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No.20
ヘタリア
恋人育成計画
▽内容:『天使育成計画』のアメリカ視点。日本に自分が主役のゲームを作ってほしいとお願いした結果、大変なことになったアメリカの話。
本文>
「そうだ、日本。俺がヒーローで主役のゲームを作ってくれよ!」
「はぁ?」
「君ん家のゲームは面白いけどさ。やっぱりちょっと、ヒーローが足りないと思うんだよな。うん、名案だ!」
「いえ、あの、ちょっと待ってください、アメリカさん……っ」
「ちなみに、反対意見は認めないぞ!」
それはほんの、気まぐれのようなものだった。
日本に貰うゲームはどれも面白かったけれど、何かが物足りないなと思う時もたまにある。
それは主にアクションゲームやシューティングゲームにおいての迫力だったり、演出の派手さだったりするけれど、それ以外の日本のゲーム……いわゆるアドベンチャーゲームやロールプレイングゲームなどにおいても、もう少し俺好みだったらいいのにと思っていたのだ。
足りないのは果たして何だろう?
自分なりに考えてみたところ、俺はあっさりと答えを得たんだ。
日本のゲームに足りないもの。それは――圧倒的に格好良くて強くて絶対的で、尚かつ個性的で印象的な《ヒーロー》だ!
日本のゲームにも数多くの格好良かったり可愛かったりするヒーローやヒロインが居る。そういったキャラクター達はとても魅力的だけれども、出来れば俺は、絶対にして唯一のヒーローらしいヒーローがいい。
だから最初は、そういうゲームを作ってみないかと日本に頼もうと思ってたんだけど、どうせなら思い切り俺好みのヒーローにして貰えばいいじゃないか! と思い立って、それから俺の理想のヒーロー像を考え続けた。
うちの映画もいっぱい見返して、どんなヒーローがいいかと考えるのは凄く楽しい作業だったし、どのヒーローも皆それぞれに格好良かったけれど、何故だかピンとこない。
どうしてだろう。何が足りないんだろう。
考えに考え抜いた結果、俺が行き着いた先。これ以外にないというヒーロー像。
それが、俺だ!
そうだよ、何でこんな簡単なことに気づかなかったんだ。何しろ俺はアメリカ合衆国なんだぞ。数多の格好良いヒーローを生み出し、世に溢れるヒーローをさらに格好良くして送り出すハリウッドをその身に抱えるエンターテイメントの先進国。
つまり、俺のうちから送り出された数多くのヒーローは、そのまま俺の中で共存しているってことになる。
俺自身がそもそも世界のヒーローだし、架空のエンターテイメントの世界のヒーローだって、その多くはうちから出しているのだから、考えてみるまでもなく、この世に俺以上のヒーローなんているわけないんだ!
結論が出たからには、じっとしていられない。
俺は早速日本を呼び出して、要望を告げたってわけだ。
日本は凝り性だし、俺の家ほど演出が派手でないのが残念だけれど、良いゲームを作ってくれるだろう。
しかも主人公が俺とくれば、面白くならない筈がない。
そうして身を乗り出して言った俺に日本が見せたのは、いつも通りの曖昧な表情。視線を遠くに投げながら、いまいち覇気のない声で返してくる。
「……善処します」
ゼンショ、ゼンショ。うん、良く分からないけどノーじゃないってことはイエスってことだよね。
「本当かいっ。じゃあ早速、制作に入ってくれよ」
ひくり、と日本の頬が引きつったような気がするけれど、笑っているし気のせいに違いない。
「いえ、あの、早速って……」
「安心してくれよ。この件に関しては、ちゃんと俺からも資金を出すからさ」
「当たり前です」
「足りなかったら君にも出してもらうけど、いいよね」
「……」
また日本の口が奇妙に歪む。日本は自分の意見を上手く言えないらしいから、俺の素晴らしい提案に感動しても、素直にその感動が出せないんだろうな。
「あ、その代わり、出来たゲームはウチで先に出すからね!」
「はぁ……まぁ、どうぞ」
日本は俺から視線を逸らして、変な方向を見ながら何かぶつぶつ言っている。幻覚と話すイギリスじゃないんだからやめてくれよ。と思ったけれど、ここでイギリスの名前を出すのも変な気がしたので黙っておいた。
「俺に出来ることなら、なんでも協力するぞ! 何しろ世界一のヒーローをモデルにするわけだから、撮影も必要だろうしね!」
「ええ……はい、そうですね。そういうことにしておきます」
「だろう! 撮影はハリウッドの優秀なスタッフを呼ぼう。あと、CGスタッフもいるかな。日本のところのスタッフも優秀だけど。ヒーローらしさを撮らせたら、やっぱりうちの……」
「あー……いえ、それは結構です」
色々とイマジネーションが広がって、次々とやりたいことが出てくる。ああしようこうしよう、と思いつくまま喋っていた俺を、しかし日本は微妙な様子で遮ってきた。
「どうしてだい?」
きょとんとして尋ねと、日本はスーツの内ポケットからサッとメモ帳を取り出して開き、片手にペンを構えた。途端、シャキーンと音がしそうなくらいに日本の雰囲気が硬質なものへと変わる。
先程までの覇気のなさが嘘のように目に鋭さが宿り、曖昧さをかなぐり捨てた日本は、猛烈なスピードで何事かを書き付けながら、同時に口も器用に動かして滔々とまくしたて始めたのだった。
「撮影は行いますが、衣装はこちらで用意します。CGも、現在の構想予定ですとアメリカさんの家風とは違う方面になると思われる為、うちのスタッフで行いますのでご了承ください。それと、ゲーム制作に当たりアメリカさんに対して詳細な取材を行わせていただきます。ヒーローをヒーローとしてヒーローらしく演出する為には、その土壌や背景、過去なども重要な要素となりますから。それから米国内での販売に関してはアメリカさんにお譲りしますが、著作権は放棄しません。うちからも資金を出す代わり、状況如何によっては我が国向けに修正を加えてこちらでも販売します。まったく別のゲームになる可能性も考えた上での対応をお願い致しますね。その辺りの権利関係につきましては、後日に改めて専門のスタッフを派遣しますので、その時に詳細を協議の上で決定ということでいかがでしょうか」
思わずポカンとして日本を見つめてしまう。
つらつらと一息に、かつ曖昧な言葉で濁さずにハッキリと喋る姿は、まるで別人のようだ。話している内容も耳には入って来ているのだけれど、驚きが強いせいで頭に入ってこない。
「ええと……」
いかがでしょうか、と聞かれているのに日本の視線も語調もまるで「反対意見は聞きません」と言っているみたいだ。
日本は普段はボンヤリしてるようにさえ見えるのに、たまにこうなるから油断が出来ないんだぞ。
「アメリカさん。YESかNOかでお願いします。また、恐れながらNOであればゲーム制作の話はなかったことにさせていただきます、すみません」
いつもとは違う、嘘くさい程にこやかな笑顔。なのにどうしてか俺は少しばかり気圧されていた。ソーリーって先に謝っておきながら、脅されている気分になる。
俺は首を傾げながら先程の日本の発言を脳内でリピートしてみて、まぁいいかと頷いてみせた。
日本に頼むと決めたのだから、撮影だとかCGだとかは日本も勝手が分かっている方がいいだろうし、ヒーローをヒーローらしく描く為に取材は必要だ。権利関係については、日本だってボランティアでやってくれはしないだろうから、ある程度の利益が出るよう努力するのは当たり前のことだ。細かいことはこっちも専門家を連れていけばいいし、その辺りの駆け引きで日本に裏を掻かれることはまずないだろう。勿論手は抜かないように言っておくけど。
もともと、国がどうとか関係ないゲームの話だし、俺からお願いしてる話だから、少しくらいは日本の意見を聞かないとな。
うん、ちょっと日本が怖かったけれど、問題ないぞ。
「OK、それでいいよ。ただし、ちゃんと主役は俺にしてくれよ!」
これだけは譲れないと念を押せば、
「ええ、勿論です」
日本はまたもや、らしくない程にはっきりとした笑みでガクリと首の折れる、例のお辞儀とやらをしてみせた。
それが二年くらい前の話になる。
あれから日本は事細かく俺に昔の――特に子供時代の――話を聞いてきたり、当時の俺の国の様子なんかを熱心に調べていたりした。
なんでそんな情報が必要なのか俺にはまったく分からなかったし、そんなことより今の俺の格好良い姿を撮影すべきだと思ったんだけど、日本は「それはまた今度でお願いします」と言って、はぐらかされてしまった。
しかもどうやら、俺だけじゃなく他の国々にも昔の話を聞いたり、モデルになってくれと撮影を頼んだりしていたらしいのだから不思議でしょうがない。
俺に対して日本が撮影依頼をしてきたのは、俺がすっかりゲーム制作を頼んだことなど忘れかけていた一年くらい前のことだった。
しかも渡されたのは、俺がいつも着ているフライトジャケットと同じものや、少し前に着ていた軍服。かと思えば、ハイスクールの制服だという衣装。
「こんなの、ちっともヒーローらしくないんだぞ!」
俺は日本に文句を言ったけれど、「まぁまぁ、アメリカさん。そうおっしゃらずに。ちゃんとアメリカさんが主役でヒーローのゲームですから」と宥められて、仕方なく撮影に付き合った。
それはまだいいのだけれども、日本の不可解な要求はそれだけではなかったのである。
「アメリカさん、とても重要なことなのです。アメリカさんが持っている限りのイギリスさんの写真をお貸し願えませんか? 勿論、傷一つ付けずにきちんとお返ししますから。一枚残らず秘蔵品も見せて頂けると有り難いのですが」
丁寧な物腰で申し訳なさそうな声の割に、よくよく聞けば日本らしからぬ強引な物言いだ。
しかも俺に、イギリスの写真を、貸してくれ?
「じょ、冗談よしてくれよ、日本! 俺がイギリスなんかの写真を持ってるわけないだろう!」
「ああ、そういうツンデレも今は結構ですので。重要なことなのです。実はこっそりたくさん貯め込んでいらっしゃるのは承知しておりますし、決して他言など致しませんのでご安心ください。お酒に酔った時のものと、あと寝顔もお持ちですよね?」
……ちょっと待ってくれよ、これ誰だい?
と、周りに誰もいないにも関わらず視線を巡らせて、助けと疑問に答えてくれる人を俺が求めてしまったのも仕方がないと思う。だってそうだろう。こんなの俺の知ってる日本じゃない。
なんで日本は、こんなに確信に満ちた言い方なんだい。まるでどこかで見てたみたいに!
「な、なんのことだか分からないんだぞっ」
しらばっくれてみるけれど、日本の表情は申し訳なさそうな顔のままなのに、何故だか眼光が鋭い。とても鋭い。まるで夏と冬あたりの一時期の日本みたいに。
そして俺は、そういった時の日本にはあまり逆らわない方がいいと身をもって知っていた。知っていたけれども、今回ばかりはそれで納得するわけにはいかない。
だって、どんな顔で認めろっていうのさ。
俺がイギリスの写真を持ってるなんて!
「アメリカさん」
日本が俺の名を、しっかりと呼ぶ。気がつけば、間近まで寄られて俺の手の甲の上に日本の掌が添えられていた。
表情の読みにくい黒い瞳は細められて微笑の形を作っているけれど、明らかに笑ってない。笑ってないぞ、日本。まるで日本のホラーゲームみたいに怖い。
「このゲームを作る上で、一番重要なことなんです。アメリカさん以外の方からも、所有する全ての写真と一部の方からは肖像画もお借りしましたので、気になさることはありません。国同士で付き合いがあるのですから、必然的に写真の十枚や二十枚たまっていくのは自然なことですよ。現に私の家にもイギリスさんの写真はちょっと口にするのが憚られる枚数ございますし、なんだかんだ仰ってフランスさんのところにも何枚もありましたね、あれは良い写真ばかりでした。主に弱味というか酒乱の果ての凶行の証拠的な意味で。ね、アメリカさん。多少なりとて交流があれば、イギリスさんの写真を持っているなんて当たり前のことですよ。何も隠しだてするところではありません。さぁ」
滔々と捲し立てられれば、確かに当たり前のような気もしてくる。実際にデジタル化の進んだここ十数年では飛躍的に写真が手軽になったせいか、何かにつけて写真を撮ってる国もあるくらいだ。主に日本とか。
だから、変に隠し立てする方がおかしいと思いもするけれど、貯め込んでるとか、持ってる写真の中身を言い当てられては、認めにくいのも躊躇うのも当然だと思う。
それはそれとして、日本が持ってる写真とフランスの写真は物凄く気になるけれど。
「ご希望でしたら、私が所蔵しているイギリスさんの写真の数々をお譲りしてもよろしいですよ。フランスさんからコピーしていただいたデータもありますし」
ちらりと思考の片隅を掠めた言葉を見透かしたかのように日本は笑みを深めて言ってくるのだから本当に性質が悪い。
怖すぎるよ日本。大体、ヒーローはそんな誘惑……じゃないな。ええと、そう、取引には乗らないんだぞ。
でもまあ、傍迷惑なイギリスが余所でどんな悪行を尽くしているかを知っておくのもヒーローの務めのひとつかもしれない、と思いもする。
力を入れさえすれば、簡単に振り払える日本のほっそりした手を払えないまま、俺はぐるぐると頭を悩ませることになった。
そして喉の奥で唸っている俺を、日本は宥めるような声で追いつめていく。
「私の調べによりますと、写真機が普及を始める頃にイギリスさんと撮られたお写真があるとか。確実なところでは、前の世界会議終了後のパーティーでイギリスさんが酔っぱらってしまわれた時の写真はお持ちですよね。それと、一昨年のクリスマスパーティーでイギリスさんが酔って寝てしまわれた時と、その前の年に他の国の皆さんとスキーに行かれた時のもの。他にはイギリスさん宅で新型カメラの試し撮りと言ってとられた日常ショットを何枚か、お持ちですよね?」
だらだらと、背中を冷や汗が伝い落ちていくのが分かった。
一体どういうことだい日本。わけがわからないんだぞ。なんで君はそんな自信満々なんだい。声は穏やかなのに目が欠片も笑ってないよ怖いよトゥースキュアリーだよ。
と、いうか。
なんで知ってるんだい。
確かに俺の家にはイギリスの写真がないとは言わないよ。欧州の国と比べたら短くても、俺の歴史に比したらイギリスとの付き合いは長いどころか生まれる前からあることになるわけだしね。
国としての交流だって少なくないし、個人としての交流で言うならイギリスはあの通り俺に口出ししたり文句つけたり注意したりと、俺に構って貰うのが趣味みたいな人だから、それなりにある。
歴史を顧みたって状況を省みたって、俺の家にイギリスの写真があるのはおかしいことでもなんでもない。なんでもないけど!
見てきたように言うその細かさは何なんだと問いたいぞ俺は。
「……」
理性は、別におかしくはないのだから堂々としていろと返してくる。けれど本能は危険を感じ取っている。
日本の言い方がいけないんだ。当たり前の筈なのに、日本の言い様はまるで俺が特別に欲しくてイギリスの写真を撮ったり持っていたりしてるみたいじゃないか。
そんなことあるわけないのだから、頷けないのも辺り前だ。
「アメリカさん」
けれども、また日本が俺の名を呼んで。こちらを安心させるような綺麗な笑みを浮かべる。
「隠されても無駄ですよ。私はなにしろ、忍者を生んだ国なのですから」
内容は笑みに似つかわしくないものだったけれども。
「にんじゃ……」
単語を繰り返せば、纏わる色々な憶測や学んだことが脳裏を駆けめぐる。忍者は俺も大好きだから、良く知っている。忍者はスペシャルなスパイなだけでなく、なんでも知っていて強くて、闇に紛れて悪い奴をやっつけるスーパーヒーローだ。
「ええ、忍者です。ですから、アメリカさんがイギリスさんの写真を実はけっこう密かに持っていることも、携帯電話の中にも実は数枚潜んでいることも、お部屋に飾られている写真立てのブルーエンジェルスの下にはこっそりイギリスさんの写真が飾られていることも全て存じ上げていますので、今更恥ずかしがらなくても大丈夫です」
な、ん、だ、っ、て……?
「に、日本……君」
それ以上は声にならずに、ぱくぱくと虚しく口だけが言いたいけど言えない心情を伝える。
プライバシーの侵害で訴えるべきだろうか。いやいや、訴えることなんて出来るわけがない。なにしろトップシークレットだ。誰の耳にも入れるわけにはいかないことばかり。
なんて言ってやればいいかと考える俺をよそに、日本はこちらの手に添えていた掌を外して、上向きにした掌をそのまま差し出してくる。
「さあ、アメリカさん。時は金なり、ですよ。出して、いただけますよね――?」
有無を言わせないほどの迫力が、その時の日本にはあった。
そんな風にヒーローの俺にとって耐え難い精神的苦痛をもたらしながらも、件のゲームは遂に完成したのである。
日本はわざわざ俺の家に完成版のロムを持ってきて微笑んだ。
いつもの曖昧な笑みとは違うが、写真を寄越せと迫ってきた時のような怖い笑みとも違う、何事かをやり遂げた後の、爽快さをもった笑みだったことに、密かに安堵する。
出来ることなら、あんな日本の笑みは二度と見たくないからね。
「必ずや、気に入って頂けると思いますよ」
控えめな発言の多い日本がそこまで断言するのだから、きっと面白いゲームになっているだろう。そうでなければ困る。
あんなに恥ずかしくて死ねると思ったことは、俺の人生において他にないくらいの羞恥だったのだから、これで面白くなかったら例え日本と言えども、俺は黙っちゃいないぞ。
酒を飲んで酔って暴れて愚痴りまくった翌日にイギリスが「死にたい死にたい死にたい」と泣く気持ちが、ほんの少しだけ分かってしまった自分がとても嫌だ。
まあでも、日本が二年近くかけて作ってくれたゲームだ。俺だってあれだけの犠牲を払ったのだから、きっと面白いに違いない。面白くないわけがない。
「有り難う、日本! 早速プレイしてみるんだぞ!」
「ええ、是非。私は国に戻りますが、何かありましたら、ご連絡ください」
首をガクリと下げるものではない、腰から深く曲げるお辞儀をして帰っていく日本を見送ってから、俺はロムを片手に意気揚々と家の中へと戻る。
途中、すっかりこのゲームを頼んだことを忘れたりもしたけれど、何しろ俺が主役のゲームなんだ。これが楽しみでない筈はない。
ホームシアターシステムが完備されたリビングは、予め日本から連絡を受けていたこともあって準備万端だ。
ポテトチップスにコーラにドーナツ。テーブルの上には携帯があるけど呼び出し音はオフにして、ローテーブルの近くにはデリバリーのピザのメニュー。
トニーはくじらと一緒に暫く遊びに行ってもらったし、ボスに無理を言って五日の休暇も取ってきた。
うん、完璧だ。
これで休暇中は、思う存分ゲームに没頭できるぞ!
ゲームの世界にどれだけ格好良い俺が待っているんだろう。
日本お得意の、魔王を倒す勇者だろうか。それとも、世界を救うスーパーヒーロかな。でなければ、日本の家の時代劇みたいに、闇に紛れて密かに悪を斬るサムライだろうか。
ああ、前にやらせて貰った日本のゲームみたいに、ガンとカタナを同時に操るサムライガンマンなんてのもいい。
変身アイテムを掲げて変身して悪の組織と戦うヒーローも俺ならばバッチリ似合うし、戦うヒロインのピンチに颯爽と現れる謎のヒーローの俺……なんてのも凄く格好良いな。
日本で見たことのあるヒーロー達の姿を思い浮かべながら、俺は逸る気持ちに急かされて、慌ただしくゲームの電源を入れた。
「楽しみだなぁ!」
暫くは黒い画面に、関係会社のロゴなどが順に表示される退屈な時間が続くけれど、この後に訪れるものの期待に先走る気持ちを落ち着けるには、丁度良い。
何度か深呼吸をしてからコントローラーを両手で持って、改めてゲームが始まるのを待つ。
この先には一体どんなものが待っているんだろうか。
好奇心を抑えきれずに待っていると、ようやく無音に近かったスピーカーから音楽が溢れ出す。
しゃらららら~ん、と。予想とは違う系統の音がまず鳴った。
なんだろうこれ。金属で出来た、硬質だけれど高く澄んだ音の集まりがしゃらしゃらと流れ、その上に重なるのは、やはり迫力満点とは言い難い、優しくて明るくて、元気の良さそうな音色だ。
「…………あれ?」
俺は思わず首を傾げる。
おかしいな。俺はもっとこう……格好良くて、迫力ある音楽を予想してたんだけど。
予想外なのは音楽だけじゃなく、画面に流れ始めたムービーもだった。
明らかにオープニングムービーなのだけれども、なんていうか、その色彩がポップなのだ。可愛いし、嫌いじゃなけれどヒーローっぽいかと言われれば、ヒーローっぽいとは言えない。
「なんか……思ってたのと違うぞ?」
さらに描かれる建物や背景は、どこかの学校のようなものが多くて。さらに学校らしき場所を背景に次々に画面に現れるのは、学生服に身を包んだ登場人物達。
その様子はまるで、ゲームというよりも日本の家で作っているテレビアニメのようだ。
「……前に、似たようなの見たことがあるなぁ」
記憶を刺激され、ムービーを見ながら遡ってみれば、日本に何度か貸してもらったゲームに雰囲気が似ていることに気づく。
おかしいな。俺は日本に、俺をヒーローにしたゲームを作ってくれってお願いした筈なんだけど。
どう見てもこれは……日本が好んでプレイするという、《恋愛シミュレーションゲーム》じゃないか!
違うのは、人物がほぼ実写に近いCGであるということと――オープニングムービーを駆け抜ける人物達に、どうにも見覚えがありすぎるということ。
日本の家で良く見かけた短いスカートの学生服を着て画面の向こうから笑っているのはセーシェルだし、フライパン片手に誰かを追いかけているのはハンガリーだった筈だ。てことは、追いかけられているのはプロイセンかなぁ。顔と名前が一致しない子も多いけど、多少は見覚えのある《国》ばかりが登場している。
さらには――なんでか分からないけれど、やたらめったらイギリスの出番が多い。
他の国は一瞬で消えていって、そう何度も出てくるわけじゃないのに、イギリスばかりが画面に大写しの状態で何度となく出てくる。
今まで俺がやってきた《恋愛シミュレーションゲーム》のパターンから言って、こうやって扱いがやたらいいのは《メインヒロイン》とか言うものの筈だ。
明らかにおかしい。
俺が頼んだのは、あくまで俺をヒーローにした格好良いゲームであって恋愛シミュレーションゲームじゃないし、恋愛シミュレーションゲームというものにしたって、普通は可愛い女の子のキャラクターがいっぱい出てくるものだろう?
なのに、オープニングムービーを見る限り、出てくる女の子はとても少ない。
ハンガリーにセーシェル、名前知らないけどロシアの姉妹に、それからええと……顔は見たことあるんだけど名前も思い出せない子が一人か二人。ええと一人は確かヨーロッパの辺りの子で、もう一人はアジアの子だったと思うんだけど……まぁいいか。
女の子が三人しか出てこない恋愛シミュレーションゲームもあるけれど、その場合は一人一人の扱いが良かった筈だ。
なのにこのゲームときたら、女の子はちょこっとしかムービーに登場しない。登場人物の大半を占めるのは男の国ばかりで、中でも断然イギリスが多いなんて、おかしいじゃないか。
アップテンポの可愛らしい曲調の音楽が、クライマックスを迎える。だけどそれに合わせて画面でくるくると表情を変えるのは何故か知らないけど学生服に身を包んだイギリスで。
更に言うなら、ムービーの中には肝心の俺の姿が映っていない。時々、俺のトレードマークのフライトジャケットや、それらしいシルエットは映るけれど、顔も姿も映らないんじゃ意味がない。
なんなんだ、このムービーは!
半ば呆然、半ば憤然として見守る中、オープニングムービーが終わりを告げて、画面にはタイトルが描き出される。
メニュー画面と同時に示されたタイトルを、俺はなんとはなしに読み上げた。
「ツンデレ☆ハイスクール……?」
意味が分からない。
言葉に聞き覚えはある。確か日本が時々、イギリスやら俺やらを形容するのに使う言葉だった筈だ。
あと、日本の大好きな二次元のキャラクターに対しても使ってた気がする。モエゾクセイがどうのって。俺にはさっぱり分からなかったけれど、これもそのひとつだろうか?
「……」
撮影の時に、何で学生服を着させられたのかは良くわかった。
オープニングムービーを見る限り、これは《学園物》と呼ばれる類の恋愛シミュレーションゲームなんだろうってことも予想がつく。
だけどやっぱり腑に落ちないのは、男の方が圧倒的に多い上に、特別扱いされているのがイギリスってところだ。
「……凄く嫌な予感がするんだぞ……」
一年くらい前の悪夢が、ふと脳裏を過ぎる。
いつにない迫力で俺に《イギリスの写真を寄越せ》と言ってきた日本。
俺が主役でヒーローだというゲーム。
学生服での撮影。
学園物恋愛シミュレーション風のオープニングムービー。
そして《ツンデレ☆ハイスクール》というタイトル。
まさか……いくらなんでも、そんな。
メニュー画面をテレビに映したまま、しばし目線を意味なく彷徨わせる。
――すると、ローテーブルの上に小さな封筒が置かれているのが目にとまった。
日本がソフトの入ったロムと一緒に置いていったものだ。確か説明書を入れておいたって言ってたな。
普段は説明書なんて全く読まないのだけど、流石に不安になってきた俺は、少しだけ迷った後で、封筒を手に取って中身を取り出す。
長方形の説明書は、パッと見では製品についている本物のようだ。もっとも、このゲームは実際には試作段階なので製品版のような説明書があるわけないんだけど。
俺の手の中にあるのは、紙質こそ日本のゲームについてくる普段のものとは多少違うが、ゲームタイトルが打たれて表紙全面にイラストが載ったそれは、本物さながらの作りだ。
これを見て、販売どころかまだ生産もされていないゲームだと思う人は、殆どいないだろう。
多分、俺に渡すにあたって日本が自分で作ったんだろう。そういう細かい作業が好きな人だし、普段は真面目で大人しいくせに、こういう偏った部分では意外と遊び心を発揮するんだ。俺も知ったのは最近のことだけれどね。
そうして暫く、説明書の表紙や裏表紙を感心と呆れ半々で眺めていたが、ハッと我に返った。
感心している場合じゃない。いま俺に降り掛かっている潜在的危機は、ともしたら生まれてから今までの中で五指に入るかもしれないくらい高いのである。
俺は気を引き締めて、再び説明書の表紙を眺めた。
描かれているのは、オープニングムービーを凝縮したみたいな画像。中央に一番大きくイギリスの姿。その周りを囲むように、男性の各国が顔だけはきちんと映るように重なりあいながら描かれて、一番外側に小さく幾人かの女性の国が顔を覗かせている。
そして説明書の下部には、装飾の施された文字でタイトルが描かれていた。
「そもそも、なんなんだい。《ツンデレ☆ハイスクール》って」
全然、ヒーローらしくない。
何しろ説明書のイラストとは言え、恐らくはパッケージを意識しているのであろうソコに、俺の姿がないのが一番の問題だ。
しかも、何で一番目立っているのがイギリスなんだい。おかしいだろう、絶対。
普通のゲームならそこは主人公の位置だし、本当にこれが恋愛シミュレーションゲームだというのなら、ヒロインの位置の筈。
そこにイギリスが居るなんて、何かの間違いに違いない。
そうだよ、あり得るものか。あんな極太眉毛でエセ紳士で変態で元ヤンで酒乱で鬱陶しい奴がヒロインだなんて、俺は断固として認めないぞ!
――あ。もしかして、これは倒すべき《悪》なんじゃないか?
それなら各国がキャラクターとして描かれているのも納得できるし、その中央に大きくイギリスが描かれているのも納得できる。
そうだ、そうに違いない。
ようやく安心できる理由に思い至った俺は、日本の手作りらしい説明書を――それでも恐る恐る開いていったのだった。
==============================================
【あらすじ】
あなたは、とある超大国を担う王子様です。
年頃になったあなたは、父王に言われて《各国の重要人物が通う》と言われる、世界W学園に転入してきました。
あなたの目的は、この世界W学園で、自分と結婚して生涯のパートナーとなってくれる人を探すこと。
父王からはパートナーが見つかるまでは帰国禁止の命を受けているので、気合いを入れて探さなければなりません。
自由でエキサイティングでサバイバルな学園生活の中で、あなたはこれから多くの人と出会い、過ごすでしょう。
時には喧嘩することも、あるかもしれません。時には陥れたり陥れられたりするかもしれません。けれども、愛し合うこともきっと、出来るはず。
驚きに満ちたこの学園で、あなたは果たして、真実の愛を見つけることが出来るでしょうか――?
==============================================
ワオ。俺、こういうのなんて言うか知ってるぞ。《ツッコミどころ満載》って言うんだろ!
大体、サバイバルな学園生活って一体なんだい。学園物で恋愛物なのに、陥れたり陥れられたりって何かおかしいだろう。わけわかんないんだぞ。
日本……本当にコレ、俺が頼んだゲームなんだよね?
物凄く不安になりながら、俺はページをめくる。
どうやら今度は、キャラクター紹介のページみたいだった。
俺の姿は、学生服の上にフライトジャケットを羽織った格好で最初に描かれているけれど、やはり顔は微妙に影になってボカされている。
俺の格好良い顔を出さないなんて信じられないんだぞ。何でこんな風に顔をぼかしているんだろう?
――ああ、だけど。そういえば日本が前に、
「最近、ギャルゲーでも主人公の顔が出ていることが多いんですよね。あれはあれで良いのですが、やはり私などは昔ながらの古式ゆかしい顔なしの方が感情移入が出来て好きですね。勿論、喋らせる必要がある場合などはキャラクター性が滲み出てしまいますし、中途半端になるくらいならば顔があった方が良いのですが、昔ながらの様式美が失われていくことは寂しく思います」
とかなんとか言っていた気がする。
ならこれも、日本の趣味というか。日本の考えによる《古式ゆかしい様式美》とやらのひとつなのかもしれない。
日本もイギリスと同じで(内容や系統は随分違うとは言え)伝統やら格式やら様式美やらを大切にする人だ。二人の共通点なんて、同じ島国だってことくらいだけれど、これも島口の特長とでも言うんだろうか?
俺にはさっぱり分からない魅力だし、それはそれとして、コレは更に何か違うような気もするけれど。
そんな形で顔を隠された俺の横には、【あらすじ】で見た通りの設定が書かれていたが、情報は多くなかった。
超大国の王子様って設定は悪くはない。
良くないのは、目的が悪者退治じゃなくて《生涯のパートナー探し》なんて、ヒーローらしくない目的の方だ。
ヒーローはまず、崇高な目的をもってなくちゃ。そうして目的に邁進しているうちに、自然と素晴らしいヒロインとで出会うようになっているものだ。
日本は日本なりに頑張ってくれたんだろうけど……。これは最初に《ヒーロー》のなんたるかを、もっと説明しておくべきだったなぁ。
プレイして面白くなければ、俺が払った分の制作費は返してもらわないといけない。
そもそも俺がヒーローらしくなかったら、契約違反なんだぞ。うん。謝罪と賠償を要求しないとダメだな。
思いながら、俺はまたひとつページをめくってみると――
「うわ」
見開きいっぱい使って、イギリスがたくさん描かれていた。
「……だから、なんでイギリスなんだ」
学生服を隙なく着込み、憮然とした表情で立っているイギリスの全身図が一番左にあり、中央にはイギリスの設定やらプロフィールやらが書かれている。名前、身長、体重、それから……
「……なんでスリーサイズがまで書いてあるのかな……」
日本は一体何考えてるんだ。大体コレ、本当の数字なのかな。計ったのか日本。
俺だってちゃんと計ったことなんかないっていうか別に俺はイギリスのスリーサイズなんて知りたいわけじゃないしどうでもいいけど。そもそも男のスリーサイズなんて知ったって面白くもなんともないし興味なんてない。全くない。断固としてない。
それにあの人なんて貧弱そのものだしね。ああでもやっぱり細いなぁ、なんだいこのウエスト。身長は俺と凄く違うわけでもないのに、おかしいだろう。内臓とかちゃんと入ってるんだろうね。
まぁ抱きしめたらすっぽり収まりそうでいいなぁとか考えているわけじゃないし心配しているわけでもないから、本当にどうでもいいんだけどさ。
そうした数値情報以外には、恐らくゲーム中に登場するのだろうイギリスの様々な表情だったり、『生徒達から恐れられている生徒会長様の意外な一面…!?』みたいな謎の見出しと共に、薔薇を見つめて微笑んでるイギリスの姿だったりが描かれていて。
俺はもう見ていられなくて、説明書を閉じる。
説明書は結局、俺の胸に湧いていた不安を消しても和らげてもくれないばかりか、認めたくなかった現実というやつを突きつけてくるだけだったのだ。
うん。現実を見つめよう。
このゲームは間違いなく。
「……俺が主人公で、イギリスをメインヒロインにした、学園物恋愛シミュレーションゲーム……ってことだよね」
心底信じられないことにね!!
俺は説明書をテーブルの上に放ると、置いてあった携帯電話を代わりに手にとって、日本の携帯電話の番号を呼び出す。
何かあったら電話くれって言ってたんだから、問題ないよね。どうせまだ車で空港に向かっているところで、飛行機には乗ってないだろうから。
大体、何が『必ずや、気に入って頂けると思いますよ』だ。
気に入るわけないじゃないか。
俺が主人公と言ったって、顔も姿もきちんと描かれないし、全然格好良くて絶対的なヒーローなんかじゃない。
しかも恋愛シミュレーションだというのなら、可愛くて綺麗な女の子に溢れているのが当然なのに、登場人物は見知った《国》ばかりで、おまけにメインヒロインがイギリスときてる。
イギリスがヒロインの恋愛シミュレーションゲームなんて、やる気になる奴がいるのなら見てみたいと思う。いるわけないじゃないか、そんな物好き。
なにしろイギリスと来たら、頑固だし口うるさいし古くさいし嫌味っぽいし料理は下手だし、庭いじりと刺繍は得意だけど友達いないし幻覚は見るし酒乱だし凶暴だし凶悪だし目つき悪いしエロ大使だし、良いところなんてひとつもない。
そんなどうしようもない人を、わざわざゲームでまで落とそうなんて面倒なことする奴の気が知れないね。
これで、どうして俺が気に入るなんて思うんだろう。
俺には全く理解できない。ああ、できるわけがないとも。
言い聞かせるように胸の内で何度か繰り返してから、俺は日本に抗議すべく、メモリから日本の番号を呼び出して通話ボタンを押したのだった。
数時間後―――
『べ、別にお前のためじゃないからなっ。弁当作ってきたのは、あくまで俺のためであって……』
俺の家の大型テレビからは、日本のとこの学校では一般的だという《体操着》とやらに身を包んだイギリスが、画面のこちら側に向けて弁当箱を差し出している姿が映されていた。
……そう。俺は結局、あの《ツンデレ☆ハイスクール》とやらをプレイするハメになっているってわけさ。
だって、しょうがないじゃないか。
抗議の電話を掛けた俺に、日本はいつになく――イギリスの写真を寄越せと迫った時以来の――にこやかな様子で
『まあまあ、アメリカさん。そう言わずに、とりあえず三時間程はプレイしてみていただけませんか。オープニングムービーだけでは、あのゲームの魅力はお分かりいただけないと思います。それに、我が国では一見ありきたりの学園物アドベンチャーゲームとみせかけて、その実は壮大な宇宙規模の戦闘に発展していくゲームや、いつの間にか多次元世界を描いた話へと移行していくゲームなどもあるんです。まぁ流石にそこまでの超展開はありませんが、オープニングムービーとプロローグだけでゲームを評価し、手を止めてしまうのは早計というものですよ。まずは遊んでみて、それでも全く面白くない、気に入らない、ということであれば、制作費も返還致しますし、謝罪と賠償も考えますので』
などと、滔々と語ってきたのである。
さらには。
『それに――契約によりますと、気に入っていただけなかった場合は責任もって費用を回収する為、私の家で販売する形になりますが、よろしいですか?』
と、言ってきたのだ。
日本と交わした契約書を思い出せば、確かにそういう内容だった気がする。
そこで出た利益は、費用を超えたとしても全て賠償に上乗せされることになっていて、俺の方に一切の損がない形だったので、すっかり忘れてた。
だけど――その、日本で販売されるゲームがコレだと言うのなら、全く別の問題が出てくる。
アレを?
イギリスがメインヒロインだっていう、あの恋愛シミュレーションゲームを?
販売する?
だって、それはつまり――
オープニングムービーにあったみたいな、涙目でこちらを睨みつけてくるイギリスとか、頬染めて目を逸らしてるイギリスとか、戸惑ったようにこちらを見てくるイギリスとか、珍しくも楽しそうに笑ってるイギリスとか。説明書にあったみたいな薔薇を見つめて微笑んでるイギリスとかが、どこの誰とも知らない人達に出回るってことだろう?
しかもアレは恋愛シミュレーションゲームなんだから、メインヒロインだっていうイギリスを攻略する人は多いだろう。あんな人落とすなんて物好きいるわけないから売れるわけないとも思うけど、世の中は広いからどうだか分からない。
知らない誰かが、あのゲームをプレイする。ゲームの上の設定は俺でも、画面の向こう側にいるのは見ず知らずの他人だ。その誰かに向かって、イギリスが語りかける、笑いかける、説教する――。
そんなの、許せる筈ないじゃないか。
そう、ヒーローの務めとして、そんなことは許せない。
イギリスみたいな極太眉毛の可愛げのない元ヤンがメインヒロインとしてどこかの誰かを誑かしたり、まぁあんなのに誑かされる人間なんていないと思うけど、それで不快な思いをしたりしたら大変だ。ヒーローたる俺には、そういう何も知らない人達を守る義務がある。
だから俺は嫌々ながらにゲームをプレイし続けることを決めて、一端は日本との契約解除も引っ込めた。
そして、ゲーム開始から十数時間が経った今――こうなっているわけである。
『せっかくの体育祭だからな。お前が食べ過ぎて競技の進行を妨げたりしないように、生徒会長の俺が見張っていてやるよ。だから、その……一緒に、食べてやってもいいぜ』
イギリスがこちらに差し出している弁当箱は俺の目から見てもかなり大きくて、これだけ――しかもイギリスの破壊兵器のような食事を、だ――食べさせようとする時点で言っている内容と合ってないこと、分かってないんだろうか、この人。いやこの人って言ったって日本が作ったゲームの中のイギリスなんだけどさ。
悔しいことに、流石に日本はその辺りが細かくて上手いようで、見た目といい表情といい声といい、ゲームの中のイギリスときたら、本物そっくりだ。それが良いことかどうかはさておいて。
まったく何だって折角とった休みの日に、ゲームの中でまでイギリスなんかに会わなくちゃいけないんだ。しかもゲームの中の俺まで、あの破壊的料理を食べさせられそうになっている。
「冗談じゃない。体育祭なんて、俺が大活躍できる最高の舞台じゃないか。そんな時に君なんかの料理を食べて体調を崩したらどうしてくれるんだ。それ、単に俺の足を引っ張る策略なんじゃないのかい?」
画面に向けて言ってやるけれど、そんな俺の声は当然のようにゲームの中のイギリスに届くことはない。
いつもなら、こんなことを言えば涙目になって「ばかぁ!」と怒鳴ってくるか、傷ついた顔して去っていくか、でなければ「へっ。お前もなかなか目端が利くようになったじゃねーか」とか悪役じみた笑み浮かべて……でも目尻に涙を溜めながら強がりと捨て台詞を言って逃げてくか、なんだけど。
現実の俺の台詞がゲームのイギリスに聞こえるわけもなくて、画面の中のイギリスは相変わらず僅かに頬を染めた顔のまま弁当箱を差し出してきている。
画面下部に存在するメッセージウィンドウに並ぶ選択肢は三つ。俺の声が届かない代わり、この中から選んだものが、ゲームのイギリスに対する反応になるわけだけれど――。
==============================================
【選択肢】
▽「ありがとう、イギリス。嬉しいよ」
▽「弁当よりも君が食べたいな」
▽「君は馬鹿か?」
==============================================
この選択肢考えたの誰だい。特に最初の二つを考えた奴は、俺の前に名乗り出て欲しいと思う。
この選択肢なら、間違いなく三番目だろう。そうに決まっている。これ以外を選ぶなんて有り得ない。だって相手はイギリスなんだぞ? ご飯は破壊兵器だし、言い方は偉そうだし。俺が先程口にした内容に一番近いのは三番目なんだから。
だけど――
実を言えば俺は、この選択肢を見るのは初めてではない。正確に言うのなら、これで三回目である。
一回目のとき。俺は迷わず、三番目の選択肢を選んだ。
そうしたらイギリスは案の定に『くそっ。俺だって別にお前となんか食べたくねーんだからな、ばかぁ!』と叫んだ上に、持っていた弁当箱を放り投げて逃げていったばかりか、その先で何故だかフランスにぶつかって。
『なにやってんの、坊ちゃん』
『うるせぇ、失せろヒゲ。あとついでにテメェの昼飯を寄越せ』
『はぁ?』
『お前の昼飯を寄越せって言ってんだよ。ああ、お前はそこらの雑草食ってればいいから』
『なんでそうなるの。昼飯忘れたなら素直にそう言えよ。ほら、坊ちゃんの分くらいあるから、生徒会室で食おうぜ。どうせその後、午後の打合せだろ?』
『……チッ。仕方ねーな』
などというやりとりの後に、二人で消えてしまったのである。
恐らくは生徒会室で、二人で、フランスの作ってきた弁当でも食べたのだろう。俺にはイギリスの破壊兵器の弁当を押しつけておいてだよ!
残された俺は、イギリスの弁当なんか捨てて自分の弁当を食べればいいのに、何故だから律儀にイギリスの弁当を食べて――あまりの不味さに苦しむこととなった。
しかもゲームの中の俺が
『果たしてこの苦しさは、胃が訴えてくるものなのか、心が訴えてくるものなのか……? 俺には、分からなかった――』
なんてモノローグをわざわざ入れてくるのだから最悪極まりない。
あまりにも面白くない展開に、俺は即座にリセットボタンを押していた。セーブをしたのがだいぶ前だったから、やり直す時間は惜しいけれど、構っては居られない。
そして迎えた二度目のチャレンジで――俺は、悩みに悩んだ末、自棄になって二番目の選択肢を選んでみたのである。
すると――
『……アメリカ、お前……頭、大丈夫か?』
さっきまで頬を染めていたイギリスは途端に真顔になってこっちの脳を心配してきたってわけさ。
ああもうっ。再現率が高いのは結構だけど、ゲームなんだから、そんなイギリスの肝心な時に空気が読めないところまで再現しなくていいよ日本!
結局その後は昼食どころじゃなくなって、俺の体調と脳を心配したイギリスに無理矢理保健室に連れて行かれて絶対安静を厳命され、体育祭が終了するっていう酷いオチだった。
そして話は現在に戻るわけで――
分かってる。ここまで来たら一番目の選択肢を選ばなきゃいけないんだってことは。
多分、これが正解なんだろう。そんなの分かってる。俺は、本当は。何て言えばイギリスが喜ぶかなんて知ってるんだ。
イギリスなんて、どうせ俺のことが大好きなんだから。ちょっと笑って、刺々しくない言葉で「お腹が空いたから、それ俺にくれよ」なんて言うだけで喜ぶ。
だから「ありがとう、イギリス。嬉しいよ」なんて言おうものなら、それはもう目を輝かせて大喜びするだろう。
そうして、お茶まで煎れようとして、甲斐甲斐しく俺の世話を焼きたがるに決まっている。
別に俺だって、それ自体が絶対に嫌だってわけじゃない。そうしてもいいと、そうしたいという気持ちがないわけでもない。
ただ、面白くないだけだ。問いつめたくなるだけだ。
子供の頃に惜しみなく与えられていた溢れんばかりの愛情は、どうしたって俺の記憶にこびりついて離れなくて、なかったことにはならない。
その記憶が、邪魔をする。俺の思考に待ったをかける。
イギリスから向けられる好意を、愛情を、世話を、心配を。それら全てのものを受け取ることへの躊躇と拒否を生むんだ。
イギリスがどうすれば喜ぶかなんて、俺は分かっているし、知っているけれど。喜ぶイギリスを見れば、俺だって悪い気がするわけじゃないけれど。
喜べばどうせあの人は舞い上がって俺を更に期待させるような真似をするくせに、やっぱり俺が期待したような意図なんて欠片もなくて、俺を散々な気分にさせる。
だから俺は馬鹿馬鹿しくなって、期待したくなくて、イギリスに振り回されたくなくて、逆に振り回してやりたくて。どうせ期待する気持ちが得られないのなら、例え別のものでもいいから、俺のことで頭の中をいっぱいにしてやりたくて。いつも、わざとイギリスが傷つくだろう言葉を吐くんだ。
何を期待しているだとか、何に期待してるだとかについては、考えるのも嫌だから考えないぞ。
そうだ。考えるのは、嫌いだ。
現実のイギリスについてだって考えたくないのに、今度はゲームの中でまでイギリスに悩まされるなんて最悪だ。
選択肢を前に固まること数分。
「……あー、もう。考えるの飽きたんだぞっ。こんなのどうせゲームなんだから、何だっていいじゃないか!」
俺はもう面倒くさくなって、最初の選択肢にカーソルを合わせ、決定ボタンを押した。
それから二日後。
俺の家のテレビはまだ、《ツンデレ☆ハイスクール》の画面を映していた。
画面にはスタッフロールとエンディング曲が流れていて、それはオープニングと同じく明るくポップな可愛らしい曲だけれど、今の俺の気分には全然合っていない。
長い時間をかけて辿り着いた何度目かのエンディング。けれどそれは、明るい曲には似つかわしくないバッドエンドだった。
「一体何が気に入らないって言うんだ、イギリスのやつ!」
コントローラーを放り、憤然として近くにあったポテトチップスを掴んで口に頬張ると、がしょがしょと食べる。チップスは美味しかったけれど、俺の気分はそれくらいでは晴れやしなかった。
大体、何回目だと思ってるんだ。
俺はこのゲームを既に五周(エンディングを見た回数であって、途中からのやり直しを含まないで、だよ)くらいしているけれど、未だにイギリスを落とせないでいる。イギリス以外の誰かを落としたこともないから、ひたすらバッドエンドばかり見続けているってことだ。
本当に何が悪いんだか、俺にはさっぱりなんだぞ!
ゲームの中でイギリスと仲良くなるのは、それほど難しい話じゃない。メインキャラなだけに他の何人かのサブヒロインと違って出会う為の条件もなく、プロローグ部分で強制的に出会う。
イギリスはゲームの中では学園の生徒会長で、転校初日に暢気に遅刻した俺を校門の前で待ち構えて、いきなり説教をしてくるっていう、あんまり楽しくない出会い方だけどね。
学園全体の案内役でもあるイギリスとの接点は最初から多く、ゲーム開始から一ヶ月間くらいの対応を大きく間違えなければ、それ以後も気軽に会うことが出来る。
ちなみに対応を間違えると、学園の案内があらかた終わる一ヶ月後にはサックリバッサリと切られて、殆ど会えなくなったりするから注意が必要だぞ。
最初にそれをやって、他人みたいな態度に腹が立ってすぐにリセットボタンを押したこともあったっけ。
そこさえ乗り越えたら、あとは簡単だ。何かにつけて生徒会室に遊びに行ったり、行事の度に話しかけに行ったり。放課後に少し時間を潰してから生徒会室や校門に行って一緒に下校してみたり。
こまめに接点をもってさえいれば、こっちが軽く引くくらいイギリスとの友好度はどんどん上がっていく。
なのに、どうしてか落とせない。
好感度はほぼマックス。行事も全てイギリスを誘ってイギリスと過ごした。過ごしたという割には微妙な結果になるイベントが多いのは気になるところだけど。ともかくフラグというフラグは回収している筈なのに、何がいけないんだろうか。
最初の頃はともかく、二周目以降はヒーローらしく浮気もしていない。ゲームクリアの為だと言い聞かせて、この俺がイギリスだけをひたすら相手してあげたっていうのに。
「なんだって俺がこんなに必死にならなきゃいけないんだい。くたばれイギリス!」
文句を言ってドーナツに齧り付くけれど、やっぱり気分は晴れなかった。再びタイトル画面に戻ったテレビを睨みつけながら考えるのは、どうしたらグッドエンドを迎えられるのかということ。
しかも、あのイギリスと。
他のキャラクターを落とそうとは、思えなかった。と言ったって落とせるのは男キャラクターばかりだから、そんな気分にならないのも当たり前だけれど。例え女の子のキャラクターが落とせたとしても、落とす気になったか分からない。
ここまできたら、意地だ。
別に俺がイギリスのことを特別に好きとか、そういうんじゃないけどね。単に、イギリスごとき落とせないなんて言われたら悔しいからさ。
――少し、嘘だけど。
テレビ画面を睨みつけていた目を閉じて、ソファの背もたれに身を預ける。
そうして瞼の裏に蘇るのは、忌々しいことにゲーム中のイギリスの姿ばかりだった。
『これが体育祭の正装なんだよっ』
なんて赤い顔して言っていたTシャツに短パンなんて現実ではまず見られないような姿とか。
『いつも準備に駆け回ってて、落ち着いて見たことなかったな。……ありがとな、アメリカ』
そう言って珍しく素直に微笑んだ、花火大会での浴衣姿とか。
『お前でも、こういう気の利いたことが出来るようになるとはな。ちょっと見直したぜ』
なんて言って、あんまり可愛くないくせに何故だかドキッとさせるニヤリとした笑みを浮かべてみせたのは、クリスマスパーティーで着ていく服を贈って、それから迎えに行った時だっけ。
次々と浮かんでくるゲームの中のイギリスは、どう見ても俺のことが好きそうなのにな。
デートや行事毎に誘いをかければ、素直じゃない台詞を口にしながらも嬉しそうに了承してくれるし。
当日だって、必死に嬉しそうな顔を隠そうとしても隠しきれないくらい嬉しそうだし、はしゃいだりもするし。
殆ど毎週、あちこちにデートに行った。夏祭りも文化祭も体育祭もクリスマスもバレンタインも一緒に過ごした。
さすがに修学旅行は学年が違うから一緒には行けなかったけれど、ちゃんとイギリスの為にお土産も買っていったら、涙ぐんで喜ばれた。……うん、あれは流石にちょっと引いたぞ。
ともかく、ゲームの中のイギリスは絶対に俺のことが好きでメロメロな筈だ。二年目のクリスマスパーティーの時にはキスだったしたし、あまり有り難いことではないのだけれども、バレンタインには手作りのチョコレートだって貰った。(このゲームは日本が作っているせいか、日本の恋愛シミュレーションゲームにおける一般的なイベントは軒並み網羅されているらしいぞ。各イベントの日本での意味合いが注釈付きで説明書に書いてあったから間違いない)
なにより――二年目の三月の、イギリスの卒業式。
プロポーズの為に、『この樹の下で愛を誓い合った二人は、永遠に幸せになれる』という伝説のある樹の下に呼び出した時も、彼はすっぽかさずにちゃんと来るのだから。
なのに、いざ告白してみれば――
『すまない、アメリカ。俺は……俺は、お前のパートナーには、なれない』
なんて言い出すんだ。
最初は、イギリスに好かれていると思ったのは勘違いなのかな、と思いもした。
現実ならそれがどんな種類のものであれイギリスが俺への愛情を捨てられないのは当たり前だけれど、ゲームでは過去の俺との関わりがないのだから、俺への絶対的な好意だとか甘さだとかがなくても仕方がない。
けれど二度三度と繰り返せばさすがにおかしいと思うし、俺の告白を聞いた瞬間のイギリスは、確かに嬉しそうなのだ。
一秒もしないでハッとしたように顔を強ばらせて、表情を消してしまうけれど。そうして硬い顔になったイギリスは、泣きそうな辛そうな顔で、さっきの台詞を言うのである。
何回目かのプレイである今回も。ずっと、ずっと同じ。
まぁ一回だけ、一体何を間違えたのかロシアが来たことがあって、驚いてその場でリセットしちゃったけど。
どう見ても俺のことが好きそうなのに、プロポーズには頷かないイギリス。
何度繰り返しても、望む反応を引き出せても、決して俺の告白に頷いてはくれないイギリス。
一体、何がいけないっていうんだ。
――これじゃ、まるで現実と同じじゃないか。
いや……それでもまだ、俺のことそういう意味で好きそうなだけ、ゲームの方がマシなのかな。
こんなこと考えるのは俺らしくないんだけど。
ああ、そうだよ。いつまでも意地になって自分に言い訳を重ねていたって仕方ない。
俺はイギリスが好きだ。認めよう。
だからイギリスに、俺のことをそういう意味で好きになって欲しいってずっと思っている。
本当はイギリスの写真なんていっぱい持ってるし、出来ることなら互いの了承の元でちゃんと二人並んで撮りたいし、その写真を堂々と飾りたい。
ゲームの中とは言え、真っ直ぐに俺を見てくれているイギリスに喜んだ。俺が主人公のゲームのヒロインとして出てくるんだから当たり前なんだけどさ。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、ゲームの中のイギリスは本物より少しだけ素直で乱暴さも気持ち少なめなせいか可愛く見えて、結局は何度もプレイしてしまった。
クリア出来ない意地もあったけれど、それだけならもっと効率的に他のキャラクターと同時攻略ぐらいする。
イギリスを好きだということは、俺としてはあまり認めたくないし信じたくもないことだけれど――さすがに否定するのも誤魔化すのも自分に言い訳をするのも疲れてきた。
実を言えば、とっくの昔に自覚はしていたんだけど。
なにしろ、かれこれ二百年以上は自問自答を繰り返しているんだから、否定しきれるなら、とっくにしている。
どうしてイギリスなんかが好きなのか、どこが好きなのかなんて分からない。気がついたらイギリスが好きだった。
彼の庇護下にあった子供の頃は、ただ純粋に。甘くて優しくて色々なことを教え与えてくれる彼は幼い頃の俺にとってはヒーローそのもので、嫌うことなんて考えられなくて、それどころか当時の俺にとってはイギリスに嫌われることが一番恐ろしいことだったくらい。
それが変わったのはいつだろう。段々と体が大きくなっていって、色々なことが分かるようになってきたくらいだろうか。少なくともイギリスの身長を追い越すよりも少しだけ前だったことは確か。
彼の愛情そのものを疑ったことはないし、実を言えば俺が彼を好きでなかった時など本当は長い生の中でもなかったけれど。
――ただ、いつの間にかズレてしまっていた。
彼が俺に求めることと、俺が望むことが。
俺には何も見せようとせず、何もさせようとしないイギリス。
純粋な好意は、いつしか俺を押さえつけようとするイギリスへの反発の前に徐々に形を変えていってしまったのである。
思い返して考えてみても、イギリスへの好意が恋情を伴ったものに変わってしまったから反発を覚えたのか。反発を覚えて彼から離れ違う個を目指す過程で変化してしまったものなのか……どちらが先かは、俺にも分からない。
どちらにせよ、俺の中にあった『イギリスが好きだ』という思いは、いつの間にか兄を慕うものから恋情やらもっと即物的な欲求を伴うものへと変わってしまったのだ。
そしてその思いは、イギリスへの反発を強めて互いにぎこちなくなってからも。その後の諸々を経て彼に銃を突きつけることになった時にも、何故か消えることはなかった。
独立して、今まで俺に見せてこなかったイギリスの色々な面や本当の姿を知ってからは、それこそ俺の初恋を返せと思ったし、あんな奴が好きなんて冗談じゃないぞ何かの間違いだって消し去ろうと思ったりもしたけれど。諦めようと思ったことも、他の人を好きになろうとしたことも数知れない。
だけど、何度くたばれイギリス! って本気で思っても、不思議なことに好きだって思いはなくならなかったんだよな……。嫌いになったこともあるし、本気で憎く思う時もあった筈なのに。
イギリスなんて眉毛だし性格悪いし頑固だし口うるさいし堅いかと思えば変なとこでズボラだし変態だし会議中でも平気でエロ本読むし料理は最終兵器だし。
いいところなんて殆どなくて、好きだという事実が本気で理解出来ないというのに、どうしてか前よりも『好きだ』って思いが強くなっているのだから、世の中本当に分からない。
しょうがない。それでも好きなんだから。これだけ自分でも嫌だなと思っているのに、好きだと思ってしまうんだから。
もっとも、現実は上手くいかないゲーム以上に、厳しいけれど。
イギリスは俺の気持ちに気付くどころか、相変わらず人のことを子供扱いする。
昔と全く同じように見られているわけではないと思いたいけど、やっぱり俺はイギリスにとって《弟》というカテゴリなんだろう。気づく気づかない以前の問題だ。
そのくせ、俺に対しての好意だとか愛情だとかは鬱陶しいくらい持っているのだから堪らない。
小さい頃のように真っ直ぐに向けられているわけでも、兄弟としての親しみをもって接してくるわけでもないけれど、少なくとも俺が求めるものと同じでないことは確かだろう。
かつてとは違う距離感。抱えるものも互いに向ける感情も何もかも違う筈なのに、向けられていると感じる好意や愛情は厄介だ。
違うと分かっているのに、勘違いしそうになる。
小さい頃に惜しみなく与えられていたそれと、全く同じならば苛立ちや怒りは覚えても戸惑いなんて覚えなかっただろうに。全く同じでは嫌な筈なのに、同じでないことに違和感を覚えて戸惑って。どういうものか量りかねて――勘違いしそうになるんだ。
かつてと違うのなら、それは――俺が望むものなんじゃないかと。同じものを含んでるんじゃないかと。
そうやって期待しかけて、舞い上がりかけて――その度に肩すかしをくらって失望するのは、たくさんだ。
現実でも辟易してるのに、ゲームでまで散々期待させて最後の最後でフられるとか、ほんと勘弁して欲しいんだぞ!
面倒臭いのも、酷いのも、思わせぶりなのも現実のイギリスだけで手一杯だよ。
例えば――久々に長めの休みがとれたから遊びに来ないかと誘ってくるとかさ。
友達のいないイギリスが自分から誘える相手なんて限られてる。俺を誘うことに意味なんてないくせに、気軽くああいうことをするのはやめて欲しい。
嬉しくなかったとは言わないけど、あの時はタイミングも悪かった。何しろゲームで最初にバッドエンドを迎えた直後で、ただでさえ苛立っていたところに電話が掛かってきたのだから。
こっちの気持ちも知らないで。俺はたった今、君にフラれて落ち込んでる上にムカついてるんだぞ!
さすがに口には出さなかったけど、そう思ったことは本当で。
その上にイギリスが
「たまたまだ、たまたま! お前なら暇だろうし迷惑かけても気にならないしな。別にお前とどうしても遊びたいってわけじゃねーんだからな!」
なんてことを言ってきたから、更にムッとしてしまって、
「HAHAHAHAHA、君が泣いて頼み込んできたってお断りだぞ☆」
つい意地を張って、朗らかに言ってしまったのだ。
その後はいつもの軽い口ゲンカになって、イギリスは相変わらず紳士って自称するのはやめた方がいいと思われる口汚い言葉で文句を言うだけ言って、電話を切ってしまったっけ。
あの時は俺の名誉の為にも早いところゲームでリベンジをしなければと思っていたし、イギリスとのああいった遣り取りはいつものことだから、それほど後悔してるわけでもないけど。
今から考えてみると、しまったかなぁと思う部分もある。
ほら、イギリスは傍迷惑な人だからさ。俺が遊んであげないと、一人でぐちぐちと文句言いながら幻覚と戯れてる、なんて可哀想なことになってるかもしれないだろう?
今だってひょっとしたら、そうかもしれないし。
イギリスは今、どうしてるのかな。
イギリスのことだから、どうせ俺に断られたからって、涙目で文句言って沈んで凹んで、一人寂しく庭をいじったりジメジメと刺繍したりしてるんだろうけどさ。
まさか代わりに誰か他の人を誘って、そいつと一緒ってことはない……よね。イギリスは友達が少ないし、急に何日もの休みを共に過ごそうと言われたって、普通は対応出来ないだろうし。
不意に思い浮かんでしまった可能性に、目が自然と携帯電話へと向かった。
電話――してみようか。
一人で寂しく休日を過ごしているなら、電話をしてあげればイギリスはきっと喜ぶだろう。最初は驚いて。嬉しそうな声になりかけて、慌てて怒ってぶすくれた声にかえて。
「何の用だよ!」
って言いながら、そわそわするに決まってる。
色々と、俺の方の気持ちが邪魔をして――それから癪に思ってしまって、なかなか素直にそうした行動をとれないけれど。
俺には、イギリスが喜ぶことなんて簡単にわかる。
こうすればイギリスは喜んで、素直じゃない台詞を言いながらも態度だけは素直になってくれるんだろうな、って本当は分かってるんだ。
なのに、どうしてか現実もゲームも上手くいかない。
思う行動を起こせない現実は仕方ないとしたって、あえて悔しいのと恥ずかしいのを我慢して、《これが正解》と思われる選択肢を選んでる筈のゲームでも五連敗中なのは何故だろう。
どう見ても俺を好きそうなのに、最後の最後で俺から離れていくのはどうして?
イギリスが何を考えているかが、分からない。
どうすれば喜ぶのかは、分かるのに。
感情の動きも、少なくとも仕事が絡まない時なら凄く分かりやすいのにな。俺がどういう行動をとったり、どういうことを言ったりすれば、イギリスがどうなるのか。俺にはそれが、手に取るように分かる。伊達に百年単位であの人の反応を伺ってたわけじゃない。
独立を機に変わってしまった――自らの意志で変えてしまった関係と、変わってしまったイギリスの態度に受けた衝撃は意外と大きかったらしく。彼にどういう態度をとったらいいのか分からなくなった挙げ句、気がつけば皮肉だとか、からかうような態度をとるようになっていた。
そして、最初は独立した時の反発の名残や、無様な姿を見せられないという虚勢で取っていた筈の態度は、いつの頃からかイギリスの反応を確かめる為だけにわざと行うものへと変化していったのだ。
イギリスが俺をどう思っているのか。イギリスに残る好意がどの程度のもので、どんな種類なのか。嫌われていないか、どこまでなら嫌われないのか――。
多分、それらを試して、確かめたかったんだろう。
今となってはもう、癖みたいなもので。意識しなくても自然とそうした態度を取ってしまって後悔することも珍しくない。
俺のどんな言葉や態度にイギリスがどう反応するのかが分かるようになったのは、その副産物のようなものだった。
イギリスがどうしたら喜ぶか、俺には簡単に分かるし。
イギリスがどうしたら怒るか、俺のどんな言葉や態度でどう反応するかも、俺は分かってる。
それは嘘ではなく自惚れでもなくて、当たり前の事実なのに。
けれど。ならばどうして。
俺とイギリスは《このまま》なんだろう。
正解を選んでいる筈なのに、確かに好意を――それもゲームの中なら俺の望む形での好意を――寄せられているにも関わらず、グッドエンドに辿り着けないゲームのように。
ずっとそれを変えたいと思い続けているにも関わらず二百年以上経っても《そこ》で止まってしまっていて、現実が動いていないこともまた、事実だった。
単にイギリスを喜ばせただけじゃ何も変わらなくて。
イギリスを苛めて泣かせたって何も変わらなくて。
なら、どうすればいいんだろう。
後悔するのは好きじゃないし、したことも殆どない。自分が歩んできた道を間違ってるとは思わないけれど、目の前にあるのは、ゲームの中でさえままならない俺とイギリスという現実で。
本当にイギリスは厄介で面倒くさい。
俺にこんな手間をかけさせてさ。俺は待つのは嫌いだし、努力は惜しまないけど見合う結果がない努力をするのは嫌いだ。
なのに俺は二百年以上、そんな無駄な努力を続けてる。
ただイギリス相手だけに、だ。
なんでこんなに上手くいかないんだろう。イギリスが俺のことを大好きなのは間違いないのに。
視界の中に映る携帯電話が、存在を徐々に主張してくる。
どうしようか。
ゲーム画面はバッドエンドを終えてタイトル画面に戻ったところ。画面の中央ではムスッとしたイギリスが中央で腕組みしてこちらを睨みつけていて。
ゲームの中でフられた直後で腹立たしくはあるけれど、休暇だと言っていたイギリスがどうしてるのかが、気になってもいる。
――うん。どうせ一人で寂しく過ごしているんだろうから、ヒーローの俺が寛大な精神でもって、ちょっとだけ慰めの電話をして元気づけてあげるのも有りだろう。
誰かと一緒に過ごしてるなんてことは、ないよな。イギリスだし。ましてやフランスなんかと飲んだくれてたりしないでくれよ。
少しの躊躇いの後によぎった悪い想像に耐えかねて、それを振り払うようにして、俺は携帯電話を手に取った。
掛けるのは、迷った末にイギリスの家の固定電話。家に居ることを願ってと、携帯に掛けるなんて必死みたいで、なんとなく躊躇われたから。
「……」
受話器からは、無機質なコール音が繰り返されている。
いつもなら、数コール待てば怒ったような声ながらも嬉しさを押し隠せない様子で怒鳴ってくるイギリスの声が飛び込んでくるのに、一向に出る気配がない。
どういうことだろう?
少しだけ携帯を耳元から離して、その小さなディスプレイに表示された日付を確認してみても、確かにイギリスが休暇だと言っていた日程に入ってる。今日で二日目の筈だ。
チリ、と。少しだけ嫌な予感が胸をよぎった。
買い物にでも出かけているんだろうか。
今度は時間を確認してみるが、イギリスの住む辺りはまだ真っ昼間な筈だ。普段の休日のイギリスなら確実に家でちまちまと家事をやっている時間。
「俺が電話してあげてるっていうのに、なんで出ないんだよ、イギリスのやつ!」
これ以上コール音を聞いていたくなくて、電話を切った。
ちょっと庭に出てたとか、買い物に出てたとかだと思うけど。まさかあのイギリス限って誰かと一緒ってことはないよな……。
前から分かっていた予定ならともかく、休暇まで二~三日の猶予しかない状態で捕まる相手が俺以外に居るとも思えない。
悔しいけれど気になって、五分後にもう一度掛けてみたけれど結果は同じだった。誰も出ない。
別に、気にする程のことじゃない。寂しく過ごしているだろうイギリスが可哀想だと思って、からかいついでに電話をしてやろうと思っただけなんだから。
どうしても連絡を取りたいわけでもないし、用事があるわけでもない。ただちょっと思い出してしまったら気になっただけだ。
電話が繋がらないのなら、これ幸いと携帯を置いて、またゲームを始めればいいだけの話。
イギリスの携帯に掛けてみるという手もあるけれど……。固定電話に出なかったから携帯に……というのは、より必死になっているみたいで嫌だ。
「まったく。イギリスはゲームでもリアルでも厄介な奴だなぁ!」
ぼやきながら俺は暫く携帯電話を睨みつけて――迷った末に、ひとつのアドレスを選んで電話を掛けてみたのだった。
それから四日経っても、イギリスの家の電話には誰も出なかった。悔しさを押して一回だけイギリスの携帯にも掛けてみたのだが、留守番電話になっていて誰も出ない。
あの後、万が一の可能性を潰す為にカナダとフランスに電話をしてみたけれど、素直に「イギリス居る?」なんて聞けるわけもなく、近況を聞くに留まった。
まぁ、何故か二人とも
『久しぶりだね、アメリカ。言っておくけどイギリスさんは来てないからね』
『珍しいなあ、アメリカ。どうせ用件はイギリスだろ。来てないぞ、こっちには』
と、聞く前に答えてきたのが不思議だけどね!
確かに俺が彼らに電話をすることは滅多になくて、掛けるとそういえばイギリス絡みのことしか聞いてなかった気がしないでもないが、俺の名誉の為にもそんなのは勘違いだと言っておいた。
二人とも嘘をついてる様子はなかったし、イギリスが現在休暇中なことも知らなかったから、本当に連絡も入っていないのだろう。
カナダは気になるなら他の英連邦に聞いてみようかとも申し出てくれたが、流石に断った。
「そもそも俺は別にイギリスを探してるわけじゃないんだぞ!」
強がってみせたが、イギリスがどうしているのか気になってしょうがないのも本当のところ。他の人には言えないけどさ。
気になると言えば、日本も気になる。
日本ならゲームの攻略法を聞くという大義名分もあるし、イギリスが頼る可能性も高いと思って連絡をとってみたのだけれど、『何かありましたら、ご連絡ください』と言っていたくせに、イギリスと同じく連絡がとれなかったのだ。
携帯に電話を掛けても留守番電話になっているし、PCと携帯の双方にメールを送ってみても、なかなか返信がない。
丸一日経過してからやっと届いたメールはPCからのもので、にも関わらず文章は短い一文のみ。
『ただいま、少々たてこんでおりまして。落ち着きましたら、こちらから連絡させていただきます』
メールに書いたゲームに関する質問や、どうしたらイギリスが落とせるのかといった攻略に関する部分も無視して、日本ならいつも必ず文面の最初と最後に丁寧な挨拶がつくのに、それもない。
もしかして、何か大変なことでもあったのかな。
そう思う気持ちもあったけれど、イギリスの件でただでさえ苛々しているのにゲームまでちっとも進まないので、俺は再度メールを送ってみた。
『急いでくれよ! 俺はかれこれ七周も時間を無駄にしてるんだからな。バグじゃないなら、何かヒントとかおくれよ』
そうしたら、これには割と直ぐに返信があったのだけれども
『それは、私よりもアメリカさんの方がご存知では?』
という、やっぱり短い上に意味の分からない文面だった。
俺の方が?
どういう意味だい、それ。分かってたら、こんなに苦労してないんだぞ。ゲームでも、それから現実でも。
どういうことか問い質すメールをもう一度送ってみたけれど、それに対する返答は来ないままで。
結局、日本から俺に電話が入ったのは、それから三日経った――つまり今日のことだった。
『お待たせして申し訳ありませんでした、アメリカさん』
「遅いんだぞ、日本! おかげで俺は、あれから更に四回くらいバッドエンドを見るハメになったんだからなっ」
色々と選択肢やパラメータを変えているつもりだけれど、ちっともグッドエンドに辿り着けやしない。
イギリスのこともあったから、痺れを切らして日本に何度も連絡をとろうと試みたけれど、本当に電話に出ないしメールも返してこないし。
俺の試行錯誤はちっとも報われず、ゲームのイギリスは相変わらず俺のこと好きそうなくせにフってくるし、現実のイギリスは何処に居るか分からない上、電話も掛け返してこない。
留守電にメッセージこそ入れてないけど、俺からの着信があったことくらい気付くだろう、普通。なのに連絡がないって、どういうことなんだ。
面白くない諸々をこめて言うと、日本は申し訳なさそうな様子を伺わせながらも、どこか弾んだ声で答えてくる。
『申し訳ありません、イギリスさんがあまりにも萌……いえ、可愛らしいものですから目が離せず。それに、ゲームは苦労してこそ、エンディングに辿り着いた時の感動も味わい深くなるものですよ』
「え……。イギリス?」
そういうものかい。俺にはあんまり理解できないんだぞ。と言う余裕はなかった。というか、後半は殆ど頭に入って来なかった。
だって日本は今、イギリスって言ったよね?
しかも目が離せないとか可愛らしいとか、不適当な言葉も聞こえてきたんだぞ。
もしかして、もしかして。
「ひょっとしてイギリスは――君んとこに居るのかい?」
冷静になって考えてみれば、日本も俺と同じゲームをしてるのかな、と思うことも出来たのだろうけれど。直感だったのか、単に俺がイギリスの居所を気にしすぎていたせいか(前者だと思いたい)、殆ど反射的に問い詰めてしまう。
『ええ。長めのお休みを頂いたということで、私の家にいらっしゃってますよ。おや、ご存知ありませんでしたか』
けれど日本は、ついキツイ声音になってしまった俺にも構わず、のんびりとすら言える様子で返してきた。
日本のせいじゃないと分かってはいるけれど、面白くない気持ちが胸の中に沸々と沸き上がってくる。
ああ、ご存知なかったとも!
当たり前みたいにのんびり言ってくれたけど、休暇に入る前から数えれば十日近くも俺は知らなかったよ。
「イギリスの奴、いつから君んとこに居るんだい?」
いつも通りの声で言ったつもりだったけれど、どうにもムスっとした声になってしまう。これでは日本に変に思われるか、もしくは見透かしたような生温い笑みを浮かべられるかもしれない。
「休暇に入ってすぐですから、今日で六日目になりますね」
「へーえ……」
予想はしていたけど、そうかい。
つまりイギリスは、俺に断られてからすぐに日本に電話をして了承を取り付けたってことだろう。俺の家とイギリスの家以上に、日本の家は離れてる。そうそう気軽に行ける場所でもない。
しかし六日だって?
「俺がメールを送った日には、もうイギリスはそっちに居たってことじゃないか」
どうして教えてくれなかったんだよ。
繋げたかった言葉を、辛うじて飲み込む。
しかし日本には言いたかったことが伝わってしまったのか、恨みがましい声になってしまったと後悔する俺の耳に、くすくすと笑う声が聞こえてきた。
『すみません。まさかアメリカさんがイギリスさんをお探しとは思わなかったものですから。イギリスさんのお誘いを断ったと聞いていましたので』
くそう。今日は少し意地が悪いんだぞ、日本。今のは絶対にわざとだろう。俺がイギリスの誘いを適当に断ったことを責めてるに違いない。
空気なんて読まない俺だけど、読める時だってあるんだぞ。
読んでも面白くないことが多いから、読まないだけだ。今みたいにさ。分かったって、いいことなんかひとつもない。
「別に探してたわけじゃないんだぞ。『何かあったら連絡してください』って言ってた君が、イギリスなんかと遊んでて返答が遅れたなんて酷いじゃないか、って思っただけさ」
日本の意図を無視して言ってみるけれど、日本は変わらずにくすくすと笑い声を零している。
『それは申し訳ありませんでした。イギリスさんは今、アメリカさんの勧めをうけてテレビゲームに挑戦されてるんですよ。それで相談を受けまして。折角ですから、うちへお越しくださいと私がお誘いしたんです。なにぶん初めてでいらっしゃいますから、私もついお教えするのに熱が入ってしまって』
お恥ずかしい、とか日本は最後に付け足したけれど、実は、悪いとか思ってないだろう、君。
「イギリスがゲーム? 想像つかないな」
ああ、でもそういえば……イギリスから電話があった時に言った気がするなぁ。
『イギリスも幻覚とばかり遊んでないで、たまにはゲームでもしてみればいいんだぞ!』
まさかアレを真に受けて、ゲームをする為に日本に行ったってことかい?
ゲームがしてみたいなら、素直に俺に言えばいいじゃないか。なんだって日本まで行くんだよ。
……そりゃ、確かに俺もあの時は態度が悪かったかもしれないけど、俺だってゲームするって言ってたんだから――いやまぁ確かにあの《ツンデレ☆ハイスクール》とやらをイギリスに見せるわけにはいかないけどさ。
イギリスが、俺を頼らずに日本を頼ったことが面白くない。俺の対応が悪かったのは分かってるけど、面白くない。
しかも六日も一緒に居るらしいじゃないか。
初めてのイギリスに教えるのがつい熱入るとか日本も言うし、ああくそ、面白くないんだぞ!
俺はその間もずっと、ゲームのイギリスにはフラれ続けるわ、現実のイギリスは何処に居るか分からないわで苛々し通しだったっていうのに。
『イギリスさんは覚えも早くて、今では随分と慣れたご様子ですし、楽しんでおられるようですよ』
「イギリスがねぇ。何をやってるんだい?」
何をプレイしてるかなんて興味があったわけじゃない。ただ、胸の裡に溜まっていく苛々を表に出したくなくて、誤魔化すように口にしただけだった。
けれど。
『先日お渡ししたアメリカさん用に作ったゲーム。アレと同じデータを使って我が国向けに別のゲームを作ったと申しましたでしょう。そちらをイギリスさんにやっていただいてます』
日本がとんでもないことを口にしたので、苛々も吹っ飛んで俺の頭が真っ白になる。
「え……っ。ちょっと待ってくれよ、アレをイギリスに!?」
だってアレは、《ツンデレ☆ハイスクール》は、イギリスがヒロインの恋愛シミュレーションゲームじゃないか。それをイギリスが見たら……見ただけなら日本の趣味が疑われるだけだけど、それを俺の希望で作ったなんて言われたら……っ。
誤解だ。確かに俺が作ってくれと言ったゲームだけど、俺はあんなゲームを作ってくれと言ったわけじゃないぞ。あくまでも俺がヒーローで格好良いゲームを作ってくれと言ったのであって、決してイギリスと恋愛を楽しむようなゲームを作れと言ったわけじゃない。プレイしてないわけじゃないし楽しんでないわけでもないけれど、違うんだからな!
脳内で言い訳がぐるぐると回るが、イギリスに面と向かって言えるわけもなければ、電話の相手は日本だ。
「何考えてるんだい、日本!」
責めるというよりも、らしくなく狼狽えてしまった俺の声にも日本はいつものペースを崩さない。
『大丈夫ですよ。同じ素材を使っている部分があるだけで、あれとは全く違うゲームになっていますから』
「違うゲームって……一体どんなゲームなんだいっ」
違うと言われても安心なんて出来なかった。俺はそれを見たわけじゃないし、同じ素材を使ってるってことは、少なくとも身近な《国》が出てくるってことだろう。
焦って聞きだそうとするけれど、携帯電話の向こうからはタイミング悪く
『……い、にほーん、にほーん』
という、少し遠くから日本を呼ぶイギリスの声が聞こえてきた。
本当に日本に居るんだと、驚くようなガッカリしたような感覚が湧いたが、すぐに続いた日本の言葉に、それどころじゃなくなる。
『おや。呼ばれておりますので、これで失礼致しますね。アメリカさんのご健闘を、お祈りしております』
「えっ。ちょ、ちょっと待ってくれよ日本!」
慌てて引き留めようとするけれど、受話器の向こうから返ってきたのは、通話が切られたことを告げる無常な機械音だけだった。
携帯を手に握りしめた拳が、わなわなと震える。
「ああもうっ、イギリスがやってるのはどんなゲームなんだよっ。それに、ゲームの攻略法もヒントも答えてもらってないぞ!」
携帯に向けて叫んでも、通話が切られていては意味がない。
掛け直したとしても、今までの日本の対応を考えると、出てくれるとは思えなかった。
大体、なんだよ。イギリスもイギリスだ。
どうして俺じゃなくて日本を頼るんだ。なんで日本と一緒にゲームなんかしてるんだよ。しかも、『にほーん』なんて、気軽に助けを求めてさ。
俺なんか君に頼られたり助けを求められたりなんか、殆どしてもらったことないんだぞ。
あんな気の抜けた、リラックスしたような声で名前を呼ばれたことだってない。
小さい頃は甘ったるくデレデレとした様子で呼ばれたけれど、それとも違う。最近でこそ、ようやくそれなりに気安く話せるようにもなったけれど、イギリスはどこか俺に対して身構えているような様子を崩すことはなかったから。
イギリスが俺に対する気構えを解くのは、盛大に酔っぱらって過去の愚痴をつらつらうだうら並べ立てる時くらいだ。
ただでさえイギリスに甘い日本や、日本に甘いイギリスに苛立つこともあるのに、あんなイギリスの様子を知らされては、例え日本にイギリスを友人以上に思う気持ちがなくたって、放置してはいられない。
そうだよ、それに俺は、まだ日本に攻略法も教えてもらってないじゃないか。
うん、そうだ。日本は連絡もとれないんだから、俺に残された手段はこれだけだもんな。何もおかしいことはないぞ。
「よし!」
俺は携帯をジーンズのポケットにねじ込むと、早速財布とパスポートを探す為に、行動を開始したのだった。
あの後すぐに自分の家を出て、可能な限りの最短時間で日本の家に辿り着いた俺を待っていたのは、衝撃的な光景だった。
渋滞を避ける為に最寄りの駅からは全力疾走でここまで来た俺は、息を整えるのも待たずに――ついでにインターフォンも押さず、出来るだけ音をたてないよう気を付けて中へと入る。
俺の名誉の為に言うなら、無理矢理こっそり入ったわけじゃないぞ。インターフォンを押そうかどうしようか迷って、試しに玄関の引き戸に手を掛けてみたらすんなりと開いたから、これはつまり入っていいってことだろうと思っただけだ。
急に現れてイギリスと日本を驚かせるのもいいかと思ったし。
そうやって静かに日本の家に上がり込んで、イギリスと日本が居るのだろう居間に向かった俺の耳に聞こえてきたのは、聞き慣れているようで聞き慣れない声だった。
『君が……好きなんだ』
え……?
聞こえた声は、イギリスのものでも日本のものでもない。誰のものでもないように聞こえるのに、どうしてか馴染みがある声に聞こえて、慌てて障子の隙間から室内を覗いて音の出所を探す。
しかし居間にはテレビの方を向いているイギリスと、その少し斜め後ろでノートパソコンに向かっている日本の姿しか見あたらない。とすれば答えは直ぐに知れて、テレビから聞こえているものだと分かった。ゲームの音声なんだろう。
だけど、どうして馴染みがあるような気になるんだ?
そういえばイギリスがやっているゲームにも不安があったことを思い出した俺は、画面を見ようと更に障子を引いて隙間を広げてみる。
『好……き……?』
間を置いて聞こえてきたのは、イギリスの声。少しだけ違って聞こえるのは、これもテレビから聞こえてくるせいだろう。
それは分かったけれど、続いて聞こえてきたもうひとつの声に。
『ああ、好きだよ。言っておくけど、冗談でも、君をからかっているわけでもないぞ』
「……ッ」
そして言葉に、俺は息を飲むはめになった。
ちょっと待ってくれ。今の声は、今の台詞は……。
まさか、と思うけれど。声も、口調も、何故だか馴染み深いもののようで、酷く胸がざわつく。
だって、ゲームから聞こえてくるのは、片方はイギリスで。イギリス相手に好きだと繰り返すこの声は。
『そ、んなこと、言ったって……!』
戸惑うようなイギリスの声を遮るように吐かれる声は。
『信じてよ、イギリス』
真摯で、必死で、切実な声。
信じたくないけれど、答えなんて殆ど知れている。
聞き覚えなどない筈なのに声に馴染みがあるのも。告げる言葉と想いに馴染みがあるような気がするのも、当たり前だ。
『信じてくれるまで、何度でも言うよ。俺は、君が――』
隙間を広げた障子の向こう側。イギリスの頭越しに覗きこんだテレビ画面に映るのはイギリスと――そして、イギリスを抱きしめて『好きだ』と告げている――見慣れたフライトジャケットを羽織り、目にはテキサスを掛けている青年。
『アメリカ……?』
ゲームのイギリスが呆然と呼ぶのを聞くまでもなく。明らかに、どこからどう見ても、俺――アメリカ合衆国だった。
ちょっと待ってくれ。どういうことだい。なんでイギリスがやっているゲームに俺が出てるんだ。俺が出てるのはともかく、どうしてこんなことになってるんだ。
日本の家用に作った、もうひとつのゲーム。《ツンデレ☆ハイスクール》と同じデータを使っているのだから、俺達《国》を使ったゲームなのだろうとは思ったし、似たようなゲームなんだろうとも思ってはいた。
だけどこれは――ダメだろう。
一瞬と言ってもいい程に僅かしか見ていないけれど、《ツンデレ☆ハイスクール》と違ってゲームの中の俺もイギリスも学生服に身を包んではいない。どちらも見慣れた服装で、架空の世界だとは思えなかった。
画面に映っているのは滑らかに動くムービー。
ダメだろと思っても、やめてくれと思っても、留まることなく画面の中で俺とイギリスは動き続ける。
ゲームの中の俺が、追い詰められた辛そうで苦しそうな顔をしてイギリスを強く抱きしめる。まるで縋りつくみたいに顔をイギリスの肩に埋めて強く抱きしめて。そのくせ躊躇いを残した掌は背中に触れきれずに。
そして更に。俺が見ている中、ゲームの俺は抱きしめていた腕を少しだけ緩めると、顔を上げてイギリスを覗き込んだ。
そうすると画面には、《俺》とイギリスが至近距離で見つめ合っているところがアップで映し出されることになる。
それを見ているのは、俺と、日本と――イギリスで。
目に映る全てに。《俺》がイギリスに告げた言葉に、態度。そしてゲームの《イギリス》の様子と、それを固まったように見守る現実のイギリス。どれにどんな感情を動かされたのかも分からない、色々なものが混ざり合った衝撃を受けている俺を放って、《ゲームの俺》がゲームのイギリスに顔を寄せていく。
「――ッ」
受けた衝撃と、そこから沸き上がる衝動に突き動かされるようにして俺は無意識のうちに手を彷徨わせ、ぶつかった軽く硬い感触のそれを握りしめていた。
うまく思考が働いていたとは思えない。脳裏にあったのは、言い表しがたい重苦しくて叫び出したいような衝動と、
――ダメだ。
という。目に映るものを、その何かを拒否する言葉だけだった。
画面の中でイギリスは驚いたように目を瞠っていて。それにも構わず《俺》は顔を寄せ、僅かに開いた口がまた言葉を紡ごうとする。
ダメだ。ダメだよ。やめてくれ。例え《俺》だって、許せない。言葉だけなら、まだいい。いくらだって言い繕える。だけどダメだ。それはダメだ。例えゲームの中であれ俺の意志が介在しないところでなんて許せるわけない。それに、イギリスが。そうだよ、イギリスが、現実のイギリスが見てる。見てしまえば――分かってしまう。俺の意志を無視して、答えが出てしまう。そんなのは嫌だ。ダメなんだ。
『……好……』
唇同士が触れる寸前、声が言葉を紡ぎきる直前。
一秒にも満たないだろう瞬間に一気に押し寄せた、自分でも理解しきれていない思考と感情に押されるまま、俺は渾身の力を込めて手にした細長い物体を、テレビに向け投擲した。
プラスチックの質感を持った白くて四角い筒は真っ直ぐに飛んで、キスしようとしていた《俺》と《イギリス》を映すテレビ画面に突き刺さる。
ガシャァアアアアンッ!!
そして、派手な音をたてて画面がブラックアウトし、音も不自然にブツリと途切れた。
「は……?」
「……ひっ」
イギリスは驚きのあまりか真抜けた声をあげ、日本はテレビが壊れたことにだろうか、悲鳴にも似た声をあげて息を飲んだ様子。
もう隠れている意味はないので障子を全て開け放って堂々と姿を現してやると、日本はこちらを向いて青い顔をしていて、イギリスは音がしそうな程のぎこちなさで、ゆっくりとこちらを振り向くところだった。
なので俺は、イギリスがこちらを視界に捉えるまで待ってからにっこりと……わざとらしい程の笑みを貼り付けてやる。
「HAHAHAHAHA、随分と面白いゲームをしてるじゃあないか、イギリス! あと、日本?」
額に青筋を浮かべ、全力疾走の名残か焦りにも似た衝動の為か、息も乱れている俺の様子は余程迫力があったみたいで、こちらを見あげたイギリスの顔は、そりゃあ見物だったぞ。
引きつりまくって、顔色も見る間に真っ青になっていって。この世の終わりみたいな顔って、こういうことを言うんだろうな、と思えるものだった。
そんな顔するってことは、俺に見られたら拙いっていう自覚はあったわけだよね。一体イギリスは、どんなつもりでこんなゲームをやってたのかな!
俺もイギリスに見られたら拙いゲームをやっていたのだから人のことは言えないのだが、腹が立つものは腹が立つ。
大体、俺がやってたゲームにはオープニングとエンディング以外にムービーなんてなかったぞ。イベントの時だって細かく表情は変わってたけど、ムービーなんか挿入されなかったじゃないか。
イギリスがやっていたゲームの内容や、今のシーンについては勿論だけれど、その差についても日本に問い質さないと。
とはいえ、今はイギリスだ。
イギリスは俺の顔を見た態勢で固まっている。顔は真っ青で口はぽかんと間抜けに開いたままで、目も同じく見開かれた状態で瞬きもしてない。
その様は指差して笑ってあげてもいいくらいだったけれど、今の俺はちょっとばかり機嫌が悪いからね! 君を思いきり笑ってあげるのは、もう少し後だ。先に念を押しておかなきゃならないことがたくさんある。
さぁ、どうしてあげようか。
少しばかり不穏なことも考えながら、俺は一歩、居間へと足を踏み出した。
すると――
「……っ」
今までガチガチに固まって呆けていた筈のイギリスが、弾かれたように立ち上がって瞬時に踵を返すじゃないか。
「えっ……イギリス!?」
その素早さといったら、立ち上がったと思った瞬間にはもう駆けだしていて、俺が入ってきたのとは逆側の障子に辿りついていたくらい。
「待ちなよ!」
呼び止める声をあげると同時に俺も追おうと畳を蹴るけれど、その時にはもうイギリスは障子を開け放ち廊下に出ていて、縁側の窓を開けるところ。
その素早さに舌を巻きながら数歩で縁側へ辿り着いた俺が目を向けると、庭へ飛び出したイギリスは、いつの間にか履いたサンダルで地面を蹴り、塀を跳び越えていた。
「イギリス!」
制止の意味を込めて呼ぶ名に応える声はなく、イギリスが戻ってくることもない。
「いきなり逃げるなんて卑怯だぞ!」
何も言わずに逃げるなんて。
せめて言い訳くらいしていきなよ!
応えがないのを分かっていても言わずにいられなくて、塀の向こうへ文句を投げる。
逃がさない、絶対追いかけて捕まえてやる。
とはいえ、ここまで離されてしまったのなら塀を乗り越えて追うのも馬鹿馬鹿しい。玄関から出て、ちゃんと靴を履いて追いかけた方が効率もいいだろう。
そう考えて踵を返せば、壊れたテレビを前に落ち込んでいる日本の姿が目に入った。
「ああああ……」
大きな穴の開いてしまった薄型テレビを撫でさすりながら嘆いている日本の姿は可哀想だったけれど、元はと言えば日本が悪いんだから、俺は謝らないぞ。
やりすぎたと思う気持ちもちょっとだけあるけれども。壊れる直前に画面が映していたものと、それを見た瞬間に沸き上がった色々な感情が思い出されると、素直に謝る気にはなれなかった。
なんと声を掛けようか迷ったまま日本の前を通り過ぎようとした俺は――イギリスを追うのは勿論として、日本にも色々と聞かなければいけなかったことを思い出して、足を止めた。
俺に持ってきたゲーム《ツンデレ☆ハイスクール》のこと。それから、イギリスがやっていたこのゲームのこと。
ついでに、この数日間のイギリスの様子も。
イギリスを追いたいと逸る気持ちを抑えながら、テレビに対して人間みたいな名で呼びかけている日本の肩を叩く。
「ごめんよ日本。テレビを壊したのはやり過ぎだったね。悪かったよ」
そうして、するつもりのなかった謝罪と一緒に、にこやかにお願いをしたのだった。
「――ところで。色々と聞かせて貰いたいことがあるんだけど、答えてくれるよね。勿論、反対意見は認めないぞ!」
「ああもう、どこまで行ったんだよイギリスのやつ」
一度足を止めて呼吸を整えながら辺りを見回すけれど、見慣れた金色のぼさぼさ頭は見あたらない。
俺は仕事のこともあるから、イギリスよりも日本の家に遊びに来ることが多いし、気軽に訪ねすぎるせいか最近では買い出しを命じられたり、ご飯ご飯と騒ぎすぎて「散歩にでも行ってらして下さい」と追い出されるたりすることも多かったので、日本の家の近所の地理は頭に入っている。
だからイギリスを探して歩き回っても迷うということはなかったけれど、なかなか見つからないイギリスに焦りを覚えてもいた。
というのも、携帯や財布くらいは持ってるだろうと思っていたイギリスが何も持たずに逃げていたからだ。
財布も携帯もないなら、自分の国に帰ったり大使館に逃げたりはないと思うけれど、それだけに不安になる。何かあってもイギリスは助けを呼んだり出来る状態にないということだからだ。
まあ見た目がどれだけ貧弱で眉毛が変でも、あれでイギリスは喧嘩も強いし卑怯な技も姑息な手も大好きで得意な人だから、そうそう危険な目になんか遭わないだろうし遭っても自力でどうにかしちゃうだろうけれど。
それでも《国》というのは特殊な存在だから、個人が対処できない危険に襲われることもないわけじゃない。
そう考えると完全に安心しきることは出来なくて、ひたすら走り回っているというのに、イギリスは未だに見つかっていないのだ。
大体いくらしょっちゅう忘れ物してるからって、馴染みのない土地を手ぶらで闇雲に逃走するとか、本当に馬鹿じゃないのかい、あの人。
イギリスの携帯の情報なんてとっくに入手済みだから、携帯さえ持ってくれていれば例え電話に出なくたってGPSで位置くらい割り出せたっていうのに……持っていないどころか、日本の家に居る間、殆ど手元に置いてなかったというのだから呆れて物も言えない。
日本の話によると、イギリスはゲームに夢中になっていたのと時差のせいとで、就寝時間が不規則な上に短かったらしく、滞在中の殆どを居間で過ごしていたとか。ゲーム中に寝落ちすることもあったというのだから驚きだ。
しかも上司には日本の家に滞在することを告げてあり、何かあれば日本の家に連絡がいくことになっていたとかで、余計に油断してたんだろう。イギリスを追いかける前に念のため携帯に掛けてみたら、着信音は日本の家のイギリスが寝室に使っていた部屋から聞こえてきた。
道理で俺が携帯に掛けてみても掛かり直してこないわけだ。殆ど寝室に置きっ放しで、携帯のチェックなんてろくにいてなかったんだろう。
どれだけゲームに夢中だったんだろうね!
そりゃ俺だって《ツンデレ☆ハイスクール》を何周もプレイしていたけれど。携帯は常に手元に置いてあったし、睡眠時間は多少削っていたとはいえ寝る時はちゃんとベッドの上で寝ていたし、他の全てを忘れたりなんかしなかった。
テレビゲームを遊んだことのないイギリスがそこまで熱中するゲームは、一体どんなゲームだったのか。
自分の家を出る前から気になっていたことの答えは、日本から聞けたけど――予想通り、ロクなものじゃなかった。
「イギリスさんがプレイされていたのは、アメリカさんにお渡ししたゲームとは随分違いまして。恋愛色が殆どない、《アメリカさん育成ゲーム》なんです」
日本の言葉を思い出せば、また苛立ちが湧いてくる。
《アメリカ育成ゲーム》――
日本の説明によると、小さい俺を育てるシミュレーションゲームだということだ。
俺用に作った《ツンデレ☆ハイスクール》と同じように、身近な《国》を登場人物として使用している以外は、根本的に違うゲームなのだという。
天から授けられた子供《アメリカ》を、かつてのイギリスのように本国と新大陸を行き来しながら育てるシミュレーションゲーム。
育て方によって《アメリカ》のパラメータが変動し、行き着く未来や途中で起こるイベントが変わるという、複数回プレイが前提のゲームなんだそうだ。
あーあー、そりゃイギリスが夢中でプレイするわけだよね。なにしろ彼は、小さい頃の俺が大好きだものな!
そして、俺の登場に驚いて逃げるわけだ。
イギリスが小さい頃の俺が大好きなことを俺が知っているのと同じくらい、昔の話をしたり昔を想うイギリスを俺が嫌っていることをイギリスは知っているから。小さい俺を育てるゲームで遊んでたなんて俺に知られたら気まずくもなるだろうし、『失敗した』と思って逃げ出すのも納得がいく。
まぁ、それだけじゃないんだろうけれど。
小さい俺を育てていただけなら、少なくともあんなこの世の終わりみたいな顔はしなかっただろう。逃げ出すにしても、聞き飽きた言い訳だとかを喚きながら逃げたんじゃないだろうか。
俺の一言すら聞きたくないというように、あそこまで必死に逃げ出したのは。俺が見たくなくて否定したくて消したくて、結果として物理的に破壊して止めてみせた、あのシーンのせいなんだと思う。
何故なら、あのシーンだけを見たら、とてもじゃないけど《小さい俺を育成するゲーム》には見えないし。俺だって、てっきりあのゲームも《ツンデレ☆ハイスクール》と同じような恋愛シミュレーションゲームなんだろうと思ったくらいだしね。
「恋愛色が殆どないって、さっき俺が見た時には、俺そっくりのキャラがイギリスそっくりのキャラを抱きしめて告白してキスしようとしてたように見えたけど?」
問い返してみれば、困ったり躊躇ったりする様子も見せず、むしろ自慢気な様子で日本が答えてくる。
「あれは特別です。なにしろトゥルーエンドですからね! あのエンディング以外は、全て小さいアメリカさんを立派に育てる健全なゲームですよ」
そもそも小さい俺を育成するゲームというのが健全と言えるかどうかは疑わしいけれど。
他の人の場合はともかく、イギリスがプレイすることに限って言えば酷く不健全というか非建設的な気がしないでもない。
あの人の過去への拘りというか、小さい俺への拘りは、ちょっと並じゃないし。
その辺りをさておくとしても、だ。
なんでそんなゲームを――俺用だという《ツンデレ☆ハイスクール》も含めて――日本は作ったのか。
最大の問題はここだろう。
だって、おかしいじゃないか。俺が頼んだものとイメージがだいぶ違うこともだけれど、俺達にとって身近な《国》を登場人物にしたり。それだけならまだしも、イギリスがメインヒロインだったり、俺を育成するゲームだったり、そのくせトゥルーエンドがアレだったり。
当たり前といえるだろう俺の問いに日本が返してきたのは、問いつめるこちらの口調には合わない穏やかな微笑だった。
イギリスが俺を見る時に見せる懐古を滲ませるものとも違う、まるで小さな子を見守るかのような柔らかい視線。
実を言えば、俺がもっとも苦手としているものだ。
「私としては、アメリカさんのご要望は勿論のこと、アメリカさんに喜んでいただけるゲームを作ったつもりだったのですが……お気に召しませんでしたか?」
「当たり前だよ。ちっともヒーローらしくないし、それにいつもバッドエンドだし。散々だったんだぞ!」
俺が喜ぶゲーム?
あの《ツンデレ☆ハイスクール》が?
確かに思った以上に何度もプレイしてしまったし、楽しまなかったとは言わない。
現実では望むべくもない様々なイギリスを見ることが出来たのも、イギリスと学校生活を送ったり、イギリスとデートしたり、イギリスと季節ごとの行事を一緒に過ごしたり出来たのも、正直に言えば楽しかった。
だけどそれは。あのゲームを俺が楽しめてしまったのは、俺がイギリスを好きだったからだ。
もし俺がイギリスを好きじゃなかったら、きっとあのゲームは日本に電話で宣言した通り、遊んでみることもなくオープニングムービーを見ただけで突き返していたことだろう。例えば『いかにもメインヒロインです』といった扱いなのがフランスだったなら間違いなくそうしていたように。
常識的に考えるなら、俺が楽しめるなんて思うわけがないのだ。
最初から、俺がイギリスのことをそういう意味で好きだと知らない限りは。
なのに日本は、あのゲームを俺用として、俺が喜ぶように作ったという。
それは、つまり――?
「日本、君……」
日本は変わらずに穏やかな――至らないところのある近所の小さな子を見るような目で俺を見ている。
「アメリカさん。私はそろそろ、覚悟をお決めになっても良いのではないかと思うのですよ。アメリカさんに喜んでいただく為に作りましたが、ゲームはゲーム。私と違って、アメリカさんは二次元だけで満足されるような方ではないでしょう。現実のイギリスさんと、あんな風に過ごしてみたくはないのですか?」
なんてこった。
くらりと目眩がした。
確定じゃないか。日本は知っていたのだ。いつからかは知らないけど、俺がイギリスを好きだということを。
日本の態度から、薄々そうじゃないかとは思うことはあったけれど、出来ればこんな予想は外れていて欲しかった……。
イギリスに共感を示すことの多い日本が、俺とイギリスの喧嘩のことになると、俺を窘めながらも慰めるようなことを言ってきたり。イギリスに意地を張った物言いをした時に、生温い視線を向けてきたり。
記憶を手繰れば思い当たる不思議に思っていた幾つかのことが、日本が俺の気持ちを知っていたからこそのものだとすれば、確かに納得はいった。欠片も嬉しくないけど。
それだけでも驚いたし衝撃的だというのに、どうして日本は俺をけしかけるようなことを言うのだろう。
日本の発言は《ツンデレ☆ハイスクール》がそもそも俺をけしかける意図をもって作られたゲームだと言っているも同然だ。
確かに俺はイギリスが好きだし、好きだからこそ現状のままでいるのを良しとしたくはない。互いの関係を変えたいと――恋人やそれ以上のものになりたいと思ってもいる。
そしてそれは《ツンデレ☆ハイスクール》の中で具体的な形を見せられることにより、いっそう強くなったのは確かだ。ついでに、あんまり考えたくなかったことを考えさせられるハメになったりしたし。
だけど俺がイギリスに告白したとして、一体日本にどんなメリットがあると言うのだろう。
「君は、どうしてそんなことを言うんだい?」
「お友達の幸せや恋の成就を願うのは、当たり前のことですよ」
問いに答える日本の表情は大きくは変わらず、少しだけ目を細めて笑みを深くしただけだった。
嘘だとは思わない。日本は良い奴だし、俺の気持ちに気付いていたなら協力をしてくれるのも自然なことのように思える。これで日本がイギリスと大して親しくないというのなら、特に疑問に思うこともなく納得しただろう。
けれど。
「君にとっては、イギリスも友達だろう?」
どちらとより親しいか、とかは関係ない。日本はこれでしたたかな面も厳しい面も、そして冷静な面も持っている。
自分と直接関係のないことで両者の意見や要望が対立した場合、日本ならば普段の曖昧さを発揮して、特にどちらにつくこともなく、のらりくらりと介入や口出しそのものを避けるんじゃないだろうか。
あまり他人に興味を持たない俺だけれど、日本とはつきあいもそれなりに深いし長いから、なんとなく分かっていることは多いと思う。それからすると、俺の中にある日本の印象に、今回のような行動は酷くそぐわないのだ。
日本は、イギリスと親しい。
二人とも俺との方が遙かに親しいのは勿論だけれど、今回のように時に俺が面白くないと思う程度には、二人は仲が良かった。
仕事が絡まないことにおいて、俺とイギリスが何かをした時に日本が庇おうとするのは大抵がイギリスだし、窘められるのは俺だったのに。
その日本が、俺の好きな人がイギリスだと知った上で俺を応援するだけならともかく、けしかけるような真似をするのは、どうにも腑に落ちない。
問いかける声に不信が滲み出たせいか、日本は笑みを少しだけ困ったようなものに変える。
「ええ。勿論、イギリスさんも大切なお友達です。――ですから、お二人共に幸せになっていただきたいと、思っているんですよ」
俺とイギリスの二人に、幸せに。
だからだと言っているのだろうけれど、腑に落ちないことには変わりない。
俺は世界一格好良いヒーローだから、俺の恋人になる人は世界一の幸せ者だと思うし、イギリスが俺の告白に頷いてくれさえするなら、これ以上ないくらい幸せにしてあげる自信もある。
俺は自分に関してはこの上なく自信があるけれど、問題はイギリスがそんな俺の魅力が分からない可哀想な人だってことなんだ。
何しろイギリスときたら頑固だし偏屈だし俺のことを未だに弟のように扱う時があるし、それがなくても年下扱いは続くだろうし、そもそも女好きだしエロ大使だ。
俺が告白なんてしたところで、冗談だと思って笑い飛ばすか、頭の心配をするか、性質の悪い冗談だと怒るかだろう。頷いて了承を示して「俺も好きだ」と返してくれることなど、あるわけもない。
同じ断るにしたって、ゲームのイギリスのように心苦しそうな顔を見せてくれるかどうかさえ、怪しかった。
本気だと分かれば笑い飛ばしたりはしない……と思いたいけど、それがなくても焦って戸惑って……それから、困るだろう。
それでどうやって、二人共に幸せになれるっていうんだ。
「なれると思うのかい、君は」
「おや。アメリカさんらしくもない仰りようですね。自信がなくていらっしゃる?」
そう言われてしまうと、日本の言葉を否定出来なくなる。否定しようとすれば、それは俺の弱気だとか自信の無さとかを晒すことになってしまうから。
自信は俺の友達で、いつだって俺の身近にあるものだけれど。どうしてか、イギリス相手になると途端に不安定になってしまう。だけどそれは、出来れば誰にも知られたくないことでもあった。
「ふふ。では、ひとつ教えてさしあげます。イギリスさんがプレイしていた《アメリカさん育成ゲーム》――。あれは先程も申し上げました通り、ひとつのエンド以外は全て恋愛色を含まない健全なゲームなのですが――。アメリカさんが一瞬ご覧になった《トゥルーエンド》は、育てたアメリカさんと結ばれるというものなんですよ」
俺が見たシーン――イギリスを抱きしめて告白しようとして、挙げ句にキスしようとしていた、あのムービーのことか。そういえば、さっきも日本はトゥルーエンドだとか言っていた。
「育てた子供と結ばれるのがトゥルーエンドだって? 君のところのゲームは相変わらずギリギリだな!」
「恐れいります、すみません。しかし育てた子供と結ばれるのは、あの手のゲームにおいてはお約束であり浪漫ですから」
日本の家のゲームは俺が好きな派手な演出や格好良さやアクションだとかの描写は控えめなくせに、倫理的には随分とチャレンジャーなものが多くて驚かされるけれど、まさかイギリスにやらせていたゲームでもそんな危険を冒しているとは思わなかったぞ。
「残念ながら途中で止まってしまいましたが、アメリカさんが止めずとも、あのムービーはあそこで止まる予定だったんです」
「どういうことだい?」
「最後の選択が出る予定だったんです。育てて、しかし己のもとを離れてしまった子供であるアメリカさんから告白されて――それを、受け入れるのか、拒むのか」
「……なんだって?」
やっぱり、止めて良かった。
たかだかゲームに先を越されそうになったこともだけれど、あのシーンを見て沸き上がってきた感情を思い出して、知らず掌に力が入り拳を形作る。
もう少し遅かったら。ゲームの俺とイギリスがキスするシーンを見なくて済んだとしても、決定的な選択が現実のイギリスに突きつけられてしまうところだった。
自分が《ツンデレ☆ハイスクール》を遊んでいる時には俺とイギリスのキスシーンが出てきても気にならなかったのに、どうしてあのムービーは許せなかったのかは自分でも分からないけれど、嫌なものは嫌なのだから仕方がない。
それに、ゲームの中で答えを出されるなんて冗談じゃないぞ。確かにあの《ゲームの俺》は俺にそっくりだったけれど、俺じゃないのだ。
きっと思いもしなかったのだろう《アメリカ》からの告白についてイギリスが考えるのなら、出す答えがイエスかノーかに関係なく、俺の為じゃなきゃダメだ。ゲームの中の俺なんかじゃなく、現実の俺のことを考えて現実の俺の為に必死で考えなくちゃダメなんだ。
「答えが出る前にゲームは止まり、イギリスさんは逃げてしまいましたが……続きはゲームでなく、現実で見せていただけそうですね」
俺の心の中の動きを読んだかのように、日本がにこりと笑って小首を傾げてみせる。
ひょっとして日本は、あのゲームの続きをイギリスにやらせてゲームの中で答えを出されるのが嫌なら、とっとと現実で正面きってぶつかって来い――って言ってるんだろうか。
続きは現実で、って言ってるんだから、そうなんだろう……。
決めつけるような言葉は日本らしくなく、可愛らしくすら見える筈の笑みを浮かべた瞳はしかし、いつだかイギリスの写真を寄越せと迫ってきた時に限りなく近い迫力を浮かべていた。
そもそもの発端は、俺が日本にゲームを作ってくれと言ったこと。
けれど、イギリスとの関係に変化を望みながらも立ち止まったままだったことを俺に思い起こさせたのは、日本が作ってきた《ツンデレ☆ハイスクール》で。
今、俺を焦らせて現実で行動を起こさなければならないような状況を作ったのも、日本が作った俺育成ゲームとやら。
イギリスが日本の家に来ることになったのは偶然だろうけれど、ゲーム内容と《トゥルーエンド》の特殊性からいって、《ツンデレ☆ハイスクール》が俺用なのと同じく、あのゲームはイギリスにやらせる為に作ったとしか思えない。
なんだか日本にハメられているような気がしないでもないけれど、日本がそれで得をすることもないし。
とりあえず、俺の為だと思っておくことにしようか。
なんとなく脅迫されているような気分になるのも、気のせいだということにして。
「オーケイ。俺はヒーローだからね。応援してくれる人の期待には、応えてみせるさ」
「はい。楽しみにしております」
本当のことを言えば、イギリスに思いを告げるのは、やっぱり怖い。
俺のことを好きそうなのにグッドエンドを迎えられなかった《ツンデレ☆ハイスクール》を思い出すと、現実の困難さを更に痛感するし、そもそもイギリスの俺への態度は、俺が見る限りここ数十年単位で変化がない。となれば、告げたところで芳しい結果を想像することは俺のポジティブさをもってしても困難だった。
けれど。例え今は無理だったとしても、いつかは絶対にイギリスとの最高にハッピーな結末を手に入れると俺は決めている。
ならば、《いつか》への一歩が、今ではいけない理由はない。
今は望むエンディングに辿りつけなくても、ゲームと違ってリセットボタンを押せなくても。今のままでは何も変えられないのだと分かってしまったなら、動きださなくてはならなかった。
第一、このままではゲームの俺に負けることになってしまう。イギリスが俺の気持ちに気づいてないなら尚更、最初のインパクトというのは大事なのに、先を越されてしまった。
俺の想いに対してイギリスが少しでも感じるものがあるのなら、驚きも戸惑いも迷いも、《ゲームの俺》から与えるものであってはならない。そうしてイギリスの中に生まれた感情は――それが例え嫌悪であったとしたって――向けられるべきは俺であって、《ゲームの俺》であっていい筈がないのだ。
イギリスは、例えそれが恋でなくとも俺を一番に思っていなくちゃいけないんだから。
そうだよ。イギリスなんて、いくら俺が断ったからってすぐに諦めて他の人と遊んだりしちゃダメだし、暇なら何度だって俺を誘わないといけない。何日間も俺以外の人と二人きりで居るのもダメだし、ゲームに夢中になって俺のことを蔑ろにするなんてもってのほか。我が侭なのも勝手なのも分かってるけど、イギリスは俺の我が侭をきくべきだ。きかなきゃいけない。
だって、俺をそんな風に育てたのは――悔しいけれども、イギリスなんだ。
だからイギリスは俺を見ていなくちゃダメなんだよ。俺がどんな態度をとっても何を言っても、俺を気にしてなくちゃいけないし、見てなくちゃダメなんだ。
ねぇ、そうだろう? イギリス。
ゲームの中でもなくて、過去の中だけでもなく。いつも、いつでも、どんな時だって。間違えずに、どんな俺だって見てなくちゃダメなんだ。
イギリスは、俺がイギリスを想うようには、想ってくれていないだろう。《ツンデレ☆ハイスクール》で目指していたようなグッドエンドなんて、リセットも出来ない現実では期待できない。
だけど、代わりに現実には、ゲームオーバーも存在しないのだ。
なら、今は辿り着けなくても。変えていく勇気を持てたのなら。俺ならきっと、いつか辿り着くことが出来る。
ゲームで用意されたようなグッドエンドでも、勿論バッドエンドでもなくて。もっと素晴らしく最高にハッピーな、俺とイギリスのベストエンドってやつに。
それはもう確定的な未来だ。
何故って?
決まってる。
それは俺が、ヒーローだからさ!
「さ、アメリカさん。あれから時間が開いてしまいましたし、お急ぎください。イギリスさんは携帯もお財布もお持ちでなかったようですし、この辺りはまだ不案内な筈ですから、迷っていらっしゃるかもしれません。迎えに行って差し上げてください」
よし。と気合いを入れて外に出ようとした俺に日本が告げてきたのはそんな言葉で。
「なんだって? そんなんで逃げたのかい、イギリスは!」
あまりの迂闊さに呆れ果てる。
「ええ。お一人で戻ってくるのは難しいと思いますので、よろしくお願いします。私はこの居間を片づけたら夕飯の買い物に出かけてきますから。それまでにお戻り下さいね」
そう言って、日本は俺に合い鍵を渡してきた。
あっさりと渡されたので、つい受け取ってしまったけれど、いいのかな。日本が平和な証拠なのだろうけれど。
「いいのかい?」
「はい。あとは若いお二人でどうぞ、ごゆっくり」
確認の為の問いに返って来たのは、どうしてかあの、逆らい辛い迫力を湛える笑みで。
さぁさぁと急かす日本に半ば背中を押されるようにして、俺はイギリスを探しに出かけたのだった。
それから俺がイギリスを見つけたのは、一時間と少し経ってからのこと。
探して探して走り回って。時々悪態をつきながらも、あんまり見つからないから不安になって。こうなったら衛星使って探せるべきかと考え始めた頃――曲がり角を曲がった先に、ようやくイギリスを見つけたんだ。
「……ッギ、リス……!」
突然視界に入り込んできた求めていた姿に、考えるよりも前に体が動く。驚きで思考は一瞬止まっていた筈なのに、勝手に手は伸びてイギリスの肩を掴んでいた。逃がさないように。本当にイギリスなのだと、確かめるみたいに。
「……アメリカ……」
そうして改めて顔を見れば、俺以上に驚いた様子のイギリスが、呆然とこちらを見上げているのが目に映る。少しだけ眉根が寄せられたのは、咄嗟に掴んだ肩が痛いからだろうか。
それに手と表情を緩めかけて――次いでイギリスの顔に浮かんだ表情を見てしまい、止めた。
何を思っているのかなんて、分かったわけじゃない。ただ――イギリスが浮かべた表情は、引きつって躊躇っていて。少なくとも、俺が来たことを歓迎する様子は欠片もなかった。それどころか、罪悪感さえ滲むそれは、俺を厭っているのと同じじゃないか。
何度かゆっくりと息をして呼吸を整えるけれど、気持ちは落ち着くどころか荒れていく一方だ。整える最後に長く吐いた息は、まるで咎めるようなものになる。
「……君、いい加減にしなよね」
そして。ようやくまともに告げた言葉は、吐いた息以上に冷たく突き放すように響いた。
「何も持たずに急に飛び出したりしてさ。追いかけるオ……じゃない探したり心配したりする日本の迷惑も考えなよ」
そもそも俺から逃げたのだから、迎えに来たって歓迎される筈がないのも当たり前なのだろう。けれど、必要ないと分かっていても心配しないでいることは難しかったし、この一時間近くというもの、必死になって探し回ったことを考えれば、イギリスの反応が面白い筈もない。
「言っておくけど俺は心配なんかしてないんだぞ。日本がどうしてもって言うから仕方なくこうしているだけであって!」
面白くないついでに、つい余計なことまで口走ってしまった。
心配して探してようやく見つけた相手に「逃げたい」とか「しまった、見つかった」みたいな顔されて、素直に「心配してました」なんて言えるものか。
感動しろとか、喜べとかは言わないけどさ。迷子だったなら、せめてホッとした顔くらい見せてくれたっていいじゃないか。
イギリスが浮かべる表情のどこかに、少しでもいいからそうした安堵だとか、俺が来て良かったというような気持ちが見えれば良かったのに。徐々に俯いていった顔には自嘲めいた苦笑が浮かぶだけで。
「……悪ぃ……」
いつものような軽口も俺に対する文句も説教もなく、ただ短く告げられただけのそれに、詰る気勢すら削がれた。
なんだい、それ。どうしてそこで素直に謝るんだよ。心配してないって俺は言ったんだぞ。いつもなら「心配くらいしろよばかぁ!」くらい言うじゃないか。
イギリスの態度に違和感と少しの焦燥を覚えながら、短く溜息を吐いて、今度は手首を捕まえて引っ張る。
「もういいよ。それより、早く戻るんだぞ」
「……ああ」
これにも大人しくついてくるイギリスは、やっぱりおかしい。
掴まれた腕を離そうともしないで黙々と歩くイギリスには、いつもの覇気も元気も、無駄に偉そうな態度もなかった。
俺育成ゲームなんてやっているところを俺に見られたわけだから、酔っぱらって大騒ぎした翌朝みたいな気分になっているのかもしれないけれど……それにしては、泣いて取り乱した様子もない。
空回った言い訳すら口にしないイギリスの無気力で投げやりな様子は、なんだか俺を突き放しているようにも思えて、もやもやとした苛立ちと不安を俺に与えてきた。
「ったく。何でこんなに横暴になっちまったんだか」
誰にも負けない世界一強くて格好良いヒーローの俺にも弱い部分があるんだということを。そんな柔らかくて弱くてどうしようもない部分を、しかもイギリスが握っているんだと思い知らされるのは、こういう時だ。
何気なく吐かれた一言に、一瞬で体温が下がって。その後、頭に血が上っていくのが分かる。
日本の家へ戻る道中とは違って無言ということもなく、少しばかりいつもの調子を取り戻しかけていたイギリスが口にした言葉がそれだというのが、余計に堪えた。
何気ないからこそ、イギリスにとっての《いつも》が。常に思っていることが出てきたということなのだろうから。
「それ、《いつ》と比べてるんだい」
咎める声は、必要以上に冷たく堅く響く。
口にしてしまえばそれは酷く子供じみた想いと言葉に聞こえるから、出来れば言いたくないと思っているのに、止めることのできない言葉。
仕方ないじゃないか。俺にとってこれは、唯一と言っていい弱さなんだ。
俺に向けられるイギリスの愛情を疑ったことはない。小さい頃も、今も。独立を勝ち取る為に争っていたその時にすら。
本人の自覚なしに横柄な態度や横暴を行ったとしても、それと彼が俺へ向ける愛情は別物なのだと、俺は本能で理解していた。
だからこそ、その矛盾に気付きもしないイギリスに腹を立てて反発したこともあるし、心底忌々しいと思ったことも数知れない。
それくらいにイギリスの愛情というものは駄々漏れで、それから俺にとっては当たり前に存在するもので、存在しない状態というのが想像出来ないものでもある。
そして実際、時が経ちイギリスと俺の関係が少しずつ変化するに従って、向けられる愛情の性質だとか表れ方も微妙に変化していったけれど、消えるということはなかった。
なかった、のに。
いつからか、イギリスは過去を引き合いに出すようになった。
それはある意味で俺へのわだかまりや構えがなくなった結果でもあるのだろうけれど、その度に微妙な気分になってしまう。
俺の行動を注意してもいい。もっとちゃんとしろと叱るのもいい。それは君が俺を見てくれている証拠だし、俺を思って向けられている言葉だって分かるから。聞いてあげるかどうかは別だけれども。
だけど。俺に向ける愛情が本当は俺に向けるものじゃなく、俺と切り離された《過去》に向けるものだというのなら、それは許せることではなかった。
イギリスの愛情なんて、欲しい思ったことはない。
何故ならそれは、欲しがるものでも求めるものでもなく。与えられているという意識すらないほど、ただそこに在るものだったから。
有り難いと思ったりも全然しないくらい当たり前のそれは、いつだってちゃんと、俺に向いてないといけないんだ。
なのにイギリスは、俺がどう思うかなんて考えもしないで容易く口にする。過去を思う言葉を、過去を愛しむ言葉を、過去を望む言葉を。
それらは、当たり前にそこにあった筈のものが幻だったのではないかと、俺を根底から揺さぶって分からなくさせるというのに。
認めたくないし信じたくないけれど、俺にとってそれは可能性を考えるだけで不安になるもので。心臓が凍るような心地がすることを、イギリスはきっと知らないだろう。
「別に、比べてなんかねーよ」
だからそんな簡単に、よく考えもせずに否定が言えるんだ。
「どうだか。君、小さい頃の俺が大好きだもんな。さっきまでやってたんだろう、小さい俺を育てるゲームとやらを。今度は思う通りに育てられたかい?」
否定に否定を返した声は、吐き捨てるようなものになる。
いつもみたいにバカにしたように笑って言ってやりたかったけれど、どうしてか上手くいかなくて掴んだままだってイギリスの手を振り払うように離して視線を逸らした。
こんなネガティブなのはヒーローらしくないと思うけれど、イギリスが俺育成ゲームなんかやってるのが悪い。
気にしたくないのに、認めたくないのに、ゲームであれ過去であれ、俺でないものをイギリスが求めている可能性を考えだけで嫌だ。
「アメリカ……」
イギリスが今どんな顔をしているのかも知りたくなくて壁を睨みつけていると、躊躇いを残した声が俺の名を呼ぶ。
なんだよ。何を言うつもりだい。
聞きたくない。と反射的に思うものの、耳を塞ぐような真似もみっともなくて出来ず、他に意識を向けたくとも俺とイギリスしかいない部屋の中ではそれも難しく、ただ壁を睨みつけていることしか出来ない。
そんな俺の耳に、どこか必死な……真摯とも言えイギリスの声音が聞こえてきた。
「思う通りとか、そうじゃないとか、関係ねーよ。どんなお前でも変わらない」
「……」
ああ、だから嫌なんだ。
イギリスなんて大嫌いだ。
そうやって君は、容易く俺を混乱させる。分からなくさせる。期待させる。君の一言に、君の態度に、どれだけ俺が揺り動かされるのか知りもしないで。
どうせ君は結局のところ、今の俺を否定して都合の良い過去かゲームを選ぶんだろうと突き放そうとする時に限って、俺を期待させるようなことを言うんだから。
「小さい頃のお前も、いま俺の目の前に居る可愛くねーお前も。どっちも俺にとっては――」
そして。騙されるな信じるな、と自分に必死に言い聞かせているところに聞こえてきた言葉が、俺に目を瞠らせる。
だって――比べる意味でなく過去の俺と今の俺とをイギリスが一緒に語ることが――多分、初めてだったのだ。
本当に?
本当にこの、らしくない後ろ向きな不安なんて、ただの杞憂なのだと思っていいの。過去を過去と。俺とは別のものみたいに思っているわけじゃないのだと、信じてもいいの。
視線を逸らしたまま、固唾を呑んで俺はイギリスの言葉を待った。こんな風にイギリスの言葉を待つのが怖いのは、独立した後に初めて声をかけた時以来じゃないかと思う。
そうして少しの不安と期待に取り巻かれ、じっと先を待っていた俺に告げられたのは、しかし――
「大切な、俺だけの天使だ」
なんていうかもう色々と台無しにする言葉だった。
ビキリと音を立てる勢いで、体と思考が固まる。
「……おい、アメリカ?」
不安と言うよりは不満げに俺の名を呼ぶ声が続いて聞こえるけれど、くたばれイギリスとしか思えない。
出来れば何を言われたかも理解したくないし、空耳だと信じたいというのに、わざわざそこで俺を呼ぶとかやめてくれよ。我に返っちゃうだろ。
大体、君は俺にどんな反応を期待していたんだと問い詰めたい。俺だけの天使とか、堂々と自慢げに誇らしげに言うとか有り得ないだろう。俺が喜ぶとでも本気で思ったのかな、この人。思ってそうだな。ああもう最悪だ。
喜んだりなんか、するわけないだろう。
過去と俺を切り離していないというのなら、らしくない不安が杞憂だったというのなら、それは良かったと思うけれど。
よりによって、天使とか!
君は俺を、一体なんだと思ってるんだい!
正直なところ、さっき以上にイギリスの顔なんて見たくなかったけれど、聞こえなかったのかと要らない気を遣われて同じ言葉を繰り返されたら堪ったもんじゃないし、沸き上がった怒りをこのまま抑えておくことも難しかったので、ゆっくりとぎこちなく振り返り、率直に言った。
「……君はバカか」
「は?」
低く言った声に返るのは、こちらの反応なんて全く予想外で分かっていないんだろう間抜けた顔と声で。
それにまた呆れと苛立ちを掻き立てられた俺は、イギリスの肩を強く押して畳の上へと倒し、上から体重と力を加えてイギリスの両手を押さえつける。
それは、何のつもりなの。
君は俺を、何だと思ってるの。
君は俺を、どう思ってるの。
いつもそうだ。イギリスは俺を期待させた後で突き落とす。
期待するのは俺の勝手で、怒るのも落ち込むのも俺の勝手だと言われるかもしれない。だけど俺はイギリスを――もの凄く腹が立つし癪だけれど好きなんだから、仕方ないじゃないか。
嫌われているのなら、興味すら持たれていないなら、諦めもつくのに。イギリスが俺を嫌うとか俺に無関心だとか、そんなこと許せる筈もないけれど。
大切だと訴えられて、言葉からも態度からも当たり前のように愛情を向けられていると知って、期待しない方がおかしい。
「真面目な顔して何言い出すのかと思えば《天使》とか、ホント君は気持ち悪いな! 俺は確かに世界一格好良いヒーローだけど、もう立派な大人なんだぞっ。君はいい加減に目を覚まして現実を見るべきだ!」
「な……っ」
腹の底で渦を巻く苛立ちは、同時に俺を泣きたい気にもさせる。
――苦しい。
イギリスも分からないけれど、自分が何に腹を立てているのかも分からない。
俺を見てくれないのが嫌だ。切り離した過去じゃなくて、かつての俺でもなく、いつかの俺でもなく、君の目の前に居る俺を見て無条件で俺の全部を分かってくれないと嫌だ。
求めなくても空気がそこらにあるように、俺が欲しいと言わなくても要らないと言っても、俺に愛情を向けていないとダメだ。
それは、絶対になくなってはならない最低限の条件で。
今の俺が求めているものとは違うとしても、小さい頃から与えてきたそれをイギリスが捨てるなんてことも、なくなるなんてことも、俺は許せない。
だけど――求めているものも、くれなくちゃ嫌なんだ。
過去を想うイギリスへの苛立ち。過去だけを想うことを否定したイギリスに安堵しながらも、それしか持っていないイギリスに対する苛立ち。
なくちゃダメなもの。
それだけでも、ダメなもの。
欲張りでも我が侭でも、止めようがない。
押さえつけているイギリスを見下ろす。
ねぇ、天使とか馬鹿なこと言ってないでさ。ちゃんと俺を見てよ。そんなもので括らないで。そんなもので遠ざけないでくれ。大切な君だけの俺だと言うのなら尚更、そんな言葉で狭めないで。
こちらを見上げる表情は、心外だと示すものから徐々に歪んでいって、悔しげな、泣きそうなものになっていく。
絶対に顔になんか出してやらないけど泣きたいのは俺の方だと思うのに、睨みつける先でイギリスの表情が一際くしゃりと歪んで目に涙を溜めていくのを見れば、胸が痛んだ。
泣く、と思った次の瞬間には、見開かれたままの緑の瞳の淵から、予想通りにぼろぼろと涙が零れ出す。
「うるせぇ、目なんかとっくに覚めてるっての、ばかぁ! どうせ俺は気持ち悪いよっ」
堪えていたものが決壊したみたいに一気に溢れ出すのは、涙と自棄になったような言葉。
「ああ、そうだよ。もう一回、お前に好かれてた頃を過ごせて楽しかったよ。ただのゲームだって分かってても、お前に好きとか言われて喜んだよ、羨ましかったよ」
次から次へと零れる涙をそのままに、真っ直ぐに俺を睨みつけてくる瞳には、縋られているような錯覚すら覚えた。
そして。
「しょうがねーだろ。お前が俺を嫌いでも、俺はお前が好きなんだよ!」
「……!」
吐かれた言葉に、思った以上の衝撃を受ける。
イギリスが、俺を、好きだって言った。
当たり前だ。イギリスが俺を嫌うとか有り得ないし、俺はどれだけこの人が俺のことを好きか知ってる。
知ってるけど。
けっこう、衝撃的だった。
だってこれは、間違いなくイギリスの本心だ。過去とか関係なく、緑の目は涙を零しながらも俺だけを睨み付けてる。
含む意味がどんなものであれ、イギリスが泣くほど俺のことが好きだということが否応なく伝わってきて、堪らなくなった。
「昔が大事で悪いかよ。お前に好かれてたのなんか、あの時ぐらいなんだから仕方ねーだろ。お前が好きだから、嫌われてんの辛ぇんだよ」
泣きながら溢れ出る言葉はどれも辛そうで、俺を好きだと伝えてくるそれに嬉しくもなるけれど、同じくらい苦しさも感じる。
悪くないよ。昔が大事だっていいよ。大事にしないと許さないよ。だって俺と君が出会って一緒に過ごした記憶だろう。大切に決まってるじゃないか。
それに待ってくれ。どうして俺が君のこと嫌いだってことになるんだ。嫌ってなんかいない。好かれてたのが昔だけとか言い出す理由が分からない。だって俺は、どんな時だって結局のところイギリスが好きだった。自分でも呆れるくらいずっと、イギリスが好きだという気持ちは消えなかったのに。
「そんなに昔の話されたくなきゃ、俺のこと好きになりやがれアメリカのばかぁ!」
詰るような口調に反して、告げられる言葉はどうしてか甘く聞こえる。
「イギリス……」
苦しいのと嬉しいのに挟まれて、それから少しの呆れもあって、上手く言葉出てこない。
どうやって言ってやったらいいのかな、この馬鹿な人に。欠片も分かってない人に。
言葉を探しながら名を口にすれば、悔いるような顔をしてイギリスは睨みつけていた目を逸らした。
「うっせぇ何も言うな黙ってろ見んなくそ死ねアホ離せ」
それから涙でぐしゃぐしゃの顔のまま鼻を啜って、泣いたせいか掠れた声で全部を拒否するように一息で告げてから目をぎゅっと閉じる。
「イギリス……」
なんだか叱られるのを怖がる子供みたいな様子に、呆れるのと同時に愛しくなって押さえつけていた手を離した。
「ほんとに、君はバカだな」
代わりに丸まろうとするイギリスの動きを遮って、両脇に腕を差し込み掬い上げるようにして抱き上げる。
そのままぺたんと腰を下ろし、細い体の背に腕を回して引き寄せれば、ちょうど座った俺の膝の上にイギリスを抱き抱える格好になった。
突然の態勢の変化にか、腕の中でイギリスが固まったのが分かったけれど、それは無視して宥めるように背中を撫でる。
本当に、この人は馬鹿だ。
俺はイギリスが好きなのに、なんで嫌われてるのが辛いなんて言って泣くんだろう。好きになれなんて言って泣くんだろう。
こんなイギリスを見るのは、初めてかもしれない。
小さい頃の俺にとってイギリスはなんでも出来るヒーローだったし、独立して離れてからは割とどうしようもない人だと知ったけれど、その頃にはイギリスは世界の覇者と呼べる位置に居た。
力が衰えてからも、俺の前でだけはしつこく格好つけたがって立派な大人ぶりたがって、弱いところや情けないところなんて、なかなか見せてくれなかった。
そのイギリスが。過去を懐かしんで今を否定して愚痴るわけでもなく、こんな風に俺の前で泣いている。
ねぇ、イギリス。今度こそ期待してもいいのかな。
君が俺に向ける好意に、俺が望むものが含まれているのだと。
子供の頃の俺がイギリスに抱いていたような《好き》を求めるのなら、こんな風には泣かないだろう? 何度か繰り返されたように、酔っぱらって愚痴を零して「あの頃の方が良かった」と嘆けばいい。
それに子供の頃の俺はイギリスが好きなことを素直に伝えていたし、イギリスだってそこを疑ってはいない。好かれていると分かっている相手に「好きになれ」とは言わないだろう。
嫌われていると思いこんでいるのは不思議だけれども、イギリスが嫌われるのが辛いと泣くのも、好きになれと求めているのも、間違いなく《俺》で。それから、小さい頃とは別のものだと思ってもいいんだよね――?
「君が俺のこと好きなんて今更だけどさ。……君のこと好きになれなんて。じゃあ君は、どんな《好き》が欲しいんだい」
それでも、いつも肩すかしばかりだったから確信までは至らなくてイギリスに問えば
「……知るか、そんなの」
未だ体を硬くしたままのイギリスがぼそりと返してきた。
知るかって……それはないだろう。
好きなれって言ったのは君じゃないか。何故だか俺に嫌われていると思っているみたいだから、なるべく優しく聞いてあげたっていうのに。
「ちゃんと考えなよ。君の答えによっては、好きになってあげてもいいんだぞ!」
本当は言われる前からずっと好きだけれど、イギリスの答えを聞いていないのに俺だけ素直に全てを告げるのは憚られて、ついそんな言い方になった。
それから、追い詰めるようにして問いを重ねる。
「俺が見たのは小さい俺を育てるゲームには見えなかったけど、君が羨ましかったのって、どっちさ」
君が好きなことを隠さない、小さい俺と過ごせたこと?
それとも、「好きだ」とゲームの俺に告げられたこと?
小さい俺も「好きだよ」くらい言っただろうけれど、イギリスが「好きになれ」と言ったのは、現実の今の俺で。そしてあのムービーでイギリスに向けられた「好き」は、家族としてのものでも友情でもなく、明らかに恋情を含んだものだった。
それが嬉しかったと言うのなら。羨ましかったと言うのなら。
君が俺に向ける好意は、それと同じものなんだろう?
「言いなよ、イギリス」
君が言ってくれるなら。それが俺の望むものだったなら。でなくとも、その可能性の残るものであったなら、今度こそ俺も素直に君が好きだと、ずっと好きだったのだと言えるから。
言ってよ、イギリス。
子供の頃と隔てるわけでなく今の俺への愛情も確かにあって、その上で俺に嫌われたくないと、好きになれと泣くなら。
どうしてなのか。どんな《好き》が欲しいのかを言ってよ。
そうしたら、例えそれが俺の望むものでなかったとしても、俺は君にその《好き》をあげるよ。あげられるように努力する。俺の望む《好き》もついでに押しつけて、君から返してもらうことが条件だけどね。
命じる言葉に込めたのは、請うに近い願い。
けれど。
「……無理だ」
硬い声が、短く拒否を紡いだ。
「何が無理なんだい。どっちか答えるだけだろう」
無理だという理由が分からず、唇を尖らせて答えを迫れば、もう一度短く――その分、明確な拒否が繰り返される。
「無理だ」
口調は強くはなく、切り捨てる程の鋭さもない。まるで長年の努力の果てに諦めに辿り着いたかのような、否定の声。
――なんだい、それ。
「君が素直に言えば、好きになってあげてもいいって言ってるじゃないか」
それの何が、どこが、無理だって言うんだ。
言えないというのなら、それは何故。
「無理だよ」
否定以外を引き出したくて自分でも理不尽だと感じる物言いをしてみても、イギリスは考える間も取らずに否定を返し、俺の発言を咎める言葉すら口にしない。
しかも何が無理なのか、どうして疲れきって諦めたように「無理だ」と言うのか、諦めるというのなら何を諦めるのか、問い詰めようとした俺の行動は、イギリスの言葉で遮られる。
「無理するな」
そんな、似ているけれど意味合いの随分と違う台詞によって。
無理するな?
無理って、何が。
イギリスが否定と拒否を込めて不可能だと言う理由も分からなければ、どうしてその二文字が俺にかかってくるのかも分からない。
俺は無理なんてしていないし、イギリスに求めていることは無理でも無茶なことでもないと思っている。
わけが分からずイギリスを訝しげに見れば、彼は困ったように眉を歪めて、口元には自嘲めいた笑みを浮かべて、更にわけのわからない言葉を吐いたのだった。
「俺はどうしたって、お前が好きだから。大丈夫、何があっても嫌いになったりしない。だから別に、お前は俺を嫌いでもいいんだ」
なんだって――?
何を言ってるんだ、この人は。意味が分からない。
俺が好きだから、嫌いになったりしない?
そんなこと知ってる。それがどうした。
だから、俺はイギリスを嫌いでもいい?
なんだそれは。
俺は君を嫌いだなんて言ったことは――ごめん、覚えてないけどあったかもしれない。言ったことがないとは確かに言い切れない。君に腹が立つことも君を嫌いだと思ったことも正直に言えば何度かあったから。
だけどそれはあくまで俺が君を好きだから、思うようになってくれない君に対して腹を立てていただけであって、本当に君が嫌いだったわけじゃない。
なのにどうして、そんなことを言うんだ。
「君、ほんとに面倒くさいな!」
俺が好きだと言うなら、俺が君を嫌いだと思っているなら。それこそ、どうしてそんな台詞が出てくるんだよ。
さっき君は言ったじゃないか。俺に嫌われてるのが辛いって。「好きになれ」って言ったじゃないか。なのに今度は「嫌いでもいい」って、わけがわからない。
大体だよ、俺が本当に君を嫌いだったら、「好きになってあげてもいい」なんて言うわけないだろうっ。嫌いな人間に、どんな風に好きかなんて聞くわけがない。よく考えてみなよ。
「どうせ俺は面倒くせーよ。だから、いいんだって。好きになるったって、答え聞いたら嫌われるんだから、どっちだって一緒だしな。昔の話は……まぁ、今後はしないように努力する。お前の気持ちは嬉しかったし、有り難かったからさ。安心して嫌え。な!」
挙げ句の果てにはそれかい!
「そうじゃないだろっ。ああもう、君はちょっと空気読みなよ!」
「……それはお前だろ……」
空気を読めないと言われたことが余程心外なのか、呆れた顔で言い返されるけれど、今回ばかりは絶対にイギリスの方が空気を読めていない。
安心して嫌えって、なんだいそれ。本当に意味が分からない。
答えを聞いたら嫌う?
あるわけないだろう。どんな答えが来たって、失望することはあったって嫌うわけないじゃないか。そんなことで嫌えるくらいなら、とっくに俺は君のことを諦められている。
こんな風に必死になって君がどういう風に俺を好きか聞きだそうとしたりするわけないし、色々無茶をして最短時間で日本まで飛んで来たりもしなければ、一時間も走り回って探したりしない。
昔の話だって、君が全くしなくなって小さい俺との記憶を忘れてしまったなら、俺はきっと悲しいし君に対して怒るだろう。
「日本が言ってた《フラグクラッシャー》って意味がようやく分かったぞ。君の答えを待ってたら、それこそ百年待っても事態が動かないってこともね!」
真っ当に告白したって頷きを返してくれないゲームを思い出す。
本物のイギリスがこのズレ具合なのだから、ゲームのイギリスだって簡単に頷かないわけだよ。
何もしなければ、待っていたって何も変わらない。そう思ったから俺は結果としてここに居るわけだけれど、図らずも正しかったと痛感出来てしまった。
まさかここまで酷いとは思わなかったけどね!
「俺のこと大好きなくせに、嫌われてるの辛いって泣くくせに、好きになれって言うくせに、安心して嫌えとか意味が分からないんだぞ。小さい俺を育てるとかいうゲームを嬉々としてやっていたって言うし、かと思えばゲームなんかでキスしそうになってるってのに君はぼんやり見ているし。俺なんて成功したの何周目だと思ってるんだい冗談じゃないよ。毎回、伝説の樹の下に来るくせに絶対に断ってくるし、空気読めてないのは明らかに君だろう!」
ゲームをしている時からの不満と、イギリスと話が通じてないことの不満、イギリスが俺のことを分かってくれない不満が混ざり合って、一息に捲し立てる。
「……あ、アメリカ……?」
「イギリス」
戸惑ったようにイギリスが肩を叩いてきたけれど、それは無視してイギリスの顔を覗き込み、睨みつけると言うのも温い逸らすことを許さない強さで、真っ直ぐに視線を合わせた。
「俺はもう何度となくリセット繰り返すのも飽きたし、日本に君の攻略方法聞くのもやっぱり面白くないし、君は君で放っておいたら勝手に俺を育てるゲームとかやり始めて、挙げ句に人のこと天使とかバカなこと言い始めるし、ホントこんな面倒なこと二度と御免だから、仕方なく言うけど」
ゲームと違い、現実はリセットが効かない。
一度の失敗くらいで諦める気はないけれど、どうもイギリスのこの様子からするとミスをした場合のロス――というかズレ――が大きそうなので、慎重に言葉を選びながら告げる。
「君が素直に俺に『好きだ』って言って、それから俺の生涯の伴侶でパートナーになるって誓うなら、君とのベストエンドを迎える準備が俺にはあるんだぞ。だから君は、俺が言ったことを今すぐ実行すべきだ。勿論、反対意見は認めないからね!」
まったく、何てこと言わせるんだ。くたばれイギリス。さっき君が素直に俺をどんな風に好きか言っていれば、こんなことまで言わなくて済んだっていうのに。恥ずかしくて死にそうなんだぞ!
「……は?」
しかし。物凄く恥ずかしいのを我慢して、かなりの決意でもって告げた言葉に返ってきた反応は、どうにも鈍いものだった。
睨み付けるより強く合わせた視線の先。イギリスはぽかんと口を開けたまま、目も見開いた間抜けた表情で俺を見上げている。
驚いているんだろうと思った。
なにしろ俺が好きだと言って、俺に嫌われてるのは辛いと泣くくせに嫌っていいと言っていたわけだから。信じられないと驚いて、それから感動するのは良く分かる。
だから俺は、辛抱強くイギリスが理解するのを待ったのだけれど。
「……何の話だ?」
イギリスの鈍さは、俺の予想の遥か上をいっていた。
「……Oh、No……。さすがだよイギリス。まさかここまで言っても分からないとは思わなかった。君の空気の読めなさと鈍さは世界遺産レベルだね」
「いや、だから。お前には言われたくねーっての」
いいや、絶対にイギリスの方が上だ。世界中の人はきっとヒーローである俺の意見に賛成してくれるだろう。ぞっとする程の鈍さと空気の読めなさだよ。
生涯の伴侶だとかパートナーだとか言っているのに欠片も意味が通じてなさそうって、どういうことなんだい。まさか俺にもう一回言えなんて言わないだろうね。冗談じゃないんだぞ。どれだけ恥ずかしかったと思ってるんだ。
「とにかく、反論は認めないんだぞ! 君が俺のこと大好きなのはお見通しなんだから、早く誓いなよ」
「だから何の話か分かんねーって言ってんだろ! 俺がお前に好きって言えば、お前の生涯のパートナーになるとか、そんな有り得ないゲームどこにあんだよ、あるなら俺に寄越せよ!」
分かっていてとぼけてるんじゃないかと疑って強いるように言ってみたら、理解してないどころか更に斜め上の発言が返ってきて、今度は俺がぽかんとしてしまう。
だからっ、なんでそこでゲームの話になるのさ!
いや確かに《ツンデレ☆ハイスクール》は、イギリスが頷きさえすれば生涯のパートナーになるゲームと言えばそうかもしれないけど、そういう問題じゃない。
大体、寄越せって言うってことは、やっぱりなりたいんじゃないか。俺のこと好きなんじゃないか。
「~~~っ君は何でそう斜め上なんだい! なりたいなら、とっとと言えばいいだけじゃないかっ」
「どこが斜め上なんだ。俺はいつだってマトモだ」
「マトモな人は、人を天使天使言ったりしないよ! いいから、俺の伴侶になりたいの、なりたくないの、どっちだい!?」
「なりてーに決まってんだろばかぁ!」
――っ!!
言った。遂に、イギリスが言った!
体の奥底から感動と歓喜が沸き上がって、弾けたみたいだった。
「そうだろう! だからとっとと、俺に告白して誓うといいんだぞ! 拒否も認めないんだからなっ」
噴き出すようなそれに突き動かされて、腕の中にある貧弱な体を思い切り抱きしめる。
「……え……?」
戸惑うようなイギリスの声も気にならなかった。だってそれどころじゃない。
どれだけ待っただろう。どれだけ遠回りをしたんだろう。
いつかは絶対にベストエンドに辿り着くと決めてはいても、今のイギリスから望む好意を向けられることはないと思っていたのに。
好きだと、俺に嫌われるのは嫌だと泣いても。それが俺の望むものを含んでいる可能性を、確かには信じきれなかったのに。
まさかと思っていたことが、現実になった。
しかもゲームではなく、現実で俺は辿り着いたんだ!
嬉しすぎて、どうにかなりそうな感動に浸っていると、
「うぇえええええええええええええ!?」
という、感動も何もないイギリスの叫び声が俺の耳を襲った。
「ちょ、イギリス。いきなり変な雄叫びあげないでくれよ。嬉しいのは分かるけど、もうちょっとムードとか考えてくれないかい」
頬染めてはにかめとは言わないが、驚くにしたって感動するにしたって、もうちょっと何かあるだろう。
それに、驚いてる場合じゃないぞ。
「ほら、イギリス。早く言いなよ。告白と誓いの言葉が、まだなんだぞ」
ぎゅうっと抱きしめていた腕を少しだけ緩めて、もっと確かな言葉を強請る。
「聞いて、どうするんだよ」
けれど顔を覗きこみ直した俺の目に映ったのは、何故だか喜びも感動もなく、戸惑いすら通り越した――何かに責められているような、辛そうなイギリスの表情だった。
「どうするって……ベストエンドの準備は出来てるって言ったじゃないか」
それに違和感を覚えながら答えれば、腕の中のイギリスが僅かに身じろぐ気配。
何か、おかしくないか?
今ので分かっただろ、とか。何度も言わせんなばかぁ、とか。そういうことを言われるのなら、分かる。なんで「聞いてどうする」なんだろう。どうするも何も決まっているじゃないか。
言ってくれるなら、改めて俺も好きだと告げて。ずっとずっと君が好きだと、例え世界情勢の関係で共に居られない時が来たとしても、君だけが俺のパートナーなのだと俺も誓うに決まっている。
あれだけ驚いたのだから、伝わっていないわけではないだろうに。
戸惑いながらイギリスの表情を注意深く見つめていると、不思議そうに目が一度上を向いた後で、また下を向いて思案する様子。
それから眉を寄せて難しい顔になったかと思うと、今度は瞠目して驚きを示し、また戸惑いに瞳を揺らして――最後に、納得と諦めを含んだ息を吐いて、体から力を抜くのが分かった。
「アメリカ……あのな?」
そうして躊躇いがちに俺に視線を合わせると俺の背に腕を回し、聞き分けのない子供を宥めるような、でなければ知らずに悪いことをしでかした子供に罪を諭すような口調で話し始める。
「さっきも言ったが、お前の気持ちは分かったし、有り難い。だけど、これは違うだろ。いくらお前がヒーローだって言ったって、それでお前の一生を棒に振っていいわけねーだろ」
あくまでも優しく背を撫でる手と。同じように優しく穏やかな声。小さい頃、寝付かずにぐずっていた俺を宥めた時に似たそれらは、けれど俺を落ち着かせてはくれない。それどころか、俺を奈落へ突き落としていくものだった。
「俺は大丈夫だから。そういうのは、ちゃんとお前の大切な人に言ってやれ。今はいなくたって、出来てから後悔しても遅いんだぜ。ま、その心がけは立派だけどな」
そうして言うだけ言うと背を撫でる手を止めて、イギリスは俺から距離を取ろうとする。
――呆然と、した。
何を言われているのだか、最初は理解も出来なかった。
どうしてそうなるのか、本気で分からない。イギリスは本当は俺が嫌いで、わざと俺を傷つけているんじゃないかと思うくらいに、その言葉は俺を打ちのめした。
先程とは真逆の意味で堪らなくなって、イギリスを抱きしめる。離された距離を取り戻すように、もう離れたりしないように。
「……お、おい、アメリカっ、いてぇって」
抗議の声が上がっても、気にしていられない。
痛いのなんか、知らないよ。俺の方がもっと痛い。
「おい……アメリカ?」
声を無視していると、腕の中でなんとか俺の腕を外そうとイギリスがもがくのが分かったけれど、逃れようとすることも許せなくて尚更に強く抱きしめる。
「アメリカ……。なぁ、どうしたんだよ」
しばらくそんな攻防を続けていると、やがて根負けしたのかイギリスが体から力を抜いたのが分かった。溜息の後、躊躇いがちではあるけれども俺の体に体重を預けてくる。
その重みに安堵を覚えて、俺もようやく無理にきつく閉じこめていた腕を少しだけ緩めた。
「……君のバカさ加減に、心底呆れたんだよ」
大切な人に言ってやれって、なんだい。一生を棒に振るってなんだい。どうして俺の大切な人が自分だって思わないんだよ。
やめてくれよ。俺を諦めるようなこと言わないでくれ。俺から手を離すようなこと言わないでくれ。物わかりのいい態度で宥めないでくれ。君に泣かれるのは苦手だけど、これならまださっきみたいに泣いて詰ってくれた方がマシだ。
そりゃあ俺は君をからかってばかりだし、意地悪なこともたくさん言ったけれど。どうでもいい人や本当に嫌いな相手になんか、そんな面倒臭いことするもんか。ましてや生涯の伴侶なんて、冗談でも言うわけない。
一体どこをどうしたら、そういう結論に至れるんだか。イギリスの鈍さもネガティブさも桁違い過ぎて呆れ果てる。
俺が言いたかったことを理解したくせに。俺がイギリスを好きだということが信じられず《好きじゃないのに、そんなこと言い出した理由》まで無理矢理考えて、勝手にそっちを信じて窘めてくるとか、本当にイギリスはバカだ。大バカだ。
「……いや……馬鹿なのは俺かな……」
「アメリカ……?」
イギリスが俺の気持ちを信じないのは――信じる以前に分かりもしてくれないのは、きっと俺のせいなんだろう。ずっと、俺がイギリスをどう思っているかなんて告げて来なかったから。
イギリスは俺を好きなのだと、俺に愛情を持ち続けているのだと確かめることに必死で、そんな余裕がなかったというのもある。
小さい頃からは随分と変わってしまった想いを向けたら、イギリスの愛情が消えてしまうのではないかと思うと、怖かったというのもあるだろう。
それから、言わなくても分かって欲しいという、我が侭な願いもあった。
けれどそんな俺なりの理由は、ただの臆病さと甘えだと言われてしまえばその通りだ。
「それにしたって、君の酷さが減るわけじゃないけどね! 人の話は聞かないわ、聞いたとしても捉え方が斜め上だわ。これなら、確かにゲームの方が簡単なんだぞ」
ゲームのイギリスは、何の事情があるんだかは知らないけど少なくとも俺の気持ちも自分の気持ちも理解した上で、「一緒には居られない」と言っていた。
対して現実は、俺の気持ちを理解していない上に「パートナーになってもいい」って申し出をヒーローらしい博愛精神からだと思いこんでいるんだから、本当にゲームより厳しいし、難解だ。
ゲームもクリア出来なかったという事実については、今は忘れて蓋をしておくとして。まずは現実のイギリスに、俺は君が本当に好きなのだと、分からせなくてはいけない。
負けたみたいで嫌だし、さっきだって俺にとっては随分と勇気の要ることだったというのに、もう一度もっとストレートに告げるのは恥ずかしいけれど。
その勇気を振り絞った言葉を、「別の誰かの為にとっておけ」なんて言われるのは、二度と御免だからね。
「イギリス、君は俺を見くびり過ぎだぞ」
抱きしめていた片手を外すと、顔の周りに疑問符でも浮かべていそうなイギリスの頬をなぞるようにして髪へと掌を差し込み、硬くてぼさぼさした髪を撫でる。
「いくら俺がヒーローだからって、生涯の伴侶を人助けでなんか選ばないよ。ヒーローだからこそ、ちゃんと愛し愛される人と結ばれなくちゃね!」
疑問を深めた様子でぱちぱちと瞬きを繰り返すイギリスの意識が逸れないように、視線が俺から外れないように。それから、誰に言っているのか良く分かるように、こめかみの辺りも髪に差し込んだ手の親指で撫でた。
「勿論、愛し愛される人っていうのは、いつか出会うかもしれない何処かの誰かの話じゃないんだぞ」
分かってよ。
俺を見てよ。
俺が今誰を見ているのか、誰に言っているのか、思いこみで視界を塞がずに、ちゃんと見てよ。今度こそ、意味不明な理由を考えられないくらい真っ直ぐに言うから。
ちゃんと、受け止めてよ。
そんな風に思うこと自体が、我が侭で甘えなんだろうけれど。
君が俺をこんな風に育てたんだから、仕方がないだろう?
そんな俺が君は好きで、そんな君でも俺は君が好きなんだから。
「好きだよ、イギリス。――だから君も、ちゃんと言わないと駄目なんだぞ!」
言葉と同時に口づけた先は、撫でていたこめかみで。唇にしても良かったんだけど、イギリスが好きだと言ってくれた時の為にとっておこうかと思って、やめておく。
「……っ」
驚いたのか、微かに音がするほど息を飲んで、イギリスが目を見開くのが視界の端に映る。
見る間に赤く染まっていく顔は見物だったけれど、ぱくぱくと今度は音もなく開閉を繰り返す口が余計なことを言う前に釘を刺しておかなければ。
「今度は、ワケの分からないこと言いださないでくれよな。もう君にフラれるのは懲り懲りなんだぞ!」
ゲームでも散々フられた上に、今日だけだって既に二回くらいフられた気分なんだから。
肩を掴んで再び真っ正面から向き合って目を覗き込めば、見開かれていた目が幾度かの瞬きの後に細められ、今度は一転して睨みつけてくる。
「……って。いつ俺がフったよ。いい加減なこと言ってんじゃねーぞゴルァ! ワケの分からないことも言ってねぇし、フられたって言うなら俺だろうが。何回も何回もお前にどんだけ酷い扱い受けてきたと思ってんだ。『君が泣いて頼み込んできたってお断りだぞ☆』って言われたこと、俺は忘れちゃいねーからな!」
今度は、俺が目を丸くする番だった。
そういえば、あったね。そんなことも。だけどアレは別にイギリスをフったわけじゃないぞ。ただ、ちょっとイラッとしてたから八つ当たりと、早いところゲームの君にリベンジしたかっただけで。
「……君、そんなことまだ根にもってたのかい」
「もつに決まってんだろっ。俺がどんだけお前と休日過ごしたかったか分かってんのか!? 今更『好きだよ』とか、バカにするのもいい加減にしろ!」
そこまで俺と休日を過ごしたかったのだと告白されるのは、悪い気はしないし嬉しいけどさ。だからどうして、そこでバカにするとかいう話になるのかな君は!
いい加減、俺が君のこと好きだって理解しなよ!
「バカは君だろ。人が勇気を振り絞ったっていうのにさ! 大体、そういうのがフってるって言うんだぞ。俺がどれだけ君のフラグクラッシャーに泣かされたか、君こそ分かってないだろ!」
貯め込んだ不満を一気に吐き出すみたいに怒鳴ってきたイギリスに、俺も同じかそれ以上の不満をぶつければ、いつの間に腕を抜き出したのか、イギリスが俺の胸倉を掴みあげて、半ば脅すような台詞を続けて吐いてくる。
「なんで旗なんか壊さなきゃならないんだよ。それにフってねーって言ってるだろ。俺がお前フるとか有り得ないしな。俺のお前への愛を舐めてんじゃねーぞ」
何かズレてると思うんだけど、君の発言。そういう自覚ないところが《フラグクラッシャー》なんだと思うぞ。
大体さぁ……
「そこ自慢するところなのかい……。ちょっと分かるだけに微妙な気分になるっていうか君ホント俺のこと好きすぎるよ」
「当然、自慢するところだろ」
イギリスの俺への愛は、大きいのはいいけど凄く無駄だよね。盲目というか、ザルというか。自慢するのは、俺の愛をちゃんと誤解なく受け取ってからにして欲しい。
俺がイギリスを好きだってことを、ちゃんと理解して。信じて。それから、イギリスがちゃんと俺を好きだってことも理解してからにして欲しいものだ。
「言っておくけど、もう《俺の天使》とかは要らないからね」
「なんでだよっ」
念のために釘をさせば、さも心外そうに言って、掴んだままの胸倉をさらに持ち上げて締めようとしてくる。
ちょっと、やめてくれよ。大体こんなことも分からないで、俺への愛なんて自慢できないぞ。
「決まってるだろ。そんなの――《俺の恋人》が正解だからに決まってるじゃないか」
本当は、それだけでは――《恋人》だけでは足りないのだけれど。
いまいち俺への恋愛感情を理解しきってない上、俺がイギリスを好きだということも理解出来てないみたいだし。まずはしっかり恋人という状況と言葉を覚え込ませないと、どうにもならない。
そうやって《恋人》が馴染んできたら、また言ってあげればいいだろう。捨てきれないだろう君のその兄弟みたいな愛情も捨てる必要なんかないのだと。それだって、俺には必要なものなんだから、いいから君が持っている全部の愛情を、あるったけ俺に向けてればいいのだってことを。
「こ……」
こちらの胸倉を掴んだ態勢で固まったイギリスの顔を半眼で見遣れば、再び顔が真っ赤に染まっていくところ。
赤味と色づく範囲が広がるのに反比例して、掴みあげる力は抜けていくようだった。
そうしてTシャツを掴んだままの両手がとすんと胸の辺りに落ちてきたところで、ぼそりとイギリスが口を開く。
「……ほんとに、いいのかよ」
「何が?」
これだけ好きだとか恋人だとか生涯の伴侶だとか言わせておいて、いいも何もないと思うんだけど。イギリスはまだ納得仕切れていないのか不安なのか、躊躇う様子だった。
「俺、調子に乗るぞ」
「だろうね」
俺の好意を信じない頑なさとネガティブさに反して、小さい頃の俺に対する愛情だとかは、隠さないし押しつけがましいし勘違いは多いし空回りばかりだし。それに浮かれてノリノリになったイギリスが性質悪いのは、本人も薄々子育て下手の自覚があるように、それから日本と友達になった時のように、割とロクなものじゃない。
だけどそんなのは、今更だ。
「分かってんのかよ。俺、お前のこと好きなんだぜ?」
それも、物凄く今更だよね。
「嫌になるくらい知ってるよ」
だからこそ俺は、君に変に期待させられたりして色々と恥ずかしい思いだとか悔しい思いだとかをしたわけだし。
それで次は一体、何を確認するのかと思えば――
「こいびと、とか言ったら……多分、抑え効かないからな」
これだ。
何を言ってるんだろう、この人は。そんなの、俺の方が効かないに決まってるじゃないか。
恋人になりたいと思っていた時間と強さで言ったら、俺の方が圧倒的に上になんだから。
それに、今日のイギリスとの遣り取りから察するに――イギリスが変に抑えようとすると、絶対に変な方向に突っ走って良く分からないことになると断言できるぞ、俺は。
「望むところだね」
そもそも、あれだけ止めろと言われているのに酒を止められない君に。あれだけ昔の話はやめてくれと言っても止められなかった君に、自重が出来るとは思ってないよ、最初から。
揺るがない自信と共に笑みを浮かべて言い切れば、イギリスの口から続く確認は出てこなかった。
納得出来たのかな? どっちしろ、もう待つ気はないけど。
少なくとも、俺がイギリスを好きだってことは、ようやく理解してくれたって思っていいんだよね。
「だからさ、そろそろ観念して『好きだ』って言いなよ。俺まだ言われてないんだぞ」
笑みのままに顔を寄せてもう一度強請っても、今度は否定の言葉が返ってきたりもしなければ、視線が下を向くこともない。
「仕方ねーなっ。別にお前に言われたからじゃねーぞ。俺が言いたくて言うだけだからな!」
恥ずかしげにしながらも、真っ直ぐ視線を合わせて代わりに口にされるのは、お決まりのような台詞で。
そうして、言葉通り仕方なくという顔をしようとして失敗した、綺麗とも可愛いとも言い難いヘンテコに緩んだ――けれども惚れた欲目なのか、どうしてだか可愛らしく見える笑みを浮かべて、イギリスはようやく俺に告げたのだった。
「お前が好きだ、アメリカ」
小さな俺へ向けたものでもなく、それを捨て去ったのでもない。
ずっとずっと、俺が待ち望んでいた言葉を――。
『こんばんは、アメリカさん』
日本から俺の携帯に電話が掛かってきたのは、こちらの時間で午後二十二時になろうかという頃。
出来れば出たくなかったけれど、後で掛かり直してくるよりはと、ひとつ溜息をついた後で通話ボタンを押した。
「そこを気にするなら、週末の夜に電話なんか掛けてこないで欲しいんだぞ、日本」
声量を抑えてはいるけれど、つい言葉と口調がきつくなってしまうのは仕方がないと思う。だって、日本がこうして電話を掛けてくるのは一度や二度じゃないのだ。
『申し訳ございません。最近は年のせいか、時差の感覚が覚束なくなりまして。こちらは昼間なのですが、夜だったのですね』
時差が覚束ない人が毎度毎度、週末の夜に限ってきっちりと電話をしてこられるとは思えないけどね。大体、それなら電話の第一声が『こんばんは』なのはおかしいだろう。
イギリスとようやく想いが通じて、目出度く恋人同士になれた日から二ヶ月近くが経っていた。
互いに長めの休みをもぎ取ってしまった後だったことや、元々それなりに忙しい立場だったこと、それから俺とイギリスの家が離れていることもあって、二人で過ごせた時間はそれ程多くない。
だというのに、だ。イギリスとゆっくり過ごせることになった週末の夜――しかもご丁寧に、ちゃんとイギリスが俺の家に来た日の夜か、逆に俺がイギリスの家に行った日の夜に、何故だか毎回、日本から電話が掛かってくるのである。
夜と言ったって、日本の家での夜じゃない。どちらの場合も、きっちりと現地時間での夜だ。更に言うのなら、何らかの都合があって互いに会えない週末の夜には掛かってこないのだから、日本の電話を俺が警戒するのは仕方がないと思う。
あれだけ俺のことを焚きつけるような真似をして、俺とイギリスの幸せを祈ってるなんて言っていたくせに、何のつもりなんだろうか。出来れば問い詰めてみたいけれど、かつての写真のことを思うと恐ろしい気もして、未だに聞けずにいた。
「それで、何か用かい? 特にないなら切るよ」
冷たく宣言すれば、携帯電話の向こうからは、ころころと笑う声。
『おや、つれないですね。……あぁ、もしかしてイギリスさんがいらっしゃっておられるんですか?』
……今一瞬、メキって携帯電話が言ったんだぞ。しまった、つい力を入れて握ってしまったじゃないか。
もしかしても何も、君がこうやって電話を掛けてくる時は、いつもイギリスと会ってる時じゃないか。しかも大抵、イギリスがシャワー浴びに行ってる時だったり、キッチンを片づけに行ってる時だったり、俺の傍にイギリスがいない隙を狙ったかのように掛かってくるのだ。一体どんな忍術を使っているんだい。
「その通りだよ。イギリスが来てるんだ。一人にしてたら可哀想だからね。あまり長電話は出来ないんだぞ!」
念の為に釘をさしておくけれど、日本も心得ているのか、いつも通話時間はさして長くない。
こうして掛けてきて、近況を聞いて。イギリスが今どうしているかを聞いて、それから――これを、聞いてくるのだ。
『そういえばアメリカさん。その後の首尾は、如何ですか?』
何の首尾かと言えば、言うのも馬鹿らしんだけどさ。
体を繋げたかどうか、なんだよ。ふざけたことにね!
最初にこの件で愚痴と文句を言ったのは俺だったし、別に日常の性生活を聞かれてるわけじゃないけれど。所謂《はじめて》を迎えられたかどうかを毎回聞かれるのは、楽しいものじゃない。
「首尾も何も……。大体、元はといえば君のせいなんだからな!」
しかも、なかなか上手くいかない原因の一端が日本にあるとなれば尚更だった。
イギリスにようやく想いが通じたあの日。
俺はイギリスと一緒に直ぐさま帰ろうと思っていたんだ。
だけどイギリスは世話になった日本に挨拶せずには帰れないとか言うし。なら俺も待つと言えば、話がややこしくならからそれもダメだと却下されてさ。
「ようやく恋人になれた君と、なんで離れないといけないんだい!」
って、納得いかなくて絶対に動いてやるものかと抗議したら、
「後で俺も行くから、どっかホテルとって先にそこ行って待ってろ」
イギリスが困ったような顔を作りながらも、少しだけ嬉しそうにそう言うから。
それならとイギリスの言う通りにしたっていうのに。どうやら全く何も考えずに――というか、俺を先に帰すことだけ考えて言ったらしいから、酷い話だ。
二人で居たいって訴えの後にあんなこと言われたら、そういうつもりなんだって思うだろう?
なのにイギリスはなかなか帰って来ないし。やっと来たと思ったら日本の家で夕飯食べてきたって暢気に言うしさ。
その後も一緒に寝ようよって言って脱がそうとしたら盛大に抵抗されるわ説教されるわ怒られるわ泣かれるわで、大変だったんだぞ。
別に、拒否の理由が「心の準備が出来てないから」とか可愛らしいものだったなら俺だって何も言わないぞ。子供じゃないんだから、優しく寛大な恋人として、そこは引くさ。
だけど……
「つーか、日本に聞いたぞ! お前なに勝手に人を嫁とか決めてんだよっ。俺は納得してねーぞ。大体、日本にまで言うとか、ふざけんなよバカァ! すっげー恥ずかしかったんだかんなっ」
これだよ。日本に勝手にバラしたことで怒られるし、俺が嫁だって言ったことも怒られたし。
「いいか、アメリカ。俺達は男同士だ。だからセックスするにあたっては確かにどちらかが突っ込まれる側に回るわけだが、こういったものはあくまでも平等にだな……」
挙げ句の果てに、もの凄く不穏なことを言いだす始末。
「俺、突っ込まれるのなんてイヤだぞ」
独立後にあれは勘違いだ過ちだ、ないない有り得ない、と何度も否定しようとしたとはいえ、イギリスが俺に本国で流行りの子供用のスーツとか着せてデレデレ嬉しそうにしている頃から、俺はイギリスを抱くんだって決めてたんだから、絶対にここは譲れない。
そう思って間髪入れずに言えば
「あっさり勝手なこと言ってんじゃねぇよバカァ! せめて少しは悩めよ考えろよっ。俺のこと好きならちったぁ我慢しやがれ!」
涙目で怒鳴られて胸倉掴まれて揺さぶられるし。
「イヤだよ。君こそ俺のこと好きなら我慢しなよ。俺の方が体格いいし、その方が自然だろ」
「それを言うなら俺の方が年上なんだから、お前が突っ込まれる方が自然だろーが」
「確かに君の方がおっさんだものな! うん、だから無理せず俺に突っ込まれればいいと思うんだぞ☆ そもそも君、俺のこと抱え上げられないしね」
「おっさん言うな!? つうか貧弱で悪かったなゴルァ!」
……って具合に、結局いつもみたいな喧嘩になって、その日は二人とも別々のベットで寝るはめになったわけさ。
そしてその争いは、今も続いている。
別に喧嘩をしてるわけじゃない。
普段はそれなりに恋人同士らしく過ごせていると思うし、軽いキスも深いキスも自然と交わす。
けれどその先になると――いきなり喧嘩越しというか、互いに隙を狙いあうことになってしまって。結局のところ、俺は未だにイギリスを抱けていないのだった。
それもこれも、俺が《嫁》って言ったことを日本がイギリスに教えちゃったのが悪いんだぞ!
いや。俺だって、うっかり口走ってしまった自分が悪かったんだってちゃんと反省したんだ。次の日に電話で八つ当たりして文句を言ってしまったけれど、その時は日本に悪気なんてなかったんだって思っていたしね。
けれど、こうして俺がイギリスと会うタイミングを見計らって電話を掛けてくること。
いくらそのことを愚痴って教えてしまったのが俺で、日本がその件で俺達を心配してくれているんだとしても、毎回電話で《ことの首尾》を聞いてくること。
それから――
『その荒れようですと、まだ……というわけですか。お二人は恋人になられてもツンデレぶりが健在なようで何よりです』
という電話での反応を考えると、それさえもわざとだったんじゃないかと俺が疑うのも、仕方ないと思わないかい?
日本が《嫁》云々をイギリスに言わなくても、イギリスのことだからやっぱり大人しく抱かれる側で納得してくれなかっただろうとも思うけどさ。
あれがなければ最初に喧嘩までしなかっただろうし、元々は俺のお願いに馬鹿みたいに甘いイギリスが、ここまで意固地になることもなかったと思う。
「俺からしたら、全然嬉しくないんだぞ!」
何故だか満足げな日本にボヤきながら壁にかかった時計に視線をむければ、そろそろイギリスがシャワーから戻ってくる頃だ。
時は週末の夜。泊まることを前提でシャワーを浴びにいった恋人を待つという状況は、本来ならもうちょっと心躍るものだと思うんだけれど。
肝心の恋人がシャワールームへ行く前に見せたのは、不敵な笑みを浮かべて拳を打ち鳴らしている姿で。
――明らかに別の意味での臨戦態勢整えてるよね、君。
と言いたくなる様子を思い出せば、どちらかというとゲンナリした気分が勝つ。
今日も争う気満々なんだろうなぁ……。
この勝負を譲るつもりは絶対にないし、純粋な力勝負なら俺が圧倒的に有利だから負ける気もしない。
ただ――だからといって力づくで無理矢理というのは、ヒーローとしても恋人としても有り得ないから大却下だし、出来れば平和的に進めたいのだけれども。
紳士を自称しながら卑怯な技や姑息な手も得意で大好きという困った性質を持つ恋人の油断ならなさを考えると――前途は、とてつもなく多難そうだった。
まさか恋人になった後に、こんな試練が待っているとは思わなかったんだぞ。
楽しい筈なのに溜息をつきたくなるこの先を思い、俺はありったけの恨みと八つ当たりをこめて――
「恨むぞ、日本」
携帯電話の向こうへと、そう言葉を投げたのだった。
畳む
#米英
#○○育成計画
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「そうだ、日本。俺がヒーローで主役のゲームを作ってくれよ!」
「はぁ?」
「君ん家のゲームは面白いけどさ。やっぱりちょっと、ヒーローが足りないと思うんだよな。うん、名案だ!」
「いえ、あの、ちょっと待ってください、アメリカさん……っ」
「ちなみに、反対意見は認めないぞ!」
それはほんの、気まぐれのようなものだった。
日本に貰うゲームはどれも面白かったけれど、何かが物足りないなと思う時もたまにある。
それは主にアクションゲームやシューティングゲームにおいての迫力だったり、演出の派手さだったりするけれど、それ以外の日本のゲーム……いわゆるアドベンチャーゲームやロールプレイングゲームなどにおいても、もう少し俺好みだったらいいのにと思っていたのだ。
足りないのは果たして何だろう?
自分なりに考えてみたところ、俺はあっさりと答えを得たんだ。
日本のゲームに足りないもの。それは――圧倒的に格好良くて強くて絶対的で、尚かつ個性的で印象的な《ヒーロー》だ!
日本のゲームにも数多くの格好良かったり可愛かったりするヒーローやヒロインが居る。そういったキャラクター達はとても魅力的だけれども、出来れば俺は、絶対にして唯一のヒーローらしいヒーローがいい。
だから最初は、そういうゲームを作ってみないかと日本に頼もうと思ってたんだけど、どうせなら思い切り俺好みのヒーローにして貰えばいいじゃないか! と思い立って、それから俺の理想のヒーロー像を考え続けた。
うちの映画もいっぱい見返して、どんなヒーローがいいかと考えるのは凄く楽しい作業だったし、どのヒーローも皆それぞれに格好良かったけれど、何故だかピンとこない。
どうしてだろう。何が足りないんだろう。
考えに考え抜いた結果、俺が行き着いた先。これ以外にないというヒーロー像。
それが、俺だ!
そうだよ、何でこんな簡単なことに気づかなかったんだ。何しろ俺はアメリカ合衆国なんだぞ。数多の格好良いヒーローを生み出し、世に溢れるヒーローをさらに格好良くして送り出すハリウッドをその身に抱えるエンターテイメントの先進国。
つまり、俺のうちから送り出された数多くのヒーローは、そのまま俺の中で共存しているってことになる。
俺自身がそもそも世界のヒーローだし、架空のエンターテイメントの世界のヒーローだって、その多くはうちから出しているのだから、考えてみるまでもなく、この世に俺以上のヒーローなんているわけないんだ!
結論が出たからには、じっとしていられない。
俺は早速日本を呼び出して、要望を告げたってわけだ。
日本は凝り性だし、俺の家ほど演出が派手でないのが残念だけれど、良いゲームを作ってくれるだろう。
しかも主人公が俺とくれば、面白くならない筈がない。
そうして身を乗り出して言った俺に日本が見せたのは、いつも通りの曖昧な表情。視線を遠くに投げながら、いまいち覇気のない声で返してくる。
「……善処します」
ゼンショ、ゼンショ。うん、良く分からないけどノーじゃないってことはイエスってことだよね。
「本当かいっ。じゃあ早速、制作に入ってくれよ」
ひくり、と日本の頬が引きつったような気がするけれど、笑っているし気のせいに違いない。
「いえ、あの、早速って……」
「安心してくれよ。この件に関しては、ちゃんと俺からも資金を出すからさ」
「当たり前です」
「足りなかったら君にも出してもらうけど、いいよね」
「……」
また日本の口が奇妙に歪む。日本は自分の意見を上手く言えないらしいから、俺の素晴らしい提案に感動しても、素直にその感動が出せないんだろうな。
「あ、その代わり、出来たゲームはウチで先に出すからね!」
「はぁ……まぁ、どうぞ」
日本は俺から視線を逸らして、変な方向を見ながら何かぶつぶつ言っている。幻覚と話すイギリスじゃないんだからやめてくれよ。と思ったけれど、ここでイギリスの名前を出すのも変な気がしたので黙っておいた。
「俺に出来ることなら、なんでも協力するぞ! 何しろ世界一のヒーローをモデルにするわけだから、撮影も必要だろうしね!」
「ええ……はい、そうですね。そういうことにしておきます」
「だろう! 撮影はハリウッドの優秀なスタッフを呼ぼう。あと、CGスタッフもいるかな。日本のところのスタッフも優秀だけど。ヒーローらしさを撮らせたら、やっぱりうちの……」
「あー……いえ、それは結構です」
色々とイマジネーションが広がって、次々とやりたいことが出てくる。ああしようこうしよう、と思いつくまま喋っていた俺を、しかし日本は微妙な様子で遮ってきた。
「どうしてだい?」
きょとんとして尋ねと、日本はスーツの内ポケットからサッとメモ帳を取り出して開き、片手にペンを構えた。途端、シャキーンと音がしそうなくらいに日本の雰囲気が硬質なものへと変わる。
先程までの覇気のなさが嘘のように目に鋭さが宿り、曖昧さをかなぐり捨てた日本は、猛烈なスピードで何事かを書き付けながら、同時に口も器用に動かして滔々とまくしたて始めたのだった。
「撮影は行いますが、衣装はこちらで用意します。CGも、現在の構想予定ですとアメリカさんの家風とは違う方面になると思われる為、うちのスタッフで行いますのでご了承ください。それと、ゲーム制作に当たりアメリカさんに対して詳細な取材を行わせていただきます。ヒーローをヒーローとしてヒーローらしく演出する為には、その土壌や背景、過去なども重要な要素となりますから。それから米国内での販売に関してはアメリカさんにお譲りしますが、著作権は放棄しません。うちからも資金を出す代わり、状況如何によっては我が国向けに修正を加えてこちらでも販売します。まったく別のゲームになる可能性も考えた上での対応をお願い致しますね。その辺りの権利関係につきましては、後日に改めて専門のスタッフを派遣しますので、その時に詳細を協議の上で決定ということでいかがでしょうか」
思わずポカンとして日本を見つめてしまう。
つらつらと一息に、かつ曖昧な言葉で濁さずにハッキリと喋る姿は、まるで別人のようだ。話している内容も耳には入って来ているのだけれど、驚きが強いせいで頭に入ってこない。
「ええと……」
いかがでしょうか、と聞かれているのに日本の視線も語調もまるで「反対意見は聞きません」と言っているみたいだ。
日本は普段はボンヤリしてるようにさえ見えるのに、たまにこうなるから油断が出来ないんだぞ。
「アメリカさん。YESかNOかでお願いします。また、恐れながらNOであればゲーム制作の話はなかったことにさせていただきます、すみません」
いつもとは違う、嘘くさい程にこやかな笑顔。なのにどうしてか俺は少しばかり気圧されていた。ソーリーって先に謝っておきながら、脅されている気分になる。
俺は首を傾げながら先程の日本の発言を脳内でリピートしてみて、まぁいいかと頷いてみせた。
日本に頼むと決めたのだから、撮影だとかCGだとかは日本も勝手が分かっている方がいいだろうし、ヒーローをヒーローらしく描く為に取材は必要だ。権利関係については、日本だってボランティアでやってくれはしないだろうから、ある程度の利益が出るよう努力するのは当たり前のことだ。細かいことはこっちも専門家を連れていけばいいし、その辺りの駆け引きで日本に裏を掻かれることはまずないだろう。勿論手は抜かないように言っておくけど。
もともと、国がどうとか関係ないゲームの話だし、俺からお願いしてる話だから、少しくらいは日本の意見を聞かないとな。
うん、ちょっと日本が怖かったけれど、問題ないぞ。
「OK、それでいいよ。ただし、ちゃんと主役は俺にしてくれよ!」
これだけは譲れないと念を押せば、
「ええ、勿論です」
日本はまたもや、らしくない程にはっきりとした笑みでガクリと首の折れる、例のお辞儀とやらをしてみせた。
それが二年くらい前の話になる。
あれから日本は事細かく俺に昔の――特に子供時代の――話を聞いてきたり、当時の俺の国の様子なんかを熱心に調べていたりした。
なんでそんな情報が必要なのか俺にはまったく分からなかったし、そんなことより今の俺の格好良い姿を撮影すべきだと思ったんだけど、日本は「それはまた今度でお願いします」と言って、はぐらかされてしまった。
しかもどうやら、俺だけじゃなく他の国々にも昔の話を聞いたり、モデルになってくれと撮影を頼んだりしていたらしいのだから不思議でしょうがない。
俺に対して日本が撮影依頼をしてきたのは、俺がすっかりゲーム制作を頼んだことなど忘れかけていた一年くらい前のことだった。
しかも渡されたのは、俺がいつも着ているフライトジャケットと同じものや、少し前に着ていた軍服。かと思えば、ハイスクールの制服だという衣装。
「こんなの、ちっともヒーローらしくないんだぞ!」
俺は日本に文句を言ったけれど、「まぁまぁ、アメリカさん。そうおっしゃらずに。ちゃんとアメリカさんが主役でヒーローのゲームですから」と宥められて、仕方なく撮影に付き合った。
それはまだいいのだけれども、日本の不可解な要求はそれだけではなかったのである。
「アメリカさん、とても重要なことなのです。アメリカさんが持っている限りのイギリスさんの写真をお貸し願えませんか? 勿論、傷一つ付けずにきちんとお返ししますから。一枚残らず秘蔵品も見せて頂けると有り難いのですが」
丁寧な物腰で申し訳なさそうな声の割に、よくよく聞けば日本らしからぬ強引な物言いだ。
しかも俺に、イギリスの写真を、貸してくれ?
「じょ、冗談よしてくれよ、日本! 俺がイギリスなんかの写真を持ってるわけないだろう!」
「ああ、そういうツンデレも今は結構ですので。重要なことなのです。実はこっそりたくさん貯め込んでいらっしゃるのは承知しておりますし、決して他言など致しませんのでご安心ください。お酒に酔った時のものと、あと寝顔もお持ちですよね?」
……ちょっと待ってくれよ、これ誰だい?
と、周りに誰もいないにも関わらず視線を巡らせて、助けと疑問に答えてくれる人を俺が求めてしまったのも仕方がないと思う。だってそうだろう。こんなの俺の知ってる日本じゃない。
なんで日本は、こんなに確信に満ちた言い方なんだい。まるでどこかで見てたみたいに!
「な、なんのことだか分からないんだぞっ」
しらばっくれてみるけれど、日本の表情は申し訳なさそうな顔のままなのに、何故だか眼光が鋭い。とても鋭い。まるで夏と冬あたりの一時期の日本みたいに。
そして俺は、そういった時の日本にはあまり逆らわない方がいいと身をもって知っていた。知っていたけれども、今回ばかりはそれで納得するわけにはいかない。
だって、どんな顔で認めろっていうのさ。
俺がイギリスの写真を持ってるなんて!
「アメリカさん」
日本が俺の名を、しっかりと呼ぶ。気がつけば、間近まで寄られて俺の手の甲の上に日本の掌が添えられていた。
表情の読みにくい黒い瞳は細められて微笑の形を作っているけれど、明らかに笑ってない。笑ってないぞ、日本。まるで日本のホラーゲームみたいに怖い。
「このゲームを作る上で、一番重要なことなんです。アメリカさん以外の方からも、所有する全ての写真と一部の方からは肖像画もお借りしましたので、気になさることはありません。国同士で付き合いがあるのですから、必然的に写真の十枚や二十枚たまっていくのは自然なことですよ。現に私の家にもイギリスさんの写真はちょっと口にするのが憚られる枚数ございますし、なんだかんだ仰ってフランスさんのところにも何枚もありましたね、あれは良い写真ばかりでした。主に弱味というか酒乱の果ての凶行の証拠的な意味で。ね、アメリカさん。多少なりとて交流があれば、イギリスさんの写真を持っているなんて当たり前のことですよ。何も隠しだてするところではありません。さぁ」
滔々と捲し立てられれば、確かに当たり前のような気もしてくる。実際にデジタル化の進んだここ十数年では飛躍的に写真が手軽になったせいか、何かにつけて写真を撮ってる国もあるくらいだ。主に日本とか。
だから、変に隠し立てする方がおかしいと思いもするけれど、貯め込んでるとか、持ってる写真の中身を言い当てられては、認めにくいのも躊躇うのも当然だと思う。
それはそれとして、日本が持ってる写真とフランスの写真は物凄く気になるけれど。
「ご希望でしたら、私が所蔵しているイギリスさんの写真の数々をお譲りしてもよろしいですよ。フランスさんからコピーしていただいたデータもありますし」
ちらりと思考の片隅を掠めた言葉を見透かしたかのように日本は笑みを深めて言ってくるのだから本当に性質が悪い。
怖すぎるよ日本。大体、ヒーローはそんな誘惑……じゃないな。ええと、そう、取引には乗らないんだぞ。
でもまあ、傍迷惑なイギリスが余所でどんな悪行を尽くしているかを知っておくのもヒーローの務めのひとつかもしれない、と思いもする。
力を入れさえすれば、簡単に振り払える日本のほっそりした手を払えないまま、俺はぐるぐると頭を悩ませることになった。
そして喉の奥で唸っている俺を、日本は宥めるような声で追いつめていく。
「私の調べによりますと、写真機が普及を始める頃にイギリスさんと撮られたお写真があるとか。確実なところでは、前の世界会議終了後のパーティーでイギリスさんが酔っぱらってしまわれた時の写真はお持ちですよね。それと、一昨年のクリスマスパーティーでイギリスさんが酔って寝てしまわれた時と、その前の年に他の国の皆さんとスキーに行かれた時のもの。他にはイギリスさん宅で新型カメラの試し撮りと言ってとられた日常ショットを何枚か、お持ちですよね?」
だらだらと、背中を冷や汗が伝い落ちていくのが分かった。
一体どういうことだい日本。わけがわからないんだぞ。なんで君はそんな自信満々なんだい。声は穏やかなのに目が欠片も笑ってないよ怖いよトゥースキュアリーだよ。
と、いうか。
なんで知ってるんだい。
確かに俺の家にはイギリスの写真がないとは言わないよ。欧州の国と比べたら短くても、俺の歴史に比したらイギリスとの付き合いは長いどころか生まれる前からあることになるわけだしね。
国としての交流だって少なくないし、個人としての交流で言うならイギリスはあの通り俺に口出ししたり文句つけたり注意したりと、俺に構って貰うのが趣味みたいな人だから、それなりにある。
歴史を顧みたって状況を省みたって、俺の家にイギリスの写真があるのはおかしいことでもなんでもない。なんでもないけど!
見てきたように言うその細かさは何なんだと問いたいぞ俺は。
「……」
理性は、別におかしくはないのだから堂々としていろと返してくる。けれど本能は危険を感じ取っている。
日本の言い方がいけないんだ。当たり前の筈なのに、日本の言い様はまるで俺が特別に欲しくてイギリスの写真を撮ったり持っていたりしてるみたいじゃないか。
そんなことあるわけないのだから、頷けないのも辺り前だ。
「アメリカさん」
けれども、また日本が俺の名を呼んで。こちらを安心させるような綺麗な笑みを浮かべる。
「隠されても無駄ですよ。私はなにしろ、忍者を生んだ国なのですから」
内容は笑みに似つかわしくないものだったけれども。
「にんじゃ……」
単語を繰り返せば、纏わる色々な憶測や学んだことが脳裏を駆けめぐる。忍者は俺も大好きだから、良く知っている。忍者はスペシャルなスパイなだけでなく、なんでも知っていて強くて、闇に紛れて悪い奴をやっつけるスーパーヒーローだ。
「ええ、忍者です。ですから、アメリカさんがイギリスさんの写真を実はけっこう密かに持っていることも、携帯電話の中にも実は数枚潜んでいることも、お部屋に飾られている写真立てのブルーエンジェルスの下にはこっそりイギリスさんの写真が飾られていることも全て存じ上げていますので、今更恥ずかしがらなくても大丈夫です」
な、ん、だ、っ、て……?
「に、日本……君」
それ以上は声にならずに、ぱくぱくと虚しく口だけが言いたいけど言えない心情を伝える。
プライバシーの侵害で訴えるべきだろうか。いやいや、訴えることなんて出来るわけがない。なにしろトップシークレットだ。誰の耳にも入れるわけにはいかないことばかり。
なんて言ってやればいいかと考える俺をよそに、日本はこちらの手に添えていた掌を外して、上向きにした掌をそのまま差し出してくる。
「さあ、アメリカさん。時は金なり、ですよ。出して、いただけますよね――?」
有無を言わせないほどの迫力が、その時の日本にはあった。
そんな風にヒーローの俺にとって耐え難い精神的苦痛をもたらしながらも、件のゲームは遂に完成したのである。
日本はわざわざ俺の家に完成版のロムを持ってきて微笑んだ。
いつもの曖昧な笑みとは違うが、写真を寄越せと迫ってきた時のような怖い笑みとも違う、何事かをやり遂げた後の、爽快さをもった笑みだったことに、密かに安堵する。
出来ることなら、あんな日本の笑みは二度と見たくないからね。
「必ずや、気に入って頂けると思いますよ」
控えめな発言の多い日本がそこまで断言するのだから、きっと面白いゲームになっているだろう。そうでなければ困る。
あんなに恥ずかしくて死ねると思ったことは、俺の人生において他にないくらいの羞恥だったのだから、これで面白くなかったら例え日本と言えども、俺は黙っちゃいないぞ。
酒を飲んで酔って暴れて愚痴りまくった翌日にイギリスが「死にたい死にたい死にたい」と泣く気持ちが、ほんの少しだけ分かってしまった自分がとても嫌だ。
まあでも、日本が二年近くかけて作ってくれたゲームだ。俺だってあれだけの犠牲を払ったのだから、きっと面白いに違いない。面白くないわけがない。
「有り難う、日本! 早速プレイしてみるんだぞ!」
「ええ、是非。私は国に戻りますが、何かありましたら、ご連絡ください」
首をガクリと下げるものではない、腰から深く曲げるお辞儀をして帰っていく日本を見送ってから、俺はロムを片手に意気揚々と家の中へと戻る。
途中、すっかりこのゲームを頼んだことを忘れたりもしたけれど、何しろ俺が主役のゲームなんだ。これが楽しみでない筈はない。
ホームシアターシステムが完備されたリビングは、予め日本から連絡を受けていたこともあって準備万端だ。
ポテトチップスにコーラにドーナツ。テーブルの上には携帯があるけど呼び出し音はオフにして、ローテーブルの近くにはデリバリーのピザのメニュー。
トニーはくじらと一緒に暫く遊びに行ってもらったし、ボスに無理を言って五日の休暇も取ってきた。
うん、完璧だ。
これで休暇中は、思う存分ゲームに没頭できるぞ!
ゲームの世界にどれだけ格好良い俺が待っているんだろう。
日本お得意の、魔王を倒す勇者だろうか。それとも、世界を救うスーパーヒーロかな。でなければ、日本の家の時代劇みたいに、闇に紛れて密かに悪を斬るサムライだろうか。
ああ、前にやらせて貰った日本のゲームみたいに、ガンとカタナを同時に操るサムライガンマンなんてのもいい。
変身アイテムを掲げて変身して悪の組織と戦うヒーローも俺ならばバッチリ似合うし、戦うヒロインのピンチに颯爽と現れる謎のヒーローの俺……なんてのも凄く格好良いな。
日本で見たことのあるヒーロー達の姿を思い浮かべながら、俺は逸る気持ちに急かされて、慌ただしくゲームの電源を入れた。
「楽しみだなぁ!」
暫くは黒い画面に、関係会社のロゴなどが順に表示される退屈な時間が続くけれど、この後に訪れるものの期待に先走る気持ちを落ち着けるには、丁度良い。
何度か深呼吸をしてからコントローラーを両手で持って、改めてゲームが始まるのを待つ。
この先には一体どんなものが待っているんだろうか。
好奇心を抑えきれずに待っていると、ようやく無音に近かったスピーカーから音楽が溢れ出す。
しゃらららら~ん、と。予想とは違う系統の音がまず鳴った。
なんだろうこれ。金属で出来た、硬質だけれど高く澄んだ音の集まりがしゃらしゃらと流れ、その上に重なるのは、やはり迫力満点とは言い難い、優しくて明るくて、元気の良さそうな音色だ。
「…………あれ?」
俺は思わず首を傾げる。
おかしいな。俺はもっとこう……格好良くて、迫力ある音楽を予想してたんだけど。
予想外なのは音楽だけじゃなく、画面に流れ始めたムービーもだった。
明らかにオープニングムービーなのだけれども、なんていうか、その色彩がポップなのだ。可愛いし、嫌いじゃなけれどヒーローっぽいかと言われれば、ヒーローっぽいとは言えない。
「なんか……思ってたのと違うぞ?」
さらに描かれる建物や背景は、どこかの学校のようなものが多くて。さらに学校らしき場所を背景に次々に画面に現れるのは、学生服に身を包んだ登場人物達。
その様子はまるで、ゲームというよりも日本の家で作っているテレビアニメのようだ。
「……前に、似たようなの見たことがあるなぁ」
記憶を刺激され、ムービーを見ながら遡ってみれば、日本に何度か貸してもらったゲームに雰囲気が似ていることに気づく。
おかしいな。俺は日本に、俺をヒーローにしたゲームを作ってくれってお願いした筈なんだけど。
どう見てもこれは……日本が好んでプレイするという、《恋愛シミュレーションゲーム》じゃないか!
違うのは、人物がほぼ実写に近いCGであるということと――オープニングムービーを駆け抜ける人物達に、どうにも見覚えがありすぎるということ。
日本の家で良く見かけた短いスカートの学生服を着て画面の向こうから笑っているのはセーシェルだし、フライパン片手に誰かを追いかけているのはハンガリーだった筈だ。てことは、追いかけられているのはプロイセンかなぁ。顔と名前が一致しない子も多いけど、多少は見覚えのある《国》ばかりが登場している。
さらには――なんでか分からないけれど、やたらめったらイギリスの出番が多い。
他の国は一瞬で消えていって、そう何度も出てくるわけじゃないのに、イギリスばかりが画面に大写しの状態で何度となく出てくる。
今まで俺がやってきた《恋愛シミュレーションゲーム》のパターンから言って、こうやって扱いがやたらいいのは《メインヒロイン》とか言うものの筈だ。
明らかにおかしい。
俺が頼んだのは、あくまで俺をヒーローにした格好良いゲームであって恋愛シミュレーションゲームじゃないし、恋愛シミュレーションゲームというものにしたって、普通は可愛い女の子のキャラクターがいっぱい出てくるものだろう?
なのに、オープニングムービーを見る限り、出てくる女の子はとても少ない。
ハンガリーにセーシェル、名前知らないけどロシアの姉妹に、それからええと……顔は見たことあるんだけど名前も思い出せない子が一人か二人。ええと一人は確かヨーロッパの辺りの子で、もう一人はアジアの子だったと思うんだけど……まぁいいか。
女の子が三人しか出てこない恋愛シミュレーションゲームもあるけれど、その場合は一人一人の扱いが良かった筈だ。
なのにこのゲームときたら、女の子はちょこっとしかムービーに登場しない。登場人物の大半を占めるのは男の国ばかりで、中でも断然イギリスが多いなんて、おかしいじゃないか。
アップテンポの可愛らしい曲調の音楽が、クライマックスを迎える。だけどそれに合わせて画面でくるくると表情を変えるのは何故か知らないけど学生服に身を包んだイギリスで。
更に言うなら、ムービーの中には肝心の俺の姿が映っていない。時々、俺のトレードマークのフライトジャケットや、それらしいシルエットは映るけれど、顔も姿も映らないんじゃ意味がない。
なんなんだ、このムービーは!
半ば呆然、半ば憤然として見守る中、オープニングムービーが終わりを告げて、画面にはタイトルが描き出される。
メニュー画面と同時に示されたタイトルを、俺はなんとはなしに読み上げた。
「ツンデレ☆ハイスクール……?」
意味が分からない。
言葉に聞き覚えはある。確か日本が時々、イギリスやら俺やらを形容するのに使う言葉だった筈だ。
あと、日本の大好きな二次元のキャラクターに対しても使ってた気がする。モエゾクセイがどうのって。俺にはさっぱり分からなかったけれど、これもそのひとつだろうか?
「……」
撮影の時に、何で学生服を着させられたのかは良くわかった。
オープニングムービーを見る限り、これは《学園物》と呼ばれる類の恋愛シミュレーションゲームなんだろうってことも予想がつく。
だけどやっぱり腑に落ちないのは、男の方が圧倒的に多い上に、特別扱いされているのがイギリスってところだ。
「……凄く嫌な予感がするんだぞ……」
一年くらい前の悪夢が、ふと脳裏を過ぎる。
いつにない迫力で俺に《イギリスの写真を寄越せ》と言ってきた日本。
俺が主役でヒーローだというゲーム。
学生服での撮影。
学園物恋愛シミュレーション風のオープニングムービー。
そして《ツンデレ☆ハイスクール》というタイトル。
まさか……いくらなんでも、そんな。
メニュー画面をテレビに映したまま、しばし目線を意味なく彷徨わせる。
――すると、ローテーブルの上に小さな封筒が置かれているのが目にとまった。
日本がソフトの入ったロムと一緒に置いていったものだ。確か説明書を入れておいたって言ってたな。
普段は説明書なんて全く読まないのだけど、流石に不安になってきた俺は、少しだけ迷った後で、封筒を手に取って中身を取り出す。
長方形の説明書は、パッと見では製品についている本物のようだ。もっとも、このゲームは実際には試作段階なので製品版のような説明書があるわけないんだけど。
俺の手の中にあるのは、紙質こそ日本のゲームについてくる普段のものとは多少違うが、ゲームタイトルが打たれて表紙全面にイラストが載ったそれは、本物さながらの作りだ。
これを見て、販売どころかまだ生産もされていないゲームだと思う人は、殆どいないだろう。
多分、俺に渡すにあたって日本が自分で作ったんだろう。そういう細かい作業が好きな人だし、普段は真面目で大人しいくせに、こういう偏った部分では意外と遊び心を発揮するんだ。俺も知ったのは最近のことだけれどね。
そうして暫く、説明書の表紙や裏表紙を感心と呆れ半々で眺めていたが、ハッと我に返った。
感心している場合じゃない。いま俺に降り掛かっている潜在的危機は、ともしたら生まれてから今までの中で五指に入るかもしれないくらい高いのである。
俺は気を引き締めて、再び説明書の表紙を眺めた。
描かれているのは、オープニングムービーを凝縮したみたいな画像。中央に一番大きくイギリスの姿。その周りを囲むように、男性の各国が顔だけはきちんと映るように重なりあいながら描かれて、一番外側に小さく幾人かの女性の国が顔を覗かせている。
そして説明書の下部には、装飾の施された文字でタイトルが描かれていた。
「そもそも、なんなんだい。《ツンデレ☆ハイスクール》って」
全然、ヒーローらしくない。
何しろ説明書のイラストとは言え、恐らくはパッケージを意識しているのであろうソコに、俺の姿がないのが一番の問題だ。
しかも、何で一番目立っているのがイギリスなんだい。おかしいだろう、絶対。
普通のゲームならそこは主人公の位置だし、本当にこれが恋愛シミュレーションゲームだというのなら、ヒロインの位置の筈。
そこにイギリスが居るなんて、何かの間違いに違いない。
そうだよ、あり得るものか。あんな極太眉毛でエセ紳士で変態で元ヤンで酒乱で鬱陶しい奴がヒロインだなんて、俺は断固として認めないぞ!
――あ。もしかして、これは倒すべき《悪》なんじゃないか?
それなら各国がキャラクターとして描かれているのも納得できるし、その中央に大きくイギリスが描かれているのも納得できる。
そうだ、そうに違いない。
ようやく安心できる理由に思い至った俺は、日本の手作りらしい説明書を――それでも恐る恐る開いていったのだった。
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【あらすじ】
あなたは、とある超大国を担う王子様です。
年頃になったあなたは、父王に言われて《各国の重要人物が通う》と言われる、世界W学園に転入してきました。
あなたの目的は、この世界W学園で、自分と結婚して生涯のパートナーとなってくれる人を探すこと。
父王からはパートナーが見つかるまでは帰国禁止の命を受けているので、気合いを入れて探さなければなりません。
自由でエキサイティングでサバイバルな学園生活の中で、あなたはこれから多くの人と出会い、過ごすでしょう。
時には喧嘩することも、あるかもしれません。時には陥れたり陥れられたりするかもしれません。けれども、愛し合うこともきっと、出来るはず。
驚きに満ちたこの学園で、あなたは果たして、真実の愛を見つけることが出来るでしょうか――?
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ワオ。俺、こういうのなんて言うか知ってるぞ。《ツッコミどころ満載》って言うんだろ!
大体、サバイバルな学園生活って一体なんだい。学園物で恋愛物なのに、陥れたり陥れられたりって何かおかしいだろう。わけわかんないんだぞ。
日本……本当にコレ、俺が頼んだゲームなんだよね?
物凄く不安になりながら、俺はページをめくる。
どうやら今度は、キャラクター紹介のページみたいだった。
俺の姿は、学生服の上にフライトジャケットを羽織った格好で最初に描かれているけれど、やはり顔は微妙に影になってボカされている。
俺の格好良い顔を出さないなんて信じられないんだぞ。何でこんな風に顔をぼかしているんだろう?
――ああ、だけど。そういえば日本が前に、
「最近、ギャルゲーでも主人公の顔が出ていることが多いんですよね。あれはあれで良いのですが、やはり私などは昔ながらの古式ゆかしい顔なしの方が感情移入が出来て好きですね。勿論、喋らせる必要がある場合などはキャラクター性が滲み出てしまいますし、中途半端になるくらいならば顔があった方が良いのですが、昔ながらの様式美が失われていくことは寂しく思います」
とかなんとか言っていた気がする。
ならこれも、日本の趣味というか。日本の考えによる《古式ゆかしい様式美》とやらのひとつなのかもしれない。
日本もイギリスと同じで(内容や系統は随分違うとは言え)伝統やら格式やら様式美やらを大切にする人だ。二人の共通点なんて、同じ島国だってことくらいだけれど、これも島口の特長とでも言うんだろうか?
俺にはさっぱり分からない魅力だし、それはそれとして、コレは更に何か違うような気もするけれど。
そんな形で顔を隠された俺の横には、【あらすじ】で見た通りの設定が書かれていたが、情報は多くなかった。
超大国の王子様って設定は悪くはない。
良くないのは、目的が悪者退治じゃなくて《生涯のパートナー探し》なんて、ヒーローらしくない目的の方だ。
ヒーローはまず、崇高な目的をもってなくちゃ。そうして目的に邁進しているうちに、自然と素晴らしいヒロインとで出会うようになっているものだ。
日本は日本なりに頑張ってくれたんだろうけど……。これは最初に《ヒーロー》のなんたるかを、もっと説明しておくべきだったなぁ。
プレイして面白くなければ、俺が払った分の制作費は返してもらわないといけない。
そもそも俺がヒーローらしくなかったら、契約違反なんだぞ。うん。謝罪と賠償を要求しないとダメだな。
思いながら、俺はまたひとつページをめくってみると――
「うわ」
見開きいっぱい使って、イギリスがたくさん描かれていた。
「……だから、なんでイギリスなんだ」
学生服を隙なく着込み、憮然とした表情で立っているイギリスの全身図が一番左にあり、中央にはイギリスの設定やらプロフィールやらが書かれている。名前、身長、体重、それから……
「……なんでスリーサイズがまで書いてあるのかな……」
日本は一体何考えてるんだ。大体コレ、本当の数字なのかな。計ったのか日本。
俺だってちゃんと計ったことなんかないっていうか別に俺はイギリスのスリーサイズなんて知りたいわけじゃないしどうでもいいけど。そもそも男のスリーサイズなんて知ったって面白くもなんともないし興味なんてない。全くない。断固としてない。
それにあの人なんて貧弱そのものだしね。ああでもやっぱり細いなぁ、なんだいこのウエスト。身長は俺と凄く違うわけでもないのに、おかしいだろう。内臓とかちゃんと入ってるんだろうね。
まぁ抱きしめたらすっぽり収まりそうでいいなぁとか考えているわけじゃないし心配しているわけでもないから、本当にどうでもいいんだけどさ。
そうした数値情報以外には、恐らくゲーム中に登場するのだろうイギリスの様々な表情だったり、『生徒達から恐れられている生徒会長様の意外な一面…!?』みたいな謎の見出しと共に、薔薇を見つめて微笑んでるイギリスの姿だったりが描かれていて。
俺はもう見ていられなくて、説明書を閉じる。
説明書は結局、俺の胸に湧いていた不安を消しても和らげてもくれないばかりか、認めたくなかった現実というやつを突きつけてくるだけだったのだ。
うん。現実を見つめよう。
このゲームは間違いなく。
「……俺が主人公で、イギリスをメインヒロインにした、学園物恋愛シミュレーションゲーム……ってことだよね」
心底信じられないことにね!!
俺は説明書をテーブルの上に放ると、置いてあった携帯電話を代わりに手にとって、日本の携帯電話の番号を呼び出す。
何かあったら電話くれって言ってたんだから、問題ないよね。どうせまだ車で空港に向かっているところで、飛行機には乗ってないだろうから。
大体、何が『必ずや、気に入って頂けると思いますよ』だ。
気に入るわけないじゃないか。
俺が主人公と言ったって、顔も姿もきちんと描かれないし、全然格好良くて絶対的なヒーローなんかじゃない。
しかも恋愛シミュレーションだというのなら、可愛くて綺麗な女の子に溢れているのが当然なのに、登場人物は見知った《国》ばかりで、おまけにメインヒロインがイギリスときてる。
イギリスがヒロインの恋愛シミュレーションゲームなんて、やる気になる奴がいるのなら見てみたいと思う。いるわけないじゃないか、そんな物好き。
なにしろイギリスと来たら、頑固だし口うるさいし古くさいし嫌味っぽいし料理は下手だし、庭いじりと刺繍は得意だけど友達いないし幻覚は見るし酒乱だし凶暴だし凶悪だし目つき悪いしエロ大使だし、良いところなんてひとつもない。
そんなどうしようもない人を、わざわざゲームでまで落とそうなんて面倒なことする奴の気が知れないね。
これで、どうして俺が気に入るなんて思うんだろう。
俺には全く理解できない。ああ、できるわけがないとも。
言い聞かせるように胸の内で何度か繰り返してから、俺は日本に抗議すべく、メモリから日本の番号を呼び出して通話ボタンを押したのだった。
数時間後―――
『べ、別にお前のためじゃないからなっ。弁当作ってきたのは、あくまで俺のためであって……』
俺の家の大型テレビからは、日本のとこの学校では一般的だという《体操着》とやらに身を包んだイギリスが、画面のこちら側に向けて弁当箱を差し出している姿が映されていた。
……そう。俺は結局、あの《ツンデレ☆ハイスクール》とやらをプレイするハメになっているってわけさ。
だって、しょうがないじゃないか。
抗議の電話を掛けた俺に、日本はいつになく――イギリスの写真を寄越せと迫った時以来の――にこやかな様子で
『まあまあ、アメリカさん。そう言わずに、とりあえず三時間程はプレイしてみていただけませんか。オープニングムービーだけでは、あのゲームの魅力はお分かりいただけないと思います。それに、我が国では一見ありきたりの学園物アドベンチャーゲームとみせかけて、その実は壮大な宇宙規模の戦闘に発展していくゲームや、いつの間にか多次元世界を描いた話へと移行していくゲームなどもあるんです。まぁ流石にそこまでの超展開はありませんが、オープニングムービーとプロローグだけでゲームを評価し、手を止めてしまうのは早計というものですよ。まずは遊んでみて、それでも全く面白くない、気に入らない、ということであれば、制作費も返還致しますし、謝罪と賠償も考えますので』
などと、滔々と語ってきたのである。
さらには。
『それに――契約によりますと、気に入っていただけなかった場合は責任もって費用を回収する為、私の家で販売する形になりますが、よろしいですか?』
と、言ってきたのだ。
日本と交わした契約書を思い出せば、確かにそういう内容だった気がする。
そこで出た利益は、費用を超えたとしても全て賠償に上乗せされることになっていて、俺の方に一切の損がない形だったので、すっかり忘れてた。
だけど――その、日本で販売されるゲームがコレだと言うのなら、全く別の問題が出てくる。
アレを?
イギリスがメインヒロインだっていう、あの恋愛シミュレーションゲームを?
販売する?
だって、それはつまり――
オープニングムービーにあったみたいな、涙目でこちらを睨みつけてくるイギリスとか、頬染めて目を逸らしてるイギリスとか、戸惑ったようにこちらを見てくるイギリスとか、珍しくも楽しそうに笑ってるイギリスとか。説明書にあったみたいな薔薇を見つめて微笑んでるイギリスとかが、どこの誰とも知らない人達に出回るってことだろう?
しかもアレは恋愛シミュレーションゲームなんだから、メインヒロインだっていうイギリスを攻略する人は多いだろう。あんな人落とすなんて物好きいるわけないから売れるわけないとも思うけど、世の中は広いからどうだか分からない。
知らない誰かが、あのゲームをプレイする。ゲームの上の設定は俺でも、画面の向こう側にいるのは見ず知らずの他人だ。その誰かに向かって、イギリスが語りかける、笑いかける、説教する――。
そんなの、許せる筈ないじゃないか。
そう、ヒーローの務めとして、そんなことは許せない。
イギリスみたいな極太眉毛の可愛げのない元ヤンがメインヒロインとしてどこかの誰かを誑かしたり、まぁあんなのに誑かされる人間なんていないと思うけど、それで不快な思いをしたりしたら大変だ。ヒーローたる俺には、そういう何も知らない人達を守る義務がある。
だから俺は嫌々ながらにゲームをプレイし続けることを決めて、一端は日本との契約解除も引っ込めた。
そして、ゲーム開始から十数時間が経った今――こうなっているわけである。
『せっかくの体育祭だからな。お前が食べ過ぎて競技の進行を妨げたりしないように、生徒会長の俺が見張っていてやるよ。だから、その……一緒に、食べてやってもいいぜ』
イギリスがこちらに差し出している弁当箱は俺の目から見てもかなり大きくて、これだけ――しかもイギリスの破壊兵器のような食事を、だ――食べさせようとする時点で言っている内容と合ってないこと、分かってないんだろうか、この人。いやこの人って言ったって日本が作ったゲームの中のイギリスなんだけどさ。
悔しいことに、流石に日本はその辺りが細かくて上手いようで、見た目といい表情といい声といい、ゲームの中のイギリスときたら、本物そっくりだ。それが良いことかどうかはさておいて。
まったく何だって折角とった休みの日に、ゲームの中でまでイギリスなんかに会わなくちゃいけないんだ。しかもゲームの中の俺まで、あの破壊的料理を食べさせられそうになっている。
「冗談じゃない。体育祭なんて、俺が大活躍できる最高の舞台じゃないか。そんな時に君なんかの料理を食べて体調を崩したらどうしてくれるんだ。それ、単に俺の足を引っ張る策略なんじゃないのかい?」
画面に向けて言ってやるけれど、そんな俺の声は当然のようにゲームの中のイギリスに届くことはない。
いつもなら、こんなことを言えば涙目になって「ばかぁ!」と怒鳴ってくるか、傷ついた顔して去っていくか、でなければ「へっ。お前もなかなか目端が利くようになったじゃねーか」とか悪役じみた笑み浮かべて……でも目尻に涙を溜めながら強がりと捨て台詞を言って逃げてくか、なんだけど。
現実の俺の台詞がゲームのイギリスに聞こえるわけもなくて、画面の中のイギリスは相変わらず僅かに頬を染めた顔のまま弁当箱を差し出してきている。
画面下部に存在するメッセージウィンドウに並ぶ選択肢は三つ。俺の声が届かない代わり、この中から選んだものが、ゲームのイギリスに対する反応になるわけだけれど――。
==============================================
【選択肢】
▽「ありがとう、イギリス。嬉しいよ」
▽「弁当よりも君が食べたいな」
▽「君は馬鹿か?」
==============================================
この選択肢考えたの誰だい。特に最初の二つを考えた奴は、俺の前に名乗り出て欲しいと思う。
この選択肢なら、間違いなく三番目だろう。そうに決まっている。これ以外を選ぶなんて有り得ない。だって相手はイギリスなんだぞ? ご飯は破壊兵器だし、言い方は偉そうだし。俺が先程口にした内容に一番近いのは三番目なんだから。
だけど――
実を言えば俺は、この選択肢を見るのは初めてではない。正確に言うのなら、これで三回目である。
一回目のとき。俺は迷わず、三番目の選択肢を選んだ。
そうしたらイギリスは案の定に『くそっ。俺だって別にお前となんか食べたくねーんだからな、ばかぁ!』と叫んだ上に、持っていた弁当箱を放り投げて逃げていったばかりか、その先で何故だかフランスにぶつかって。
『なにやってんの、坊ちゃん』
『うるせぇ、失せろヒゲ。あとついでにテメェの昼飯を寄越せ』
『はぁ?』
『お前の昼飯を寄越せって言ってんだよ。ああ、お前はそこらの雑草食ってればいいから』
『なんでそうなるの。昼飯忘れたなら素直にそう言えよ。ほら、坊ちゃんの分くらいあるから、生徒会室で食おうぜ。どうせその後、午後の打合せだろ?』
『……チッ。仕方ねーな』
などというやりとりの後に、二人で消えてしまったのである。
恐らくは生徒会室で、二人で、フランスの作ってきた弁当でも食べたのだろう。俺にはイギリスの破壊兵器の弁当を押しつけておいてだよ!
残された俺は、イギリスの弁当なんか捨てて自分の弁当を食べればいいのに、何故だから律儀にイギリスの弁当を食べて――あまりの不味さに苦しむこととなった。
しかもゲームの中の俺が
『果たしてこの苦しさは、胃が訴えてくるものなのか、心が訴えてくるものなのか……? 俺には、分からなかった――』
なんてモノローグをわざわざ入れてくるのだから最悪極まりない。
あまりにも面白くない展開に、俺は即座にリセットボタンを押していた。セーブをしたのがだいぶ前だったから、やり直す時間は惜しいけれど、構っては居られない。
そして迎えた二度目のチャレンジで――俺は、悩みに悩んだ末、自棄になって二番目の選択肢を選んでみたのである。
すると――
『……アメリカ、お前……頭、大丈夫か?』
さっきまで頬を染めていたイギリスは途端に真顔になってこっちの脳を心配してきたってわけさ。
ああもうっ。再現率が高いのは結構だけど、ゲームなんだから、そんなイギリスの肝心な時に空気が読めないところまで再現しなくていいよ日本!
結局その後は昼食どころじゃなくなって、俺の体調と脳を心配したイギリスに無理矢理保健室に連れて行かれて絶対安静を厳命され、体育祭が終了するっていう酷いオチだった。
そして話は現在に戻るわけで――
分かってる。ここまで来たら一番目の選択肢を選ばなきゃいけないんだってことは。
多分、これが正解なんだろう。そんなの分かってる。俺は、本当は。何て言えばイギリスが喜ぶかなんて知ってるんだ。
イギリスなんて、どうせ俺のことが大好きなんだから。ちょっと笑って、刺々しくない言葉で「お腹が空いたから、それ俺にくれよ」なんて言うだけで喜ぶ。
だから「ありがとう、イギリス。嬉しいよ」なんて言おうものなら、それはもう目を輝かせて大喜びするだろう。
そうして、お茶まで煎れようとして、甲斐甲斐しく俺の世話を焼きたがるに決まっている。
別に俺だって、それ自体が絶対に嫌だってわけじゃない。そうしてもいいと、そうしたいという気持ちがないわけでもない。
ただ、面白くないだけだ。問いつめたくなるだけだ。
子供の頃に惜しみなく与えられていた溢れんばかりの愛情は、どうしたって俺の記憶にこびりついて離れなくて、なかったことにはならない。
その記憶が、邪魔をする。俺の思考に待ったをかける。
イギリスから向けられる好意を、愛情を、世話を、心配を。それら全てのものを受け取ることへの躊躇と拒否を生むんだ。
イギリスがどうすれば喜ぶかなんて、俺は分かっているし、知っているけれど。喜ぶイギリスを見れば、俺だって悪い気がするわけじゃないけれど。
喜べばどうせあの人は舞い上がって俺を更に期待させるような真似をするくせに、やっぱり俺が期待したような意図なんて欠片もなくて、俺を散々な気分にさせる。
だから俺は馬鹿馬鹿しくなって、期待したくなくて、イギリスに振り回されたくなくて、逆に振り回してやりたくて。どうせ期待する気持ちが得られないのなら、例え別のものでもいいから、俺のことで頭の中をいっぱいにしてやりたくて。いつも、わざとイギリスが傷つくだろう言葉を吐くんだ。
何を期待しているだとか、何に期待してるだとかについては、考えるのも嫌だから考えないぞ。
そうだ。考えるのは、嫌いだ。
現実のイギリスについてだって考えたくないのに、今度はゲームの中でまでイギリスに悩まされるなんて最悪だ。
選択肢を前に固まること数分。
「……あー、もう。考えるの飽きたんだぞっ。こんなのどうせゲームなんだから、何だっていいじゃないか!」
俺はもう面倒くさくなって、最初の選択肢にカーソルを合わせ、決定ボタンを押した。
それから二日後。
俺の家のテレビはまだ、《ツンデレ☆ハイスクール》の画面を映していた。
画面にはスタッフロールとエンディング曲が流れていて、それはオープニングと同じく明るくポップな可愛らしい曲だけれど、今の俺の気分には全然合っていない。
長い時間をかけて辿り着いた何度目かのエンディング。けれどそれは、明るい曲には似つかわしくないバッドエンドだった。
「一体何が気に入らないって言うんだ、イギリスのやつ!」
コントローラーを放り、憤然として近くにあったポテトチップスを掴んで口に頬張ると、がしょがしょと食べる。チップスは美味しかったけれど、俺の気分はそれくらいでは晴れやしなかった。
大体、何回目だと思ってるんだ。
俺はこのゲームを既に五周(エンディングを見た回数であって、途中からのやり直しを含まないで、だよ)くらいしているけれど、未だにイギリスを落とせないでいる。イギリス以外の誰かを落としたこともないから、ひたすらバッドエンドばかり見続けているってことだ。
本当に何が悪いんだか、俺にはさっぱりなんだぞ!
ゲームの中でイギリスと仲良くなるのは、それほど難しい話じゃない。メインキャラなだけに他の何人かのサブヒロインと違って出会う為の条件もなく、プロローグ部分で強制的に出会う。
イギリスはゲームの中では学園の生徒会長で、転校初日に暢気に遅刻した俺を校門の前で待ち構えて、いきなり説教をしてくるっていう、あんまり楽しくない出会い方だけどね。
学園全体の案内役でもあるイギリスとの接点は最初から多く、ゲーム開始から一ヶ月間くらいの対応を大きく間違えなければ、それ以後も気軽に会うことが出来る。
ちなみに対応を間違えると、学園の案内があらかた終わる一ヶ月後にはサックリバッサリと切られて、殆ど会えなくなったりするから注意が必要だぞ。
最初にそれをやって、他人みたいな態度に腹が立ってすぐにリセットボタンを押したこともあったっけ。
そこさえ乗り越えたら、あとは簡単だ。何かにつけて生徒会室に遊びに行ったり、行事の度に話しかけに行ったり。放課後に少し時間を潰してから生徒会室や校門に行って一緒に下校してみたり。
こまめに接点をもってさえいれば、こっちが軽く引くくらいイギリスとの友好度はどんどん上がっていく。
なのに、どうしてか落とせない。
好感度はほぼマックス。行事も全てイギリスを誘ってイギリスと過ごした。過ごしたという割には微妙な結果になるイベントが多いのは気になるところだけど。ともかくフラグというフラグは回収している筈なのに、何がいけないんだろうか。
最初の頃はともかく、二周目以降はヒーローらしく浮気もしていない。ゲームクリアの為だと言い聞かせて、この俺がイギリスだけをひたすら相手してあげたっていうのに。
「なんだって俺がこんなに必死にならなきゃいけないんだい。くたばれイギリス!」
文句を言ってドーナツに齧り付くけれど、やっぱり気分は晴れなかった。再びタイトル画面に戻ったテレビを睨みつけながら考えるのは、どうしたらグッドエンドを迎えられるのかということ。
しかも、あのイギリスと。
他のキャラクターを落とそうとは、思えなかった。と言ったって落とせるのは男キャラクターばかりだから、そんな気分にならないのも当たり前だけれど。例え女の子のキャラクターが落とせたとしても、落とす気になったか分からない。
ここまできたら、意地だ。
別に俺がイギリスのことを特別に好きとか、そういうんじゃないけどね。単に、イギリスごとき落とせないなんて言われたら悔しいからさ。
――少し、嘘だけど。
テレビ画面を睨みつけていた目を閉じて、ソファの背もたれに身を預ける。
そうして瞼の裏に蘇るのは、忌々しいことにゲーム中のイギリスの姿ばかりだった。
『これが体育祭の正装なんだよっ』
なんて赤い顔して言っていたTシャツに短パンなんて現実ではまず見られないような姿とか。
『いつも準備に駆け回ってて、落ち着いて見たことなかったな。……ありがとな、アメリカ』
そう言って珍しく素直に微笑んだ、花火大会での浴衣姿とか。
『お前でも、こういう気の利いたことが出来るようになるとはな。ちょっと見直したぜ』
なんて言って、あんまり可愛くないくせに何故だかドキッとさせるニヤリとした笑みを浮かべてみせたのは、クリスマスパーティーで着ていく服を贈って、それから迎えに行った時だっけ。
次々と浮かんでくるゲームの中のイギリスは、どう見ても俺のことが好きそうなのにな。
デートや行事毎に誘いをかければ、素直じゃない台詞を口にしながらも嬉しそうに了承してくれるし。
当日だって、必死に嬉しそうな顔を隠そうとしても隠しきれないくらい嬉しそうだし、はしゃいだりもするし。
殆ど毎週、あちこちにデートに行った。夏祭りも文化祭も体育祭もクリスマスもバレンタインも一緒に過ごした。
さすがに修学旅行は学年が違うから一緒には行けなかったけれど、ちゃんとイギリスの為にお土産も買っていったら、涙ぐんで喜ばれた。……うん、あれは流石にちょっと引いたぞ。
ともかく、ゲームの中のイギリスは絶対に俺のことが好きでメロメロな筈だ。二年目のクリスマスパーティーの時にはキスだったしたし、あまり有り難いことではないのだけれども、バレンタインには手作りのチョコレートだって貰った。(このゲームは日本が作っているせいか、日本の恋愛シミュレーションゲームにおける一般的なイベントは軒並み網羅されているらしいぞ。各イベントの日本での意味合いが注釈付きで説明書に書いてあったから間違いない)
なにより――二年目の三月の、イギリスの卒業式。
プロポーズの為に、『この樹の下で愛を誓い合った二人は、永遠に幸せになれる』という伝説のある樹の下に呼び出した時も、彼はすっぽかさずにちゃんと来るのだから。
なのに、いざ告白してみれば――
『すまない、アメリカ。俺は……俺は、お前のパートナーには、なれない』
なんて言い出すんだ。
最初は、イギリスに好かれていると思ったのは勘違いなのかな、と思いもした。
現実ならそれがどんな種類のものであれイギリスが俺への愛情を捨てられないのは当たり前だけれど、ゲームでは過去の俺との関わりがないのだから、俺への絶対的な好意だとか甘さだとかがなくても仕方がない。
けれど二度三度と繰り返せばさすがにおかしいと思うし、俺の告白を聞いた瞬間のイギリスは、確かに嬉しそうなのだ。
一秒もしないでハッとしたように顔を強ばらせて、表情を消してしまうけれど。そうして硬い顔になったイギリスは、泣きそうな辛そうな顔で、さっきの台詞を言うのである。
何回目かのプレイである今回も。ずっと、ずっと同じ。
まぁ一回だけ、一体何を間違えたのかロシアが来たことがあって、驚いてその場でリセットしちゃったけど。
どう見ても俺のことが好きそうなのに、プロポーズには頷かないイギリス。
何度繰り返しても、望む反応を引き出せても、決して俺の告白に頷いてはくれないイギリス。
一体、何がいけないっていうんだ。
――これじゃ、まるで現実と同じじゃないか。
いや……それでもまだ、俺のことそういう意味で好きそうなだけ、ゲームの方がマシなのかな。
こんなこと考えるのは俺らしくないんだけど。
ああ、そうだよ。いつまでも意地になって自分に言い訳を重ねていたって仕方ない。
俺はイギリスが好きだ。認めよう。
だからイギリスに、俺のことをそういう意味で好きになって欲しいってずっと思っている。
本当はイギリスの写真なんていっぱい持ってるし、出来ることなら互いの了承の元でちゃんと二人並んで撮りたいし、その写真を堂々と飾りたい。
ゲームの中とは言え、真っ直ぐに俺を見てくれているイギリスに喜んだ。俺が主人公のゲームのヒロインとして出てくるんだから当たり前なんだけどさ。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、ゲームの中のイギリスは本物より少しだけ素直で乱暴さも気持ち少なめなせいか可愛く見えて、結局は何度もプレイしてしまった。
クリア出来ない意地もあったけれど、それだけならもっと効率的に他のキャラクターと同時攻略ぐらいする。
イギリスを好きだということは、俺としてはあまり認めたくないし信じたくもないことだけれど――さすがに否定するのも誤魔化すのも自分に言い訳をするのも疲れてきた。
実を言えば、とっくの昔に自覚はしていたんだけど。
なにしろ、かれこれ二百年以上は自問自答を繰り返しているんだから、否定しきれるなら、とっくにしている。
どうしてイギリスなんかが好きなのか、どこが好きなのかなんて分からない。気がついたらイギリスが好きだった。
彼の庇護下にあった子供の頃は、ただ純粋に。甘くて優しくて色々なことを教え与えてくれる彼は幼い頃の俺にとってはヒーローそのもので、嫌うことなんて考えられなくて、それどころか当時の俺にとってはイギリスに嫌われることが一番恐ろしいことだったくらい。
それが変わったのはいつだろう。段々と体が大きくなっていって、色々なことが分かるようになってきたくらいだろうか。少なくともイギリスの身長を追い越すよりも少しだけ前だったことは確か。
彼の愛情そのものを疑ったことはないし、実を言えば俺が彼を好きでなかった時など本当は長い生の中でもなかったけれど。
――ただ、いつの間にかズレてしまっていた。
彼が俺に求めることと、俺が望むことが。
俺には何も見せようとせず、何もさせようとしないイギリス。
純粋な好意は、いつしか俺を押さえつけようとするイギリスへの反発の前に徐々に形を変えていってしまったのである。
思い返して考えてみても、イギリスへの好意が恋情を伴ったものに変わってしまったから反発を覚えたのか。反発を覚えて彼から離れ違う個を目指す過程で変化してしまったものなのか……どちらが先かは、俺にも分からない。
どちらにせよ、俺の中にあった『イギリスが好きだ』という思いは、いつの間にか兄を慕うものから恋情やらもっと即物的な欲求を伴うものへと変わってしまったのだ。
そしてその思いは、イギリスへの反発を強めて互いにぎこちなくなってからも。その後の諸々を経て彼に銃を突きつけることになった時にも、何故か消えることはなかった。
独立して、今まで俺に見せてこなかったイギリスの色々な面や本当の姿を知ってからは、それこそ俺の初恋を返せと思ったし、あんな奴が好きなんて冗談じゃないぞ何かの間違いだって消し去ろうと思ったりもしたけれど。諦めようと思ったことも、他の人を好きになろうとしたことも数知れない。
だけど、何度くたばれイギリス! って本気で思っても、不思議なことに好きだって思いはなくならなかったんだよな……。嫌いになったこともあるし、本気で憎く思う時もあった筈なのに。
イギリスなんて眉毛だし性格悪いし頑固だし口うるさいし堅いかと思えば変なとこでズボラだし変態だし会議中でも平気でエロ本読むし料理は最終兵器だし。
いいところなんて殆どなくて、好きだという事実が本気で理解出来ないというのに、どうしてか前よりも『好きだ』って思いが強くなっているのだから、世の中本当に分からない。
しょうがない。それでも好きなんだから。これだけ自分でも嫌だなと思っているのに、好きだと思ってしまうんだから。
もっとも、現実は上手くいかないゲーム以上に、厳しいけれど。
イギリスは俺の気持ちに気付くどころか、相変わらず人のことを子供扱いする。
昔と全く同じように見られているわけではないと思いたいけど、やっぱり俺はイギリスにとって《弟》というカテゴリなんだろう。気づく気づかない以前の問題だ。
そのくせ、俺に対しての好意だとか愛情だとかは鬱陶しいくらい持っているのだから堪らない。
小さい頃のように真っ直ぐに向けられているわけでも、兄弟としての親しみをもって接してくるわけでもないけれど、少なくとも俺が求めるものと同じでないことは確かだろう。
かつてとは違う距離感。抱えるものも互いに向ける感情も何もかも違う筈なのに、向けられていると感じる好意や愛情は厄介だ。
違うと分かっているのに、勘違いしそうになる。
小さい頃に惜しみなく与えられていたそれと、全く同じならば苛立ちや怒りは覚えても戸惑いなんて覚えなかっただろうに。全く同じでは嫌な筈なのに、同じでないことに違和感を覚えて戸惑って。どういうものか量りかねて――勘違いしそうになるんだ。
かつてと違うのなら、それは――俺が望むものなんじゃないかと。同じものを含んでるんじゃないかと。
そうやって期待しかけて、舞い上がりかけて――その度に肩すかしをくらって失望するのは、たくさんだ。
現実でも辟易してるのに、ゲームでまで散々期待させて最後の最後でフられるとか、ほんと勘弁して欲しいんだぞ!
面倒臭いのも、酷いのも、思わせぶりなのも現実のイギリスだけで手一杯だよ。
例えば――久々に長めの休みがとれたから遊びに来ないかと誘ってくるとかさ。
友達のいないイギリスが自分から誘える相手なんて限られてる。俺を誘うことに意味なんてないくせに、気軽くああいうことをするのはやめて欲しい。
嬉しくなかったとは言わないけど、あの時はタイミングも悪かった。何しろゲームで最初にバッドエンドを迎えた直後で、ただでさえ苛立っていたところに電話が掛かってきたのだから。
こっちの気持ちも知らないで。俺はたった今、君にフラれて落ち込んでる上にムカついてるんだぞ!
さすがに口には出さなかったけど、そう思ったことは本当で。
その上にイギリスが
「たまたまだ、たまたま! お前なら暇だろうし迷惑かけても気にならないしな。別にお前とどうしても遊びたいってわけじゃねーんだからな!」
なんてことを言ってきたから、更にムッとしてしまって、
「HAHAHAHAHA、君が泣いて頼み込んできたってお断りだぞ☆」
つい意地を張って、朗らかに言ってしまったのだ。
その後はいつもの軽い口ゲンカになって、イギリスは相変わらず紳士って自称するのはやめた方がいいと思われる口汚い言葉で文句を言うだけ言って、電話を切ってしまったっけ。
あの時は俺の名誉の為にも早いところゲームでリベンジをしなければと思っていたし、イギリスとのああいった遣り取りはいつものことだから、それほど後悔してるわけでもないけど。
今から考えてみると、しまったかなぁと思う部分もある。
ほら、イギリスは傍迷惑な人だからさ。俺が遊んであげないと、一人でぐちぐちと文句言いながら幻覚と戯れてる、なんて可哀想なことになってるかもしれないだろう?
今だってひょっとしたら、そうかもしれないし。
イギリスは今、どうしてるのかな。
イギリスのことだから、どうせ俺に断られたからって、涙目で文句言って沈んで凹んで、一人寂しく庭をいじったりジメジメと刺繍したりしてるんだろうけどさ。
まさか代わりに誰か他の人を誘って、そいつと一緒ってことはない……よね。イギリスは友達が少ないし、急に何日もの休みを共に過ごそうと言われたって、普通は対応出来ないだろうし。
不意に思い浮かんでしまった可能性に、目が自然と携帯電話へと向かった。
電話――してみようか。
一人で寂しく休日を過ごしているなら、電話をしてあげればイギリスはきっと喜ぶだろう。最初は驚いて。嬉しそうな声になりかけて、慌てて怒ってぶすくれた声にかえて。
「何の用だよ!」
って言いながら、そわそわするに決まってる。
色々と、俺の方の気持ちが邪魔をして――それから癪に思ってしまって、なかなか素直にそうした行動をとれないけれど。
俺には、イギリスが喜ぶことなんて簡単にわかる。
こうすればイギリスは喜んで、素直じゃない台詞を言いながらも態度だけは素直になってくれるんだろうな、って本当は分かってるんだ。
なのに、どうしてか現実もゲームも上手くいかない。
思う行動を起こせない現実は仕方ないとしたって、あえて悔しいのと恥ずかしいのを我慢して、《これが正解》と思われる選択肢を選んでる筈のゲームでも五連敗中なのは何故だろう。
どう見ても俺を好きそうなのに、最後の最後で俺から離れていくのはどうして?
イギリスが何を考えているかが、分からない。
どうすれば喜ぶのかは、分かるのに。
感情の動きも、少なくとも仕事が絡まない時なら凄く分かりやすいのにな。俺がどういう行動をとったり、どういうことを言ったりすれば、イギリスがどうなるのか。俺にはそれが、手に取るように分かる。伊達に百年単位であの人の反応を伺ってたわけじゃない。
独立を機に変わってしまった――自らの意志で変えてしまった関係と、変わってしまったイギリスの態度に受けた衝撃は意外と大きかったらしく。彼にどういう態度をとったらいいのか分からなくなった挙げ句、気がつけば皮肉だとか、からかうような態度をとるようになっていた。
そして、最初は独立した時の反発の名残や、無様な姿を見せられないという虚勢で取っていた筈の態度は、いつの頃からかイギリスの反応を確かめる為だけにわざと行うものへと変化していったのだ。
イギリスが俺をどう思っているのか。イギリスに残る好意がどの程度のもので、どんな種類なのか。嫌われていないか、どこまでなら嫌われないのか――。
多分、それらを試して、確かめたかったんだろう。
今となってはもう、癖みたいなもので。意識しなくても自然とそうした態度を取ってしまって後悔することも珍しくない。
俺のどんな言葉や態度にイギリスがどう反応するのかが分かるようになったのは、その副産物のようなものだった。
イギリスがどうしたら喜ぶか、俺には簡単に分かるし。
イギリスがどうしたら怒るか、俺のどんな言葉や態度でどう反応するかも、俺は分かってる。
それは嘘ではなく自惚れでもなくて、当たり前の事実なのに。
けれど。ならばどうして。
俺とイギリスは《このまま》なんだろう。
正解を選んでいる筈なのに、確かに好意を――それもゲームの中なら俺の望む形での好意を――寄せられているにも関わらず、グッドエンドに辿り着けないゲームのように。
ずっとそれを変えたいと思い続けているにも関わらず二百年以上経っても《そこ》で止まってしまっていて、現実が動いていないこともまた、事実だった。
単にイギリスを喜ばせただけじゃ何も変わらなくて。
イギリスを苛めて泣かせたって何も変わらなくて。
なら、どうすればいいんだろう。
後悔するのは好きじゃないし、したことも殆どない。自分が歩んできた道を間違ってるとは思わないけれど、目の前にあるのは、ゲームの中でさえままならない俺とイギリスという現実で。
本当にイギリスは厄介で面倒くさい。
俺にこんな手間をかけさせてさ。俺は待つのは嫌いだし、努力は惜しまないけど見合う結果がない努力をするのは嫌いだ。
なのに俺は二百年以上、そんな無駄な努力を続けてる。
ただイギリス相手だけに、だ。
なんでこんなに上手くいかないんだろう。イギリスが俺のことを大好きなのは間違いないのに。
視界の中に映る携帯電話が、存在を徐々に主張してくる。
どうしようか。
ゲーム画面はバッドエンドを終えてタイトル画面に戻ったところ。画面の中央ではムスッとしたイギリスが中央で腕組みしてこちらを睨みつけていて。
ゲームの中でフられた直後で腹立たしくはあるけれど、休暇だと言っていたイギリスがどうしてるのかが、気になってもいる。
――うん。どうせ一人で寂しく過ごしているんだろうから、ヒーローの俺が寛大な精神でもって、ちょっとだけ慰めの電話をして元気づけてあげるのも有りだろう。
誰かと一緒に過ごしてるなんてことは、ないよな。イギリスだし。ましてやフランスなんかと飲んだくれてたりしないでくれよ。
少しの躊躇いの後によぎった悪い想像に耐えかねて、それを振り払うようにして、俺は携帯電話を手に取った。
掛けるのは、迷った末にイギリスの家の固定電話。家に居ることを願ってと、携帯に掛けるなんて必死みたいで、なんとなく躊躇われたから。
「……」
受話器からは、無機質なコール音が繰り返されている。
いつもなら、数コール待てば怒ったような声ながらも嬉しさを押し隠せない様子で怒鳴ってくるイギリスの声が飛び込んでくるのに、一向に出る気配がない。
どういうことだろう?
少しだけ携帯を耳元から離して、その小さなディスプレイに表示された日付を確認してみても、確かにイギリスが休暇だと言っていた日程に入ってる。今日で二日目の筈だ。
チリ、と。少しだけ嫌な予感が胸をよぎった。
買い物にでも出かけているんだろうか。
今度は時間を確認してみるが、イギリスの住む辺りはまだ真っ昼間な筈だ。普段の休日のイギリスなら確実に家でちまちまと家事をやっている時間。
「俺が電話してあげてるっていうのに、なんで出ないんだよ、イギリスのやつ!」
これ以上コール音を聞いていたくなくて、電話を切った。
ちょっと庭に出てたとか、買い物に出てたとかだと思うけど。まさかあのイギリス限って誰かと一緒ってことはないよな……。
前から分かっていた予定ならともかく、休暇まで二~三日の猶予しかない状態で捕まる相手が俺以外に居るとも思えない。
悔しいけれど気になって、五分後にもう一度掛けてみたけれど結果は同じだった。誰も出ない。
別に、気にする程のことじゃない。寂しく過ごしているだろうイギリスが可哀想だと思って、からかいついでに電話をしてやろうと思っただけなんだから。
どうしても連絡を取りたいわけでもないし、用事があるわけでもない。ただちょっと思い出してしまったら気になっただけだ。
電話が繋がらないのなら、これ幸いと携帯を置いて、またゲームを始めればいいだけの話。
イギリスの携帯に掛けてみるという手もあるけれど……。固定電話に出なかったから携帯に……というのは、より必死になっているみたいで嫌だ。
「まったく。イギリスはゲームでもリアルでも厄介な奴だなぁ!」
ぼやきながら俺は暫く携帯電話を睨みつけて――迷った末に、ひとつのアドレスを選んで電話を掛けてみたのだった。
それから四日経っても、イギリスの家の電話には誰も出なかった。悔しさを押して一回だけイギリスの携帯にも掛けてみたのだが、留守番電話になっていて誰も出ない。
あの後、万が一の可能性を潰す為にカナダとフランスに電話をしてみたけれど、素直に「イギリス居る?」なんて聞けるわけもなく、近況を聞くに留まった。
まぁ、何故か二人とも
『久しぶりだね、アメリカ。言っておくけどイギリスさんは来てないからね』
『珍しいなあ、アメリカ。どうせ用件はイギリスだろ。来てないぞ、こっちには』
と、聞く前に答えてきたのが不思議だけどね!
確かに俺が彼らに電話をすることは滅多になくて、掛けるとそういえばイギリス絡みのことしか聞いてなかった気がしないでもないが、俺の名誉の為にもそんなのは勘違いだと言っておいた。
二人とも嘘をついてる様子はなかったし、イギリスが現在休暇中なことも知らなかったから、本当に連絡も入っていないのだろう。
カナダは気になるなら他の英連邦に聞いてみようかとも申し出てくれたが、流石に断った。
「そもそも俺は別にイギリスを探してるわけじゃないんだぞ!」
強がってみせたが、イギリスがどうしているのか気になってしょうがないのも本当のところ。他の人には言えないけどさ。
気になると言えば、日本も気になる。
日本ならゲームの攻略法を聞くという大義名分もあるし、イギリスが頼る可能性も高いと思って連絡をとってみたのだけれど、『何かありましたら、ご連絡ください』と言っていたくせに、イギリスと同じく連絡がとれなかったのだ。
携帯に電話を掛けても留守番電話になっているし、PCと携帯の双方にメールを送ってみても、なかなか返信がない。
丸一日経過してからやっと届いたメールはPCからのもので、にも関わらず文章は短い一文のみ。
『ただいま、少々たてこんでおりまして。落ち着きましたら、こちらから連絡させていただきます』
メールに書いたゲームに関する質問や、どうしたらイギリスが落とせるのかといった攻略に関する部分も無視して、日本ならいつも必ず文面の最初と最後に丁寧な挨拶がつくのに、それもない。
もしかして、何か大変なことでもあったのかな。
そう思う気持ちもあったけれど、イギリスの件でただでさえ苛々しているのにゲームまでちっとも進まないので、俺は再度メールを送ってみた。
『急いでくれよ! 俺はかれこれ七周も時間を無駄にしてるんだからな。バグじゃないなら、何かヒントとかおくれよ』
そうしたら、これには割と直ぐに返信があったのだけれども
『それは、私よりもアメリカさんの方がご存知では?』
という、やっぱり短い上に意味の分からない文面だった。
俺の方が?
どういう意味だい、それ。分かってたら、こんなに苦労してないんだぞ。ゲームでも、それから現実でも。
どういうことか問い質すメールをもう一度送ってみたけれど、それに対する返答は来ないままで。
結局、日本から俺に電話が入ったのは、それから三日経った――つまり今日のことだった。
『お待たせして申し訳ありませんでした、アメリカさん』
「遅いんだぞ、日本! おかげで俺は、あれから更に四回くらいバッドエンドを見るハメになったんだからなっ」
色々と選択肢やパラメータを変えているつもりだけれど、ちっともグッドエンドに辿り着けやしない。
イギリスのこともあったから、痺れを切らして日本に何度も連絡をとろうと試みたけれど、本当に電話に出ないしメールも返してこないし。
俺の試行錯誤はちっとも報われず、ゲームのイギリスは相変わらず俺のこと好きそうなくせにフってくるし、現実のイギリスは何処に居るか分からない上、電話も掛け返してこない。
留守電にメッセージこそ入れてないけど、俺からの着信があったことくらい気付くだろう、普通。なのに連絡がないって、どういうことなんだ。
面白くない諸々をこめて言うと、日本は申し訳なさそうな様子を伺わせながらも、どこか弾んだ声で答えてくる。
『申し訳ありません、イギリスさんがあまりにも萌……いえ、可愛らしいものですから目が離せず。それに、ゲームは苦労してこそ、エンディングに辿り着いた時の感動も味わい深くなるものですよ』
「え……。イギリス?」
そういうものかい。俺にはあんまり理解できないんだぞ。と言う余裕はなかった。というか、後半は殆ど頭に入って来なかった。
だって日本は今、イギリスって言ったよね?
しかも目が離せないとか可愛らしいとか、不適当な言葉も聞こえてきたんだぞ。
もしかして、もしかして。
「ひょっとしてイギリスは――君んとこに居るのかい?」
冷静になって考えてみれば、日本も俺と同じゲームをしてるのかな、と思うことも出来たのだろうけれど。直感だったのか、単に俺がイギリスの居所を気にしすぎていたせいか(前者だと思いたい)、殆ど反射的に問い詰めてしまう。
『ええ。長めのお休みを頂いたということで、私の家にいらっしゃってますよ。おや、ご存知ありませんでしたか』
けれど日本は、ついキツイ声音になってしまった俺にも構わず、のんびりとすら言える様子で返してきた。
日本のせいじゃないと分かってはいるけれど、面白くない気持ちが胸の中に沸々と沸き上がってくる。
ああ、ご存知なかったとも!
当たり前みたいにのんびり言ってくれたけど、休暇に入る前から数えれば十日近くも俺は知らなかったよ。
「イギリスの奴、いつから君んとこに居るんだい?」
いつも通りの声で言ったつもりだったけれど、どうにもムスっとした声になってしまう。これでは日本に変に思われるか、もしくは見透かしたような生温い笑みを浮かべられるかもしれない。
「休暇に入ってすぐですから、今日で六日目になりますね」
「へーえ……」
予想はしていたけど、そうかい。
つまりイギリスは、俺に断られてからすぐに日本に電話をして了承を取り付けたってことだろう。俺の家とイギリスの家以上に、日本の家は離れてる。そうそう気軽に行ける場所でもない。
しかし六日だって?
「俺がメールを送った日には、もうイギリスはそっちに居たってことじゃないか」
どうして教えてくれなかったんだよ。
繋げたかった言葉を、辛うじて飲み込む。
しかし日本には言いたかったことが伝わってしまったのか、恨みがましい声になってしまったと後悔する俺の耳に、くすくすと笑う声が聞こえてきた。
『すみません。まさかアメリカさんがイギリスさんをお探しとは思わなかったものですから。イギリスさんのお誘いを断ったと聞いていましたので』
くそう。今日は少し意地が悪いんだぞ、日本。今のは絶対にわざとだろう。俺がイギリスの誘いを適当に断ったことを責めてるに違いない。
空気なんて読まない俺だけど、読める時だってあるんだぞ。
読んでも面白くないことが多いから、読まないだけだ。今みたいにさ。分かったって、いいことなんかひとつもない。
「別に探してたわけじゃないんだぞ。『何かあったら連絡してください』って言ってた君が、イギリスなんかと遊んでて返答が遅れたなんて酷いじゃないか、って思っただけさ」
日本の意図を無視して言ってみるけれど、日本は変わらずにくすくすと笑い声を零している。
『それは申し訳ありませんでした。イギリスさんは今、アメリカさんの勧めをうけてテレビゲームに挑戦されてるんですよ。それで相談を受けまして。折角ですから、うちへお越しくださいと私がお誘いしたんです。なにぶん初めてでいらっしゃいますから、私もついお教えするのに熱が入ってしまって』
お恥ずかしい、とか日本は最後に付け足したけれど、実は、悪いとか思ってないだろう、君。
「イギリスがゲーム? 想像つかないな」
ああ、でもそういえば……イギリスから電話があった時に言った気がするなぁ。
『イギリスも幻覚とばかり遊んでないで、たまにはゲームでもしてみればいいんだぞ!』
まさかアレを真に受けて、ゲームをする為に日本に行ったってことかい?
ゲームがしてみたいなら、素直に俺に言えばいいじゃないか。なんだって日本まで行くんだよ。
……そりゃ、確かに俺もあの時は態度が悪かったかもしれないけど、俺だってゲームするって言ってたんだから――いやまぁ確かにあの《ツンデレ☆ハイスクール》とやらをイギリスに見せるわけにはいかないけどさ。
イギリスが、俺を頼らずに日本を頼ったことが面白くない。俺の対応が悪かったのは分かってるけど、面白くない。
しかも六日も一緒に居るらしいじゃないか。
初めてのイギリスに教えるのがつい熱入るとか日本も言うし、ああくそ、面白くないんだぞ!
俺はその間もずっと、ゲームのイギリスにはフラれ続けるわ、現実のイギリスは何処に居るか分からないわで苛々し通しだったっていうのに。
『イギリスさんは覚えも早くて、今では随分と慣れたご様子ですし、楽しんでおられるようですよ』
「イギリスがねぇ。何をやってるんだい?」
何をプレイしてるかなんて興味があったわけじゃない。ただ、胸の裡に溜まっていく苛々を表に出したくなくて、誤魔化すように口にしただけだった。
けれど。
『先日お渡ししたアメリカさん用に作ったゲーム。アレと同じデータを使って我が国向けに別のゲームを作ったと申しましたでしょう。そちらをイギリスさんにやっていただいてます』
日本がとんでもないことを口にしたので、苛々も吹っ飛んで俺の頭が真っ白になる。
「え……っ。ちょっと待ってくれよ、アレをイギリスに!?」
だってアレは、《ツンデレ☆ハイスクール》は、イギリスがヒロインの恋愛シミュレーションゲームじゃないか。それをイギリスが見たら……見ただけなら日本の趣味が疑われるだけだけど、それを俺の希望で作ったなんて言われたら……っ。
誤解だ。確かに俺が作ってくれと言ったゲームだけど、俺はあんなゲームを作ってくれと言ったわけじゃないぞ。あくまでも俺がヒーローで格好良いゲームを作ってくれと言ったのであって、決してイギリスと恋愛を楽しむようなゲームを作れと言ったわけじゃない。プレイしてないわけじゃないし楽しんでないわけでもないけれど、違うんだからな!
脳内で言い訳がぐるぐると回るが、イギリスに面と向かって言えるわけもなければ、電話の相手は日本だ。
「何考えてるんだい、日本!」
責めるというよりも、らしくなく狼狽えてしまった俺の声にも日本はいつものペースを崩さない。
『大丈夫ですよ。同じ素材を使っている部分があるだけで、あれとは全く違うゲームになっていますから』
「違うゲームって……一体どんなゲームなんだいっ」
違うと言われても安心なんて出来なかった。俺はそれを見たわけじゃないし、同じ素材を使ってるってことは、少なくとも身近な《国》が出てくるってことだろう。
焦って聞きだそうとするけれど、携帯電話の向こうからはタイミング悪く
『……い、にほーん、にほーん』
という、少し遠くから日本を呼ぶイギリスの声が聞こえてきた。
本当に日本に居るんだと、驚くようなガッカリしたような感覚が湧いたが、すぐに続いた日本の言葉に、それどころじゃなくなる。
『おや。呼ばれておりますので、これで失礼致しますね。アメリカさんのご健闘を、お祈りしております』
「えっ。ちょ、ちょっと待ってくれよ日本!」
慌てて引き留めようとするけれど、受話器の向こうから返ってきたのは、通話が切られたことを告げる無常な機械音だけだった。
携帯を手に握りしめた拳が、わなわなと震える。
「ああもうっ、イギリスがやってるのはどんなゲームなんだよっ。それに、ゲームの攻略法もヒントも答えてもらってないぞ!」
携帯に向けて叫んでも、通話が切られていては意味がない。
掛け直したとしても、今までの日本の対応を考えると、出てくれるとは思えなかった。
大体、なんだよ。イギリスもイギリスだ。
どうして俺じゃなくて日本を頼るんだ。なんで日本と一緒にゲームなんかしてるんだよ。しかも、『にほーん』なんて、気軽に助けを求めてさ。
俺なんか君に頼られたり助けを求められたりなんか、殆どしてもらったことないんだぞ。
あんな気の抜けた、リラックスしたような声で名前を呼ばれたことだってない。
小さい頃は甘ったるくデレデレとした様子で呼ばれたけれど、それとも違う。最近でこそ、ようやくそれなりに気安く話せるようにもなったけれど、イギリスはどこか俺に対して身構えているような様子を崩すことはなかったから。
イギリスが俺に対する気構えを解くのは、盛大に酔っぱらって過去の愚痴をつらつらうだうら並べ立てる時くらいだ。
ただでさえイギリスに甘い日本や、日本に甘いイギリスに苛立つこともあるのに、あんなイギリスの様子を知らされては、例え日本にイギリスを友人以上に思う気持ちがなくたって、放置してはいられない。
そうだよ、それに俺は、まだ日本に攻略法も教えてもらってないじゃないか。
うん、そうだ。日本は連絡もとれないんだから、俺に残された手段はこれだけだもんな。何もおかしいことはないぞ。
「よし!」
俺は携帯をジーンズのポケットにねじ込むと、早速財布とパスポートを探す為に、行動を開始したのだった。
あの後すぐに自分の家を出て、可能な限りの最短時間で日本の家に辿り着いた俺を待っていたのは、衝撃的な光景だった。
渋滞を避ける為に最寄りの駅からは全力疾走でここまで来た俺は、息を整えるのも待たずに――ついでにインターフォンも押さず、出来るだけ音をたてないよう気を付けて中へと入る。
俺の名誉の為に言うなら、無理矢理こっそり入ったわけじゃないぞ。インターフォンを押そうかどうしようか迷って、試しに玄関の引き戸に手を掛けてみたらすんなりと開いたから、これはつまり入っていいってことだろうと思っただけだ。
急に現れてイギリスと日本を驚かせるのもいいかと思ったし。
そうやって静かに日本の家に上がり込んで、イギリスと日本が居るのだろう居間に向かった俺の耳に聞こえてきたのは、聞き慣れているようで聞き慣れない声だった。
『君が……好きなんだ』
え……?
聞こえた声は、イギリスのものでも日本のものでもない。誰のものでもないように聞こえるのに、どうしてか馴染みがある声に聞こえて、慌てて障子の隙間から室内を覗いて音の出所を探す。
しかし居間にはテレビの方を向いているイギリスと、その少し斜め後ろでノートパソコンに向かっている日本の姿しか見あたらない。とすれば答えは直ぐに知れて、テレビから聞こえているものだと分かった。ゲームの音声なんだろう。
だけど、どうして馴染みがあるような気になるんだ?
そういえばイギリスがやっているゲームにも不安があったことを思い出した俺は、画面を見ようと更に障子を引いて隙間を広げてみる。
『好……き……?』
間を置いて聞こえてきたのは、イギリスの声。少しだけ違って聞こえるのは、これもテレビから聞こえてくるせいだろう。
それは分かったけれど、続いて聞こえてきたもうひとつの声に。
『ああ、好きだよ。言っておくけど、冗談でも、君をからかっているわけでもないぞ』
「……ッ」
そして言葉に、俺は息を飲むはめになった。
ちょっと待ってくれ。今の声は、今の台詞は……。
まさか、と思うけれど。声も、口調も、何故だか馴染み深いもののようで、酷く胸がざわつく。
だって、ゲームから聞こえてくるのは、片方はイギリスで。イギリス相手に好きだと繰り返すこの声は。
『そ、んなこと、言ったって……!』
戸惑うようなイギリスの声を遮るように吐かれる声は。
『信じてよ、イギリス』
真摯で、必死で、切実な声。
信じたくないけれど、答えなんて殆ど知れている。
聞き覚えなどない筈なのに声に馴染みがあるのも。告げる言葉と想いに馴染みがあるような気がするのも、当たり前だ。
『信じてくれるまで、何度でも言うよ。俺は、君が――』
隙間を広げた障子の向こう側。イギリスの頭越しに覗きこんだテレビ画面に映るのはイギリスと――そして、イギリスを抱きしめて『好きだ』と告げている――見慣れたフライトジャケットを羽織り、目にはテキサスを掛けている青年。
『アメリカ……?』
ゲームのイギリスが呆然と呼ぶのを聞くまでもなく。明らかに、どこからどう見ても、俺――アメリカ合衆国だった。
ちょっと待ってくれ。どういうことだい。なんでイギリスがやっているゲームに俺が出てるんだ。俺が出てるのはともかく、どうしてこんなことになってるんだ。
日本の家用に作った、もうひとつのゲーム。《ツンデレ☆ハイスクール》と同じデータを使っているのだから、俺達《国》を使ったゲームなのだろうとは思ったし、似たようなゲームなんだろうとも思ってはいた。
だけどこれは――ダメだろう。
一瞬と言ってもいい程に僅かしか見ていないけれど、《ツンデレ☆ハイスクール》と違ってゲームの中の俺もイギリスも学生服に身を包んではいない。どちらも見慣れた服装で、架空の世界だとは思えなかった。
画面に映っているのは滑らかに動くムービー。
ダメだろと思っても、やめてくれと思っても、留まることなく画面の中で俺とイギリスは動き続ける。
ゲームの中の俺が、追い詰められた辛そうで苦しそうな顔をしてイギリスを強く抱きしめる。まるで縋りつくみたいに顔をイギリスの肩に埋めて強く抱きしめて。そのくせ躊躇いを残した掌は背中に触れきれずに。
そして更に。俺が見ている中、ゲームの俺は抱きしめていた腕を少しだけ緩めると、顔を上げてイギリスを覗き込んだ。
そうすると画面には、《俺》とイギリスが至近距離で見つめ合っているところがアップで映し出されることになる。
それを見ているのは、俺と、日本と――イギリスで。
目に映る全てに。《俺》がイギリスに告げた言葉に、態度。そしてゲームの《イギリス》の様子と、それを固まったように見守る現実のイギリス。どれにどんな感情を動かされたのかも分からない、色々なものが混ざり合った衝撃を受けている俺を放って、《ゲームの俺》がゲームのイギリスに顔を寄せていく。
「――ッ」
受けた衝撃と、そこから沸き上がる衝動に突き動かされるようにして俺は無意識のうちに手を彷徨わせ、ぶつかった軽く硬い感触のそれを握りしめていた。
うまく思考が働いていたとは思えない。脳裏にあったのは、言い表しがたい重苦しくて叫び出したいような衝動と、
――ダメだ。
という。目に映るものを、その何かを拒否する言葉だけだった。
画面の中でイギリスは驚いたように目を瞠っていて。それにも構わず《俺》は顔を寄せ、僅かに開いた口がまた言葉を紡ごうとする。
ダメだ。ダメだよ。やめてくれ。例え《俺》だって、許せない。言葉だけなら、まだいい。いくらだって言い繕える。だけどダメだ。それはダメだ。例えゲームの中であれ俺の意志が介在しないところでなんて許せるわけない。それに、イギリスが。そうだよ、イギリスが、現実のイギリスが見てる。見てしまえば――分かってしまう。俺の意志を無視して、答えが出てしまう。そんなのは嫌だ。ダメなんだ。
『……好……』
唇同士が触れる寸前、声が言葉を紡ぎきる直前。
一秒にも満たないだろう瞬間に一気に押し寄せた、自分でも理解しきれていない思考と感情に押されるまま、俺は渾身の力を込めて手にした細長い物体を、テレビに向け投擲した。
プラスチックの質感を持った白くて四角い筒は真っ直ぐに飛んで、キスしようとしていた《俺》と《イギリス》を映すテレビ画面に突き刺さる。
ガシャァアアアアンッ!!
そして、派手な音をたてて画面がブラックアウトし、音も不自然にブツリと途切れた。
「は……?」
「……ひっ」
イギリスは驚きのあまりか真抜けた声をあげ、日本はテレビが壊れたことにだろうか、悲鳴にも似た声をあげて息を飲んだ様子。
もう隠れている意味はないので障子を全て開け放って堂々と姿を現してやると、日本はこちらを向いて青い顔をしていて、イギリスは音がしそうな程のぎこちなさで、ゆっくりとこちらを振り向くところだった。
なので俺は、イギリスがこちらを視界に捉えるまで待ってからにっこりと……わざとらしい程の笑みを貼り付けてやる。
「HAHAHAHAHA、随分と面白いゲームをしてるじゃあないか、イギリス! あと、日本?」
額に青筋を浮かべ、全力疾走の名残か焦りにも似た衝動の為か、息も乱れている俺の様子は余程迫力があったみたいで、こちらを見あげたイギリスの顔は、そりゃあ見物だったぞ。
引きつりまくって、顔色も見る間に真っ青になっていって。この世の終わりみたいな顔って、こういうことを言うんだろうな、と思えるものだった。
そんな顔するってことは、俺に見られたら拙いっていう自覚はあったわけだよね。一体イギリスは、どんなつもりでこんなゲームをやってたのかな!
俺もイギリスに見られたら拙いゲームをやっていたのだから人のことは言えないのだが、腹が立つものは腹が立つ。
大体、俺がやってたゲームにはオープニングとエンディング以外にムービーなんてなかったぞ。イベントの時だって細かく表情は変わってたけど、ムービーなんか挿入されなかったじゃないか。
イギリスがやっていたゲームの内容や、今のシーンについては勿論だけれど、その差についても日本に問い質さないと。
とはいえ、今はイギリスだ。
イギリスは俺の顔を見た態勢で固まっている。顔は真っ青で口はぽかんと間抜けに開いたままで、目も同じく見開かれた状態で瞬きもしてない。
その様は指差して笑ってあげてもいいくらいだったけれど、今の俺はちょっとばかり機嫌が悪いからね! 君を思いきり笑ってあげるのは、もう少し後だ。先に念を押しておかなきゃならないことがたくさんある。
さぁ、どうしてあげようか。
少しばかり不穏なことも考えながら、俺は一歩、居間へと足を踏み出した。
すると――
「……っ」
今までガチガチに固まって呆けていた筈のイギリスが、弾かれたように立ち上がって瞬時に踵を返すじゃないか。
「えっ……イギリス!?」
その素早さといったら、立ち上がったと思った瞬間にはもう駆けだしていて、俺が入ってきたのとは逆側の障子に辿りついていたくらい。
「待ちなよ!」
呼び止める声をあげると同時に俺も追おうと畳を蹴るけれど、その時にはもうイギリスは障子を開け放ち廊下に出ていて、縁側の窓を開けるところ。
その素早さに舌を巻きながら数歩で縁側へ辿り着いた俺が目を向けると、庭へ飛び出したイギリスは、いつの間にか履いたサンダルで地面を蹴り、塀を跳び越えていた。
「イギリス!」
制止の意味を込めて呼ぶ名に応える声はなく、イギリスが戻ってくることもない。
「いきなり逃げるなんて卑怯だぞ!」
何も言わずに逃げるなんて。
せめて言い訳くらいしていきなよ!
応えがないのを分かっていても言わずにいられなくて、塀の向こうへ文句を投げる。
逃がさない、絶対追いかけて捕まえてやる。
とはいえ、ここまで離されてしまったのなら塀を乗り越えて追うのも馬鹿馬鹿しい。玄関から出て、ちゃんと靴を履いて追いかけた方が効率もいいだろう。
そう考えて踵を返せば、壊れたテレビを前に落ち込んでいる日本の姿が目に入った。
「ああああ……」
大きな穴の開いてしまった薄型テレビを撫でさすりながら嘆いている日本の姿は可哀想だったけれど、元はと言えば日本が悪いんだから、俺は謝らないぞ。
やりすぎたと思う気持ちもちょっとだけあるけれども。壊れる直前に画面が映していたものと、それを見た瞬間に沸き上がった色々な感情が思い出されると、素直に謝る気にはなれなかった。
なんと声を掛けようか迷ったまま日本の前を通り過ぎようとした俺は――イギリスを追うのは勿論として、日本にも色々と聞かなければいけなかったことを思い出して、足を止めた。
俺に持ってきたゲーム《ツンデレ☆ハイスクール》のこと。それから、イギリスがやっていたこのゲームのこと。
ついでに、この数日間のイギリスの様子も。
イギリスを追いたいと逸る気持ちを抑えながら、テレビに対して人間みたいな名で呼びかけている日本の肩を叩く。
「ごめんよ日本。テレビを壊したのはやり過ぎだったね。悪かったよ」
そうして、するつもりのなかった謝罪と一緒に、にこやかにお願いをしたのだった。
「――ところで。色々と聞かせて貰いたいことがあるんだけど、答えてくれるよね。勿論、反対意見は認めないぞ!」
「ああもう、どこまで行ったんだよイギリスのやつ」
一度足を止めて呼吸を整えながら辺りを見回すけれど、見慣れた金色のぼさぼさ頭は見あたらない。
俺は仕事のこともあるから、イギリスよりも日本の家に遊びに来ることが多いし、気軽に訪ねすぎるせいか最近では買い出しを命じられたり、ご飯ご飯と騒ぎすぎて「散歩にでも行ってらして下さい」と追い出されるたりすることも多かったので、日本の家の近所の地理は頭に入っている。
だからイギリスを探して歩き回っても迷うということはなかったけれど、なかなか見つからないイギリスに焦りを覚えてもいた。
というのも、携帯や財布くらいは持ってるだろうと思っていたイギリスが何も持たずに逃げていたからだ。
財布も携帯もないなら、自分の国に帰ったり大使館に逃げたりはないと思うけれど、それだけに不安になる。何かあってもイギリスは助けを呼んだり出来る状態にないということだからだ。
まあ見た目がどれだけ貧弱で眉毛が変でも、あれでイギリスは喧嘩も強いし卑怯な技も姑息な手も大好きで得意な人だから、そうそう危険な目になんか遭わないだろうし遭っても自力でどうにかしちゃうだろうけれど。
それでも《国》というのは特殊な存在だから、個人が対処できない危険に襲われることもないわけじゃない。
そう考えると完全に安心しきることは出来なくて、ひたすら走り回っているというのに、イギリスは未だに見つかっていないのだ。
大体いくらしょっちゅう忘れ物してるからって、馴染みのない土地を手ぶらで闇雲に逃走するとか、本当に馬鹿じゃないのかい、あの人。
イギリスの携帯の情報なんてとっくに入手済みだから、携帯さえ持ってくれていれば例え電話に出なくたってGPSで位置くらい割り出せたっていうのに……持っていないどころか、日本の家に居る間、殆ど手元に置いてなかったというのだから呆れて物も言えない。
日本の話によると、イギリスはゲームに夢中になっていたのと時差のせいとで、就寝時間が不規則な上に短かったらしく、滞在中の殆どを居間で過ごしていたとか。ゲーム中に寝落ちすることもあったというのだから驚きだ。
しかも上司には日本の家に滞在することを告げてあり、何かあれば日本の家に連絡がいくことになっていたとかで、余計に油断してたんだろう。イギリスを追いかける前に念のため携帯に掛けてみたら、着信音は日本の家のイギリスが寝室に使っていた部屋から聞こえてきた。
道理で俺が携帯に掛けてみても掛かり直してこないわけだ。殆ど寝室に置きっ放しで、携帯のチェックなんてろくにいてなかったんだろう。
どれだけゲームに夢中だったんだろうね!
そりゃ俺だって《ツンデレ☆ハイスクール》を何周もプレイしていたけれど。携帯は常に手元に置いてあったし、睡眠時間は多少削っていたとはいえ寝る時はちゃんとベッドの上で寝ていたし、他の全てを忘れたりなんかしなかった。
テレビゲームを遊んだことのないイギリスがそこまで熱中するゲームは、一体どんなゲームだったのか。
自分の家を出る前から気になっていたことの答えは、日本から聞けたけど――予想通り、ロクなものじゃなかった。
「イギリスさんがプレイされていたのは、アメリカさんにお渡ししたゲームとは随分違いまして。恋愛色が殆どない、《アメリカさん育成ゲーム》なんです」
日本の言葉を思い出せば、また苛立ちが湧いてくる。
《アメリカ育成ゲーム》――
日本の説明によると、小さい俺を育てるシミュレーションゲームだということだ。
俺用に作った《ツンデレ☆ハイスクール》と同じように、身近な《国》を登場人物として使用している以外は、根本的に違うゲームなのだという。
天から授けられた子供《アメリカ》を、かつてのイギリスのように本国と新大陸を行き来しながら育てるシミュレーションゲーム。
育て方によって《アメリカ》のパラメータが変動し、行き着く未来や途中で起こるイベントが変わるという、複数回プレイが前提のゲームなんだそうだ。
あーあー、そりゃイギリスが夢中でプレイするわけだよね。なにしろ彼は、小さい頃の俺が大好きだものな!
そして、俺の登場に驚いて逃げるわけだ。
イギリスが小さい頃の俺が大好きなことを俺が知っているのと同じくらい、昔の話をしたり昔を想うイギリスを俺が嫌っていることをイギリスは知っているから。小さい俺を育てるゲームで遊んでたなんて俺に知られたら気まずくもなるだろうし、『失敗した』と思って逃げ出すのも納得がいく。
まぁ、それだけじゃないんだろうけれど。
小さい俺を育てていただけなら、少なくともあんなこの世の終わりみたいな顔はしなかっただろう。逃げ出すにしても、聞き飽きた言い訳だとかを喚きながら逃げたんじゃないだろうか。
俺の一言すら聞きたくないというように、あそこまで必死に逃げ出したのは。俺が見たくなくて否定したくて消したくて、結果として物理的に破壊して止めてみせた、あのシーンのせいなんだと思う。
何故なら、あのシーンだけを見たら、とてもじゃないけど《小さい俺を育成するゲーム》には見えないし。俺だって、てっきりあのゲームも《ツンデレ☆ハイスクール》と同じような恋愛シミュレーションゲームなんだろうと思ったくらいだしね。
「恋愛色が殆どないって、さっき俺が見た時には、俺そっくりのキャラがイギリスそっくりのキャラを抱きしめて告白してキスしようとしてたように見えたけど?」
問い返してみれば、困ったり躊躇ったりする様子も見せず、むしろ自慢気な様子で日本が答えてくる。
「あれは特別です。なにしろトゥルーエンドですからね! あのエンディング以外は、全て小さいアメリカさんを立派に育てる健全なゲームですよ」
そもそも小さい俺を育成するゲームというのが健全と言えるかどうかは疑わしいけれど。
他の人の場合はともかく、イギリスがプレイすることに限って言えば酷く不健全というか非建設的な気がしないでもない。
あの人の過去への拘りというか、小さい俺への拘りは、ちょっと並じゃないし。
その辺りをさておくとしても、だ。
なんでそんなゲームを――俺用だという《ツンデレ☆ハイスクール》も含めて――日本は作ったのか。
最大の問題はここだろう。
だって、おかしいじゃないか。俺が頼んだものとイメージがだいぶ違うこともだけれど、俺達にとって身近な《国》を登場人物にしたり。それだけならまだしも、イギリスがメインヒロインだったり、俺を育成するゲームだったり、そのくせトゥルーエンドがアレだったり。
当たり前といえるだろう俺の問いに日本が返してきたのは、問いつめるこちらの口調には合わない穏やかな微笑だった。
イギリスが俺を見る時に見せる懐古を滲ませるものとも違う、まるで小さな子を見守るかのような柔らかい視線。
実を言えば、俺がもっとも苦手としているものだ。
「私としては、アメリカさんのご要望は勿論のこと、アメリカさんに喜んでいただけるゲームを作ったつもりだったのですが……お気に召しませんでしたか?」
「当たり前だよ。ちっともヒーローらしくないし、それにいつもバッドエンドだし。散々だったんだぞ!」
俺が喜ぶゲーム?
あの《ツンデレ☆ハイスクール》が?
確かに思った以上に何度もプレイしてしまったし、楽しまなかったとは言わない。
現実では望むべくもない様々なイギリスを見ることが出来たのも、イギリスと学校生活を送ったり、イギリスとデートしたり、イギリスと季節ごとの行事を一緒に過ごしたり出来たのも、正直に言えば楽しかった。
だけどそれは。あのゲームを俺が楽しめてしまったのは、俺がイギリスを好きだったからだ。
もし俺がイギリスを好きじゃなかったら、きっとあのゲームは日本に電話で宣言した通り、遊んでみることもなくオープニングムービーを見ただけで突き返していたことだろう。例えば『いかにもメインヒロインです』といった扱いなのがフランスだったなら間違いなくそうしていたように。
常識的に考えるなら、俺が楽しめるなんて思うわけがないのだ。
最初から、俺がイギリスのことをそういう意味で好きだと知らない限りは。
なのに日本は、あのゲームを俺用として、俺が喜ぶように作ったという。
それは、つまり――?
「日本、君……」
日本は変わらずに穏やかな――至らないところのある近所の小さな子を見るような目で俺を見ている。
「アメリカさん。私はそろそろ、覚悟をお決めになっても良いのではないかと思うのですよ。アメリカさんに喜んでいただく為に作りましたが、ゲームはゲーム。私と違って、アメリカさんは二次元だけで満足されるような方ではないでしょう。現実のイギリスさんと、あんな風に過ごしてみたくはないのですか?」
なんてこった。
くらりと目眩がした。
確定じゃないか。日本は知っていたのだ。いつからかは知らないけど、俺がイギリスを好きだということを。
日本の態度から、薄々そうじゃないかとは思うことはあったけれど、出来ればこんな予想は外れていて欲しかった……。
イギリスに共感を示すことの多い日本が、俺とイギリスの喧嘩のことになると、俺を窘めながらも慰めるようなことを言ってきたり。イギリスに意地を張った物言いをした時に、生温い視線を向けてきたり。
記憶を手繰れば思い当たる不思議に思っていた幾つかのことが、日本が俺の気持ちを知っていたからこそのものだとすれば、確かに納得はいった。欠片も嬉しくないけど。
それだけでも驚いたし衝撃的だというのに、どうして日本は俺をけしかけるようなことを言うのだろう。
日本の発言は《ツンデレ☆ハイスクール》がそもそも俺をけしかける意図をもって作られたゲームだと言っているも同然だ。
確かに俺はイギリスが好きだし、好きだからこそ現状のままでいるのを良しとしたくはない。互いの関係を変えたいと――恋人やそれ以上のものになりたいと思ってもいる。
そしてそれは《ツンデレ☆ハイスクール》の中で具体的な形を見せられることにより、いっそう強くなったのは確かだ。ついでに、あんまり考えたくなかったことを考えさせられるハメになったりしたし。
だけど俺がイギリスに告白したとして、一体日本にどんなメリットがあると言うのだろう。
「君は、どうしてそんなことを言うんだい?」
「お友達の幸せや恋の成就を願うのは、当たり前のことですよ」
問いに答える日本の表情は大きくは変わらず、少しだけ目を細めて笑みを深くしただけだった。
嘘だとは思わない。日本は良い奴だし、俺の気持ちに気付いていたなら協力をしてくれるのも自然なことのように思える。これで日本がイギリスと大して親しくないというのなら、特に疑問に思うこともなく納得しただろう。
けれど。
「君にとっては、イギリスも友達だろう?」
どちらとより親しいか、とかは関係ない。日本はこれでしたたかな面も厳しい面も、そして冷静な面も持っている。
自分と直接関係のないことで両者の意見や要望が対立した場合、日本ならば普段の曖昧さを発揮して、特にどちらにつくこともなく、のらりくらりと介入や口出しそのものを避けるんじゃないだろうか。
あまり他人に興味を持たない俺だけれど、日本とはつきあいもそれなりに深いし長いから、なんとなく分かっていることは多いと思う。それからすると、俺の中にある日本の印象に、今回のような行動は酷くそぐわないのだ。
日本は、イギリスと親しい。
二人とも俺との方が遙かに親しいのは勿論だけれど、今回のように時に俺が面白くないと思う程度には、二人は仲が良かった。
仕事が絡まないことにおいて、俺とイギリスが何かをした時に日本が庇おうとするのは大抵がイギリスだし、窘められるのは俺だったのに。
その日本が、俺の好きな人がイギリスだと知った上で俺を応援するだけならともかく、けしかけるような真似をするのは、どうにも腑に落ちない。
問いかける声に不信が滲み出たせいか、日本は笑みを少しだけ困ったようなものに変える。
「ええ。勿論、イギリスさんも大切なお友達です。――ですから、お二人共に幸せになっていただきたいと、思っているんですよ」
俺とイギリスの二人に、幸せに。
だからだと言っているのだろうけれど、腑に落ちないことには変わりない。
俺は世界一格好良いヒーローだから、俺の恋人になる人は世界一の幸せ者だと思うし、イギリスが俺の告白に頷いてくれさえするなら、これ以上ないくらい幸せにしてあげる自信もある。
俺は自分に関してはこの上なく自信があるけれど、問題はイギリスがそんな俺の魅力が分からない可哀想な人だってことなんだ。
何しろイギリスときたら頑固だし偏屈だし俺のことを未だに弟のように扱う時があるし、それがなくても年下扱いは続くだろうし、そもそも女好きだしエロ大使だ。
俺が告白なんてしたところで、冗談だと思って笑い飛ばすか、頭の心配をするか、性質の悪い冗談だと怒るかだろう。頷いて了承を示して「俺も好きだ」と返してくれることなど、あるわけもない。
同じ断るにしたって、ゲームのイギリスのように心苦しそうな顔を見せてくれるかどうかさえ、怪しかった。
本気だと分かれば笑い飛ばしたりはしない……と思いたいけど、それがなくても焦って戸惑って……それから、困るだろう。
それでどうやって、二人共に幸せになれるっていうんだ。
「なれると思うのかい、君は」
「おや。アメリカさんらしくもない仰りようですね。自信がなくていらっしゃる?」
そう言われてしまうと、日本の言葉を否定出来なくなる。否定しようとすれば、それは俺の弱気だとか自信の無さとかを晒すことになってしまうから。
自信は俺の友達で、いつだって俺の身近にあるものだけれど。どうしてか、イギリス相手になると途端に不安定になってしまう。だけどそれは、出来れば誰にも知られたくないことでもあった。
「ふふ。では、ひとつ教えてさしあげます。イギリスさんがプレイしていた《アメリカさん育成ゲーム》――。あれは先程も申し上げました通り、ひとつのエンド以外は全て恋愛色を含まない健全なゲームなのですが――。アメリカさんが一瞬ご覧になった《トゥルーエンド》は、育てたアメリカさんと結ばれるというものなんですよ」
俺が見たシーン――イギリスを抱きしめて告白しようとして、挙げ句にキスしようとしていた、あのムービーのことか。そういえば、さっきも日本はトゥルーエンドだとか言っていた。
「育てた子供と結ばれるのがトゥルーエンドだって? 君のところのゲームは相変わらずギリギリだな!」
「恐れいります、すみません。しかし育てた子供と結ばれるのは、あの手のゲームにおいてはお約束であり浪漫ですから」
日本の家のゲームは俺が好きな派手な演出や格好良さやアクションだとかの描写は控えめなくせに、倫理的には随分とチャレンジャーなものが多くて驚かされるけれど、まさかイギリスにやらせていたゲームでもそんな危険を冒しているとは思わなかったぞ。
「残念ながら途中で止まってしまいましたが、アメリカさんが止めずとも、あのムービーはあそこで止まる予定だったんです」
「どういうことだい?」
「最後の選択が出る予定だったんです。育てて、しかし己のもとを離れてしまった子供であるアメリカさんから告白されて――それを、受け入れるのか、拒むのか」
「……なんだって?」
やっぱり、止めて良かった。
たかだかゲームに先を越されそうになったこともだけれど、あのシーンを見て沸き上がってきた感情を思い出して、知らず掌に力が入り拳を形作る。
もう少し遅かったら。ゲームの俺とイギリスがキスするシーンを見なくて済んだとしても、決定的な選択が現実のイギリスに突きつけられてしまうところだった。
自分が《ツンデレ☆ハイスクール》を遊んでいる時には俺とイギリスのキスシーンが出てきても気にならなかったのに、どうしてあのムービーは許せなかったのかは自分でも分からないけれど、嫌なものは嫌なのだから仕方がない。
それに、ゲームの中で答えを出されるなんて冗談じゃないぞ。確かにあの《ゲームの俺》は俺にそっくりだったけれど、俺じゃないのだ。
きっと思いもしなかったのだろう《アメリカ》からの告白についてイギリスが考えるのなら、出す答えがイエスかノーかに関係なく、俺の為じゃなきゃダメだ。ゲームの中の俺なんかじゃなく、現実の俺のことを考えて現実の俺の為に必死で考えなくちゃダメなんだ。
「答えが出る前にゲームは止まり、イギリスさんは逃げてしまいましたが……続きはゲームでなく、現実で見せていただけそうですね」
俺の心の中の動きを読んだかのように、日本がにこりと笑って小首を傾げてみせる。
ひょっとして日本は、あのゲームの続きをイギリスにやらせてゲームの中で答えを出されるのが嫌なら、とっとと現実で正面きってぶつかって来い――って言ってるんだろうか。
続きは現実で、って言ってるんだから、そうなんだろう……。
決めつけるような言葉は日本らしくなく、可愛らしくすら見える筈の笑みを浮かべた瞳はしかし、いつだかイギリスの写真を寄越せと迫ってきた時に限りなく近い迫力を浮かべていた。
そもそもの発端は、俺が日本にゲームを作ってくれと言ったこと。
けれど、イギリスとの関係に変化を望みながらも立ち止まったままだったことを俺に思い起こさせたのは、日本が作ってきた《ツンデレ☆ハイスクール》で。
今、俺を焦らせて現実で行動を起こさなければならないような状況を作ったのも、日本が作った俺育成ゲームとやら。
イギリスが日本の家に来ることになったのは偶然だろうけれど、ゲーム内容と《トゥルーエンド》の特殊性からいって、《ツンデレ☆ハイスクール》が俺用なのと同じく、あのゲームはイギリスにやらせる為に作ったとしか思えない。
なんだか日本にハメられているような気がしないでもないけれど、日本がそれで得をすることもないし。
とりあえず、俺の為だと思っておくことにしようか。
なんとなく脅迫されているような気分になるのも、気のせいだということにして。
「オーケイ。俺はヒーローだからね。応援してくれる人の期待には、応えてみせるさ」
「はい。楽しみにしております」
本当のことを言えば、イギリスに思いを告げるのは、やっぱり怖い。
俺のことを好きそうなのにグッドエンドを迎えられなかった《ツンデレ☆ハイスクール》を思い出すと、現実の困難さを更に痛感するし、そもそもイギリスの俺への態度は、俺が見る限りここ数十年単位で変化がない。となれば、告げたところで芳しい結果を想像することは俺のポジティブさをもってしても困難だった。
けれど。例え今は無理だったとしても、いつかは絶対にイギリスとの最高にハッピーな結末を手に入れると俺は決めている。
ならば、《いつか》への一歩が、今ではいけない理由はない。
今は望むエンディングに辿りつけなくても、ゲームと違ってリセットボタンを押せなくても。今のままでは何も変えられないのだと分かってしまったなら、動きださなくてはならなかった。
第一、このままではゲームの俺に負けることになってしまう。イギリスが俺の気持ちに気づいてないなら尚更、最初のインパクトというのは大事なのに、先を越されてしまった。
俺の想いに対してイギリスが少しでも感じるものがあるのなら、驚きも戸惑いも迷いも、《ゲームの俺》から与えるものであってはならない。そうしてイギリスの中に生まれた感情は――それが例え嫌悪であったとしたって――向けられるべきは俺であって、《ゲームの俺》であっていい筈がないのだ。
イギリスは、例えそれが恋でなくとも俺を一番に思っていなくちゃいけないんだから。
そうだよ。イギリスなんて、いくら俺が断ったからってすぐに諦めて他の人と遊んだりしちゃダメだし、暇なら何度だって俺を誘わないといけない。何日間も俺以外の人と二人きりで居るのもダメだし、ゲームに夢中になって俺のことを蔑ろにするなんてもってのほか。我が侭なのも勝手なのも分かってるけど、イギリスは俺の我が侭をきくべきだ。きかなきゃいけない。
だって、俺をそんな風に育てたのは――悔しいけれども、イギリスなんだ。
だからイギリスは俺を見ていなくちゃダメなんだよ。俺がどんな態度をとっても何を言っても、俺を気にしてなくちゃいけないし、見てなくちゃダメなんだ。
ねぇ、そうだろう? イギリス。
ゲームの中でもなくて、過去の中だけでもなく。いつも、いつでも、どんな時だって。間違えずに、どんな俺だって見てなくちゃダメなんだ。
イギリスは、俺がイギリスを想うようには、想ってくれていないだろう。《ツンデレ☆ハイスクール》で目指していたようなグッドエンドなんて、リセットも出来ない現実では期待できない。
だけど、代わりに現実には、ゲームオーバーも存在しないのだ。
なら、今は辿り着けなくても。変えていく勇気を持てたのなら。俺ならきっと、いつか辿り着くことが出来る。
ゲームで用意されたようなグッドエンドでも、勿論バッドエンドでもなくて。もっと素晴らしく最高にハッピーな、俺とイギリスのベストエンドってやつに。
それはもう確定的な未来だ。
何故って?
決まってる。
それは俺が、ヒーローだからさ!
「さ、アメリカさん。あれから時間が開いてしまいましたし、お急ぎください。イギリスさんは携帯もお財布もお持ちでなかったようですし、この辺りはまだ不案内な筈ですから、迷っていらっしゃるかもしれません。迎えに行って差し上げてください」
よし。と気合いを入れて外に出ようとした俺に日本が告げてきたのはそんな言葉で。
「なんだって? そんなんで逃げたのかい、イギリスは!」
あまりの迂闊さに呆れ果てる。
「ええ。お一人で戻ってくるのは難しいと思いますので、よろしくお願いします。私はこの居間を片づけたら夕飯の買い物に出かけてきますから。それまでにお戻り下さいね」
そう言って、日本は俺に合い鍵を渡してきた。
あっさりと渡されたので、つい受け取ってしまったけれど、いいのかな。日本が平和な証拠なのだろうけれど。
「いいのかい?」
「はい。あとは若いお二人でどうぞ、ごゆっくり」
確認の為の問いに返って来たのは、どうしてかあの、逆らい辛い迫力を湛える笑みで。
さぁさぁと急かす日本に半ば背中を押されるようにして、俺はイギリスを探しに出かけたのだった。
それから俺がイギリスを見つけたのは、一時間と少し経ってからのこと。
探して探して走り回って。時々悪態をつきながらも、あんまり見つからないから不安になって。こうなったら衛星使って探せるべきかと考え始めた頃――曲がり角を曲がった先に、ようやくイギリスを見つけたんだ。
「……ッギ、リス……!」
突然視界に入り込んできた求めていた姿に、考えるよりも前に体が動く。驚きで思考は一瞬止まっていた筈なのに、勝手に手は伸びてイギリスの肩を掴んでいた。逃がさないように。本当にイギリスなのだと、確かめるみたいに。
「……アメリカ……」
そうして改めて顔を見れば、俺以上に驚いた様子のイギリスが、呆然とこちらを見上げているのが目に映る。少しだけ眉根が寄せられたのは、咄嗟に掴んだ肩が痛いからだろうか。
それに手と表情を緩めかけて――次いでイギリスの顔に浮かんだ表情を見てしまい、止めた。
何を思っているのかなんて、分かったわけじゃない。ただ――イギリスが浮かべた表情は、引きつって躊躇っていて。少なくとも、俺が来たことを歓迎する様子は欠片もなかった。それどころか、罪悪感さえ滲むそれは、俺を厭っているのと同じじゃないか。
何度かゆっくりと息をして呼吸を整えるけれど、気持ちは落ち着くどころか荒れていく一方だ。整える最後に長く吐いた息は、まるで咎めるようなものになる。
「……君、いい加減にしなよね」
そして。ようやくまともに告げた言葉は、吐いた息以上に冷たく突き放すように響いた。
「何も持たずに急に飛び出したりしてさ。追いかけるオ……じゃない探したり心配したりする日本の迷惑も考えなよ」
そもそも俺から逃げたのだから、迎えに来たって歓迎される筈がないのも当たり前なのだろう。けれど、必要ないと分かっていても心配しないでいることは難しかったし、この一時間近くというもの、必死になって探し回ったことを考えれば、イギリスの反応が面白い筈もない。
「言っておくけど俺は心配なんかしてないんだぞ。日本がどうしてもって言うから仕方なくこうしているだけであって!」
面白くないついでに、つい余計なことまで口走ってしまった。
心配して探してようやく見つけた相手に「逃げたい」とか「しまった、見つかった」みたいな顔されて、素直に「心配してました」なんて言えるものか。
感動しろとか、喜べとかは言わないけどさ。迷子だったなら、せめてホッとした顔くらい見せてくれたっていいじゃないか。
イギリスが浮かべる表情のどこかに、少しでもいいからそうした安堵だとか、俺が来て良かったというような気持ちが見えれば良かったのに。徐々に俯いていった顔には自嘲めいた苦笑が浮かぶだけで。
「……悪ぃ……」
いつものような軽口も俺に対する文句も説教もなく、ただ短く告げられただけのそれに、詰る気勢すら削がれた。
なんだい、それ。どうしてそこで素直に謝るんだよ。心配してないって俺は言ったんだぞ。いつもなら「心配くらいしろよばかぁ!」くらい言うじゃないか。
イギリスの態度に違和感と少しの焦燥を覚えながら、短く溜息を吐いて、今度は手首を捕まえて引っ張る。
「もういいよ。それより、早く戻るんだぞ」
「……ああ」
これにも大人しくついてくるイギリスは、やっぱりおかしい。
掴まれた腕を離そうともしないで黙々と歩くイギリスには、いつもの覇気も元気も、無駄に偉そうな態度もなかった。
俺育成ゲームなんてやっているところを俺に見られたわけだから、酔っぱらって大騒ぎした翌朝みたいな気分になっているのかもしれないけれど……それにしては、泣いて取り乱した様子もない。
空回った言い訳すら口にしないイギリスの無気力で投げやりな様子は、なんだか俺を突き放しているようにも思えて、もやもやとした苛立ちと不安を俺に与えてきた。
「ったく。何でこんなに横暴になっちまったんだか」
誰にも負けない世界一強くて格好良いヒーローの俺にも弱い部分があるんだということを。そんな柔らかくて弱くてどうしようもない部分を、しかもイギリスが握っているんだと思い知らされるのは、こういう時だ。
何気なく吐かれた一言に、一瞬で体温が下がって。その後、頭に血が上っていくのが分かる。
日本の家へ戻る道中とは違って無言ということもなく、少しばかりいつもの調子を取り戻しかけていたイギリスが口にした言葉がそれだというのが、余計に堪えた。
何気ないからこそ、イギリスにとっての《いつも》が。常に思っていることが出てきたということなのだろうから。
「それ、《いつ》と比べてるんだい」
咎める声は、必要以上に冷たく堅く響く。
口にしてしまえばそれは酷く子供じみた想いと言葉に聞こえるから、出来れば言いたくないと思っているのに、止めることのできない言葉。
仕方ないじゃないか。俺にとってこれは、唯一と言っていい弱さなんだ。
俺に向けられるイギリスの愛情を疑ったことはない。小さい頃も、今も。独立を勝ち取る為に争っていたその時にすら。
本人の自覚なしに横柄な態度や横暴を行ったとしても、それと彼が俺へ向ける愛情は別物なのだと、俺は本能で理解していた。
だからこそ、その矛盾に気付きもしないイギリスに腹を立てて反発したこともあるし、心底忌々しいと思ったことも数知れない。
それくらいにイギリスの愛情というものは駄々漏れで、それから俺にとっては当たり前に存在するもので、存在しない状態というのが想像出来ないものでもある。
そして実際、時が経ちイギリスと俺の関係が少しずつ変化するに従って、向けられる愛情の性質だとか表れ方も微妙に変化していったけれど、消えるということはなかった。
なかった、のに。
いつからか、イギリスは過去を引き合いに出すようになった。
それはある意味で俺へのわだかまりや構えがなくなった結果でもあるのだろうけれど、その度に微妙な気分になってしまう。
俺の行動を注意してもいい。もっとちゃんとしろと叱るのもいい。それは君が俺を見てくれている証拠だし、俺を思って向けられている言葉だって分かるから。聞いてあげるかどうかは別だけれども。
だけど。俺に向ける愛情が本当は俺に向けるものじゃなく、俺と切り離された《過去》に向けるものだというのなら、それは許せることではなかった。
イギリスの愛情なんて、欲しい思ったことはない。
何故ならそれは、欲しがるものでも求めるものでもなく。与えられているという意識すらないほど、ただそこに在るものだったから。
有り難いと思ったりも全然しないくらい当たり前のそれは、いつだってちゃんと、俺に向いてないといけないんだ。
なのにイギリスは、俺がどう思うかなんて考えもしないで容易く口にする。過去を思う言葉を、過去を愛しむ言葉を、過去を望む言葉を。
それらは、当たり前にそこにあった筈のものが幻だったのではないかと、俺を根底から揺さぶって分からなくさせるというのに。
認めたくないし信じたくないけれど、俺にとってそれは可能性を考えるだけで不安になるもので。心臓が凍るような心地がすることを、イギリスはきっと知らないだろう。
「別に、比べてなんかねーよ」
だからそんな簡単に、よく考えもせずに否定が言えるんだ。
「どうだか。君、小さい頃の俺が大好きだもんな。さっきまでやってたんだろう、小さい俺を育てるゲームとやらを。今度は思う通りに育てられたかい?」
否定に否定を返した声は、吐き捨てるようなものになる。
いつもみたいにバカにしたように笑って言ってやりたかったけれど、どうしてか上手くいかなくて掴んだままだってイギリスの手を振り払うように離して視線を逸らした。
こんなネガティブなのはヒーローらしくないと思うけれど、イギリスが俺育成ゲームなんかやってるのが悪い。
気にしたくないのに、認めたくないのに、ゲームであれ過去であれ、俺でないものをイギリスが求めている可能性を考えだけで嫌だ。
「アメリカ……」
イギリスが今どんな顔をしているのかも知りたくなくて壁を睨みつけていると、躊躇いを残した声が俺の名を呼ぶ。
なんだよ。何を言うつもりだい。
聞きたくない。と反射的に思うものの、耳を塞ぐような真似もみっともなくて出来ず、他に意識を向けたくとも俺とイギリスしかいない部屋の中ではそれも難しく、ただ壁を睨みつけていることしか出来ない。
そんな俺の耳に、どこか必死な……真摯とも言えイギリスの声音が聞こえてきた。
「思う通りとか、そうじゃないとか、関係ねーよ。どんなお前でも変わらない」
「……」
ああ、だから嫌なんだ。
イギリスなんて大嫌いだ。
そうやって君は、容易く俺を混乱させる。分からなくさせる。期待させる。君の一言に、君の態度に、どれだけ俺が揺り動かされるのか知りもしないで。
どうせ君は結局のところ、今の俺を否定して都合の良い過去かゲームを選ぶんだろうと突き放そうとする時に限って、俺を期待させるようなことを言うんだから。
「小さい頃のお前も、いま俺の目の前に居る可愛くねーお前も。どっちも俺にとっては――」
そして。騙されるな信じるな、と自分に必死に言い聞かせているところに聞こえてきた言葉が、俺に目を瞠らせる。
だって――比べる意味でなく過去の俺と今の俺とをイギリスが一緒に語ることが――多分、初めてだったのだ。
本当に?
本当にこの、らしくない後ろ向きな不安なんて、ただの杞憂なのだと思っていいの。過去を過去と。俺とは別のものみたいに思っているわけじゃないのだと、信じてもいいの。
視線を逸らしたまま、固唾を呑んで俺はイギリスの言葉を待った。こんな風にイギリスの言葉を待つのが怖いのは、独立した後に初めて声をかけた時以来じゃないかと思う。
そうして少しの不安と期待に取り巻かれ、じっと先を待っていた俺に告げられたのは、しかし――
「大切な、俺だけの天使だ」
なんていうかもう色々と台無しにする言葉だった。
ビキリと音を立てる勢いで、体と思考が固まる。
「……おい、アメリカ?」
不安と言うよりは不満げに俺の名を呼ぶ声が続いて聞こえるけれど、くたばれイギリスとしか思えない。
出来れば何を言われたかも理解したくないし、空耳だと信じたいというのに、わざわざそこで俺を呼ぶとかやめてくれよ。我に返っちゃうだろ。
大体、君は俺にどんな反応を期待していたんだと問い詰めたい。俺だけの天使とか、堂々と自慢げに誇らしげに言うとか有り得ないだろう。俺が喜ぶとでも本気で思ったのかな、この人。思ってそうだな。ああもう最悪だ。
喜んだりなんか、するわけないだろう。
過去と俺を切り離していないというのなら、らしくない不安が杞憂だったというのなら、それは良かったと思うけれど。
よりによって、天使とか!
君は俺を、一体なんだと思ってるんだい!
正直なところ、さっき以上にイギリスの顔なんて見たくなかったけれど、聞こえなかったのかと要らない気を遣われて同じ言葉を繰り返されたら堪ったもんじゃないし、沸き上がった怒りをこのまま抑えておくことも難しかったので、ゆっくりとぎこちなく振り返り、率直に言った。
「……君はバカか」
「は?」
低く言った声に返るのは、こちらの反応なんて全く予想外で分かっていないんだろう間抜けた顔と声で。
それにまた呆れと苛立ちを掻き立てられた俺は、イギリスの肩を強く押して畳の上へと倒し、上から体重と力を加えてイギリスの両手を押さえつける。
それは、何のつもりなの。
君は俺を、何だと思ってるの。
君は俺を、どう思ってるの。
いつもそうだ。イギリスは俺を期待させた後で突き落とす。
期待するのは俺の勝手で、怒るのも落ち込むのも俺の勝手だと言われるかもしれない。だけど俺はイギリスを――もの凄く腹が立つし癪だけれど好きなんだから、仕方ないじゃないか。
嫌われているのなら、興味すら持たれていないなら、諦めもつくのに。イギリスが俺を嫌うとか俺に無関心だとか、そんなこと許せる筈もないけれど。
大切だと訴えられて、言葉からも態度からも当たり前のように愛情を向けられていると知って、期待しない方がおかしい。
「真面目な顔して何言い出すのかと思えば《天使》とか、ホント君は気持ち悪いな! 俺は確かに世界一格好良いヒーローだけど、もう立派な大人なんだぞっ。君はいい加減に目を覚まして現実を見るべきだ!」
「な……っ」
腹の底で渦を巻く苛立ちは、同時に俺を泣きたい気にもさせる。
――苦しい。
イギリスも分からないけれど、自分が何に腹を立てているのかも分からない。
俺を見てくれないのが嫌だ。切り離した過去じゃなくて、かつての俺でもなく、いつかの俺でもなく、君の目の前に居る俺を見て無条件で俺の全部を分かってくれないと嫌だ。
求めなくても空気がそこらにあるように、俺が欲しいと言わなくても要らないと言っても、俺に愛情を向けていないとダメだ。
それは、絶対になくなってはならない最低限の条件で。
今の俺が求めているものとは違うとしても、小さい頃から与えてきたそれをイギリスが捨てるなんてことも、なくなるなんてことも、俺は許せない。
だけど――求めているものも、くれなくちゃ嫌なんだ。
過去を想うイギリスへの苛立ち。過去だけを想うことを否定したイギリスに安堵しながらも、それしか持っていないイギリスに対する苛立ち。
なくちゃダメなもの。
それだけでも、ダメなもの。
欲張りでも我が侭でも、止めようがない。
押さえつけているイギリスを見下ろす。
ねぇ、天使とか馬鹿なこと言ってないでさ。ちゃんと俺を見てよ。そんなもので括らないで。そんなもので遠ざけないでくれ。大切な君だけの俺だと言うのなら尚更、そんな言葉で狭めないで。
こちらを見上げる表情は、心外だと示すものから徐々に歪んでいって、悔しげな、泣きそうなものになっていく。
絶対に顔になんか出してやらないけど泣きたいのは俺の方だと思うのに、睨みつける先でイギリスの表情が一際くしゃりと歪んで目に涙を溜めていくのを見れば、胸が痛んだ。
泣く、と思った次の瞬間には、見開かれたままの緑の瞳の淵から、予想通りにぼろぼろと涙が零れ出す。
「うるせぇ、目なんかとっくに覚めてるっての、ばかぁ! どうせ俺は気持ち悪いよっ」
堪えていたものが決壊したみたいに一気に溢れ出すのは、涙と自棄になったような言葉。
「ああ、そうだよ。もう一回、お前に好かれてた頃を過ごせて楽しかったよ。ただのゲームだって分かってても、お前に好きとか言われて喜んだよ、羨ましかったよ」
次から次へと零れる涙をそのままに、真っ直ぐに俺を睨みつけてくる瞳には、縋られているような錯覚すら覚えた。
そして。
「しょうがねーだろ。お前が俺を嫌いでも、俺はお前が好きなんだよ!」
「……!」
吐かれた言葉に、思った以上の衝撃を受ける。
イギリスが、俺を、好きだって言った。
当たり前だ。イギリスが俺を嫌うとか有り得ないし、俺はどれだけこの人が俺のことを好きか知ってる。
知ってるけど。
けっこう、衝撃的だった。
だってこれは、間違いなくイギリスの本心だ。過去とか関係なく、緑の目は涙を零しながらも俺だけを睨み付けてる。
含む意味がどんなものであれ、イギリスが泣くほど俺のことが好きだということが否応なく伝わってきて、堪らなくなった。
「昔が大事で悪いかよ。お前に好かれてたのなんか、あの時ぐらいなんだから仕方ねーだろ。お前が好きだから、嫌われてんの辛ぇんだよ」
泣きながら溢れ出る言葉はどれも辛そうで、俺を好きだと伝えてくるそれに嬉しくもなるけれど、同じくらい苦しさも感じる。
悪くないよ。昔が大事だっていいよ。大事にしないと許さないよ。だって俺と君が出会って一緒に過ごした記憶だろう。大切に決まってるじゃないか。
それに待ってくれ。どうして俺が君のこと嫌いだってことになるんだ。嫌ってなんかいない。好かれてたのが昔だけとか言い出す理由が分からない。だって俺は、どんな時だって結局のところイギリスが好きだった。自分でも呆れるくらいずっと、イギリスが好きだという気持ちは消えなかったのに。
「そんなに昔の話されたくなきゃ、俺のこと好きになりやがれアメリカのばかぁ!」
詰るような口調に反して、告げられる言葉はどうしてか甘く聞こえる。
「イギリス……」
苦しいのと嬉しいのに挟まれて、それから少しの呆れもあって、上手く言葉出てこない。
どうやって言ってやったらいいのかな、この馬鹿な人に。欠片も分かってない人に。
言葉を探しながら名を口にすれば、悔いるような顔をしてイギリスは睨みつけていた目を逸らした。
「うっせぇ何も言うな黙ってろ見んなくそ死ねアホ離せ」
それから涙でぐしゃぐしゃの顔のまま鼻を啜って、泣いたせいか掠れた声で全部を拒否するように一息で告げてから目をぎゅっと閉じる。
「イギリス……」
なんだか叱られるのを怖がる子供みたいな様子に、呆れるのと同時に愛しくなって押さえつけていた手を離した。
「ほんとに、君はバカだな」
代わりに丸まろうとするイギリスの動きを遮って、両脇に腕を差し込み掬い上げるようにして抱き上げる。
そのままぺたんと腰を下ろし、細い体の背に腕を回して引き寄せれば、ちょうど座った俺の膝の上にイギリスを抱き抱える格好になった。
突然の態勢の変化にか、腕の中でイギリスが固まったのが分かったけれど、それは無視して宥めるように背中を撫でる。
本当に、この人は馬鹿だ。
俺はイギリスが好きなのに、なんで嫌われてるのが辛いなんて言って泣くんだろう。好きになれなんて言って泣くんだろう。
こんなイギリスを見るのは、初めてかもしれない。
小さい頃の俺にとってイギリスはなんでも出来るヒーローだったし、独立して離れてからは割とどうしようもない人だと知ったけれど、その頃にはイギリスは世界の覇者と呼べる位置に居た。
力が衰えてからも、俺の前でだけはしつこく格好つけたがって立派な大人ぶりたがって、弱いところや情けないところなんて、なかなか見せてくれなかった。
そのイギリスが。過去を懐かしんで今を否定して愚痴るわけでもなく、こんな風に俺の前で泣いている。
ねぇ、イギリス。今度こそ期待してもいいのかな。
君が俺に向ける好意に、俺が望むものが含まれているのだと。
子供の頃の俺がイギリスに抱いていたような《好き》を求めるのなら、こんな風には泣かないだろう? 何度か繰り返されたように、酔っぱらって愚痴を零して「あの頃の方が良かった」と嘆けばいい。
それに子供の頃の俺はイギリスが好きなことを素直に伝えていたし、イギリスだってそこを疑ってはいない。好かれていると分かっている相手に「好きになれ」とは言わないだろう。
嫌われていると思いこんでいるのは不思議だけれども、イギリスが嫌われるのが辛いと泣くのも、好きになれと求めているのも、間違いなく《俺》で。それから、小さい頃とは別のものだと思ってもいいんだよね――?
「君が俺のこと好きなんて今更だけどさ。……君のこと好きになれなんて。じゃあ君は、どんな《好き》が欲しいんだい」
それでも、いつも肩すかしばかりだったから確信までは至らなくてイギリスに問えば
「……知るか、そんなの」
未だ体を硬くしたままのイギリスがぼそりと返してきた。
知るかって……それはないだろう。
好きなれって言ったのは君じゃないか。何故だか俺に嫌われていると思っているみたいだから、なるべく優しく聞いてあげたっていうのに。
「ちゃんと考えなよ。君の答えによっては、好きになってあげてもいいんだぞ!」
本当は言われる前からずっと好きだけれど、イギリスの答えを聞いていないのに俺だけ素直に全てを告げるのは憚られて、ついそんな言い方になった。
それから、追い詰めるようにして問いを重ねる。
「俺が見たのは小さい俺を育てるゲームには見えなかったけど、君が羨ましかったのって、どっちさ」
君が好きなことを隠さない、小さい俺と過ごせたこと?
それとも、「好きだ」とゲームの俺に告げられたこと?
小さい俺も「好きだよ」くらい言っただろうけれど、イギリスが「好きになれ」と言ったのは、現実の今の俺で。そしてあのムービーでイギリスに向けられた「好き」は、家族としてのものでも友情でもなく、明らかに恋情を含んだものだった。
それが嬉しかったと言うのなら。羨ましかったと言うのなら。
君が俺に向ける好意は、それと同じものなんだろう?
「言いなよ、イギリス」
君が言ってくれるなら。それが俺の望むものだったなら。でなくとも、その可能性の残るものであったなら、今度こそ俺も素直に君が好きだと、ずっと好きだったのだと言えるから。
言ってよ、イギリス。
子供の頃と隔てるわけでなく今の俺への愛情も確かにあって、その上で俺に嫌われたくないと、好きになれと泣くなら。
どうしてなのか。どんな《好き》が欲しいのかを言ってよ。
そうしたら、例えそれが俺の望むものでなかったとしても、俺は君にその《好き》をあげるよ。あげられるように努力する。俺の望む《好き》もついでに押しつけて、君から返してもらうことが条件だけどね。
命じる言葉に込めたのは、請うに近い願い。
けれど。
「……無理だ」
硬い声が、短く拒否を紡いだ。
「何が無理なんだい。どっちか答えるだけだろう」
無理だという理由が分からず、唇を尖らせて答えを迫れば、もう一度短く――その分、明確な拒否が繰り返される。
「無理だ」
口調は強くはなく、切り捨てる程の鋭さもない。まるで長年の努力の果てに諦めに辿り着いたかのような、否定の声。
――なんだい、それ。
「君が素直に言えば、好きになってあげてもいいって言ってるじゃないか」
それの何が、どこが、無理だって言うんだ。
言えないというのなら、それは何故。
「無理だよ」
否定以外を引き出したくて自分でも理不尽だと感じる物言いをしてみても、イギリスは考える間も取らずに否定を返し、俺の発言を咎める言葉すら口にしない。
しかも何が無理なのか、どうして疲れきって諦めたように「無理だ」と言うのか、諦めるというのなら何を諦めるのか、問い詰めようとした俺の行動は、イギリスの言葉で遮られる。
「無理するな」
そんな、似ているけれど意味合いの随分と違う台詞によって。
無理するな?
無理って、何が。
イギリスが否定と拒否を込めて不可能だと言う理由も分からなければ、どうしてその二文字が俺にかかってくるのかも分からない。
俺は無理なんてしていないし、イギリスに求めていることは無理でも無茶なことでもないと思っている。
わけが分からずイギリスを訝しげに見れば、彼は困ったように眉を歪めて、口元には自嘲めいた笑みを浮かべて、更にわけのわからない言葉を吐いたのだった。
「俺はどうしたって、お前が好きだから。大丈夫、何があっても嫌いになったりしない。だから別に、お前は俺を嫌いでもいいんだ」
なんだって――?
何を言ってるんだ、この人は。意味が分からない。
俺が好きだから、嫌いになったりしない?
そんなこと知ってる。それがどうした。
だから、俺はイギリスを嫌いでもいい?
なんだそれは。
俺は君を嫌いだなんて言ったことは――ごめん、覚えてないけどあったかもしれない。言ったことがないとは確かに言い切れない。君に腹が立つことも君を嫌いだと思ったことも正直に言えば何度かあったから。
だけどそれはあくまで俺が君を好きだから、思うようになってくれない君に対して腹を立てていただけであって、本当に君が嫌いだったわけじゃない。
なのにどうして、そんなことを言うんだ。
「君、ほんとに面倒くさいな!」
俺が好きだと言うなら、俺が君を嫌いだと思っているなら。それこそ、どうしてそんな台詞が出てくるんだよ。
さっき君は言ったじゃないか。俺に嫌われてるのが辛いって。「好きになれ」って言ったじゃないか。なのに今度は「嫌いでもいい」って、わけがわからない。
大体だよ、俺が本当に君を嫌いだったら、「好きになってあげてもいい」なんて言うわけないだろうっ。嫌いな人間に、どんな風に好きかなんて聞くわけがない。よく考えてみなよ。
「どうせ俺は面倒くせーよ。だから、いいんだって。好きになるったって、答え聞いたら嫌われるんだから、どっちだって一緒だしな。昔の話は……まぁ、今後はしないように努力する。お前の気持ちは嬉しかったし、有り難かったからさ。安心して嫌え。な!」
挙げ句の果てにはそれかい!
「そうじゃないだろっ。ああもう、君はちょっと空気読みなよ!」
「……それはお前だろ……」
空気を読めないと言われたことが余程心外なのか、呆れた顔で言い返されるけれど、今回ばかりは絶対にイギリスの方が空気を読めていない。
安心して嫌えって、なんだいそれ。本当に意味が分からない。
答えを聞いたら嫌う?
あるわけないだろう。どんな答えが来たって、失望することはあったって嫌うわけないじゃないか。そんなことで嫌えるくらいなら、とっくに俺は君のことを諦められている。
こんな風に必死になって君がどういう風に俺を好きか聞きだそうとしたりするわけないし、色々無茶をして最短時間で日本まで飛んで来たりもしなければ、一時間も走り回って探したりしない。
昔の話だって、君が全くしなくなって小さい俺との記憶を忘れてしまったなら、俺はきっと悲しいし君に対して怒るだろう。
「日本が言ってた《フラグクラッシャー》って意味がようやく分かったぞ。君の答えを待ってたら、それこそ百年待っても事態が動かないってこともね!」
真っ当に告白したって頷きを返してくれないゲームを思い出す。
本物のイギリスがこのズレ具合なのだから、ゲームのイギリスだって簡単に頷かないわけだよ。
何もしなければ、待っていたって何も変わらない。そう思ったから俺は結果としてここに居るわけだけれど、図らずも正しかったと痛感出来てしまった。
まさかここまで酷いとは思わなかったけどね!
「俺のこと大好きなくせに、嫌われてるの辛いって泣くくせに、好きになれって言うくせに、安心して嫌えとか意味が分からないんだぞ。小さい俺を育てるとかいうゲームを嬉々としてやっていたって言うし、かと思えばゲームなんかでキスしそうになってるってのに君はぼんやり見ているし。俺なんて成功したの何周目だと思ってるんだい冗談じゃないよ。毎回、伝説の樹の下に来るくせに絶対に断ってくるし、空気読めてないのは明らかに君だろう!」
ゲームをしている時からの不満と、イギリスと話が通じてないことの不満、イギリスが俺のことを分かってくれない不満が混ざり合って、一息に捲し立てる。
「……あ、アメリカ……?」
「イギリス」
戸惑ったようにイギリスが肩を叩いてきたけれど、それは無視してイギリスの顔を覗き込み、睨みつけると言うのも温い逸らすことを許さない強さで、真っ直ぐに視線を合わせた。
「俺はもう何度となくリセット繰り返すのも飽きたし、日本に君の攻略方法聞くのもやっぱり面白くないし、君は君で放っておいたら勝手に俺を育てるゲームとかやり始めて、挙げ句に人のこと天使とかバカなこと言い始めるし、ホントこんな面倒なこと二度と御免だから、仕方なく言うけど」
ゲームと違い、現実はリセットが効かない。
一度の失敗くらいで諦める気はないけれど、どうもイギリスのこの様子からするとミスをした場合のロス――というかズレ――が大きそうなので、慎重に言葉を選びながら告げる。
「君が素直に俺に『好きだ』って言って、それから俺の生涯の伴侶でパートナーになるって誓うなら、君とのベストエンドを迎える準備が俺にはあるんだぞ。だから君は、俺が言ったことを今すぐ実行すべきだ。勿論、反対意見は認めないからね!」
まったく、何てこと言わせるんだ。くたばれイギリス。さっき君が素直に俺をどんな風に好きか言っていれば、こんなことまで言わなくて済んだっていうのに。恥ずかしくて死にそうなんだぞ!
「……は?」
しかし。物凄く恥ずかしいのを我慢して、かなりの決意でもって告げた言葉に返ってきた反応は、どうにも鈍いものだった。
睨み付けるより強く合わせた視線の先。イギリスはぽかんと口を開けたまま、目も見開いた間抜けた表情で俺を見上げている。
驚いているんだろうと思った。
なにしろ俺が好きだと言って、俺に嫌われてるのは辛いと泣くくせに嫌っていいと言っていたわけだから。信じられないと驚いて、それから感動するのは良く分かる。
だから俺は、辛抱強くイギリスが理解するのを待ったのだけれど。
「……何の話だ?」
イギリスの鈍さは、俺の予想の遥か上をいっていた。
「……Oh、No……。さすがだよイギリス。まさかここまで言っても分からないとは思わなかった。君の空気の読めなさと鈍さは世界遺産レベルだね」
「いや、だから。お前には言われたくねーっての」
いいや、絶対にイギリスの方が上だ。世界中の人はきっとヒーローである俺の意見に賛成してくれるだろう。ぞっとする程の鈍さと空気の読めなさだよ。
生涯の伴侶だとかパートナーだとか言っているのに欠片も意味が通じてなさそうって、どういうことなんだい。まさか俺にもう一回言えなんて言わないだろうね。冗談じゃないんだぞ。どれだけ恥ずかしかったと思ってるんだ。
「とにかく、反論は認めないんだぞ! 君が俺のこと大好きなのはお見通しなんだから、早く誓いなよ」
「だから何の話か分かんねーって言ってんだろ! 俺がお前に好きって言えば、お前の生涯のパートナーになるとか、そんな有り得ないゲームどこにあんだよ、あるなら俺に寄越せよ!」
分かっていてとぼけてるんじゃないかと疑って強いるように言ってみたら、理解してないどころか更に斜め上の発言が返ってきて、今度は俺がぽかんとしてしまう。
だからっ、なんでそこでゲームの話になるのさ!
いや確かに《ツンデレ☆ハイスクール》は、イギリスが頷きさえすれば生涯のパートナーになるゲームと言えばそうかもしれないけど、そういう問題じゃない。
大体、寄越せって言うってことは、やっぱりなりたいんじゃないか。俺のこと好きなんじゃないか。
「~~~っ君は何でそう斜め上なんだい! なりたいなら、とっとと言えばいいだけじゃないかっ」
「どこが斜め上なんだ。俺はいつだってマトモだ」
「マトモな人は、人を天使天使言ったりしないよ! いいから、俺の伴侶になりたいの、なりたくないの、どっちだい!?」
「なりてーに決まってんだろばかぁ!」
――っ!!
言った。遂に、イギリスが言った!
体の奥底から感動と歓喜が沸き上がって、弾けたみたいだった。
「そうだろう! だからとっとと、俺に告白して誓うといいんだぞ! 拒否も認めないんだからなっ」
噴き出すようなそれに突き動かされて、腕の中にある貧弱な体を思い切り抱きしめる。
「……え……?」
戸惑うようなイギリスの声も気にならなかった。だってそれどころじゃない。
どれだけ待っただろう。どれだけ遠回りをしたんだろう。
いつかは絶対にベストエンドに辿り着くと決めてはいても、今のイギリスから望む好意を向けられることはないと思っていたのに。
好きだと、俺に嫌われるのは嫌だと泣いても。それが俺の望むものを含んでいる可能性を、確かには信じきれなかったのに。
まさかと思っていたことが、現実になった。
しかもゲームではなく、現実で俺は辿り着いたんだ!
嬉しすぎて、どうにかなりそうな感動に浸っていると、
「うぇえええええええええええええ!?」
という、感動も何もないイギリスの叫び声が俺の耳を襲った。
「ちょ、イギリス。いきなり変な雄叫びあげないでくれよ。嬉しいのは分かるけど、もうちょっとムードとか考えてくれないかい」
頬染めてはにかめとは言わないが、驚くにしたって感動するにしたって、もうちょっと何かあるだろう。
それに、驚いてる場合じゃないぞ。
「ほら、イギリス。早く言いなよ。告白と誓いの言葉が、まだなんだぞ」
ぎゅうっと抱きしめていた腕を少しだけ緩めて、もっと確かな言葉を強請る。
「聞いて、どうするんだよ」
けれど顔を覗きこみ直した俺の目に映ったのは、何故だか喜びも感動もなく、戸惑いすら通り越した――何かに責められているような、辛そうなイギリスの表情だった。
「どうするって……ベストエンドの準備は出来てるって言ったじゃないか」
それに違和感を覚えながら答えれば、腕の中のイギリスが僅かに身じろぐ気配。
何か、おかしくないか?
今ので分かっただろ、とか。何度も言わせんなばかぁ、とか。そういうことを言われるのなら、分かる。なんで「聞いてどうする」なんだろう。どうするも何も決まっているじゃないか。
言ってくれるなら、改めて俺も好きだと告げて。ずっとずっと君が好きだと、例え世界情勢の関係で共に居られない時が来たとしても、君だけが俺のパートナーなのだと俺も誓うに決まっている。
あれだけ驚いたのだから、伝わっていないわけではないだろうに。
戸惑いながらイギリスの表情を注意深く見つめていると、不思議そうに目が一度上を向いた後で、また下を向いて思案する様子。
それから眉を寄せて難しい顔になったかと思うと、今度は瞠目して驚きを示し、また戸惑いに瞳を揺らして――最後に、納得と諦めを含んだ息を吐いて、体から力を抜くのが分かった。
「アメリカ……あのな?」
そうして躊躇いがちに俺に視線を合わせると俺の背に腕を回し、聞き分けのない子供を宥めるような、でなければ知らずに悪いことをしでかした子供に罪を諭すような口調で話し始める。
「さっきも言ったが、お前の気持ちは分かったし、有り難い。だけど、これは違うだろ。いくらお前がヒーローだって言ったって、それでお前の一生を棒に振っていいわけねーだろ」
あくまでも優しく背を撫でる手と。同じように優しく穏やかな声。小さい頃、寝付かずにぐずっていた俺を宥めた時に似たそれらは、けれど俺を落ち着かせてはくれない。それどころか、俺を奈落へ突き落としていくものだった。
「俺は大丈夫だから。そういうのは、ちゃんとお前の大切な人に言ってやれ。今はいなくたって、出来てから後悔しても遅いんだぜ。ま、その心がけは立派だけどな」
そうして言うだけ言うと背を撫でる手を止めて、イギリスは俺から距離を取ろうとする。
――呆然と、した。
何を言われているのだか、最初は理解も出来なかった。
どうしてそうなるのか、本気で分からない。イギリスは本当は俺が嫌いで、わざと俺を傷つけているんじゃないかと思うくらいに、その言葉は俺を打ちのめした。
先程とは真逆の意味で堪らなくなって、イギリスを抱きしめる。離された距離を取り戻すように、もう離れたりしないように。
「……お、おい、アメリカっ、いてぇって」
抗議の声が上がっても、気にしていられない。
痛いのなんか、知らないよ。俺の方がもっと痛い。
「おい……アメリカ?」
声を無視していると、腕の中でなんとか俺の腕を外そうとイギリスがもがくのが分かったけれど、逃れようとすることも許せなくて尚更に強く抱きしめる。
「アメリカ……。なぁ、どうしたんだよ」
しばらくそんな攻防を続けていると、やがて根負けしたのかイギリスが体から力を抜いたのが分かった。溜息の後、躊躇いがちではあるけれども俺の体に体重を預けてくる。
その重みに安堵を覚えて、俺もようやく無理にきつく閉じこめていた腕を少しだけ緩めた。
「……君のバカさ加減に、心底呆れたんだよ」
大切な人に言ってやれって、なんだい。一生を棒に振るってなんだい。どうして俺の大切な人が自分だって思わないんだよ。
やめてくれよ。俺を諦めるようなこと言わないでくれ。俺から手を離すようなこと言わないでくれ。物わかりのいい態度で宥めないでくれ。君に泣かれるのは苦手だけど、これならまださっきみたいに泣いて詰ってくれた方がマシだ。
そりゃあ俺は君をからかってばかりだし、意地悪なこともたくさん言ったけれど。どうでもいい人や本当に嫌いな相手になんか、そんな面倒臭いことするもんか。ましてや生涯の伴侶なんて、冗談でも言うわけない。
一体どこをどうしたら、そういう結論に至れるんだか。イギリスの鈍さもネガティブさも桁違い過ぎて呆れ果てる。
俺が言いたかったことを理解したくせに。俺がイギリスを好きだということが信じられず《好きじゃないのに、そんなこと言い出した理由》まで無理矢理考えて、勝手にそっちを信じて窘めてくるとか、本当にイギリスはバカだ。大バカだ。
「……いや……馬鹿なのは俺かな……」
「アメリカ……?」
イギリスが俺の気持ちを信じないのは――信じる以前に分かりもしてくれないのは、きっと俺のせいなんだろう。ずっと、俺がイギリスをどう思っているかなんて告げて来なかったから。
イギリスは俺を好きなのだと、俺に愛情を持ち続けているのだと確かめることに必死で、そんな余裕がなかったというのもある。
小さい頃からは随分と変わってしまった想いを向けたら、イギリスの愛情が消えてしまうのではないかと思うと、怖かったというのもあるだろう。
それから、言わなくても分かって欲しいという、我が侭な願いもあった。
けれどそんな俺なりの理由は、ただの臆病さと甘えだと言われてしまえばその通りだ。
「それにしたって、君の酷さが減るわけじゃないけどね! 人の話は聞かないわ、聞いたとしても捉え方が斜め上だわ。これなら、確かにゲームの方が簡単なんだぞ」
ゲームのイギリスは、何の事情があるんだかは知らないけど少なくとも俺の気持ちも自分の気持ちも理解した上で、「一緒には居られない」と言っていた。
対して現実は、俺の気持ちを理解していない上に「パートナーになってもいい」って申し出をヒーローらしい博愛精神からだと思いこんでいるんだから、本当にゲームより厳しいし、難解だ。
ゲームもクリア出来なかったという事実については、今は忘れて蓋をしておくとして。まずは現実のイギリスに、俺は君が本当に好きなのだと、分からせなくてはいけない。
負けたみたいで嫌だし、さっきだって俺にとっては随分と勇気の要ることだったというのに、もう一度もっとストレートに告げるのは恥ずかしいけれど。
その勇気を振り絞った言葉を、「別の誰かの為にとっておけ」なんて言われるのは、二度と御免だからね。
「イギリス、君は俺を見くびり過ぎだぞ」
抱きしめていた片手を外すと、顔の周りに疑問符でも浮かべていそうなイギリスの頬をなぞるようにして髪へと掌を差し込み、硬くてぼさぼさした髪を撫でる。
「いくら俺がヒーローだからって、生涯の伴侶を人助けでなんか選ばないよ。ヒーローだからこそ、ちゃんと愛し愛される人と結ばれなくちゃね!」
疑問を深めた様子でぱちぱちと瞬きを繰り返すイギリスの意識が逸れないように、視線が俺から外れないように。それから、誰に言っているのか良く分かるように、こめかみの辺りも髪に差し込んだ手の親指で撫でた。
「勿論、愛し愛される人っていうのは、いつか出会うかもしれない何処かの誰かの話じゃないんだぞ」
分かってよ。
俺を見てよ。
俺が今誰を見ているのか、誰に言っているのか、思いこみで視界を塞がずに、ちゃんと見てよ。今度こそ、意味不明な理由を考えられないくらい真っ直ぐに言うから。
ちゃんと、受け止めてよ。
そんな風に思うこと自体が、我が侭で甘えなんだろうけれど。
君が俺をこんな風に育てたんだから、仕方がないだろう?
そんな俺が君は好きで、そんな君でも俺は君が好きなんだから。
「好きだよ、イギリス。――だから君も、ちゃんと言わないと駄目なんだぞ!」
言葉と同時に口づけた先は、撫でていたこめかみで。唇にしても良かったんだけど、イギリスが好きだと言ってくれた時の為にとっておこうかと思って、やめておく。
「……っ」
驚いたのか、微かに音がするほど息を飲んで、イギリスが目を見開くのが視界の端に映る。
見る間に赤く染まっていく顔は見物だったけれど、ぱくぱくと今度は音もなく開閉を繰り返す口が余計なことを言う前に釘を刺しておかなければ。
「今度は、ワケの分からないこと言いださないでくれよな。もう君にフラれるのは懲り懲りなんだぞ!」
ゲームでも散々フられた上に、今日だけだって既に二回くらいフられた気分なんだから。
肩を掴んで再び真っ正面から向き合って目を覗き込めば、見開かれていた目が幾度かの瞬きの後に細められ、今度は一転して睨みつけてくる。
「……って。いつ俺がフったよ。いい加減なこと言ってんじゃねーぞゴルァ! ワケの分からないことも言ってねぇし、フられたって言うなら俺だろうが。何回も何回もお前にどんだけ酷い扱い受けてきたと思ってんだ。『君が泣いて頼み込んできたってお断りだぞ☆』って言われたこと、俺は忘れちゃいねーからな!」
今度は、俺が目を丸くする番だった。
そういえば、あったね。そんなことも。だけどアレは別にイギリスをフったわけじゃないぞ。ただ、ちょっとイラッとしてたから八つ当たりと、早いところゲームの君にリベンジしたかっただけで。
「……君、そんなことまだ根にもってたのかい」
「もつに決まってんだろっ。俺がどんだけお前と休日過ごしたかったか分かってんのか!? 今更『好きだよ』とか、バカにするのもいい加減にしろ!」
そこまで俺と休日を過ごしたかったのだと告白されるのは、悪い気はしないし嬉しいけどさ。だからどうして、そこでバカにするとかいう話になるのかな君は!
いい加減、俺が君のこと好きだって理解しなよ!
「バカは君だろ。人が勇気を振り絞ったっていうのにさ! 大体、そういうのがフってるって言うんだぞ。俺がどれだけ君のフラグクラッシャーに泣かされたか、君こそ分かってないだろ!」
貯め込んだ不満を一気に吐き出すみたいに怒鳴ってきたイギリスに、俺も同じかそれ以上の不満をぶつければ、いつの間に腕を抜き出したのか、イギリスが俺の胸倉を掴みあげて、半ば脅すような台詞を続けて吐いてくる。
「なんで旗なんか壊さなきゃならないんだよ。それにフってねーって言ってるだろ。俺がお前フるとか有り得ないしな。俺のお前への愛を舐めてんじゃねーぞ」
何かズレてると思うんだけど、君の発言。そういう自覚ないところが《フラグクラッシャー》なんだと思うぞ。
大体さぁ……
「そこ自慢するところなのかい……。ちょっと分かるだけに微妙な気分になるっていうか君ホント俺のこと好きすぎるよ」
「当然、自慢するところだろ」
イギリスの俺への愛は、大きいのはいいけど凄く無駄だよね。盲目というか、ザルというか。自慢するのは、俺の愛をちゃんと誤解なく受け取ってからにして欲しい。
俺がイギリスを好きだってことを、ちゃんと理解して。信じて。それから、イギリスがちゃんと俺を好きだってことも理解してからにして欲しいものだ。
「言っておくけど、もう《俺の天使》とかは要らないからね」
「なんでだよっ」
念のために釘をさせば、さも心外そうに言って、掴んだままの胸倉をさらに持ち上げて締めようとしてくる。
ちょっと、やめてくれよ。大体こんなことも分からないで、俺への愛なんて自慢できないぞ。
「決まってるだろ。そんなの――《俺の恋人》が正解だからに決まってるじゃないか」
本当は、それだけでは――《恋人》だけでは足りないのだけれど。
いまいち俺への恋愛感情を理解しきってない上、俺がイギリスを好きだということも理解出来てないみたいだし。まずはしっかり恋人という状況と言葉を覚え込ませないと、どうにもならない。
そうやって《恋人》が馴染んできたら、また言ってあげればいいだろう。捨てきれないだろう君のその兄弟みたいな愛情も捨てる必要なんかないのだと。それだって、俺には必要なものなんだから、いいから君が持っている全部の愛情を、あるったけ俺に向けてればいいのだってことを。
「こ……」
こちらの胸倉を掴んだ態勢で固まったイギリスの顔を半眼で見遣れば、再び顔が真っ赤に染まっていくところ。
赤味と色づく範囲が広がるのに反比例して、掴みあげる力は抜けていくようだった。
そうしてTシャツを掴んだままの両手がとすんと胸の辺りに落ちてきたところで、ぼそりとイギリスが口を開く。
「……ほんとに、いいのかよ」
「何が?」
これだけ好きだとか恋人だとか生涯の伴侶だとか言わせておいて、いいも何もないと思うんだけど。イギリスはまだ納得仕切れていないのか不安なのか、躊躇う様子だった。
「俺、調子に乗るぞ」
「だろうね」
俺の好意を信じない頑なさとネガティブさに反して、小さい頃の俺に対する愛情だとかは、隠さないし押しつけがましいし勘違いは多いし空回りばかりだし。それに浮かれてノリノリになったイギリスが性質悪いのは、本人も薄々子育て下手の自覚があるように、それから日本と友達になった時のように、割とロクなものじゃない。
だけどそんなのは、今更だ。
「分かってんのかよ。俺、お前のこと好きなんだぜ?」
それも、物凄く今更だよね。
「嫌になるくらい知ってるよ」
だからこそ俺は、君に変に期待させられたりして色々と恥ずかしい思いだとか悔しい思いだとかをしたわけだし。
それで次は一体、何を確認するのかと思えば――
「こいびと、とか言ったら……多分、抑え効かないからな」
これだ。
何を言ってるんだろう、この人は。そんなの、俺の方が効かないに決まってるじゃないか。
恋人になりたいと思っていた時間と強さで言ったら、俺の方が圧倒的に上になんだから。
それに、今日のイギリスとの遣り取りから察するに――イギリスが変に抑えようとすると、絶対に変な方向に突っ走って良く分からないことになると断言できるぞ、俺は。
「望むところだね」
そもそも、あれだけ止めろと言われているのに酒を止められない君に。あれだけ昔の話はやめてくれと言っても止められなかった君に、自重が出来るとは思ってないよ、最初から。
揺るがない自信と共に笑みを浮かべて言い切れば、イギリスの口から続く確認は出てこなかった。
納得出来たのかな? どっちしろ、もう待つ気はないけど。
少なくとも、俺がイギリスを好きだってことは、ようやく理解してくれたって思っていいんだよね。
「だからさ、そろそろ観念して『好きだ』って言いなよ。俺まだ言われてないんだぞ」
笑みのままに顔を寄せてもう一度強請っても、今度は否定の言葉が返ってきたりもしなければ、視線が下を向くこともない。
「仕方ねーなっ。別にお前に言われたからじゃねーぞ。俺が言いたくて言うだけだからな!」
恥ずかしげにしながらも、真っ直ぐ視線を合わせて代わりに口にされるのは、お決まりのような台詞で。
そうして、言葉通り仕方なくという顔をしようとして失敗した、綺麗とも可愛いとも言い難いヘンテコに緩んだ――けれども惚れた欲目なのか、どうしてだか可愛らしく見える笑みを浮かべて、イギリスはようやく俺に告げたのだった。
「お前が好きだ、アメリカ」
小さな俺へ向けたものでもなく、それを捨て去ったのでもない。
ずっとずっと、俺が待ち望んでいた言葉を――。
『こんばんは、アメリカさん』
日本から俺の携帯に電話が掛かってきたのは、こちらの時間で午後二十二時になろうかという頃。
出来れば出たくなかったけれど、後で掛かり直してくるよりはと、ひとつ溜息をついた後で通話ボタンを押した。
「そこを気にするなら、週末の夜に電話なんか掛けてこないで欲しいんだぞ、日本」
声量を抑えてはいるけれど、つい言葉と口調がきつくなってしまうのは仕方がないと思う。だって、日本がこうして電話を掛けてくるのは一度や二度じゃないのだ。
『申し訳ございません。最近は年のせいか、時差の感覚が覚束なくなりまして。こちらは昼間なのですが、夜だったのですね』
時差が覚束ない人が毎度毎度、週末の夜に限ってきっちりと電話をしてこられるとは思えないけどね。大体、それなら電話の第一声が『こんばんは』なのはおかしいだろう。
イギリスとようやく想いが通じて、目出度く恋人同士になれた日から二ヶ月近くが経っていた。
互いに長めの休みをもぎ取ってしまった後だったことや、元々それなりに忙しい立場だったこと、それから俺とイギリスの家が離れていることもあって、二人で過ごせた時間はそれ程多くない。
だというのに、だ。イギリスとゆっくり過ごせることになった週末の夜――しかもご丁寧に、ちゃんとイギリスが俺の家に来た日の夜か、逆に俺がイギリスの家に行った日の夜に、何故だか毎回、日本から電話が掛かってくるのである。
夜と言ったって、日本の家での夜じゃない。どちらの場合も、きっちりと現地時間での夜だ。更に言うのなら、何らかの都合があって互いに会えない週末の夜には掛かってこないのだから、日本の電話を俺が警戒するのは仕方がないと思う。
あれだけ俺のことを焚きつけるような真似をして、俺とイギリスの幸せを祈ってるなんて言っていたくせに、何のつもりなんだろうか。出来れば問い詰めてみたいけれど、かつての写真のことを思うと恐ろしい気もして、未だに聞けずにいた。
「それで、何か用かい? 特にないなら切るよ」
冷たく宣言すれば、携帯電話の向こうからは、ころころと笑う声。
『おや、つれないですね。……あぁ、もしかしてイギリスさんがいらっしゃっておられるんですか?』
……今一瞬、メキって携帯電話が言ったんだぞ。しまった、つい力を入れて握ってしまったじゃないか。
もしかしても何も、君がこうやって電話を掛けてくる時は、いつもイギリスと会ってる時じゃないか。しかも大抵、イギリスがシャワー浴びに行ってる時だったり、キッチンを片づけに行ってる時だったり、俺の傍にイギリスがいない隙を狙ったかのように掛かってくるのだ。一体どんな忍術を使っているんだい。
「その通りだよ。イギリスが来てるんだ。一人にしてたら可哀想だからね。あまり長電話は出来ないんだぞ!」
念の為に釘をさしておくけれど、日本も心得ているのか、いつも通話時間はさして長くない。
こうして掛けてきて、近況を聞いて。イギリスが今どうしているかを聞いて、それから――これを、聞いてくるのだ。
『そういえばアメリカさん。その後の首尾は、如何ですか?』
何の首尾かと言えば、言うのも馬鹿らしんだけどさ。
体を繋げたかどうか、なんだよ。ふざけたことにね!
最初にこの件で愚痴と文句を言ったのは俺だったし、別に日常の性生活を聞かれてるわけじゃないけれど。所謂《はじめて》を迎えられたかどうかを毎回聞かれるのは、楽しいものじゃない。
「首尾も何も……。大体、元はといえば君のせいなんだからな!」
しかも、なかなか上手くいかない原因の一端が日本にあるとなれば尚更だった。
イギリスにようやく想いが通じたあの日。
俺はイギリスと一緒に直ぐさま帰ろうと思っていたんだ。
だけどイギリスは世話になった日本に挨拶せずには帰れないとか言うし。なら俺も待つと言えば、話がややこしくならからそれもダメだと却下されてさ。
「ようやく恋人になれた君と、なんで離れないといけないんだい!」
って、納得いかなくて絶対に動いてやるものかと抗議したら、
「後で俺も行くから、どっかホテルとって先にそこ行って待ってろ」
イギリスが困ったような顔を作りながらも、少しだけ嬉しそうにそう言うから。
それならとイギリスの言う通りにしたっていうのに。どうやら全く何も考えずに――というか、俺を先に帰すことだけ考えて言ったらしいから、酷い話だ。
二人で居たいって訴えの後にあんなこと言われたら、そういうつもりなんだって思うだろう?
なのにイギリスはなかなか帰って来ないし。やっと来たと思ったら日本の家で夕飯食べてきたって暢気に言うしさ。
その後も一緒に寝ようよって言って脱がそうとしたら盛大に抵抗されるわ説教されるわ怒られるわ泣かれるわで、大変だったんだぞ。
別に、拒否の理由が「心の準備が出来てないから」とか可愛らしいものだったなら俺だって何も言わないぞ。子供じゃないんだから、優しく寛大な恋人として、そこは引くさ。
だけど……
「つーか、日本に聞いたぞ! お前なに勝手に人を嫁とか決めてんだよっ。俺は納得してねーぞ。大体、日本にまで言うとか、ふざけんなよバカァ! すっげー恥ずかしかったんだかんなっ」
これだよ。日本に勝手にバラしたことで怒られるし、俺が嫁だって言ったことも怒られたし。
「いいか、アメリカ。俺達は男同士だ。だからセックスするにあたっては確かにどちらかが突っ込まれる側に回るわけだが、こういったものはあくまでも平等にだな……」
挙げ句の果てに、もの凄く不穏なことを言いだす始末。
「俺、突っ込まれるのなんてイヤだぞ」
独立後にあれは勘違いだ過ちだ、ないない有り得ない、と何度も否定しようとしたとはいえ、イギリスが俺に本国で流行りの子供用のスーツとか着せてデレデレ嬉しそうにしている頃から、俺はイギリスを抱くんだって決めてたんだから、絶対にここは譲れない。
そう思って間髪入れずに言えば
「あっさり勝手なこと言ってんじゃねぇよバカァ! せめて少しは悩めよ考えろよっ。俺のこと好きならちったぁ我慢しやがれ!」
涙目で怒鳴られて胸倉掴まれて揺さぶられるし。
「イヤだよ。君こそ俺のこと好きなら我慢しなよ。俺の方が体格いいし、その方が自然だろ」
「それを言うなら俺の方が年上なんだから、お前が突っ込まれる方が自然だろーが」
「確かに君の方がおっさんだものな! うん、だから無理せず俺に突っ込まれればいいと思うんだぞ☆ そもそも君、俺のこと抱え上げられないしね」
「おっさん言うな!? つうか貧弱で悪かったなゴルァ!」
……って具合に、結局いつもみたいな喧嘩になって、その日は二人とも別々のベットで寝るはめになったわけさ。
そしてその争いは、今も続いている。
別に喧嘩をしてるわけじゃない。
普段はそれなりに恋人同士らしく過ごせていると思うし、軽いキスも深いキスも自然と交わす。
けれどその先になると――いきなり喧嘩越しというか、互いに隙を狙いあうことになってしまって。結局のところ、俺は未だにイギリスを抱けていないのだった。
それもこれも、俺が《嫁》って言ったことを日本がイギリスに教えちゃったのが悪いんだぞ!
いや。俺だって、うっかり口走ってしまった自分が悪かったんだってちゃんと反省したんだ。次の日に電話で八つ当たりして文句を言ってしまったけれど、その時は日本に悪気なんてなかったんだって思っていたしね。
けれど、こうして俺がイギリスと会うタイミングを見計らって電話を掛けてくること。
いくらそのことを愚痴って教えてしまったのが俺で、日本がその件で俺達を心配してくれているんだとしても、毎回電話で《ことの首尾》を聞いてくること。
それから――
『その荒れようですと、まだ……というわけですか。お二人は恋人になられてもツンデレぶりが健在なようで何よりです』
という電話での反応を考えると、それさえもわざとだったんじゃないかと俺が疑うのも、仕方ないと思わないかい?
日本が《嫁》云々をイギリスに言わなくても、イギリスのことだからやっぱり大人しく抱かれる側で納得してくれなかっただろうとも思うけどさ。
あれがなければ最初に喧嘩までしなかっただろうし、元々は俺のお願いに馬鹿みたいに甘いイギリスが、ここまで意固地になることもなかったと思う。
「俺からしたら、全然嬉しくないんだぞ!」
何故だか満足げな日本にボヤきながら壁にかかった時計に視線をむければ、そろそろイギリスがシャワーから戻ってくる頃だ。
時は週末の夜。泊まることを前提でシャワーを浴びにいった恋人を待つという状況は、本来ならもうちょっと心躍るものだと思うんだけれど。
肝心の恋人がシャワールームへ行く前に見せたのは、不敵な笑みを浮かべて拳を打ち鳴らしている姿で。
――明らかに別の意味での臨戦態勢整えてるよね、君。
と言いたくなる様子を思い出せば、どちらかというとゲンナリした気分が勝つ。
今日も争う気満々なんだろうなぁ……。
この勝負を譲るつもりは絶対にないし、純粋な力勝負なら俺が圧倒的に有利だから負ける気もしない。
ただ――だからといって力づくで無理矢理というのは、ヒーローとしても恋人としても有り得ないから大却下だし、出来れば平和的に進めたいのだけれども。
紳士を自称しながら卑怯な技や姑息な手も得意で大好きという困った性質を持つ恋人の油断ならなさを考えると――前途は、とてつもなく多難そうだった。
まさか恋人になった後に、こんな試練が待っているとは思わなかったんだぞ。
楽しい筈なのに溜息をつきたくなるこの先を思い、俺はありったけの恨みと八つ当たりをこめて――
「恨むぞ、日本」
携帯電話の向こうへと、そう言葉を投げたのだった。
畳む
#米英 #○○育成計画