直にアメリカに詫びた。
 だと言うのに、アメリカは余計に不機嫌そうな表情になってしまった顔を俺に近づけてきて、頬に添えていた手を今度は耳へと滑らせると、耳たぶを摘んで横へと引っ張る。
「い、いでででででっ。何すんだ!」
「君が俺の話をちゃんと聞かないからだよ」
「お前に言われたくねぇよ!」
 普段の生活や会議では、人の話を聞かない筆頭はアメリカなのだ。もっとも、世界会議の面子は人の話を聞かないヤツばかりと言えばそうなのだが。
 けれど今回ばかりは、アメリカの言葉は正しかったと言える。
 いつものように言い返した俺に、アメリカは更に反論をしてくることはなくて。耳を引っ張っていた手を離すと、深い溜息と共に呆れた声を落としてきた。
「心配した、って言っただろ」
「……」
 あ。
 そんなこと、有り得るわけないと否定しようとした言葉。
 話を聞かないと断じられた理由としてソレを挙げられれば、アメリカが俺を心配していたのが事実なのだと、ようやく俺にも理解が出来た。
 ……てことは。
 そんなアメリカに対して俺が『大したことない』なんて嘘をついたのがそもそも悪い、のか。
 部下に言われた言葉を言ったのは、俺の嘘を突きつける為であって、部下の言葉に対して俺から謝罪が欲しかったわけじゃないってことにも、ようやく気づいた。
「朝から、あんまり顔色良くなかったし。酒好きの君が酒も飲まないし。挙げ句に倒れて、部下からあんな話聞かされたんだ。心配して当然じゃないか」
 本当に……アメリカが俺の心配してくれたのか……?
 ここまで言われれば、俺とて流石に信じないわけにはいかない。
 だけどやっぱり現実のこととは思われなくて、アメリカの顔をじろじろと眺め回してしまった。
 その俺の態度が不満なのか、アメリカが口を尖らせる。
「なんだよ。俺が君を心配するのはおかしいかい?」
「そんなことは……ねぇけど。意外とは、思う」
 意外どころか、奇跡だ。
 あのアメリカが、俺を、心配……。
 信じがたいが、どうやら本当らしい。
 なかなか実感が湧かなかったが、そうして確認すればじわじわと今更のように喜びが広がっていく。
「そっか。心配、してくれてたのか……。ありがとうな、アメリカ」
 アメリカが俺を心配してくれた。
 その事実が染みこんでいけば自然と笑みが浮かんできて、俺は今度こそ素直に礼を言うことが出来た。
 ようやく睨む以外で真っ直ぐにアメリカを見れたなと、ついでに些細な喜びも味わっていた俺だったのだが、アメリカの視線が途中で躊躇うように逸らされる。
 らしくない態度を疑問に思っていると、呟くような声でアメリカが言った。
「うん。……だからさ、嘘なんだよ」
「嘘……?」
 何が。もしかして、今の《心配してた》っていうのが?
 嫌な想像に、体温が下がる。
 そんな俺の様子に気づいたのか、アメリカが慌てたように続きを口にした。
「君が酔って暴れたら困るからって、言ったの」
 何のことだか、すぐには理解できなかった。
 俺が酔って暴れると困るってのが嘘?
 さっき、迷惑だと言っていたことだろうか。それとも、迷惑だけど嫌いじゃないと言った方だろうか。
 どういうことか分からずにアメリカに目だけで問えば、ばつが悪そうな顔でぽつりぽつりと告げてくる。
「本当は君の体調が良くないのなんか、朝から分かってた。今日はお酒飲めないんだろうなってことも。だから、君が今日酔って暴れるなんて欠片も思ってなかった」
 そこまで言われて、ようやくもう一つの可能性を思い出した。
 手を引かれたままバルコニーについて。握られたままの手が嬉しいけれど居たたまれなくて、アメリカが好きなことがバレやしないかと怖くて、離してくれと頼んだ俺にアメリカが言ったのが、そんなようなものだった気がする。
『君なんかを野放しにしたら、どうせ酒飲んで酔っぱらって大暴れするだろ。俺の誕生日にそんな悪事は許せないからね!』
 アレが嘘、ということだろうか。まさか。
「なんでそんな嘘」
 思いがそのまま、言葉となって零れてた。
 問うという程でもなく、ただひたすらに不思議でしょうがない。だってそんな嘘をつく理由なんて、どこにもないだろう。
 繋がれていた手を、離してくれと頼んだ。本心だけど本心じゃない言葉に返った否定。当たり前のような理由が嘘だと言うのなら。
 繋ぐ必要などない手を、離さなかった理由は何だ?
 自分にはあった。離してくれと言ったけれど、本当の本当は離したくなかった自分には。好きだから、触れ合えることは嬉しくて離したくなかった。けれど、アメリカには、そんなものはない。
 どうにも分からなくて見上げるだけの俺の視線の先で、アメリカは迷っているように見える。
 口が何度か、何かを言い掛けて止めること繰り返して。
 手の置き場所に困ったように彷徨わせて。
 何がアメリカを迷わせているのか、戸惑わせているのか――怖がらせているのか、俺には分からない。
 アメリカは何かに迷う風だったが、それは迷うというよりは――何かに怖がって、怯えて、躊躇っていると言った方が近いように見えた。
 どうしたと言うのだろう。
 いつも無駄と言い切れる程に自信に溢れて己の道を突き進む彼のこんな様子は珍しい。
 苦しそうにさえ見えて、俺は思わず『無理しなくていい』と言ってやりたくなった。
 けれど俺が口を開く寸前、アメリカへとのばしかけていた手を、当のアメリカの手が掴む。
 同時、逸らされていた目が、真っ直ぐに俺を射抜いてきた。
「決まってる」
 アメリカの唇の動きが、嫌にハッキリと目に映る。
「君の手を、離したくなかったからだよ」




 一音一音が、目に、脳に、焼き付けられる。
 ――何を、言われた?
 口の動きはハッキリと焼き付いて理解できている筈なのに、意味が入ってこない。
 アメリカは何と言った?
 手を離さなかった理由。
 離さない理由に嘘をついた、その理由。
 射抜くようなアメリカの目から逃げるように視線を無理矢理引きはがし、強い力で掴まれた手を見つめた。
 手。
 繋がれた手。
 嘘をついたという、その時のように。
 離してくれと頼んで。けれど離したくないと本当は思っていた手は、再び己の手と共にある。
 痛いほどに掴まれたそこから、強さに相応しいだけアメリカの温度が伝わってきた。
 離したくなかった。
 俺には、その理由があった。離して欲しいと思う理由も、離して欲しくない理由も。
 アメリカは、離したくなかったと言った。だから嘘をついたのだと。
 ……ならば、それは、どうして。
 離したくないと思う理由は、何だ。
 思いつかない。何も。

 ――そんなのは、嘘で。

 他の可能性を考える余裕もなく、ただひとつの予想が……否、願望が脳裏を巡り埋め尽くしている。
 まさか、そんな、あり得るわけない。と、思うけれど。
 手を離したくなくて嘘をついたと言ったアメリカの、声にこめられた真剣さが。
 言葉にする前の躊躇いが、迷いが、怯えが。俺の手を掴む強さが。
 掌は強く握ってくる一方で、触れることへの躊躇いを示すように僅かに緩められた指先が。
 否定し逃げる思考へ行くことを許すまいとするかのような、強く射抜いてくる視線が。
 俺が望んだのと同じ《理由》なのだと言っているような錯覚を起こさせるのだ。
 そんなわけがない、と言い聞かせようとするけれど勝手に頬に熱がたまっていく。
 駄目だ。止めないと。
 勝手に有り得ない期待に熱くなる顔を誤魔化したくて、何より願望に向けて走り出して止まらない思考を振り払いたくて、アメリカに掴まれた手を解こうとするけれど、やはり簡単に外れてはくれなかった。それどころか、躊躇いを残していた指先までが、ぎゅっとこちらの手を跡がつきそうなくらい強く握りこんでくる。
 なんで。なんなんだ。アメリカが、何を考えているのか分からない。
 解こうとしても解けない手に、アメリカの言葉がくるくると脳裏を回った。
『離したくなかったから』
 離したくない。俺だって離したくないと思っていた。
 嘘の理由の、その理由が。同じじゃないと思うけれど同じだと錯覚しそうになるから、駄目だ。
 しかし、誰にともなく助けを求めたいような気持ちでいる俺の耳に次に聞こえてきたのは、俺よりよっぽど助けが必要なんじゃないかと思われる、アメリカには似合わない弱気な声。
「君のプレゼントを受け取らなかったのもね」
 プレゼント、の単語に無意識の内にびくりと肩が跳ねた。
 ずっと渡したくて持っていたもの。『今はいい』と、受け取って貰えなかったもの。
 プレゼントのことになると、もう俺には悪い想像しか出来なくなっていて、アメリカの言葉の先など聞きたくないと思って、耳を塞ぎたかったけれど片手はアメリカに掴まれたままで、それも適わない。
「受け取りたくなかったわけじゃないよ」
 塞ぐことの適わなかった耳に落とされるのは悪い予想のどれとも違うもので。
 けれどまだ喉元に固まっている不安は溶けなくて、アメリカの顔を見ることが出来ない。
「君、去年来た時、プレゼント渡したらさっさと帰っちゃっただろ」
 拗ねた声で続けられたのは、去年の今日の話だった。
 去年――初めてアメリカの誕生日にちゃんとプレゼントを渡すことの出来た記念すべき日。
 かなりの苦労をして辿り着いた俺は、確かにプレゼントを渡すのが精一杯で、すぐに帰ってしまったけれど、それと会話の流れが結びつかない。
「だから今年も……俺がプレゼントを受け取ったら、もう用は済んだとばかりに帰っちゃうんじゃないかと思ったんだよ」
 アメリカの行動原理はとても分かりやすいと思っていた俺だったが、今は物凄く不可解に感じる。
 受け取りたくないわけじゃないけれど、プレゼントを受け取らなかった理由は、受け取ったら、俺が早く帰ってしまうと思ったから。
 アメリカはそう言っているように聞こえる。
 言葉を理解した思考はそのまま流れるように意味を弾き出した。
 それはつまり。帰って欲しくない、という意味の言葉ではないのか、と。
 まさか、と予想を打ち消す声も頭の隅にはあった。
 けれどひとつでなく、いくつものアメリカの言葉が、態度が、それを指し示していれば、頑なに否定を探す臆病な心も解けていく。
 こんなのはただの俺の思いこみで願望なんじゃないかという疑いが解かされそうになる。
 厭われていたわけではないのか。受け取りたくなかったわけではないのか、という安堵。
 そこに込められた意味がなんであれ、存在を願われていた、という喜び。
 安堵と喜びと期待と、それから僅かな不安が混ざりあって胸の内に染み渡り、微かに体が震えた。
 本当に……?
「本当に、それだけか……?」
 厭う意味などなく、引き留める意味で受けとらなかったのだと信じていいのか?
 微かに残る不安の最後のひとかけらを拭い去るために念を押すように口にした疑問とも言えぬ言葉に返ったのは、拗ねたような声だった。
「それだけだよ!」
 口を尖らせるアメリカに戸惑いを覚えて首を傾げる。ひょっとしてアメリカには別の意味で聞こえてしまったのかもしれない。思ったけれど、口を挟む前に非難の色を込めた目で続けられ、誤解を解くタイミングを見失った。
「俺にとっては重大なことだけどね! 初めて君が俺の誕生日にちゃんと参加してくれたんだ。帰らないで、ずっと居て欲しいと思うのは当然じゃないか!」
 その上、こんなことを言われてしまったら、頭から全てのことが吹き飛んだとしてもおかしくない。誤解を解くどころじゃない。
 待ってくれ。
 確かにアメリカの言葉を態度を嬉しいと思った。厭われてなかったんじゃないんだと期待した。
 ひとつだけでなく与えられる希望を、信じられるかもしれないと思いもした。
 だけどこれは、こんなのは……いくらなんでも有り得ない。
「……お前、夢か?」
「はぁ?」
 真剣な声音で言った俺の言葉に、アメリカの俺を見る目が、胡散臭いものを見る目に変わる。
 何を言い出したのか分からない。
 そんな顔だと思ったが、俺も多分、同じ顔をしていると思う。
 だって、有り得ないだろう。誰だこれ。こんなアメリカ、あるわけない。
「これ、俺の夢だろ。だからそんな都合のいいこと言うんだろ」
「……意味がわからないんだけど」
 意味も何も、そのままを口にしているだけだ。
 アメリカの言葉が嬉しくなかったわけではない。
『帰らないで、ずっと居て欲しい』
 そんな風に思われていたなんて、嬉しいに決まってる。
 だけど許容量を超えた嬉しさには、流石に目も覚めるというものだ。
 どれだけ嬉しくて現実味に溢れてる夢でも、ここまで来ると気づいてしまうものなのだと妙に冷静な思考の隅で思う。
「俺、やっぱりまだ寝てるんだろ。これ夢だよな?」
 きっと俺はあの時倒れてから目が覚めておらず、未だに夢の中なのだろう。
 いや、ひょっとしたらそもそも俺は自宅から一歩も出ていないのかもしれなかった。
 アメリカの誕生日パーティーに参加したことすら夢で、意識が混濁するほど体調を崩し、本当は自宅のベッドでうなされている真っ最中なのかもしれない。
 そう考えれば、時折へこむことがあったとは言え、今日のアメリカがおかしかったことも頷ける。
 ましてや『帰らないで、ずっと居て欲しいと思うのは当然』なんてアメリカが言うなんて。夢だとしたって信じられない。
 信じられないのはアメリカそのものが、と言うよりは、そこまで図々しいことを密かに望んでたらしい自分自身だが。
 アメリカの優しい態度も今までのことも全部が夢だと思うと寂しくも悲しくもあるが、己の失態も消えるかもしれないとなれば、それも仕方ないかと思える。
 そもそも手にすることのない幸福だったのだ。束の間の夢だけでも、充分癒された。
 ありがとうな、アメリカ。夢でも楽しかったぜ。
 ようやく事態に納得がいって安堵し、そう礼でも言おうかと思ったのだが――
「ちょっと、君ねぇっ。夢じゃないよ。少なくとも俺は起きてるし意識も正常だよ!」
 アメリカが突然、俺の肩を掴んでぐらぐらと強く揺さぶってきた。
 おいおい、やめろよ。せっかく貴重な良い夢なのに醒めたらどうしてくれるんだ。
 文句を言おうと思ったが、間も開けずに続けられたアメリカの言葉にまた阻まれてしまう。
「いきなりそんなこと言い出す君が正気かどうかは、たった今疑わしくなったけどね!」
「えっ。てことは俺の頭がおかしくなって見てる幻とかなんかか!?」
 それは夢よりヤバイな。
 夢なら現実に影響することもないし、後腐れもないから俺の失態も帳消しになって少し幸せな気分に浸れただけで済むのだが、これが幻覚となるとそうもいかない。
 この場所、時間、アメリカ、俺、景色、記憶。どこまでが現実で、どこまでが幻覚なのかが問題になってくる。
 何もない空間で妖精に幻覚を見せられているだけならいいが、実は目の前のアメリカが全然別の人物で、アメリカに見えているだけだとしたら、大問題だ。
 しかし幻覚だけでは、ここまでリアルな質感は出せないだろう。アメリカの手触りも体温も何もかも、幻覚とするには生々しすぎるし、知らぬ感覚を再現することは夢でも幻覚でも難しい筈だ。
 と、いうことは、このアメリカは本物で、ただ言葉や態度に多少補正がかかっているようなものなのだろうか?
 などと人が真剣に考えこんでいると、また強く肩を揺さぶられ、更には特大の呆れた溜息が吐かれた。
「君ねぇ。勝手に人を幻にしないでくれよ。君の見えないお友達じゃないんだからさ」
「なっ。あいつらは本当に居るんだぞ。幻と同じにするな!」
 反射で答えてしまってから、やっぱりこのアメリカは本物のアメリカなのかもしれないとも思う。
 俺の幻覚や夢だと言うのなら、妖精達を肯定はしないにしろ、ここまで否定もしないだろう。
「……それ、俺よりも君の見えない友達の方が信じられるって話?」
 そして、アメリカにこんな風に言われてしまえば、もし本当に夢や幻覚だったとしたって応とは答えられなかった。
「そういうわけじゃねーけど……。アメリカがそんな、俺に居て欲しいとか、言うわけないだろ……」
 夢の中にしたって、言いそうにない。
 アメリカが俺に言うことなんて、ある程度決まっていて。
『ああ、居たのかいイギリス?』
 なんて、存在を認識されてないか。
『辛気くさい君の顔をいつまでも見てるのは御免だからね! とっとと仕事を終わらせようじゃないか!』
 たまに顔を合わせれば、さっさとこんな時間を終わらせようという態度だし。
『君がそんなに言うなら、付き合ってあげないこともないぞ。何しろ俺はヒーローだからね! 寂しい君にちょっとだけ付き合ってあげるのも責任の内さ!』
 極稀に、仕事の後の時間を共に過ごせたとしたって、奴独特の義務感だとかそんなものばかりじゃないか。
 いくつかの思い出が蘇ってきて軽くへこむ。
 いつだってアメリカは俺が共に居ることを疎んでいたじゃないか。
 なのにどうして、『居て欲しい』なんて言うアメリカがこの世に存在すると思えるというんだ。
 思い出しせば苛立ちさえ募ってきて、ぎろりとアメリカを睨みあげる。
 そうだ、俺は悪くない。絶対にこれは幻覚だ。俺の方が正しい。
 だと言うのにアメリカは心外そうな顔を崩さず、忌々しげに舌打ちをすると、ぐいと俺の手を掴んでいた手を強く引っ張る。
「君がどう思ってるか知らないけどね、俺はずっと君と誕生日が過ごしたいと思ってたよ。君、俺がどれだけ今日みたいな日を望んでたか知らないから、そんなことが言えるんだよ!」






「な……っ!?」
 なんだって――?
 俺は身体ごと引っ張られかけていたのを力をこめて止め、態勢が崩れるのを防いだ。
 どれだけこの日を望んでたか?
 そんなの、俺だって同じだ。
 毎年毎年届けられる招待状。
 振り払っても振り払っても拭えなかったのは罪悪感のように纏い付く何か。そしてそれ以上の過去という痛み。
 決してそんな日は来ないんだろうと思いながら。
 それでも……いつか、いつかこんな日が来たらと願っていないわけはなかったのに!
 今日という日に限ったことにしたって、どれだけ俺が……!
 アメリカの表情ひとつ。些細な行動のひとつひとつに振り回されてたか、知りもしないくせに。
 そうだよ。
「お前だって、俺がどれだけ今日を楽しみにしてたか知らないから、あんな嘘つけるんだ!」
 嘘だと、言った。
 酒飲んで暴れると思ったなんて、嘘だと。
 プレゼントを受け取らなかった理由のどれも、嘘だったと。
 本当に嘘だと言うなら、それは良かった。安堵した。喜びさえした。
 だけど、あの時は確かに傷ついたのだ。
 どうしようもなく悲しくて、辛かった。
 俺にはアメリカを祝う資格なんてないのだと、言われているようで。
 こんなに、楽しみにしてたのに。
 こんなに、祝いたいと思っていたのに。
 アメリカにはやはり伝わらなくて、結局は俺がアメリカに向ける思いなんて、祝いであってすら迷惑なんだと。
 あの時感じた痛みが自然と思い出されて、駄目だと思うのに涙が滲む。
 ああ、俺は今日、どれだけ泣けば気が済むんだ。もう泣いたりしないと決めたのに。
 睨みあげた視線を逸らしてしまえばアメリカの言い分だけを認めることになりそうで、逸らせない。
 俺は喉の奥に力をこめるようにして涙がこれ以上でないように祈るしかなかったが、視線の先でアメリカが不意に表情を崩して眦を下げ――
「ごめん」
 小さく、けれどもハッキリと聞こえる声で、言った。
「え……?」
 まさかそこで謝られるとは思わず、俺は呆気にとられてしまう。
 アメリカは俺の手を握った力を緩めることはなかったが、かわりにそっと包み込む柔らかさでもう片方の掌が繋がれた二人の手に重ねられて、余計に戸惑った。
「嘘ついてごめん。……素直に言っても聞いて貰えないと思ったんだよ」
 もう一度、重ねられる謝罪。
 アメリカの両手に包まれるようになった手に、祈るような形でアメリカの額が当てられる。
「君を傷つけるつもりはなかったんだ。ただ君と一緒に誕生日を過ごしたかった。出来るだけ長く一緒に居て、祝って欲しかった。君にこそ、祝って欲しいって、ずっと思ってた」
 懺悔にも似た仕草に、不謹慎だがやっぱりこのアメリカは夢か幻なんじゃないかと思ってしまった。
 だって、有り得ない。
 俺に、祝って欲しいと。
 俺にこそ、祝って欲しいと。
 そんな……俺が特別のような物言いをするアメリカなんて。
 包み込まれた手が震えるけれど、震えごと包まれてくるまれる暖かさに、夢だ幻だと繰り返す言葉が虚しく解けていく。
「君が俺の誕生日が今日だってことに傷ついてるのも知ってた。君は怒るかもしれないけど、知ってて、ずっと俺は望んでたよ。いつか君が俺の誕生日を祝いに来てくれる日が来ればいいのにって。だから今日は、凄く凄く嬉しかったんだ。君が来てくれて。辛そうでもつまらなさそうでもなく、楽しそうにしてくれて。俺に笑いかけてくれて。それこそ、夢かと思うほどにね。奇跡みたいだと思った」
 包み込まれた手に触れた睫毛の感触で、アメリカが目を閉じたことを知った。
 目を閉じて、握った手に額をあてて。
 懺悔のように。
 何かに祈るように紡がれる言葉は、アメリカらしくなく落ち着いた、穏やかな声音。
 だというのに、分かる。分かってしまう。何故だか。
 胸が引き絞られるほどに強い何かが、そこには込められているのだと。
「……アメリカ……」
 気がつけば、彼の名を口にしていた。
 もう、夢だとも幻だとも思わなかった。思えなかった。
 握られた掌から伝わる暖かさを誤魔化せないのもある。
 けれど何よりも……縋るような声と、そこに込められた《願い》の色を認めてしまえば、どうしたって自分には逃げようがない。誤魔化しようがない。
 例え夢でも幻でも、それがアメリカならば。
 そして彼が自分に望むものがあるのならば、それを否定することなど出来るわけもなかった。
「イギリス」
 緩く首を横に振る仕草の後、アメリカが顔を上げ、イギリスを真っ直ぐに見つめてくる。
 小さなアメリカに始めて会った時に見た空の色が、そこにはあった。
 時を経ても、テキサスに隠されても、揺るぎなく在り続ける色。
 イギリスが、世界で一番美しいと思っている色が――。
 常に高見を見据える曇りなき空色の瞳はしかし、今イギリスの視線と絡み合って僅かに揺れている。
 いつも自分は彼の気持ちを読み間違えてしまうけれど、これだけは見間違えることはないだろうと自信を持って言えた。
 滅多に向けられぬからこそ、鮮烈に覚えているし、忘れない。
 常に求め続けていた色と揺らぎであれば、見間違えることなど有り得ない。
 期待と不安を抱えながらも、この瞳が強く訴えてくるものは紛れもなく《願い》だった。
 バカだな、アメリカ。
 お前が願うなら、俺が叶えようとしないわけがない。
 不安に思うことなど、何もない。
 お前は俺に、願っていい。願いすらせず、望みを口にするだけでいい。
 自分たちは《国》という立場である為に自由になることは少ないけれど、だからこそ。
 そこから離れた一個人としてならば、アメリカの望むこと全てを叶えてやりたいと思っている。
 それは、小さな子供だったアメリカに対する親としての感情とは、少しばかり異なるものだった。
 よく似ているけど、もっと利己的なものだった。
 無償とは言えない。純粋なものでは決してない。
 それどころか、酷く利己的で欲に塗れた不純な願望。
 お前の望みを全て叶えてやりたい。
 お前の望みを、叶えられる俺でありたい。
 お前の望むものを叶えられるのは俺だけでありたい。
 そうして、お前が願う先が望む先が全て俺であればいい。
 叶えた望みに向けられる感謝も笑顔も、全て俺のものであればいい。
 かつて抱いていた筈の純粋な願いは最早、こんな酷く身勝手なものに変わり果ててしまったけれど。
 お前の願うことならば、どんなことでも俺は叶えるよ。
 身勝手すぎる思いを口に出来ない分、俺は小さく頷いてみせてアメリカの言葉を促した。
「俺を……」
 けれどアメリカの願いは。
「祝ってくれるかい?」
 あまりにも、ささやかで。
 俺は、泣きたくなった。
『祝ってくれるかい?』
 バカだな、アメリカ。
 何を言ってるんだ。
 俺が、どうしてここに居ると思ってんだ。
 眠れないし食べれないし目眩はするし気分が最悪だっていうのに、這うようにしてここに来たのは、なんの為だと思ってる。
 プレゼントを受け取ってくれないからといって、八つ当たりみたいにしたのは、なんでだと思ってる。
 どれほど楽しみにしてたか知らないくせに、と言われて腹を立てて泣きそうになったのは、なんでだと思ってる。
「ああ」
 そんなの全部、お前を祝う為に決まってるじゃないか。
 このバカメリカ。
 胸中で呟く言葉は全て文句のようだったけれど、反比例するように埋め尽くしていく感情は喜びで。
 包まれていた手をそっと引けば、逆らわずに縋るように身を寄せてきたアメリカの頬へと、空いている手を伸ばして頬に添えた。
 さっきと、まるで逆だな。
 そんなことを思いながら。
「当たり前だ。お前を、祝わないわけがない」
 バカだな。
 胸中で繰り返す、素直なようで裏腹なんだろう言葉のかわりに、俺はめいっぱいの思いをこめて微笑んで。
「誕生日おめでとう、アメリカ」

 ずっと言いたかった。
 きっと、二百と三十年以上前から言いたかった言葉を、ようやく口にする。
 おめでとう。
 そして……ありがとう。
 お前が生まれてくれたことを、祝うよ。
 そして、お前が生まれてくれたことに、感謝する。

 生まれてくれて、嬉しい。
 出会えたことが、嬉しい。
 今を共に過ごせることが、嬉しい。

 おめでとう。
 おめでとう。
 ありがとう。

 全ての思いをこめて言えば、俺も泣きそうだったけれど、アメリカも泣きそうな顔をして笑っていた。
 アメリカは俺の手を包み込んでいた片方を離して、代わりに頬へと添えていた手へと重ね、頬摺りする。
「ありがとう、イギリス……」
 気恥ずかしくはあったけれど、アメリカが嬉しそうなのが嬉しくて、止める気にも払う気にもならなかった。
 ああ、どうしてくれよう。
『おめでとう』では、とても足りない。
『ありがとう』でも、まだ足りない。
 アメリカが、好きだ。
 アメリカが愛しい。
 伝えられないけれど、伝えられたいいと思う。
 こんなにも、こんなにも、お前が好きだ。

 伝えたい。
 思う心が伝わったわけではないだろうが、アメリカが互いの手をそれぞれ指を絡めるように握ってきて、引き寄せてくる。
 先程俺が引き寄せたこともあって互いの距離が殆どゼロに近くなると、アメリカは甘えるようにして俺の額へ己の額を重ねてきた。
「イギリス」
 そうして、真剣な声で名前を呼ぶ。
「……俺の話を、聞いてくれるかい?」
 願うよりも強い何かを感じて、肩が僅かに揺れる。
 けれど俺の答えなど決まり切っている。
「ああ」
 絡められ繋がれた手をぎゅっと俺から握り返し、俺は同じくらい真剣な気持ちで頷いた。

吐息さえも触れあいそうな距離と真剣な声音に、自然と緊張が走る。
 けれど例えこの先に告げられるものが俺にとって残酷なものだったとしても――決して後悔はしないだろうと、思えていた。




「いつか君が、この日を心から祝ってくれる日が来たら……言おうって決めてたことがあるんだ」
 アメリカの声は緊張しているようだが、穏やかなものだった。
 だから、その宣言のような言葉も比較的落ち着いて聞くことが出来たと思う。
 アメリカが俺に、言いたいこと……?
 アメリカの誕生日を。彼が独立した日を、俺が祝うことが出来たら、と決めていた言葉。
 それはなんだろう。
 恨み言だろうかと、いつもの俺ならば思っただろう。
 けれど今は、そうは思えなかった。
 俺とアメリカの間にある雰囲気が、緊張は孕んでいてもいつになく暖かなものなせいかもしれない。
「イギリス、俺はね……君を嫌いになれたことなんて、一度もないんだよ」
 そうして告げられた内容は、俺の予想を裏切らないものであり、一方で裏切るもの。
 恨み言なんかじゃ、やっぱりなかった。
 でも……ここまではっきり嫌いじゃないと言ってくれるとは思わなくて、身構えていた身体の緊張が緩む。
 アメリカの話はここで終わりじゃないのは、なんとなく分かっていた。むしろ本題はここからなんだろうとも。
 それでも、アメリカに嫌われていなかったのだという、ささやかな事実は俺を油断させて。
「今日を俺の誕生日にしたのだって、別に君が嫌いだったからじゃない」
 意識するよりも前に、びくりと手が反応してしまった。
「君はどうしてこんな日を誕生日にしたんだって思ってるだろうけど……俺にはこの日しかなかった。《国》としてだけじゃなくて《俺》が、この日でないと駄目だと思った」
 この日。アメリカが俺からの独立を宣言した日。
 アメリカを祝いたいと思っても尚、どうして誕生日がこの日でなければならなかったのかという思いは、俺の中から消えることはなくて。
 もしアメリカの《誕生日》がこの日でさえなかったのなら、俺はもっと早く素直にアメリカを祝えていただろう。
 どうしてアメリカがこの日を誕生日にしたのか。
 ずっと考え続けてみても、ネガティブな考えしか浮かんでこなかった。今この時でさえも。
 だけど、アメリカの手が安心させるように震えた俺の手を握りしめ直して。
「聞いて、イギリス」
 真剣な声で、願うから。
 逃げられなくなる。視線も、思考も、何もかも。
「正直、君を恨んだことも疎んだこともないとは言わないよ。俺にとっては君が全てだったから、上手くいかないことを君のせいにしたりもしたしね」
 アメリカが俺に過去のことを話すのはとても珍しい。それも彼が独立した時のことを自ら話すのは、これが初めてかもしれなかった。
 アメリカを祝いたいと思って尚、この身を苛む過去の痛み。それは今も明確にあって。
 きりきりと刺すような、胃が引き絞られるような痛みが蘇ってもくるけれど……どれほど痛みを伴おうと、今の彼の言葉を一言も聞き逃すことは出来なかった。
 彼が願う以上に、初めて語られる彼の心の内を、誰よりも俺が知りたいと思っていたのだから。
「だけど、君を嫌いになったことは一度だってなかった。それでも俺が君の手を振り払って離れたのは……」
 俺は必死に痛みを押し殺しながらアメリカの声に耳を傾ける。
 強く握っていてくれる掌が、有り難くて。けれど同時に、辛く、痛みのようにも感じる。
 振り払われた手を、向けられた銃口を、告げられた言葉を思い出して、今触れる温度さえも俺を傷つけるもののように思われて。
「君がこの世に存在しないと思ってるものに、なる為だったんだ」
 疑問詞が脳裏を過ぎった。
 俺が、この世に存在しないと思ってるものに、なる為……?
 アメリカの言葉の意味が分からぬ戸惑いが伝わったのか、微かにアメリカの声に微苦笑のようなものが混じる。
 真摯な口調が僅か和らいで、言い聞かせるような穏やかな声音でアメリカは続けた。
「君は俺を愛してくれて、あの時の俺も君が大好きだった。でもそれは途中まで、俺ばかりが守られるものだったよね」
 そう。俺はアメリカを心から愛してた。
 どうやったら上手く出来るのか分からなかったけれど、出来る限りのことをしてやりたいと思ってた。
 ようやく手に入れた安らぎを他の奴に邪魔されたくなくて、随分と自分勝手な思いから出たものだとは言え、アメリカを守る為に、完全に手に入れる為に戦うことは何ら苦痛ではなくて。
 だけどそれは……言うほど、一方的なものでなかったことをアメリカだって知っていると思っていた。
 出来る限りのものを与えて、何もかもから守ってやりたいと思っていけれど……本当は、貰ってばかりいるのは俺の方だった。
 国としての利益も。そして何より……愛情と安らぎを。
 他から決して得られず、俺が何よりも欲していたものをアメリカは俺にくれていたのだ。
 否定を、したかった。
 守られていたのは……心を、助けられていたのは俺の方なのだと。
 だけど。
「嬉しくなかったわけじゃない。だけど、俺を守る為に君が傷ついていることに気づかないほど、俺は愚かじゃなかったし、国民の不満を抑えながら黙って君の言いつけを守ることでしか君の助けになれないことが、辛かったよ。君から無理を言われることじゃない。それ以外に、君を助ける術を持っていない自分が辛かった」
 告げられた言葉のあまりの衝撃に、開きかけた口が止まった。
 思ってもみなかった。
 アメリカがあの時、そんな風に思っていてくれてたなどと、思いもしなかった。
 あの時の俺にとってアメリカは可愛い可愛い弟で。身長を追い抜かれてさえ、守ってあげなければならない幼い子供で。心配も苦労もかけまいとして強がっていたことの多くを、あの子供は分かっていたのだと思い知らされる。
 その上で、俺を心配してくれていたなんて。
 無理を強いる俺を恨み嫌いこそすれ、そんな風に思ってくれていたなど、考えもしなかった。
 ああ、だけど。
 それほど聡かったアメリカが、その成長に気づかなかった俺から独立を考えるのは当たり前のようにも思えるけれど。
 それでも、思ってしまう。
 聞いてみたことはなかった。怖くて、恐ろしすぎて。
 雨の中で二人対峙した時――――あの時より後では、聞くことは出来なかったけれど。
 嫌っていたのでないのなら。
 助けになりたいと思ってくれていたのならば、何故。
 アメリカは俺の手を振り払ったのか。
 それも、あんな形で。
 その道を選ぶ理由となったものは、何だ?
 俺が《この世に存在しないと思ってるもの》になる為というけれど。
 それは一体、なんだ。
 問いが胸の裡で渦を巻く。
 長い間……随分と長い間。
 聞きたくて、聞きたくて。でも聞けなかった問いの答えが……今なら、聞けるのだろうか。
 それこそが、アメリカが告げると決めてくれていたことならいい。
 願い、緊張の中で、アメリカの言葉を待った。
 酷く長く感じる時間を経て――アメリカが、告げる。
「君は言ったね。《国》に生まれたからには、敵か、今は敵じゃないだけの敵しかいないと。人間のように、互いを認め合い支え合い愛し合う対等な親愛など築けないと。その中で――俺だけが、例外だったって」
 長い長い間、求め続けて、けれど聞きたくないと思い続けていたものの、答えを。
「でも、俺と君もやっぱり、対等なんかじゃなかった。君は満足してると言っていたけど、俺は君から与えられるだけじゃ満足なんて出来なかった。俺は……君の言ってた、《互いに認め合い支え合える対等な》ものに、なりたかったんだ」
「……っ」
 息を、飲んだ。
 それ、は。
 確かに、言ったことがあったかもしれない言葉だった。
 まだ小さなアメリカに、自分以外を信じて欲しくなくて他に目を向けて欲しくなくて。
 そしてまだ無垢なこの子が、どうか他者に蹂躙されたりしないようにと、脅すように世の厳しさを説いた。
 決して手に入らないもの。そう断じてた、何か。
「そんなものは存在しないと君が言い切ったものに、俺はなりたかった。その為には、君に守られるだけの位置から抜け出さなきゃならなかった。どうしても、そうしなくちゃいけなかった」
 けれどアメリカを得て、変化した想いでもある。
 人間のように対等な親愛など望めなくとも、真っ直ぐに愛情を向け、そして向けられる存在があると知っただけで俺は全てに感謝したいような気持ちだったのだ。
 恐らく一度くらいしか口にしなかった筈の言葉だ。
 それを、覚えていたのか。
 覚えて……心に、刻んでいたのか。
「いつか。君の背中に守られるんじゃなくて、君と向き合って。君と隣り合って。君と歩む為に、俺は……」
 アメリカの声には、再び緊張が強く滲むようになっていた。
 躊躇うように途切れた言葉に、緊張と不安が繋いだ掌から伝染する。
 どちらからの不安なのか、緊張なのかも、もはや分からない。
 互いに細い糸の上に立ってでもいるような不安定さと……けれどもそれを超えて、先を知りたいという願望を抱えているように感じた。
 そんなものは錯覚かもしれないけれど、今は錯覚でもいいとすら思って、深く刻み混まれた傷を抉るかもしれぬ言葉を待った。 
「……銃をとった」
 耳に、脳裏に、雨の音が鳴り響く。
「君が傷つくのを知ってた。君を失うのが分かってた……いや、これは分かった気になってただけかもしれないけど。その覚悟をしてるつもりで、君への反乱へと向かう流れを止めなかった。その流れに自ら乗ったんだ」
 いつもは耳鳴りのようなそれに吐き気と嫌悪を覚える筈だが、今は何故か違う感覚に襲われていた。
 胸の裡からせり上がるような熱く苦しい感情をなんと呼べばいいのか。
 泣きたいような、叫びだしたいような、どちらでもなく黙って……ただ目の前の存在を、抱きしめたくなるような。
 傷を抉るだけの言葉だと思っていた。
 常に痛みと共にあるだけの過去だった。
 辛く苦しく身を苛むだけの過去だった。
 なのに、今。
 雨の音がこの身を塗りつぶしても。
 過去の記憶が瞼の裏に蘇っても。
 あの時に感じた世界の全てが白と黒に塗り変わり色を失った絶望が蘇っても。
 掌に触れる熱が。
 額に触れる熱が。
 触れる吐息が。
 零される声が。
 掌から伝わる鼓動が。
 うっすらと開けた目に映る、何よりも愛しい未来を目指して今を生きる存在が。
 何もかも愛しくて、冷たく凍える過去へ向かう己を引き留め、温める。
「弟のままじゃいられなかった。対等になる為には、穏やかな別れではきっと、駄目だった。それくらい君は俺を愛してくれて、俺も君を愛してた。だから……君を徹底的に傷つけて、俺はもう君とは《違うもの》なんだと示す必要があった。……少なくとも俺には、それしかなかった」
 手酷く、裏切る言葉だと思っていた。
 確かにあったと思っていた絆を、手にすることが出来たと思っていた愛を、否定する言葉だと。
『弟じゃない』
 彼が繰り返し続けた、その言葉。
 だけどそれは。
「俺の感情を抜きにしても独立は必要だったし、後悔はしてない。だから君に謝ったりは出来ないけど」
 本当は。
 否定でも、裏切るものでもなく。
「でも……これだけは、覚えていてくれよ」
 掌が再び強く握られ、合わせられた額が離れたかと思うと、違う温もりと感触が額に降ってくる。
 それが唇だと気づくと同時に与えられたのは――
「俺は絶対に、君がないと言い切った、君の望むものになるってことを」
 違う形の絆を、約束するもの――。
 
 なんだよ、それは。
 お前は……ずっと前から。あの時から。あの雨の日の、それより前から。
 そんなことを願っていたのか。求めていたのか。決めていたのか。
 脅すように口にした、世の虚しさと残酷さ。
 お前に与えられた温もりが、それほどに大事なのだと伝えたくて、一度だけ引き合いに出した言葉。
 確かにそれは、アメリカを得ない俺の根幹とすら言えるものだった。
 だけどそれを、どうして。
 お前が、なぜそこまで。
 嬉しくないわけもないが、何かを言わなければと思うのに、上手く言葉にならない。
 喉の奥にせり上がる熱いものは涙を同時に滲ませて、言葉になりきらぬ嗚咽じみた声しか出せそうになくて唇を強く噛んだ。
 だって俺は、決めつけていた。
 お前が俺を裏切ったのだと。
 離れられたことが悲しくて、悔しくて、辛くて。
 何がいけなかったのかと過去を悔いて嘆いて、お前を詰って。
 どうしようもなかったのだと、お前を苦しめたのは俺の本意ではないのだと、上司には逆らえぬのだと、よりにもよって一番してはいけない言い訳を己にして。
 それでもお前との関わりが断てずに未練がましく繋がりを求めてからだとて、お前に嫌われていると思いこんで、俺のことなど疎んでいるのだろうと思って。
 そんな風に思っていることなど、考えもしなかったのに。
 お前と生きる未来など、望みたいと願いながらも望む勇気すらもてなかったのに。

「難しいのは分かってるよ。何しろ俺はアメリカで、君はイギリスだしね。でも、俺は諦めなかったし、これからも諦めるつもりはないんだぞ」
 額から唇を離したアメリカは僅かの距離をあけて正面から視線を合わせてくる。
 空色の瞳はどこまでも真っ直ぐに澄んだ光を湛えて、彼の本気を伝えてきた。

 本当に……?
 本当に、そんなものを目指すつもりなのか。
『互いを認め合い、支え合い、愛し合う対等な存在』
 決して有り得る筈のない、夢物語よりも遠いものを望んで、ずっと……歩いてきたのか。歩いていくのか。
 それは……それは、俺の為に?
 俺が望んだものだから?
 ……どうして。
 何故、そんなことを。
 分からない。分からねーよ。
 俺はイギリスで、こいつはアメリカで。
 名目上や一時的なものとして《対等で親密な関係》になることはあるだろう。それを装おうことは。
 だが、俺達は《国》だ。
 同じものではなく、自国を何よりも優先させなければならない俺達に、本当の意味での対等など有り得ないのに。
 敵と、今は敵でないだけの敵。それだけではない、素直に愛することの出来る存在――。国としての立場はどうあれ、俺が俺として愛することの出来る存在があれば、それだけで充分なのに。
 思ってもみなかった言葉を貰った。
 嫌われていないと分かった。
 疎まれていないと分かった。
 小さなアメリカとの日々と、兄弟として抱いていた愛も、決して一方的なものでなかったのだと分かった。
 俺の望んでいたものを、目指すのだと言ってくれた。
 充分だ。
 もう、これ以上なにを望むことがあるだろうか。
 例えいつか敵になるのだとしても、これ以上など求めることなど出来はしないのに。
 それでも愛し続けることを許してくれるのならば、それだけできっと俺は生きていけるのに。
 どうして、そこまで。
 なぜ、望むのか。
 問いかけは、僅かに唇を震わせただけで声になりはしなかった。
 けれどこちらを見つめるアメリカには意図が伝わったらしく、彼は一瞬だけ宥めるような目をして。
 それから、いつも通りの快活な笑みを浮かべて、言い切った。
「それは勿論、俺がヒーローだからさ!」
 ヒーロー。
 小さな頃から、アメリカが口癖にように言っていたもの。
 ヒーローになるんだ、と。
 アメリカの思い描く《ヒーロー》とは、歴史上の英雄などではない。
 そうだ。小さな頃から彼が思い描くのは、全てを超越して、あらゆる危機を救い困難に立ち向かい、人智に負えない偉業や奇跡を成す存在のことだった。
 この世に有り得ぬ奇跡を起こすもの。
 ああ……そうか。そうだな。
 お前が望むヒーローならば、きっと出来る。
 有り得ない奇跡を起こすものになるということ。
 有り得る筈のない存在になるということ。
 二つは、とてもよく似ていて。
 小さな頃から変わることのないアメリカの根幹と揺るぎなさに安堵すら覚えて、俺は微笑おうとしたけれど――失敗する。
 当たり前のように、ヒーローになるのだと口にしていた子供。
 そうでない未来を想像できぬと、真っ直ぐに駆け抜けていった子供。
 成長し、立派な青年になってからも、その夢を捨ててなどいなかった真っ直ぐな彼が、それと同じように持ち続けていたのだ。
 俺が存在しないと決めつけていた、けれど確かにどこかで憧れていた存在になるという望みを。
 ならばそれは、叶うのかもしれない。
 当たり前のこととしてヒーローになると言い続けた子供が、当たり前のこととしてヒーローを名乗るように。既にヒーローと言える存在になっているのだと、自信を持って言い切るように。
 どれほど有り得ないと思っていたそれが、いつか当たり前になる日が来るような気が、した。
 普段ならば笑い飛ばすだろう根拠のない彼の自信が、今だけは嬉しくて。
 微笑おうとしたけれど、次々と沸き上がる感情を留めきれなくて、俺の中でいっぱいになっていた様々な感情が交ざり合わさり、涙となって溢れ出てしまった。
 もう泣くまいと思ってたっていうのに。
「イギリス……」
 そうしたらアメリカは、困ったように微笑んで。
 握りしめた両手を引き寄せながら、同時に顔を近づけてくる。
 なんだろう。また額を付き合わせるのだろうか。それとも先程と同じく、かつて幼いアメリカにした宥めるようなキスを額にするのだろうか。
 少しばかりの照れと、ほんの少しの期待が胸を過ぎる。
 涙で霞んだ視界では近づいてくるアメリカの表情をはっきりとは捉えられなかったけれど、今の俺は慌てることなくアメリカの言葉を待つことが出来た。 
 本当は何か、言わなければと思うのだけれども。
 いま口を開いても、きっと嗚咽ばかりになってまともに喋ることなど出来そうもなかったから。
 悲しいわけでもないのに次から次へと流れていく涙をそのままに、ぼやけた視界で近づいてくるアメリカの影をぼんやりと見つめる。
 ほぼ真っ直ぐに近づいてくる影に不審を覚えたのは視界がすっかりとアメリカで覆われてしまってからで。
 近すぎる、と思った時にはもう、唇に柔らかいものが触れていた。
 乾いた、柔らかい感触。
 それの答えと意味に気づいたと同時、反射的にアメリカから離れようとしたけれども、しっかりと指まで組み合わせて握られた両手は剥がれなくて焦る。
「……っ!?」
 待て。
 なんだこれ。
 なんで。
 なんで、アメリカに、キスされてんだ!?
 混乱の極地に居る俺など知らぬかのように、触れるだけのキスは長く。
 驚きの余りに呼吸をすることすら忘れていた俺がおかしかったのか、笑い混じりの吐息と共に、からかうように唇の表面を舌が撫でてから離れていった。
 な、な、な。
 何してんだこいつ!?
 何しやがってんだこいつ!?
 思い切り罵声を浴びせてやりたかったが、色々あったせいでいっぱいいっぱいなせいなのか、単純に今起きたことへの衝撃のせいなのか、上手いこと声が出ない。
 一体何がどうなってるんだ。
 わけがわからず、けれど声も出てこない俺は、きっと威力なんてないだろう目でアメリカを睨みつけるけれど。
「それとね」
 アメリカはにっこりと腹が立つほどの笑みを浮かべて、とんでもないことを言って俺を更に混乱の底に叩き落としてきたのだった。
「君が、こういう意味で好きだからなんだぞ!」
 瞬間。
 俺の思考が、停止した――。





『君が、こういう意味で好きだからなんだぞ!』

 アメリカの言葉がぐるぐると巡る。
 何が起こったのか、何を言われたのか理解できない。
 好き?
 こういう意味って、どういう意味で。
 いやそれは止めよう、今は考えるのはよそう。もっと考えるべきことがある筈だ、どこかに。
 そう。だから、と言うのなら、それはどこから繋がる言葉ということだ。
 好き『だから』、と言うのなら何かの答えで。
 遡ってみて問いらしきものがあったとするのなら。
 対等な存在になるのだと言い切ったアメリカへの、声にならぬ問い。 
 どうして、と。何故そこまで、と。
 答えは、ヒーローだから。
 そして。
『それとね』
 思い出す。
 そうだ、アメリカは。
 あの後、俺の名を呼んで、それから。
『君が、こういう意味で好きだからなんだぞ!』
 と、言ったのだ。
 なら――『好きだから、俺が望むものになる』と、そういう、ことなのだろうか。
 好きだから。
 好きだから?
 そんな、馬鹿な。
 嫌われてなかった、厭われてなかった。かつての過去の愛情も否定されたわけではなかった。
 俺に向けられる想いは確かにあったのだと、それだけでも死にそうだというのに。
「お、おま…お前、何言っ……!」
 そんな言葉、それこそアメリカが子供の頃にしか聞いたことがない。
 大きくなってからは、その単語を向けられるのはもっぱらハンバーガーやらアイスやら彼の好む食べ物ばかりで。
 それが俺に向けられるなんて、どんな意味でだって、あるわけがないのに。 
 親愛のキスなら、先程のように額でも頬でも、どこでも良かった筈で。
 あえて唇にした上で『こういう意味で』と念を押すような言葉を添えるのなら、それはやはり。
 考えたくない、いや考えたくないわけじゃなく考えられないだけで本当は分かってる。知ってる。考えるまでもなく信じたがっている。有り得ないと思うだけで、ずっと触れた瞬間から。
 あまりの事態に涙はとっくに止まっていて、今や俺の顔はきっと笑えるほどに赤いに違いない。
 ふざけるな、なんだって俺が、たかが触れるだけのキスひとつでこうも動揺しなくちゃいけないんだ。
 冷静になれ、大したことない。酔った時など、それこそもっと酷いことをそこらの人間巻き込んでやってきた。今更、男とのキスひとつでガタガタ言うことじゃない。
 言い聞かせるけれど、そんなのは無理だ。
 他の何とも比べようもない。何の参考にも、落ち着ける要素にもなるわけがない。
 だって、アメリカだ。
 アメリカなんだ。
 些細な触れ合いのひとつどころか、まともな親しみを込めた言葉ひとつさえ、交わすことが難しかったアメリカが。
 俺を、好きだと。
 そして、キスを。
 今度こそ誤魔化しようも逃れようもなく事態を把握して自覚してしまえば、一瞬にして体温が上昇した。
 な、なんだ。
 これは、俺、どうすればいいんだ。
 何を言えばいいんだ。
 俺も好きだと、言っていいのか。
 だけどそんなの、どうやって。
 大体、俺を好きって、いつから。なんで。
 俺の言語回路はさっきから空転してばかりで、まともな言葉を吐けやしない。
 なのにアメリカは妙にすっきりとした顔をして
「あー、やっと言えた!」
 なんて清々しく笑いやがる。
 くそっ、人の頭ん中をぐちゃぐちゃにしておいて、一人だけ満足してんじゃねぇ!
 大体、好きとか言うなら、俺の話聞けよ。気になるだろ普通。聞くだろ。
 俺がお前をどう思ってんのかとか。
 聞かれたとしても今の俺がまともな受け答えを出来るとは思えなかったが、未だ混乱を続ける脳内と上手く作れない言葉に八つ当たりのようにそんなことを思ってしまう。
 けれど幸いにも、アメリカへの怒りに感情の一部が向けたら、少しだけ楽になった。
 なんて言ってやればいいかはまだ分からなかったけれど、渦巻く感情が喉の辺りでぐるぐると唸れる程度には落ち着いてきたような気がしたところで、アメリカはまたも容易く、俺を突き落とす。
「イギリスも、俺が好きだろ?」
 アメリカは、さらりとそう言って、再び一瞬だけの掠めるようなキスを落としてきたのだった。
「あ」
 俺は叫びの形で一度固まった口を、何度かの呼吸を繰り返すことで凝固を解くと、どうにか今度こそ声を無理矢理にでも出した。
「お、前、なぁあああああああああああ!!」
 一度腹の底から叫んでしまえば、確かにすっきりとして頭の混乱も少しばかり収まる。
 そういえば未だ握られたままだった両手を勢いよく振り解いて、アメリカの胸倉を掴みあげてギリアメリカを睨みつけると、俺は勢いのままに叫んだ。
「お、お前なぁっ! なんでそこで『好きだろ?』とか当たり前みたいな顔して聞けるんだ!」
 なのにアメリカは、きょとんとした顔をして首を傾げるだけで。
「君、俺のこと嫌いなのかい?」
 なんて聞き返してくる。
「そういうことじゃねぇ!」
 そうじゃねぇ。そうじゃねぇだろ!
 俺がアメリカを嫌いだとか、あるわけない。
 あるわけないが、そういうことじゃなくってだなぁ!
 いつも言葉が通じにくい奴だと思ってたが、今日は輪かけて通じない。
 わざとか。わざとじゃねぇのか? と疑いたくもなる。
 胸倉掴まれている筈のアメリカは、「分からないなぁ」と小さく呟くと、心底不思議そうに俺の顔を覗き込んでから、にこりと笑った。
 その邪気のない笑顔に嫌な予感しかしないのは、俺の気のせいじゃないと思う。
「俺は君が好きだぞ。恋人になって、キスしたいし抱きしめたいしセックスしたい。……って、さっきからずっと思ってるんだけど、してもいいよね? 反対意見は認めないぞ!」
 は?
 いま……アメリカは一息になんだか……とんでもないことを言ったような……。
 何度か言われた内容を反芻して、理解すると同時にぐわーっと頭に血が上るのが分かる。
「それ聞いてないだろ確定だろ疑問視の意味ねぇだろ、いきなり勝手なことばっか言ってんじゃねぇよばかぁ!」
 血が上るのも顔が赤くなるのも全て怒りのせいに出来ればいいのにと思いながら、襲い来る恥ずかしさを誤魔化す為に掴んだアメリカの胸倉を揺するが、堪えているようにはとても見えない。「えー」と不満げに声を発しているだけだ。
 なんでお前そんな自信満々なんだ。
 ヒーローになると。俺が望むものになると言い切った時には安心できたこの無駄な自信も、やはりこうしてみると厄介なものでしかない。
 あんなものに安心してしまった自分がバカみたいだ。
 どうしてお前は俺がお前のこと大好きだって、当たり前みたいに言うんだ。
 俺はお前を好きなんだと気づいただけで、頭の中がぐるぐるとおかしなことになって、バレないようにしなければと必死だったというのに。
 俺はお前に好きだとか言われて、更に頭ん中がぐちゃぐちゃで訳が分からなくなって、上手く言葉も探せないのに。
 ガキのくせに年下のくせに、平気な顔をしてさらっと爆弾ばかり落としていきやがってこの野郎。冗談じゃねーぞ大英帝国様なめんのもいい加減にしやがれ。
 なんて。どうやったらこのクソガキに一泡吹かせてやれるだろうかと考えていたってのに。
「イギリスは、俺のこと好きかい?」
 今度は、真っ正面からそんなことを聞いてくるものだから。
 言ってやろうと思っていた山ほどの文句も罵倒もスラングも何もかもが喉の奥につかえてしまって出せなくなり、飲み込まざるを得なくなる。
 あ~~~~~~~~っ、たく!!
 罵倒の全てを飲み込んでしまえば、真っ正面から聞かれた問いに対する答えなんてもうひとつしかない。
 ギリギリと襟元締め上げるようにしながら、忌々しげに俺は言い放つ。
「お前のことなんて、どうせ好きだよ、くそっ!」
 だけど俺は今きっと、最悪に変な顔をしてるに違いない。不機嫌な顔をとりたくて失敗した変な顔をアメリカに見られたくなくて顔を逸らしたが、アメリカはそんなことすら構わずに、突然ぎゅーっとこちらを抱きしめてきた。思い切り、力一杯に。
「ありがとう、イギリス。今日は最高の誕生日だ!」
「ぎゃーっ!!」
 痛い苦しい潰れる肺が肋骨が空気が……っ!
 喜んでくれるのは嬉しいが、俺はリアルに生命の危機だ。この馬鹿力! 加減を知れ、加減を!
 ギブアップを告げる為にアメリカの肩をバンバンと強く叩くがなかなか気づいて貰えず、抱きしめる腕の力が緩められてまともな呼吸を確保するまでに、そこから十秒は必要とするハメになった。 しかも緩めただけで、離さねーしコイツ。
 今日のアメリカは、本当に接触過剰だ……。
 緩められたお陰で動かせるようになった腕を伸ばし、こちらを抱きしめてくるアメリカの背に回して広い背中を宥めるみたいにして撫でてやる。
 そうすればアメリカは嬉しそうに頬をすり寄せてきて、昔を彷彿とさせる無邪気な仕草に笑いを誘われた。
 甘えてくれてるのかと思うと悪い気はしないが、何しろ今と昔じゃ事情が違いすぎる。
 あの頃は当たり前だったアメリカから向けられる好意は、今の俺には馴染みなく躊躇ってしまうものだ。
 少しでも近づきたいと望んでいたとは言え、現実になることなんか正直想定ていなかったから、どう反応していいか分からなくて困る。
 ……嘘みたいだが、アメリカは本当に俺のことが好きなんだな……。
 じゃあ今までの態度は一体なんなんだと思いもするが、今日のアメリカの態度の一つ一つに俺が思いも寄らなかった理由が隠れていたように、アメリカにしか分からない理由があるのかもしれない。
 それにしても……これから俺は、どうすればいいんだ。
 アメリカが俺を好きだと言って、俺もアメリカが好きだ。
 それはいいのだが、この先、どうするのだろう。恋人なんてものに、なるのだろうか。 
 それは、素直に喜んでもいいのなのか?
 色々と問題がある気はする。何しろ俺達は人間じゃなく《国》なのだし。こいつはアメリカで俺はイギリスで。友好国ではあるけれど、もう同じものではない。無条件に信頼できるような間柄ではない。
 国であるという問題点に比べてしまえば些細なことだが、一応は見た目も男同士なことだし。
 恋愛感情や肉欲の対象として見るには、不的確で不便なことばかりなのは分かり切っている。
 お互いが好きあってたって、どうしようもないものはあって。俺とアメリカなんて、それこそどうにもなるわけがないと、思うのだが。
 今日一日で色々ありすぎて混乱しているせいなのか、不調のせいなのか。未来に対する不安や疑念を認識している割に、何故だかそれらはとても遠くて、なんとかなってしまうような気がする。
『互いを認め合い、支え合い、愛し合う対等な存在』
 アメリカは、国になど持ち得る筈のないそれになってみせると豪語したのだ。
 それに比べたら、恋人なんて軽いものじゃないか。
 珍しくそんな前向きな気分になっていた俺は、アメリカの背に回していた腕に少しだけ力をこめて抱きしめた。
「アメリカ……」
 意識して自ら触れてみると、じんわりと暖かな気持ちが広がっていく。
 遠慮無くアメリカに触れるのなんて、アメリカがまだ見た目十二~三歳の頃以来だ。それを思えば奇跡のような今に、感謝しないわけがない。
 恐らく何百年も前から好きだったなんて気づくと同時に、叶うことなどないと分かっていた想いだ。
 拒否されることも、迷惑がられることも、鬱陶しがられることもなくアメリカに触れられることが、たまらなく嬉しい。
 思考の片隅では次から次へと問題が思い浮かんではいるけれど、少なくとも今は、それだけで未来の問題なんてうち捨ててしまえるような気がする。
 と、珍しくも前向きに至極幸せな気分を堪能していた俺は、抱きしめていたアメリカが身じろぎしてごそごそと動き始めても暫くは寝入る前の子供が落ち着く態勢を探しているようなものだろうと微笑ましく思っていたのだが。
「……っ」
 唐突に違和感に気づいて、背中に回していた腕を戻し、その手でアメリカの肩辺りを押して突き放す。
「何やってんだお前……っ!」
 人が幸せに浸っている間に、いつの間にやらネクタイが外され、シャツのボタンは幾つかが外されていて、裾もスラックスから引き出されていた。
 珍しく甘えてくれてるのだと思って油断していた俺も俺だが、それにしたって。
「何って、脱がしてるんだぞ。あ……まさか君、着たままが好きとかマニアックな趣味?」
 しかも当たり前のように言いやがる。つーか後半、一体なんだ。着たままくらいでマニアックとか言うな。
「そうじゃねーだろっ。何考えてんだ」
 意図は、分からない訳じゃない。
 アメリカは俺を好きだと言って、俺もアメリカを好きだと言った。
 互いのその感情が恋情だというのはもう明白で、時刻は夜だし、室内は薄暗いし、考えてみたらここはベッドの上。
 ベッド横に置かれてた椅子に座っていた筈のアメリカは、今は殆どベッドに乗り上げるような態勢で俺の肩を掴んでいる。
 そんな状況で服を脱がそうとしていることの意図なぞ、分からない筈がない。分からない筈がないが、俺の頭の中ではそういったものとアメリカが、どうにも結びつかなくて戸惑う。
「別に着たままでもいいけど、俺は脱がせたいぞ」
「だから、脱ぐ脱がないの以前の問題だ!」
「何言ってるんだい、君。わけわかんないよ」
「俺の方がわけわかんねぇよ!?」
 口を尖らせて拗ねた顔をしながらも、再びシャツのボタンを外そうとしてくる手を掴んでなんとか止めた。
 ちょっと待て。ちょっと待て。
 これは、やはり。
「……お前……まさかとは思うが……俺とヤる気か?」
 ごくりと唾を飲み込んでから勇気を出して聞けば、アメリカは拗ねた顔から一転して目を細めた冷たい顔をとってみせる。
「俺はさっき、ちゃんと言ったぞ。まさかとは思うけど、そういうこと全く考えずに『好きだ』って言いました、なんて言わないだろうね?」
「うっ……」
 さらに先回りして釘を刺す形で問い返され、俺は言葉に詰まった。
 正直、考えていなかったので何も言い返せない。
 そもそも、そういう意味でアメリカが好きだと自覚したのだって今日のことだし、気づいた途端に諦めるしかないと思っていたのだから、具体的なことまで考えている余裕などなかった。
「そんなことだろうとは思ってたけどさ。……この上、さっきのは『弟としての好き』でした、なんて言い出したら、いくらヒーローの俺でも君を許す自信はないぞ!」
 なのに、変に勘ぐったアメリカに冷ややかな目で念を押される。
「言わねぇよ!」
 今日話してくれた内容を考えるとアメリカが俺に弟扱いされたがらないのも良く分かったし、俺だって本当はずっと前から弟として見てなかったのだと気づいてたので、強い調子で否定した。
「どうだか」
 アメリカの視線は冷たいままで、表情には強い不信が見てとれる。
 ……そりゃ、俺はアメリカが嫌がってるの知ってても頑なに兄ぶった態度をとり続けていたが。
 アメリカに関わっていたくて取っていた今までの態度は、相当根深く残ってしまっているのだろうか。
 さっきの口ぶりだと、アメリカが俺を好きになったのはここ最近ってわけでもなさそうだ。あの時のまだ幼さの残るアメリカの面影を思うと信じたくないが、ともしたら独立前からかもしれない。
 そう考えるとアメリカへの申し訳なさも湧いてきて、自分でも気づいたばかりと言っていい想いをどう言えばいいのかと苦労しながらも、言葉を口にする。
「俺がお前のことを弟だと思ってたのは……お前が独立するまでだ。その後は、弟なんて思ってない」
「嘘だ。君、散々俺のことを弟扱いしてたじゃないか」
 拗ねた口調と眇められたままの目に怯むが、誤解は解かないと。
「それは……そうでもしねぇと、お前と関われないじゃねーか。それに、お前が好きだって気づいたのが今日なんだから、しょうがねーだろ!」
 大体だ。『そう思ってんなら、なんであんな扱いなんだ』ってのは俺だって言いたい。
 お前、俺の扱い悪すぎだろ! お前が俺に向けてる感情なんて、ウザイか限りなく嫌われてるに近い無関心だと思ってたんだぞ俺は!
 流石にそんな恨み全開な主張をするのはプライドが許さなくて喉の奥に押し込めたが、代わりに口にした言葉が恨み言めいて響いてしまったのは仕方がないだろう。
 睨むようにアメリカを見上げれば、奴はまだ不満そうな顔。
 はぁ、とわざとらしく溜息をひとつついて、大仰に肩を竦めてみせるのが嫌味だ。
「俺のこと好きだって気づいたのが今日だって?」
「……ああ」
 事実なので頷けば、アメリカはまたも盛大に溜息をつきなおしてから、これまた大仰に頭を抱えて嘆いてみせる。





「ジーザス! 最悪だよ君。鈍いにも程があるんだぞ。そこまで致命的だとは思わなかった!」
「な……っ。それはお前の態度が悪いんだろ!」
 その嘆きに俺もムカついてしまったら止まらなくて、後はもう売り言葉に買い言葉だ。
「俺はめいっぱい君にアピールしてたよ。君だけ、どれだけ特別扱いしてたと思ってるんだい!」
「はぁ!? おっ前、特別扱いの意味がちげーよ! 特別、雑に扱ってたの間違いだろ!」
「だから、それだけ君に気を許してるってことじゃないか。分かりなよそれくらい!」
「分かるかばかぁ! 俺は、お前にうざいって思われて距離置かれてんだとずっと……!」
「君、実は空気読めないだろ!」
「お前が言うなぁ!」
 気が付けば、ベッドの上で二人して互いに大声で怒鳴りあって、ぜーはーと息を乱している。
 アメリカの話を黙って聞いてた時のような緊張を孕みながらも穏やかな空気など微塵もなくて、けれどこっちの方が俺達らしい気がした。
 互いに遠慮なんてないような「なんてムカつくんだこいつ!」という目で睨みあっている現状との差を思えば、不意におかしくなって曲げていた口が緩んで笑みに変わっていく。
「ふ……」
 ついでに吹き出すほど強くもない笑みを含んだ呼気が漏れれば、対するアメリカも怒った顔を維持しようとして失敗した奇妙な顔になって――それから、諦めたように笑み崩れた。
「はは。なんか、おかしいな」
「ほんとにな」
 ここまで来るのに、一体どれだけの回り道をしたのだろうと思う。
 アメリカと、徹底的に決別したと思った。
 植民地を失うことよりも、たった一人愛した子供に背を向けられたことが怖かった。
 嫌われたのだと、あの時感じた愛情も全ては勘違いだったのだと思った。
 それでも弟として未練を残して、関わらずにはいられなかった。
 そんな態度を疎まれて、嫌われて、もう無関係な人間なんだと思い知らされるようで、アメリカから雑に扱われるのが辛かった。
 ――だけど。
 互いにさらけ出してしまえば、たったこれだけのことだった。
 アメリカにはアメリカの理由があって。どうにもならない事情はあっても、向けられていた想いは決して偽りじゃなく。
 疎まれていたわけでも、嫌われていたわけでもなくて。
 それどころか、好きだと言ってくれた。
 俺がへこんでいた態度の殆どが、悪気のない好意的な意味での特別扱いだったというのは、未だにふざけんなコラとは思うけど。
 蓋を開けてみれば、ただそれだけのことで。
 だけど、それだけのことが、こんなにも大切で。
 それだけことに辿りつく為に、やっぱり俺達にはこれだけの遠回りが必要だったのだろうと思うと、やはりおかしい。
「アメリカ」
「ん? なんだい」
 呼びかければすぐに応えてくる声は冷たさなど微塵も含んでおらず、それが嬉しくて、こちらに視線を落としてきたアメリカへと顔を寄せて、今度はこちらから軽く口づける。
「……っ」
 触れただけですぐ離れる軽いものだったが、予想していなかったのか珍しく狼狽えた様子で顔を赤くしているアメリカに、俺は肩を軽く叩いてやりながら笑って言った。
「続きは、また今度な」
 目を丸くしているのを視界の端に捉えて、また笑い出したくなったのを堪える。
 ここで吹き出したりしたら、恐らく腹を立てたアメリカにまたベッドへ引き戻されそうだ。
 そんなことになる前、アメリカが呆然としている内に俺はベッドを下り、シャツのボタンを留め直して裾も直す。
 視線を巡らせれば、近くの壁にハンガーに掛けられたジャケットが吊されているのが見えて、そちらに歩いていった。
 と、背後からアメリカの声があがる。
「最悪だな、君は!」
 嘆く声は悲痛なようだけれども冗談めかした響きをもっていて、ぶつくさとまだ文句を続けながらアメリカも立ち上がったのが音だけでも分かった。
「パーティー、終わってないんだろ? お前はホストなんだから、ちゃんと務めを果たしてこい」
 ジャケットを羽織りながら窘めるように言うと、アメリカはいっそう拗ねた顔になってそっぽをむく。
「俺の誕生日パーティーなんだから、俺が好きなことしてたって、いいじゃないか」
「ばーか。他の奴等はともかく、日本なんかは挨拶してからでないと、気にして帰れないだろ」
 我が侭言うな、と小言めいたことを言ってみるが、いつもより口調が柔らかくなってしまうのは、どうしようもない。
「分かった、分かったよ。まったく君は、恋人になっても口うるさいね!」
 悪かったな! と反論しようとして、アメリカが何気なく口にした《恋人》の単語に開きかけた口が固まった。
 あー、そうか。そうだよな。やっぱり、そういうことに、なるんだよな。
 アメリカの気持ちを分かったつもりで、俺はやっぱりいまいち分かりきっていないのかもしれない。
 ぽかんとした俺を見てアメリカがまた眉を潜め目を眇めそうになったのに気づき、俺は慌てて言葉を返した。
「あ、あたり前だ。これからは俺も遠慮しねーからな。覚悟しとけよ。何しろ、その……恋人だしな!」
 なんだか恥ずかしい台詞になってしまったが、アメリカが誤解をしない為なら多少の恥ずかしさは我慢しなければならないだろう。
 幸い恥ずかしい思いをした甲斐はあったようで、アメリカは一転して満面の笑顔になると、勢いよく背から抱きついてきた。
「そうだね! 口うるさくて古くさくてケチくさくて、だけど可愛い俺の恋人だからね、君は! しょうがないから、たまには言うこと聞いてあげるよ!」
 言ってる内容は相変わらずに褒めてんだか貶してんだが微妙すぎるものだったが、アメリカが嬉しそうなのは確かなようなので今は気にしないことにする。
 デリカシーのない言葉はともかくとして、ぎゅ、と抱きしめられる感覚は素直にアメリカからの好意を伝えてくれてたから、俺も自然と笑みを浮かべた。
「じゃ、行くぞ」
「うん。……あ」
 抱きついてきているアメリカの手を軽く叩いて促すと、頷きかけたアメリカが、ふと気づいたといった風な声をあげる。
 なんだろうと思って首だけ振り返れば、まだ俺に抱きついたままのアメリカが片腕だけを外して、ベッドサイドの方を指さした。
 釣られて視線をそちらへと向ける。
「あ……」
 そこには、俺が持ってきたアメリカへの誕生日プレゼントの入った袋が置かれていた。
 そういえば……まだ渡してなかったのだった。
「君からのプレゼント、まだ貰ってないぞ」
「お前が受け取らなかったんだろーが」
 アメリカの指摘にわざと顔をしかめてみせたけれど、今は悲しくなったりも辛くなったりもしない。
 それどころか、少しばかり意地悪をしてやるような気持ちで、言ってみた。
「プレゼント渡したら、とっとと帰っちゃいそうなイギリスがいけないんだぞ」
 そうしたらアメリカはまた拗ねた口調になって、俺の肩口に顎をのせてぐりぐりと押してくる。
「ずっと居ただろ」
「でも何度も俺から離れようとした」
「そりゃあ……パーティーのホストを独り占めするわけにはいかないじゃねぇか」
 こうやって拗ねてみせる姿は、かつて『帰っちゃ嫌だ』と駄々をこねていた子供を思い起こさせた。
 けれど図体は三倍以上だし、拗ねた原因も考えると、とても可愛いとは思えないものの筈なのに、何故だか可愛く思えて困る。
「……不安だったんだぞ」
 素直に感情を吐露されれば、つられるように微笑がこぼれた。
「ばーか、俺もだ」
 不安だった。苦しかった。辛かった。
 なのに今は、こんなにも嬉しくて、穏やかな気分だ。
 その不思議さにすら暖かさを覚えて、俺はアメリカを背に張り付かせたまま数歩だけ近づき、紙袋を手にとる。
 袋の中に片手を入れて一番下に入っていた小さな包みをそっと取り出すと、俺の首の辺りにぶら下がっているアメリカの手に握らせた。
 そうしてから、アメリカの腕の中でくるりと振り返って正面から向き合う。
 アメリカの大きな掌になら収まってしまう程度の包み。
 ダミーでもなんでもない、正真正銘、俺がアメリカに貰って欲しくて買ってきたプレゼントだった。
 ずっと渡したかったそれを渡すのだから、ちゃんとしないとな。
「改めて……誕生日おめでとう、アメリカ」
 この日を楽しみにする気持ちを嘲笑うかのように悪くなる体調と沈む意識の中で、アメリカからの招待状と手紙と、このプレゼントを渡すのだという想いが俺の中での支えだった。
 この日に、お前を祝うのだという。もう無理なのかと思いながらも、諦めたくない、絶対に直接会って祝うのだという想いが、いま俺を、この場に立たせている。
「開けて、いいかい?」
 聞くまでもないそれに笑って頷いてやれば、俺を腕の囲いから解いたアメリカは、らしくなく慎重な様子でプレゼントの包装を剥がして、中から現れた箱を恐る恐るといった体で開いた。
 流石に、その瞬間は緊張する。
 間違いなくアメリカの趣味ではないと、俺の趣味で選んでしまった物だという自覚があるだけに、受け取って貰えたとしても喜んでくれるかどうかまでは楽観できなくて。
 期待に満ちて輝いているその瞳が失望に彩られるのではないかと、固唾を飲んで見守っていた。
 そうして見守る中、箱を開けたアメリカの瞳は一度、驚愕に見開かれて。
 それから、戸惑ったような視線が俺に向けられて、ひやりとする。
 やっぱり好みじゃ……ないよな。
「わ、悪かったな。日本みたいに、お前の喜びそうなモンじゃなくて」
 見た瞬間に瞳を輝かせて感動するようなプレゼントを、用意してみたかったのが。
 しょうがない。これは俺が俺の欲望に負けた結果だ。覚悟してたことだしな。
 俺がアメリカに贈ったのは、アメリカの瞳と同じ色の石があしらわれたシルバーのカフリンクスとネクタイピンのセットだった。
 シンプルだけど品の良いデザインは、最近の大人っぽさを増したアメリカにきっと似合うだろうと見た瞬間に思ってしまって。
 こんなのアメリカが喜ぶわけないと分かっていたけれど、結局は耐えきれずに買ってしまったものだった。
 スーツをあまり好まず、着たとしても着崩すことばかりでキッチリ身につけることなど殆どないアメリカがこんなものをつけたがるわけはないと分かっていたのだが……。
「けど……その、お前に、似合うと思って……。だから、なんだ。恋人とか言うなら、一度くらいは、つけてみて欲しいっつうか」
 言っていいものか迷ったが、アメリカが俺を恋人だと思ってくれているのなら、少しくらいの我が侭は許されるんじゃないかと思って、しどろもどろになりながらも希望をなんとか告げてみる。
 が、実際に口にしてしまうと途端に恥ずかしさが襲ってきて、誤魔化すように視線を逸らして言ってしまう。
「べ、別にキッチリしたスーツでこれつけたお前は絶対格好良いから見てみたいとか思ってるわけじゃねぇからな!?」
 しょうがないだろう。俺は昔から、アメリカがきちっと正装している姿が好きなのだ。別に普段が悪いわけじゃないが、その方がより格好良いと思って……るわけじゃないけどな! うん、全くそんなこと思ってねーぞ。実際に身につけた姿を想像してしまって、その姿にうっとりとかしてないからな、全然!
 言い捨てるように早口で告げれば、アメリカは盛大に吹き出してゲラゲラと笑いながら箱をぱたんと閉じる。
「なっ。笑ってんじゃねー!」
「笑うよ。君って本当に俺のこと大好きだよね」
「……っ!!」
 な、な、な。
 そりゃあ俺はアメリカのことが大好きだが、本人に面白そうに言われるのは心外極まりない。
 さっきまでは子供みたいに甘えてきて可愛かったっていうのに、この余裕ぶった笑みはなんだ。
 態度の違いに腹が立って、俺は山ほど文句を言ってやろうと口を開きかけたのだけれども。
「ありがとう、イギリス。すっごく嬉しいぞ!」
 破顔したアメリカが本当に嬉しそうに言って、今度は正面からまた抱きしめてくるから。
 結局また文句なんて全て消え失せて、俺は何も言えなくなる。
「今日もらったプレゼントで一番嬉しい。本当だぞ!」
 流石にそれは嘘だ。日本はまたアメリカの大好きなゲームを持ってきてたし、フランスだって今年はアメリカも好んで食べる特大のケーキ(ただし派手な色彩はついてない)を贈ってた。リトアニアはくじらと宇宙人と一緒に作ったといって謎の造形物(でもアメリカは「すっごくクールだよ!」と大喜びしていた)を贈っていたし、他にも色々。
 こんなアメリカの趣味にまるで合ってないプレゼントが、一番嬉しかったなんてこと、あるわけがない。
「おい、別にそんな無理しなくてもいいんだぞ……?」
 腹が立っていた筈なのに、こんな風な気遣いを俺なんかにするアメリカというのがどうにも落ち着かなくて、安心させるようにアメリカの腕を軽く撫でる。
 けれど、アメリカは憮然とした声で答えてきた。
「どうして無理だと思うのか理解に苦しむぞ、俺は」
「え……だってお前、好きじゃねーだろ。こういうの」
 わけがわからない。といった体でいえば、アメリカの口から零れるのは、またもわざとらしい溜息。
「あのね。例えば日本からジャパニーズ・キモノを『似合うと思った』って贈られたとして、着物なんか普段は着ないからって喜ばないのかい、君は?」
 アメリカの出してきた例えに想像を巡らせてみれば、答えなんて考えるまでもなくノーで。
「喜ぶに決まってんだろ」
「だったら! どうして俺が喜ばないって思うんだよ。君は俺のこと大好きすぎて、たまに凄くバカだな!」
「バカって言うことないだろばかぁ!」
 確かに、そうだ。珍しくアメリカの例えは的を射ていて、すとんと俺を納得させてくれた。
 とは言え、『アメリカのことを大好きすぎてバカ』というのは却下と激しい抗議を行いたいが。
「カッコイイ俺が見たいっていう、可愛い恋人のお願いくらい、いくらだって叶えてあげるんだぞ。何しろ俺はヒーローだからね!」
 なんて。また突拍子もないことを言い出すから、反論どころじゃなくなってしまうのだ。
「なっ、ばっ、おま……!」
 ったく、どこからどう突っ込めばいいんだ!
 だから俺は別に見たいとか言ってるわけじゃないし、自分で自分をカッコイイって言うなとか、可愛い恋人ってなんだ恥ずかしいこと言ってんじゃねぇばかとか、ヒーロー関係ねーだろとか。
 言いたいことは山ほどある筈で、だけど今そんな反論をしても何故だかアメリカに勝てる気が全くしなかった俺は、赤くなる顔を隠すようにしてアメリカの腕を振り解き、足音荒く歩き出す。
「おら、とっととパーティーに戻るぞ! ちゃんとビシっと決めてこいバカメリカ!」
 振り返らず真っ直ぐドアへと向かう俺の背に聞こえるのは、またも「やれやれ」と言いたそうな溜息。
 けれど暗い色はなく、どことなく面白がっているような風情には、文句よりも恥ずかしさが先に立ってしまって参る。
 甘えたのくせに、たまに見せるああいう余裕ぶった態度に腹が立ってしょうがない。同時に、何故か恥ずかしいというか居たたまれない気分になるから。
 アメリカを待たずにドアノブに手をかけて回せば、さして急ぐ風でもない足音が背後から聞こえてきた。
「しょうがないなー。それじゃ、さっさと終わらせようか!」
「お前なぁ、自分の誕生日だろ。ちゃんとしろよ」
 酷い言い様に、さすがに放っておけなくて俺は開けたドアを自分の身体で押さえた状態で振り返り、眉根を寄せる。
 お前の為に、皆わざわざ集まってきてくれてるんだろうが。
 そう言おうとした口は、
「やーなこった☆」
 またも、アメリカに塞がれる。
 拒否を告げる言葉と、それから降りてきた唇で。
 その上、一瞬だけ触れた後で音を立てて離した唇で、堂々とアメリカは言い放つ。
「俺は早く、君と二人っきりでイチャイチャしたいからね!」
 まったく堂々と言うべきでない台詞を、憎らしいくらい誇らしげに。
「~~~~~~~~ッ」
 まったくもって、今日の俺は散々だと思う。
 一体何度、こうして盛大な文句を飲み込まされてきたことか。
 だけど一番に最悪なのは。
「んなこと堂々と言ってんじゃねぇ、ばかぁー!」
 散々だと思うこの状況を、どうしようもなく幸せだと思ってしまう自分自身なのだろう。





 あの日に謳ったよろこびの歌を、今でも覚えている。
 生まれてくれたよろこび。
 出会えたよろこび。
 共に過ごしたよろこび。
 争いは幾度となくあっても、こうして向き合えるよろこび。
 それらはきっと、絶えることなく己の中で謳われてきたもの。
 そして今、また。
 心のどこかで憧れ、けれどある筈もないと切り捨てていたものになると誓ってくれた心を、よろこばぬわけがない。
 散々なことも、どうしようもないことも、これからもっとあるだろう。
 俺の望むものになると言った、その誓いが達せられる日など来ない可能性の方が高くて。
 けれど。
 この世界で。長い歴史の中で。お前だけがこの身に愛を教え、与え、与えることを赦し、そして刻んだ。
 ならば何が起こっても、再び互いに争い決別する日が来たとしても――きっと消えることはない。
 お前の瞳と同じ色をした空の下で、ずっと、絶えることなく響きつづけるのだろう。

 刻みこまれた愛と、お前に捧げる、《よろこびのうた》が――。
 



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#米英

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ジュヴナイル|魔人学園剣風帖

ラブチェイス小ネタ集
▽内容:京一のことが好きすぎてネジがとんでる系主人公のドタバタラブコメディの短いやつまとめ。
                                                           




 節分☆ラブバトル

 節分。日本の伝統行事の中で、知られている割には案外とマイナーな気もするこの行事。昨今では3日の夕方、豆をまいたり、お決まりの台詞をご近所から聞くことも少なくなった。
 真神学園においても、ここ数年は何もなく過ぎていたこの日であるが―――しかし、今年は違った。何故なら、一人ばかり、やる気満々になっている生徒がいたためである。
「さぁ、やるぞ!」
 陣頭指揮をとるのは、頭には自作らしい鬼のお面。恐らく鬼のお面。多分、鬼のお面。きっと鬼のお面。……だろうと思われる物(それくらいに出来は微妙だ)を被った緋勇龍麻だ。陣頭指揮というか、やる気になってるのは一人だけであり、恐らく発案・実行も一人なのだろうから指揮とも呼べないのであるが、それはそれとして持ち前の強引さだけで豆の入った枡を蓬莱寺京一に押し付け、意気揚々と緋勇龍麻は語りだす。
「京一、鬼退治に明け暮れた一年の厄を払うためにも、ここは気合いを入れて豆まきをするべきだと思わないか? 思うよな? そんなわけで、俺とお前の二人の愛の豆まきタイムだ。鬼は俺がやるから、お前は豆を撒いてくれ」
 強引に押し付けられた豆入りの枡を見つめ、京一は念のためにと問い返した。別段、この突飛な申し入れにツッコミを入れたり天誅を下したりするつもりはないらしい。
「お前が鬼やんのかよ?」
「ああ。何しろ『愛☆』の豆まきだからな!」
 性懲りもなくアホな物言いをする龍麻にも、京一は怒るそぶりも呆れるそぶりも見せなかった。
「ッし。ならいいぜ」
 それどころか、アッサリと了承したのである。朗らかな笑顔と共に。
「やってくれるか、京一。さすが俺の相棒にして最愛の男!」
 龍麻も京一の肩を叩きながら感動してみせた。
 緋勇龍麻がアホなことを言いだしたにしては、珍しく和やかな光景である。
「じゃーよ。俺が10数えッから、その間に逃げろよ」
 京一はワクワクとした様子で枡に入った豆を弄びながら言った。
「わかった。じゃ、10秒後にな」
 龍麻もにこやかに答えると、ひらりと手を振ってご機嫌な様子で教室を出ていく。頭には、鬼のお面(推定)を被ったままで。
 道行く者は今更、緋勇龍麻の奇行ひとつで驚いたりはしない。せいぜい「ああ、節分だしな」とか「妙に行事に律義よね」とか、的を得ているのか得ていないのか微妙な感想を抱くのみだ。
 一方、教室に残った京一はと言うと―――
 逆に、クラスメートを恐怖に陥れていた。
「クックックックック……。俺に豆渡して自分が鬼たァ、甘ェぜひーちゃんッ。見てろよ。キッチリ退治してやるぜッ!!」
 枡を片手に、もう片手に豆を握り締めてニタ~リと笑う蓬莱寺京一は、まさしく鬼のようであったとクラスメートは後に述懐する。
 
 かくして、真神学園の節分は二名限定で開始されたわけで。

 数分後、豆まきとも思えぬスピードで投げられる豆をくらいながら、必死に豆から逃げ回る緋勇龍麻の姿が至るところで確認されたとか。

「きょ、京一……! ちょっとコレは豆まきの威力と違……っ!」
「聞こえねェなァ~?よっしゃ、もいっちょ行くぜッ。鬼は~外ッ、鬼は~外ッ、福は~内ィ~!」
 鍛え上げた筋力で投げられる豆は、侮れない威力がある。なまじ粒が細かいだけ威力が集中するのか、当った時の痛みは大きい。食らう方は、パチンコか何かで攻撃されている気分だ。
 逃げる龍麻、追う京一。
 いつもと逆の珍しい風景に、生徒達は一瞬だけ驚くものの―――二人の様子を見て、すぐに皆、生暖かい笑みを浮かべる。

「ワハハハッ、神速の豆まきを食らいやがれッ!」
「ちょ、マジで痛いって京一!」
「鬼はー外ォ~ッ!!」
「ぎぃやぁ~~~~!!」

 弾丸の如き豆の飛礫を受けて悲鳴を上げる緋勇龍麻は、それでも京一に追いかけてもらえて、幸せそうだったので。そして珍しいことに、追う京一の方も、なんだか楽しそうであったので。

「元気だよねェ、二人とも」
「うふふ。楽しそうでいいわね」

 今日も真神学園は、それなりに平和だった―――。




 爆走☆夢芝居


 パン、パン、と柏手を打つ音が響く。
 日付が変わったばかりの時刻。普段ならばこんな時間の神社に、人気などはない。しかし今日は一月一日、元旦である。その午前零時となれば、いつになく神社は賑わいを見せている。
 境内からこの賽銭箱の前にくるまで、十分程は待っただろうか。龍麻と京一も、ようやく回ってきた自分達の番に溜め息ともつかない息をついて、賽銭を投げ込んだのだった。
 二人、神妙に手を合わせて目を閉じ、祈る。
 新しい年への希望を。
 
 後ろがつかえているため、そう長く祈るわけにもいかない。二人は頃合いを見計らって顔をあげると、人並みに押されるようにして、その場所を次の人達へと譲り、離れる。
 そうして、ようやく人込みから抜けると、二人は顔を見合わせて苦笑した。
「すげェ人だな」
「あぁ。ここまでとはな。東京を甘く見てた」
「ハハッ。ま、いー経験になったんじゃね?」
「まぁな」
 参拝客目当てに出ている出店をひやかしながら、少しずつ二人は人込みから遠ざかっていく。ひやかすだけのつもりが、いつの間にか京一の手には味噌田楽やら甘酒やらが乗っていたりしたが。
「へへッ。やっぱ、これがなきゃ、夜中に初詣なんか出来ねェよなッ」
 何の為に初詣に来ているのか疑問に思える台詞だが、龍麻はさして気にした風でもなく、そんな京一へ向ける視線はどこまでも温かく、穏やかだ。
「俺も、子供の頃はコレが楽しみだったよ」
 たまには俺の奢りだと京一から受け取った甘酒を、少し上げて示しながら微笑う。
 すると京一も同じように「そーだろ?」と嬉しそうに微笑い返してきた。
 そうしながら、流石に両手に出店の食べ物を持った状態で街を歩くわけにも行かず、境内の端の人がまばらな場所へと移動する。
 同じように、手に出店の品を持ちながら楽しげに話しているグループや恋人たちが幾組か見られた。
 人波の邪魔にならぬ場所へ陣取った二人は、早速とばかり、戦利品へと口をつける。
「か~ッ、うめェ~!」
 味噌田楽をひと息に半分ほど食べた京一の第一声がコレだ。龍麻も、思ったより上等だった甘酒の味に感心はしていたが、大げさな京一の様子に苦笑を誘われた様子。
「良かったな」
「おうッ」
 けれどその苦笑も、からかうようなものではない。それが分かっているのか、京一も素直に頷いて続きを食べにかかる。
 龍麻は、味噌田楽を味わうことに集中しているらしい京一の邪魔をしないように、ひっそりとその様子を眺めることに決めた。
 本当に美味そうに、顔を笑み崩れさせて食べる京一は、龍麻の目にはとても可愛らしく見える。愛しげに目を細め、心ゆくまで京一の幸せそうな顔を堪能した龍麻は、京一以上に幸せな気分に浸った。
 仲間達とは、既に初詣の約束をしてあったが、それに抜け駆けして二人で夜中の内に行こう。と言って誘ってきたのは、驚いたことに京一の方だった。だが、京一に誘われて龍麻に否やがあるわけもなく、こうして日付が変わる頃合いに合わせて初詣へとやってきたのである。
 空気はしんしんと冷えて、時折吹く風は身を切るように冷たかったが、そんなことは何でもなかった。京一と二人で迎える新年。そして初詣。その幸福な事実の前には、寒さなどなんでもない。
 隣を歩く京一を見るだけで。こうして幸せそうな京一を見ているだけで、温かくなる心。それはどんな物にも代えがたい温かさだ。
 先ほど、手を合わせて祈ったのも、そのことだった。
 この、温かさを。隣に在る存在を、失いませんように。ずっと、京一と共に在れますように。
 それ以上の願いなど、あるわけもない。
 神などアテにはしていない。きっと京一も同じことを言うだろう。けれど、何かに願わずにはいられなかった。その、思いを込めて祈った。
 きっと、叶えてみせる。
 何かの力でなく、自分の力で。
 その決意も本当で。きっとあれは願いで。―――そして、同時に誓い。決して傍を離れまいという。

「ひーちゃんも、味噌田楽、食いたかったのか?」
 じっと見つめる龍麻の視線に気づいたのか、京一が問い掛けてきた。しかし、視線を皿へと落として既になうなっているのに気づき、済まなそうな顔になる。
「わりィ。全部食っちまった」
「いや、美味そうに食うな、と思って見てただけだから。気にすんなよ」
 くしゃりとその髪を撫でれば、京一は僅かばかりに口を尖らせて不満の意を示した。きっと、龍麻が遠慮したことと―――子宥めるような仕草に、不満を覚えたのだろう。
「なら、いいけどよッ」
 納得したとは言いがたい顔で、空になった甘酒の紙コップの端をガジガジと行儀悪く噛みながら顔を背けた。
 けれど、本気で拗ねているわけではあるまい。恐らく照れ隠しも入っていることを、龍麻は分かっている。
「ほんとに、気にするな。―――ただ、な。お前がさっき、何て願いごとしてたのかって考えてた」
 誤魔化そうとしたわけでもないが、それを考えていたことも事実だ。自分が、京一と共に居ることを望み、祈り、願い、誓った、あの時に。いつも神など信じていないと言う京一が、いつになく真剣な顔で手を合わせていたのも、知っていたので。京一があの時、願ったことはなんだったのか。気にならないわけがない。
「俺?」
 背けていた顔を戻した京一の目は、意外そうに丸められている。
「ああ」
 龍麻が小さく頷いてみせると、京一は考える顔になり―――そして逆に、問い返してきた。
「そういうひーちゃんは、何て願いごとしたんだよ?」
 予想していたので、龍麻はアッサリと答える。隠すほどのことでもない。それに、この望みを知っていて欲しいという思いもあった。
「俺は―――お前と、ずっと一緒に居れますように、かな」
 微笑と共に答えれば、夜目にも京一の顔が僅かに赤く染まったのがわかる。
「……は、恥ずかしいヤツだなッ」
「そうか?」
 龍麻としては、本気で思っているのだから、恥ずかしいという思いはない。むしろ、誇らしくすらあるのだ。京一へ向ける思いは。
 まったく悪びれることも恥じることもない龍麻に、逆に聞かされた京一の方が照れてしまったようで、二の句が告げずにいる様子。
「あぁもう、勝手に言ってろッ」
 突き放すようにそんなことを言っても、表情が裏切っていることを、恐らく京一も分かっているのだろう。けれど龍麻は、それには気づかないふりで。けれど、容赦もせずに再び問いかける。
「京一は?」
 じろり、と恨みがましい目で睨まれるが、それで怯むような龍麻でもない。どこか拗ねたような、そんな睨み方をされては、怯むどころか舞い上がるだけであることを、果たして京一は分かっているのだろうか。
「…………」
 にっこりと微笑んだ龍麻が、答えを聞かずには済ましてくれそうもないことを悟ったのか、京一はまたフイと顔を背けて、投げやりに言った。
「~~~俺もッ、似たようなモンだよッ」
 その言葉が、龍麻の顔を緩ませるだけだと分かっていたのか、言うなり背を向けて歩き出してしまう。
「帰るぞ、ひーちゃんッ」
 数歩遅れて、足音荒く歩き出した京一の後を追いながら、龍麻は浮かんでくる笑みを止められずにいた。
 なんとも、幸せそうな、その笑みを――――。


「――――っていう、初夢を見た」
 話を聞いている間中、小蒔はこめかみを押さえ、醍醐は開いた口が塞がらず(きっと出せるものなら、砂も吐いていただろう)、美里は僅かに頬を染めて「まぁ、素敵」と呟いていた。
 そして、夢に出された当事者の一、蓬莱寺京一はと言えば―――
「勝手に気色悪ィ夢見てんじゃねェエエエエエッ!!!」
 当然、鳥肌をたてて、いつものように叫んで大抗議である。
 が、いつもと違うところがたった一つ。
 それは、緋勇龍麻の様子である。
 緋勇龍麻はグッと拳を握り締めて、話が終わるなり、男泣きしかねない勢いで、叫んだのだった。
「なんでお前がそんな夢を見るんだ鈴木ぃいいいいいい!!!!!!!」
 怒髪天の蓬莱寺京一さえも怯む勢いは、凄まじいものがある。
「いや、そんなこと言われても」
 そんな初夢を見てしまった張本人・緋勇龍麻らのクラスメートは、思わぬ事態にたじろいだ。
 蓬莱寺京一に怒られ、ボコボコにされることはあっても、緋勇龍麻には常に喜ばれていた彼だ。この初夢の話も、良かれと思って話したのだが―――どうやら、逆効果だったらしい。
「俺は、俺は京一と二人っきりで年を越すことも叶わず! 京一との初夢すら見れず! 無念の正月を送っていたというのに、貴様はそんな羨ましい夢を見ていただと!? 許せん!!!!」
 遂には、緋勇龍麻が怒りのあまりに、そのクラスメートの胸ぐら掴んで揺さぶる始末である。
「まぁ、落ち着け緋勇! いいじゃないか。初夢は正夢って話だし。きっとお前もこの夢のような正月が☆」
 胸ぐら掴まれた状態で、喋りにくさもなんのその、よどみなく言ってのけたクラスメートだったのだが―――なにしろ彼は、火に油を注ぐことにかけては、天下一品の男だ。
「鈴木」
 緋勇龍麻は、胸ぐら掴んだ手は外さなかったものの、揺さぶることはやめて、奇妙なほど静かな―――けれど、恐ろしい程に低い声で、クラスメートの名を読ぶ。
「なんだ?」
 迫り来る危機を理解していないのか、それともむしろ望んでいるのか。緊張感なく答えるクラスメートに、周りに居た者達の方が危険を覚えて距離をとった。
「――――ここは、何処だ?」
「教室」
「そう。真神学園、三年C組の教室だ。ってことは」
「ってことは?」
「学校が、始まってるな?」
「そりゃそうさ。さっき始業式やっただろ。緋勇、ボケるには早いぜ!」
「――――ならば、正月が終わっていることも理解しろぉおおおおおおっ!!!!!!」

 真神学園は、年明け早々の大地震の傷がさめやらぬ内に、黄龍の器の暴走によってまた傷を負ったとか。


 そして校舎をまたも半壊させた失意の黄龍の器は、未だにクラスメートの夢に未練があるようで、
「何故だ。そんな夢なら何故せめて俺に見せてくれない!?」
 と、世の理不尽を嘆いているという。
 また、珍しく出番の無かった蓬莱寺京一は――――
「京一、鬱陶しいからさ。もう、ひーちゃんと初詣でもなんでも行ってあげなよ」
「そうよ。別に時期なんて気にしないわ、龍麻なら」
「ああ。今からでもいいから、行ってやれ」
 龍麻の様子を哀れんだ友人達から、こんな攻勢を受けていた。
「なんで俺がッ!」
 初詣は既に仲間達と行っているわけで、今から行っても初詣にはならないのだが。
 こちらはこちらで、世の理不尽を嘆くハメになっているらしい。
 しかし、流石にこの三人どころか、クラス中や他学年の生徒―――さらには犬神にまで「どうにかしろ」と言われてしまえば、京一にこれ以上の逃げ道などある筈もない。
 仕方なく、延々とブツブツ言って沈んでいる(これでも東京の平和は守ったらしい)黄龍の器に、時期外れの初詣の話を持ちかけることになるのだった。
「そうだぞ、蓬莱寺。お前がいれば、緋勇はどこでもパラダイスなんだからな!」
 また余計な一言を吐いた諸悪の根源には、容赦なく天地無双をかましてから。


 こうして、真神学園の三学期始業式は、最終奥義のバーゲンセールにて、盛大に幕を閉じたのだった―――。





 秘密の花園

 ポン、とひとつ。
 手の平に乗せられたものを見て、俺は首を傾げる。
「なんだ、これ?」
 鈍い銀色した、小さなもの。それは、どっからどう見ても鍵だった。
 しかし、何故そんなものを唐突に手渡されたのかが、さっぱりわからない。
 大体、何の鍵なんだコレは。
「フッフッフッフッフ。よくぞ聞いてくれた! そう、それは《秘密の花園》への鍵だ!」
 人さし指をズビシと掲げ、相変わらずの様子で龍麻が叫ぶ。
「はァ?」
  秘密の花園ォ~~ッ?
 ……うさんくせェ。この上なく、うさんくせェ。
 イヤなモン、持つみてェにつまみあげて、目の前にソレをかざしてみるけれども、別に《秘密の花園》の鍵らしくゴテゴテしてたりはしない、普通の鍵だ。持つとこにメーカー名も入ってるし、鍵そのものは、胡散臭いものではないのだが。
「遠慮なく受け取れ、京一。俺の愛だ」
 その愛ってヤツがな、激烈にうさんくさいんだよな、お前の場合。
 いきなりキリッと真顔になって言ってもなァ……。秘密の花園の鍵とか言われてもワケわかんねェし。
 そんな龍麻に半眼を向けた後で、もう一度鍵をよく見直してみる。
 ―――ホントに、なんてことねェ普通の鍵なんだよな。
 思って、何気なく裏側を向けた途端、俺の動きは一瞬止まった。
「……おい、ひーちゃん。コレ、どこの鍵だって?」
「俺とお前の秘密の花園」
 …………。
 なァ、俺さ。今更かもしんねェけど、お前の脳構造疑っていいか?
 とっくのとうに疑ってるけどな。むしろ確信してるけどな。
 お前、ぜってー頭おかしいだろ。
「つーかコレ。お前ン家の鍵だろ……」
 裏っ返した鍵の持ち手部分には、油性マジックでめいっぱいに《ひゆう》の文字。そのまんま、平仮名で。
「違う、秘密の花園だ……!」
 なんでソレにこだわるんだお前は。
「花園はともかく……」
 俺は頭を抱えたいのを堪えて、代わりに大きくひとつ溜め息をつくと、自己主張激しい鍵を手の平に握って。
「くれるッてんなら、有り難く貰っとくぜ」
 それを、制服のポケットへとしまう。
 そうしたら案の定、こっちに抱きつこうとしてきた龍麻の顔を手の平で押し返してそれは防いで。ニヤリと笑って言ってやった。
「そんかし、冷蔵庫の中身は保証しねェぜ?」
 ―――なんて言っても、相手は何しろ、ひーちゃんだからな。
「そんなもの。俺とお前のめくるめく愛のためならば……!」 
 また、わけわかんねェこと言って、全然堪えちゃいなかった。
 ある意味すげェよ、お前……。

 懲りずに抱きつこうとしてきた鬱陶しい龍麻を朧残月で振り払って、先に悠々と帰途についた俺の顔が、鍵の入ったポケットに手ェ当てたまま、なんとなく緩んでしまってたのは。秘密の花園とか言う龍麻がおかしかったからだ。―――ってことに、しておこう。



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#主京 #ラブチェイス

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ジュヴナイル|魔人学園剣風帖

過激に☆シャウトオブハァト
▽内容:京一のことが好きすぎてネジがとんでる系主人公のドタバタラブコメディの10作目。
                                                           




 それはとある日の夜―――。
「京一ぃいい!!」
 毎度と言えば毎度のことではあるのだが。
「大ッ好きだぁあああ!!」
 緋勇龍麻(18・高校三年生)は、大暴走していた。
 それまでは意外にも普通に京一とダラダラ遊んでいた龍麻だったのだが……。
 暑いといって京一が学ランを脱ぎ捨てたのがいけなかった。
 鍛えられて引き締まった体にピッタリとしたTシャツ。その上に現れた鎖骨の眩しいこと眩しいこと。おまけに一冊の雑誌を二人で顔を突き合わせるようにして読んでいたのだから、至近距離に見えるそれらに緋勇龍麻があっさり理性を手放して暴走モードになったとしても、誰も責められないだろう。
 ―――多分、恐らく、きっと。
 がばぁっ、と突如なんの前触れもなく押し倒された京一は当然のようにもがいた
「うわッ、何すんだひーちゃんッ!!」
 何の脈絡もなく押し倒されては、誰だって驚く。しかもシチュエーションもムードもへったくれもないこんな行動では、成功するはずもなかった。
 だが緋勇龍麻は止まらない。
 そんな常識的判断ができるなら、もとよりこんな暴挙にも出なければ、唐突に盛るほど追いつめられもしないだろう。
 暴れる京一の腕を押さえつけた緋勇龍麻の目は爛々と輝き、鼻息も荒い。はっきり言って相当ヤバかった。変態丸出しである。
「とにかくもう、辛抱たまらんッ。四の五の言わずにヤらせろ! ていうかもうお願いしますからヤらせて下さい!!」
 強気なんだか弱気なんだかさっぱりわからない発言であるが、本人は本気120%であり自分の言動と行動のおかしさにも当然ながら気づいていない。そもそも気づけるなら以下略。
 だがしかし。そこはそれ腐っても緋勇龍麻というか身に付いた習性というか。そのまま行動を続行する前に襲い来る木刀やらハリセンやらに身構えてしまうのはどうしようもないことでもあった。
「………?」
 だが、こない。
 確かに龍麻は両手で京一の両手を押さえつけているのだから、この状態で木刀が出てくるはずもないのだが……そういった理屈や常識を超えて木刀とハリセンはどこからか現れる。
 それがこない。
 いつもなら火事場のバカ力で緋勇龍麻を払いのけて天地無双をかましてくるはずの京一は、僅かな抵抗を見せつつも未だ緋勇龍麻に組み敷かれているのであった。
(何故だ!?)
 いつもがいつもなだけに疑問に思うのも仕方がないが、そこで疑問はひとまず置いておいて目の前の幸運に浸って突っ走れないあたり、相当に不幸なれしてしまっているというか、しょせんはツメの甘い男というか。哀れといえば、かなり哀れである。
 そして不審に思ってまじまじと自分の下にいる京一の顔を見れば、その頬は僅かに染められてそっぽを向いていた。信じられないことに、どう見ても恥じらう風情である。
(そんなバカな!!)
 もはや緋勇龍麻が愚かで哀れなのか、蓬莱寺京一に対して失敬なのか判別がつかない。
「……京一……。いいのか……?」
 この態勢でここまで来てこの態度で今更だが、それでも確認せずにはいられない小心者な緋勇龍麻(高三)。
 態勢や状況に反して、『まぁまず絶対無理だろうけどな!』という気分満載で恐る恐るかけた問いに、しかし京一は赤く染めた頬を逸らしたまま、ごく僅かに頷くことで答えたのだった。
(そんなバカな!!!!)
 もう一度、緋勇龍麻は胸の内で吠えた。
 ここまでくるともういっそ以下略。
「……ひーちゃんが、したいんなら……いいぜ……」
 ぽそりと、聞こえるか聞こえないかの音量で、それこそ消え入りそうに恥じらいつつ呟かれた台詞に……緋勇龍麻のある意味理性は弾け飛んだ。
「ふざけるなぁあああああ!!!」
 ……いや、弾け飛んだのは理性ではなく、緋勇龍麻の中(だけ)における常識だったのかもしれない。
 ご町内に響き渡りそうな大音声で吐かれた怒声と共に、緋勇龍麻は組み敷いていた蓬莱寺京一の胸ぐらを掴んでひきあげる。
 そして激しく揺さぶりながら、さらに魂の叫びをあげたのだった。
 ―――その両目に、滂沱の涙を流しながら。
「てめェこのヤロ正体現せェエエエ!! 京一が、俺の京一がッ! そんな嬉しいこと言ってくれるわけないだろーがぁああああああ! 半端に喜ばせやがってこのやろちくしょーべらんめいっ! 京一はなぁ! こういう時は絶対天地無双なんだよ! そんな可愛い顔して頷いてくれるわけないんだ! わかったかアホー!! 俺の純情を返せぇええええええええ!!!」
 もはや、訳がわからない。
 だが、訳がわからないのは緋勇龍麻ではなかった。
 ……いや、この場合、緋勇龍麻だけではなかったと言うべきか……。
「……ふ。まさか見破られるとはね……」
 阿呆極まりない龍麻の魂の叫びは、恐ろしいことにどうやら的を得ていたらしい。
 それまでおとなしく、されるがままになっていた蓬莱寺京一の顔にピキピキと皴が入っていったのである。
「なぬ!?」
 さすがの緋勇龍麻もこれには驚いて、数歩飛びすさった。
「君の目も、思ったより節穴ではなかった、ということかな」
 皴は見る間に走り、蓬莱寺京一の前面をちょうど縦半分に割るように入っていく。皴はやがて亀裂を増して、真っ二つに割れた。
「……き、貴様は……ッ!!」
 そして中から現れたのは……特に勿体ぶることもないだろう。
 そう。
 案の定、壬生紅葉だった―――。
「やぁ。こんばんわ龍麻」
 一体何で出来ているのか謎極まりないスーパーリアルな蓬莱寺京一の特殊メイク殻を割って現れた壬生紅葉は、ゆっくりと殻を脱ぎ捨ていつも通りの制服姿で礼儀正しく挨拶をする。
 この状況で、礼儀正しく、挨拶。
 なんとも言えず場違いな光景だった。
「こんばんわ、じゃないだろ……。壬生、貴様なんのつもりだ……」
 問い掛ける龍麻の声は弱々しかったが、身に纏う氣は強力に渦を巻き、瞳は不穏な光を発している。どうやらぬか喜びさせられたのが、相当腹に据えかねたらしい。全身から何もそこまでというほどの殺気が放たれている。
 ヤツは、本気だ。
「なんのつもりかと聞かれても困るな。……そう、僕は単に永遠に叶わぬ思いを持つ君を少しでも慰めようと思ってね……」
「嘘をつくなー!!」
 どかーん。
 容赦のない必殺技、秘拳・黄龍が飛ぶ。
 だがそこはそれ、非常識が僕の親友・壬生紅葉。氣の塊をサッカーボールよろしく受け止めてから蹴り返した。
「心外だな。ジェミニが僕のものになることが避けられない運命の流れである以上、涙を飲むことになる君に、せめて儚い夢を見させてあげようという僕の優しい心遣いを無にするつもりかい?」
「なんかもう色々ツッコミたいが全部却下ってことで面倒なのでともかく死ね」
 今までの経験上、壬生にいくらツッコミを入れようが無駄であることを龍麻は知っている。もはや言葉の通じない宇宙人と割り切って、滅ぼしてしまうしかないと思っていた。
「死……? 甘いね。死ぬなら君の方だよ、龍麻。僕の麗しのジェミニにあのような不埒な思いを抱く不貞の輩は滅びるべきだ」
「恋人を押し倒して何が悪い! 大体、貴様はどうなんだ!」
 状況やら何やら色々とまずかった筈だが、そんなことはどうやら緋勇龍麻の記憶には残っていないらしい。
「僕はジェミニを守る言わばナイト……。そのような不埒な思いを抱いたことはないよ」
「嘘つけこら。京一のあのやーらかそーな髪を撫でてみたいとか眩しい鎖骨を舐めてみたいとか拗ねてる唇にちゅーしてみてーとか短ランの隙間から手を入れて背中をなで回してみたいとか引き締まった腹筋に頬ずりしてみたいとか袴の隙間から手を入れて色々悪戯してみたいとか(中略)学ラン中途半端に脱がせて片足だけ抜いて立ったままやってみたいとか考えてるだろう貴様だって!!」
「……それは君だろう」
 他に返しようがない壬生紅葉だった。
 そして緋勇龍麻から返ってきた反応はと言えば、怒声とは違う魂からの叫びというか訴え。
「ああそうさ、やりたいさ。やりたいともさ。やりたくて何が悪い! 貴様に何がわかる俺の気持ちなど!! こんなに愛してるってのに、ヤらせてもらえない俺の気持ちなど、リリカルに乙女に夢見がちな貴様なんぞにわかってたまるかぁああああッ!!」
 男泣きに泣く緋勇龍麻に、さしもの壬生紅葉も言葉をなくす。
 いくら恋敵とは言え、先ほどまでの間抜けさも相まって、どうにもこうにも哀れに思えてくるのだった。
「……君も、苦労してるんだね……」
 そっと涙を拭う壬生。
「……ああ。まぁな……」
 そして二人の間に、ひそやかに友情が芽生えた!
「すまなかった、龍麻。君の純情を踏みにじるような真似をして……。君の例えようもないほど大きなジェミニへの愛に僕は感動した。……どうか、ジェミニと幸せになってくれ……」
「壬生……。お前、案外いいヤツだったんだな……」
 その時、半壊しかけた緋勇龍麻の部屋には、何故か夕日が赤く輝いていたという。
 そんなに簡単に意見を翻していいのかとか、そんな簡単に信じてしまっていいのかとか、そもそも背後の夕日は一体。……などというツッコミを入れてくれる常識的な人間はこの場にいない。
「龍麻、ホンモノのジェミニはその押し入れの中に居る。……君の思いが叶うことを、願っているよ……」
 そっと龍麻の手を握りしめて励ましの言葉を告げた壬生は、ここが二階であることも無視して―――むしろ重力すら無視して―――いつも通り窓ガラスを割り、そこからいずこかへと飛んでいった。
「ありがとう、壬生……」
 先ほどまでの怒りもどこへやら、壬生の後ろ姿を見送りながら感極まったように呟く龍麻の背景もまた夕暮れの砂浜である。
 こうして二人に新たな友情が芽生えた―――。
 恋敵という立場を超えて結ばれた尊き絆は、そう簡単に破れることはないだろう(多分)。
 まさに双龍と言える二人の友情があれば、怖いものなんて何もない。
 緋勇龍麻はどこからか聞こえる波の音(幻聴)に耳を傾けつつ、そう思った。
 確かに、非常識と不条理を体現させている二人が組めば怖い物などないのかもしれない。
 だが、そんな彼の背後――――押し入れで渦巻いている不穏な氣もまた怖くないのかと問いかけたなら……緋勇龍麻は一体なんと答えただろうか。





 気がつけば、周りは暗闇だった。
 しかもどうやら、ロープで後ろ手に縛られているらしい。さほどきつく縛られているわけではないようだったが、だからと言って驚かない訳も歓迎する訳もなかった。
 闇に目が慣れた頃に辺りを見回してみると、どうやらそこは龍麻の部屋の押し入れのようであった。うっすらと開いた隙間から、見覚えのあるベッドが目に入る。それに、襖なぞなんの防音効果もないような音量の龍麻の声がすぐそこから聞こえるのだから、ここが彼の部屋であることはすぐにわかった。
 そして、犯人も。
 今更驚くこともでもない。京一の心境からすれば、『またか……』というくらいのものである。肩を落としはしたものの、別段取り乱すことはしなかった。
 非常識は龍麻で大分慣れている上、ここのところ壬生の変人さにまで大分慣れてきてしまった京一である。不幸としかいいようがない。
 だがそんな京一も、壬生が正体を現すまでは気が気ではなかった。気がついた時には既に龍麻は文字通り京一の殻を被った壬生を押し倒した所だったのだからそれも仕方ない。
 どこのどいつだコノヤローとか、それは俺じゃねェだとか、気付けアホとか叫ぼうにも、猿轡をかまされていたためマトモに喋ることもできなかったのだ。言葉になっていない呻きならかなり出ていたはずだが、暴走を始めた龍麻の耳には届かなかったようである。
 京一はなんとか龍麻を止めてそれから自分の真似なんぞをしやがっている不埒者を殴り倒してやろうと必死にロープと猿轡をはずそうともがいた。
 だがそうしている間にも、外の声は耳に入ってくる。
 それを聞きながら京一は―――なんとも言えない気分になった。
 しかもようやく脱出を終える頃には龍麻と壬生が妙な友情を芽生えさせていたりするのだから、さらに複雑な気分になったとしても不思議はない。
 全ての気力を萎えさせるようなそれも、しかし根源的な怒りまでは消せなかったようで、ともかくも一撃食らわせてやらないことには収まらない。
 なげやりになる心を奮い立たせて、京一はなんだか浸っているらしい龍麻の目を覚ますべく、押し入れの襖を木刀で突き破って外へと出た。

「いつまでやってんだアホッ」
 勢いのまま、何故かある夕暮れの砂浜のカキワリをあっさりと壊す。波の音はもともと龍麻の幻聴なので消す必要もない。
「あ、あれ。京一!? 押し入れじゃなかったのか!?」
「自力で抜け出したんだよ!」
 あれが自分ではないと判っていたはずで、しかも行方まで聞いておきながら壬生との友情に浸っているとは悠長なことである。
 京一は証拠とばかりに必死になって木刀で切った白いロープをぐいと突き出す。
 親友だったり恋人だったりするならば、まず救出が先なはずではないだろうか。そんな辺りも恐らく京一の不機嫌の原因だったが、本人は恐らく絶対に認めまい。
「………ええと……。ハハハハハ………」
 龍麻もたらりと冷や汗を流す。
 それは果たして、すっかり存在を忘れていたせいなのか、今までの醜態としか言えない様を残らず聞かれていたせいなのか、判別がつかない。恐らく両方だろうが。
 京一は憮然とした表情で腕を組み、そんな龍麻を睨みつけた。
「おい」
「……ハイ」
 だが、文句の一つや二つや三つや百くらい言ってやろうと声をかければ、たちまち縮こまってその場に正座してしまった龍麻を見て、そんな気力すら奪われてしまう。これではまるで、沙汰を待つ下手人か何かのようだ。
 怒ったような、拗ねたような、困ったような顔で眉根を寄せて、京一は唸る。
 果たして、どうしたものか。
 自分で自分の感情を掴めない。
 もっと早く気付けとか、気づいたならまずホンモノの心配をしろとか、早く助けろとか、そもそも突然あんなワケの判らないところで盛ってるんじゃねェとか、いつもお前そんなこと考えてやがったのかとか、怒る気持ちも確かにあり。どさくさ紛れに吐かれた自分に対する偏見というか事実というかに反発する気持ちもあり。変人極まりなく京一にとっては迷惑でしかない壬生とあっさり友情を結んでしまったことに対しての憤りもあり。そしてまた、そんな男泣きに泣いて魂からの叫びをあげるほどだったのか、という呆れというか哀れみというか、申し訳なさもほんの少し混じる、なんとも言いがたい思いもあったりするのだから、掴みようがなかった。
「俺の言いたいことは、わかってんだろうな」
「……ハイ」
 そこへきて、龍麻のこの下手人というか先生に叱られる小学生のような態度。
 思わず、溜め息も漏れるだろう。
「まるで俺が極悪人みてーじゃねぇか」
 自分は全く悪くないはずで、それどころか縛られて狭苦しい押し入れなんぞに閉じこめられていたというのに。龍麻の魂の叫びにしたって、実のところぶち壊しにしているのは大概、彼本人である。
 悪いのは、間違いなく京一ではなく緋勇龍麻であるはずなのに。
 あの言葉の通じない宇宙人のような変人・壬生紅葉が哀れに思って味方になるくらい、自分の龍麻への対応は酷かっただろうか。京一は思わず首を傾げずにいられない。
 京一が龍麻を邪険に扱うのは、龍麻が妙な行動ばかりをするからであって、別に恨みがあるわけでも嫌いなわけでもない。好意は持っているものの過度な好意かというとそれは客観的に見ている限り疑問を挟まずにはいられないのだが……。また、本人も真っ向から聞いたなら即座に、何もそこまでというほどに否定するのだろうが。それなりの態度で、それなりに節操やら節度やらを持って接した場合、そうでもないらしい。
「おい」
「……なんでしょう」
「………」
 だというのに、コレだ。
 京一は未だ正座をして身を固くしている龍麻に視線を落とし、考える。
 やはり本心というものは、多少なりともきちんと分かりやすく示してやらなければならないのだろうか。
「……まぁ、その。なんだ」
 少し視線が泳いでしまうのは、仕方がない。
「アレが俺じゃねェって気づいたのは、とりあえず褒めてやる」
 気づいた理由とかはかなり、大分気になるところではあるけれども。まぁ大目に見てやることにする。
「お前の気持ちも、大体わかったから」
 判ってやるのはだいぶ複雑だったりすることも、とりあえず目を伏せておいてやることにした。
 しかし何を分かられたと思ったのか、龍麻はダラダラと滝のように冷や汗を流している。そこまで萎縮している姿はもう、哀れとしかいいようがない。普段は人の迷惑も省みず強引極まりないくせに、こうして時々変に臆病で小心者なのだこの男は。
 京一は、そんな哀れな臆病で小心者な男の頭にポン、と手をのせて落ち着けと促した。
「もう、ぶっ叩いたりしねーからさ。……あー。なんだ。つまり」
 そうしながらも、なんと言っていいものやら悩み、またも視線が泳いでしまう。
 上手く言葉にできない自分へのもどかしさやら何やらが、また龍麻への八つ当たりへ向かってしまいそうになるのをなんとか押さえながらの言葉探しは、なかなかに大変な作業だった。
「その。逃げねェから」
 少し、手のひらの下にある頭から緊張が解けたのに押されて、続ける。
「あんま、情けねェこと言うなよな……」
 そうさせている原因の大元が自分であることは、一応承知の上だったが。
 あの嘆き様は、当の京一ですら哀れになってしまったほどで。
 ああもうコイツはホントになぁッ。などとぼやきつつも。
 変人で情けなく阿呆でバカだからとスッパリ切り捨ててしまえない部分が本当に困りもので。
 ここまできても口で言うほど嫌いになれない上に、なんだかんだ言って無視したり放っておいたりはできないのだ。
 だから、つまり、やはり。
 ―――そういったことなのだろう。
「ええと、京一さん。それってつまりええとその」
「お前、ここで確認しやがったら殴るぞ」
「ハイ。スミマセン……」
 叩かないと言った傍から殴ると言っている矛盾に気づいているのかいないのか。それとも叩くと殴るは違うと言い張るつもりなのか。ともかく情けなく恥ずかしい確認を取ることを止めさせた京一は、それでもイマイチ本当にいいのかどうか計りかねているらしい未だ正座の緋勇龍麻を無理矢理立たせると、その手をひっつかんで言った。
「とりあえず、場所変えるぞ」
「ああ、そうだな……」
 それら全てに対して、龍麻に否やがあるはずもなく。
 まったくなんだって俺がわざわざこんな引っ張ってやらなきゃなんねェんだちきしょう。などと憮然としてガツガツ歩く京一に引きずられながら。
 唐突に降って沸いた幸運だというのに、不幸になれきってしまったせいか実感が掴めず、嬉しいはずの緋勇龍麻の頭はと言えば、半壊した己のアパートに対しての明日からの生活の不安がひしめいていたりした。
 だがそれもまた、一瞬のことだろう。
 今はただ、せめて不幸慣れした彼がまたも己の失言によってこの好機を失わないことを祈るばかりである。




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ときめき☆ラブバトル
▽内容:京一のことが好きすぎてネジがとんでる系主人公のドタバタラブコメディの9作目。
                                                           




「相手を、よりときめかせた方が勝ち」
 ある日、龍麻がそんなことを言い出した。
 なに言ってんだこいつ。と思ったものの、不覚にもその直前、京一は敵の一撃を受けるところを龍麻に助けられ、ほんのちょぴっとではあるけれども、トキメいてしまっていたのである。
「ときめいたか?」
 敵の攻撃を手甲で受けとめ、弾かれたところを龍閃脚で一撃粉砕した龍麻は、沼地に足を取られて不安定な態勢で剣を構えたまま固まっていた京一を振り返り、そんなことを言った。
「ア、アホッ、誰がときめくかッ!」
 咄嗟に否定するけれども、ほんのちょぴっとでもトキメいてしまった為、僅かに勢いが削がれている。そのせいか、龍麻は余裕の表情ですいと一歩、京一へ近付いた。
「嘘つくなよ」
「嘘じゃねェッ!」
 あくまでも認めたがらない京一。龍麻はそれでも笑みを崩さないまま、沼地に足を取られたままの京一へと手を差しだして、サラリと意味不明なことを言う。
「ま、悔しければ、それ以上に俺をときめかせればいいし」
「はぁ?」
 どういう理屈だ、と京一が胡散臭そうに龍麻を見れば、ニッコリという笑みだけがそこに。見慣れすぎた嫌な予感を覚える笑顔に、あとずさろうにも沼地では上手く足が動かない。そして、逃げ腰になった京一の腕を差しだした手でガッチリと掴んだ龍麻は、表情を変えないままに京一を見つめ、口を開く。
「勝負しないか、京一?」
「勝負~?」
 龍麻が挑んでくる勝負。そんなものがマトモであるワケがない。瞬時に経験から悟った京一だったが、しかし勝負と名がつけば引けないのが男というもの。少なくとも、蓬莱寺京一はそういう性質である。再び胡散臭い物を見る目を龍麻に向けたものの、その瞳の奥にはユラユラと負けん気の強い炎が。
「ああ、勝負。ルールは簡単」
 だがしかし。京一が経験で瞬時に悟ったように、どうにも相手は緋勇龍麻なのである。
「相手を、よりときめかせた方が勝ち」 
 ―――かくして、よくわからない内に、【ときめきバトル】が開催されることとなってしまったのだった。


「ときめかせるッたってよォ……」
 実際には、こんなバトルに参加する義務なんてこれっぽっちもないのだが
「じゃ、決まりな」
 なんて龍麻に笑顔で言い切られてしまえば覆すことは難しく。
「出来ないのか?」
 なんて挑発されることは目に見えているし、勝負を挑まれれば男たるもの背を向ける訳にはいかねェ。などとも思うし。何より、不覚にも龍麻にときめいてしまったことが、京一のプライドと対抗心を刺激していた。
 そんなわけで、このままで終わる訳にはいかねェと勝つ決意をしたはいいものの……はたして龍麻をときめかせるにはどうすればいいものか、見当もつかない京一なのであった。
 そもそも、龍麻が自分に惚れてるというのは嫌というほど知っている京一だが、女らしい所など微塵もない自分の一体どこを龍麻が気に入っているのかが、サッパリわからないのだ。以前聞いてみたことはあるが、
「そんなの決まってるじゃないか。全てだよ、ス・ベ・テ♪」
 などと抱きつかれつつ言われ、まったく話にならなかった。勿論その時は、きっちりと天地無双をくらわせておいたのだが……。
「ひーちゃんって……どーやったら、ときめくんだ!?」
 一人頭を悩ませる京一。何より頭にくるのは、龍麻が余裕綽綽な顔をしていることだった。考えて見れば、龍麻は京一の好みを良く知っている。女の子の好みから、食べ物の好みまで。大抵のことは龍麻に話しているだろう。けれども、いざ逆となると―――これがまた、サッパリ分からないのだった。食べ物の好みは多少知っている。性格だって性質だって、これだけ(半強制も含む)一緒にいれば分かってはくる。けれども、肝心の恋愛事となると―――なにしろ緋勇龍麻はご覧の通りに蓬莱寺京一ラブな為、誰もその実物の京一以外の好みだとかは、全く分からないのであった。一見、京一に有利なように見えたこの勝負。だが蓋を開けてみれば、殆どの人が龍麻有利の票を出す始末だった。
「クソッ、俺はぜッてェときめかねェからなッ!」
 龍麻の顔を恨めしげに睨みながら、そんなことを決意してみたりもする。いまだかつて、龍麻にときめいたりすることは殆どなかった筈。
「大体、龍麻のヤロウは俺に惚れてんだからなッ。ラクショーだぜッ」
 と、自分にいい聞かせてみたりもするのだが―――意識してときめかせる、ということが分からないものには、仕掛けようもない。しかもこのことは、いつもの通り『緋勇龍麻と蓬莱寺京一をくっつける会』によって全校に知れ渡ってしまっている。いつも緋勇から逃げている蓬莱寺京一は、一体どんな手段で緋勇龍麻をときめかせるのか……。などと、期待を込めて観察されていては、何も出来ない。
 龍麻は龍麻で、いつ仕掛けてくるか分からず、それにときめかないための心構えも必要だったりするので、開始当日から、京一はかなりへばっていた。
「わ、わからねェ……ッ」
 頭を抱えて、ワシワシとかきまわし、ことの元凶の背中を睨み付ける。龍麻は呑気に雑誌なんかを見ていたりして、余計に京一のカンに触った。
「(クソッ、余裕ぶりやがって…ッ!)」
 胸中で毒づいていると、突然に龍麻が振り返って目があってしまい、京一は焦る。何しろ、文句を列ねていたところだったので、なんだかバレたようできまずい。だがそんな京一のことなど露知らぬであろう龍麻は、ギクリと固まってしまった京一に不思議そうな顔をしている。しかも、どうしたものか分からず結局顔を背けてしまえば、何故か立ち上がってこちらへとやってきた。心配そうな顔で。
「な、なんだよッ」
 きまずいまま、まるで威嚇するかのような京一に、しかし龍麻は気遣う顔を崩さない。気味悪がって思わず逃げ腰になれば、
「大丈夫か、京一?あの勝負、そんなにお前が嫌なら、気にしなくていいからな?」
 なんて言ってくる。お前こそ、勝負中だからそんな無駄に紳士的なんだろ。と思ったけれども、それは言わないでおいた。何故なら、分かってはいても、嫌味でなくそんな風に……まるで告白される前の時のように振る舞われると、不覚にもときめいてしまうので。
「うるせェッ、ぜってェときめかせてやるからなッ、覚悟しとけよ!」
 誤魔化すように叫んだら、龍麻は案の定してやったりという顔をして
「楽しみにしてるよ♪」
 などとぬかすので、ムカつきついでに机の下から脛をけどばしてやった。
 その時の龍麻の顔は見物だったぜ。とは、当然、京一の談。

 ―――果たしてこの【ときめきバトル】、どちらに軍配があがることやら……。




 ときめきバトルの開始から、一夜開けた今日―――天気は快晴、風も気持ち良く、非常に清々しい朝が訪れていた。……の、だが。バトルの当事者・蓬莱寺京一はと言えば、気分はどんより、表情もらしくない程に思いつめたもので、天気にそぐわないことこの上ない。いつもならば、このバトルのことを知っている全校生徒達が朝の挨拶代わりとばかり、口々にからかうところだろうが、京一のあまりの様子に怖れをなしてか、珍しく静かな登校となっている。―――もっとも、遠巻きにされてはいても、確実に話題を独占してはいるのだが。
 そんな状態の京一に声をかけられる人間は多くない。扱いに慣れている醍醐雄矢、桜井小蒔、美里葵。もう一人のバトル当事者である緋勇龍麻。―――そして、もう一人。―――そう、地面を睨みつけるようにして、ぶつぶつと何事かを呟きながら、鬼気迫る表情で歩く京一に声をかけるような、そんな命知らずな一般人が、たった一人だけいた。
「よーっす、蓬莱寺! 今日は思う存分ときめけよ☆」
 毎度毎度、余計な一言に命をかけるクラスメートである。
「………ッ」
 毎度のこと故に、対する京一も慣れたもの。どんよりと暗い表情のままの反射的な木刀一閃で、一瞬後には命知らずのクラスメートは地面に倒れ伏して痙攣していた。
「うるせェ」
 さらにトドメとばかり背中に木刀を突き刺すようにすれば、ぐえと呻いたクラスメートだったが、なにしろ生命力だけは人間外。懲りずに弱々しい声ながらも、さらに余計なことを口走る。
「……だい、じょうぶだ……。今日は、お前の……ときめきメモリアル……ッ!!」
「………」
 京一は無言で片脚でクラスメートの背を踏みつけ、一旦木刀を高く引き上げると―――再び、勢いよく彼の背中へと突き刺した。
「ぐがぁっ!」
 最後に一声あげて、今度こそクラスメートは余計な一言を塞がれる。―――もっとも、そう長い時間をかけずに復活するだろうが。
 ともかくも、それが二・三度痙攣を起こした後にぱたりと動かなくなったのを確認すると、京一は再び暗い表情で歩き始めた。
 なにしろこの【ときめきバトル】は、今日も引き続き行われる。それを思えば、どうしたって顔が暗くなるのはしようがなかった。
 ―――しかも、京一は昨日。ほんのちょっぴりではあるが、ときめいてしまったのだから、蓬莱寺京一、一生の不覚である。
 しかも、相手をときめかせる手段というのが皆目検討もつかない。
 緋勇龍麻が蓬莱寺京一に惚れていることは、真神学園の全校生徒・教師、はては近隣の他校生や近所のおばさんに至るまで知れ渡っている事実である。しかし、その経緯というか、どういったところを、どんな風に好きになったのかを知っている者はあまりいない。いや、いるのだろうが、あまり参考にならない言動しか聞いた者がいないのである。
 京一自身、龍麻は以前からそのようなことを言っていた記憶はあるが、ずっと冗談だと思って気にも留めていなかったので、正確にいつから言いだしたかは覚えていない。京一がようやく龍麻の気持ちを思い知らされたのは、9月の『緋勇龍麻・朝の大告白事件』の時なのだ。
 京一からすれば、それは心底から寝耳に水で思いもよらないことであった為、龍麻が急変したようにしか見えなかった。そのせいもあって、未だに龍麻が自分のどこをどう好きになったのかが分からない。分からないから、当然、どうすればときめくか、など分かるはずもなかった。
 一応、一般的な男女の例で考えてはみたものの―――そんなことは、恥ずかしいか気色悪いかのどちらかで、とても出来そうにない。
 そうやって昨夜、延々と普段使わない脳味噌をフル回転させて作戦を練っていたのだが、結局は徒労に終わっている。得たものなど、眠気と睡眠不足による頭痛と苛立ちくらいのものだった。負けたくないという気持ちはあるのだが―――現在のところ、全くのお手上げ状態と言っていい。
 しかし、考えてみれば京一は、別に龍麻をときめかせたいワケではない。むしろ、ときめかれると何かアレだ。要は勝負に負けなければいいのである。仕方なしに京一が立てた作戦とも言えない作戦は、至極単純で、消極的な―――
「こうなったら、ぜってー何があろうと、ときめかねェッ!!」
 と、いうものだった。
 別段そこまで意気込まなくとも、普通に生活している限りにおいて、京一が龍麻にときめくことなどない。少なくとも、龍麻が京一への燃え盛るラブパッションを惜しみなく晒け出すようになってからは。
 しかし、緊張するなと言われれば緊張し、やるなと言われればやりたくなるというのが人間の不思議。意識してしまうことによって、結果、避けようと思っていた事態に陥ることはままある。
 今の京一の身構えようからすると、龍麻が目の前に現れただけでドキリとしてしまいそうだ。それを「ときめき」と言うかどうかはともかくとしても、そうなり易い状況になってしまっていることは確実だろう。
 自ら墓穴を掘っていることに気づいていない京一は、暗いながらも決意を秘めた表情で、一歩一歩、嫌々ながらに学校へと歩を進めていった。


「でもさー、どうやって《ときめき度》なんて測るの?」
 三年C組の教室では、緋勇龍麻を始めとして遠野杏子・裏密ミサという『緋勇龍麻と蓬莱寺京一をくっつける会』の筆頭メンバーが揃ってバトルの更なる準備を進めていた。
 その様子を半ば呆れ半ば感心しながら見守っていた小蒔は、首を傾げて教室後ろの黒板にピンク色の枠のついた電光掲示板を二つ並べて設置しようとしている三人に尋ねる。
 そう。問題はそこである。
『相手を、よりときめかせた方が勝ち』
 とは言っても、相手がどれだけときめいたかなど、見ているだけでは分からない。僅かな《ときめき》では外から見ていても分からないだろうし、例え激しい《ときめき》を感じていても、人によっては表情に出ない人間もいるだろう。勝敗がかかっているのだから自己申告はアテにならない。
 ならば、どうやって対象者がどれほど《ときめき》を感じているかを調べるのか?
 そもそも、《ときめき》の強さなどあるのだろうか。
 が、しかし。
 そんな当然とも言える小蒔の疑問に、緋勇龍麻は自信満々で答えた。
「心配するな。こんなこともあろうかと、裏密と共に密かに開発していたものがある」
「……ふぅん……」
 一体この男。いつも何を考えて生きているのか謎である。ときめき度の測り方を用いる日が来ると思っている人間など世界に何人いるのだろうか。
 何かツッコミを入れるべきか小蒔は一瞬迷ったが、どうせ何を言っても無駄な気がして相づちを打つに留める。正しい判断だ。
「ひょっとして、ソレがそうなの?」
 小蒔が指を差したのは、龍麻たち三人が教室後ろの黒板に取り付け終わったらしい電光掲示板だった。龍麻が自信満々に胸を張って答えている間に、遠野杏子が更にその上に模造紙を張り終えたのが見えたのである。薄いピンク色の模造紙には、色とりどりのマッキーで丁寧に文字が書かれていた。

『恋するアナタの☆ときめきポイント』

「…………」
 時たま、小蒔は疑問に思う。
『ひーちゃんて……本当は京一に嫌われたいのかなぁ……』と。
 今や緋勇龍麻の蓬莱寺京一への愛情は誰も疑ってはいないが、それでもこういうものを目の当たりにすると、どうにもわざと嫌われるようなことをしているとしか思えなくなってくる。それとも本当にわかっていないのだろうか。それにしては回数が多いので、だとしたら京一を振り向かせることよりも諦めた方がずっと平和で早いと思うのは、友達甲斐がなさすぎるだろうか……。そんなことまで思わざるを得ない。
「ああ。この《ときめき測定マシーン・ときめきドキュン》があれば、対象がどれだけときめいているのかが分かるんだ」
 どうやって……。
 緋勇龍麻の言葉を耳に入れてしまった人間は、総じて同じ疑問を頭に浮かべたが、聞いても恐らく己の常識が崩壊し理不尽な思いをするだけだろうことが分かっていたので誰も問い掛けはしなかった。そんなことばかりに慣れていく自分に、時折ふと遠い目をしたくなる生徒もいたことだろう。
 そしてシステムが不明すぎて怪しいことよりは些細な問題だろうが、蓬莱寺京一の耳に入れたなら、それだけで破壊されそうなネーミングも生徒達をぐったりとさせる。何故そうやって一々火に油を注げるのか。ある意味才能なのかもしれない。
「う~ふ~ふ~ふ~ふ~……。後は~京一く~んに、コレを飲ませればいいだけよ~」
 更に。そう言って裏密ミサがマントの影から取りだしたのは、赤い飴玉のようなものが入った小瓶。
 小蒔と、そして周囲にいたクラスメート達の視線がそこへ集中する。
「…………」
 そして、ほぼ同時に彼等は天に祈った。
『蓬莱寺よ、安らかに……』
 具体的に何がどうなるとは分からないが、少なくとも蓬莱寺京一にとって望ましくないことだけは確かだろう。
 だが分かり切っていてそれを止める者は誰もいない。忠告や疑問を挟むには、どうにも相手が悪すぎるのだ。何しろ相手は緋勇龍麻であり、裏密ミサであり、遠野杏子である。もっとも―――幸いなことに、彼らの犠牲になるのは大抵の場合が蓬莱寺京一のみなので、あえて口を挟んで己の身に火の粉が降りかかるような愚挙を冒しさえしなければ、特に害はないのだが。『緋勇龍麻と蓬莱寺京一をくっつける会』の筆頭は、同時に学園内の『触らぬ神にたたりなし』な人間の筆頭でもあった。
「つまり、これを飲んだ人間の《ときめき度》が、この電光掲示板に表示されるというわけだ。分かりやすいだろ?」
 得意げに笑う緋勇龍麻を前に、小蒔は曖昧に頷いておく。
《ときめき度》などというあやふやなものを、目に見える数字として表してくれることは確かに分かりやすい。だが、その分だけ仕組みが怪しいことこの上なかった。何故、薬を飲むと電光掲示板に《ときめき度》が表示されるのだろうか。こういう場合は、せめて機械を着けるとかではないのだろうか。薬と電光掲示板の因果関係はどこにあると言うのだろう。出来るというのなら説明してもらいたいものだ。彼らの中の『分かりやすい』という概念がそもそも他の人間と違うらしい。
 小蒔がなんとも言えない表情で龍麻と電光掲示板を見上げていると、遠野杏子が先がハート型をした怪しげなコンセント(恐らく)を手に振り返る。
「龍麻くん、それじゃあスイッチ入れるわよ?」
「ああ、頼む」
 龍麻はそれに頷いて答え、遠野杏子はおもむろに―――そのコンセント(多分)を、教室後方にあるプラグに差し込んだ。パッ、と電光掲示板の左側の枠内に数字が表示される。
『53』
 数字を確認した龍麻と裏密は互いに頷きあい、
「よし、正常だな」
「大~成~功~」
 などと言っていた。
「53って、どれくらいのときめき具合なの?」
 数字が示されても、基準が分からないことには判断のしようがない。血圧と同じということはないだろうから、小蒔は数字を指さしながら尋ねてみた。
「平常時が50。今の俺はほぼ平常値ってことだな」
「ふーん。……じゃあ、最高値ってどれくらい?」
 50が平常時とするのなら、大体100くらいだろうか。そう予想しながら更に問い掛けると、龍麻はやや考え込む風情で顎に手をあてる。
「そうだなぁ……特に決まってはないが……。人と時と場合によっては1000くらい行くこともあるんじゃないか?」
「……それって、どんくらいのときめきなの?」
「さぁ。さすがに1000となると、ときめいて死ぬくらいだと思うが」
「……それって、ときめきなの?」
「一応な」
 さらりと事も無げに言ってのける龍麻を見上げ―――小蒔は、もう何も言うまいと、小さな溜息を落とした。





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ジュヴナイル|魔人学園剣風帖

インターバル・ラブチェイス
▽内容:京一のことが好きすぎてネジがとんでる系主人公のドタバタラブコメディの8作目。オリジナルモブキャラが何故かレギュラー化して出張ってきているのでご注意。
                                                           





「なにィッ!? 緋勇が重体!?」
 その日、真神学園に衝撃が走った。
「そんな……。どれほど酷い目に合わされても、血の池を作っても、笑って蓬莱寺先輩に躙り寄っていた緋勇先輩が……!」
「あの、毎日毎日、蓬莱寺に完膚無きまでにぶちのめされてた緋勇が、そんなバカな!」
「嘘でしょ……。最早人間とは思えないあの回復力とゴキブリ以上の生命力を持つ緋勇くんが、意識不明の重体なんて、あるわけないわ!」
「ヤツにそこまでの傷を負わせるられるのは、ガ○ダムぐらいじゃなかったのか!?」
 そう。真神学園の歩く災厄、蓬莱寺京一マニアにして地球の全てを蓬莱寺京一中心に回す男・緋勇龍麻は、なんと敵の黒幕である柳生宗崇の凶刃によって、意識不明の重体になってしまったのである。長時間をかけた手術はなんとか成功したものの、かろうじて一命をとりとめたに過ぎず、二日経った現在も休みなしの霊的治療が続けられている。そして未だ龍麻の意識が戻る気配はなく、危険な状態が続いていた。
 本人を見ていると全くもって信じられないが、うっかりと重い宿命を背負っていた龍麻。その全てが解き明かされた後の悲劇である。仲間たちの衝撃は大きかった。だが、事情を知らない筈の一般の生徒にまで、その衝撃は伝わったのであった。
 なにしろこの緋勇龍麻という男。生徒が叫んだ通りに、誰からも不死身のように思われていた。いや、むしろ人間とは認識を異にされていた節さえある。それもその筈。龍麻は連日のように、クラスメートにして親友にしてさらには相棒でもある蓬莱寺京一に対して、果敢を通り越して無謀というか、もはや自棄っぱちというか。ともかくも、ただひたすらに熱烈ラブアタックを敢行していた。そして毎回、必ずと言っていいほど、返り討ちにあっていたのである。これが単なる高校生ホモならばそれも問題なかったかもしれない。だが、相手は志を―――多分―――同じにする仲間であり、人外の力を使うことのできる者。しかも蓬莱寺京一は龍麻に次ぐ実力を持つ、完全なる攻撃型にして接近戦を主とする剣士。さらにはいつ敵に襲われるともしれない状況の中、常に持ち歩くのは、木刀は木刀でも、最強の名を冠する阿修羅。何故かそこらの日本刀よりよほど殺傷力のある不思議な一品である。当然、龍麻はボロボロになる。血も流す。真神学園内で、緋勇龍麻の血が流れない日はないとさえ言われるほどに、それは日常茶飯事であったのだ。
「あら、緋勇くんったらまた血の池に倒れてるわ」
「蓬莱寺くんとケンカしたのねー」
「相変わらず仲がいいよね♪」
 蓬莱寺京一が聞いたら激怒しそうな会話を聞くこともほぼ毎日。ああ、今日も鳥が空を飛んでいるなぁ。ぐらいに、当たり前の光景なのである。そして、そんな血の海をつくるほど連日コテンパンにやられてたとしても、すぐさま―――長くても1~2日で傷など奇麗さっぱりなくなり、何事もなかったかのように、またも蓬莱寺京一へ突進をしている緋勇龍麻というのも、真神学園においては当たり前の光景だった。
 普通の人間ならば何度死んでもおかしくない怪我をし続けていた緋勇龍麻が、よりにもよって怪我をして入院―――それも意識不明の重体で命も危ないとは―――真神学園の生徒にとって、まさに青天の霹靂、寝耳に水。それどころか、太陽が西から昇ってきたというほどの衝撃である。殆どの者は、まず信じなかった。カレンダーで今日が四月一日でないか確認した者も多数いる。信じて心配した者はほぼ皆無であり、嘘をつくなと笑い飛ばした者が大半を占めた。だが、沈痛な面持ちの醍醐や美里、小蒔等を見て、ようやく真実らしいことを知った彼らは、次に―――パニックに陥った。なにしろ、彼等からしたら、有り得ないことが起こったのだから。
「緋勇が怪我で重体なんて……。そんなバケモノがこの世にいたなんて……!」
「もう終りだーっ! この世は滅んでしまうんだー!!」
「蓬莱寺に何度も何度も殺されかけて死ななかったあいつが死ぬくらいだ……。俺たちなんて一瞬であの世行きだぞ!」
「あたし、あたし、まだ死にたくない~っ」
「もうこの世には神も仏もいないのかッ!?」
 世界的大災害が起こったかのような取り乱し様である。逆に、彼等を見た醍醐らが落ち着きを取り戻してしまうほどの取り乱し方だった。
 未曾有の大混乱に陥った真神学園。
 だが、その様を見て、遂にキレる者が一名――――。
「うるッせェエエエエッッッ!!」
 卓袱台返しをしかねない勢いで叫んだのは―――話題にだけは先程から上っている、蓬莱寺京一その人であった。
 校舎を揺るがしかねない大声に、皆叫ぶのをやめて押し黙り、突然立ち上がって叫んだ京一の方を呆然と見やる。
「グダグダうるせェんだよッ。あいつだって一応、人間なんだッ。傷つけりゃ怪我するだろ」
 恐らく、この世で最も多く緋勇龍麻に怪我を負わせた男の言葉だけあって、確かにそれは真実であった。しかし、確かに大怪我はするのだが、緋勇龍麻は死なない。あっという間に傷を治してしまう。非常識な回復力と気力でもって。
「そりゃそうだが。それにしたって、アノ緋勇が、死にかけてんだろ?」
「死んでねェッ!」
「どんな大怪我も一瞬で完治してた、顔にだけは死んでも傷を残さなかった緋勇くんが、二日も昏睡状態なんて、充分異常だわ!」
 世間一般の常識に照らし合わせて言うならば、どんな大怪我も一瞬にして完治する方がよっぽど異常ではあるのだが、一部の非常識な人物のせいで、この学園の常識は幾分ズレてしまっているらしい。
「――――」
 身をもって龍麻の異常さを知っている京一は、さすがに押し黙る。唇を噛みしめて、京一の手がいつもの太刀袋を握り締めた。
 教室を、重苦しい空気が支配する。
 いつもの嫌になるくらいハイテンションな雰囲気は、あの非常識な人間一人いないだけでこうも影を潜めるものなのか―――。皆が慣れないシリアス気味な雰囲気をどうにかして打破しようと各自悪戦苦闘していた時―――全てをぶち壊す勇者が一人、存在した。
「そんなに緋勇を心配するなんて……さすが蓬莱寺。世話女房だなッ!」
 場の雰囲気を弁えない男が、龍麻の他にもう一人。常に人の神経を逆なでするような、余計な一言ばかりを口にするクラスメートだった。
「…………チッ」
 ほぼ間をおかず、太刀袋に入ったままの木刀がクラスメートの頭部を直撃する。
「ゲグガァッ……!」
 皆が見守る中、慣れたように床に倒れ伏した男子生徒だったが、他のクラスメートは誰一人として駆け寄らない。何故なら、彼は緋勇龍麻と共に人間でない程に丈夫なアホの一人だったからだ。
「誰が心配なんかすっかよッ! どーせアイツのこったから、この機会に二日くらい意識不明にして心配かけようって魂胆だろ」
 自棄のように言い放った京一の台詞に、皆一様に手を叩いて納得する。
「成程、ヤツならやりかねん!」
「ううん、緋勇くんのことだもの……。『京一がキスしてくれなきゃ起きない』ぐらい言いかねないわ」
「さすが緋勇。転んでもただでは起きないな!」
 そんな理由で納得してしまう辺り、この学校……特にこのクラスは色々と何かを間違えてしまっているようだ。
 そして皆がようやく安堵して普段のざわめきを取り戻し始めると、それまで妙な流れのために置き去りにされていた美里が念を押すように微笑む。
「ええ、あの龍麻ですもの。京一くんが『起きたらデートしてやる』とでも言えば、きっとすぐに戻ってくるわ。―――例え死にかけていたって、龍麻ですもの。地獄の果てからだって、戻ってくるわね」
 聞きながら皆、実際に地獄の果てから戻ってくる龍麻というのを想像し――――ある者は笑い、ある者は怖れ、ある者は安堵する。誰もがその姿を安易に想像できてしまうという辺り、緋勇龍麻という人間の普段の行いが見えるというものだ。
「よし、そうとなったら蓬莱寺、さっそく緋勇の看病にいけ!」
「そうだよ。蓬莱寺が傍にいれば、緋勇くんの怪我の治りも絶対早いって♪」
「こうなったら、皆の精神安定のためにも、脅しても誘惑しても緋勇を起こしてこいよ、蓬莱寺!」
「大丈夫だ、蓬莱寺! コレを着て看病すればそれこそ閻魔大王すらなぎ倒して緋勇が舞い戻ってくること間違いなし☆」
 俄然活気づいて、皆が京一を応援したり強引に龍麻の看病へ行かせようとする中、先程京一の一撃によって退治されたはずの男子生徒がムクリと起き上がり、こめかみに青筋を浮かべあがらせ始めている京一に、紙袋を押し付ける。
 なんとも言えない予感が、その場にいた全員に走った。
 京一に詰め寄っていた生徒達は、自分の持ちうる全ての瞬発力を発揮してその場から飛びすさり、美里と醍醐と小蒔は額に手をあてて溜め息をもらし、そして最後に京一は―――満面にやり遂げた笑顔を浮かべる男子生徒の顔から紙袋の中へと視線を落として―――とりあえず、尋ねてみた。正直、聞きたくなど全くなかったが。
「……鈴木。今度はなんだ?」
 コレ、ではなく今度、と言う辺り、京一も慣れてしまっているらしい。クラスメート達の反応を見れば、よくあることだろうことも予想がついた。
「ミニの白いナース服に聴診器に尿瓶まで取り揃えた、スペシャル看護セットだ。これで緋勇も完全復活さ!!」

 ドガバキグシャドゴボグ。

 ―――――数秒後、真神学園3-Cには、屍がひとつでき上がった。






 某男子生徒のソレは別として。京一は結局、クラスメート達に強制的に持たされた様々な見舞いの品を持って、桜ケ丘病院を訪れていた。意識不明の重傷である人間に対して、見舞いなど意味を成さない上に、24時間集中治療中の病室にそんなものが持ち込める筈もないのだが、今更なので突っぱねることもしなかった。昨日さっそく仲間達が持ち込んだ多量の見舞いの品も、同じように行き場もなく開いている病室に押し込まれている。今日持たされた物も、新たにその山へ加わるだけだ。
 まずは既に物置のような様相を呈している病室へ、多量の見舞いの品が入った紙袋を適当に押し込めると、京一は普段ならば近寄りもしない岩山を探して、院内を歩く。相変わらず人気のあまりない病院だった。つい先日、龍麻がここに運び込まれた時の喧騒が嘘のように静かだ。
 あの夜の記憶は、殆ど残っていない。皆、似たようなものだろう。忙しなく騒がしく……意味もなく動き回っている者が多かった。美里や高見沢は具体的に龍麻にしてやれることがあったが、他の仲間達は―――京一も含めて、何ひとつ出来ることなどなく。殆どが強制的に帰され、残ることを無理矢理承諾させた京一も、手術室の前でただ待つだけだった。
 クラスメート達の言は、他人事ではない。京一もまた、あの瞬間まで龍麻がいくら殺しても死なないような人間外だと思い込んでいたのである。そんなことはない、と一応曲がりなりにもヤツは人間の範疇に入る筈だ、という心の声が皆無ではなかったものの、言い聞かせなければ忘れてしまいそうな程には、京一にとって龍麻は死にそうもない人間だった。
 普通、特別病気を患っているのでもない限り、そうそう死にそうだ、などと思ったりはしないだろうが、それとも違い。実際、京一は普通の人間なら死ぬであろう所業を、何度となく龍麻に対して行ってきているわけで。時には本気で殺してやろうかという気になり、全身全霊をかけて技を向けたこともある。だが、龍麻は死なないどころか、血を流しながらも笑って、京一の神経をさらに逆なでするようなことばかりしてきたのだから、『殺しても死なない』という認識が京一やクラスメートに植え付けられてしまったのも仕方がない。
 だが今回の件で、冗談のように非常識極まりない回復力と生命力を持つ龍麻も、一応は人間だったことが判明した。初めての事態に、『死ぬわけがない』と信じる心にも影がさす。本来なら即死してもおかしくない傷だったらしいのに、しぶとく今まで持ちこたえているのだから、今回も大丈夫だ。そう言い聞かせても、面会謝絶の札を見る度に、もしやという気持ちが沸き起こってくる。
 大丈夫だ、あのアホのことだから、きっと人を驚かせようとしてるだけだ。
 何度も言い聞かせるのだが、今までが今までだっただけに、不安も余計に大きくなってしまう。
 結果、らしくもなく、できる限りの時間を、この桜ケ丘で過ごすハメになっていた。
 自惚れではないが、皆の言っていた通り、龍麻のことだから自分がいたらいきなり起き上がってくるのではないか、という可能性も考えられたので。
 岩山の姿は、ほどなく見つかった。というか、見つけられた。おなじみの寒けのする笑みを浮かべて手招きをされた京一は、思わず数歩後ずさってしまったが、今は逃げてもいい状況ではないことを思いだし、なんとか踏みとどまる。
「よ、よォ……。ひーちゃんの具合、どーだ?」
「ひひひ……。心配かい? あの坊やも愛されてるねぇ……」
「ザケンナ、ババァッ」
 ガン、と即座に岩山の鉄拳が京一の頭を襲った。
「いてーッ」
 かなりな重量と堅さを持つ岩山の拳は、並の男の鉄拳よりも痛い。京一は殴られた頭を押さえて数歩逃げ、恨みがましく岩山を睨む。
「静かにおし。ここをどこだと思ってるんだい」
 殴られた箇所は痛く、先程の言葉にも言いたいことはあったが、確かに病院は騒いで良い場所ではない。京一は渋々と反論を諦め、その代わりに声を潜めて、最初の質問を繰り返した。
「……で、ひーちゃんはどうなんだよ」
 再度の問いに、今度は岩山も茶化すことはやめて、真剣な医師としての表情で答えてくる。
「集中治療室からは出た。ただ、怪我はともかく、それを治すために疲弊した本人の基本的な生命力が問題だね。これ以上の霊的治療の多用は逆に体に負担をかける―――。定期的に治癒は続けるが……後は本人次第だよ」
 集中治療室は出たという言葉に安堵しかけたが、続く言葉と岩山の表情の厳しさに、京一は再び落胆せざるを得ない。そうか、と短く呟いた京一の背中を、岩山が励ますように強く叩いた。
「そう落ち込むんじゃないよ。そんな暇があるなら、とっとと病室に行って、名前でも呼んでやりな」
「だからなんでそうなるんだッ」
 緋勇龍麻と蓬莱寺京一をくっつける会の手は、どうやらこんなところにまで伸びていたらしい。
 京一はまたムキになって喚いたが、相手が岩山ではどうにも分が悪く、結局は龍麻が寝かされている病室へと押し込まれてしまった。
 さすがに病室で騒ぐわけにもいかず、ドアが閉められたこともあって、京一は大仰にひとつ息をついてから、壁際に立て掛けてあったパイプ椅子を広げると、そこに座る。
 病院らしい簡素なベッドの上に、龍麻は寝かされていた。
 首から下は布団がかけられているので、あれほどの血を流していた傷がどうなったのかはわからない。常にわけのわからない単語やら言葉やらを吐き続け、五月蝿いこと極まりなかった口は微かな呼吸をするのみで、何も語りはしない。
 別人のように血の気のない龍麻の顔を見つめ、京一は眉をひそめた。
 動かない龍麻というのは、こんなに不気味なものだったのかと。
 いつもは、必要以上に動き回るというのに。いつもは、無駄極まりなく、五月蝿くまとわりつくというのに。京一がこれほど傍にいても、寝顔を見ていても、目を開けることさえない。
 それが、とてつもなく奇妙に思えた。
 どれほど五月蝿かろうと、鬱陶しかろうと、こんな状態の龍麻を見ているくらいならば、まだマシなような気もする。なにしろ、対処の仕方はわかっているので。こんな、死人のような龍麻は―――どうしていいのか、わからない。
 いつもみたいに、怒鳴ることも。叩くことも、殴ることも、蹴ることも、勿論斬ることもできない。動かないのだから、京一が怒るようなことはされないわけで。故にそんな必要はないのだけれども。
 それは、京一にとって喜ばしいことのはずだが、喜べなかった。 
 怒らなくていいのも、必殺技を放たなくていいのも、楽で喜ばしいことのはずなのに――――喜べない。つまらない。こんなのは嫌だった。こんな無くなり方は、どうしても許せなかった。
 どうせなら、完膚無きまでに叩きのめして負かして、もうしませんごめんなさい、許して下さい京一様。と言われる方がどれほど良いか知れない。
―――実際そうしてきて、そういうことを繰り返してきたのだが、そうした懲りない繰り返しこそが京一の日常であり、そしてその日常を―――自分が思いの外、楽しんでいたらしいことに、動くことなく生気すら感じさせない龍麻を見ていて気づいた。

 早く起きろ。
 京一は、龍麻に小さく呼びかける。
「おい、ひーちゃん」
 クラスメートや岩山に言われたからではなかったが、本当に、龍麻ならば起き上がってきそうな気がしたので。
「起きろって。真神一のイイオトコが、わざわざ見舞いにきてやってんだぜ?」
 血の気のない顔。動かない唇。開かない目。
 どれもこれも、龍麻らしからぬものだ。
「いつまでそうしてるつもりだよ。いい加減にしろよな」
 手を伸ばして、顔をつついてみる。
 知るよりも遥かに低い体温に、触れた指が震えた。
「お前いねーと、やっぱ、調子出ねーんだよ……」
 毎日、毎日。くだらないケンカばかりでも。寄ると触ると天地無双でも。
 それがなくては、つまらないのだ。
 最早それが日常になってしまったのだから、仕方がない。
 怒ってばかりでも、斬り殺しかけてばかりでも。
 なんだかんだ言って、それをどこかで京一は楽しんでいる節がかろうじて無きにしもあらずなのだから。
「なぁ、ひーちゃん。起きろって」
 だが、龍麻は起きない。動きもしない。何も言わない。
 京一が呼びかけても、つついても。
 くそぉ。と小さく呟いた京一は、しばらく考えた後、今度は偉そうに言い放ってみる。
「よっしゃ、今起きたら、特別に俺様がデートしてやる。これでどうだッ」
 自信満々だったのだが、やはり龍麻は起き上がらない。
 京一は腕を組んで、再び考え始める。
 デートがダメなら次はなんだろうか。いつもの龍麻ならば、デートしてやる、などと言おうものなら、それこそ空に舞い上がりそうなほど喜ぶこと確実なのだが。それこそ、肋の5~6本折れても絶対に起き上がるはずだ。
 かなりの時間をかけて悩みぬいた京一は、やがて意を決したように顔をあげると、指をつきつけて言った。
「あんまり図にのってんじゃねェぞ、ひーちゃん! これがギリギリ妥協点だからなッ!! 5秒以内に起きたら――――キスしてやる。だから今すぐ起きやがれッ」
 龍麻が聞いたら、耳を疑った揚げ句に壁に頭を自ら打ち付けかねない台詞である。
 照れながら意を決して……というよりも、むしろ宣戦布告といった風情で叫んだ京一だったが、やはり照れも多少混じっていたのであろうか。
「5・4・3・2・1・0ッ!!」
 5秒のカウントは、実質2秒もなかった。
 これではもし龍麻が単に寝ているだけだったとしても、間に合ったかどうか難しいところだ。幻聴ではないかと疑っている内に、2秒は無情にも過ぎていただろう。
 さておき、どちらにしろ、重傷でいまだ生死の境を微妙に漂っているはずの人間には、無理難題もいいところ。いくら非常識が信条の緋勇龍麻と言えど、さすがに死の淵から2秒弱で生還は難しい。
 だが、京一にとってはそんな事情など知ったこっちゃなかった。たとえ死にかけでも。なにしろ緋勇龍麻とは、蓬莱寺京一を手に入れるためならば、それこそマッハ3で飛びかねないような男であったので。変な方向にばかり信頼があるというのも、時に困りものである。
 カウントを終えてからも、龍麻が意識を戻す気配はなかった。指をつきつけた状態で、しばらく待ってみても、やはり龍麻は起き上がらない。
「…………」
 京一は突き付けていた指を下ろして、代わりに握り拳を作ると、憤然と立ち上がった。
「~~~~あーそーかよッ。そんッなに起きたくねーのか。ならもう、ぜってーテメェにゃ、何がなんでも『好きだ』なんて言ってやんねェからなッ!!」
 そして、そう捨て台詞を吐くと、病室を飛び出してしまう。無茶苦茶かつ理不尽な捨て台詞だ。もともと、そんな言葉を言う予定があったかどうかも怪しい上に、意識不明の人間にそんなことを言われてもいきなり起き上がれる筈もない。龍麻とて、できることならすぐさま起き上がりたかっただろう。


 実際、その頃、緋勇龍麻は―――――


「離せッ、離せ矢村ァアアアア!! 俺は帰るんだぁあああ!!」

 ―――暴れていたのだから。

「ど、どうしたんだ緋勇!? 一緒に戦ってくれるんじゃなかったのか!?」
「うるさいっ、お前らの世界を救ってる場合じゃないんだってば! 京一がっ、京一が~!!」
「緋勇くん、いきなりどうしたの!?」
「うわぁああ、ふざけんな焔羅~っ。京一とのデートとキスを返せ~~~~!!」
「京一? 誰のことだ、緋勇っ」
「一生に一度かもしれないチャンスが~! どうしてくれんだバカヤローッ。責任とれー!!」
 某、別世界にて。
 氏神となった緋勇龍麻は、暫くの間、意味不明のことを喚いて勧請師らを困らせた。
 その後、さっさと終わらせるために自棄になってやる気になるまで、かなりの時間を要したと言う―――。




畳む

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ジュヴナイル|魔人学園剣風帖

撃沈ラブチェイス
▽内容:京一のことが好きすぎてネジがとんでる系主人公のドタバタラブコメディの7作目。 
                                                           




 緋勇龍麻はピンチに陥っていた。それはもう彼的最大級のピンチである。思わず空を見上げて「助けて●ーマン!」と、マントをつけたどこぞのヒーローに助けを求めてしまいたい程に。
 ダラダラと冷や汗を流し、無意味に手を握ったり開いたりしながら、錆びついた機械か何かのようになってしまった口を動かそうと必死に試みるも、それは徒労に終わる。何事かを言いかけて、再び閉じられるだけだ。
 そんな壊れた緋勇龍麻の前に立っているのは、蓬莱寺京一。じっと龍麻の方を見ている表情には、次第に苛立ちが混じりはじめている。口はへの字に曲げられ、瞳もわずかに細められて睨む一歩手前。
 二人の間に漂うのは、奇妙に緊張した雰囲気。
 よく見れば、あわあわと何かを言おうとしてはその度に失敗してガクリと肩を落している龍麻の足下には横に一本の線が引かれている。龍麻は五十センチ程の線につま先をつけるようにして立っているのだった。そしてその線から遠ざかること二メートル半のところに、京一が立っている。
 京一曰く、【安全距離】。
 それを保ちながら、こうして静かに対峙すること、そろそろ三十分が経過しようとしていた。一体どういう訳で、いつもいつも追いかけたり追いかけられたりと騒がしいことこの上ない二人が、こんなことをしているのか。
 ことの起こりは、四十分程前―――
 今日も今日とて、緋勇龍麻は絶好調稼働中だった。毎朝の日課である蓬莱寺家へのお迎えに始まり、嫌がらせのような熱烈アピールを飽くことなく蓬莱寺京一へ繰り返すことほぼ一日。既に悟りの境地に達しつつある諦観の視線を宿した京一に、いい加減わかってくれよ俺の愛をいっちょ今日は放課後デートでも、と泣き落としにかかった龍麻へと掛けられた一言が発端である。
「お前のソレ、ほんとに本気なのかよ?」
 という、今更と言えば今更な、京一の一言が。
 むしろそれは嫌われたいのではと周りが疑いたくなる程、ひたすらに執拗に蓬莱寺京一へ愛を囁くというより毎度シャウトしている龍麻。「愛してる」はもはや挨拶。「大好きだ」は口癖のようですらある。そんな状態であれば、出てくる言葉の本気を疑いたくなるのも当然と言えば当然かもしれない。
 言われ慣れてしまった京一はそれらを聞き流し続けているが、龍麻曰く、それらは全て本気だという。あまり真実味はなかったが。行動が大分伴っているので、本気かもしれないと微かに可能性を残してはいるものの、その行動というのがまた、好かれたいと思っている人間の取るべき行動とは思えないものばかりなので、日々周囲の疑問は増える一方だ。
 彼の愛を心底から認め、理解しているのは恐らく……
「オレにはわかってるぜ、緋勇っ。お前のアリジゴクのような愛!」
 無意味に龍麻の味方をしている某クラスメート一名と。
「君の深く切ない愛に僕は心うたれた……。その限りない愛で、僕の分までジェミニを幸せにしてくれ……」
 常に思考は異次元回廊・壬生紅葉ぐらいのものだろう。
 そんな常人には理解しがたい龍麻の愛を、理解しようとし始めたのだろうか。単に機嫌がよろしかっただけなのかもしれないが、ともかくも珍しく泣き落としにかかった龍麻を邪険にすることもなく、至極全うに対応していた京一は、不思議そうに先ほどの台詞を口にしたのだった。
「無論、本気だ!」
 自信満々に緋勇龍麻。
 普段なら軽く木刀の一撃でのツッコミが入ってもいいところだが、
「まーな。ここまで人陥れといて冗談とか言ったら、殺すけどよ」
 京一はさらりとそう言っただけに留める。
 そして独りひやりとしている龍麻を無視して、腕を組んで首を傾げた。
「冗談とは言わねェが、いまいち本気に見えねェのも事実なんだよな」
 やることが大胆不敵で己の損を考えないだけに、さすがに冗談だとは思えないものの……コイツならばこれくらいの冗談を本気でやりかねない。という思いも消えないのが難儀なところである。そんな状態であるので、素直に本気と受け取るのはかなり苦しかった。よほど純粋な人間か、よほどひねくれた人間か、よほど間違った人間でない限り、難しいだろう。
「失敬な。俺はいつでも強気に本気。こんなにお前への愛を活火山のように燃やしてるって言うのに、つれないことを」
 木刀が襲いかかってこないことに安心したのか、龍麻の口が再びベラベラと回りだした。相変わらずな言葉は右から左へ聞き流し、一体何がいけないのかと京一は思案する。考えるまでもなく、それは言葉であり行動であり、元を正せば性格なのだが……。
「そうだッ。ひーちゃん、ちょっと真面目に言ってみろよ」
 今日の京一さんはよほど機嫌がよろしかったのか、いいことを思いついたとばかりに両手をポンと鳴らして言ったのだった。
「だから、俺はいつでも真面目だと言ってるだろう」
 京一の提案に、首を傾げるのは龍麻。あまりにも自信満々に続けた台詞に、京一は少しばかり気が遠くなる。
「お前の真面目はこの際置いといてだなァ……」
 普通の【真面目】と龍麻の【真面目】の違いをどう説明したものか。
 がっくりと肩を落としてしばらく思案していた京一は、やがてパッと顔をあげると、龍麻の腕を掴んで走りだした。
「よし、ちょっと来いッ」
「どうした京一。遂に俺に愛の告白をする気になったか?」
 これまた龍麻の発言はスッパリ無視して、そのまま京一は屋上へと駆け上がり―――龍麻を立たせ、足下に線を引いて自分は距離を置いた場所に立つ。
「その線から出ずに、変に動かねェで、真面目な顔して言ってみろよ。ひょっとしたら、ぐらっと来るかもしんねェぜ?」
 な? と笑って京一にそんなことを言われれば、龍麻が舞い上がらないわけがなく。途端に線を飛びだして京一に抱きつこうとする緋勇龍麻。それがいけないのだということを、どうにも理解できないらしい。反射神経だけで生きているような男である。
「……だから、線から出るなって」
「グハァッ!!」
 それを剣掌・旋で無理矢理留めて、京一は呆れたように溜め息をついた。
 一方、正面からまともに攻撃をくらった龍麻は、額から流れ出る血を拭いながら、ようやく京一に言われた言葉を一つ一つ思い返して確認する。
 足下に引かれた線を出ずに。―――それは京一に近付いたり抱きついたりせずにということだろう。
 変に動かないで。―――飛びついたり、己の愛を表現する芸術的なポーズを取るのも脚下ということだろう。
 真面目な顔をして。―――魂の炎を燃やしたり、海のように広く深い愛に陶酔してうっとりしながらもダメということだろうか。
 色々と考えた結果、龍麻が出せた結論はと言えば――――

『無理だっ!!』

 というものだった。

 京一を前にして何もせずに立った状態で、真面目な顔で愛を語る。―――普段、散々に愛だなんだと言っておきながら、何故かどうにもそれが龍麻には難しいらしい。単に普段している無駄な行動を一切省くだけと言ったらだけなのだが、龍麻の場合このイカレた言動もおおげさというよりも爆発的な行動も全て、京一を前にすると自然に出てきてしまうものなのだ。それらは龍麻からすれば、一つ一つに分解することなどできない必要な要素なのである。何もせずに真面目に愛を語る―――そんなものは、龍麻の行動プログラムには存在しなかった。
 しかし、もしそれが出来れば『ぐらっと来るかも』というのだから、やらない訳にはいかない。第一、京一の方からそんな言葉を聞こうとしてくれること自体が、限りなく奇跡に近いのだ。龍麻が選択できる未来は一つだけだろう。
 そして龍麻は、アイドリング中のバイクのような音をたてる心臓を宥めながら、動かず・騒がず・真面目な顔で言おうと、口を開いた――――。


 そうして三十分ほどが経ち……現在へと戻る。
 つまり、口を開いたはいいものの、結局は言葉を紡ぎだすことができず、冷や汗なのか脂汗なのか。ダラダラよとガマの油のように流しながら、ギクシャクと無駄な努力を続けているのだった。
 龍麻が壊れた機械のようになってから、そろそろ四十分が経とうとした頃。京一は盛大に溜め息をつく。そして目を半眼に細めると―――
「あと五秒」
 短く、非常な一言を言い放った。
「わーっ、ちょっと待ってくれっ。い、今言うから!」
 慌てる龍麻だが、五秒などあっという間である。何を言っていいのかすら、既にわからなくなっていた所に、このカウントダウン。なんでもいい、とにかく真面目な顔で変なことをせずに! それだけを考えてともかくももう一度口を開く。
 だが――――
「あい……ぢブワァッ!?」
 焦っていた上、言葉に迷っていたせいだろうか。龍麻は思いきり―――それこそ噛みきらん勢いでもって―――舌を、噛んでしまったようだった。
 口を押さえた状態でガクリと膝をつき、しばらく震えていたが……
「――――ッッ!!」
 やがて痛みが実感として沸いてくると、途端に声なき悲鳴を上げて、コンクリートの上でのたうち回り始める。
 一方、その様を見ていた京一はというと―――
 のたうち回る龍麻を余所に、木刀を肩へ担ぎ直すなりクルリと背を向けて、屋上を後にしていった。
「ぐぁ……ひ、ひょうひひ……は、はってふれ……」
 そうして、屋上に残されたのは――――
 芋虫のようにのたうつ、これでも黄龍の器な筈の、緋勇龍麻(一八歳)のみ―――――。


 この世の悲哀を噛みしめながら、痛みに耐えていた龍麻の元へ、回復薬を手にした京一が、呆れきった顔で戻ってきてくれるまで、まだこれから十五分ほど待たなければならない。
 それまで、今はただ―――痛みに耐えろ、緋勇龍麻。



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ジュヴナイル|魔人学園剣風帖

逃走ラブチェイス
▽内容:京一のことが好きすぎてネジがとんでる系主人公のドタバタラブコメディの6作目。 
                                                           





 ついにこの日が来た。
 京一は深い感慨をもって、通い慣れた校舎を見上げていた。様々な思い出が飛来しては脳裏を過ぎ去っていく。三年間という日々を過ごしたはずの学舎はしかし、比較的最近であるここ一年の記憶ばかりを思い起こさせた。
 一年や二年生の時の記憶がないわけではない。だがそれまでの二年間に比べて、三年生の記憶は一際どころでなく異彩を放っている。それ以前の二年間を覆い隠して余り有るほどに。
 まず、常識という言葉が通用しなくなった。野犬や鴉、酔っ払いが頻繁に襲い掛かってくるのはまだしも、蝙蝠やら果ては人形に鬼、幽霊等々、化け物オンパレードとの戦い。個性的という一言では表しきれない独特な仲間達との出逢い。そして銃刀法違反をまるっきり無視した日々。―――印象的で、当たり前だ。そして常識破りといえば、京一の常識を完膚無きまでに破壊しやがった人物もまた、三年生になってから訪れたのだった。
 ―――緋勇龍麻。
 時期外れの転校生。怪異と共に訪れたかのような彼は、まさしく騒動の元である。一連の怪異にまつわる事件だけでなく、本人がどうしようもなくトラブルメーカーというか、自ら騒ぎを作り上げるような人物なのだった。
 京一はそんな緋勇龍麻という人物を思い浮かべて、深々と溜息をつく。一連の事件のような非常識ならば、まだよかったのだが。緋勇龍麻個人から巻き起こった騒ぎという名の非常識は、京一に著しい被害を与えていった。常識どころか、下手すれば未来まで破壊されたと言っても過言ではない。同じ男同士だというのに、一方的に惚れられた挙句、それだけならまだしも全校生徒や果ては他校生まで巻き込んで組織を結成し、京一を追いつめていったのだから。一度は不覚にも流されかけた京一だが、それは色々あって気の迷いであり、なかったことにしている。
 しかし、振り返ればこの一年。全力疾走してばかりだったように、京一は思う。だが何よりも腹立たしいのは、そうして思い起こした一年間の思い出というものが……殆どこの男に埋め尽くされていることだろう。どれほど違うことを思い返そうとしても、浮かんでくるのはひたすらに緋勇龍麻に追い掛け回されているか戦っているか、だ。戦う時は決まって緋勇龍麻も行動を共にするため、高校三年生の思い出は不本意極まりないことに緋勇龍麻一色といっても過言ではない。
(不毛だぜ……)
 溜息も、格段に増えた気がする。高校一年と二年を合わせても、まだ三年生の時についた溜息の方が多いと言いきれるほどに。
 だが、とにかくそれも今日までだ。
 そう。今日は卒業式―――。
 楽しかったような恐ろしかったような、そんな高校生活とも……いや、ハッキリ言おう。あの緋勇龍麻とも、今日でお別れである。もっとも、後者に関して言えば、決して最後というわけではないのだが。

 そして今、京一は緋勇龍麻を待っている。散々逃げ回ってきた相手と、久々に真っ向から対峙しなければならない。かなりの勇気がいったが、こればかりは避けられないことなので仕方がなかった。自分の平和と自由を勝ち取るために。
 
 三月だというのに桜は満開近く、散り始めている。こんな非常識極まりない事態も、この一年を思い出せば些細なことであった。
 『非常識』
 決して馴染みたくはなかったそれに、未だに嫌悪というか恐怖というかを覚えるそれに、既に慣れきってしまっていることを認めたくはなかったが、どうにもそれは事実でしかないようである。最初から最後まで、非常識にして不条理な一年だった。だがそれも、今日までだ。必死に自分を慰める京一。
 
 だが、彼は気付くべきだったのだ。目の前に広がる、自由と常識に目を奪われる前に。非常識にして不条理の象徴のような男が、それこそ常識的に卒業式を迎えるはずなどないことを。

 油断、というものがある。
 普段気をつけていても、どこかで必ず気の緩む一瞬というのは、あるものだ。そして油断はえてして……時と場合を選べない。それを左右するのは、もはや運としかいいようがないだろう。
 『運』
 そう、京一は―――こうした運が、とことん。それはもう、いっそ笑い話になるほどに、なかった。

 
「お待たせ、京一」
 大きな花束を持って、緋勇龍麻は待ち合わせていた校舎裏にある桜の木の下へとやってきた。見れば、学ランのボタンは第二ボタンを抜かして全てなくなっている。
 京一からすれば、こんな変態が何故モテるのか不思議で不思議でならないのだが、世の中色々と釈然としないことは多いもので、緋勇龍麻は恐らくこの真神学園一モテる男だった。本当に不思議なことに。真神一の伊達男を名乗る京一としては、絶対に認められないことではあったが。
 しかし実際、自分の学ランのボタンは全て健在である。後輩の女の子に欲しいと頼まれる自信がかなりあった京一にとって、これはなかなかショックだった。それもこれも全て、龍麻に起因するホモ疑惑のせいだ、と京一は思う。しかし、龍麻の学ランのボタンはのきなみ消えているのだ。腹が立つのは、自分よりも龍麻がモテるという不可思議な事実、その一点のみであって、決してボタンが殆どない事実に対してではない。そんなことにショックを受けているわけではない。などと不必要なことまで胸中で呟いていることには、幸い京一自身は気付いていないようだ。
「……随分、イイ格好じゃねェか」
 自然、口調が拗ねる。なんでこんなヤツがモテるのだと、何度繰り返したかわからない文句をぶつぶつと呟いて。
 顔は確かにいい。運動神経も申し分ないし、異形の者たちとの戦闘においても随一の強さを誇る。頭もそこまで悪くはないようだ。他はともかく、理数系では軒並み上位だったと記憶している。これだけあげれば、確かにモテても不思議ではない。だが、京一にしてみれば、それらを打ち消してあまりある欠点が、龍麻にはあった。
 京一いわく。
 【変態】
 これにつきる。
「妬くなよ。ちゃんとお前のために第二ボタンは死守したんだから」
「妬いてねェッ!!」
 即座にツッコミを入れる京一の木刀を慣れた仕草で器用に避け、するりと近付いてくると、龍麻は怒りの表情を宿した京一の頬を、何の緊張感もなくつついた。
「照れるな照れるな。俺には全てお前の心はお見通しだ」
「ど・こ・が・だ!」
 京一は京一で、つついてきた指を手ごと引き剥がそうとするが、そこは相手も腐っても黄龍の器。拳を武器とする龍麻は腕力も並ではないため、互いに段々と本気の競り合いになってくる。
「ぐぬぬぬぬ」
「ぬぉおおおお」
 ギリギリと、互いに手を組みあって、睨み合うようにしている構図は……とても歪んだフィルターを持つ人間になら、なんとか仲睦まじい光景に映ったかもしれない。かなり無理をすれば。つまりまぁ。卒業式だというのに、まったくもっていつも通りな二人であった。

 どれほどそうしていただろうか。恐らく、数分と経っていないだろう。馬鹿らしいにも程がある戦いは、あっさりと終わりを告げた。単に、龍麻が飽きた、というだけの理由で。
「……飽きた」
 唸っていたところから、反転、気の抜けるアッサリとした口調になって、突然籠めていた力が緩められる。全力で龍麻と押しあっていた京一は、とっさにそれに対応できず……自然、勢い余って前へとつんのめってしまった。 
「おわわわわ……ッ!」
 空中でジタバタとするが、さすがに剣聖の全力というのも並ではなく、そうそう打ち消せるものではない。そのまま盛大に転んでしまうか、というところで、狙ったかのように、龍麻が京一を抱き止めた。
 ……いや。確実に、狙ったのだろうが。
「そうかそうか。そんなに俺の第二ボタンが欲しかったのか、京一」
 にんまりと笑って、胸に抱き締められるような形になった京一の背中をぽんぽん、と叩く龍麻に、京一は怒りのあまり言葉もない。
「~~~~~ッ」
 不安定な態勢で抱き留められた状態では、反撃もままならない。腕は勢いのまま龍麻の背中へと不本意ながら回してしまっているので使えないのだ。仕方なく京一は、一度思いきりのけぞるようにして……

 ゴン。
 と、龍麻の顎に頭突きをくらわした。
「げぐっ」
 奇妙な声をあげてあっさりと龍麻はよろめき、数歩後退すると顎を押さえてしゃがみこんでしまう。そちらへは同情など一ミリたりとて混ぜない冷ややかな視線を向けるに留め、京一は慎重に龍麻との距離をとった。へたな魔物や鬼を相手にするより、数倍タチが悪いことを、京一は身をもって知っている。
「そうじゃねェだろッ」
 話の繋がりとしては、意味のない言葉だったという自覚はあった。
 だが、ここで律義に龍麻に付きあっていては、終わる話も終らないどころか、始まりすらしない。構えないまでも、いつでもツッコミに繰りだせるよう木刀をしっかりと握り、大きく息を吸う。
 ここが、勝負所だった。気力と自分をしっかりと保たなければならない。相手のわけのわからないノリに流されてはいけない。ずっと考え続けていた決意を、今こそ告げるのだ。
 顎にくらった痛みが収まり、龍麻が復活しかけるタイミングを狙って、京一はゆっくりと口を開く。
「ひーちゃん。俺は来週―――中国へ発つ」
「せっかちなヤツだな。そんなに俺と二人っきりになりたいなら、そう言えばいつでもお前を連れて愛の逃避行をしたってのに」
 つらつらと垂れ流される龍麻の戯れ言はこの際、キッパリスッパリ無視することにした。近寄って肩を抱こうとする行動だけは、きっちり木刀で阻止しつつ。
「来週、発つことを知っているのは、お前だけだ。他には誰にも話してない」
 それは色々な面倒を避けるためで、実のところ京一にあまり他意はない。またもや龍麻が懲りずにつらつらとたわ言をほざく前に、京一は言葉を続けた。
「ひーちゃん、これから俺が言うことを、落ち着いて聞いてくれ」
 多分……いや、恐らく、絶対に、無理だろうが。内心で呟きながらも一応釘を刺しておいてから、ひと呼吸をおいてまた口を開く。
 言うべき言葉を、言うために。
 「お前は、東京に、残れ」
 その言葉は、少なからず龍麻に衝撃を与えるはずだった。……だが、京一の予想を裏切って、龍麻の表情に劇的な変化は見られない。
 それに逆に不安を煽られ、弁解するように―――実際のところ、弁解どころか逆でしかなかったのだが―――慌てて言葉をつぎ足す。
「中国へは、俺一人で行く」
 考えて見れば、中国行きに龍麻を誘ったことすら何かの間違いだったとしか思えないでいる京一だ。それは当然といえば当然のことであった。
 どうかしていたのだ、あの時は。この奇妙奇天烈な男が、呑気も過ぎるほどの男が、うっかりと背負わされていた重い宿命は冗談としか思えず、笑い飛ばそうとすらしたものの、柄にもなく落ち込んでいる風の龍麻を見て、不意に不安になり、気がつけば言う筈のない言葉を言っていた。こんなことを言えば、この先絶対に自分が苦労することなど、目に見えていたのに。だが、確かにあの時、龍麻はこの言葉で元気を取り戻した。それこそ、必要以上に。やたらと嬉しそうにはしゃぐ龍麻を見れば、何故か悪い気もしなくなって、まぁいいかと思ってしまったのだ。
 龍麻のことは、嫌いではない。一度はその罠にはまり、渋々ながらもある程度以上の好意があることを認めさえした。実際、好きか嫌いかと聞かれたなら好きとしか答えようはないだろうし、その非常識やら不条理やらに腹を立て愛想を尽かしつつも、つるむなら、相棒というなら龍麻しかいないとも思う。しかしそれはそれとして《龍麻と二人で中国》というと、どうにもこうにも、散々な状態しか予想しようがないのもまた事実だった。
 龍麻といることは嫌いではないが、常に共にいられると非常に疲れる。しかも慣れない異国。自分のことは棚にあげつつ、こいつを連れてったら国際的恥だろうと思ってしまう京一であった。
 だが、まがりなりにも自分から誘い、龍麻も了承した以上《約束》ともなったそれを破棄することには、少なからぬ罪悪感がある。気まずい沈黙の中、ただ龍麻の反応を待っていた京一だが、やはり予想していたようなハイテンションな反応はない。それどころか、無反応とすら言っていい。
「……ひー、ちゃん?」
 不安になって、逸らしていた顔をあげて龍麻を見れば、そこにあるのはどこか小馬鹿にしたような表情だった。
「おい?」
 シャクに触って険の有る声をかけると、龍麻は今度こそ本当に馬鹿にした笑い放つ。
「よくよく学習能力がない奴だな、お前は」
 次いで現れたのは、見慣れた笑み。ニヤリ、としか形容できない、不気味にして不穏なそれ。京一は嫌な予感を覚えた。反射のようにその笑みを見れば嫌な予感がよぎり、そしてその予感は―――悲しいことに、一度として外れた例しがない。京一の背中を、冷や汗が伝う。
「な、なんだよそれはッ」
「まぁ、何も言わずにこれを読め」
 そう言って龍麻が差し出してきたのは、一通の手紙。訝しげな表情を浮かべながらもそれを受け取った京一は、中に目を通して
「…………ッ!?」
 完璧に、凍りついた。


『京一へ。
 就職も進学もしないで、堂々と《住所不定・無職・放浪者》を名乗ろうという心意気、有る意味尊敬しますが、我が愚息は放っておくと、のたれ死にはしないまでも、世間様に迷惑をかけ、挙句は国際問題を起こしそうな不安も拭いされません。
 よって、あなたの管理と監視を、龍麻くんにお願いしました。
 聞けば、貴方が自分から誘ったということですし、よもや文句はないでしょう。
 週一で連絡を寄越せとは言いませんが、三ヶ月に一度くらいは生存確認のために、なにがしかの連絡を入れてくれるように、お願いしておきましたから。
 中国では、もう子供じゃないのだから拾い食いなどするんじゃありませんよ。サバイバルな生活をするのは構いませんが、決して天然記念物に手を出したりしないこと。もしパンダを食べたりしたら、親子の縁はキッパリスッパリ切らせてもらいますからね。賠償金は自分で払いなさい。
 ハネムーンとはいえ、龍麻くんにあまり迷惑をかけないように。
 そうそう。初孫は女の子がいいな。とお父さんとお母さんの意見が一致しましたので、頑張りなさい。
 国の恥にだけはならないように、気をつけて行ってらっしゃい。
 心優しい両親より』

 もう既に、どこからどうツッコんでいいのやら、わからない京一だった。手紙を握り締めた手が震えているのは、親心に感動したわけでは決してない。

「―――というわけで、俺、お前の管理と監視任されてるから」
 にっこりと、龍麻が微笑む。そしてその台詞も耳を素通りしている京一に、さらなる追い打ちがかけられようとしていた。
「まぁ、それでも一人で行くって言うのなら、行けば? 俺は全く構わないぞ」
 ニコニコと、朗らかな笑顔で告げる龍麻はいつになく寛大なようでいて、逆に不気味以外のなにものでもない。
「お前が何処にいようと、俺から逃げられるわけないからな」
 さらりと言われた言葉に、震えていた京一の手からポロリと手紙が落ちた。その表情は、愕然とはほど遠く……どちらかといえば、諦念にも似た表情である。
「……結局ついて来るんじゃねェか……」
「当たり前だ。言っただろう、地の果てまでも追っていく、ってな」
 蘇るあの日の悪夢。それは龍麻に告白されて一週間程たった頃。逃げる京一にキレた龍麻が、遠慮なしの全力投球120%秘拳・鳳凰と共に堂々と宣戦布告をした時に、確かにそう言っていたことを思いだす。
 言葉のアヤなら、別にいい。言うだけなら害はない。だがしかし。この緋勇龍麻という男は―――間違いなく世界の果てまで追ってくるだろう。思って、京一はげっそりとなる。
 今日こそ。今日こそ、非常識と不条理とはおさらばするはずが。この傍迷惑男とおさらばするはずが。どうやらそれは失敗に終わったようだ。この様子では、家に帰るなりノシをつけて龍麻に引き渡されるに違いない。なんて親だ。と罵るものの、息子以上に気が合ってしまっている両親と龍麻の押しに勝てる気力も頭も京一にはなかった。既に両親は洗脳され、手紙の様子では嫁に出す気満々である。
 国の恥は、俺よりむしろコイツだろう。
 と、もはやどうでもいい問題に心の中でツッコミつつ、盛大に溜息を吐くしかない。
「どうだ? 覚悟は決まったか?」
 龍麻のこの上なくご機嫌な声は、誰が何と言おうと望む『結果』に実力行使で持っていこうと決めた時か、まず間違いなく望む結果になるだろう、という時に聞かれるものだ。
「~~~~~~~~ッ」
 京一は、低く唸りながら考える。
 思惑通りに動くのも、罠にハメられるのも大嫌いだ。冗談じゃない。ご免被る。しかし、ここで感情の赴くままに龍麻をぶちのめして一人で中国へ行った場合をシミュレートしてみると、容易に浮かんでくるのは、おとなしく一緒に行った場合よりも遥かに頭の痛くなるような結果の数々だった。京一を追いかける時の龍麻は、恥も外聞も、常識すら通用せず、時には科学的法則すら超えてみせる。そしてそのツケを払わされるように不幸を被るのは、必ずと言っていいほど京一なのだ。京一の少ない脳みそでも、どちらが《まだマシ》かは、すぐにわかる。
「あ~、わかったよ、行くよ! 一緒に行きゃあいーんだろッ!!」
 頭を抱えたい衝動を振りきるようにして、ヤケになった京一が叫んだ。

 そして、また。
 いつものパターンが始まった。

「言ったな」
 ニヤリ。と、龍麻が再び悪魔の笑みを浮かべ、パチンと高らかに指を鳴らせば、いずこからかその背後に裏密とアンコが現れる。
「ふふ。やったわね、龍麻くん」
「おめでとう~ひーちゃん~。ミサちゃん~とぉっても嬉しい~。う~ふ~ふ~ふ~ふ~」
 だが、今回はそれだけで終らなかった。
「よかったね、ひーちゃん!」
 裏庭の木の上から小蒔が。
「これで東京も平和になるな……」
 同じく醍醐が。
「龍麻……気をつけてね」
 木の影から美里が。
「……やれやれ」
 屋上から犬神が。
「きゃはっ。ダ~リン、京一君、おめでとう~♪」
 校舎の影から舞子が。
 さらには、どこからかぞろぞろと、全校生徒が。
「緋勇先輩、アタシ感動しました!」
「愛って素晴らしい!!」
「地の果てまでも追われてみたい……」
 勘違い女生徒たちが花を降らせ、
「よかったな、緋勇。やっと報われるんだな……」
「蓬莱寺~、お前もやっと観念したか!」
 男子生徒は力技で教会のハリボテをロープで引っ張り、立たせ始める。
「ご結婚、おめでとうございます!!」
 果ては、京一に白いベールを被せにくるミス真神(美里引退後)。
「ハネムーン、楽しんでこいよ!」
 龍麻には、タキシードが肩にかけられた。
「蓬莱寺、頑張れよ!」
 そしてそっと初夜七つ道具を京一に手渡すクラスメート。
「………………」
 色々と言いたいことはあったものの、やはりどこからどうツッコんでいいのやらわからず、ただあまりの人数とあまりな行動に呆然としていた京一が、手渡された紙袋の中を見て一瞬止まり……
「この世への別れは済んだみてェだな、鈴木……」
 暗い表情のまま、タメなしで朧残月を繰りだした。
「ぐはぁ……ッ! 白い下着は永遠のロマンス……!」
 倒れ際に懲りない一言呟いて果てたクラスメートの背中を、木刀で容赦なく叩きつつ、京一は龍麻の名を呼ぶ。
「……ひーちゃん」
「ん? どうした、京一。皆に祝福されて、言葉もないほど感動したか?」
 そんなわけがないことを知っていて言っているのか、それともわかっていない本物のバカなのか。こういう時の龍麻は判断に非常に苦しむところだが、そんなことはもう、京一にはどうでもよかった。
「何考えてんだ、てめェ?」
 口元だけで笑みを作ってはいるものの、京一の目は笑っていない上に、口元もどこかひきつっている。
「何って言われてもな。やはり二人の門出は皆に祝福された方がいいだろう」
「いつ誰が、誰と結婚してハネムーンだって?」
「俺とお前が、たった今」
 ここまで堂々と言いきれるというものは、有る意味尊敬すべきなのかもしれない。だが、やはりそれも、今の京一には通用しない。
「……龍麻」
 愛称ではなく、名を呼んだ時の京一は、本気だ。
「なんだ、京一?」
 しかし、龍麻はご機嫌が過ぎて、不穏な気配に気付いていないらしい。ひょっとしたら、わざとなのかもしれないが。
「行きたいなら、一人で行ってこい?」
 額に青筋を浮かべたままニッコリと笑ってみせ、クラスメートに向けたのとは比ではない氣を練り上げた京一が、木刀を構える。
「……もしもし、京一さん。なんだか非常にヤバゲな気配なんですが」
 ようやく我に返った龍麻があとずさっても、既に時は遅い。全校生徒が巻き込まれるかも知れない。そんなことすら、今の京一は気にしていなかった。いや、むしろまとめて滅ぼす気満々である。

 そして、木刀は振り下ろされ……
 
「三途の川の向こうへなァッ!!」

 最大級の天地無双が、真神学園校舎裏で炸裂した。
 


 数分後―――
 廃虚と化した裏庭を、とぼとぼと歩く男の影があった。
 男は、哀愁を漂わせつつも、悲壮な決意を胸に秘め、旅立とうとしていた。
「逃げてやる。ぜってェ、逃げてやる……ッ」
 彼の決意が、希望が果たさるかどうかは―――多分、誰も知らない―――。




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ジュヴナイル|魔人学園剣風帖

激突ラブチェイス
▽内容:京一のことが好きすぎてネジがとんでる系主人公のドタバタラブコメディの5作目。 
                                                           




「もういいよ。迷惑かけて悪かったな」
 聞いたことがないくらい冷たい声。全部をはねのける、拒絶のバリア。
 長い沈黙の後に、龍麻の態度は百八十度変わっていた。
 ちょっと待てよ、なんだよそれ!
 思っても、龍麻の硬質な雰囲気は崩れない。さっきまで、すげーにこやかに笑ってたのに。バカみたいな冗談みたいなこと言って、いつも通りふてぶてしかったじゃねーか。嫌になるくらいベタベタしやがってたじゃねーかよ。なのになんだよそれは!!
 龍麻は無言で机の上を片付けはじめる。見たとき正直げっそりした二段重ねの重箱。いくら二人で食べるったって多すぎるだろそれは。って言いたくなるくらいの量が入ってた。上の段は定番物から凝った物までいろんなおかずが入ってて、下の段はおにぎりと漬物だ。炊き込み御飯のおにぎりもあった。一体何時間かけて作ったんだよ。しかも漬物自家製だよおい。―――さっき俺はバカみてーと呆れたけど、こんだけのもの作るのにはそりゃ時間もかかるし大変だろうということに気づく。しかも龍麻は別に料理得意とかじゃねェし。実はすげーモノグサだし。目玉焼き作ったフライパンの上にご飯落としてソースかけて、フライパンから食べる男だぜ? よく作ったもんだ。
『男の手作り弁当なんて二人でつっつくもんじゃねーだろ。すげー寒ィぞそれ。冗談じゃねーよ』
 自分で何気なく言った言葉を思い出して、まずかったかと思っても時は既に遅い。それよりもっと酷いことを俺はしたし。龍麻が怒ってもしょうがない。しょうがないけど。―――いつもなら、俺が何言ったって何したって、反骨精神旺盛なのか知らないが、余計に闘志燃やしてかかってくるのに。じゃなきゃ、さっぱり気にもとめないで『照れるなよ』とか人の話聞いちゃいねーこと言ってベタベタしようとすんのに。食べかけの二人分の弁当をしまって、丁寧に風呂敷で包んで、龍麻は立ちあがる。―――俺には一言もなしで。
 教室中は静まりかえって、ただ俺達の方に視線だけ向けて様子を伺っていた。皆、食事の手も止めて物音一つたてない。唯一動いているのは龍麻だけだ。スタスタと教室を横切り、ドアへと向かう。
 俺はバカみたいにその場に立ち尽くして何もできないし何も言えない。俺の逃亡を防ぐためにドアを塞いでいた男子生徒が、近づいてくる龍麻に顔を引きつらせながらも慌ててドアを開ける。怒っているらしい龍麻の様子にかなりビビっていたそいつに、龍麻が笑顔で一言。
「ありがとう、もういいから」
 多分、もう昼休みに俺の逃亡を防がなくてもいいと、そういう意味だろう。その必要がないってことだ。そして風呂敷を持ったまま龍麻は教室を出て、後ろ手にドアが閉められる。
「………」
 残された俺や、他のクラスメート達は閉じられたドアを見つめたまま、しばらく動けないでいた。
 なんなんだよ、ちくしょーッ!
 俺は自棄になって音をたてて椅子に腰を下ろす。行儀もなにもなく、机に足をのっけて、椅子を傾けて不安定な態勢で天井を睨んだ。
 龍麻に対してものすごく腹がたったけど、同じくらいの罪悪感があって、どうしていいのかわからない。怒りたいのに怒れない。謝りたいのに謝れない。そんな気分だ。
 ふと、腹が減っているのを思い出す。結局、あの弁当は一口も食べてないのだ。―――うまそうだったんだけどな……。
 ……ハッ。いかんいかん。
俺は頭を振って龍麻とあの弁当のことを頭から追い払うと、本来食べるはずたったパンを取りだしてほおばる。けれど、いつも食べているはずの味なのに、なんの味もしなくて、食べた気にはなれなかった。



 ことの起こりはそんなに前じゃない。せいぜい五分か十分前。
 昼休みになると、すぐさま三年C組の教室は厳戒体制が敷かれる。ドアは一番近い席のやつらが三人がかりで塞ぎ、窓も同じく塞がれる。窓からの逃亡が成功したのは初めの一度きりだ。そして、龍麻と俺の机はいつのまにか向かい合わせでくっつけられているって次第。
 龍麻の宣戦布告から二週間あまりが過ぎていた。その間に《緋勇龍麻と蓬莱寺京一をくっつける会》なるものは発足するわ、全校生徒は龍麻の味方になるわ、マリア先生まで龍麻の味方になった挙句、俺のことまでホモだと勘違いするわ……。さらには龍麻のヤツ、俺の両親にまで取り入って、毎朝俺を起こしに来ては朝飯をウチで食っていく。そうすっと、自然と一緒に登校するハメになったりして、完璧に全校公認カップルってヤツだ。冗談じゃねー。
 そして学校に来たら来たで、昼はこのとーり。何故かいきなり実行された席替えによって授業中でも龍麻の隣だ。
 ―――陰謀だ、これは! イカサマだ! 
 と俺がいくら叫ぼうが、みんなしてグルだから太刀打ちできやしねー。
 しかも俺が学校に置きっぱなしにしていたせいで、教科書を隠されたりした。別に直接の嫌がらせではなく、二段構えの嫌がらせで、だ。俺は授業中ほとんど寝ているから教科書なんてなくても構わない。なくなったときもさして気にとめてなかった。だが、授業が始まったらクラスの女子数名が、
「龍麻くんに見せてもらえば?」
 とにっこり笑って、半ば強制的に俺と龍麻の机をくっつけたのだ。
 ―――以来、俺は真面目に教科書を持ち帰っている。この俺が!!
 だからつまり。こんな状態の中で二週間も過ごせば、そんな状況にも人間は慣れていくものらしいってことで。最近では素直に龍麻と向かい合わせで昼飯を食ってたんだよ、おとなしく。別に変なことを言ったり、したりしてこない限り、害はないし。龍麻が嫌いなわけじゃない。そう自分に言い聞かせて。普通に向かい合って飯食うだけなら、よかったんだ。くだらないこととか話ながら。それだけならさ。
 ―――それがあのヤロー、いきなり二段重ねの重箱入り弁当なんか作ってきやがって、二人で食おうとかいいだすし。それだけならまだしも、よりにもよって!! 『せっかくだし』とかよくわからない理由でアイツは……
「はい、京一、アーン♪」
 と、ひと昔前の新婚夫婦よろしく、俺に食べさせようとしやがったのだ! 誰が食うかッ、冗談じゃねー!!
 大体ここは教室だ。公共の場ってやつだ。しかも龍麻の味方して、俺の逃げ道を塞いでるクラスメート達がいるわけで。そいつらは、何かというとこっちを気にしてるっていうのに、そんな恥ずかしいことができるかッ。
 だから俺は、いつも通り思いっきり叫んで、座ってたせいで木刀も出しずらかったから拳で殴った。
「誰がするかー!!」
 と――― 。
 当たると思わなかったんだよ。拳はあいつの専門で、俺なんかの攻撃はいつも軽々よけやがるから。ここんとこ龍麻のベタベタ攻撃にも慣れてきて、殴ることも減って、久しぶりに殴ったからか? わからねーけど、珍しく俺の攻撃はヒットしたのだ。それも……顔面に。
「きゃーッ!」
 女子の悲鳴が聞こえる。
「顔はヤメテーッ」
 ……お前らなぁ……。
 なんて、かく言う俺もまさかこうまで綺麗に顔にヒットするとは思ってもみなかったから、本気で焦った。そろそろと腕を引っ込め、無反応な龍麻を伺う。
「……ひーちゃん……?」
 不気味なことに、龍麻の顔は殴る前の笑顔のまま固まっていた。箸も持ち上げた状態で止まっている。殴られたのに、箸で掴んでる卵焼きも落ちてやしねェ。なんて、どうでもいい事に感心している場合じゃない。
「京一、ちょっとやりすぎだぞッ!」
 美里と昼食をとっていた小蒔も俺のしたことは見てたらしく、片手を腰にあて、もう片方の手で俺を指さして言ってきた。
「わかってるよ、んなこたぁッ!」
 人を指さしちゃいけないって小学校で習わなかったのかお前は!
 って、それも関係ねーや。ヤバイ、俺かなり動揺してるぞ。とにかくまずは龍麻だと思って、何やら喚いている小蒔を無視して龍麻を伺う。
「お、おい、ひーちゃん……?」
 自分で思う以上に俺は焦っていたのか、すぐに謝らなきゃいけないのにその言葉も出てこない。何と言ったものか途方にくれていると、
 ゆらり……。
 と、蜃気楼みたいに龍麻の背後の景色が歪みだす。俺は思わず椅子ごとあとずさった。
 な、なにかヤバイ氣が出てないか……ッ?
「京一?」
 やっと龍麻の顔というか、口だけが動いて言葉を発したけど、感情のこもってない声で余計に怖い。
「はははははいぃッ!」
 またきっと、笑ってない笑い声とか発してすげーことを言い出すのかと思って俺は身構えたのだが、予想は外れる。
「お前の気持ちはよっくわかったよ」
 す、と笑顔のまま固まってた龍麻の顔から表情が消えたのだ。笑顔が、じゃない。表情そのものが。怒ってる顔でも、悲しんでいる顔でもない。
 途端に無表情になった龍麻に俺は本気で恐怖を覚えた。教室中が、いつもと様子の違う龍麻に、自然と無言になっていく。
 ―――よくわかったって、なにが? 俺がそんな新婚ごっこみたいなのは御免こうむるってことか?
 おい、どうしたんだよひーちゃん。らしくねーぞ、そこでおとなしくなるなよ。いつも俺が攻撃しても、ヘロヘロしてんじゃねーか。
 謝らなきゃいけねーのに、いつもと様子の違う龍麻への戸惑いと……
 それからやっぱりさっきのアレは怒ってもしょうがねーだろって気持ちから、何も言えない。もっとも、龍麻がいつも通りだったら俺はまた逆に怒って謝れなくなるんだろうけど。
 龍麻も何も言わないから、重い沈黙が教室にたれこめてた。無言のまま卵焼きを重箱に戻して、箸を置く龍麻を俺はじっと見守る。気持ちだけは焦るのに、口は神経通ってないんじゃないかと思うくらい上手く動かない。
 そして、長い長い沈黙の後、龍麻が言った。
「もういいよ。迷惑かけて悪かったな」



 ―――とまあ、そういうわけだ。

「あ~あ~、怒らせちゃったわね」
 早速騒ぎを聞きつけてやってきたらしいアン子が、俺の机の上に腰掛ける。ご丁寧に、裏密まで一緒に来やがった。
「彼は我慢の限界を超え~二度と振りかえることはないのよ~」
「うるせェッ」
 俺は邪険に手を振って、追い払う仕草をする。俺は今機嫌が悪ィんだ。
 それにアン子のヤツ、どうせ今度はこのケンカのことを記事にしようとでも思ってんだろ。首にはいつも通りにカメラが掛かってる上、手も常にスタンバイ状態。裏密は、なんでだか解らねェけど。……そういや、確かコイツも《緋勇龍麻と蓬莱寺京一をくっつける会》の副会長とかだったな。どうでもいいけど。
「そんな態度でいいと思ってんの!? あんたはよりにもよって龍麻くんの顔を殴ったのよ? 土下座して謝らないと」
「京一く~ん、闇夜には気をつけてね~。恋する乙女の復讐があなたを待ってるわ~……。う~ふ~ふ~」
 みんなして顔・顔・顔って、それしかねェのかよッ。顔だけ無事ならいいみてェな言い方じゃねーか。そんで裏密、お前は怖すぎるんだッ
「これでもう、龍麻くんもアンタに愛想尽かしちゃったでしょーね。顔殴られたんだもの。明日の真神新聞号外は《蓬莱寺京一、ついに緋勇龍麻にフラレる!》に決まりね☆」
 な、なんだとォ!?  聞き捨てならねェぞ!
「フラレてねーよ!」
 机をバンッと強く叩いて俺は椅子から立ちあがり、アン子を睨みつける。なんで俺が龍麻にフラレたことになってんだよ。言い寄って来てたのはアイツで、俺がずっと避け続けてたんだぞ。それ以前の問題だろうがッ。それに、もしその言い方するんでも、俺が龍麻を振ったんであって、逆じゃないはずだ。その後もしつこくつきまとってきたのはアイツなんだから!
 だが、俺の睨みなんて気にした風もなく、アン子は逆に憮然とした顔をして机から降りる。
「なによ、今更後悔したって遅いわよ。あんたがいつまでも逃げてるからいけないんでしょ」
 そして、捨て台詞のように言い残して、教室から出て行ってしまった。
「逃がした魚は大きいのよ~京一くん~。嫌よ嫌よも好きのうち~」
 更には裏密までが相変わらずの不気味な声で言い残し、アン子を追って出て行く。
 なんなんだよ。ワケわかんねェ……。大体、後悔ってなんだよ。逃げてたことか? 逃がした魚だのなんだの、勝手なこと言いやがって。
 だいたい俺は嫌いじゃねーけど、龍麻のことを好きだなんて言った覚えはねェぞ、絶対! 俺に勝手につきまとってたのはアイツの方なんだ。全校生徒やマリア先生にまで誤解されて、俺は迷惑してたんだ。後悔なんか、してるもんか。これでよかったじゃねーか。これでようやく元の静かな生活に戻れるってもんだ。もういちいち血圧上げて怒ることもねェ。腹たてて、ぶん殴ることもねェ。丁度いいじゃねェか。
 ……態度が急変したことに腹が立つのは、迷惑してたからだ。あれだけ人騒がせなことしといて、なにもなかった顔をしやがるからだ。それだけだ。
 ……それ以外の理由なんて、絶対にねェ……。






 それから五日が経過した。
 龍麻は相変わらず怒ったままのようだが、無視されることはなかった。一見すると、俺に告白する前の龍麻に戻ったみたいに普通に接してくる。挨拶もする、話もする。だけど、朝は起こしにこないし、昼休みになるとどこかへ消える。―――まるで、ちょっと前の俺のように。もう、ベタベタもしてこない。無視はされないけど、どこか他人行儀だ。俺を見る目も心なしか冷たい。今までなかった壁を感じる。
 なにそんなに怒ってんだよ。ただちょっと顔殴っちまっただけだろ。
 ―――と、心の中で反発するけど、それだけじゃないんだろうと、冷静な部分が告げてくる。
 思い起こしてみれば、ここんとこ、俺はずっと龍麻に酷いことばっかり言ってた。いきなり親友だと思ってたヤツから告白されて戸惑って焦って、どうしていいかわからなくて反発をして。アイツのなりふり構わない行動だって悪いと思うけど、それを言い訳にしてた。自分のことばかり考えてあいつの気持ちを真面目に考えてやることさえしなかった。……まァ、その暇とか隙とかをヤツが与えてくれなかったってのもあるんだが。ともかくも、そのツケが一気に回ってきたのかもしれない。
 ―――龍麻はもう、俺のことを好きじゃなくなったのだろうか。
 俺は迷惑してたんだから、これでいいんだ。後悔なんてしてない。そう何度も自分に言い聞かせるけど、段々それは単なる強がりのようになっていく気がした。なんでだ……。なんで俺がこんなに悩まなきゃなんねーんだよ。龍麻の他人行儀な態度に、どっか冷めた目に、なんで俺が傷つかなきゃならねーんだ!?
 イライラが、たまってく。他人行儀な顔される度に、穏やかなのにどっか拒絶してる微笑を見る度に。気にしたくないのに、気が付けば気にしてる自分がいて、余計に腹が立つ。迷惑だと思っていたのに、鬱陶しいと思ってた筈なのに、なくなってみると酷く不安定な気分になった。
 考えてみりゃ、龍麻がおかしくなってから一ヶ月にも満たない。それより前は龍麻のことを避けたりも鬱陶しいとも思ってなくて。それどころか、どっちかっていうと俺の方からくっついて回ってた。龍麻の家に遊びに行くことが増えてからは、一緒に行動することが殆どだった筈。そりゃ、堪えるわけだよな……。
 俺が逃げ回ってた時の龍麻の心境って、こんなんだったのだろうか。結構ツライぜこれ……。なんて今更思っても遅いけど。なんとか、なんねェだろうか。悩むのもバカらしくなってくる。だって考えてもどうにもならない。
 だから、俺は意を決して龍麻をとっ捕まえて。呼び出した。
 悩んでいても、埒があかない。直接話さないとどうにもなんねェ。何に怒ってんのかも分からないが、とにかく謝って、どうにかしようと。
 謝ってどうなるかとか。許してくれても、その後どうするとか。未だに龍麻の気持ちとかって分からないのに。大体、許してくれねェかもしれないのに。けど、こんなのは嫌だ。元ってのがもう、どこだか分からねェけど、戻れないだろうか。この際だから、頭おかしい龍麻でもいい。鬱陶しくてもアホでもいいから。お前に他人行儀にされる方が堪えるから。どうにか、してェんだ。
 考えるだけじゃ答えは出ない。当たって砕けろ。うじうじしてんのは俺の性に合わねェし。呼び出した龍麻を、半ばムリヤリ屋上に連れてって、向かい合った。

「おい、ひーちゃんッ」
「どうしたんだよ、京一。怖い顔して」
 ……これが以前の龍麻だったら
「やっと俺の気持ちに応えてくれる気になったか!」
 とか、勝手に全部都合いいように解釈して、いきなり抱き着いてきたりすんのにな。今はただ、クラスメートとか先生の前でするのと同じ微笑を浮かべてるだけだ。立つ位置も、心なしか距離がある。
「……京一?」
 黙ったまんま話を切り出さない俺の名を、訝しげに龍麻が呼ぶ。それをきっかけにして、俺はかなりな勇気でもって口を開いた。
「……ゴメン」
 とりあえず謝ってみる。他に、何て言っていいのかも分からねェし。一番先はやっぱりコレだろうと思って。
「なにがゴメン?」
 それに大して龍麻が浮かべるのは苦笑。本当に分かってないのか、とぼけてるだけなのか。それすら読めない。読ませない、苦笑。
「だから……顔、殴っちまっただろ」
 今ハッキリとわかってる、謝らなきゃいけない事実はそれだけ。情けないことに、それ以上は分からない。ここまで怒るんだから、それだけじゃないことは、分かってるのに。
 反応が怖くて、視線を逸らしてそっぽを向いた俺に返ってきたのは、あまりにもアッサリとした声。
「ああ、あのこと? 別に怒ってないよ、それくらい」
 視線を戻して顔を伺うと、もとの微笑に戻っている。
 ―――怒ってないだって……?
「じゃあ、何に怒ってんだ? なァ」
 何にも怒ってないはずはない。顔を殴ったことに怒ってるんじゃないなら、何に怒ってるんだ。
「なにも怒ってないよ。変な京一」
「怒ってないはずねェだろッ!? じゃあなんで俺を避けるんだよ!」
 ふざけんな。そんな見え透いた嘘つくんじゃねェよ。お前のその他人行儀な態度が怒ってないならなんだってんだ。
「避けてなんかないってば。今だって一緒にいるじゃないか」
 話はする。無視はされてない。冷たくもされてない。怒鳴られてもいない。確かに龍麻の言う通りだ。特別邪険にされるんでもない。他の奴らと同じように。ただ単に、今までのようにベタベタしないだけで。それだけの筈なのは分かっているのに、なんでか俺は龍麻が怒ってるように思えるのだ。今まで、俺にだけしてたことを、しなくなっただけなのに。なんでか俺は、それが腹立たしくて仕方がない。
「嘘つけッ。朝ウチに来なくなったし、昼だって放課後だってどっか行っちまうだろッ」
 すると龍麻は深々とため息をついて、呆れたように俺を見た。
「……別にどうでもいいだろ、そんなこと。お前、もう追いかけられなくていいんだからよかったじゃないか」
「よくねーよッ」
 どうでもよくねーから、こんなこと言ってんだよ。
 あれだけうざったいと思ってた朝の迎えも、一緒に食う昼食も、過剰なんじゃねーかと思うスキンシップだって。なくなったら、なんだかすげー物足りねぇ。不安になる。不自然な感じがする。あんなに嫌だったのに、俺だって変だと思ってるよ!! けどしょうがないだろ。
「さんざん人のこと好きだの愛してるだの言っといて、、顔殴られたくらいで嫌いになんのかよッ」
 龍麻の顔からはもう、微笑は消えていた。代わりに表れてるのは、見下すような、冷たい表情。
「殴られたことなんてどうでもいいよ。京一は俺のこと嫌いなんだから、俺に嫌われた方が好都合だろ?」
「俺はオマエのことが嫌いだなんて言ってねェッ」
 反射的に叫んでた。そりゃ逃げまくっていたけど、嫌いだったわけじゃない。鬱陶しいとも、コイツアホだとも思ったけど、嫌いだと思ったことは、一度もない。どんだけアホだって、鬱陶しくたって、しょうもなくたって、龍麻は俺の相棒なんだから。
 だけど嫌ってると思われてたことよりショックだったのは、龍麻に嫌われたってことだった。
 好きじゃなくなったのかもしれねェ、とは思ったけど、嫌われたとは思いもしなかった……。妙に、納得しちまったぜ。そっか怒ってたんじゃなくて、嫌われてたのか……。
 ヤバイ。すげェ、苦しいかもしんねェ。
「もう、俺のこと嫌いになったってことか……」
 龍麻の冷たい表情に耐えられなくて、俺は視線を落とす。
 ……しょうがねェよ。俺、酷いことばっか言ったし。始めに龍麻を拒絶しちまったのは、俺だし。悪いの、俺だよな。嫌われても、筋は通さねェとな、と思って。伏せた視線に引きずられるようにして、頭を下げた。
「今まで酷いことばっか言っちまって、避けまくったりして、悪かったよ。……ゴメン……」
 俺、自惚れてたのかもしんねェ。何しても、何言っても、どんなことあっても、龍麻は俺のこと好きでいるって、どっかで思ってたのかもな。
 嫌われるなんて思ってもみなかったぜ……。しかもそのことが、こんなにショックだとも思わなかった。
「……なに泣いてんだよ、京一」
 頭下げてたら、そのまま重力の関係で、緩んでた涙腺から滲み出た涙が落ちたらしい。
 ゲッ、みっともねー! なんで俺泣いてんだよッ。
「いや、ちちちがう、泣いてないッ」
 慌てて涙を拭うけど、顔が上げられない。
 うわー、恥だ! これぐらいのことで泣くなんて男として恥だ!!
「バーカ、バレバレだっての」
 かけられた龍麻の声は本当に冷たかった。心底からバカにしてる声だ。どうせバカだよ、悪かったなッ! オマエに嫌われてたのも気づかないしよ!
「お前、俺に嫌われて構ってもらえなかったのが、そんなに悲しかったのか?」
 しかも向けてくるのは、哀れみ半分、からかい半分の目。
 うるせーな。どうせそうだよ。ちくしょー、こうなりゃもう自棄だ。
「ああそうだよ、悪かったなァッ」
 怒鳴って、自棄ついでに顔を上げたら、すげー驚いた顔の龍麻と目が合う。だけどその意外そうな顔はすぐに影を潜めて、不敵な笑顔にとって変わった。
「フーン。ひょっとしてお前けっこう俺のこと好きだろ?」
 からかうような口調に腹がたつ。ニヤニヤした笑いも、俺の神経を逆撫でした。なんでオマエいつもそんな図々しいんだ。ついこの間まで俺のこと大好きだったくせしやがって!!
「あーそうだよ、好きだよ、悪かったな! 俺だって知らなかったけどなッ」
 売り言葉に買い言葉のノリで、つい口をついて出た言葉に自分でぎょっとする。
 ―――そうか、俺……龍麻のこと好きだったのか……。
 ―――ええ!? マジかよ。ヤバイだろそれは!!
 と、俺が自分で言ってしまって発覚した事実に驚愕していたら、突然龍麻が……
「よっしゃぁッ!!」
 と叫んだ。
 なんだ? 今度は何事だ?
「遠野、裏密!」
 そして龍麻がその名を呼ぶと、どこからかアン子と裏密が、如月よろしく忍者のように現われる。
 お前らどこにいた!?
 てゆーか、今の聞いてたのか、ひょっとしてー!!
 あまりのことに俺は声もでない。驚愕と恥ずかしさに、状況不明が加わって、頭はすっかり混乱しまくっている。
「首尾は?」
「バッチリ!」
「任せて~」
 短いやりとりで、ヤツラは互いに意思疎通ができているらしい。俺にはさっぱり内容がわからないが。何者だ、おまえら……。
「ちゃんと今の、録音できてるわよ♪」
「闇の契約書も~万全よ~」
 録音!? 闇の契約書!? なんのことだそれは。ううぅ……、聞きたいが聞きたくない。なんでって、アン子と裏密という時点ですでに嫌な予感がする上に、龍麻が……戻ってるんだが。……その、バリバリ全開俺追っかけモードっぽい龍麻に……。
「京一、手」
「へ?」
 言われて、何故か反射的に右手を出してしまうバカな俺。嫌な予感はバリバリだというのに、頭がまだついていっていないのだ。
 ピリッと走った痛みに顔をしかめる。見ると、龍麻の手には小さなナイフ。そして俺の親指にはうっすらと血が滲んでいた。切られたのはわかったが、何の為にそんなことするのか分からずにいると、裏密が近づいてきて、血の滲む俺の親指を手に持った古臭い紙に押し付けた。
 ―――それ、さっき闇の契約書とか言ってたやつかじゃないか……?
 今更気づいても遅いが、既に俺の血判が押されてしまったそれを呆然と見ていると、俺の耳に飛び込んできたのは、ここ最近で聞きなれてしまった笑い声。
「フフフフフフフ……!」
 こ、この笑いは……!! 
 俺の背に、戦慄が走る。これは、龍麻得意の笑ってない笑い声……。
 やはり、なんかいきなり戻ってる気がする。
 オマエ俺のこと嫌ってたんだろ? 怒ってたんじゃないのか!? それにその契約書ってなんだーッ!?
「かかったな、京一! 聞かせてもらったぜ、お前のトゥルーハート!!」
 呆然としたままの俺に、龍麻が得意げに言い放つ。……つーか、トゥルーハートってなんだトゥルーハートって……。
「押してだめなら引いてみろとは、昔の人はよく言ったもんだな。それに裏密の占いもよく当たる……。《今月の乙女座のあなたは先月に引き続きラブ運絶好調☆ でも時には押してばかりじゃなくて、引いてみるのも手。普段と違うクールなあなたに、相手はもうメロメロよ♪》って、その通りになったもんな!」
「うふふふ~。ミサちゃんの占いは百発百中~」
「あ、龍麻くん。協力したんだから約束守ってね♪」
「もちろん。俺と京一のラブラブショットだろ? 両思いになった俺達に障害はもはやゼロ! なんでもリクエストしてくれよッ」
 ……………。
 ………ちょっと待て、てめーら。
 呆然としていた俺にも、段々と事態が飲みこめてくる。額に青筋を浮かべ、よろよろと立ち上がりながらも、俺は木刀を袋から取り出してしっかりと握った。
「……ひーちゃん……両思いってなんのことだ?」
「なに言ってんだ、今更。お前さっき俺のこと好きだっていったじゃないか。遠野がバッチリ録音してるし、裏密の闇の契約書に印押しちゃったから、もう撤回できないぞ」
 ははは……。ご機嫌だな、ひーちゃん。そうかそうか、手回しのいーこって。つーかよ、何が押して駄目なら引いてみろ、だ。なにが占いだ。大体オマエ、星占い元に行動してんじゃねェよ。
「オマエ、俺のこと嫌いになったんじゃねェのか?」
「フ、バカだなぁ、京一。この俺がお前のことを嫌いになるはずないだろう。あれは演技だよ、演技」
 ああそう、演技だったわけかー。すっかり騙されちゃったぜ、俺。で、アン子と裏密にまで協力を頼んだわけだな? しかも報酬約束してるってどういうことだ、おい。
「ここのところ態度が軟化してたから、いけるかもとは思ったんだけどな。中々言ってくれないしさ。俺としても辛かったんだぞ? 京一にベタベタしたいのを抑えるのは!」
 俺の……俺の悩みはなんだったんだ……ッ。全部無駄だったってことか!? こんな……こんなヤツの為に俺は……ッ!!
「まー、そのおかげで晴れて両思いになったことだし、めでたしめでたしってことで許してくれるよな♪ なにしろ、俺のこと泣くほど好きなんだもんな!」
 ハッハッハッハッハッ、バカだな、ひーちゃん、そんなの……
「許すわけねーだろーがぁあああああ!!」
 俺(レベル99)は渾身の力を込めて、天地無双を放った。
 それくらいで俺の気が収まるわけもなかったが、まァこれくらいで許してやるぜ、とりあえず。
 その代わり、さっきの言葉は全て取消させて取消すからなッ!!


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#主京 #ラブチェイス

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ジュヴナイル|魔人学園剣風帖

失速ラブチェイス
▽内容:京一のことが好きすぎてネジがとんでる系主人公のドタバタラブコメディの4作目。 
                                                           




「おはよう、京一。今日も可愛いな♪」
 ありったけの愛をこめて龍麻が囁くが、当然の如くそれは京一の逆鱗に触れる。龍麻もそれをわかってやっているから始末に終えない。
「もうお前死ね」
 京一は非常にナチュラルな動作で、毎朝龍麻が来るようになってから用心のためにベッドの中にしまってあった木刀を龍麻に叩きつけた。が、龍麻もあっさりとそれを受け止める。
「ハッハッハ、相変わらず過激な愛情表現だな、ハニー」
「………」
 いちいち京一の気に障ることしか言えないらしいこの黄龍は、しかしこれでもそれなりに悩んでの結果なのだ。まともにいっても相手をしてもらえないので、こうやって怒らせるしか構ってもらう手段がないのである。それはそれで不憫ではあった。
「……あー。もういい」
 しかし、その日の京一はいつもと少しばかり様子が違ったようだ。いつもならそこでさらにつっかかってくるのだが……一つ溜息をつくと、あっさりと木刀をひいてしまう。
「京一?」
 何事かと、思わず顔色を伺ってしまう龍麻。
「あ? なに変な顔してんだよ。ほら、先行って飯食ってろ」
 追い払う仕草で言われて、いつもなら
「京一のストリップ見なくちゃ俺の朝は始まらないし」
 などと言ってさらなる怒りを買おうとする龍麻だが、様子の違う京一に戸惑ったせいかうっかり大人しく従ってしまった。
「……ひょっとして……マジで怒らせたか……!?」
 今までのが本気でなかったかといったら、もちろんそうでないはずもないが。その辺りは現在の龍麻の頭から抜け落ちてるようだった。

 その日の蓬莱寺家の朝食は、それはそれは和やかなものだった。普段なら、絶対在りえないことに。
「龍麻くん……京一どうしちゃったのかしら。今日は怒ってないわねぇ?」
「新しい技を開発したのか?」
 こそこそと隙を見ては囁き合う京一の両親と龍麻。父親の言う技とは、京一を起こす技という意味である。彼に他意はない。
「違います。……昨日頭打ったとかなかったですか?」
「なかったと思うけど……」
「拾い食いでもしたか」
 実の親にこの言われよう。そして、母親も龍麻も思わずそれで納得してしまった。
「なるほど」
「ありえるわね」
 だが流石に鈍い京一でも三人の怪しげな行動に気づいたらしく、ギロリと睨まれる。
「なにコソコソしてんだよッ」
 箸を止めてこちらを睨むその姿に、何故か安心する三人。
「やっぱり大丈夫みたいですね」
「たんに機嫌がよかったのかしら」
「さやかちゃんのCDの発売日とかかもしれんな」
 京一バカ三人。
「聞こえてんだよッ」
 言って、茶碗から最後の一口をかきこむと、乱暴に食器を置いて立ち上がる。
「おら。行くぜ、ひーちゃん」
「あ、ああ……」
 龍麻も慌てて最後に残されたみそ汁を飲み干すと、京一の後を追った。
「おじさん、おばさん、ごちそうさまでした」
 頭を下げることも忘れない。しかしその理由は「俺の未来の義父さんと義母さんだし」である。彼は蓬莱寺家に婿入りすることを本気で未来の予定として組み込んでいるらしい。
「いってらっしゃい、龍麻くん」
「あの馬鹿をよろしくな」
「任せて下さい」
 よろしくなくてもよろしくさせていただきます! 龍麻は心の中で意気揚々とガッツポーズをとり、今度こそ蓬莱寺家を後した。
 


「おっはよー、龍麻くん、京一~」
「おーっす」
「よーっす、お二人さん。相変わらずお熱いね~」
「どこのオヤジだお前……」
「蓬莱寺、夕べはよく眠れたか~?」
「……鈴木、死にたいか」
「旦那も手加減してやれよ」
「ハッハッハッハッハ」
 いつも通りの通学路。出会う人々の殆どに声をかけられることは慣れっこで、京一はいつも通りなげやりにそれに対応し、龍麻はいつも通りにこやかに対応していたが、そうしながらも龍麻は内心ドッキドキだった。
 やはり、京一の様子がいつもと違う気がする。二人を恋人扱いしてくる人々への対応が、柔らかいのだ。いや、確かに嫌そうなのだが、怒鳴ったりはしていない。
「……やはりこれは。嵐の前の静けさ……!?」
 今度こそ京一に愛想を尽かされたかと、にこやかな対応とは裏腹に内心はブリザードハリケーンなのであった。
「裏密~っっっ」
 そして朝っぱらから、悩める少年少女達を救う真神の母、魔界の愛の伝道師、恋のお助け119番、真神学園オカルト研究会部長裏密ミサの下に、早速泣きつきにいく情けない黄龍一名。
「う~ふ~ふ~。ていうかひーちゃん~。今まで嫌われてないと思ってたの~?」
「グサッ」
 怪しげな雰囲気の霊研には、現在この二人の他に遠野杏子もいる。つまり、現在霊研には《緋勇龍麻と蓬莱寺京一をくっつける会》の会長と副会長が揃っているわけである。
「ちょっとしっかりしてよ龍麻くん。早いとこもっとラブラブになってくれなくちゃ、こっちも商売あがったりよ」
 二人の写真で商売しようと企んでいる遠野杏子はシビアだった。
「そうしたいのは山々なんだけどさ」
 それはもう、心の底から。喉から手が出るほどである。
「で、一体どんな問題が起こったわけ?」
 全校公認になったと言っても、実のところ周りの人々は冗談で囃し立てているだけで、京一本人がかなり本気で嫌がっていることを知っている。……だからこそ皆面白がっているわけだが。故に、アン子からすればこれ以上問題を起こそうと思っても起こらない―――ぶっちゃけた話、これ以上龍麻が嫌われたからと言って現状はたいして変わらないのだ。
「……そうなんだ。聞いてくれ二人とも。一大事だ」
 真剣な表情で拳を握った龍麻に、裏密とアン子が思わず身を乗り出す。
 しかし……
「京一が、怒らないんだ!!」

 しーん。

 霊研部室に満ちる、奇妙な沈黙。
「…………」
「…………」
 その後、裏密とアン子の目がスッと半眼に細められる。
「ひーちゃん~って~」
「………馬鹿?」

 その通りだった。

「何を言う! 今まで俺が愛を囁けば百%キレて最悪天地無双、良くても陽炎・細雪は免れなかった! しかし今日は木刀こそ出たものの、まだ一度も技が炸裂していない! 一大事なんだ」
 龍麻の顔は真剣その物であるが故に、妙である。裏密とアン子は顔を見合わせて呆れ果てた顔をした。
「龍麻くんってさ……」
「マゾなのかしら~?」
 そうなのかもしれない。
「わざと京一の神経逆なでしてるもんね」
「普通に接すれば~京一くーんも怒らないのにね~?」
 馬鹿そのものだった。
「どんな事件かと思いきや……。じゃ、あたし帰るね、ミサちゃん。後よろしく~」
「うふふふふ~。いーわよ~。魔界の愛の水先案内人ミサちゃんにお~ま~か~せ~♪」
 水先案内人では駄目なんじゃあ……。などということをツッコめる人間はここにはいない。当の黄龍の器すら、『ミサちゃんは頼もしいな』等と言っているのだから。
「龍麻くんも、しっかりしてよね!」
 そして、そんな情けない黄龍の器の背中をバンと叩いて霊研部室を出るアン子。廊下に出てから溜息と共に吐かれた
「早くヤっちゃえばいいのに。案外奥手なのね、龍麻くんて……」
 などという呟きは、幸いなことに誰にも聞かれなかったようである。
 一方、霊研部室内―――。
「うふふふふ~大丈夫よひーちゃん~。ミサちゃんの水晶によると~京一くんは怒ってないわ~。どっちかというと~諦めたみたい~」
「そ、そうか! ならよかった~」
 心底ホッとする情けない黄龍。
「でも~ここで調子に乗ると元の木阿弥よ~。しばらくは大人しく~前みたいなお友達の態度をとった方がいいみたい~~」
「なるほど。前みたいな、か」
 そう、告白する前までは京一は龍麻に攻撃を加えてきたりなど決してしなかった。遊ぶにしても誘ってきたのはいつも京一からだったし、寄ってくるのも京一からだった。現在では逆転しているどころか、迂闊に近寄らせてももらえない。龍麻はふと以前の平和な日々を思いだして自分の世界に浸りはじめる。
「あの頃はよかった……。そりゃ色々ため込んでたから辛かったけど、なにより京一がいっつも笑ってくれてたもんなぁ。俺、最近じゃ京一の怒った顔しか見せてもらってない気がするよ……。俺のせいだし、怒った顔もそりゃものすっっごく可愛いけどさ。前は怪我すれば心配して家まで来てくれたし、肩も貸してくれたし、手当もしてくれたし、泊まってってくれたし……。―――ってなんだよ、前のがめちゃくちゃラブっぽいぞ!?」
 しかしそれをぶち壊したのは自分自身なので何の文句も言えない。
「くれぐれも~迂闊に『愛してるぜ京一ッ!』なんて言って~襲いかかったりしちゃ駄目よ~。いま我慢すれば~未来は明るいってミサちゃんの占いには出てるから~~」
 龍麻は涙ぐみながら裏密の手を握ってうなずいた。
「ああ、頑張るぜ俺。栄光のあの日を取り戻し、さらにはスペシャルラブラブハッピーライフを手にするために……!」
 
 それから数日後
 龍麻の『取り戻せ友情! ~あの日の見た夕焼けのように~大作戦』が実行に移された。
 果たして彼の目論見は成功するのだろうか。今は誰も知らない。


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#主京 #ラブチェイス

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ジュヴナイル|魔人学園剣風帖

疾走ラブチェイス
▽内容:京一のことが好きすぎてネジがとんでる系主人公のドタバタラブコメディの3作目。
                                                               





 やれやれ。ひどいよな、京一。こんなに愛情注いでるのに通じないなんて。俺ってばこんなに男も惚れそうなナイスガイなのにさ。前はけっこうベタベタさせてくれてたのに、今じゃ警戒しまくって、すぐに木刀出すし。ゴキブリかなにかのように毛嫌いしなくったっていいのになぁ? 俺のガラスのハートはもうボロボロだよ。
 全校生徒も味方に引きいれて、大分俺が有利になったものの、まだまだ安心はできない。なにより京一が俺のこと嫌ってるから、話にならないんだ。告白する前は、絶対俺のことけっこう好きだと思ってたんだけどなー。今や既に害虫扱いだぞ、害虫扱い! いくら俺が男を好きになったからといって、なにもそこまで態度変わらなくてもいいだろうに。
 心狭いよな、京一。水一杯でガタガタ言うし。人としてよくないよ絶対。偏見反対。
 ―――なんて喚いても、京一が俺のことを好きになるなんてことはないわけで。失敗したかと後悔しても後の祭り。言ってしまったものは仕方が無い。こうなったら、開き直ってとことん突き進むしかない。それはもう、手段なんて選ばずに。
 何しろ男同士ってだけでもハンデは大きいというのに、俺が惚れた相手ときたら、男らしすぎるくらい男らしい男。友情に篤いのはいいけど、その範疇が広すぎるというのも結構問題あり。なんでって、人より友情の幅が広い分、友情を超えるには人並以上に《好き》になってもらわなければならないからだ。なんて厄介なヤツだ、蓬莱寺京一。
 それもこれも、惚れた今となっては反骨精神を煽られるだけだったりもするのだが。きっと、こんなこと言えばまた、木刀で殴られるんだろう。最近は、それすら嬉しいのだから、俺ってお手軽だ。今の状況が、酷すぎる、というのも理由のひとつだけれども。
 ピンポ~ン。
 こじんまりした一軒家の呼び鈴を鳴らす。表札はもちろん《蓬莱寺》だ。時刻は朝の七時半。学校に行くには早すぎる時刻。俺の家の方が学校には近いから遠回りもいいところだけど、互いに歩いていける距離だから問題はない。時間も早いし。こんな朝っぱらから迷惑千万だとは思ったが、俺にだって色々と辛い事情があるのだ。
 ほどなく京一のお母さんが出てくる。小柄だけど元気で、声も大きい、さすが京一のお母さんって人だ。小蒔と遠野を足して二で割って、ちょっとばかりたか子先生の肝っ玉据わったところをブレンドした感じか。俺はこのおばさんが大好きだ。そして、どうやらおばさんも俺を気に入ってくれてるみたいだ。行くと大抵は歓迎される。
「あら、龍麻くんじゃない。どうしたのこんな朝早く」
「すいません。京一が遅刻しないように連れてきてくれって、先生に言われたもので」
 恐縮して謝ってから、俺は嘘八百を並べ立てる。今どき小学生じゃあるまいし、そんなこと頼まれるはずもないけど。ごめんね、京一のお母さん。
「あら~悪いわね~。まったくあのバカったら人様に迷惑かけてばっかりで」
 実は今は俺の方が京一に迷惑かけてるんですけどね。もちろん、そんなことおばさんに言わないけど。
「いえ、迷惑だなんて思ってませんよ」
 にっこり笑っていうと、京一のお母さんは嬉しそうに笑った。
「ありがとう、龍麻くん。本当にいい友達を持ったわね~。あのバカは」
 京一のことをバカバカ言うあたり、すごく小蒔や遠野に似ていると思う。もちろん、本当にバカだと思ってる言い方じゃない。もっと愛情のこもった「しょうがないわねぇ」的な《バカ》だ。
「あ、ごめんなさい玄関先で。あがってあがって。あのバカまだ寝てるのよ」
 招かれるまま、遠慮なくお邪魔させてもらうことにする。そうか、京一はまだ寝てるのか。よしよし。
「龍麻くん朝ご飯食べてきた? まだだったら食べてって。今バカを起こしてくるから」
 おばさんは妙にウキウキしているみたいで、俺を引っ張るようにダイニングに連れていく。そこではおじさんが朝食を取っていた。
「お、緋勇くんじゃないか」
「おはようございます。こんな朝早くに伺って申し訳ありません」
 外面全開で丁寧にお辞儀をして挨拶をすると、おじさんは豪快に笑って俺の肩を叩く。
「はははは、若いのに細かいこと気にするな! ま、座って食べろ!」
 イタタ、痛いっすよ、おじさん!相変わらず、明るい家族だ。
 さておき。今日の俺は気合充分、エネルギー満タン。珍しく朝ごはんを食べてきていたので、丁重にお断りする。
「いえ、食べてきましたから」
「そうか? おい、じゃあ早くバカを起こしてこい」
 すると、おじさんは残念そうにしてから、おばさんに向かって言った。
 ……おじさんまで京一をバカ扱い……いや、実際バカだけど。あんまりバカバカ言うからあいつバカなんじゃ……。なんてことを思う。
「そうね。ちょっと待っててね、龍麻くん」
 あー、ちょっと待った!
 いそいそとダイニングを去りかけるおばさんを俺は止めた。
「いいですよ、俺が起こしてきます。どうぞ、食べていてください」
「え? でも悪いわー。あいつ寝起き悪いし」
「ちょっと驚かせたいんです」
 もう一度、俺は邪気のないにっこり笑顔を浮かべてみる。
 すると、おばさんはすんなり
「そお? じゃ、お願いするわ! 思いっきり遊んでやってね」
 と、楽しそうに代わってくれた。
 ―――この一家はいたずら好きらしい。さすが京一の家族というかなんと言うか。俺と非常に気が合いそうだ。俺、ここになら婿入りしたいな。おじさんに言ってみるか。『息子さんを僕にください』って。駄目だろうか。この一家ノリならば、あっさり笑って許してくれそうな気もするけど。学校の時のように、京一に内緒でやってみるかな、今度。京一に知られたら、また半殺しにされるだろうが。しかし、京一が嫌がるって知ったら余計にノリ気になって協力してくれそうだけどな、おばさんとおじさん。ほんと、愛されてるよ。よかったな、京一。「そんな歪んだ愛情欲しくねー!」と嘆く京一の姿が目に見えるようだ。
 さておき。
 俺はダイニングを出、階段を上って京一の部屋を目指す。二階には三部屋あって、一番奥が京一の部屋だ。六畳の洋室。
 ドアを開けるとまず目に入るのは舞園さやかの特大ポスター。京一が大のファンだという今人気のアイドルだ。確かに可愛いかもしれないが、俺の目には京一の方が何倍も可愛く映る。多分、俺の目が腐ってるんだろうが、問題はないのでいいだろう。可愛いものは可愛いのだから。
 部屋には、ほかにも何枚か舞園さやかや他のアイドルのポスターやらグラビアやらが張られている。壁を埋め尽くすほどではないが。
 ……にしても、相変わらず汚ねー部屋……。
 部屋の奥にベッド。物置場と化している机。椅子の上には適当に投げたらしい制服。埃をかぶりまくっているコンポに小さいテレビ。床にはゲームやら雑誌やら食いかけの菓子やら空き缶やらが散乱していた。それらを踏まないように注意しながら、足音と気配を殺しそろそろと奥に向かう。
 京一はベッドに大の字になって寝転がっていた。暑かったのか、布団は蹴られて床に落ちかかっている。
 豪快な寝相だ。パジャマがわりのTシャツがめくれて腹が見えている。この野郎、幸せそうに寝やがって。襲うぞ、コラ。あまりにも気持ちよさそうに寝ている京一に腹がたつ。まったく、人の気も知らないで。
 せっかくの機会だし。少し遊ばせてもらうか。何しろ、最近は近づくのすら困難。前はしょっちゅうベタベタしてきたくせに、あれからというもの、毛嫌いされて半径三メートル以内に近寄るのすら苦労するからな。全然触っていない。―――こう言うと、何だか変態みたいだが。毛虫やゴキブリのように嫌われていれば、煮詰まってくるのも仕方ない。  
 そこまで考えたところで、余計に自分を追い詰めそうだったから、不埒な遊びはやめることにする。なんて善人なんだ俺。
 しかし。朝、恋人を起こすと言えばやはり、甘~いキスか甘~い囁きだろう。ここは定番を踏んでおかねばなるまい。俺はベッドの横に移動すると、かがみこんで京一の耳元へ顔を近づけた。
「起きろよ、京一。朝だぞ」
 ……一応耳元で囁くものの、反応なし。うざったそうに反対を向かれてしまった。……ムカツク。
 ちょっと傷ついたので耳をひっぱることにする。すると、「うー…」となにやらうめいていた京一から容赦なき肘鉄が。すんでのところでそれを避けた俺だが、今のはヤバかった。……寝てる時でもお前は乱暴だな……。泣くぞ。
 肘鉄の勢いでそのまま寝返りをうった京一はまた、仰向けの状態で健やかに寝ている。相変わらず幸せそうな寝顔が憎々しい。
 コノヤロウ。そうくるならこっちも遠慮はしないぜ。フフフフフ……。
 復讐に心を燃やして再度顔を寄せ……今度は耳をなめてやった。次はマジにキスしてやる。ついでに舌まで入れてやる、覚悟しとけコンチクショウ。とか思いながら。
 が、残念ながら次はなかった。
「うひゃあ!」
 と、すっ頓狂な声をあげて京一が飛び起きてしまったからである。
 ……チッ、これから本格的に復讐しようと思ってたのに。
 舌打ちした俺と、何事かと部屋を見まわしていた京一の目が合った。俺は『目覚めのキス』を仕方なく諦めて、わざと微笑みながら言う。
「おはよう、京一」
 逆鱗に触れるのがわかっていてやる俺も、いい加減ヤキが回っている。 案の定、京一は朝っぱらから額に青筋浮かべて叫んだ。
「なんでてめーがここにいるー!!」
 ……やれやれ。朝から血圧高いな。そのうち血管ブチ切れるぞ。健康によくないぜ。
「なんでって……愛の力」
 流石に寝起きで木刀は持ってなかったが、代わりに拳が飛んできた。ははは、剣士が拳でかかってきたところで、真実拳士である俺に適うわけもない。俺は顔をそらして京一の攻撃を避け、ついでに腕を掴んで止めてみた。
「離せッ」
 ブンブンと腕を振って俺の手をはがそうとする京一。起き抜けにこれだけ動けるなら、目は覚めたってことだろう。腕をがっちり掴んだまま、のんびりと判断を下す。言い換えるなら、腕をしっかり掴んでないと、まともに考えもできなければ、話すこともできないということだ。まったく困ったやつだよ、お前は。
「まぁ落ち着け。お前……俺が迎えにでも来なきゃ、休むつもりだっただろ?」
「……ッ」
 ふざけたことを言うのはやめて真顔で言えば、見るからに図星って顔。
 俺が宣戦布告した次の日に休んだくらいだ。昨日は昨日でまた一騒ぎあったから、また休むんじゃないかという俺の予感はまさに的中してたって訳だ。
「休むのはいいけどな。そうしたら俺、今度は何するかわかったもんじゃないぞ?」
 ニヤリと笑ってみせると、京一は言葉につまってただ俺を睨み返してくる。特に何かする予定があった訳ではなかったが、そう毎度休まれては京一のただでさえヤバイ出席日数が心配だし、何より俺がつまらない。変なところで頑固な京一を動かすには、やはり適度な脅しと適度な挑発。そして、通じるかどうかは置いといて、適度な優しさが必要だ。
「これ以上どーするってんだよ」
「お前の親父さんに『息子さんを僕にください』って言ってやる」
 ザーッと、面白いほど一気に京一の顔が青くなる。まさしく百面相って感じだ。全校生徒を味方につけ、マリア先生も味方につけた俺だ。しかもめでたく全校公認カップルになったことだし、あと残すところは親公認だけだろう。
「~~ッわかったよ、行けばいーんだろ!!」
 よっぽど昨日のマリア先生の件が効いているのだろうか。今度ばかりは京一も俺の本気を侮ることはしなかった。しばらく悔しげに唸った後、自棄になったように強く言い放つ。ついでに、語調よりも強く掴んだ腕を振り払われたが。とりあえず、目的は果たしたので俺もそこはアッサリと腕を解いた。
「……………」
 それから京一は、ふてくされた顔で渋々ながらも椅子にかけてあった制服をとり、着替え始める。ハンガーにも掛かってなかったせいで、皺になっているが、京一は全く気にしてないようだ。しかし、先に着替えていいものなのか。俺は洗顔とかを済ませてから着替えるがな。水跳ねるならともかく、石鹸つくと厄介だから。あー、でも京一はインナーがTシャツだしな。あんまり問題ないのかもしれない。
「……………」
「……………」
 などと考えてぼけっとしていた俺に、京一の声がかけられる。刺々しい視線と共に。
「おい……」
「なに?」
 着替えようとしてパジャマがわりらしいTシャツの裾に手をかけたところで動きを止めた京一にジロリと睨まれて、俺は素直に返した。
 ―――途端、またもや拳が飛んでくる。
「なに? じゃねーだろ! さっさと出てけッ」
 なんだ。見てたのが悪かったのか。
「別にいーだろ、男同士なんだし。減るもんじゃないんだからさ」
 だが、京一はさっぱり俺の言葉になんて耳も貸さない。攻撃を避けていくうちに出口へと追い詰められ、最後は蹴り出されてしまった。
「いっぺん脳みそ洗ってこい!!」
 そして、勢いよくドアが俺の目の前で閉まる。
 ―――本当に、つれないぜ……。
 上半身裸くらい、体育の時にどうせいつも見てるんだから、今更だろうに。まったく初いヤツめ。しかしこれは、意識されていると取っていいのだろうか。むしろ、毛嫌い度が増したとも言うが。どこまで行くんだろうな、俺の京一嫌われ度。見事すぎる急降下。親友とか相棒とかいう言葉はどこへ消えたんだ。一度仲間と認めたら、とことん友情貫くタイプだと思ったんだかな……。ここまで嫌われるとは思わなかった。とんでもなく計算外だ。その代わり、予想以上・必要以上に周りは応援してくれているが。……それも現在は逆効果っぽいし。
「はぁ……」
 俺は小さく溜息をつくと、仕方なく階下に下りていった。





 階段から降りてくると、ダイニングでは、おじさんとおばさんが朝食をとっているところ。促されてダイニングのテーブルにつかせてもらえば、おばさんが上機嫌で、淹れたてのコーヒーを出してくれる。
「龍麻くんすごいわねー。あのバカ、いつもは全然起こしても起きないのよ」
 上機嫌の理由は、それらしい。まぁ、京一は授業中も全然起きないし。先生に指されても眠りつづけるなんてしょっちゅうだし。家なら尚更なんだろう。
「どんな起こし方をしたのか教われよ。そうすりゃこれから楽だろう」
 おじさんが笑っておばさんに言うが、ちょっと教えられない起こし方かもしれないので、俺は笑って誤魔化しておいた。少なくとも、本人の親御さんには教えられまい。しかし、叫び声とか聞こえた筈なのに、その辺はツッコまれなかった。普段は一体どんな起こし方をしているのか、気になるところだ。
「あらー、違うわよ。これから龍麻くんに毎朝起こしにきてもらえばいーのよ」
 俺が適当に誤魔化そうとしていると、おばさんが呑気に、そして楽しそうに言う。思わず、速攻で頷きそうになってしまった。い、いいのだろうか。それが本当なら、喜んで毎日でも来ますよ、俺は。遠慮も何もなく、通い詰めますよ。いいんですか!?
「バカ、迷惑だろうが。龍麻くん、遠回りなんだろ?」
 嗜めるように、おばさんにおじさんが言うが、そんな気遣いは無用というものだ。京一の寝顔を見るためなら、たとえ火の中水の中!!
「いえ、俺の方は構いませんよ。こちらさえご迷惑でなければ、ぜひ毎日でも」
 バリバリ外面モードの笑顔で、あくまでも爽やか好青年風に決める。この好機を逃してはならない。笑顔など、いくらでも大安売りしようというものだ。
「そうか? そうだな。龍麻くんが来てくれると助かるなー」
 おじさんの心は大分揺れ動いている。しかしまだ、俺に対する遠慮があるようだ。
「あ、ねぇ龍麻くんは一人暮らしでしょ? 朝ご飯ちゃんと毎日食べてないんじゃない?」
 あと一押し! と思ったところで、おばさんが京一を起こしにくる話から、突然に話題を変える。くそ、あと一息だというのに。やはり迷惑なのだろうか。しかし、残念そうな顔を見せるわけにもいかず、忍耐で外面を維持した。
「そうですね、ときどきサボります」
 ときどきサボるどころか、時々しかしない、というのが真実だが。まぁ、男子高校生の一人暮らしなんて、そんなもんだろう。なるべく自炊しようと思っても、眠かったりだるかったりすれば、ついコンビニに頼ってしまう。京一がよく遊びに来ていた時は、甲斐甲斐しく作ったりもしていたが、一人ではそんな気も起きない。
 躊躇いがちに、控えめな表現で言ったものの、不健康な生活を怒られるだろうかと危惧していた俺だったが、おばさんは逆に嬉しそうに手を打った。いいことを思いついたとばかり。
「じゃあ、朝ご飯はウチで食べていかない? あのバカを起こしてもらうお礼がわりに。ね?」
 なにぃっ―――!? 
 い、いいのかそんな至れり尽くせりで……。毎朝京一の寝顔が見れる上に朝食付きとは……。
「いいんですか? そんな……」
「いいの、いいの。おばさんも毎朝龍麻くんに会えて嬉しいし。もうあのバカ起こすのに苦労しないし、龍麻くんは健康的になるしで一石二鳥じゃない!」
 いい人だ。まるで俺と京一の愛のキューピッドだな。親だけど。やっぱり俺、婿入りしよう。おばさんは相当俺を気に入ってくれてるみたいだから、それも夢ではないかもしれない。目指せ蓬莱寺龍麻!
 ―――なんて、さすがにそれは無理だろうけど。
 しかし、おばさんはご機嫌だし、おじさんも俺が迷惑じゃないならと、よろしくされたし。これはもう、親公認と言っても過言ではないだろう。ありがとう、お義父さん、お義母さん! 
 ―――と、話が全て決まった頃。制服に着替えて、洗顔等の身支度も終えたらしい京一がダイニングにやってきた。あからさまに不機嫌な顔をして。こんな時でも木刀を持っているあたりは流石だ。
「めし」
 席につくなりボソリと呟く。おばさんが『偉そうに!』とぼやきながらも茶碗にご飯をよそって京一に渡した。
 隣に座っている俺のことは完璧に無視。
 あーそう。へーぇ、そう。いーですよもう。わかってるよちくしょう。そんな態度をとっていられるのも今のうちだけだからな。なにしろもう、俺は京一の両親から絶大な支持を得ているわけだし。毎朝起こしに来てってお願いされちゃったしな!
 そのことを教えてやろうと俺が口を開く前に、おばさんがにっこり笑って今しがた決まったことを告げた。……この件に関しては、ひょっとすると俺よりもおばさんの方が乗り気のようである。
「京一、龍麻くんに感謝しなさいよ? これから毎日寝起きの悪いアンタを龍麻くんが起こしに来てくれるっていうんだから」
「はぁ?!」
「そうだ。いい友達を持ったな。お前にはもったいないぞ」
「おいちょっと待てよ。どういうことだよ、それ!」
 目をむいている京一なんて気にも留めないおじさんとおばさん。良かったわねー。なんて言い合っている二人に何を言っても無駄だと悟ったのか、矛先がこっちに向いてきた。
「ひーちゃん……てめェ、何しやがった……ッ!」
 失敬な。俺は何もしてないぞ。今回ばかりは誤解だ。昨日を始めとする学校での数々は俺自ら色々と工作したことは認めるが、今回は違う。なにしろ頼まれただけなのだから。が、俺が反論する必要もなく、おばさんの鉄拳が京一に制裁を加えた。
「私が頼んだのよ! 今日あっさりアンタが起きたから、その腕を見込んでねッ」
 その素早さはさすが京一の母親だけあって、かなりのもの。そして威力。タイミングもバッチリで、俺はおばさんと結構気の合うパートナーになれるかもしれないと思った。やはり、お義母さんと呼べる人は貴方だけだ。
「お前はそれでも人の親か?! テメェの子供がどうなってもいいってゆーのかよッ」
 よっぽど鉄拳制裁が痛かったのか、涙目になった京一がおばさんへ向かって叫ぶ。俺への攻撃はとりあえず矛先を変えたらしいが……。
 おい、京一。そんなこと言ったって、事情知らない人間にはさっぱりわからないぞ。それともいいのか? 事情説明しても。それはもう、あることないこと説明しても。
「なにわかんないこと言ってるのッ!」
 案の定、事情を知らないおばさんは聞く耳もたない。しかも俺のこと気に入ってくれてるしな。実のところは、恐らく京一の言い分が正しいんだろうけど。ここはスッパリ無視しておこう。別に一から説明してもいいのだが―――余計に京一が激怒する結果になりそうなのでやめておいた。
「どーなってんだよ、一体!」
 もう一度鉄拳をくらって、頭を抱えながら京一が嘆く。いや、どうなってるって言われてもなぁ。今回ばかりは俺としても意外というかなんというか。かなり戸惑ってもいるんだがな。しかし、こうも京一から非難がましく、恨みがましい視線で睨まれると意地悪したくなるというもので。ついつい、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべて、からかうように耳元で
「これで親公認だな♪」
 などと囁いてしまうのだった。そして当然のように京一から拳が飛んでくるが、予想できた動きなんて止めるのはたやすい。真っ赤になって怒る姿がまた可愛かったので、さらに追い討ちをかけてしまう。
「ハハハハハ、照れるなよ、京一」
 だから嫌われるんだ、俺。
「ふざけんなッ!!」
 まぁ、どれだけ嫌われようとも逃がすつもりないからいいけど。早いとこ、諦めた方がいいと思うぞ。全校公認・親公認。最早周りは俺の味方だらけ。無駄な抵抗はやめなさい。残るはお前一人なんだから。もっとも、一番肝心要のお前が認めてくれなきゃ、どうしようもないんだけどさ。
 ―――仕方ない。ここまできたら、持久戦。俺とお前の根競べというか、体力勝負といいますか。そのうち、こんな状況にも慣れてくれば、態度も緩和されるだろう。その時こそ、勝負だ。
 ―――京一の罵声を聞きながら、俺は結構呑気なもの。それと言うのも実のところ。割とスリリングなこの状況を、楽しんでいるからなのだった。
 何しろさすが、友情に篤い男、蓬莱寺京一。散々俺のこと大嫌いそうにしてる割には、まだまだ呼び名は「ひーちゃん」なのだから。
 言うと気づいてしまうから、これは絶対言うつもりもないことだけどな。まぁ、勝負はまだまだついてない。これからってことで。今日はひとまず、親公認で勘弁しといてやるよ。



畳む

#主京 #ラブチェイス

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ジュヴナイル|魔人学園剣風帖

激走ラブチェイス
▽内容:京一のことが好きすぎてネジがとんでる系主人公のドタバタラブコメディの続き。
                                                               



 だからさ、別に龍麻のことが嫌いだってわけじゃないんだよ。あいつはいいヤツだし、頼れる男だよ。あいつがいなきゃ死んでた戦いだったあったしよ。
 けどそれとこれとは話が別だろ?
 いきなり「愛してる」だぜ?! そりゃ逃げもするって。嬉しくないだろ、男に告白されても。そりゃ、あのときの俺の対応はマズかったかなとも思うけどよ。どっちにしたって俺がひーちゃ……龍麻をそんな風に好きになるなんてありえねェし。本気なんだったら尚更さ、早く俺なんかに愛想つかした方が、あいつのためにも絶対いいって。
 なんだかんだで、あいつ、俺よりモテるし。仲間ん中でも殆どの女の子はあいつのこと好きだろ? もったいねェよなァ。せっかくよりどりみどりだってのに。いや、俺がいい男だってのはわかってんだけどよッ! 男に惚れられてもなぁ……。


 《緋勇龍麻・マジギレ宣戦布告事件》の次の日、結局俺は学校をサボっていた。行ったら絶対大騒ぎになるのは目に見えていたし、龍麻と正面きって戦う覚悟をしなければいけないと思ったのだ。―――それがさらなる悲劇を生むとも知らずに。
 あいつは仲間で親友。それは変わらない。けど、今まで通りの態度というわけにもいかないだろう。―――なにより、あいつが図に乗りそうだ。心を鬼にして、冷たい態度をとらなければ! ……そして、とにかくあいつのノリにのせられないこと。
 だが、そうやって俺が一人悩んで覚悟を決めている間、取り返しのつかないことが、学校で行われていたのである。



「…………殺すッ」
 俺は手にした真神新聞号外を怒りに任せて破り捨てた。そして、足音も荒く廊下を走り、自分の教室ではなく、三年B組の教室へと駆けこむ。
 目的の人物はそこで、文字通り笑いが止まらないという体で、真神新聞号外を押し寄せる人々に売りさばいていた。
「おい、アン子ォッ!!」
 人ごみをかきわけ、目的の人物……遠野杏子の肩をつかむ。アン子は俺の剣幕に一瞬びっくりしたようだが、すぐに笑顔に変わった。
「おっはよー、京一。清々しい朝ねっ」
「俺は全然清々しくねェんだよッ」
 アン子のところに新聞を買いにきていた暇人どもが、俺を恐れてかさっと距離をあける。しかし視線はこちらに注がれたままだ。好奇心でいっぱいの視線を。何しろ俺は、その新聞で扱っている記事の張本人の片方だしな。ちくしょー、俺は見世物じゃねェっての!
「どういうつもりだ、お前」
 精一杯の自制心を働かせて声を荒げるのを押し留めた俺は、アン子に低く問う。逆にこれが功を奏したらしく、いつもと違う俺の怒り方に本気と見てとったのか、アン子は視線を宙へ漂わせた。
「ど、どういうって……?」
「しらばっくれんな。この記事だよ!」
 俺が先ほど持っていたもの(廊下にいた美里がくれたものだ)は破り捨ててしまったため、アン子が持っていたやつを一枚とって目の前に突きつけてやる。シラきろうったって、そうはいかねェからなッ。
「これが、どうかしたの?」
 ひきつった笑顔ながらも、開き直りを決めたらしく聞き返してくるアン子。
 このやろう。いや、落ち着け俺、ここで怒鳴ったらなんにもならねェぞ。言い聞かせ、気を落ち着けるため一呼吸おいてから俺は口を開く。
「な・に・が・独占インタビューだ! これじゃあ記者会見じゃねェかッ」
 現在ばら撒かれている真神新聞の号外に載っていた記事とは、つまり俺と龍麻についてのことであり。そこには恐ろしいことがズラズラと書かれていたのである。
 これによると、どうやら俺が休んだ日、アン子のヤツは龍麻にインタビューを申し込んだらしい。それだけならまだしも、この件に興味を持つ女生徒数十名がその場に同席を申し入れ、龍麻はそれを承諾。インタビューにきっちり答えたばかりか、数十分に渡る《演説》をし、その場にいた女生徒達を感動の渦に巻き込んだという。新聞には、インタビューに対する答えの他に、その《演説》内容がこれでもかという程書いてあった。とてもではないが、俺が正気で読めないほどクソ恥ずかしい内容が!!
 そして今日、俺は三階にたどり着くまでに散々、女の子達から
「あたし感動しちゃったー。よ、幸せ者ー!」だの
「緋勇くんの気持ちわかってあげて」だの
「龍麻くんとお幸せにね!」だの
「緋勇さんにあんなに思われてるなんて……うらやましいです」だの。
 俺には嬉しくないことばかりを言われてきたのだ。龍麻の前に俺の気持ちをわかってくれ、頼むから!
「龍麻くんの了解はとってあるわよー。いいじゃない、ここまで愛されてんだから本望でしょ?」
 これで相手が女の子だったらな!!
「男に愛されて本望も何もあるかッ」
 まったく隠すことなく堂々と、切々と愛を語られても、どれほど相手がカッコよく、いいヤツでも。俺は男で、龍麻も男なんだ。みんなその辺わかってるのか、ほんとに。
「いーじゃない、男だって」
 しかし、アン子はあっさりと言いきった。
「いいわけないだろうが!」
 俺も間髪置かずに言い返すが、アン子の眼鏡に剣呑な光が宿ったのに少しばかり怯む。
「あのねぇ、龍麻くんっていえば今や真神一モテる男よ? 顔は文句ないし、頭もそこそこだし、人当たりもいいし。おまけに強い! それにここまで一途に想ってくれる人なんてなかなかいないわよ」
 真神一モテる男は俺だとか、色々言いたいことはあったが、今言うべきなのはそこじゃなかった。なんてことを思っている間にアン子のヤツはたたみかけるように言葉を続ける。
「それに龍麻くんを好きだった女の子、殆ど彼の演説聞いて応援するって決めたのよ? ここでアンタが無下に断ったら、彼女達の想いが浮かばれないじゃない。龍麻くんに愛されるなんて、アンタには身に余る幸運なんだから!」
 キッパリと断言されてしまい、色々用意していたはずの反論が霧散していく。思わずそうなのかもしれないとまで思ってしまった。
 そうか? 俺って幸運なのか? しかし、今の状況はどう見ても、不幸以外の何物でもないではないか。それは気のせいじゃないだろう。そりゃあ、龍麻に想いを寄せてた女の子は可哀想だとは思う。よりにもよって、好きな相手の思い人が男なんだから。けど、それは俺のせいではないはずだ。
「だからってなぁ……」
 はいそうですかと、うなずくわけにはいかない。しかしちゃんとした文句にはならなくて、ブチブチ呟いていると、業を煮やしたようにアン子が断言した。
「アンタなんかに龍麻くんをとられた彼女達のためにも、アンタは龍麻くんを幸せにしないといけないのよ!!」
 ……………。
 あまりにも堂々と断言されると、またもそうなのかという気がしてくるから不思議だ。いかんいかん。違うだろ、そうじゃないだろ!
 いや、龍麻が幸せになるということはいい。だがこの場合、龍麻が幸せになるとそれに反比例して俺が不幸になるんじゃないか? いやだ、俺の幸せはナイスバディなオネェちゃん達と酒池肉林なんだ!
「俺の幸せはどうなる!!」
「アンタの幸せなんてどうだっていいわよ」
 一刀両断とは、まさにこのことだろう。
 ―――アン子さん、僕になにか恨みでもありますか……?
 そう問いたくなった俺を誰が責められようか。がっくりと肩を落としたくもなるというものだ。一体、俺と龍麻のこの扱いの差はなんだ。どう考えてもおかしい。何故この状況で、俺が責められなきゃなんねェんだ。理不尽だぜ。ああ……「日頃の行いの差だねッ」と笑う小蒔の幻影が見える……。
「だいじょーぶ、龍麻くんならきっと幸せにしてくれるってば」
 落ち込む俺にかけられた言葉は、励ましというよりも更に地の底へと突き落としていくものだった。いやだッ、俺は美人でナイスバディで優しいオネェちゃんと幸せになるんだー!! 
 ―――という、俺の魂の叫びは教室に響くことはなかった。何故なら……
「任せてくれ、遠野。京一は俺が必ず幸せにしてみせる!」
 いきなりどこから現われたのか、龍麻が俺の肩をがっしと抱いて、アン子に向かってにこやかに、堂々と宣言してしまったからである。
「な、お、お前どこから……ッ」
 あまりにも突然で、驚きのあまり後ずさろうとしたが、龍麻に肩を組まれているため上手くいかない。
「ドアからに決まってるだろ。いくら俺でも床からはちょっと登場しかねるぞ」
 いや、そういうことではなく。
 ツッコミかけて我に返る俺。いかん、このまま龍麻のわけわからんノリに巻き込まれては!! 何の為に昨日休んだのかわからなくなってしまう。
「それはともかく、ひっつくんじゃねェよ」
 とりあえずは、俺の肩にのっている龍麻の腕を問答無用でひっぺがし、さりげなく距離をとる。告白されたときといい、マジギレ事件のときといい、こいつは油断すると何しでかすかわかんねェからな。
「ははは、照れるなよ京一。もはや俺達の仲は全校公認! 遠慮することなんて何にもないぞ」
「遠慮なんかしてねェッての!!」
 こりもせずに俺に近寄ろうとする龍麻を木刀で牽制しつつ、さらに距離を置いた。野郎にベタベタされて嬉しいわけがあるか。
 大体、全校公認ってなんだ! 誰のせいでこんな噂になったと思ってやがる。―――いや、原因の一端は俺にあるんだけどよ。告白された後、あんなに逃げ回らなきゃここまで知れ渡らなかっただろうし。それにしたって、元凶は龍麻以外の何者でもない。それに、あのあと噂を助長して広めまくり、単なる噂を確信させたのはアン子と龍麻の二人だ。しかも、俺が嫌がっているという事実をさっぱり無視してな!!
「ハハハハ、相変わらず俺を嫌っているようだが……。残念ながら最早お前に味方はいないと思え。昨日、お前が休んでいる間に、既に全校生徒は俺の味方となった!」
「……ンだとぉ?!」
 聞き捨てならねェ台詞に、俺は眉を跳ね上げる。そりゃ、散々そこ行く女の子達に色々言われたが。アン子のせいもあって、女の子達の大部分が龍麻の応援してるってのは聞いたが。全校生徒ってどういうことだよ!
「ちなみに、有志による《緋勇龍麻と蓬莱寺京一をくっつける会》も発足済み。会員数は今のところ三百人だ」
「なんじゃそらー!!」
 ちょ、ちょっと待てよなんでそんなもん作るんだ。何考えてんだ皆ッ。正気に戻れ! しかも、なんでそんな頭おかしい人間が三百人もいるんだー!!
 俺は頭を抱えて悩みまくる。……わ、わからねェ……。皆の考えていることがわからねェ……。
「ちなみに会長はあ・た・し。ついでに副会長はミサちゃんよ♪」
 陽気に笑ってアン子が知りたくもないことを教えてくれる。よりによってお前らか。なんで裏密なんだ。うらみつ……。裏密?! と、とてつもなく嫌な予感が……。恐ろしすぎる面子だぜ……。龍麻と裏密に組まれたら、誰も敵わねーんじゃ……。
 しかし、恐怖の事実はこれだけでは終わらなかった。奴らはさらに、とんでもないことをしでかしていたのである。
「実は龍麻くんのインタビュー、ギャラリー希望多すぎちゃって。抽選で数名のみ直接観覧で、抽選もれした人のために昼休みに校内独占生放送したのよねー」
「ねー」
 アン子の恐ろしい発言に、龍麻が首をかわいらしく(かわいくはなかったが)傾げてうなづいている。やめろ、気持ち悪いから。
「そのせいか、会員もあっと言う間に三桁よ。しかも、前後関係、あの告白事件と捕り物事件まで親切に網羅してある、《緋勇龍麻と蓬莱寺京一の愛の行方特集・真神新聞号外》も、おかげさまで大人気だし。ありがとね、京一♪」
 すこぶる機嫌の良いアン子に対し、俺は不幸のドン底だ。目の前のにこやかなアン子に、金に埋もれて高笑いをしているヤツの幻影が重なって見える。鬼だ。悪魔だ。俺は泣きたいぜ……。たった一日休んだだけだってのに、いつの間にやら全校公認のホモだ。まだ休む前は、ホモは龍麻だけだったのに。一体俺が何をしたっていうんだッ。何もしてない。俺は何も悪くないぞ! なのになんでこんな目にあわなきゃならねェんだーッ!!
 心の中で泣き叫んでも、この鬼悪魔達は容赦がない。さらに追い討ちをかけてくる。よっぽど鬼道衆の方がマシだ。
「と、いうわけで、いいかげん諦めて俺のものになれ、京一」
 にっこりと爽やかな笑顔で言うことか! そんでもって命令形で言ってんじゃねェよてめェッ!!
「誰が、なるかーッ!!」
 全ての憤りの嘆きを込めて、俺は容赦なく地摺り青眼で龍麻をふっとばした。少しは俺の痛みを思い知れッ!




 ともかくも、そんな訳で。緋勇龍麻とその仲間達による謀略により、真神学園の全校生徒の約九割は龍麻に味方した。さすがに一人残らずとはいかないが、残りの一割はあくまでもこの件自体に興味が皆無な輩であり、俺の味方なわけではない。気がつけば公認ホモの上、孤立無援。これから俺は、かなり過酷で孤独な戦いを覚悟しなければならないようである。
 何しろ龍麻についた九割の人間の殆どが、俺が嫌がっているのを知らないはずはないだろうに、既に俺と龍麻をカップル扱いしやがるのだ。まさしく全校公認ってやつだ。昼食なんぞ、クラスメートの協力攻撃によって逃げ道は塞がれ、強制的に龍麻と向かい合わせで食べさせられそうになった。出入り口は塞がれていたから、俺は仕方なく窓から逃げたのである。
 ……あれは、かなり怖かった……。何しろ三階だ。いくら俺でも三階から落ちたら無傷ではいられない。なんとか窓際を伝って逃げられたからいいものの、これから毎日この協力攻撃が続くのだったら、そのうち窓も塞がれそうだ……。そうしたら龍麻と二人向かい合っての昼飯……。うわぁああ、それは寒すぎるぜッ! 勘弁してくれッ。
 今まで毎日のように龍麻と昼飯を食ってきたが、二人きりってのはなかったし、それに今は状況が違う。偏見はよくねェとは思うが、己に振りかかってくる火の粉は払わなければなるまい。そう、俺の平穏な日々を。そして、なによりも俺の輝かしいオネェちゃん達との青春の日々を取り戻すために!!

 だが、そんな俺に追い討ちをかけるかのように―――その日の放課後、マリア先生から呼び出しがかかった。
 俺と、龍麻に。
 心あたりは、ひとつしかない。この騒ぎに決まっている。
 ここまで生徒達の間で噂になり、生放送で全校にくそ恥ずかしい演説を流し、さらには新聞まで出されては、先生の耳に届いていないと思うほうがおかしい。ついに、恐れていたことが起こってしまった。
 だが、考えてみれば全校生徒が俺の敵に回った今、先生に頼るしかないのではないか? そうだよ、先生だって不純同姓交友は禁じるだろうしな! ひょっとしたら龍麻を嗜めてくれるかもしれない。
 俺は先生にまで知れ渡ってしまったことを恨みながらも、最後の望みをマリア先生にかけることにした。
 とは言っても、なにを言われるかわからないから緊張しちまう。神とか仏とかはさっぱり信じてない俺だが、今はなんにでもいいから祈りたい気分だ。
 職員室に入ると、すでに龍麻がマリア先生のところにいた。恐る恐る近づくと、マリア先生は柔和な笑みで迎えてくれる。それにちょっとばかり安心する俺。
「来たわね、蓬莱寺くん」
 自分の席に座るマリア先生が、椅子ごと俺達の方を向いた。……不本意ながら、俺は龍麻の隣に立つことになっていたからだ。
「どうして呼び出されたかは、わかってるわね?」
 途端に厳しい視線になるマリア先生。一応、なんでかは分かってるから、俺は渋々頷く。分かりたくなどなかったが。
「さすがにここまで噂が広がってしまうとね……。先生としても見逃すわけにはいかないの。……それに、緋勇くん。面白がって噂を煽るようなことをしては駄目よ」
 静かに龍麻を嗜めるマリア先生に、俺は心の中で拍手喝采を送った。ああ、ありがとう、マリア先生!! 流石だぜッ。信じてないどころか龍麻を止めてくれるなんて!
 俺は俄然勢いづいて、一気にまくし立てる。
「そうなんだよ、マリア先生ッ。こいつが調子にのってあんなことするからさ。俺、全校生徒に誤解されてんだぜッ!?」
 これを機に、なんとしても先生をこっちの味方につけないとな。例え三百人が敵に回ろうとも、先生が味方についてくれれば百人力だぜッ。しかもそれがマリア先生なら言うことねェ。
 俺は切々と苦労を訴えようとした。しかし、その時。今まで真面目な顔して黙って聞いていた龍麻が、一歩前に出やがったのである。至極真剣な顔のまま。苦しげにも聞こえる声と共に。
「誤解でも、単なる噂でもないんです、先生」
「はい?」
 そんな表情で真っ直ぐに見つめられ、先生は目を丸くする。そして苦しげな龍麻の声の響きに、眉をひそめた。
 ち、ちょっと待てッ。せっかく先生が信じてないってのに、何を言いだすんだこのヤロー!
 ―――と、俺は慌てて龍麻を木刀で殴ろうとしたが、あっさりとかわされてしまう。ちくしょう、背後からだったってのに! 
 そして、歯軋りする俺をよそに……言いきりやがった。
「俺、京一のこと本気で愛してますから」
 うがああああッ! 言うな、そういうことをあっさりとぉおお!!
 しかもここは職員室なんだぞ?! 
「お前なぁッ!」
 反論し、更にはアホな龍麻の口を塞ごうとするが、向こうの方が素早かった。俺の行動なんて、予想がついていたんだろう。龍麻は俺の口を手のひらで塞ぐと、にっこりと笑った。絶対わざとに違いない、しらじらしい台詞を吐きながら。
「そんなに誤魔化そうと必死にならなくてもいいよ、京一。人からどう思われようと、俺達が愛し合ってることは事実で、曲げる必要なんてないんだから」
 愛し合ってねーッ!!
 と叫びたくても、口を塞がれているのでちゃんとした言葉にならない。ああ、職員室にいた先生達が固まっている……。マリア先生もどうしていいかわからないように視線を不安定に漂わせていた。違うんだー。俺はホモじゃないんだ! 勝手に龍麻がほざいているだけで、俺は関係ないんだ!! 龍麻の言うことなんか信じないでくれー先生!!
 なんとか俺の真意を伝えたくて龍麻の手を引き剥がそうとするが、この馬鹿力野郎、全然外れやがらねェ。つーか、この不自然極まりない状況を見て、俺の真意を察してくれ誰かッ!!
 願うが、それも儚い望み。何故か皆は切なげな表情を作る龍麻に目線集中で、俺のことなんて見ていない。俺が嫌がっているのに誰か気づけ。
「……先生は……俺達を、軽蔑しますか……?」
 憂いに柳眉をひそめ、悲しみたっぷりの表情を作る龍麻。《達》じゃねーだろ。お前一人だろーが、それはッ。俺まで一括りにするんじゃねェッ。騙されちゃ駄目だ、マリア先生。それはコイツの常套手段だぞ!  
 声にならない声で必死に訴えかけるが、フガフガという妙な音では通じる筈もない。大体、誰も俺のこと気づいてねェし。なんでだ。
 やばいぜ。このままでは俺までホモ決定してしまう! それだけは嫌だ。勘弁してくれー!!
 必死の願いも虚しく、職員室は何故か感動の嵐に包まれていく。裏密に変な道具でも借りたんじゃねェかと思うくらい、あっさりと龍麻の思うツボである。
「いいえ……。いいえ、そんなことはないわ。でもね、緋勇くん。他の生徒への影響も考えて、あまりおおっぴらには……そのう……。高校生らしい節度をわきまえて、ね?」
 マリア先生が言ってるのは、多分、告白ンときの話だろう。奴らの言によれば、全校に知れ渡っているらしいので。
 けどよ、先生。それじゃあまるで節度を守ればオッケーみてェじゃねェかッ。それでいいのか?! いや、よくない。少なくとも俺にとっては非常によくないぞ!
 けれどやはり、俺の声は龍麻の手に塞がれていて届かない。そうこうする内、龍麻が憂い顔から一転、嬉しそうな笑顔になって頷く。
「はい、わかりました」
 マリア先生も、微笑を浮かべて俺達を見た。暖かく、力強い眼差しで。よりにもよって、こんな時に。
「あなた達が本気なら、何も言うことはないわ。先生は、あなた達の味方よ。辛いことがあったら、いつでもいらっしゃい」
 なにィ?!
「ありがとうございます、マリア先生! よかったな、京一。マリア先生はわかってくれたぞ」
 にこやかに龍麻が俺に告げるが、本心は『はっはっは、ザマーみろ。これでマリア先生も俺の味方だぜ』だろう。
 なんてこった……! ついにマリア先生までが……。
「頑張ってね、負けちゃ駄目よ」
 偏見に負けずに龍麻を励ますマリア先生は確かにいい先生だ。美人だし優しいし。だけどもうちょっと、更正させようとか思わないのか? 道を踏み間違えようとしている生徒を止めたっていいんじゃないか?
 龍麻が頑張ると俺が困るんだよッ。俺のことも考えてくれよ、先生! ちくしょー、誤解を解かせろォォオッ。
 俺は《氣》まで使って、龍麻の手を引き剥がすなり、思いっきり叫んだ。今までの鬱憤を晴らすかのように。真実を知らしめるために。
「俺はホモじゃねェーッ!!」
 ―――しかし。
「だから、もう隠さなくてもいいんだよ、京一」
 にっこりと微笑んで、龍麻。
「そうよ、蓬莱寺くん。もういいのよ、無理しなくても」
 憐れんだように、マリア先生。
 俺の心からの叫びは、全く通じていなかった。
「ちーがーうーッ!!」
 その後、何度俺が否定しようとも、やたらと生暖かい視線で二人に嗜められるだけ。
 お前ら……人の話は素直に聞いてくれ……ッ。


 ―――こうして、俺はまた一人、味方を失った。
 明日からはさらに孤独な戦いが待っている。
 東京の平和よりも、己の平和を取り戻すため、本気で転校しようかと悩む俺だった……。



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ジュヴナイル|魔人学園剣風帖

爆走ラブチェイス
▽内容:京一のことが好きすぎてネジがとんでる系主人公のドタバタラブコメディ。魔人の第一作なので2000年くらいに書いたものです。こわ…
                                                           




 ドタドタドタドタ。
 バタバタバタバタ。

 真神学園に、怒涛のごとき足音が響き渡っていた。見ればそこには一塊の砂煙。―――いや、よくよく目を凝らせば中に人の姿がある。地も裂けよと言わんばかりに『廊下を走ってはいけません』と随所に書いてある校舎内を爆走しているのは、既に真神学園で知らぬ者はいない有名人となった、緋勇龍麻と蓬莱寺京一であった。
「逃げるな、京一!」
「逃げるわ、アホッ!」
 互いに大声で喚き合いながら校舎をところ狭しと駆けていく二人の姿も、三日目ともなれば今やお馴染みのもの。行き交う生徒の反応も、慣れたものである。
「奴等が来たぞー!」
「緋勇くん、ファイトッ!」
「蓬莱寺、墜ちてやれよー」
「……やれやれ。懲りない奴らだ」
 巻込まれないように逃げる者、応援する者、ひやかす者、呆れたように溜め息を漏らす者……。反応は様々だが、もはや誰もそれを止めようとはしない。それもそのはず、二人の爆走は何もケンカをしたという訳ではなく。下手に邪魔をしようものならば、馬に蹴られて死んでしまうという噂の、ソレなのだから。
 しかし校舎を爆走するこの二人。どこからどう見ても、二人そろって性別は男である。どちらとも平均以上の体格を持ち、顔もそれなりに整ってはいるものの、どこにも女性らしいところなど見当たらない、正真正銘の男であった。その男二人が、お医者様でも草津の湯でも……といった関連に、どうしてなっているのか。別に一人の女生徒を巡ってのことでもない。まさにこの二人が当事者であり、追う者と追われる者なのである。
 一体どこを事の発端とすべきだろうか。ともかくも、真神学園の生徒達に目に見える形での発端と言えば、数日を遡った朝のことだ。雲一つない秋晴れのその日、朝のホームルームよりほんの少し前に、ソレは起こった。場所は真神学園三年C組の教室。多くのクラスメートの目の前で、繰り広げられたのである―――。


 珍しくその日、蓬莱寺京一は遅刻することもなく学校へ辿りつき、持て余した時間を己の机に伏して眠ることで潰していた。そこへ、普段ならば遅刻など滅多にしない緋勇龍麻が駆け込んできたのである。そして教室へ入るなり、脇目もふらずに真っ直ぐ蓬莱寺京一を目指して進み、やがて惰眠を貪る京一の前へ辿りつくと
「京一、好きだ!!」
 開口一番に、そう言ってのけたのだった。しかも眠る京一の手をとり、跪かんばかりの勢いでもって。途端にざわめく教室のことも意に介さず、龍麻は京一の手をしっかと握ったまま、何事かとようやく頭を起こした彼が事態を理解するのを辛抱強く待つ。
「……なんだって?」
 何度か瞬きを繰り返しながら問われ、龍麻は肩を落としたい気分をグッと堪えて、もう一度真っ向ストレート勝負な台詞を口に上らせた。
「好きだ」
 今度はしっかりと視線を合わせることも忘れない。机を挟んで向かい合わせに跪いた龍麻は、京一の手を握りしめたまま、目に星を浮かべんばかりに輝かせつつ、じっと彼を見つめた。
「………」
「………」
 いつの間にか―――当然と言えば当然だが、教室中の視線が二人へと集まる。固唾を飲んで成り行きを見守るクラスメート達。龍麻の目を見返したまま、きょとんとしている京一。ひたすらに京一の反応を待つ龍麻。―――奇妙な沈黙が、教室に満ちていた。
 それを破ったのは、短い溜め息。
「またかよ。ああもー、それは分かったって」
 京一は疲れたように言うと、龍麻に握られていない方の手を振って、追い払う仕草をする。そして再びそのまま机に上体を預けようとしたが、龍麻がそれを許さなかった。握っていた京一の手をさらに強く握り、立ち上がる。すると、つられて京一の上体も引っ張られるため机に伏していることができない。京一が文句を口にする前に、龍麻はこれ以上ない程に真摯な表情を浮かべ、女生徒が間近く聞いたならば夢見心地になるような声で、言い募った。
「京一、冗談じゃないんだ」
 そう、緋勇龍麻の言葉は冗談ではない。この学園に転校してきた当初から蓬莱寺京一に対して繰り返している、既に挨拶とも化した言葉ではあるが、恐ろしいことに彼は本気である。いや、常に彼は本気だった。それこそ、転校当初から。裏庭に呼びだされ不良に絡まれていた時、木の上から降ってきた蓬莱寺京一に、緋勇龍麻はドッキンハートにまばたきショットを食らったのだ。その日から緋勇龍麻は、よそ見をすることなく一途に蓬莱寺京一へ向けて突撃ラブハートを繰り返しているのである。
 だが、龍麻が惚れた蓬莱寺京一というこの男。自他共に認める女好きであり、趣味はナンパで好きな言葉は酒池肉林。の割に、口で言うほど女に慣れているわけでもない上、意外と古風でストイック、かつ義侠心に溢れている―――という、実に難儀な人物であった。そういうところがまたいいのだ、とは緋勇龍麻の言であるが、ともかくもそんな難儀な人物であるところの蓬莱寺京一に、緋勇龍麻の熱烈アプローチは全くもって通じていなかったのである。友情と義理人情に篤い京一にかかっては、好意というより愛情を示す言葉も、少しばかり行きすぎのスキンシップすら、友情で片づけられてしまう。級友から親友へ、親友から相棒へと順調にランクアップを重ねてきた緋勇龍麻も、京一のこの『相棒万歳主義』の前には、己の愛情を理解させることが非常に困難であった。
 そんな無駄な努力を続けてはや半年。あまりにも好きだ好きだ言い続けたために、返って京一は慣れてしまったのか、達の悪い冗談か挨拶程度にしか聞いてくれない。この場合、下手に一途なことが災いして、緋勇龍麻のフラストレーションは溜まる一方。そんな不遇な日々に、遂にキレてしまったのが今日であるらしかった。何がなんでも今日こそは、絶対に己の思いを理解させてやると勢い込んでしまっている。―――その結果、朝一の教室で白昼堂々カミングアウト、と相成ったのであった。
 ところがどっこい、相手は半年間ものらりくらりと龍麻の告白を交わしてきた天然の強者・蓬莱寺京一。
「俺は眠いんだよ! お前の冗談に付き合ってる暇ねェの!」
 どれほど龍麻がたらしこみモードで囁いたとて、人より友情の範疇が広すぎる彼には通じない。そして―――京一の冷たい物言いに、龍麻の中の最後の理性が音をたてて切れた。
「……だから、冗談じゃないって、言ってるだろ……?」
 その瞬間、龍麻の背後に暗雲が形成され、放電が起こったような錯覚を何名かが覚えたと言う。また、そこまで感じ取れなかった者も、体感温度が一気に十度は下がったようだったと証言した。
 長い前髪に隠れて表情は見えなかったが、とりまく殺気だけはバーゲンセールよろしく絶好調サービス中。そんなただならぬ様子の龍麻にさすがの京一も少し怯み、腕を掴まれたままではあったが、それでも後退しようと試みる。だが、既に理性と怒りの臨界点を突破してしまった黄龍の器がそれを許さない。怯んだ隙をついて掴んだ腕を引き、京一を無理矢理立ち上がらせ、さらに自分の方へと引き寄せていく。
「……ひ、ひーちゃん……?」
 今や、龍麻がキレて黄龍モード大全開であることは誰の目にも明白。渦巻く暗雲に怒りの程が知れて、京一も眠気がすっかりと消えてしまったようだ。この状態で龍麻の腕を振りほどくと、さらに恐ろしいことになりそうなのでそれもできず。さりとて、本能的な恐怖によって逃げたくなるのも仕方がなく。でき得る限り上体を逸らして龍麻と距離を置こうとするのだが、二人を隔ててくれるものは学校机ただ一つ。そんな頼りない隔たりなど、龍麻が身を乗り出せばすぐさま意味を消すものでしかない。京一は本気でキレた時の戦闘中の龍麻を思い出して、冷や汗を浮かべた。
 蛇に睨まれた蛙ではないが、もはや身動きができない京一。ゴゴゴゴゴ……、と効果音がつきそうな暗雲を背負って京一に詰め寄る龍麻。そして、固唾を飲んで二人を見守るクラスメート達。一秒が何十秒にも感じられる、重苦しい時が過ぎた。その間に、クラスメート達の脳裏にひとつの可能性が閃き出す。

(もしや……)
(まさか……)
(いくら緋勇くんだって……)
(いやしかし、アレは緋勇だ!)
(……ひょっとして!?)

 奇妙な緊張が周囲に走る中、恐らく当人である蓬莱寺京一だけが、その危険性に気づいていなかった。それほどに京一は鈍く、またそれほどにクラスメート達にはバレバレだった、ということだろう。
 当の京一は龍麻を怒らせた原因を必死に探ってはいたが、いかんせん龍麻は京一からすると思いも寄らない異次元思考を持つ宇宙人。とてもではないが、そんな可能性には思い至らない。恐怖の余り、徐々に近づいてくる龍麻の顔から目も逸らせずにいると、遂には顔の判別がつかない程の至近距離に。
(な、なんなんだ!?)
 そうして訳もわからず混乱している内に―――気がつけば、龍麻の唇によって京一の口が塞がれていた。
「………」
 その瞬間、三年C組にいた緋勇龍麻以外の人間が、見事なまでに瞬間冷凍されたという。そしてたっぷり数秒後、教室を悲鳴が覆った。
 男子生徒はガタガタと椅子や机を倒しながら距離を置き、女子生徒は悲鳴を上げ手で目を覆いながらも隙間からしっかりと観察し、二人の仲間であるところの美里は倒れ、醍醐と小蒔は眩暈を起こして額に手をあてる。
 だが、教室中が大パニックに陥る中、騒動の中心であるところの二人は返って静かであった。京一はあまりのことに未だ何が起こったか理解できず固まっていたし、龍麻はそれをいいことにさらに深く口付けようとする始末。それは美里も倒れようというものだ。
 一人意識が異次元回廊を彷徨っていた京一は、教室中を覆う悲鳴を遠くに聞きながら、停止している脳味噌で、一体これはどうしたことかと、まず状況を一つ一つ確認してみた。
 まず、教室中がどうも大騒ぎである。そして、自分達はクラスメートらに遠巻きにされている。いま自分は、教室の中心辺りに龍麻と二人、立ち尽くしている。そして―――どうも、口を塞がれているらしい。はて、何に?―――どうしてもそれがイマイチ理解できない……否、したくないらしい京一。しかし、そんな現実逃避を物ともせず一気に現実を京一に思い知らせたのは―――他でもない、緋勇龍麻だった。いくら全力でもって現実逃避中の京一とはいえ、さすがに舌まで入り込んできては気づくだろう。
 それによって、現状認識が瞬時に完了した。
「~~~~~~~~ッ!!」
 途端、京一は持ちうる全ての筋力を動員して、思いきり龍麻を突き飛ばす。
「チッ、正気に戻ったか」
 突き飛ばされつつも、残念そうに舌打ちする龍麻。京一はと言えば、その隙に龍麻と距離をとること三メートル。
「な、なん……ッ、ひーちゃ、なにす……!!」
 阿修羅まで構えている京一の頭は未だ混乱しているようで、言葉も判然としない。しかし何を言いたいかおおよそ察しがついたのか、龍麻は再び京一へと距離をつめながら、悪びれずにしれっと答える。
「なにって、キスだけど?」
 瞬間、京一とクラスメートが、再び見事に固まる。
「きききききき、キスって、お前なァッ!!!」
 あまりにもシレっといわれて、混乱に怒りが入り混じり、顔を真っ赤に染めて京一が叫んだ。
「なんだよ」
 だが、混乱する京一と反比例するように―――それともキスによって少しばかり溜飲を下げたせいか―――先ほどまでの暗雲はどこへやら、龍麻は冷静とも平然とも言える顔。またそれが京一の混乱と怒りをいっそう強くする。
「なんだよって、そりゃこっちのセリフだッ。何考えてるんだよ、お前ッ!」
 木刀を突き付け、怒気も露に怒鳴る京一の声も暖簾に腕押し。またもさらりと返してきた台詞は、この通りだった。
「別に。京一とキスしたいとか、京一を抱きしめたいとか、京一とエッチしたいとかそういうこと」
「………………」
 嫌になるくらい静まる教室。しばらくの間、あまりのことに誰も声ひとつ発することができない。なにしろそう言ってのけた緋勇龍麻は《なにか、文句でも?》と言いたげに、ニッコリと微笑んで暗に圧力をかけているのだから、何も言えよう筈がなかった。唯一、言われた当人の京一だけが、数十秒何も言えずに口をパクパクとさせた後、ようやく声を発することに成功する。ただし、言われた内容の恥ずかしさに顔を真っ赤にさせながら。
「考えんなーッ、そんなことーッ!!!」
 好きな相手に抱く感情としては、至極自然なものであるのだろうが、それは朝一の教室で、しかもクラスメートの前で堂々と且つサラっと言うことではないはずだった。しかも、当の本人を前にしているなら尚更。さらに言えば、緋勇龍麻は男であり、蓬莱寺京一も男である。《好きな相手に対して抱く願望》としては納得できても、その好きな相手というのが男の自分では、京一がそう叫ぶのも仕方がないのかもしれなかった。というか、むしろ当然だった。だが、龍麻は相も変わらずにサラリと返す。
「無理だよ。だって俺、京一のこと好きだし」
「………………」
 ここまで堂々とあっさりはっきり言われては、反論するのも難しい。一瞬、自分が間違っているのではないかと振り返ってしまうことだろう。京一もまた、開いた口が塞がらないといった体で再び動きを止めるハメに陥った。
 《好き》
 何度も何度も。それこそ挨拶のように言われてきた言葉。始めこそひいたものの、やがて慣れてしまって龍麻特有の冗談めいた挨拶の一つなのだと理解するようになった。自分が気に入っている相手であれば尚更、照れ臭くはあっても、好意を示されること自体に不快感はなく。大げさな感情表現に苦笑いを浮かべたり、誤解を受けそうな時には多少辟易しても、本気でそれを止めさせようとは思わなかった。―――だがそれはあくまで、龍麻の《冗談》だと思っていたからだ。それも、親友であり、相棒である龍麻だからこそ容認していた《冗談》である。いくらその延長だとはいっても、ここまで来れば《冗談》の域を超えているだろう。京一は目を吊り上げ、再び木刀を突き付けて怒鳴った。
「ひーちゃん、いーかげんにしろよ。いくら冗談にしたって、ほどがあるだろッ!!」
 肩を組むのもベタベタするのもまぁいい。友人としてのスキンシップは京一自身、嫌いな方ではない。キス自体もまぁ、罰ゲームやウケ狙いのノリですることもあるので、大目に見るとしても。いくらなんでも舌まで入れる必要はないはずで。さらに言うなら、誤解を受けること確実な、本気としかとれないこの状況でしていいことではない筈だった。
 だが、珍しく京一が本気で怒りかけた時―――龍麻に再び、不穏な暗雲がまとわりつく。
「……ここまでしても、まだそんなこと言うんだ」
 途端、低すぎるほどに低くなった声音に、京一はギクリと身を竦ませた。
「へ?」
「いくら俺でも冗談で男にキスなんかしない。……京一は俺のことそんな風に見てたんだ……。がっかりだな……」
 不穏な空気を奇麗に収めた龍麻は、どこか遠くを見つめ、ことさらに悲壮感を漂わせて呟く。
「え、いや、だってよォ……」
 しおらしく、しかも《がっかり》とまで言われて悲しまれては、京一としても立場がない。龍麻が悪いと思っていた筈なのに、急に罪悪感に襲われて京一はもごもごと言い淀んだ。
「京一」
 そこへ悲しみと真剣さを帯びた瞳で真っ直ぐに見つめられ、京一はつい視線を合わせてしまい、すぐさま後悔する。何故なら、普段前髪で隠れている龍麻の目の威力というものは強く、一度合わせてしまうと中々自分からは逸らせないのであった。合わせた視線からは、確かに冗談など感じ取れず。そこにあるのはどこまでも真剣な表情。だが、さらなる罪悪感に苛まれながらも、京一の思考はどうしてもそれ以上に発展していかない。
「冗談なんかじゃないんだ。ずっと俺は、本気だった」
 瞳をそらさないまま、龍麻が一歩踏み出してくる。悪気はないのだが、反射的に京一も一歩下がってしまった。そのことに気づいて龍麻は少し悲しげに顔を歪めるが、もう一歩進んで、言いきる。
「好きだよ、京一」
 これが女だったら、例え他に好きな男がいたとしても一瞬であれ、よろめかないはずがないだろう。実際、京一とて不覚にも見蕩れかけた。例えどれほど異次元思考回路だったとしても、見た目は思考を反映しない。
 そして京一の隙をついて更に距離をつめた龍麻は、駄目押しに切なげな低い囁きを耳元へと落とす。
「愛してる……」
 と―――。
 ちなみに。今更だがここは朝一の教室内であり、クラスメートの殆どが注視しているまっただ中である。
「!?」
 そんなクソ恥ずかしい台詞を耳元で囁かれた京一は、驚きのあまりうっかりと龍麻を振り返ってしまった。普通に考えれば当然、そこには龍麻の顔があるわけで。しかも耳元に囁かれていたのだから、至近距離に。だが、それらを忘却してしまう程にその台詞は日本に暮らしている日常の中で聞くことのない、恥ずかしい台詞である。揚げ句、京一は―――嬉しそうな笑顔を浮かべている龍麻の顔を確認するかしないかのうちに、再び口づけられていた。
 京一はまたもや目を見開いたまま、微動だにしない。瞬きすら忘れて、その場に立ち尽くしている。そして、暫くの沈黙の後に訪れたのは―――クラスメート達の、大歓声だった。
「よく言った、緋勇!」
「緋勇くん、偉いわ!!」
「辛かったのね、緋勇くん……」
「私、応援する!」
「緋勇、ナイスガッツ!!」
 ……どうかと思うクラスメート達だった。龍麻が予想外の反応に驚き、気圧されて思わず京一から離れてしまう程の盛り上がりようである。
「それは、どうも……」
 とりあえずそれだけ返すと、遠巻きにしていたクラスメート達がワッと寄ってくる。龍麻と京一を取り囲み、大騒ぎだ。
 その中で動けないでいたのは、当の龍麻と京一。そして気絶してしまった美里、半ば気絶状態の醍醐の四人。小蒔はなんとか平静を取り戻して龍麻と京一に近寄っていったのだが、途中で無反応過ぎる京一の異変に気づいた。それを確かめてから、龍麻の制服をひっぱる。
「ひーちゃん、ひーちゃん」
「……ああ、小蒔。どうした?」
 クラスメートから何故か賛辞と激励の言葉をかけられ戸惑っていた龍麻が、馴染みのある声に振り返った。小蒔は異様な盛り上がりをみせるクラスメート達を恐ろしげに見た後、龍麻に耳打ちするようにして告げる。相変わらず目を見開いて固まっている京一を、控えめに指さして。
「あのさ、ひーちゃん。……京一、立ったまま気絶してるみたいなんだけど……」

 どうやら事態は、彼の脳の処理能力を遥かに超えてしまったらしかった―――。
 





 さて。二人が結局のところどうなったかと言えば―――悪化した、と言うのが適当だろうか。
 あのあと保健室に運ばれた京一は、一時限目の休み時間には姿を消していた。龍麻もチャイムと同時に駆けつけたのだが既に遅く、その日は結局戻ってこなかった。それどころか、次の日も京一は学校に姿を現さなかったのである。だがそこはそれ、出席日数も危うい京一のこと。その翌日には学校に現れた。もっとも―――徹底的なまでに、龍麻のことは避けまくっていたのだが……。いや、避けたというよりも、逃げたと言った方が正しいだろう。露骨どころの騒ぎではなく、思いきり逃げ回っていたのだから。
 朝は遅刻寸前(これはいつも通りかもしれない)、マリア先生と同時に教室へ入り、授業が終わると速攻で逃げ出し、いずこかへと姿をくらませる。そしてまた、教師とほぼ同時に帰ってきて授業を受け、放課後は脇目もふらずに掃除もサボって嵐のような勢いで帰る。いつものラーメン屋にも行かない。龍麻の半径三メートル以内には決して近づかない。それどころか、恐らく視界にも入れないであろう見事な逃げっぷりであった。
 どれほどに龍麻が話しかけようとしても、取りつくシマがないどころか、近づくことさえできない。何しろ、授業中以外は探せど探せど見つからない場所に隠れているのだから。
 さすがにやり過ぎたと反省したのか、それともこの様子なら漸く本気だと思い知ったことに満足したのか、当初は逃げ回る京一をそっとしておいた龍麻だが、徹底的な無視及び逃亡攻撃が五日目を迎えるに至って徐々に沈んでいった。本気だと思い知ったのなら尚更、ここまで本気で逃げられると落ち込みもするだろう。
 あまりにも落ち込んでいる龍麻に同情して、美里と小蒔が京一に進言しようとしたが……この二人が近づく隙すらなく京一は逃げ回る。何故なら件の龍麻の劇的な告白は、遠野杏子の働きもあり、今や真神学園全校生徒に知れ渡ってしまったからである。もともと京一は下級生にファンも多く、友達も多い目立つ人間だったし、龍麻もつるんでいる人間が人間な上、本人の容姿もよく、なにかと話題になる目立つ転校生だ。それは噂も駆け巡るというものだろう。
 こうなっては、下手に掴まると詮索や説得やからかいを受けること確実。もはや京一は、全校生徒から逃げ回っているも同然なのであった。
「ひーちゃん、京一もさ、多分悪気はないんだよ……」
「そうよ。きっと恥ずかしくて顔を合わせずらいんだと思うの」
 溶けて机と同化しそうに沈みまくっている龍麻に、小蒔と美里が必死にフォローをする。なぜ京一なんかのフォローをしなければならないのだ、というのが本心だったが。しかし二人のフォローも耳に入らず、龍麻はがっくりとするばかり。
「気を使わなくていいよ。……あれは、本気で嫌がってる」
 龍麻は確信していた。あの逃げ方は、悪気はないかもしれないが、恥ずかしいからではないと。確かに迷ってはいるだろうが、それは龍麻への対応であって、答えではない。答えなど、決まっているのだ。そんなことは、始めから分かっている。だから、避けられても嫌われても、仕方がないと思っていた。自分が本気だと、冗談ではないと知ってくれればいいと……。
 とは言え、何もオバケかなにかのように逃げなくてもいいではないかと思う。さすがに急ぎすぎたか、告白にしてもやりすぎたかと、しばらく殊勝にしていたものの、こうまで露骨に避けられていると、段々と腹が立ってきて、闘志が沸いてくる龍麻だった。―――そう、彼は、筋金入りの天の邪鬼だったのである。
 そして遂には、例の事件から一週間。
 しおらしく沈んでいた龍麻も、とうとうキレた。朝から不機嫌さは徐々にヒートアップしていき、クラスメート達を脅えさせていたが、その日の昼休みには、遂に京一と同じかそれ以上の勢いで、京一を追いかけはじめたのである。
「ちょっと待てコラ、京一ーっ!!」
「待てるか、バカヤローッ!!」

 ――― そうして、二人の追いかけっこが始まった。




 真神学園が二人の大爆走劇場と化してから三日。今日も今日とて走りまくる二人は止まらない。そして、彼等を見守るギャラリーも止まらない。
「キャーッ、蓬莱寺先輩~。お願い、転んでー!」
「緋勇くん、昇降口は塞いだよ!」
「裏門も封鎖完成だ」
「蓬莱寺ー、諦めろー」
 囃し立てるのはまだいい方で、やたらとノリがよくなってしまった三年C組を始めとする真神学園の生徒の一部は、緋勇龍麻に手を貸すこともしばし。始めは引いて遠巻きにしていた男子生徒達も、緋勇龍麻の目には蓬莱寺京一しかいないと分かって安心したのか、他人の不幸は蜜の味……とばかりに、協力をしていた。
「よし、緋勇。足止めは任せろォ!」
 中には、実際に京一の足を止めようと、廊下の角にロープを張って待つ古典的な男子生徒もいたりする。
「邪魔だッ。どけ、鈴木!」
 案の定、一蹴りの下に倒れ伏すことになるのだが。

 そんなこんなで、緋勇龍麻の告白劇から時がたつこと十日―――
 遂に、龍麻が京一を捕らえた。
「オーッ!!」
 見ていた生徒達から、大きな歓声があがる。
 瞬発力では僅かに京一に分があったが、逆に持久力では龍麻の方がやや上だったらしい。京一のスピードが落ちた頃を見計らってスパートをかけた龍麻は、追い越して前に出ると同時、とっさに足をかけたのである。さらにはバランスを崩して倒れそうになる京一の腕を捕らえ、一本背負いをしかけたのだった。
「い……てェ~……ッ」
 咄嗟だった為に遠慮がなく、背中から床に叩きつけられた京一は、荒い息の合間に呻く。満足に受け身もとれなかったようだが、力尽きたように床へ手足を投げ出したのは、痛みのためというよりも、単に走り疲れたからだった。京一の腕を捕らえたままの龍麻もまた、肩で息をしている。だが、京一の呻き声を聞いてやり過ぎたかと反省したものの、やっと捕まえたものをみすみす逃がすわけにもいかない。龍麻はさらに、捕らえていた京一の右腕をひねりあげた。
「いててて、いてェッて。離せよ、ひーちゃん!!」
「逃げないって誓うなら離す。……けど逃げそうだから駄目」
 当然のように暴れて龍麻から逃げようとする京一だが、ここまでの苦労を思えば、そうそう離す龍麻ではない。
「逃げねェよ!」
「嘘付け」
「逃げねェから、手ェ離せ! 痛ェんだよッ」
「信用できない」
 何しろここ数日の京一の逃げ様ときたら、見事としか言い様のないものだった。龍麻の恨みは相当根深いようである。しばらく暴れていた京一は、仕方ないとばかりに暴れるのをやめ、諦めきった声で溜め息混じりに言った。
「……わかった。わかったから、ちゃんと決着つけようぜ。俺だってこのまま逃げ回ってもいられねェし」
「本当だな」
 大人しくなった京一を見て、ようやく龍麻も腕を緩める。
 ―――その隙を、京一は見逃さなかった。
 抱き起こそうと身を屈めた龍麻の腕を思いきり引っ張り、反動を利用して一瞬で立ち上がると、そのまま走り出す。卑怯だとは思ったが、先ほどの一本背負いの恨みもある上に、背に腹は代えられない。―――しかし。龍麻もまた、そこで終わるほど甘い男ではなかったようだ。
「甘いっ。秘拳・鳳凰ーっ!!」
 引っ張られた勢いで床に倒れかけた龍麻は、上手くバランスをとって床に膝をつくと同時、廊下を真っ直ぐに駆けていく京一に向けて鳳凰を放った。しかも必殺。そこには微塵の容赦もなかったという―――。京一はそのまま廊下の端まで吹き飛び、黒焦げになって車に轢き潰されたカエルのような格好で倒れた。
 見ていた生徒達も、今度は歓声を上げるどころではない。脅えたようにその場から遠ざかり、二人と距離を置く。しかし成り行きが気になるのか、その場を立ち去りはしなかった。目を合わせないようにして、ゆっくりとした足取りでそちらへ向かう龍麻を、遠巻きに見守る。
 一方、黒焦げになった京一は、近付いてくる龍麻の気配を察してなんとか起きあがり、振り返った。既に悪の元凶は数メートルの位置まで来ている。廊下の端まで飛ばされてしまったため、背には壁。目の前には龍麻。その向こうには大勢の野次馬。―――とてもではないが、逃げ切れない。というよりも、逃げ道はどこにもない。
「随分と、手を焼かせてくれるじゃないか……」
 フフフフフ。との笑ってない笑い声に、余計に恐怖を募らせる京一と野次馬。長い前髪に隠されて表情が見えないところが、余計に何を考えているのかわからなくて、怖かった。
(ひい~ッ。マ、マジに怖ェ……)
 あとずさろうとするが出来ずに、壁にぴったりと張り付いた京一は額にだらだらと冷や汗を浮かべる。近付いてくる龍麻の周りには再び現れた暗雲。そして止まらない不気味な笑い声。冷や汗が出ない方がおかしい。
「俺も嫌われたもんだよなぁ。……そんなに嫌か?」
 フフフフフ、ククククク……。と笑いながらの台詞に、京一は恐怖する。
 龍麻は《自分のことが嫌いか》と聞いたつもりだったのだが、京一は恐怖のせいか何なのか、別の意味でとった。あの時の、告白の答えを聞かれているのだと思ってしまったのである。そのため、思いきり叫んでしまった。
「ッたりめェだろッ。俺はオネェちゃんが大好きなんだ! 男となんて誰が付き合うかッ!」
 と―――。
 ガスが充満している部屋で、ライターをつけるようなものである。見物している生徒達が声にならない悲鳴を上げ、京一もまた言った後で「しまった」と思ったがもう遅い。慌てて掌で口を覆っても、既に空気を震わせた振動が戻ることはないのだから。
 一瞬だけ龍麻が哀しげに柳眉を寄せたのを見て、京一の心が僅かに痛んだ。京一はなにも、龍麻を嫌いになったわけではない。龍麻はいい奴だと思っているし、頼りになる仲間で、相棒。だからこそ過剰なスキンシップも、冗談のような戯言も気にならなかった。それは今でも変わらない。変わらないからこそ、困っている。京一の中で龍麻は親友以外の何物でもなく、本気で好きだといわれても、自分は男で龍麻も男なのだから、真剣に考えることは難しかった。しかも京一は大の女好きと自負している。男と付き合うなんて気はさらさらない。だがしかし、親友としての龍麻を失うのも嫌だった。考えたくなくて、答えを出したくなくて、先延ばしにしたくて、逃げていたのである。
 ―――もっとも今となっては、告白事件の時の龍麻の行動に対する怒りと、全校に広まってしまった噂の方が、逃亡の原因としては大きくなっていたのだが。
 しかしとうとう、京一はハッキリ叫んでしまった。ただでさえ、勢い任せのキツイ語調でキツイ台詞。それもこのような怒りのガス充満中に吐かれたとあっては、龍麻が激怒すること必至。付き合う云々はともかくとして、そんな事態は遠慮願いたいのが、京一の偽らざる本心だ。そして恐らく見物人達も、巻き添えになることを怖れて、そんな事態はご遠慮願いたいだろう。
 龍麻を怒らせたい訳ではない。傷つけたいわけではない。こんな厄介な事になった元凶である龍麻に対する多少の怒りを覚えつつも、京一は言ってしまった言葉の罪悪感に視線を落とした。
 果たして、龍麻はどうするのだろうか。
 京一も、野次馬も、固唾を飲んで龍麻の反応を待つ。
「………」
「……………」
「…………………」
「………………………」
 妙に長い沈黙の後、とうとう龍麻が口を開いた。
「フフフフフフ………」

(笑ってる―――!!)

 京一と野次馬は皆いっせいに限界ギリギリまであとずさった。先程と同じ笑っていない笑い声だが、今回はさらに上を行く不気味さである。諦めきったというか、吹っ切れたというか。自暴自棄になったような、不吉な笑い声だ。あえて言葉にするなら、「もうどうでもいいや、なるようになれ。ああでも、最後にちょっと復讐していこうかな♪」という感じである。さらに厚みを増した暗雲と、裏密ミサに負けない程の陰鬱なオーラを渦巻かせた緋勇龍麻は、文句なしに怖かった。京一が今まで遭遇したどんな鬼よりも、裏密よりも、ともしたら岩山たか子よりも怖い。京一をはじめ、見物人達の体感温度はまたもや急転直下した。
「そうかそうか、そんなにイヤか。……けど、そこまでイヤがられると、なんかもう、いっそ清々しいよな」
 長い前髪をかきあげ、その整った顔をわざわざ露にしてから、にっこりと微笑む。普通であれば人畜無害そうな、さわやかで穏やかで優しい微笑みも、今はなぜか毒々しい。
「俺はお前のこと本気で好きだからさ。お前に嫌われるのだけはイヤだったんだけど。もう今更みたいだし? ここまできたら怖いものなんてなんにもないよな♪」
 にこにこと、一見したら邪気のなさそうな、しかしその実、邪気オンリー百パーセントな笑顔で続ける龍麻。
「遠慮するの、やめるよ」
 っていうか、遠慮してたのかお前。ついつい心の中でツッコミを入れる京一と野次馬の面々。今まではともかく、例の告白からこっちは、かなり龍麻大全開だった。
「なにがなんでも、俺に惚れてもらうから。オネェちゃんオネェちゃん言ってられるのも今のうちだぞ、京一」
 と、そこで、さわやか龍麻の笑顔が爽やかな笑みから不敵で傲岸不遜なものに切り替わる。
「俺の本気をなめるなよ……?」
 京一も野次馬達も、その時、龍麻の目がキラーンと光ったように見えたという。
 龍麻は本気だ。嫌な予感に身を竦ませながら、京一は考える。いまだかつて、本気になった彼が成しえなかったことがあっただろうか? 少なくとも、京一が知る限りでは皆無だ。それに思い至って、京一の背をゾクリとした悪寒が駆け抜ける。だが、そんなことなどお構いなしに、絶好調本気発動中の龍麻は、京一に向けて、ビシッと指を突きつけ、高らかに宣言した。
「そのうち、お前の方から《抱いてくれ》と言わせてやるからな!!」
「……ッ!?  だ、だッ、誰が言うかァーッッ!!」
 あまりのことに絶句しかけた京一も、セリフの内容を理解するなり真っ赤になって叫ぶ。しかし龍麻はどこ吹く風。気分はすっかりと悪役のようで、不気味な笑い声をあげて一人悦に入っていた。
「フフフフ、覚悟していろ、京一!」
「冗談じゃねェッ。…ッて、おい。聞いてんのか、龍麻!?」
 抗議の声も意に介さず、妙に自信満々な龍麻は、京一を嘲笑うように見下ろす。
「逃げられるものなら、逃げてみろよ。俺は地の果てまでも追っていくからな!」
 その様は、本当に京一のことが好きなのだろうかと、野次馬達さえ疑いをもったほどだった。しかし、龍麻は本当に地の果てまでも追って行くだろうことは疑いがない。何しろ、本気になった彼は手がつけられないのだから。それは、京一もよく知っていることだった。
「悪夢だ……」
 これからのことを思わず想像してしまい、途方にくれて呆然と京一が呟く。その声が聞こえたのか、龍麻はあえて凶悪に笑って宣告した。京一にとっては死刑宣告にも等しいことを、堂々と。
「残念だけど、現実だよ。絶対覚めない、な」


 どうやら二人の追いかけっこは、これからが本番なようである―――


畳む

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