No.2

ジュヴナイル|魔人学園剣風帖

爆走ラブチェイス
▽内容:京一のことが好きすぎてネジがとんでる系主人公のドタバタラブコメディ。魔人の第一作なので2000年くらいに書いたものです。こわ…
                                                           




 ドタドタドタドタ。
 バタバタバタバタ。

 真神学園に、怒涛のごとき足音が響き渡っていた。見ればそこには一塊の砂煙。―――いや、よくよく目を凝らせば中に人の姿がある。地も裂けよと言わんばかりに『廊下を走ってはいけません』と随所に書いてある校舎内を爆走しているのは、既に真神学園で知らぬ者はいない有名人となった、緋勇龍麻と蓬莱寺京一であった。
「逃げるな、京一!」
「逃げるわ、アホッ!」
 互いに大声で喚き合いながら校舎をところ狭しと駆けていく二人の姿も、三日目ともなれば今やお馴染みのもの。行き交う生徒の反応も、慣れたものである。
「奴等が来たぞー!」
「緋勇くん、ファイトッ!」
「蓬莱寺、墜ちてやれよー」
「……やれやれ。懲りない奴らだ」
 巻込まれないように逃げる者、応援する者、ひやかす者、呆れたように溜め息を漏らす者……。反応は様々だが、もはや誰もそれを止めようとはしない。それもそのはず、二人の爆走は何もケンカをしたという訳ではなく。下手に邪魔をしようものならば、馬に蹴られて死んでしまうという噂の、ソレなのだから。
 しかし校舎を爆走するこの二人。どこからどう見ても、二人そろって性別は男である。どちらとも平均以上の体格を持ち、顔もそれなりに整ってはいるものの、どこにも女性らしいところなど見当たらない、正真正銘の男であった。その男二人が、お医者様でも草津の湯でも……といった関連に、どうしてなっているのか。別に一人の女生徒を巡ってのことでもない。まさにこの二人が当事者であり、追う者と追われる者なのである。
 一体どこを事の発端とすべきだろうか。ともかくも、真神学園の生徒達に目に見える形での発端と言えば、数日を遡った朝のことだ。雲一つない秋晴れのその日、朝のホームルームよりほんの少し前に、ソレは起こった。場所は真神学園三年C組の教室。多くのクラスメートの目の前で、繰り広げられたのである―――。


 珍しくその日、蓬莱寺京一は遅刻することもなく学校へ辿りつき、持て余した時間を己の机に伏して眠ることで潰していた。そこへ、普段ならば遅刻など滅多にしない緋勇龍麻が駆け込んできたのである。そして教室へ入るなり、脇目もふらずに真っ直ぐ蓬莱寺京一を目指して進み、やがて惰眠を貪る京一の前へ辿りつくと
「京一、好きだ!!」
 開口一番に、そう言ってのけたのだった。しかも眠る京一の手をとり、跪かんばかりの勢いでもって。途端にざわめく教室のことも意に介さず、龍麻は京一の手をしっかと握ったまま、何事かとようやく頭を起こした彼が事態を理解するのを辛抱強く待つ。
「……なんだって?」
 何度か瞬きを繰り返しながら問われ、龍麻は肩を落としたい気分をグッと堪えて、もう一度真っ向ストレート勝負な台詞を口に上らせた。
「好きだ」
 今度はしっかりと視線を合わせることも忘れない。机を挟んで向かい合わせに跪いた龍麻は、京一の手を握りしめたまま、目に星を浮かべんばかりに輝かせつつ、じっと彼を見つめた。
「………」
「………」
 いつの間にか―――当然と言えば当然だが、教室中の視線が二人へと集まる。固唾を飲んで成り行きを見守るクラスメート達。龍麻の目を見返したまま、きょとんとしている京一。ひたすらに京一の反応を待つ龍麻。―――奇妙な沈黙が、教室に満ちていた。
 それを破ったのは、短い溜め息。
「またかよ。ああもー、それは分かったって」
 京一は疲れたように言うと、龍麻に握られていない方の手を振って、追い払う仕草をする。そして再びそのまま机に上体を預けようとしたが、龍麻がそれを許さなかった。握っていた京一の手をさらに強く握り、立ち上がる。すると、つられて京一の上体も引っ張られるため机に伏していることができない。京一が文句を口にする前に、龍麻はこれ以上ない程に真摯な表情を浮かべ、女生徒が間近く聞いたならば夢見心地になるような声で、言い募った。
「京一、冗談じゃないんだ」
 そう、緋勇龍麻の言葉は冗談ではない。この学園に転校してきた当初から蓬莱寺京一に対して繰り返している、既に挨拶とも化した言葉ではあるが、恐ろしいことに彼は本気である。いや、常に彼は本気だった。それこそ、転校当初から。裏庭に呼びだされ不良に絡まれていた時、木の上から降ってきた蓬莱寺京一に、緋勇龍麻はドッキンハートにまばたきショットを食らったのだ。その日から緋勇龍麻は、よそ見をすることなく一途に蓬莱寺京一へ向けて突撃ラブハートを繰り返しているのである。
 だが、龍麻が惚れた蓬莱寺京一というこの男。自他共に認める女好きであり、趣味はナンパで好きな言葉は酒池肉林。の割に、口で言うほど女に慣れているわけでもない上、意外と古風でストイック、かつ義侠心に溢れている―――という、実に難儀な人物であった。そういうところがまたいいのだ、とは緋勇龍麻の言であるが、ともかくもそんな難儀な人物であるところの蓬莱寺京一に、緋勇龍麻の熱烈アプローチは全くもって通じていなかったのである。友情と義理人情に篤い京一にかかっては、好意というより愛情を示す言葉も、少しばかり行きすぎのスキンシップすら、友情で片づけられてしまう。級友から親友へ、親友から相棒へと順調にランクアップを重ねてきた緋勇龍麻も、京一のこの『相棒万歳主義』の前には、己の愛情を理解させることが非常に困難であった。
 そんな無駄な努力を続けてはや半年。あまりにも好きだ好きだ言い続けたために、返って京一は慣れてしまったのか、達の悪い冗談か挨拶程度にしか聞いてくれない。この場合、下手に一途なことが災いして、緋勇龍麻のフラストレーションは溜まる一方。そんな不遇な日々に、遂にキレてしまったのが今日であるらしかった。何がなんでも今日こそは、絶対に己の思いを理解させてやると勢い込んでしまっている。―――その結果、朝一の教室で白昼堂々カミングアウト、と相成ったのであった。
 ところがどっこい、相手は半年間ものらりくらりと龍麻の告白を交わしてきた天然の強者・蓬莱寺京一。
「俺は眠いんだよ! お前の冗談に付き合ってる暇ねェの!」
 どれほど龍麻がたらしこみモードで囁いたとて、人より友情の範疇が広すぎる彼には通じない。そして―――京一の冷たい物言いに、龍麻の中の最後の理性が音をたてて切れた。
「……だから、冗談じゃないって、言ってるだろ……?」
 その瞬間、龍麻の背後に暗雲が形成され、放電が起こったような錯覚を何名かが覚えたと言う。また、そこまで感じ取れなかった者も、体感温度が一気に十度は下がったようだったと証言した。
 長い前髪に隠れて表情は見えなかったが、とりまく殺気だけはバーゲンセールよろしく絶好調サービス中。そんなただならぬ様子の龍麻にさすがの京一も少し怯み、腕を掴まれたままではあったが、それでも後退しようと試みる。だが、既に理性と怒りの臨界点を突破してしまった黄龍の器がそれを許さない。怯んだ隙をついて掴んだ腕を引き、京一を無理矢理立ち上がらせ、さらに自分の方へと引き寄せていく。
「……ひ、ひーちゃん……?」
 今や、龍麻がキレて黄龍モード大全開であることは誰の目にも明白。渦巻く暗雲に怒りの程が知れて、京一も眠気がすっかりと消えてしまったようだ。この状態で龍麻の腕を振りほどくと、さらに恐ろしいことになりそうなのでそれもできず。さりとて、本能的な恐怖によって逃げたくなるのも仕方がなく。でき得る限り上体を逸らして龍麻と距離を置こうとするのだが、二人を隔ててくれるものは学校机ただ一つ。そんな頼りない隔たりなど、龍麻が身を乗り出せばすぐさま意味を消すものでしかない。京一は本気でキレた時の戦闘中の龍麻を思い出して、冷や汗を浮かべた。
 蛇に睨まれた蛙ではないが、もはや身動きができない京一。ゴゴゴゴゴ……、と効果音がつきそうな暗雲を背負って京一に詰め寄る龍麻。そして、固唾を飲んで二人を見守るクラスメート達。一秒が何十秒にも感じられる、重苦しい時が過ぎた。その間に、クラスメート達の脳裏にひとつの可能性が閃き出す。

(もしや……)
(まさか……)
(いくら緋勇くんだって……)
(いやしかし、アレは緋勇だ!)
(……ひょっとして!?)

 奇妙な緊張が周囲に走る中、恐らく当人である蓬莱寺京一だけが、その危険性に気づいていなかった。それほどに京一は鈍く、またそれほどにクラスメート達にはバレバレだった、ということだろう。
 当の京一は龍麻を怒らせた原因を必死に探ってはいたが、いかんせん龍麻は京一からすると思いも寄らない異次元思考を持つ宇宙人。とてもではないが、そんな可能性には思い至らない。恐怖の余り、徐々に近づいてくる龍麻の顔から目も逸らせずにいると、遂には顔の判別がつかない程の至近距離に。
(な、なんなんだ!?)
 そうして訳もわからず混乱している内に―――気がつけば、龍麻の唇によって京一の口が塞がれていた。
「………」
 その瞬間、三年C組にいた緋勇龍麻以外の人間が、見事なまでに瞬間冷凍されたという。そしてたっぷり数秒後、教室を悲鳴が覆った。
 男子生徒はガタガタと椅子や机を倒しながら距離を置き、女子生徒は悲鳴を上げ手で目を覆いながらも隙間からしっかりと観察し、二人の仲間であるところの美里は倒れ、醍醐と小蒔は眩暈を起こして額に手をあてる。
 だが、教室中が大パニックに陥る中、騒動の中心であるところの二人は返って静かであった。京一はあまりのことに未だ何が起こったか理解できず固まっていたし、龍麻はそれをいいことにさらに深く口付けようとする始末。それは美里も倒れようというものだ。
 一人意識が異次元回廊を彷徨っていた京一は、教室中を覆う悲鳴を遠くに聞きながら、停止している脳味噌で、一体これはどうしたことかと、まず状況を一つ一つ確認してみた。
 まず、教室中がどうも大騒ぎである。そして、自分達はクラスメートらに遠巻きにされている。いま自分は、教室の中心辺りに龍麻と二人、立ち尽くしている。そして―――どうも、口を塞がれているらしい。はて、何に?―――どうしてもそれがイマイチ理解できない……否、したくないらしい京一。しかし、そんな現実逃避を物ともせず一気に現実を京一に思い知らせたのは―――他でもない、緋勇龍麻だった。いくら全力でもって現実逃避中の京一とはいえ、さすがに舌まで入り込んできては気づくだろう。
 それによって、現状認識が瞬時に完了した。
「~~~~~~~~ッ!!」
 途端、京一は持ちうる全ての筋力を動員して、思いきり龍麻を突き飛ばす。
「チッ、正気に戻ったか」
 突き飛ばされつつも、残念そうに舌打ちする龍麻。京一はと言えば、その隙に龍麻と距離をとること三メートル。
「な、なん……ッ、ひーちゃ、なにす……!!」
 阿修羅まで構えている京一の頭は未だ混乱しているようで、言葉も判然としない。しかし何を言いたいかおおよそ察しがついたのか、龍麻は再び京一へと距離をつめながら、悪びれずにしれっと答える。
「なにって、キスだけど?」
 瞬間、京一とクラスメートが、再び見事に固まる。
「きききききき、キスって、お前なァッ!!!」
 あまりにもシレっといわれて、混乱に怒りが入り混じり、顔を真っ赤に染めて京一が叫んだ。
「なんだよ」
 だが、混乱する京一と反比例するように―――それともキスによって少しばかり溜飲を下げたせいか―――先ほどまでの暗雲はどこへやら、龍麻は冷静とも平然とも言える顔。またそれが京一の混乱と怒りをいっそう強くする。
「なんだよって、そりゃこっちのセリフだッ。何考えてるんだよ、お前ッ!」
 木刀を突き付け、怒気も露に怒鳴る京一の声も暖簾に腕押し。またもさらりと返してきた台詞は、この通りだった。
「別に。京一とキスしたいとか、京一を抱きしめたいとか、京一とエッチしたいとかそういうこと」
「………………」
 嫌になるくらい静まる教室。しばらくの間、あまりのことに誰も声ひとつ発することができない。なにしろそう言ってのけた緋勇龍麻は《なにか、文句でも?》と言いたげに、ニッコリと微笑んで暗に圧力をかけているのだから、何も言えよう筈がなかった。唯一、言われた当人の京一だけが、数十秒何も言えずに口をパクパクとさせた後、ようやく声を発することに成功する。ただし、言われた内容の恥ずかしさに顔を真っ赤にさせながら。
「考えんなーッ、そんなことーッ!!!」
 好きな相手に抱く感情としては、至極自然なものであるのだろうが、それは朝一の教室で、しかもクラスメートの前で堂々と且つサラっと言うことではないはずだった。しかも、当の本人を前にしているなら尚更。さらに言えば、緋勇龍麻は男であり、蓬莱寺京一も男である。《好きな相手に対して抱く願望》としては納得できても、その好きな相手というのが男の自分では、京一がそう叫ぶのも仕方がないのかもしれなかった。というか、むしろ当然だった。だが、龍麻は相も変わらずにサラリと返す。
「無理だよ。だって俺、京一のこと好きだし」
「………………」
 ここまで堂々とあっさりはっきり言われては、反論するのも難しい。一瞬、自分が間違っているのではないかと振り返ってしまうことだろう。京一もまた、開いた口が塞がらないといった体で再び動きを止めるハメに陥った。
 《好き》
 何度も何度も。それこそ挨拶のように言われてきた言葉。始めこそひいたものの、やがて慣れてしまって龍麻特有の冗談めいた挨拶の一つなのだと理解するようになった。自分が気に入っている相手であれば尚更、照れ臭くはあっても、好意を示されること自体に不快感はなく。大げさな感情表現に苦笑いを浮かべたり、誤解を受けそうな時には多少辟易しても、本気でそれを止めさせようとは思わなかった。―――だがそれはあくまで、龍麻の《冗談》だと思っていたからだ。それも、親友であり、相棒である龍麻だからこそ容認していた《冗談》である。いくらその延長だとはいっても、ここまで来れば《冗談》の域を超えているだろう。京一は目を吊り上げ、再び木刀を突き付けて怒鳴った。
「ひーちゃん、いーかげんにしろよ。いくら冗談にしたって、ほどがあるだろッ!!」
 肩を組むのもベタベタするのもまぁいい。友人としてのスキンシップは京一自身、嫌いな方ではない。キス自体もまぁ、罰ゲームやウケ狙いのノリですることもあるので、大目に見るとしても。いくらなんでも舌まで入れる必要はないはずで。さらに言うなら、誤解を受けること確実な、本気としかとれないこの状況でしていいことではない筈だった。
 だが、珍しく京一が本気で怒りかけた時―――龍麻に再び、不穏な暗雲がまとわりつく。
「……ここまでしても、まだそんなこと言うんだ」
 途端、低すぎるほどに低くなった声音に、京一はギクリと身を竦ませた。
「へ?」
「いくら俺でも冗談で男にキスなんかしない。……京一は俺のことそんな風に見てたんだ……。がっかりだな……」
 不穏な空気を奇麗に収めた龍麻は、どこか遠くを見つめ、ことさらに悲壮感を漂わせて呟く。
「え、いや、だってよォ……」
 しおらしく、しかも《がっかり》とまで言われて悲しまれては、京一としても立場がない。龍麻が悪いと思っていた筈なのに、急に罪悪感に襲われて京一はもごもごと言い淀んだ。
「京一」
 そこへ悲しみと真剣さを帯びた瞳で真っ直ぐに見つめられ、京一はつい視線を合わせてしまい、すぐさま後悔する。何故なら、普段前髪で隠れている龍麻の目の威力というものは強く、一度合わせてしまうと中々自分からは逸らせないのであった。合わせた視線からは、確かに冗談など感じ取れず。そこにあるのはどこまでも真剣な表情。だが、さらなる罪悪感に苛まれながらも、京一の思考はどうしてもそれ以上に発展していかない。
「冗談なんかじゃないんだ。ずっと俺は、本気だった」
 瞳をそらさないまま、龍麻が一歩踏み出してくる。悪気はないのだが、反射的に京一も一歩下がってしまった。そのことに気づいて龍麻は少し悲しげに顔を歪めるが、もう一歩進んで、言いきる。
「好きだよ、京一」
 これが女だったら、例え他に好きな男がいたとしても一瞬であれ、よろめかないはずがないだろう。実際、京一とて不覚にも見蕩れかけた。例えどれほど異次元思考回路だったとしても、見た目は思考を反映しない。
 そして京一の隙をついて更に距離をつめた龍麻は、駄目押しに切なげな低い囁きを耳元へと落とす。
「愛してる……」
 と―――。
 ちなみに。今更だがここは朝一の教室内であり、クラスメートの殆どが注視しているまっただ中である。
「!?」
 そんなクソ恥ずかしい台詞を耳元で囁かれた京一は、驚きのあまりうっかりと龍麻を振り返ってしまった。普通に考えれば当然、そこには龍麻の顔があるわけで。しかも耳元に囁かれていたのだから、至近距離に。だが、それらを忘却してしまう程にその台詞は日本に暮らしている日常の中で聞くことのない、恥ずかしい台詞である。揚げ句、京一は―――嬉しそうな笑顔を浮かべている龍麻の顔を確認するかしないかのうちに、再び口づけられていた。
 京一はまたもや目を見開いたまま、微動だにしない。瞬きすら忘れて、その場に立ち尽くしている。そして、暫くの沈黙の後に訪れたのは―――クラスメート達の、大歓声だった。
「よく言った、緋勇!」
「緋勇くん、偉いわ!!」
「辛かったのね、緋勇くん……」
「私、応援する!」
「緋勇、ナイスガッツ!!」
 ……どうかと思うクラスメート達だった。龍麻が予想外の反応に驚き、気圧されて思わず京一から離れてしまう程の盛り上がりようである。
「それは、どうも……」
 とりあえずそれだけ返すと、遠巻きにしていたクラスメート達がワッと寄ってくる。龍麻と京一を取り囲み、大騒ぎだ。
 その中で動けないでいたのは、当の龍麻と京一。そして気絶してしまった美里、半ば気絶状態の醍醐の四人。小蒔はなんとか平静を取り戻して龍麻と京一に近寄っていったのだが、途中で無反応過ぎる京一の異変に気づいた。それを確かめてから、龍麻の制服をひっぱる。
「ひーちゃん、ひーちゃん」
「……ああ、小蒔。どうした?」
 クラスメートから何故か賛辞と激励の言葉をかけられ戸惑っていた龍麻が、馴染みのある声に振り返った。小蒔は異様な盛り上がりをみせるクラスメート達を恐ろしげに見た後、龍麻に耳打ちするようにして告げる。相変わらず目を見開いて固まっている京一を、控えめに指さして。
「あのさ、ひーちゃん。……京一、立ったまま気絶してるみたいなんだけど……」

 どうやら事態は、彼の脳の処理能力を遥かに超えてしまったらしかった―――。
 





 さて。二人が結局のところどうなったかと言えば―――悪化した、と言うのが適当だろうか。
 あのあと保健室に運ばれた京一は、一時限目の休み時間には姿を消していた。龍麻もチャイムと同時に駆けつけたのだが既に遅く、その日は結局戻ってこなかった。それどころか、次の日も京一は学校に姿を現さなかったのである。だがそこはそれ、出席日数も危うい京一のこと。その翌日には学校に現れた。もっとも―――徹底的なまでに、龍麻のことは避けまくっていたのだが……。いや、避けたというよりも、逃げたと言った方が正しいだろう。露骨どころの騒ぎではなく、思いきり逃げ回っていたのだから。
 朝は遅刻寸前(これはいつも通りかもしれない)、マリア先生と同時に教室へ入り、授業が終わると速攻で逃げ出し、いずこかへと姿をくらませる。そしてまた、教師とほぼ同時に帰ってきて授業を受け、放課後は脇目もふらずに掃除もサボって嵐のような勢いで帰る。いつものラーメン屋にも行かない。龍麻の半径三メートル以内には決して近づかない。それどころか、恐らく視界にも入れないであろう見事な逃げっぷりであった。
 どれほどに龍麻が話しかけようとしても、取りつくシマがないどころか、近づくことさえできない。何しろ、授業中以外は探せど探せど見つからない場所に隠れているのだから。
 さすがにやり過ぎたと反省したのか、それともこの様子なら漸く本気だと思い知ったことに満足したのか、当初は逃げ回る京一をそっとしておいた龍麻だが、徹底的な無視及び逃亡攻撃が五日目を迎えるに至って徐々に沈んでいった。本気だと思い知ったのなら尚更、ここまで本気で逃げられると落ち込みもするだろう。
 あまりにも落ち込んでいる龍麻に同情して、美里と小蒔が京一に進言しようとしたが……この二人が近づく隙すらなく京一は逃げ回る。何故なら件の龍麻の劇的な告白は、遠野杏子の働きもあり、今や真神学園全校生徒に知れ渡ってしまったからである。もともと京一は下級生にファンも多く、友達も多い目立つ人間だったし、龍麻もつるんでいる人間が人間な上、本人の容姿もよく、なにかと話題になる目立つ転校生だ。それは噂も駆け巡るというものだろう。
 こうなっては、下手に掴まると詮索や説得やからかいを受けること確実。もはや京一は、全校生徒から逃げ回っているも同然なのであった。
「ひーちゃん、京一もさ、多分悪気はないんだよ……」
「そうよ。きっと恥ずかしくて顔を合わせずらいんだと思うの」
 溶けて机と同化しそうに沈みまくっている龍麻に、小蒔と美里が必死にフォローをする。なぜ京一なんかのフォローをしなければならないのだ、というのが本心だったが。しかし二人のフォローも耳に入らず、龍麻はがっくりとするばかり。
「気を使わなくていいよ。……あれは、本気で嫌がってる」
 龍麻は確信していた。あの逃げ方は、悪気はないかもしれないが、恥ずかしいからではないと。確かに迷ってはいるだろうが、それは龍麻への対応であって、答えではない。答えなど、決まっているのだ。そんなことは、始めから分かっている。だから、避けられても嫌われても、仕方がないと思っていた。自分が本気だと、冗談ではないと知ってくれればいいと……。
 とは言え、何もオバケかなにかのように逃げなくてもいいではないかと思う。さすがに急ぎすぎたか、告白にしてもやりすぎたかと、しばらく殊勝にしていたものの、こうまで露骨に避けられていると、段々と腹が立ってきて、闘志が沸いてくる龍麻だった。―――そう、彼は、筋金入りの天の邪鬼だったのである。
 そして遂には、例の事件から一週間。
 しおらしく沈んでいた龍麻も、とうとうキレた。朝から不機嫌さは徐々にヒートアップしていき、クラスメート達を脅えさせていたが、その日の昼休みには、遂に京一と同じかそれ以上の勢いで、京一を追いかけはじめたのである。
「ちょっと待てコラ、京一ーっ!!」
「待てるか、バカヤローッ!!」

 ――― そうして、二人の追いかけっこが始まった。




 真神学園が二人の大爆走劇場と化してから三日。今日も今日とて走りまくる二人は止まらない。そして、彼等を見守るギャラリーも止まらない。
「キャーッ、蓬莱寺先輩~。お願い、転んでー!」
「緋勇くん、昇降口は塞いだよ!」
「裏門も封鎖完成だ」
「蓬莱寺ー、諦めろー」
 囃し立てるのはまだいい方で、やたらとノリがよくなってしまった三年C組を始めとする真神学園の生徒の一部は、緋勇龍麻に手を貸すこともしばし。始めは引いて遠巻きにしていた男子生徒達も、緋勇龍麻の目には蓬莱寺京一しかいないと分かって安心したのか、他人の不幸は蜜の味……とばかりに、協力をしていた。
「よし、緋勇。足止めは任せろォ!」
 中には、実際に京一の足を止めようと、廊下の角にロープを張って待つ古典的な男子生徒もいたりする。
「邪魔だッ。どけ、鈴木!」
 案の定、一蹴りの下に倒れ伏すことになるのだが。

 そんなこんなで、緋勇龍麻の告白劇から時がたつこと十日―――
 遂に、龍麻が京一を捕らえた。
「オーッ!!」
 見ていた生徒達から、大きな歓声があがる。
 瞬発力では僅かに京一に分があったが、逆に持久力では龍麻の方がやや上だったらしい。京一のスピードが落ちた頃を見計らってスパートをかけた龍麻は、追い越して前に出ると同時、とっさに足をかけたのである。さらにはバランスを崩して倒れそうになる京一の腕を捕らえ、一本背負いをしかけたのだった。
「い……てェ~……ッ」
 咄嗟だった為に遠慮がなく、背中から床に叩きつけられた京一は、荒い息の合間に呻く。満足に受け身もとれなかったようだが、力尽きたように床へ手足を投げ出したのは、痛みのためというよりも、単に走り疲れたからだった。京一の腕を捕らえたままの龍麻もまた、肩で息をしている。だが、京一の呻き声を聞いてやり過ぎたかと反省したものの、やっと捕まえたものをみすみす逃がすわけにもいかない。龍麻はさらに、捕らえていた京一の右腕をひねりあげた。
「いててて、いてェッて。離せよ、ひーちゃん!!」
「逃げないって誓うなら離す。……けど逃げそうだから駄目」
 当然のように暴れて龍麻から逃げようとする京一だが、ここまでの苦労を思えば、そうそう離す龍麻ではない。
「逃げねェよ!」
「嘘付け」
「逃げねェから、手ェ離せ! 痛ェんだよッ」
「信用できない」
 何しろここ数日の京一の逃げ様ときたら、見事としか言い様のないものだった。龍麻の恨みは相当根深いようである。しばらく暴れていた京一は、仕方ないとばかりに暴れるのをやめ、諦めきった声で溜め息混じりに言った。
「……わかった。わかったから、ちゃんと決着つけようぜ。俺だってこのまま逃げ回ってもいられねェし」
「本当だな」
 大人しくなった京一を見て、ようやく龍麻も腕を緩める。
 ―――その隙を、京一は見逃さなかった。
 抱き起こそうと身を屈めた龍麻の腕を思いきり引っ張り、反動を利用して一瞬で立ち上がると、そのまま走り出す。卑怯だとは思ったが、先ほどの一本背負いの恨みもある上に、背に腹は代えられない。―――しかし。龍麻もまた、そこで終わるほど甘い男ではなかったようだ。
「甘いっ。秘拳・鳳凰ーっ!!」
 引っ張られた勢いで床に倒れかけた龍麻は、上手くバランスをとって床に膝をつくと同時、廊下を真っ直ぐに駆けていく京一に向けて鳳凰を放った。しかも必殺。そこには微塵の容赦もなかったという―――。京一はそのまま廊下の端まで吹き飛び、黒焦げになって車に轢き潰されたカエルのような格好で倒れた。
 見ていた生徒達も、今度は歓声を上げるどころではない。脅えたようにその場から遠ざかり、二人と距離を置く。しかし成り行きが気になるのか、その場を立ち去りはしなかった。目を合わせないようにして、ゆっくりとした足取りでそちらへ向かう龍麻を、遠巻きに見守る。
 一方、黒焦げになった京一は、近付いてくる龍麻の気配を察してなんとか起きあがり、振り返った。既に悪の元凶は数メートルの位置まで来ている。廊下の端まで飛ばされてしまったため、背には壁。目の前には龍麻。その向こうには大勢の野次馬。―――とてもではないが、逃げ切れない。というよりも、逃げ道はどこにもない。
「随分と、手を焼かせてくれるじゃないか……」
 フフフフフ。との笑ってない笑い声に、余計に恐怖を募らせる京一と野次馬。長い前髪に隠されて表情が見えないところが、余計に何を考えているのかわからなくて、怖かった。
(ひい~ッ。マ、マジに怖ェ……)
 あとずさろうとするが出来ずに、壁にぴったりと張り付いた京一は額にだらだらと冷や汗を浮かべる。近付いてくる龍麻の周りには再び現れた暗雲。そして止まらない不気味な笑い声。冷や汗が出ない方がおかしい。
「俺も嫌われたもんだよなぁ。……そんなに嫌か?」
 フフフフフ、ククククク……。と笑いながらの台詞に、京一は恐怖する。
 龍麻は《自分のことが嫌いか》と聞いたつもりだったのだが、京一は恐怖のせいか何なのか、別の意味でとった。あの時の、告白の答えを聞かれているのだと思ってしまったのである。そのため、思いきり叫んでしまった。
「ッたりめェだろッ。俺はオネェちゃんが大好きなんだ! 男となんて誰が付き合うかッ!」
 と―――。
 ガスが充満している部屋で、ライターをつけるようなものである。見物している生徒達が声にならない悲鳴を上げ、京一もまた言った後で「しまった」と思ったがもう遅い。慌てて掌で口を覆っても、既に空気を震わせた振動が戻ることはないのだから。
 一瞬だけ龍麻が哀しげに柳眉を寄せたのを見て、京一の心が僅かに痛んだ。京一はなにも、龍麻を嫌いになったわけではない。龍麻はいい奴だと思っているし、頼りになる仲間で、相棒。だからこそ過剰なスキンシップも、冗談のような戯言も気にならなかった。それは今でも変わらない。変わらないからこそ、困っている。京一の中で龍麻は親友以外の何物でもなく、本気で好きだといわれても、自分は男で龍麻も男なのだから、真剣に考えることは難しかった。しかも京一は大の女好きと自負している。男と付き合うなんて気はさらさらない。だがしかし、親友としての龍麻を失うのも嫌だった。考えたくなくて、答えを出したくなくて、先延ばしにしたくて、逃げていたのである。
 ―――もっとも今となっては、告白事件の時の龍麻の行動に対する怒りと、全校に広まってしまった噂の方が、逃亡の原因としては大きくなっていたのだが。
 しかしとうとう、京一はハッキリ叫んでしまった。ただでさえ、勢い任せのキツイ語調でキツイ台詞。それもこのような怒りのガス充満中に吐かれたとあっては、龍麻が激怒すること必至。付き合う云々はともかくとして、そんな事態は遠慮願いたいのが、京一の偽らざる本心だ。そして恐らく見物人達も、巻き添えになることを怖れて、そんな事態はご遠慮願いたいだろう。
 龍麻を怒らせたい訳ではない。傷つけたいわけではない。こんな厄介な事になった元凶である龍麻に対する多少の怒りを覚えつつも、京一は言ってしまった言葉の罪悪感に視線を落とした。
 果たして、龍麻はどうするのだろうか。
 京一も、野次馬も、固唾を飲んで龍麻の反応を待つ。
「………」
「……………」
「…………………」
「………………………」
 妙に長い沈黙の後、とうとう龍麻が口を開いた。
「フフフフフフ………」

(笑ってる―――!!)

 京一と野次馬は皆いっせいに限界ギリギリまであとずさった。先程と同じ笑っていない笑い声だが、今回はさらに上を行く不気味さである。諦めきったというか、吹っ切れたというか。自暴自棄になったような、不吉な笑い声だ。あえて言葉にするなら、「もうどうでもいいや、なるようになれ。ああでも、最後にちょっと復讐していこうかな♪」という感じである。さらに厚みを増した暗雲と、裏密ミサに負けない程の陰鬱なオーラを渦巻かせた緋勇龍麻は、文句なしに怖かった。京一が今まで遭遇したどんな鬼よりも、裏密よりも、ともしたら岩山たか子よりも怖い。京一をはじめ、見物人達の体感温度はまたもや急転直下した。
「そうかそうか、そんなにイヤか。……けど、そこまでイヤがられると、なんかもう、いっそ清々しいよな」
 長い前髪をかきあげ、その整った顔をわざわざ露にしてから、にっこりと微笑む。普通であれば人畜無害そうな、さわやかで穏やかで優しい微笑みも、今はなぜか毒々しい。
「俺はお前のこと本気で好きだからさ。お前に嫌われるのだけはイヤだったんだけど。もう今更みたいだし? ここまできたら怖いものなんてなんにもないよな♪」
 にこにこと、一見したら邪気のなさそうな、しかしその実、邪気オンリー百パーセントな笑顔で続ける龍麻。
「遠慮するの、やめるよ」
 っていうか、遠慮してたのかお前。ついつい心の中でツッコミを入れる京一と野次馬の面々。今まではともかく、例の告白からこっちは、かなり龍麻大全開だった。
「なにがなんでも、俺に惚れてもらうから。オネェちゃんオネェちゃん言ってられるのも今のうちだぞ、京一」
 と、そこで、さわやか龍麻の笑顔が爽やかな笑みから不敵で傲岸不遜なものに切り替わる。
「俺の本気をなめるなよ……?」
 京一も野次馬達も、その時、龍麻の目がキラーンと光ったように見えたという。
 龍麻は本気だ。嫌な予感に身を竦ませながら、京一は考える。いまだかつて、本気になった彼が成しえなかったことがあっただろうか? 少なくとも、京一が知る限りでは皆無だ。それに思い至って、京一の背をゾクリとした悪寒が駆け抜ける。だが、そんなことなどお構いなしに、絶好調本気発動中の龍麻は、京一に向けて、ビシッと指を突きつけ、高らかに宣言した。
「そのうち、お前の方から《抱いてくれ》と言わせてやるからな!!」
「……ッ!?  だ、だッ、誰が言うかァーッッ!!」
 あまりのことに絶句しかけた京一も、セリフの内容を理解するなり真っ赤になって叫ぶ。しかし龍麻はどこ吹く風。気分はすっかりと悪役のようで、不気味な笑い声をあげて一人悦に入っていた。
「フフフフ、覚悟していろ、京一!」
「冗談じゃねェッ。…ッて、おい。聞いてんのか、龍麻!?」
 抗議の声も意に介さず、妙に自信満々な龍麻は、京一を嘲笑うように見下ろす。
「逃げられるものなら、逃げてみろよ。俺は地の果てまでも追っていくからな!」
 その様は、本当に京一のことが好きなのだろうかと、野次馬達さえ疑いをもったほどだった。しかし、龍麻は本当に地の果てまでも追って行くだろうことは疑いがない。何しろ、本気になった彼は手がつけられないのだから。それは、京一もよく知っていることだった。
「悪夢だ……」
 これからのことを思わず想像してしまい、途方にくれて呆然と京一が呟く。その声が聞こえたのか、龍麻はあえて凶悪に笑って宣告した。京一にとっては死刑宣告にも等しいことを、堂々と。
「残念だけど、現実だよ。絶対覚めない、な」


 どうやら二人の追いかけっこは、これからが本番なようである―――


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