No.19

ヘタリア

天使育成計画
▽内容:ゲームを理由にアメリカに訪問を断られたイギリスは、その魅力を知るためにゲームに挑戦してみることを決意する。そこで詳しそうな日本を頼ったのだが、差し出されたのは『アメリカを育成するゲーム』で…
                         






「あー、日本。それで話ってのはだな」
『はい』
「実は……その、俺もお前んちのテレビゲームってやつを、やってみようかと思ってな」
『え?』

 それはほんの気まぐれのようなものだった。
 たまたま、まとまって暇な時間が出来そうで。
 いつものように刺繍をしたり庭をいじったり妖精達と穏やかに過ごすのも良いけれど、せっかくだから遊びに来ないかとアメリカに電話をかけたのが始まりと言えば始まりで。
『へぇ。珍しいな、君がそんなこと言ってくるなんて』
「たまたまだ、たまたま! お前なら暇だろうし迷惑かけても気にならないしな。別にお前とどうしても遊びたいってわけじゃねーんだからな!」
 珍しいと指摘されて、ついいつものように意地を張った言葉を零してしまったが、即座に断られなかったこともあって少しは期待できるだろうか。と、思ったのだが……
『HAHAHAHAHA、君が泣いて頼み込んできたってお断りだぞ☆』
 朗らかに、切って捨てられた。
「な、別に泣いて頼んだりしねーよ! もういい、お前なんか誰が誘うかこのアホメタボリカ!」
『相変わらず失礼だな君は。俺は今、日本からもらったゲームで忙しいんだ。用がそれだけなら切るぞ!』
 しかも理由が、《ゲームで忙しいから》。
 前々から約束をしていたわけでもない。たまたま空いた予定を埋める為の誘いだったのだから、それほどショックを受けることではない。
 何度か自分に言い聞かせてみたが、悔しいような腹立たしいような寂しいような気持ちが沸き上がってくるのは止めようもなかった。
『イギリスも幻覚とばかり遊んでないで、たまにはゲームでもしてみればいいんだぞ!』
 脳天気なアメリカの声に苛立ち、胸中で何度となく(実際口にも8割くらいは出ていたが)罵りと文句と小言と呪いを吐きながら、受話器を叩き付けるようにして電話をきった。
 バカヤロー。今まさにゲームが嫌いになったぜ!
 受話器を切っても憤りは収まらず、全てをスコーン作りにぶつけることにした。
 結果、いつもより硬くてもそもそした食感になってしまったものの、少しばかり落ち着いた俺は、スコーンを茶請けに紅茶を飲みながら、改めて休暇をどう過ごすかを考え始めた。
 自慢ではないが、正直に言って俺には気軽に遊びに誘える友達など殆どいない。
 仲が良いどころかハッキリ悪いと言うことが出来るが、その分だけなんの遠慮もいらないフランス。
 気軽になんて誘えたものではないが、まだなんとかたまに勇気を出して声をかけるアメリカ。
 あとは、気を遣ってくれすぎるから、迷惑なんじゃないかと思ってなかなか誘えない日本。
 交友関係なんて、そんなもんだ。
 べ、別に寂しいなんて思ってないんだからな!?
 アメリカへのムカつきをフランスを殴って解消してもいいが、それはそれで別のストレスが溜まりそうだしな。
 アメリカには一刀両断で断られたし。
 となると、残るは日本だけだ。
 日本と過ごせるなら、それは俺にとってはとても楽しく有り難いことで。
 正直、アメリカやフランスと過ごすよりもよっぽど安らげる。
 あの二人だとストレスが溜まるが、日本と過ごしていてストレスが溜まることは殆どない。
 ただ、あの物静かで穏やかな友人が、誘いに対してきっぱりと断りづらい性格をしていることを知ってるだけに、本当は迷惑なんじゃ……と思うとなかなか誘えないだけで。
 そういえば、さっきアメリカが日本のゲームをやってる、って言ってたか。
 日本はゲームや漫画が得意らしく、最近では色々な国で流行っている。俺はあまり興味がなかったから詳しくないが、アメリカやフランス辺りが好きらしく、話している姿はよく見かける。
 ゲーム、ゲームね。
 昔からあるチェスやカードの室内遊戯や、うちに馴染みのあるスポーツなんかは嗜むが、テレビゲームやPCゲームといったものはさっぱりだ。
 興味もなかったから、まぁいいかと思ってたが……。
 考えてみたらアメリカも日本もフランスも、最近じゃ会うとその辺りの話題が多くてついていけないことも多い。
「ふむ……」
 断りの理由にされたゲームに恨みがないわけでもないし、まるでアメリカに言われたからのようで癪ではあるが……そんなに面白いというのなら、ちょっとやってみるのもいいかもしれないな。
 どうせ暫くは暇なんだ。
 たまには《いつも通りの休日》とは違ったものを凄そうと思ったのが発端だし。
 やってみるか。

 決心した俺は、そのまま日本に電話をして―――今に至るというわけだ。
「や、やっぱり俺がゲームなんておかしいか……?」
 自分でもらしくないなと思っているので、日本の問い返すような声に不安になる。
 だが、すぐに日本は優しい声で否定を返してくれた。
『いえいえ、とんでもありません。少し意外でしたが、興味を持っていただけて嬉しいです』
 その声は本当に嬉しそうで、俺の緊張もほぐれる。
 ああ、やっぱり日本と話していると落ち着くな。
「そうか。だが恥ずかしい話、全く分からなくてな。何を買って、何をやったらいいものか……。その辺りを聞かせて貰えるか?」
 受話器の向こうへと問いかけると、声でなく日本が考え込む様子が伝わってきた。
 さすがに図々しすぎただろうか……。
 もう少し自分で調べてからにするべきだったか。
 そう思って慌てかけた俺だったのだが。
『イギリスさん、しばらくはお休みだとおっしゃいましたよね?』
 まだ考えこんでいる様子を残した日本の声に、言いかけた謝罪を慌てて喉の奥に戻す。
「あ、ああ。久々に10日ほどは何もないんだ」
 予定を告げると、日本の声が明らかに変わる。
 よりハッキリ、嬉しげな声へと。
『それは良かった。あの、イギリスさん。もしご迷惑でなければ……私の家へ、いらっしゃいませんか?』
「え?」
 それは思いも掛けない誘いだった。
 1人で過ごすしかないと思い、その為にゲームでもやってみようかと思って日本に電話をかけたのだから。
「けど、いいのか? お前に迷惑じゃ……」
『遠慮なさらないでください。私も大きな仕事が終わったところで、お休みなんです。うちにはゲーム機もソフトもたくさんありますから、イギリスさんに実際に見て選んでいただくこともできますし。それに最初は色々と戸惑われると思うので、僭越ながらお手伝いさせていただけたら、と思いまして』
 じーん……。と、思わず感動してしまう。
 日本の家で日本と過ごせるだけでなく、俺が全く分からないというゲームについても教えてくれるなんて。
 あーあ、アメリカに日本の5%でもこの優しさがあればな……。
「本当か? 助かる。迷惑じゃなければ、ぜひ頼みたい」
『はい。お任せください』
 電話から聞こえる日本の声は嬉しそうで楽しそうで。
 俺が行くことを心から喜んでくれているような気がして、俺も嬉しくなる。
「休暇に入ったら、すぐにそっちに行かせてもらう。また詳しい予定が分かったら連絡するな」
『はい。お待ちしてます。イギリスさんをお招きするのも、久々ですからね。私も楽しみです』
「ああ、俺も楽しみだ。じゃあ、またな日本」
『はい。では、また』
 アメリカの電話とは真逆に幸せな気分で電話をきった俺は、休暇を日本で過ごす為の準備に早速とりかかった。
 




 待ちに待った休暇の日。
 俺は早速、日本の家を訪れていた。
 日本の家に行くことが決まってから、毎日なんとなくそわそわと浮き立って落ち着かなかったが、遂にこの日が来たのだ。
 友人との約束を待ちわびて過ごすというのは、なんていうか……いいものだな。
 こんな浮き立つような気持ちで待つ予定なんて、普段はなかなか持てない俺には、この日を待つ間も楽しくて仕方がなかった。
 思い切って日本に電話をかけて良かっと思う。
 でなければ今頃、アメリカに誘いを断られたことに落ち込んで、鬱々と過ごしていたことだろう。
「遠いところ、ようこそお越しくださいました。さ、イギリスさん。どうぞ」
 日本の家の居間に通され、お茶を出される。
 普段あまり感情を露わにしない日本だが、周囲に花が舞う幻覚が見えそうなほど浮き立っているのが分かって、俺もなんだかふわふわとした気持ちになった。
 約束をして、遊びに来て、それを歓迎されて。
 こういうのって、いいよなぁ……。
「すまないな、日本。あ、そうだ……これ、土産なんだが」
 日本が歓迎してくれている様子に感激しながら、俺は持ってきた紙袋を差し出す。
「これはどうも、お気遣い戴きまして申し訳ありません。ありがとうございます」
 深々とお辞儀をして受け取ってくれた日本が、紙袋の中を覗きこみながら緩く首を傾げた。
「これは、紅茶ですか?」
「ああ。俺の一番のお勧めを持ってきたんだ。キッチンを貸して貰えれば、後で俺が淹れてやるよ」
 日本が出してくれる緑茶も独特の香りと苦みがあって美味いが、長期間となると紅茶が欲しくなる。
 自分が飲む用と、その後に日本が気に入って飲んでくれればいいなと思って、もう1箱買ってきたのだ。
「それは楽しみです。イギリスさんの淹れてくださる紅茶は、格別ですから。自分でも同じように淹れてるつもりなのですが……なかなかどうして、上手くいきませんで」
「慣れもあるさ。教えてやるから、後で一緒にやってみるか?」
「はい、ぜひ。……と、これは……?」
 柔らかく微笑んで紅茶の箱を炬燵の上に並べていた日本が、一緒に紙袋に入っていたものに気づいたらしい。
 包みを取り出して、それも同じように炬燵の上に並べられた。
「ああ。せっかくだからな、スコーンを焼いてきたんだ。流石に時間が経っちまったが、軽く温めればいいかと思ってな」
 照れながらそう言った俺だったのだが……
「あ……そうですか。……わざわざすみません。ありがとうございます」
 な、何故だろう……日本の笑顔が先程よりも引きつっているように見えるのは気のせいだろうか。
「後で、戴きますね。……そうそう。近所の子供が外国のお菓子を食べてみたいと言ってましたし、その子にもお裾分けをさせて戴いても良いでしょうか。せっかくイギリスさんが作ってきて下さったんですから、私一人で戴くのも申し訳ないですし。たくさんあるようですから、ぜひ他の方にもお裾分けさせていただきたいです」
 微妙に引きつったように見えるが、日本は普段から柔和な笑みを浮かべていることが多いので、どこがどう違うかが俺には良く分からない。
 珍しく一息につらつらと語られる言葉に多少面くらいはしたが、俺の菓子を他の人にも食べさせてやりたい、と言われるのは嬉しかった。
「ああ、勿論だ。いくらでも持ってってくれ」
 快く頷くと、日本もほっとした様子で笑みが自然なものへと変わる。
「ありがとうございます」
「はは、そんなに喜んで貰えるなら、もっと作ってくれば良かったな。次に遊びに来る時は、その倍は持ってくるとするか!」
「あ。……いえ、その、充分ですので、どうかお気遣いなく……」
 恐縮した様子で言う日本に、俺は笑って遠慮するなと言ってやった。
 何しろ日本は遠慮深いからな。言葉を額面通りに受け取らず、その分も推し量ってやらなけりゃ。
 俺はアメリカと違って空気が読める男だ。
 よし、やはり次はもっとたくさんスコーンを焼いてこよう。
 そう決意していると、日本は曖昧に微笑んだまま「お茶のお代わりをお持ちしますね」と言って、キッチンへと戻っていった。
 紅茶の箱とスコーンを持って行って、代わりに緑茶の入った急須と、茶請けの煎餅を持ってきてくれる。
「イギリスさんのお口に合うか分かりませんが……緑茶には、とても合うんですよ」
 確かに緑茶にスコーンというのは、あまり合わないかもしれない。
 紅茶を後で淹れることになっているし、スコーンはその時でいいだろう。
 日本のせっかくの心遣いということもあり、俺は有り難く煎餅と緑茶を貰うことにした。






「さぁ、それではイギリスさん。参りましょうか!」
 お茶を飲み煎餅を食べながら、俺と日本はゆっくりと近況などを語り合っていたのだが……。
 ひとしきり話した後に訪れた、嫌ではない沈黙を日本が唐突に破る。
「え。参るって、どこへだ?」
 思わず問い返せば、日本は意外そうな顔をして、炬燵を挟んだ向こう側からズイとこちらに身を乗り出してくる。
「どこへ、というわけではないのですが。イギリスさん、今日はゲームをしにいらっしゃったのでしょう?」
「あ」
 しまった。そういえばそうだった。
 日本の家に招かれて、休暇を日本で過ごせるということに浮かれ、当初の目的をすっかりと忘れてしまっていたようだ。
「あー……だが、別に無理には……」
 元々、休日の暇潰しに何かをと思ったのが発端だったからな。
 日本と過ごせるのであれば、あえてゲームをする必要もないのだが……
「何を仰るんですか。ゲームをしないイギリスさんが、遂に私の家のゲームに興味を持って下さったんです。この機会を逃すわけにはいきません。是が非でもやっていただきます!」
 日本が拳を握りしめて力説するので、ついつられて「わ、わかった」と頷いてしまった。
 元から日本やアメリカが好むようなテレビゲームは馴染みがないし興味もないのだが、それを口実に日本に来たんだもんな。
 日本も張り切っているし……。よし、当初の目的通り、挑戦してみるか。
「実はですね、こんなこともあろうかと私の家で密かに開発を進めていたゲームがありまして。ぜひともイギリスさんにプレイしていただきたかったんです」
 はにかむような笑みを浮かべながら、日本はせっせとゲームの準備を始める。
 俺には何がなんだかさっぱりだが、テレビやゲーム機にコードを繋いだり、細々と動いていた。
「俺に? 一体どんなゲームなんだ?」
「ふふ……それはプレイしてからのお楽しみです」
 意味ありげな日本の言葉と笑みに首を傾げるが、そもそもテレビゲームというものにどんなゲームがあるかも分かっていない俺に、想像などつく筈もない。
 ゲーム機自体も持っていないし、どれがどの機種だとかいうことすらさっぱりなのだ。
「ゲームに不慣れな方には、本当は簡単なアクションゲームやパズルゲームが良いのでしょうが……。すみません、どうしてもイギリスさんに遊んでいただきたくて。少し戸惑うかもしれませんが、私も横でお教えしますので、試しにやってみていただけますか?」
 セッティングが終わったのか、日本がコントローラーらしきものを俺へと差しだしながら遠慮がちに微笑む。
 炬燵の上にはテレビへとコードの伸びた長方形の機体。
 コントローラーと機体は無線なのか、こちらにはコードが伸びていない。
 思った以上に軽いそれを受け取りながら、俺は当然だと頷いた。
「ああ。ゲームについては全く分かってないからな。どちらにしろ日本に1から教わらなきゃいけないんだし。それに、日本のお勧めなら間違いなく楽しめるだろから、有り難く遊ばせてもらうよ」
「そう言っていただけると助かります。では、始めましょうか」
 安堵したように笑んだ日本は、ゲーム機本体らしきもののスイッチを入れると、先程までのような向かい側ではなく、俺の隣へと座り直す。
 その位置がまた親しい友人のようで新鮮で。そんな些細なことに幸せを噛みしめながら、何かの映像を映し始めたテレビ画面に目をむけた。

 映画のように、まずはゲーム機のメーカーを示すのだろうロゴ、関連する企業のロゴなどが一通り流れてくる。
 そこで画面は一度真っ黒になり……耳に心地良い音楽が流れ出すと同時、画面に色彩が溢れた。
 色とりどりの花が音楽に合わせてくるくると回りながら画面を流れ、暗かった画面を色と光で塗り替えていく。
 花に導かれた虹が空へかかると、画面は真っ青な青空を映し、それからカメラが下がって今度は緑に溢れた地上を映した。
 風にたなびく草原。抜けるような青空。画面を彩る光と音。
 走るように画面は進み、草原を駆け抜け―――やがて、そこで光に出会う。
 視界が止まる。
 草原には変わらず穏やかな風が吹き、青空はどこまでも爽やかに青く。
 そんな中、小さな小さな光が、草原の真ん中に浮かんでいた。
 誰かの手が伸びる。
 そっと大切なものを扱うように、光を掌に上にのせ―――光が、弾けた。
 画面が一瞬で光に覆われ、何も見えなくなる。
 僅かの時をおき、徐々に光りから現れるのは、ひとつのシルエット。
 小さな小さな子供の影。
 誰かの手は、その子供に伸ばされ。
 小さな子供の手もまた、誰かの手に向けて伸ばされた。
 二つの大きさの違う手が―――触れあう。
 瞬間。
 逆光によるシルエットだけだった子供に、色彩が戻った。
 邪気なく、幸福な、嬉しそうな満面の笑みを浮かべて手を伸ばす子供。

「え……」

 その子供に、俺は見覚えがあった。
 見覚えがあるどころじゃなく、あった。

「しっ……。イギリスさん、とりあえずオープニングを全て見てください」

 思わず零れた声に、日本から注意が入る。
 いや、だって、でもコレ……。
 それどころじゃないと思ったが、かと言って俺は画面から目を離すことも出来なかった。

 小さな子供は誰かの手の中へと飛び込み、誰かの手は子供をしっかりと抱きしめる。
 嬉しそうにはしゃぐ子供。
 口元までしか映らぬ誰かも、同じように幸せそうに笑った。
 画面は切り替わり、様々な子供の姿が映し出されていく。
 難しい顔をして勉強をしている子供。 
 笑いながら荒野をかけて行く子供。
 鹿爪らしい顔をして、ナイフとフォークを必死に操ろうとしている子供。
 恐らくあまり上手くないだろうバイオリンを得意げに弾いている子供。
 川に浸かり、水を跳ね上げて楽しげに遊ぶ子供。
 船に向けて走り出す子供。
 誰かの乗る船を見上げ、泣きそうに顔を歪ませる子供。
 誰かの名を呼ぶように大きく口を開けて何かを叫び、涙をこぼす子供。
 そしてまた画面は変わり、今度は《誰か》を映し出す。
 あまりにも馴染みのある風景。室内の意匠。
 王宮。
 《誰か》をとりまく人々。
 その中には、見知った奴も多く混ざっていた。
 幾人かの顔が流れるように映っていき、そして再び画面は荒野へ。
 《誰か》が走っている。
 愛しい存在へ向けて、ひたすらに。
 光溢れる草原。最初に子供と出会った場所へ駆けていけば、そこには―――《誰か》の愛する子供が居た。
 喜びに溢れた笑顔で《誰か》を迎える子供はしかし、先程までよりだいぶ大きくなっている。
 それでも変わらずに、《誰か》の胸へと飛び込み、抱きついていく。
 《誰か》との幾つかのシーン。
 仲の良さを表すようなものもあれば、稀に反発しているのだろう場面もあった。
 子供も徐々に成長した姿へと変わっていく。
 何かを暗示するように、画面はセピア色になりくるくるとマスケット銃が画面の上で回転し、《誰か》と子供の想い出が見えなくなっていった。
 シルエットだけの旗が2本、画面中央で翻る。
 そこに交差するのは、2本のマスケット銃。
 セピアの画面は薄くなり、重なるようにして子供の姿が成長段階を追って素早くいくつも表示される頃には音楽もクライマックスを迎え―――
 再び最初の草原へ。
 遠くに見える、《誰か》と子供のシルエット。
 花が舞い、虹がかかり―――そして画面は二人を越して空を映した。
 大陽の光に画面が全て白くなったかと思うと、光に染まった画面に文字が徐々に描き出されていく。
 そして全ての文字が描かれると、強調するように文字の輪郭が浮き上がり、背景が白から鮮やかな青と赤に彩られ―――音楽が綺麗に終わりを迎える。

 画面に記された文字は

 ――― 『ANGEL MAKER』 ―――
 
 だった。
 
 その後、ゆっくりと画面には『NEW GAME』、『COUNTINUE』、『OPTION』などの文字が出てきたが、それらを気にしている余裕はなかった。
 画面に映ったものに、激しい動揺を隠せない。
 音楽は重厚なオーケストラで彩られ、素晴らしかった。
 画像も美しかったと思う。
 だが、それどころじゃない。そういう問題じゃない。
「日本……これ……これって……どういうことだ!?」
「……あ。その、駄目、でしたか?」
 かつての大英帝国がなんて様だと己を叱咤しても、この動揺を隠しきることは難しい。
 画面から目を離せず、わななく口をなんとか動かして伝えた問いは随分と不確かなものだったが、日本には通じたようだ。
「駄目とか、そういう問題じゃなくて、だな……」
「ええ。その……すみません。実はこれ……。その……ご覧になった通り、ええと……はい。『アメリカさん育成ゲーム』、なんです」
 は?

 アメリカ
 いくせい
 ゲーム?

 日本が口にした言葉を飲み込むのに、数秒を要した。
 そう、確かに。
 あのムービーに映った子供は、多少アニメ風CGとしてデフォルメされてはいるが、間違いなくアメリカだ。
 それもまだ小さい、初めて出会った頃のアメリカだった。
 その後に出てきた成長した姿も、見覚えがある。
 当たり前だ。アメリカは俺が育てたのだから。
 恐らくはプレイヤーを示すのだろう、顔の映らない《誰か》。顔は映らないから分からないが、彼の生活様式や服なども見覚えがありすぎる。
 あれは、アメリカと出会った頃のイングランドのものだろう。
 つまりは俺だ。
「日本。なんでこれを……俺に……?」
「ええと……試作品、ですので。その完成度をイギリスさんに確認して貰えたらなーと、思いまして」
 辿々しく日本が説明してくれる。
 まぁ、確かにアメリカ育成ゲームといって、実際に小さい頃のアメリカを模して作ろうというのなら俺に確認を求めるのはあり得る話だ。
 ただ……なんでそんなゲームを作ろうとしたかが分からないが。
「ゲーム初心者のイギリスさんに、こんなコアなゲームをプレイしていただくのも気が引けるのですが……。やはり小さい頃のアメリカさんを一番良くご存知なのはイギリスさんですし。自分でもなかなか良く出来たと思ってるので、試しにプレイしていただけたら……嬉しいのですけれど」
 困ったように、そして悲しそうに言われてしまうと、俺としても断りづらい。
 実際、ムービーのアメリカは良く出来ていた。
 幸せそうに《誰か》に抱きついてくる姿など、昔を思い出して感動し、うっかり涙が出るところだった。
 アメリカ育成ゲーム。
 正直、興味がないわけじゃない。
 実を言うと、すごく気になる。気になるんだが。
 出来が良すぎるのも問題だな……。
 あまりにもアメリカに似すぎていて、余計なことを思い出してしまいそうで、それが怖い。
 さすが日本だ。まさかゲームでここまで再現するとは思わなかった。
「やはり、無理でしょうか……?」
 隣に座る日本の手が、そっとコントローラーを持ったままの俺の手に重なる。
 驚いてそちらを向けば、悲しそうながらに真剣な顔をした日本がじっとこちらを見つめていた。
「イギリスさんの申し出にかこつけて、ご無理をお願いしているのは承知しております。ですが、どうか……プレイしてみていただけないでしょうか。お願いします」
「日本……」
 いつも真面目な日本ではあるが、ここまで真剣に必死な姿を見るのは久しぶりだった。
 それも、向けられているのは俺一人なのだ。
 日本が、必死に俺にお願いをしてくれている……!
 その事実の前に、多少の躊躇いなど吹っ飛んだ。
 あと実際、このゲームは気になる。非常に気になる。
「分かった。俺に任せとけ、日本!」
「有り難うございます、イギリスさん!」
 何を任せろというのか自分でもその辺りは不明だったが、とにかく日本を安心させたくてそう言うと、日本はとても喜んでくれたようで、コントローラーを持つ俺の手ごと、ぎゅっと両手で握りしめてくれた。
「イギリスさんに喜んでいただく為、私の持てる技術の全てを注ぎ込んで、こんなこともあろうかと作り続けていた『ANGEL MAKER』―――。それをこうして、イギリスさん本人に遊んで頂ける日が来るとは、やはり長生きはするものですね」
「日本……そこまで俺のことを……」
 俺の為にゲームを作ってくれていたなんて、日本はなんて良い奴なんだろう。
 じーん……と、再び深い感動が心に染み入っていく。
「さぁ、ゲームを始めましょう、イギリスさん。アメリカさんを、思うがままに育成する為に……!」
「ああ、そうだな、日本!」
 二人手を取り合い、決意も新たにゲームに向き直る。
 日本に教わりながらコントローラーを操作し、俺はカーソルを『NEW GAME』の欄へとあてたのだった。





【貴方は、長い長い航海の果てに、遂に新大陸に辿り着きました。
 そこはまだ手つかずの厳しい自然が支配する大地でしたが、とてもつもない力を秘めていることに、貴方は気づきます。
 そして貴方は、その広大な大地で―――奇跡に出会いました】

 絵本風の背景と語りでプロローグが綴られる。
 オープニングにあったような草原を歩く《誰か》。
 
【何かに導かれるかのように貴方が進むと……草原に小さな小さな男の子が眠っていました】

『こんな何もないところに……』
 《誰か》が呟く。
 
【その時、貴方は、天からの声を聞いたのです】

『この子に導きを……』

【貴方は、この子を育てることを決めました。
 貴方が手をのばすと、男の子はそっと目を覚ましました】

『……きみは、だぁれ?』
 子供特有の舌っ足らずの高い声。
 寝ぼけているのか、目をこすりながらその子供は画面……つまりこちら側に向けて聞いてくる。

【さぁ、この子を導く第一歩として、貴方の名を教えてあげてください!】

 すると絵本風の画面が消え、装飾的な枠に囲まれた文字入力画面が表示される。
「名前つけなきゃいけないのか?」
 表示された画面に戸惑い、隣に座る日本を見ると、何故か日本は爛々と目を輝かせていた。
「ええ。ですがここやはり、実名プレイでしょう!」
 なんだかまた拳を握りしめている。
「ジツメイプレイ?」
 首を傾げていると、そのまま俺の名前を入力することだと教えられ、じゃあ……と入力を始める。
「けど、俺の名前長いぞ? 入るかな…」
 示された入力枠にはそれなりに長い名前が入るとは思うのだが、何しろ俺の名前は世界で一番長いのだ。
「the United Kingdom……」
「あ。いえ、すみません。さすがにそれは入らないと思いますので、申し訳ありませんが便宜上《イギリス》でお願いします」
「なるほど。わかった」
 正式名称を入力し始めたところで、日本からストップがかかった。
 それもそうか。さすがに名前欄に48文字はないよな。
 名前欄に《イギリス》と入力して、教わった通りにスタートボタンを押すと、再び画面が変わる。
 画面には、ちょうど出会ったばかりの頃の小さなアメリカがこちらを見上げていた。

『い、ぎ、り、す……?』
『わかった、いぎりす、だね! きみがボクのお兄ちゃん?』

 どういう方法を使ったのか分からないが、このゲーム。
 なんと当時のアメリカの声をかなり忠実に再現したフルボイスである。
「………っ!」
 今となっては決して聞けぬ懐かしい声に、思わず涙が浮かんできてしまって、咄嗟に顔を覆った。
「イギリスさん、しっかりしてください。まだプロローグですよ! ここから小さいアメリカさんとの、めくるめく同居が始まるんですから」
「あ、ああ……」
 日本が横で励ましてくれなければ、俺は一向にこの先に進めなかったかもしれない。

 なんだか覚えのありまくるやりとりがアメリカと《誰か》―――いや、もう名前がついたんだから《イギリス》だな―――の間で繰り広げられ、二人は共に暮らす家へと向かうことになる。
 その家まで、一体どこで見てきたんだというくらい、あの時の家を再現していて驚いた。
 疑問に思って日本に問うと、彼は照れたように笑って答えてくれた。
「苦労しました。フランスさんやスペインさん、勿論アメリカさんにもそれとなくインタビューを繰り返し、資料をひっくり返し、現地を見に行き……。イギリスさんは気づかれてませんでしたが、イギリスさんから聞いたお話も、勿論参考にさせていただいてます」
 よく分からないが……とりあえず、日本がもの凄い情熱と労力でもってこのゲームを作ったのだということは良く分かった。

【こうして、貴方と小さなアメリカとの生活は始まったのです。
 貴方はこれから、小さなアメリカを導いていかねばなりません】

 ゲームの中の《俺》は、アメリカをどうやって育てていくかを考え始める。
 すると執事兼秘書を名乗る男が現れ、この屋敷の中とアメリカへの教育についての説明をしてくれた。
 内容はどうやらゲーム的な進め方や用語の説明らしいが、ゲームに不慣れな俺にはサッパリ分からない。
 一通り執事の話を聞き終えると画面が作業的なものに変わったが、話も頭に入ってきていないのだ。
 どうしたらいいかなど、分かるわけもない。
「なんだか難しそうだが……。俺に出来るかな」
「大丈夫ですよ。私が説明しますから、ゆっくり進めていきましょう」
 どん、と胸を叩く真似をして、日本が請けおってくれるのが有り難い。
「いきなり画面が変わったが、これはどうすればいいんだ?」
「ここから暫くは、この画面が中心になってゲームが進んでいきます。これをシミュレーションパートと呼びます。名前は覚えなくても構いませんけどね。先程までの、絵と文章が中心となった画面を、アドベンチャーパートと呼んでいます」
 ゲームってのは、ずっと同じ画面でやっていくものばかりじゃないんだなぁ。
 俺はやったことないが、アメリカがやっているのをたまに見ていると、殆ど画面が変わらないので意外だ。
 レースゲームや格闘ゲーム、アクションゲームと呼ばれるものらしいが、そのせいだろうか。
「アドベンチャーパートは、先程のように台詞を読み終わったらボタンを押して読み進めていけばいいだけです。たまに選択肢が出てきますが、それも十字キーで選んでボタンを押して決定するだけですね」
 先程までの操作を思い出し、頷く。
「問題は、ここからです。操作としては、同じく十字キーで選んでボタンを押して決定、なのですが……。選ぶものが多いので。そうですね……いきなりステータスの話をしても難しいでしょうから、まずはこのゲームの概要や目的からお話ししましょう」
 日本の説明によると、こうだった。
 このゲームは、アメリカ育成ゲームである。
 ゲームは主にシミュレーションパートとアドベンチャーパートに分かれ、イベントと呼ばれる特殊なシーンではアドベンチャーパートで表現されるが、基本的にはシミュレーションパートがメイン。
 そしてシミュレーションパートは、さらに《新大陸モード》と《本国モード》により構成される。
「イギリスさんはアメリカさんのところに居ますから、今の画面が《新大陸モード》です。ここでは、アメリカさんを育成することが主な目的になります」
 画面の左に幾つかの項目が表示され、右端には執事だという男の姿が描かれている。
 中央には1月を示すカレンダーと、週間のスケジュール帳のようなものが表示されていた。
 まだ何の操作もしてないので、スケジュールは空である。
「アメリカさんを教育するには、まず家庭教師を雇います。すると教えられる項目が増えますので、それらをスケジュールに組み込むことで育成していく形になるんです。1日単位でスケジュールを決定し、1週間で1ターン。アメリカさんの体調を見て、体を壊さないように適度に休息を入れながら決めていきます」
「俺が教えるわけじゃないのか」
「えぇ。この主人公……《イギリス》さんは、ずっと新大陸に居るわけじゃありませんから。信頼出来る者を雇って、教育させるという形をとってます」
 確かに、それはそうだ。
 俺も過去、アメリカには出来る限りついていてやりたかったが、本国に戻ってる間は様々な家庭教師やメイドを雇ってアメリカを育てたものだった。
 あんな可愛くて素直だったアイツが、今では見る影もないのが悔しいが。
「家庭教師を雇ったり、アメリカさんと二人で出かけたり、プレゼントを買ったりするとお金が減りますが、《新大陸モード》では、お金を稼ぐ手段がないので気を付けてくださいね」
「金がなくなったら、どうなるんだ?」
「そこまでです。家庭教師は辞めてしまいますし、アメリカさんと出かけることも出来ません。さすがに餓えて死んだり……ということはありませんが、アメリカさんの育成を行えなくなるので、残金には注意してくださいね」
 金は、具体的な金銭の数字ではなく《財力》という大まかなくくりで管理される、ということを教わる。
「ステータス画面で、イギリスさんの現在の状態を見ることができますので、時折確認してください」
 試しに見てみたら、色々な項目があってめまいがする。
「全てを一度に覚える必要はありませんから。最初は《財力》だけ気にしておけば大丈夫ですよ」
 あからさまに頼りない顔をしたのだろうか。日本がそっと肩に手を置きながら励ましてくれた。
 そうだよな。こんな最初の方で躓いてちゃ話にならない。
「詳細はまた後でも説明しますが、先程も申し上げた通り、このゲームの主人公《イギリス》さんは、数ヶ月に一度《本国》へ帰らなくてはなりません。その間は、雇った家庭教師によって緩やかにアメリカさんが教育されていくことになりますが……《イギリス》さんからすれば、本国に帰ってからも戦いです」
 人差し指を立て、真剣な表情で日本が説明をしていく。
「《本国モード》では、アメリカさんではなくイギリスさん自身を鍛えるモードとなります」
「俺!?」
「ええ。こちらでは、イギリスさんのスケジュールを決めていきます。内政や外交を行って世情を安定させると同時に、新大陸でアメリカさんを教育する資金を稼ぎます。あとは新大陸へ持ち込む文化や情報などを入手したり、本国でしか雇えない有能な家庭教師を雇ったり……アメリカさんと会えない間も忙しいですよ」
「複雑そうだな……」
 日本がついていてくれるとはいえ、やるべきことの多さに再び不安になってくる。
 ほ、本当に俺にアメリカがもう一度育てられるんだろうか……。
 あの時はアメリカに俺が出来ることは何でもしてやりたいと思って、必死だったからなぁ。
「やっているうちに慣れますし、イギリスさんが普段している仕事から比べたら、ずっと簡単になってますから、安心してください」
「あぁ、頑張ってみるさ」
 そうだ。今はとんでもなく腹の立つ男になってしまったが、このゲームのアメリカは、まさに天使そのものだったあの時のアメリカだ。
 俺は未だにアメリカの為なら、大抵のことは出来ると思ってるしな。
 うん、アメリカがあの笑顔で「イギリス♪」と呼んでくれるなら、例え難しいゲームだろうか怯んでいられない。
「よし。最初は……ええと、家庭教師を雇うんだったよな?」
「はい。左側のメニューにある<雇用/解雇>を選んでください。現在雇用できる家庭教師が表示されますので……」
 ひとつひとつ日本の指示に従いながら、俺はアメリカを教育する為のスケジュールを埋め始めたのだった。




 日本の言う通り、慣れてくれば難しいものではなかった。
 週の始めに執事に促されてアメリカのスケジュールを決定する。
 その前に、まずは自分とアメリカのステータスの確認。
 俺の残り財力、アメリカのHP(ヒットポイントの略らしい)とSP(こっちはスピリットポイントの略なんだと)の残量を見て、スケジュールを調整。
 慣れてしまえば、単純なルーティンワークだ。
 日本が途中で「そのうち、シミュレーション部分は単なる作業だと思うようになりますよ」と言っていた意味が段々分かってくる。
 とは言え、ゲーム自体に不慣れな俺にとっては、まだまだ新鮮な作業だ。
「今のアメリカは……っと。ん。HPはあるがSPが少ないな。ちょっと勉強させ過ぎたか……」
 アメリカのステータスを確認しながら呟くと、日本も手にしていたノートパソコンから目を離してテレビ画面に向けてくる。
 日本は俺がプレイしているのをレポートしているらしい。
 今後の開発に活かすのだと言っていた。
 ただ遊ばせてもらって世話になってるのも気が引けていたので、少しでも役に立てていると思えるのは有り難い。
「そうですねぇ。序盤は特に上がりにくい《教養》《品位》《忠誠》の3つが結構上がっていますし。少し休ませてさしあげてはいかがでしょう。ただ鍛えるだけでは、美味しいイベントも発生しませんから」
 何しろ初めてなので、今のアメリカのパラメータが通常から比べてどうなのかが俺には判別つかないが、日本が言うのなら高い方なのだろう。
 このアメリカには、今のアメリカのようなガサツでKYな男にはなって欲しくなくて、《品位》や《教養》が得意な家庭教師を雇った甲斐があった。
 このまま順調に育てば、きっと思慮深くて優しい良い子に育つだろう。
 さすが俺のアメリカ!
 ステータス画面に映る、まだまだ小さな子供のアメリカを眺めながら俺は未来に想いを馳せて暫し悦に入る。
「よし。それじゃあ今週は少しゆっくりするか。月曜日に遊びに出かけて、火曜日に外出して、水曜を休みにして全快にしたら、木曜日に久々に運動と、金曜日は勉強、土曜日は遊んで、日曜にもう一回休息、だな」
 何度か繰り返して、各コマンドにおけるHPとSPの増減の感覚はつかんでいた。
 これで、特にアクシデントが怒らなければ来週頭にはアメリカも万全になってることだろう。
 執事にアメリカのスケジュールを通達すると、恭しく頭を下げて執事が画面から消える。
 そうして画面中央に表示されるのは、小さなアメリカのグラフィックだ。
 現在はSPが低いので、少しばかり気落ちしたような顔をしている。
「あぁ……ごめんな、アメリカ……! ついお前によかれと思って色々詰め込んじまって……」
 思わず画面に向けて謝ってしまう。
 それくらい、画面上のアメリカは俺の記憶の中のアメリカにそっくりなんだ。
 当然、声をかけたところで答えが返ってくるわけじゃないが、
『イギリス、こんしゅうはオレ、なにすればいいの?』
 と、小首を傾げて問われれば、それだけで舞い上がってしまう。
「今週はいっぱい遊ぼうな、アメリカ!」
 意気揚々と俺は決定ボタンを押し、スケジュールを実行する。
 イベントが起こらない時は、画面上ではアメリカをさらにデフォルメしたミニキャラが画面上を動き回り、各コマンドに対応した動きを見せてくれる。
 勉強なら机の前でうんうん唸っていたり、マナーならナイフとフォークを手に必死に肉を切っていたり……といったような。
 セレクトボタンでスキップが出来ると言われたが、こんな一生懸命で可愛いアメリカを見ないなんて、そんな勿体ないこと出来るわけがない。
 月曜日の予定は《遊ぶ》なので、小さなアメリカと顔の見えない《イギリス》は、画面上で走り回ってはしゃいでいる。
 俺はいつも通り、画面上を動きまわる小さなアメリカを見て笑み崩れていた。
 日本はそういう時はそっとしておいてくれる。
 アメリカのように、「君の顔、気持ち悪いんだぞ!」とか「なに1人でニヤニヤしてるんだい。変態なのもいい加減にしてくれよ」とか言ってきたりしないので、安心して画面に集中できるというものだ。
 と、日付変更の合図が表示され、火曜日になったところで画面に変化が起きた。
 ミニキャラが表示されずに、《アドベンチャーパート》というやつになったのだ。
「お。イベントか……!」
 ステータスが一定値を満たしたり、様々な条件が揃った時に《イベント》が起きるのだと日本が言っていた。
 大きめの《イベント》は、アドベンチャーパートで展開されるので、画面が切り替わるのは大きめのイベントの合図にもなる。
 今の曜日は火曜日だから、予定は《外出》か。
 そういえば、このコマンドはイベントが起きやすいと日本が言っていたっけ。
 イベントになると、アメリカのグラフィックが大きく表示されたり、特別な台詞が聞けたりするので思わず俺は身を前に乗り出して画面を見守った。
 メッセージを読み進める為の決定ボタンを押す手が、期待に震える。

『アメリカ、今日は外に出かけよう』
 画面の中の《イギリス》が小さなアメリカに告げると、画面に映ったアメリカの顔が嬉しさを滲ませた驚きの表情に変わる。
『ほんと!? わあい。ありがとう、イギリス! どこ? どこに行くの?』
 小さなアメリカは両手を握りしめて、興奮した様子で聞いてきた。
 久々の外出が余程嬉しいのだろう。
『そうだな、今日は……』
 《イギリス》の台詞がそこで途切れ、画面に現れるのは選択肢だ。
「出かける先を選べってことか」
 頷いて、示された選択肢を良く見る。

 ▼街で買い物する
 ▼馬車でピクニックへ出かける
 ▼近くの森へ探検に行く
 ▼港へ遊びに行く 

 この4つから選ぶのか。迷うな……。
 街でアメリカに何か買ってやるのもいいし、弁当を作ってやってピクニックというのも捨てがたい。
 森に行って妖精にアメリカを紹介するのもいいし、アメリカと遊びついでに港の様子を見に行くのも良さそうだ。実際、小さい頃のアメリカはよく港に来てたしな。好きなのかもしれない。
「うーん……」
 俺はかなり長いこと迷っていたが、ようやく決意した。
「よし、ピクニックに行こう、アメリカ!」
 意を決して決定ボタンを押すと、画面上のアメリカの顔が満面の笑みに変わる。
『やったあ! ピクニックだあ! はやくはやく、イギリス、はやく行こうよ!』
 買い物は大きくなってからでも出来るだろうが、この小さいアメリカとピクニックに行く機会は、ひょっとしたら巡ってこないかもしれないからな。
 大きくなったら、そんなもの行きたくないと言われてもおかしくないし。
 かつて育てていた本物の《アメリカ》を思い出し、少しばかり感傷的な気分になってしまったが、今はこっちの《アメリカ》だ。
 弁当とお茶を使用人から受け取って馬車へ乗り込むと(ゲームの中の俺が作るわけではなかったようで、そこはかなり残念だったが)アメリカは馬車の窓に張り付いて歓声をあげる。
 次から次へと移っていく景色が楽しいのだろう。
 見えるものを忙しなく報告してくれる内容はどれも些細なものだったけれど、嬉しそうにはしゃいでいる姿を見ていると、それだけで幸福な気持ちになれた。
「ああ、やっぱりお前は世界一可愛いぜアメリカ……!」
 だが、可愛い可愛いアメリカを堪能して幸せに浸っていた俺を、このイベントはつき落としてくれたのだった。
 広々とした草原につき、絨毯を広げて弁当と紅茶を用意していた俺とアメリカの前に……ヤツが現れやがったのである。

『お? 坊ちゃんに……そっちは、ひょっとして《アメリカ》か? こんなところで会うとは奇遇だな』
 嫌味なまでにサラサラと風に揺れる長めの髪。派手な服。キザったらしい物言い。
『てめ、なんでこんなところにいやがるクソワイン!』
 まさに今俺が言おうとしていたことを、ゲームの中の俺が言う。
『なんでって、俺も《アメリカ》に会いに来たにきまってるじゃないか。ほう、こいつがアメリカかー。いいねぇ可愛いねぇ可愛いねぇ。フランス領になればいいのに!』
『させるかバカァ! とっとと失せろヒゲ!』
『酷いなぁ、イギリス。俺とお前の仲じゃない。どうせお前んとこの飯不味いんだろ? 俺の昼飯分けてやるからさ、俺も混ぜろよ』
『い、いらねぇよ! 消えろ! あとアメリカに近づくな!』
『ケチくさいこと言うなって。ほれ、ワインもあるぞ。あと菓子も』
『う、うぐぐぐ……』
『アメリカだって、美味い菓子食べたいよなー? 焦げたスコーンばっかじゃなくて』
 ゲームの俺は、俺が言いたいことを全て代弁してくれていた。
 ……実名プレイと日本が言っていたが……ここまで俺でいいのか? 他の奴が遊んだ時に違和感ないのだろうか。
 そんなことがチラと脳裏を掠めたが、その後、フランスの言葉にアメリカが頷いてしまったショックで吹き飛んだ。
『うん。なんだか美味しそうな匂いがするから、食べてみたいんだぞ!』
『「アメリカぁああああああ~!?」』
 俺の声と、ゲームの俺の台詞が完全にシンクロする。
「くそっ、なんだってフランスが出てくるんだ! せっかくアメリカと二人きりのピクニックだっていうのに!」
 画面に向けて文句を言ってると、日本が再びノートパソコンから顔を上げて遠慮がちに声をかけてきた。
「ああ……その、アメリカさんの《教養》《品位》が高いと、フランスさんがライバルとして登場してくるんです。あと、《愛情》と《体力》が高く、《教養》が低いとスペインさんが出てくるので、注意してください」
「なにぃ!?」
 フランスだけじゃなく、スペインの野郎まで出てくるとは……。
 アメリカをのんびり育てればいいだけだと思っていたのだが、なんてスリリングなゲームなんだ。
「そういうことは早く言ってくれ、日本……」
 悔しさに肩を落としていると、日本は困ったような笑みを浮かべる。
「システムや、ちょっとしたコツはお教えしますが、ネタバレは良くありませんから。よほどヘマをしない限りは大丈夫ですが、極稀にアメリカさんをライバルに取られてしまう場合もありますから、注意してくださいね」
「……!!」
 ネタバレってなんのことだと思わないでもなかったが、今の俺にはそれより遥かに重大な台詞に思考の全てを持って行かれた。
 アメリカを……とられる?
 フランスやスペインに……?
 冗談じゃない!
 そんなことがあってたまるか。
 こんなにこんなに可愛いアメリカがフランスの変態に連れていかれて派手な服を着させられたり、スペインに連れていかれてトマトまみれにされるのかと思うと、想像の中でもゲームの中でも耐えられない。
 ゲーム画面では、アメリカがフランスの菓子を美味そうに食べている。
 う……小さいアメリカは俺のスコーンだって美味しいって言って笑顔で食べてくれたんだからな!
 お前だけと思うなよクソヒゲ!
 悔しくなんかないんだからなバカヤロー!

「……フ……いい度胸じゃねぇか。燃えてきたぜ」
 フランスへの嫉妬を滾らせながら、俺はコントローラーを握りしめて決意する。
 そうだ。アメリカを渡してなるものか。
「アメリカは誰にも渡さねー! 大英帝国様の本気を見せてやるぜ!」
 画面に映るフランスに指をつきつけて宣言した俺は、憤然としてコントローラーを持ち直し、これからのアメリカ育成計画を練り始めたのだった。
 



『俺をここまで育ててくれて有り難う、イギリス』
 そう言って微笑むアメリカは、今よりほんの少しだけ若く見える。
 人間の外見年齢に換算して、大凡16歳前後といったところだろう。
 服装はゲームの中の俺があつらえてプレゼントしたフォーマルなスーツ。
 髪も乱したりせずきっちりと整えられて、どこに出しても恥ずかしくない紳士然とした良い男だった。
 背はとっくに俺を抜いて今のアメリカと大して変わらない身長になっていたが、身体そのものの成長は追いついておらずに線が細い。
 顔立ちもまだ幼さを僅かに残していて、少年期の終わり特有の独特なラインを描いている。
 子供の終わり。
 大人の始まり。
 そんな危うげな時期のアメリカの姿は俺に苦い思い出を湧き起こさせるけれど、今まで手塩にかけて育ててきたアメリカが立派な姿を見せてくれるのは、やはり嬉しい。
 それも、鬱陶しげな視線などではなく柔らかで親密な笑顔を向けてくれるのであれば、尚更。
『どうしたんだ、改まって』
 ゲームの中の俺が問う。
 するとアメリカは少しばかり躊躇って……言った。
『君には、本当に感謝してる。君に育てられたことは、俺の誇りで、幸せだよ』
 告げられる台詞は、とても嬉しいものな筈なのに、俺は喜べない。
 心のどこかがサッと冷えていくのが分かった。
 だって、こんなのは……まるで、分かれの台詞だ。
『何言ってるんだ、アメリカ……?』
『君とずっと一緒に居たいけど……俺、帰らなきゃ』
「『え……!?』」
 ゲームの俺と、俺の声が重なる。
 それくらい、アメリカの台詞は意外に過ぎた。
『帰るって、どこに? ここが、お前の家だろう!?』
『……思い出して、イギリス。君は、俺を拾った時に、誰かの声を聞いただろう?』
 そうだ。聞いた。
 [この子に、導きを……]
 どこからともなく聞こえた声。
『だけど、そんな……帰るなんて……!』
『ごめんね。でも、君が育ててくれたから、俺はこんなに大きくなれた。君が愛してくれたから、俺は胸を張って堂々と、立派なヒーローとして帰れるんだ』
『アメリカ……』
 ゲームの中の俺が、涙を流す。
 気が付けば、現実の俺の目からも涙がこぼれていた。
 涙を見て、アメリカがゲームの中の俺を抱きしめて、眦にキスを落とす。
 ゲームの中のアメリカは、知性も教養も鍛えて愛情もめいっぱい育て上げたおかげで、ゲームの中の俺にとんでもなく優しかった。
 それはそれで嬉しいのだが、現実のアメリカとの差を思うと悲しい気がしないでもない。
『泣かないで、イギリス。離れていたって、俺達は家族だろう? それとも、俺が離れてしまったら、もう君の家族ではいられないのかい?』
 そんな言い方は卑怯だ。
 何も言えなくなってしまう。
 言う言葉が見つかったとしたって、選択肢でも出なければ俺がアメリカに思いを伝える手段なんてないのだが。
『そ、そんなわけないだろ!』
 ゲームの中の俺が慌てたように言って。
 アメリカの表情が嬉しげな笑みに変わった。
『良かった。どんなに離れていても、俺と君は家族だ。俺が信じて、そして君も信じてくれるなら、俺はどこにいたって、なんだって出来る』
 アメリカの周囲を、柔らかな光が包み込み始める。
 最初にアメリカを探し当てた時に見たような光だ。
 光は徐々に強くなっていき、まぶしさでアメリカの姿を見ることが叶わなくなってくる。
『アメリカ……!』
 光に消えゆくアメリカに手を伸ばしすけれど何故だかもう触れることは出来ないようだ。
 視界全てが強い光に埋め尽くされた中―――アメリカの声だけが最後に聞こえた。
『愛してるよ、イギリス』
 そうして、愛しい愛しい弟は光にのまれて帰っていった。
 どこか遠いところへ。
 現実の俺の頬を、涙が伝い落ちていく。
 なんということだ。あんなに今回のアメリカは完璧だったのに。
 優しく、頭が良く、思いやりに溢れて、空気も読めるし、フランスだって一人で追い返せるようになったばかりか、最後の方は本国の手伝いまでしてくれるようになった。
 人には俺を《自慢の兄》として紹介してくれたし、アメリカの方から外出に誘ってくれることも多かった。
 なのにこんなエンディングはあんまりだ。
 涙を流しながら放心していると、画面がエンディングムービーを流し始める。
 このプレイで見たイベントCGがセピア調になって挿入され、スタッフロールが横の黒い画面に流れ。
 音楽もしっとりと感動的なものが流れて、しんみりと浸りながらも今までの苦労や良い思い出を蘇らせるが、今は逆効果だ。
 感動よりも悲しみが勝って、正視できない。
 そして全てを見終わって表示されるのは『GOOD END』の文字。
 このゲームを良い形でクリアしたことを示す文字だった。
 だが。
 だが!!
「どこがGOOD ENDなんだ!? てめぇこのヤロ、アメリカを返しやがれぇえええええええ!!」
 コントローラーを画面に投げつけたい衝動に駆られながらも、「これは日本のこれは日本の」と胸中で繰り返して必死にそれを抑え込む。
 それでも画面に掴みかかりそうな俺を、日本が慌てて止めに入ってきた。
「落ち着いてください、イギリスさん。一応これもグッドエンドなんですよ」
「だから、どこがだ!」
 納得いかない。
 俺が…俺が手塩にかけて愛して慈しんで育てたアメリカ。
 ほんの小さい頃も、少年の姿になってからも、パラメータを満遍なく鍛えて愛情にも溢れ俺を愛してくれた可愛い可愛いアメリカ。
 苦い思い出が蘇る青年の姿になってさえ、このアメリカは屈託のない笑顔を俺に向けてくれて。
 何もかもが完璧だったってのに!
「ゲームのアメリカさんも言っていたように、貴方は天の声から託されたアメリカさんを《完璧に育てる》という目標を達したんです。目標が達成されたなら、そこでゲームはクリアになりますし、グッドエンドにもなります」
「けど……アメリカが……アメリカが……!」
 言いつのる俺の背を日本がそっと撫でてくれる。
「申し訳ありません。こういうゲームなものですから……」
 分かってる。無茶なことを言っているのは俺だ。
 これはゲームなんだから。
 どちらにしたって、いつかはエンディングを迎えるのだ。
 その中でも、これは良いエンディングだと日本が言うのならば、そうなのだろう。
 そうだよ。何を不満に思うことがある。
 あのアメリカは優しかった。現実のアメリカなら絶対に言わないようなことをたくさん言ってくれた。
 ずっと家族だと言ってくれたのだ。
 それは俺がかつて夢見た言葉だった。
 ずっと一緒に居ることが無理だったとしても、反旗を翻らされたわけでもなければ、嫌われたわけでもないのだ。
 あのアメリカが言ったように、気持ちよく送り出してやらなければ。
 そう思い、ようやく落ち着いてきた俺だったのだが―――
「悪い、日本。取り乱した」
「いえ、お気になさらず」
「それにしても、難しいな。これでグッドエンドということは……他のもこんな感じなのか?」
 日本に聞いたところによると、このゲームはマルチエンディングといって複数のエンディングが用意されているのだという。
 バッドエンドが複数、そしてグッドエンドも複数。ノーマルエンドがひとつ(これは可もなく不可もなく育ててこれと言った決めてなくタイムリミットを迎えた場合)。
 あとトゥルーエンドがあるって話だ。
 俺は今までの自分のプレイ結果を思い出しながら日本に問いかけた。

 1回目は、やり方がまずかった。
 本国モードに必死になりすぎて、新大陸に行くタイミングを逃してしまったのだ。
 来月で間に合う。そう思ってたら、突発の『嵐』イベントが起きて出航できず、アメリカの愛情値が下がりすぎて家出をされてバッドエンドになってしまった。悲嘆に暮れまくった俺は、次にコントローラーを握るまで3時間ほど泣き続けた。

 2回目は、その教訓を生かしてめいっぱいアメリカに愛情を注ぎ注がれ、コミュニケーションを重視した。
 ……ら、今度は他の育成が疎かになりすぎて、青年にすらならない少年の状態のまま期限を迎えてしまい、怒った『天の声』とやらにアメリカを取り上げられてバッドエンド。
 育たなくたってアメリカはアメリカで可愛いんだからいいじゃねーか。
 思ったが、「お前にはもう任せておけん」と天の声から宣告され、ゲームは容赦なく『BAD END』の表示を出してきた。

 3回目は、アメリカの育成にも力を入れつつ愛情も上がるように頑張った結果、本国側が大変なことになり。
 フランスやらスペインやらスウェーデンやらが新大陸に現れて掴み合いの喧嘩になった挙げ句に、本国モードを疎かにしたツケが回ってきてフランスに負けた。
 あまりにも腹が立ったので、このデータは保存せずにリセットした。
 日本が「ああっ、CGコンプリートが……!」と悲鳴を上げていたが、フランスとアメリカが一緒に居るCGなんて見たくないから丁度いい。

 そして4回目の今回。
 育成は順調、本国モードも新大陸モードもバランス良くこなし、愛情も高く、他のパラメータも高く。イベントもそれなりにこなし、バッドエンド系の危ないイベントは避けて調子良く進んだ。
 完璧だ……。これこそが大英帝国の本気だぜ!
 ……と思ったら、この結末。
 確かに喜ばしいことも多かったが、寂しさがまとわりついて、素直に喜べない。

「そうですねぇ……このゲームはあくまでも表向きは《アメリカさんを立派に育てる》ことを目的としたゲームですから。他のグッドエンドも基本的には《立派になったアメリカさんが、一人立ちする》という形になりますね。このエンディングは、グッドの中でも一番ランクの高いものなんですよ」
 離ればなれになってしまうのは寂しかったが、確かにアメリカから向けられる態度や言葉は最上だった。
 離れることが前提の作りになっているのなら、なるほど、確かに先程のエンディングはグッドエンドなのだろう。

 だが、そういえば――― 

「なら、トゥルーエンドってのは、どういうものなんだ?」
 トゥルーというくらいだから、一番良いエンディングなのだろう。
 それならばもしかしたら、俺の望む形になる可能性もあるんじゃないかと思って聞いたのだが。
「企業秘密です」
 にこり。
 と、日本らしくなく曖昧でない、ハッキリとした笑みを浮かべて言い切られた。
 いつもある遠慮がちな様子が消え去り、しゃべり方までハキハキして続ける。
「なんと言っても、トゥルーエンドの為だけにイギリスさんにこのゲームをやって戴いていると言っても過言ではありません。ぜひ到達していただきたいと思っておりますが、過度のネタバレは厳禁ですので、申し上げることは出来ません。がんばって自力で辿りついてくださいね」
 日本にしては本当に珍しい反論など許さないという気迫に押され思わず頷いてしまうが、今までの状況を思い返していると、どうにも不安だ。
 本当に俺は、トゥルーエンドに到達できるのだろうか?
 不安に思うが、日本はこちらの不安など分かっているという自信に満ちた顔で(これまた日本にしては珍しい表情だ)、俺に頷いてみせてくれた。
 何も心配は要らないと言われているようだ。
「まだ3日目ですし、まだ4周ですよ、イギリスさん。エンディングに拘らなくても、このゲームは色々なアメリカさんを楽しむことが第一の目的ですから、気楽に構えてくださいね。それと、ゲームに必要なのは根気と気合いと愛とリアルラックです。がんばりましょう。どうしてもタイムリミット的にきつくなった時には、少しだけお手伝いいたしますから」
 日本がこれだけ言うからには、きっとトゥルーエンドは素晴らしいものなんだろう。
 このゲームも、エンディングで寂しくなったり己のヘマでバッドエンドになったりはしたが、ゲーム中はとても楽しかった。
 4回目だというのにコレ……と落ち込んでいたが、日本の物言いでは何十周もすることが前提の様子だ。
「そうだな。まだ、たった4周だ。まだまだ時間はあるし、トゥルーエンド目指して頑張るぜ」
「ええ。その意気です、イギリスさん!」
 俺達は手を取り合って、今後もゲームの攻略を続けることを誓うと、再びそれぞれテレビとノートパソコンに向き直る。
 アメリカとのトゥルーエンドを目指して、俺のあくなき挑戦は続くのだった。




 8度目の挑戦の時。
 本国モードと新大陸モードのバランスを重視し、アメリカのパラメータも躍起になって上げるのをやめて、ゆるやかな育成を行っていた。
 育成よりは、バランスを保ちながらイベントを見ることを優先したプレイをしていて。
 それ以外では特別なことなど何もしてなかったその回は、そのくせ酷くやり辛かった。
 何故だかは自分でも分からない。

 小さなアメリカは相変わらず可愛くて、俺に惜しみない愛情をくれたし。
 少し大きくなったアメリカも素直で優しくて、色々なところへ出かけてイベントを見た。
 俺と背が並ぶ頃には、アメリカの方から率先して色々なところへ誘ってくれた。
 何がどうやり辛いのか良く分からなかったが、そのアメリカは酷く俺の心をざわつかせた。

 何故だろう?
 どのアメリカも癒されるくらい可愛いのはいつものことなのに。
『イギリス、行かないでくれよ。ずっとここに居てくれなきゃやだよ』
 本国へ帰る時に見せてくれる顔も。
『お帰り、イギリス! 待ちくたびれたんだぞ!』
 新大陸へ来た俺を真っ先に出迎えてくれる笑顔も。
 どれもこれも前回までと何も変わらないはずなのに。

 目に見えない不安は、やがて的中していく。
 俺にとっては、もっとも嫌な形で。
『イギリス、俺もう、お土産はいらない』
『え?』
『もう、そういったものは新大陸でも手に入るよ。だから、いらない』
 ゲームを続けていて、アメリカにそんなことを言われたのは始めてのことだった。
 ゲームの中の俺も、現実の俺も、激しいショックを受ける。
「『どうしたっていうんだ、アメリカ!?』」
 俺の声が二つ重なるが、アメリカは答えずに首を横に振るだけだった。
 どうしたんだよ、アメリカ。
 それじゃまるで……まるで。
 口から零れそうになる言葉を、堪える。
 言ってしまったら認めることになりそうで。それが本当に現実になりそうで、言えなかった。
 
 けれど、容赦なく時は進んで。
 アメリカの態度は巻き戻ることなく、硬化の一途を辿っていく。

 そして。
 決定的な時が、訪れた。

『たった今、俺は君から独立する……!』
 
 かつて聞いた言葉。
 長い生の中で、最も俺を打ちのめした言葉がゲーム画面から流れてくる。
 コントローラーを持つ手が、震えた。

 これはゲームだ。独立とアメリカが口にしてもそれは、新大陸を自分が管理するという意味で実際にゲーム内で反旗を翻らせたわけではなかった。
 
 効果音は雨音。
 画面に映るのは、青い軍服を身につけたアメリカ。
 少年の青年の間に位置する年の頃。

 これはゲームだ。
 胸の内で繰り返す。これは戦いではない。 

 だから彼は武器を持っていないし、兵士を連れてもいない。
 ただ一人、俺と対峙していた。
 強い眼差しで。

『どうして』
『なんでだよ……くそっ』
 ゲームの中の俺が繰り返す。
 何故、と。
 何度となく俺自身が繰り返した言葉。

 違うのは、あの時は見ることの叶わなかったアメリカの表情が、ゲーム故に見ることができるところだろうか。
 勿論、あの時のアメリカの表情を映しているわけではないのは分かっている。
 けれど、それにしたって彼が浮かべているのはもっと……晴れ晴れとしたもののような気がしていた。
 画面の中のアメリカは、苦渋に満ちた顔をしている。
 苦しくて苦しくて仕方がない、という顔。
 本意ではない、そうとれるような。
 これはゲームだから、ある程度は俺に都合良く作られていても不思議じゃないから、そのせいかもしれない。
 
 画面が暗転する。
 もの悲しい音楽が流れ、これがBAD ENDなのだということが分かった。
 バッドエンドの場合、スタッフロールが流れずに短いバッドエンド用のエンディングが流れ、それが終わるとタイトル画面に戻る。
 ああ、だけど……流石にコレはキツイ。
 今まで見たどんなバッドエンドよりも堪えた。
 現実に起きたあれらが、つまりは俺とあいつにとってはバッドエンドで。そこから先なんてないのだと宣告されたような気分だった。
 たかがゲームだ。
 分かってる。これは現実じゃない。
 それでも、簡単に割り切れるほど俺の中で小さなものでもなかった。
 ゲームの中のアメリカの独立が、俺に武器を向けられたものでなかったとしても。
 
 エンディングの曲が終わる。
 この後は、タイトル画面に戻るのだろう。
 だが、暫くは再挑戦する気力を奮い起こすことは難しそうだった。
 通算、これで8度目の挑戦。
 9回目の挑戦は、明日にしよう。そして今日は、日本には悪いが少し休ませてもらおう。
 そう、思った時だった。

 タイトル画面に戻る筈の画面から、突如見たこともないムービーが流れ出す。
 先程までのようなもの悲しいゆっくりとした曲ではなく。
 もの悲しさは残しながらも、もっとテンポが速い。
 画面も音楽に合わせて次々と映像が切り替わり、効果が入る。
 今まで貫かれてきた絵本風の柔らかな色彩とは打って変わって、黒と原色に近いハッキリとした濃い色合いの2色を基本に描かれる映像。
 描かれているのは、相変わらず顔の見えない《イギリス》と……《アメリカ》。
 それは変わらない。変わらないのだが、ひとつだけ違うものがある。
 アメリカの顔には、テキサスがあった。
 このゲームでは基本的に全てアメリカは眼鏡なしで描かれている。
 小さいアメリカから青年一歩手前までが育成の範囲だからが。
 だが、このムービーのアメリカはテキサスをつけていて。
 ラフな格好。見慣れたフライトジャケット。
 こちらに向ける、硬質な視線。
 こ、これは……?
 バッドエンドで、こんな映像が流れるのは初めてだ。
 息を飲んで呆然と画面を見つめていると、激しいドラムの音で音楽が終わる。

 そして真っ黒な画面に、ペンキで殴り書いたかのように文字が描かれた。

 【ANGEL MAKER・R】

 と―――。

「……!?」
 驚いて、日本を振り返る。
 これはどういうことかと問いかけようとした。
 だが、それは叶わない。
「キタァアアアアアアアアアッ!!」
 ノートパソコンの前に座っていた筈の日本が、拳を握りしめて立ち上がった態勢で叫んでいたので。
「に、日本!? ど、どうしたんだ!」
 突然の雄叫びに動揺を隠せない。
 一体どうしたって言うんで日本。何がキタんだ!?
 一瞬、ゲームのショックも忘れて立ち上がった日本の顔を伺うが、日本の目はどこか遠くを熱心に見つめていて、俺の姿が見えていないようだ。
 やべぇ……ちょっと日本が怖い。どうしよう。
 どうしたものかと躊躇っていた俺なのだが、そんな俺に全く構わずに日本はがしっとこちらの肩を掴んできた。
 だが目は相変わらず、俺を見ているようで見ていない。
「に、日本……?」
「来ましたよ、イギリスさん!」
 だから、何が。
 問いたかったが、聞ける雰囲気ではない。
 何しろ普段は穏やかな雰囲気の日本が、見慣れないほど気迫を漲らせてこちらの肩を掴み、熱い視線をどこかに向けているのだ。
 ビビらない方がおかしい。
「ついに、ついにやり遂げましたね! 私も嬉しいです」
 何が嬉しいのかはサッパリ分からなかったが、とりあえず頷いておいた。
「あ、ああ。ありがとう」
 だが、おざなりに頷いた俺に返された言葉は、そんな俺の理性を粉砕するに等しい言葉だったのである。
「喜んでください。これが! これが唯一のトゥルーエンドに至る道です!」
「なにぃ!?」
 とぅ、トゥルーエンドだと!?
 グッドエンドは幸せそうながらも、大概がアメリカとの別れになるというこのゲームのトゥルーエンド!
 それは俺が今までずっと目指してきたものでもある。
 ごくり、思わず唾を飲み込んだ。
「つまり……これはバッドエンドではないんだな?」
「勿論です」
 日本も俺と同じくらい……いや、それ以上に真剣な顔で答えてきた。
「トゥルーエンドに、俺は近づいていると」
「その通りです」
「そうか」
 遂に……遂に俺は辿りついたのか!
 あれほど夢見た場所に!
 アメリカとのトゥルーエンドに!
「ここから先がゲームの本番と言ってもいいかもしれません。といっても壮大なエピローグ扱いですが。例えて言うならゼ●ギアスDisc2のようなものですね」
 日本の言っている意味は良くわからなかったが、日本がらしくなく興奮するほどの何かが、この先には待っているのだろう。
「……ついに、やってきたか」
「はい。あと少しですよ、イギリスさん!」
「ああ。ありがとう、日本」
 ふとテレビと、ゲーム機とコントローラを見る。
 この数日間、ひたすら向き合っていたものだった。
 今までの苦労がもうすぐ報われるのだと思うと、感慨深いものがある。
 先程までは、一番見たくなかった形のバッドエンドだと思っていたが、これがトゥルーエンドへ繋がるというのならば話は別だ。
「それにしても、バッドエンドを匂わせた後に、新たなオープニングムービーが入るとは……。随分と凝った作りのゲームだな」
「ええ。採算度外視、趣味120%で作ったものですから」
 にこりと日本が微笑む。
 ……いいのか、それで。
 と思わないわけでもなかったが、そのお陰で俺はこうして楽しめているのだし。
「ご安心ください。別ゲームとかなりの部分を共用して作ってますので、制作費の殆どは別ゲームの方でいただいてますから」
 うむ。深く追求するのはやめておこう。
「さぁさあ、イギリスさん。そんな細かいことは気にせず、今は……」
「ああ、そうだったな。トゥルーエンドだ!」
 二人、がっしと手を握りあってから離して、コントローラーを持ち直す。

 成長しきった今のアメリカそのものの、ゲームの《アメリカ》。
 果たして、トゥルーエンドとは……どのようなものなのだろうか。
 期待と不安に揺れながら、俺はカーソルを《START》の欄へと持って行き、決定ボタンを押したのだった。




 天から授かった子供《アメリカ》は、イギリスの元で成長し――やがて一人の立派な青年になった。
 いずれは天へ帰ることを定められた筈の子供はしかし、地上で暮らす内に一人の人間としての己を自覚する。

『俺はここに立って、動いて、生きてる。ここで。この国で』
『ここが俺の国だ。ここが、俺の居場所だ』
 頼るべき親をもち甘えることを当たり前とした子供の目はそこになく。
 真っ直ぐに見据えてくる瞳は強い光を宿して、もはや一人の男であることを示していた。
『俺はここで生きていくよ、イギリス。天なんて知らない。俺は、俺だ』
『もう俺は、誰のものでもない。――君のものでも、ね』
 己を自覚し人として生きると決めたかつての子供は、天へ帰らず。
 そして、自立と自由を求めて、自らの足で歩き始めた。
『たった今、俺は君から独立する――!』
 
 可愛がっていた弟に去られた《イギリス》は、かなり長い間を荒れて過ごした。
 本国に戻り、仕事に打ち込むことで寂しさを紛らわせようとしたことで国は栄えたが――。
 しかし《アメリカ》もまた、《イギリス》がかつて教えたように国に関わる仕事に就き、驚異的な速度で新大陸を栄えさせていった。

 二度と会うまい。
 《イギリス》は誓っていたが、国の要職に就いてしまっているが故に、二人の縁が完全に絶たれることはなく。
 かと言って、かつてのように振る舞えるわけもなく。
 新しい形を見いだせぬままに、時間は過ぎていった――。



 200X年、某国・某市――世界会議、会議場

『会議開始まで、まだ少し時間があるな。……紅茶でも飲むか』
 会議場への扉の前で一度足を止めて時計を確認した《イギリス》は、くるりと反転してドリンクコーナーへと向かう。
 だがそうして振り返った先に――
『やぁ、イギリス。久しぶりだね!』
 彼が――共に暮らしていた時にはなかった眼鏡をかけた《アメリカ》が、立っていた。
 後ろ暗いところなど何もない快活な笑み。
 それに怯みかけた《イギリス》は、なんとか気を取り直して短く『おう』とだけ答える。
 自販機の横に立つアメリカは、紙カップを片手にきょろりと周囲を見回してから言った。
『相変わらず君、友達いないのかい?』
 恐らくは《イギリス》の周囲に人がいないことを確認しての言葉だろう。
 だが《アメリカ》の周りにも今のところは《イギリス》しかいない。
『余計なお世話だばかぁ! お前だって一人じゃねぇか!』
『俺はさっきまでカナダと一緒だったんだぞ。君と一緒にしないでくれよ』
 心外そうに顔を顰めるところが憎たらしい。
 
 これは、ゲームだ。
 何度となく繰り返した言葉を、俺はもう一度繰り返す。
 だが、ともすれば忘れそうになってしまうくらい、このゲームは出来がいい。
 世界観などは微妙にぼかされていて、登場人物達は《国》ではなく、あくまでも国の要職につく《人間》らしきものとして描かれているが、それでも色々と似すぎていた。
 小さい頃のアメリカくらいならば、まだいい。
 だがこの……テキサスをかけたアメリカなんて、本物そっくり過ぎて嫌になる。
 今のアメリカならば現物が居るのだから、小さいアメリカより似てくるのはしょうがないのも分かるんだが……正直、きつい。
「……」
 ページ送りのボタンを押すのを止めて、小さく溜息をついてしまう。
 これ、トゥルーエンドって言ったよなぁ?
 グッドエンドは大抵が天へ帰ってしまうものばかりだったから、地上で生きていくことを決めたこのエンディングは確かに珍しいし、《アメリカ》からすればトゥルーエンドなのかもしれない。
 しかし俺やゲームの中の《イギリス》からすれば、トゥルーエンドどころか下手なバッドエンドよりも酷いんじゃないかと思った。
 大事に大事に育てた可愛い《アメリカ》には去られ、成長した子供は可愛げと素直さのかわりに強大な力と生意気さと無礼さを手に入れて、かつての育ての親に対して手厳しい態度をとってくるのだから。
 まるで、育てられた過去を消そうとするように。そんな過去は汚点だとでも言うように過去を、《イギリス》を否定しようとしているようだ。――現実と同じで。

『か、会議の前は資料確認したり、色々忙しいんだよ俺は。お前も邪魔ばっかしてカナダ困らせんなよ?』
 進めるのが怖いというわけではないが、あまり快い気分でないながら、このまま止まってもいられないのでボタンを押せば、画面では《イギリス》が必死の様子で《アメリカ》の言葉から逃げようとしている。
 ゲームの中の俺の気持ちなんて、分かりすぎる程に分かってしまう。
 あれは、アメリカの言葉に傷つかないように必死に逃げ道を探しているんだ。
 けれど俺達のそんな努力を嘲笑うかのように、アメリカは何でもない顔をしてさらりと言ってのける。
『俺がカナダを困らせるわけないじゃないか。大事な兄弟なんだからさ、君と違って』
 俺の心を抉る言葉を。
「『……ッ』」
 ゲームの《イギリス》と俺が同時に息を飲んだ。
 ズキリと胸が痛んで、コントローラーを取り落としそうになる。
 これはゲームだ、これはゲームだ、これはゲームなんだ。
 アメリカじゃない。本当のアメリカじゃない。
 言い聞かせるけど、意味なんてない。
 だってアメリカの声で、アメリカが言いそうな台詞をこの《アメリカ》は《イギリス》に言うのだから。
 冷たい声も視線も、覚えなんて在りすぎる。こんなやりとりだって、実際にどっかでしたことがある気さえする。
 これに、からかうような嘲弄するような奇妙な笑い声がついてこないだけ、ゲームの中の《アメリカ》の方が良心的なのかもしれないとさえ思う。
 つまりは、他国から客観的に見てさえ、アメリカの俺への態度はこんな冷たいものだということなのだろう。

『……あぁ。大事にしてやれ』
 今更な事実に打ちのめされたような気分になることを不思議に思っていると、ゲームの中の俺が苦さを押し殺した一言を口にした。
 お前なんかはもう兄弟でも大事でもないと《アメリカ》に言い切られることは、俺にとっても《イギリス》にとっても辛かったが、それに対して文句を言うわけにもいかない。
 恩知らずだと罵倒したところでアメリカが堪えるわけもなければ、そんなこちらばかりが囚われているような言葉を口にすることなど、プライドが許さない。
 ……いや、違う。落ち着け。これはゲームなんだから、俺の直接の気持ちなんて関係ない。
 俺がどれほど《アメリカ》に何かを言ってやりたくても、選択肢が出てこない限り何も出来ないのだ。
 それは苦しいようでありながら、何も言わなくて済むというこのは、それはそれで暗い安堵を覚えもする。
 言い訳をすることも出来ないが、代わりにもっとアメリカを怒らせたり気分を害させるような言葉を吐いてしまうこともないのだから。

『じゃあな。またどっか行って、会議に遅れるなよ』
 ゲームの中の《俺》は、思考回路まで俺と同じらしい。
 これ以上アメリカと一緒に居るのは苦痛だし、これ以上に相手の気分を害すことを恐れもして、その場を離れようとした。
 アメリカから視線を逸らして、その横をすり抜けるようにして再びドリンクコーナーへ向かおうとする。
『……っ、待ちなよ』
 だが、その《俺》の腕を、何故だかアメリカが捉えた。
 腕を引っ張られて強引に振り向かせられれば、目の前にあるのは不機嫌にも見える憮然とした表情のアメリカ。
 咄嗟に思ったのは、まだ何か俺に文句があるのだろうか、といった不安。
『……何か用か』
 機嫌が良いとは言えぬ様子のアメリカが、軽口の為だけに俺を引き留めるとも思えない。それなら、仕事上の用でもあるのかもしれない。
 立ち止まった俺が改めて不機嫌な顔を真っ直ぐに見ると、アメリカはバツがが悪そうに視線を逸らし、それから小さく舌打ちする。
 わけが分からない。
 何かに苛立ち、機嫌が良くないことは分かる。少なくともその一部が自分……いや《イギリス》に向けられているのだろうことも。
 けれど、それにしては苛立ちを真っ直ぐにぶつけてこないことが意外と言えば意外だった。
 アメリカはいつも躊躇わない。プラスの感情や行動は勿論、マイナス感情に起因した諸々さえ。文句を言うことも、不機嫌を不機嫌として発することも、苛立ちをぶつけることも、躊躇うことなど稀であるのに。
 あくまでも俺の知る本物のアメリカの話であって、ゲームの中の成長したこの《アメリカ》が、どこまで本物の思考をなぞるかは知らないけれど。
 不審に思いながらもアメリカの出方を知るためにページ送りのボタンを押せば、次なる動きをアメリカは得て。
『これ』
 ずい、と目の前に紙カップが差し出されて、俺と――それから《イギリス》も、目を丸くする。
 それは先程アメリカが持っていた自動販売機で購入したのだろう紙カップだった。
 アメリカが持っているくらいだから恐らくコーヒーだろうと、なんとはなしに思っていたものだが……それを、押しつけるようにして胸の前へと翳される。
 なんなんだ。ゴミでも押しつけるつもりか?
 思ったが、次の言葉を促せば
『間違えて紅茶を買っちゃったんだ。俺は紅茶なんか飲みたくないし、でも捨てるのも勿体ないから、君にあげるよ。仕方ないからね』
 アメリカはそう言って、さらに紙カップを押しつけてくるのだった。
『そうか』
 どこか呆気にとられた様子で、《イギリス》が紙カップを受け取る。
 カップの中の紅茶はどうやら温くなりかけていたらしく、《イギリス》は本当に飲みたくないものを処理したかっただけなのだな、と当たり前の事実に寂しさを覚えながらも納得したようだ。
『慌ててボタン押したんだろう。次からは気を付けろよ』
 感じた一抹の寂しさを振り切るように《イギリス》は苦笑を浮かべて紙カップを掲げてみせると、
『ま、でも紅茶に罪はないからな。礼は言っておいてやるよ。……サンクス』
 それでも短く礼を言って、掴まれたままだったアメリカの手から逃れるように手を引いた。
『どういたしまして。じゃあ、次は俺の番だ』
 だが何故かアメリカは《イギリス》の手首を掴みなおし、ぐいと引っ張って先程やってきた方向へと足を向け始める。
『お、おい……アメリカっ!?』
 事態が飲み込めずに《イギリス》がアメリカに問うと、足を止めずに《イギリス》を強引に引きずったまま悪びれない声で答えてきた。
『君の分を俺が買ってあげたんだから、君は俺の分のコーヒーを買ってくれなくちゃ不公平だろう?』
 つまりは、交換しろと言うことらしい。
『お前なぁっ。《あげる》つったろうが!』
『誰もタダで、なんて言ってないだろ。図々しいな、君』
『どっちがだよっ!』
『ああ、ちなみに俺はプレミアムコーヒー以外認めないぞ』
 アメリカが指定したのは、紙カップの自販機において一番値の張るものだ。たかだか自販機のコーヒーであるので、さほどの値段ではないものの、アメリカが《イギリス》に押しつけた安物の紅茶よりは、ほんの少しばかり高い設定となっていることをイギリスは知っている。
 日本が作ったゲームだけあって、この会議場は日本に実在するものだ。イギリス自身、何度か行ったことがあるので覚えている。
 スタッフが飲み物を適宜振る舞ってくる場合もあるが、《国》の存在は公にしていないこともあり、場合によっては会議場備え付けの自動販売機で各自適当に飲み物を調達する時も中にはある。これも、そういった時を模したものなのだろう。
『明らかに図々しいのはお前だろうが!』
 アメリカに手を引っ張られながら、手にした紅茶が零れないように気を遣いつつ怒鳴る《イギリス》を、すれ違う人や《国》が、時に呆れたように、時に面白がるように、時に気の毒そうに見ているのに、居たたまれない気分になる。
 これでは本当に、今のアメリカと俺のようだ。
 本当にこれが、トゥルーエンドなのだろうか?
 そんな風には、とても思えない。
 アメリカは人を傷つけるような物言いばかりするし、《イギリス》もまた俺に似すぎている。
 アメリカへの態度も、言葉も、思考も、何もかも。
 これでトゥルーエンドになるわけがないと思うのだが……。
 そこはそれ、ゲームだからと途中で劇的に何かが変わったりするのだろうか?

「どうかされましたか、イギリスさん?」
 コントローラーを握りしめたまま止まってしまった俺を不審に思ったのか、日本が軽く首を傾げて声をかけてきた。
 そちらへ顔を向けると、ノートパソコンで行っていたらしい作業を止めて、心配そうにこちらへ寄ってくるところ。
「……いや、その……出来の良さに、驚いてな」
 口にした言葉は、嘘ではなかった。
 驚いている。あまりにも出来が良く――似すぎていることに。
「そうですか」
 日本は困ったように少しだけ眉を寄せた微妙な笑みを作ると
「お茶を煎れてきますね。ゲームも、あまり根を詰めすぎては良くありませんから」
 そう言って、立ち上がる。
「あぁ。なら、俺が紅茶を淹れてやるよ。さっき持ってきた茶葉でな」
「おや。それは有り難いですね。ぜひ、お願いします」
 思い立って告げれば、世辞ばかりとは思えない日本にしてはハッキリとした嬉しげな笑みを浮かべられて、俺も安堵した。
 俺の様子がおかしいことに、日本はきっと気づいているのだろう。気を遣わせてしまった。
「では、私も勉強の為に見学させて戴いてよろしいでしょうか?」
「勿論。水の質が違うから、うちで出すのと全く同じ……とは言わないが、美味い紅茶の淹れ方を覚えるといい」
「よろしくお願いします」
 二人して連れだってキッチンへと向かえば、胸にまとわりついていたモヤモヤとしたものも薄れていく気がする。
 日本に教えながら紅茶を淹れて、ゆっくりと慣れた香りと味を楽しめば、きっとすっきりするだろう。
 ……その後にもう一度あのゲームに向き合うのは少々気分の重いことだったが、ゲームに振り回されて不安になっていても仕方ない。もっと気楽に楽しまなければ。
 そう思うけれども、小さなアメリカを育てていた時とは全く違う様相に、とてもではないが気楽には楽しめないと思うのも正直な気持ちだった。
 だって、そうだろう?
 ゲームの中の《イギリス》も《アメリカ》も、現実の俺達に、あまりにも似すぎている。
 口を開けば、フランス相手ほどではないにしろ和やかな会話など滅多に望めない俺達が……小さな《アメリカ》を育てていた時のように幸せになれるエンディングなど――迎えられるわけ、ないではないか。
 自分で言っておいて、《トゥルーエンド》の先に対して憂鬱な気分になりながらも、俺はふりきるようにして、紅茶を淹れることに専念し始めた。
 そうだ。期待など、しなければいいだけの話だ。
 俺の望む未来など、描かれることなどないのだから。
 それは、現実でもゲームでも変わりようのない事実だった。




 その後も、まったくトゥルーエンドらしくない――俺にとっては胃が痛くなるような場面が続いた。
 ゲームの中の《アメリカ》の言動も行動も全て本物の《アメリカ》そっくりだし、俺に対する態度までが全く同じと言っていい。
 ただ小さいアメリカを育て、小さいアメリカを見て、癒されたいと思っただけだったって言うのに、なんでこうなったんだ。
 確かに途中から、小さなアメリカそのままに俺を嫌わない、鬱陶しがらないアメリカとずっと一緒に暮らせるような……そんなお伽話のような結末を見たいと思ったのは本当だが。
 いくらそれが大それた望みだからって、こんな罰ゲームのように俺とアメリカの不仲を――というよりも、アメリカの俺への冷たさを改めて見せつけてくることはないじゃないか。
 小さいアメリカを育てている間はあんなにも心が浮き立っていたというのに、今はちっとも癒されやしない。
 それでも、もう嫌だとリセットボタンを押して再度小さなアメリカとの生活を始めないのは――
 なんでだろう。
 自分でも、良く分からなかった。
 トゥルーエンドというからには、幸せな結末が待っているとまだ俺は信じているんだろうか?
 これだけ、現実の俺達そのままの味気なく情けないやりとりを見せられて?
 常と同じように、こちらをバカにしたり鬱陶しがったりするアメリカを見て?
 そんなわけはない。
 ……と、思う。
 だが実際に俺はコントローラーを手にしたままで、時折ボタンを押すことを躊躇ったりもするけれど、黙々とゲームを進めているのだった。
 
『まったく、君は実にバカだな!』
 ゲームの中のアメリカが笑う。
 俺をからかう為のあまり良い笑みではないけれども、楽しげに快活に笑う姿を見ること自体は別段嫌いではない。腹は立つけど。
 普段はあまりアメリカの顔など見れないから、余計にそう思うのかもしれなかった。
 仕事柄、顔を合わせる機会も少なくないので別に本当に顔を見ていないわけはない。会議で意見を言う時は真っ直ぐ目を見て話しもするし、視界に入れることは多いだろう。
 けれどそれは、仕事上で伝えるべきことを伝えてこちらの意志を通す為のものであり、暢気に相手の顔立ちを眺めるものではなかった。
 プライベートで会った時などは特に、視線は向けても極力意識して眺めることを戒めていたような気がする。正直、こうしてゲーム画面のアメリカをまじまじと眺めるまで気にしていなかったのだが。
 率直に言って、アメリカの顔は嫌いではない。どころか多分、好きな方なのだと思う。
 何しろ小さいアメリカは俺にとって天使で、目の中に入れても痛くないほど可愛がっていたのだ。
 その頃からの刷り込みもあるのだろうが、俺にとってこの世で可愛いものの筆頭と言えば、小さいアメリカ以外にない。その次が妖精だろう。
 背も態度もでっかくなって空気も読めなくなって、俺の天使は変わり果てた姿になってしまったとは言え、それでもアメリカはアメリカで。
 テキサスを外せば、そのまま小さい頃の面影は見てとれるし、外さずとも顔が変わるわけではないのだから、小さい頃の面影を追うことは不可能ではない。
 だが、だからこそ本物のアメリカの顔を見ることは出来ないのだろうなと、画面のアメリカを眺めながら思った。
 トレードマークだからというのもあるだろうが、あいつは俺の前では特にテキサスを外したがらない様子だし。意識して顔を見ないようにする前の幾つかの経験で、あいつは俺があんまり顔を見てると機嫌を損ねてしまうようだから。
 確かに顔を無遠慮に見られるのは居心地が悪いだろうとも思うのだが。別に減るもんじゃねーし、いいじゃねーか。と、思わないでもない。
 だから、こうして無遠慮にいくらでもアメリカの顔を眺められているこのゲームは、やはり俺にとっては有り難いものなのかもしれなかった。
 中身まで本物そっくりで、いちいち俺を憂鬱にさせてくれるのは困りものだが。
『君みたいな迷惑な人を野放しにするなんて、ヒーローとして見過ごせないからね。勝手にどこかに行かないでくれよ』
 笑みを浮かべた《アメリカ》の目が、僅かだけ細められた。
 からかい、見下すような色が薄まって、ほんの僅かだけ優しい印象が加わる。
「……」
 気がついたらボタンを押す俺の手は止まってて、ぼんやりと画面の《アメリカ》を眺めていた。
 ああ、こんな表情をゲームのアメリカはしてくれるのだなぁと思う。見れて嬉しいような、けれど所詮ゲームの中の話なのだからと虚しいような、複雑な気分だ。
 現実そっくりの鼻持ちならないアメリカではあるが、やはりゲームなだけに少しだけ俺に優しい設計なんだろう。
 からかいの後に吐かれる台詞からは、少しだけ本物よりも棘が少ない。
 たかがそれだけの変化を有り難がるというのは、我ながらどうなのだろうと思わなくもないのだが。それだけアメリカの奴が考えなしのKYなのだということで納得しておくことにした。
 ずっと、こういう……できれば折角ゲームなのだから、日本に普段むけているような笑みを自分にも向けてくれればいいのに。
 あの可愛かった天使はどこにもいないのだと――今となっては、ゲームのこの世界にもいないのだと知っているけれど。
 今のあいつはKYでメタボで人をからかって扱き下ろすことを楽しんでるとしか思えない最悪な奴だけれど。
 俺の育て方が悪かったのだと皆は言うし、実は少しばかりでなく自分でもそう思う部分もあるから、多分そうなんだろう。
 だとするなら、自業自得としか言えない。
 それでも、腹立たしいことばかりの大きくなってしまった現実のアメリカだって、なんだかんだ言って俺は可愛いと思っている。
 だからこそ、この顔に冷たい態度をとられるのは、辛いものがあるのだ。
 俺に向ける筈もない顔で笑ってくれればいいのに、なんて。このゲームをもってしても、あまり叶いそうにないけれど。
 現実よりは俺に優しい設計な気がするゲームの《アメリカ》も、せいぜい現実比3%といったところだ。
 現実に近い道を通り、現実に近い存在となった《アメリカ》。
 俺の育て方が悪かったというのなら、その通りで。
 多分、ゲームを何回繰り返しても、現実の過去を何回繰り返しても――俺はきっと失敗して、アメリカとずっと仲良く居られる道など得られることはないのだ。
 それがつまり、トゥルーエンド。
 この世の真実ってやつなのかもしれなかった。

 それでも。辛いことも多くなってきたゲームだけれど。
 こうして3%程度でも少しばかりは優しいような気もするし、遠慮なしに顔をいつまでも眺めていられるし、悪いことばかりではない。
 だから俺は、きっとこのゲームを続けているのだろう。
 良い終わりがこないとしても、その過程に少しでも幸せがあるのなら、意味はあるのだから。
 そう思わなければ、やってられない。
 ゲームではなく、現実が。
 かつて現実で過ごした小さなアメリカとの日々が。その幸せが。
 ただの失敗で、意味がないものだなんて、思いたくはない。
「イギリスさん……?」
「へっ?」
 遠慮がちにかけられた日本の声に、俺は意識を引き戻された。
 沈みかけた思考から瞬時に我に返って、慌ててコントローラーを握り直す。
 どうやら、画面のアメリカをぼんやり眺めたまま随分と止まっていたらしい。
「悪ぃ。少しぼーっとしてた」
 決まりが悪く、無意味にメニューを呼び出してセーブを行ってみたりするが、そんなこちらの気持ちを知ってか知らずか、日本は穏やかな声で気にするなと言ってくれる。
「いえいえ、悪くなどありません。私もたまにあります。ついゲーム画面に見とれてしまって、時には一時間近く経ってたこともあるんですよ」
 だが、続けられた言葉は俺にとって、欠片も慰めにはならなかった。
「い、いいいいや、別に俺は見とれてたわけじゃねーぞ!?」
 何しろ俺が動きを止めている間に眺めていたのは、アメリカのドアップの顔である。
 しかも、現実比3%くらいは優しいように見えなくもないアメリカの。
 それに見とれていたと日本に思われるのは、とてつもなく恥ずかしいことのように思われた。
「ふふ。そうですね。分かっておりますとも。ああ、イギリスさん……そろそろイベントのようですよ?」
 欠片も分かっていなさそうな……というよりも、俺の否定したいことをこそ肯定して、希望と全く違うことを分かっていると言っていそうな日本の物言いに顔に熱が上るのが自分でも分かる。
 重ねて否定をしたかったが、日本の言葉の最後で意識をゲームに持って行かれたのも事実で。
「~~~~っ」
 ニコニコとした微笑みを向けてくる日本には、何を言っても勝ち目がないような気がしたこともあり、仕方なく諦めてゲームの続きに戻ることにした。
 日本は普段は穏やかでとても良い奴で。今だとて穏やかは穏やかなのだが……こういう時は、日本で言うところの《年の功》だとか言うものを痛感する。
 コントローラーを握り直してからも、背中に感じる日本のやたら暖かな視線が居心地悪かったのだが――それもページ送りのボタンを数回押すまでだった。
 先程までは、現実と殆ど変わらないようなシーンが繰り広げられていたゲーム画面が、有り得ないものを映し出していたからである。
「……な……っ!?」
 あまりのことに唖然として口を開け、凝固した俺の手から落ちたコントローラーが、ころりと畳の上へと転がっていった。




 心臓が苦しい程に早鐘を打っていた。
 掌からこぼれ落ちたコントローラーを拾うことも忘れて、俺は愕然として画面を凝視する。
 先程までぼんやりと眺めていたのとは違い、何度も瞬きをして自分の視覚がおかしくないことを確認しながら、それこそ穴の開くほどじっと細かく見てみるが、やはり俺の目に映るものが変化することはなく、間違いなく画面に映っているものが現実だと教えてくる。
「なんだ……?」
 何が起こったんだ?
 震える手で目を擦ってみたが、やはり変わらない。力なく手が畳へ向けて落ちるのが分かったが、全身から力が抜けていくほど、目に映る映像は俺にとっては衝撃的なものだった。
 どうしてこんなことになっているのだろう。
 さっきまで画面の中の《アメリカ》は、現実と同じように素っ気ない態度ばかりだったというのに。
 少し前の映像と文章を思い出す。
『君みたいな迷惑な人を野放しにするなんて、ヒーローとして見過ごせないからね。勝手にどこかに行かないでくれよ』
 からかうような笑みから、少しだけ目を細めて表情を柔らかくした《アメリカ》。
 ここまでは、まだ分かる。
『なんだよソレ。迷惑で悪かったなっ』
 表情は少しだけ和らいでも言っている内容が酷く思えたのか、画面の中の《イギリス》は顔を逸らして憮然として言い捨てて。
『俺の話、ちゃんと聞いてるのかい、君』
 その態度に気分を害したのか《アメリカ》もまた眉を潜めてムッとした顔になった。
『あーあー、聞いてる聞いてる』
 俺になら分かるが、これ以上に酷い言葉を聞きたくなくて。これ以上傷つく前に早々に会話を切り上げようとしているらしい《イギリス》が更に投げやりに手を振って、アメリカから離れようと身じろぎしたところで――
『ねぇ。俺は……君に、どこにも行かないでくれって言ってるんだけど』
 その手首を、《アメリカ》が捉えて、握りしめたのだ。
 二人並んだ図を写していた絵が切り替わり、《イギリス》の手首を掴む《アメリカ》の図が、大きく映し出される。
 描かれた《アメリカ》の表情はどこか苦しげで……痛みを堪えるような。けれどそれだけではない熱心さを孕んだ――《せつない》と形容できるようなものだった。
 その表情に、心臓を鷲づかみにされるような苦しさを俺は覚えて。
 なんでそんな顔をするんだ。なんで、そんなことを言うんだと、混乱する。
 どこにも行くな、なんて。迷惑な奴を野放しに出来ないからだと、からかうように宣言していたと言うのに、どうしてそんな表情で言うんだ。
『まだ分からないのかい? まったく……本当に君は、どうしようもないなぁ』
 呆れと苛立ちを滲ませる声。けれども、いつものバカにするような響きはどこにもなくて。
『なら、分かるように言ってあげるよ。俺は、ヒーローだからね』
 それどころか、甘くさえ響く声に更に混乱しかけたところで、とどめが来た。
『ずっと俺の傍に居てよ、イギリス。……俺のものになって』
 映像が切り替わる。
 痛みを堪えるような苦さが消え、切なさに愛おしさが混じったような表情へと変化した《アメリカ》が、強くと分かる様子で《イギリス》を抱きしめるものへと。
 画面に映るのは、まさに愛しいものを堪らずに抱きしめたかのような映像。
 全くの他人や、もしくは小さなアメリカを《イギリス》が抱きしめるというものならばともかく、成長した現実そっくりな《アメリカ》が、よりによって《イギリス》をそんな風に抱きしめるという有り得ない図を前に、衝撃を受けない方がおかしい。
 しかも。しかも、《アメリカ》はなんと言った?
 確か……『傍に居て』だとか、『俺のものになって』だとか、更に有り得ないことを言いはしなかったか?
 ……いや、落ち着け俺。いくらなんでも、そんなことあるわけがない。有り得ない。
 優しく可愛く素直だった小さい頃のアメリカや、ベストエンドで見たような成長してからも優しさを失わなかった天へ返ったアメリカならばともかく、この《アメリカ》が。現実そっくりの、俺に対して粗雑な扱いしかしてこない《アメリカ》が、俺を愛しげに抱きしめたり、こんなことを言ってくるわけがない。いや、俺ではなくゲームの中の《イギリス》だけれども。どちらにしたって、おかしい。ありえない。
 どくどくと、心臓がそれこそ有り得ない速度で脈打つのが分かる。手が震えるのを止めることが出来ない。
 これは驚いているだけだ。あまりにも予想外の事態だから、驚いて戸惑っているだけ。
 なのに何故、俺はこんなにも苦しいのだろう。
 それは脈が速すぎるせいだ。そうだ何もおかしくはない。
 けれど、ならば何故、こんなにも頬が熱くなっているのだろう。
 おかしい。有り得ない。
 だって、気色悪いと思わなきゃ嘘だ。例えゲームでも。
 もしくは、なんてことをと怒りを覚えなければ嘘だろう。
 アメリカは俺にとって弟や子供みたいなもので、昔のようにもっと優しくしてくれてもいいのにと思うことはあっても、こんな風に抱きしめられることを望んだことはなかった。
 もし望んだとしたって、それはあくまでも家族としての親愛を示すもので、こんな……こんな、まるで恋しい人にするような抱擁を望んだことなんてなかった筈だ。
 そうだ。これはどういうことだと日本を問いつめなければ。こんなゲーム、どうしてつくったのかと。
 いや待て、落ち着け。まだ早い。そうだ、相手はアメリカだ。ゲームだけれども、現実そっくりの《アメリカ》なのだ。
 どうせ何かの間違いに決まっている。ページ送りのボタンを押せば、いつも通りのアメリカが現れるに決まってるのだ。
 抱きしめてた腕を離して、愛おしげに見つめていた目を普段のからかうものに変えて。
『馬鹿だな、君は。本気にしたのかい? そんなことあるわけないのにさ!』
 そうしてDDDDD…といつものように笑うに違いない。
 そんな予想は容易く出来て。目に映る映像を信じるよりも余程簡単だった。
 けれど。
「……っ」
 どうしてそれが、こんなに苦しい。
 愛しそうな目をして《イギリス》を抱きしめる《アメリカ》を見ていた時とは違う種類の苦しさが胸に凝り、重くのしかかる。苦しさは痛みも伴って、俺は思わず心臓の辺りのシャツを掴んでいた。
 こんな《アメリカ》を認めることも出来ずに否定をするくせに、いつも通りの《アメリカ》を思い浮かべるのも辛い。
 なんなんだ、俺は。どうしたいんだ。
 分からない。分からなかった。どうしたいのかなんて。
 とにかく、こんなアメリカ、見ていられない。
 けれど。これが嘘だと小馬鹿にしたように言うアメリカは、見たくない。
「……くそっ」
 つまりはそれが、答えだ。
 見ていられない。
 見たくない。
 どっちを望んでいたかなんて、その時点で。
 いや、嘘だ。そんなことあるわけない。比較の問題で、俺に冷たいアメリカを見るくらいならば、多少意味合いが違ったところで俺に優しいアメリかを求めるのは普通だろう。
 思考が勝手に巡る。自分で自分に言い訳をしていると感じる。
 言い訳と思ってしまう時点で終わっているのに、止めることが出来ない。
 駄目だ。これ以上考えていては駄目だ。
 頭のどこか冷静な部分がそう告げてきて、俺は何かに追い立てられるように手を彷徨わせ、落としたコントローラーを探り当てて掴む。
 このままでは駄目だ。考えてはいけないことを考えてしまう。
 極力目を逸らしながら、たぐり寄せたコントローラーのボタンを、恐る恐るに押した。
 進むのは怖い。愛しいものを見るような柔らかな瞳が、冷たく嘲笑を含んだものに変わってしまうのが。
 だが、あのまま見ているわけにもいかないし、怖かった。よくないことを考えてしまいそうになる自分が。
 震える手でページ送りボタンを押すと、台詞が消え、新しい台詞が表示される――筈で。
 けれど、すぐには画面の文字表示部分には何も表示されなくて焦る。
 なんだ? 壊れたのか? 
 そう危ぶんだ時。
 ようやく画面に動きが現れた。
 それに安堵しかけた俺だったが、いつもと違う様子に、また目を瞠ることになる。
「……?」
 画面が動く。
 それは、今までのように画像とテキストが表示されるということではなくて。
 テキスト表示部分が消え、画面は画像でいっぱいになり、そして。
 動き出す。
 画面の中のアメリカが。
 そうか、イベントムービーなのか。と、理解しかけたところで――
「……っ!」
 思考が、再び停止した。
『イギリス……』
 アメリカが。《アメリカ》が名を呼ぶ。抱きしめたまま。さらに、抱きしめる腕に力を込めて。
 こんな……苦しさを滲ませるほど切なげな音で己の名が呼ばれるのは、生まれて初めてのような気がした。
 てっきり、冗談だと笑って突き放されるかと思っていたのに。
 これは……これでは、本当に……。
 戸惑い、狼狽する俺を余所に、ボタンを押さずとも進んでしまうムービー画面は待ってはくれない。
 そして。《アメリカ》は、《イギリス》の肩口に顔を埋めるようにして、苦しさに耐えきれずに零したかのように言った。
『君が……好きなんだ』
 現実では勿論、ゲームの中でさえ、最早聞くことなど出来ないと思っていた言葉を。




『好……き……?』
 ゲームの中の《イギリス》が、呆然とした様子で言われた言葉を繰り返す。
 何を言われたのか分かっていない。そんな様子で。
『ああ、好きだよ。言っておくけど、冗談でも、君をからかっているわけでもないぞ』
 《イギリス》を抱きしめたまま、《アメリカ》が念を押すように……でなければ、逃げ道を塞ぐように、言った。
『そ、んなこと、言ったって……!』
 抱きしめられたままの《イギリス》の瞳が戸惑いに揺れている。
 信じたい。けれど、信じることが怖い。冗談でないと言われても、すぐにアメリカの表情や口調がいつもの調子に戻って『引っかかったね!』と言われることが怖くてしょうがないのだろう。
 分かる。分かるに決まってる。だって俺もそうなのだから。次の《アメリカ》の台詞を聞くのが、怖くて仕方がなかった。
 けれど《イギリス》には分からず、俺には分かっていることが、もうひとつある。
 それは、ゲームの中の《イギリス》が見ることの叶わぬ、《アメリカ》の表情だ。
 《アメリカ》に強く抱きしめられているイギリスは、《アメリカ》の表情を見ることが出来ていない。だから不安になる。信じたいのに、信じられないと思う。
 けれど俺には見えている。抱きしめられている《イギリス》ごと、《アメリカ》の表情が全て。抱きしめる腕に込められた力の強さと、その掌の先が示す躊躇いまで全て。
 だから、分かった。
 見たいと思い、見たくないと思ったシーンの先。
 《イギリス》の言葉を待って、苦痛と期待がない交ぜになった《アメリカ》の表情を見てしまえば、信じざるを得ない。
 《アメリカ》の言葉が嘘ではないのだと。本当に《イギリス》が好きなのだと。

 不思議と、落ち着いた気分だった。
 現実に似すぎている《アメリカ》の、あまりにも現実離れした態度に動揺したけれど。
 そうだ。考えてみれば、これはゲームなのだ。
 《イギリス》は、どれだけ俺に似ていたって俺ではないし、《アメリカ》だって、どれだけアメリカに似ていたってアメリカではない。
 だから、現実では有り得ない展開にだって持って行けるのだろう。
 現実には迎えることの出来ない形の《トゥルーエンド》というやつに。
 
 我に返ることが出来たのは、《アメリカ》が《イギリス》を強く抱きしめたからだ。
 そして愛しさ故の苦しさを滲ませた声で、好きだと告げたから。
 あまりにも現実離れしたそれは、返って俺に現実を思い出させてくれた。
 辛すぎる現実を、思いしらせてくれた。
 ゲームの中で《アメリカ》に抱きしめられる《イギリス》を見て、俺は何を思った……?
 考えたくない。認めたくない。
 けれど、確かにあの瞬間、己の中を埋め尽くし走り抜けた感情を忘れきることは難しかった。

『信じてよ、イギリス』
 ゲームの《アメリカ》が請うように言う。
 そんな風に願われてしまえば、俺の――《イギリス》のとれる反応なんて、決まっているのに。
 ああ、嫌だな。見たくない。あれほど望んだトゥルーエンドだというのに。
 先程まで見たくないと思っていた悪い予想は外れ、このままであればいいと願った、その方向にいっている筈なのに。
 見たくない。見ているのが辛い。
 これはゲームで。トゥルーエンドで。ここまで来たなら、きっと向かう先はひとつ。
 ゲームの中とは言え、《アメリカ》に冷たく突き放されるのは辛い。ゲームの中でくらい、良い目を見たっていいじゃないか。
 そう思ってた。
 その気持ちに偽りはないし、今でも思っている。
 トゥルーエンドを迎える前の小さなアメリカ相手だったならば、その気持ちに一点の曇りもなくそう言い切れた。
 だけど今は。
 向かう先がハッピーエンドだと分かっているのに、見たくない。見続けるのが辛い。
『信じてくれるまで、何度でも言うよ。俺は、君が――』
 抱きしめていた腕が、少しだけ緩められて。
 肩口に顔を埋めていた《アメリカ》が顔を上げ、《イギリス》の顔を覗き込む。
 画面に映る二人の距離は、あまりなく。至近距離といっていい二人をアップで映し出している。
 
 嫌だ。見たくない。

 ゲームの中でくらい。
 そう、思ってた。
 だけど、ゲームの中でなければ、こんなことは起こり得ない。
 分かっている。知っている。それでいい。こんなこと現実に起こるわけはないし、起こってもらっては困る筈なのだから。
 いくらアメリカに冷たくされるのが辛いからって、これはない。こんな展開なんて望んでるわけがない。
 俺が望むのは、もっと家族のような。でなければ、親しい友人のような親愛であって、こんな……まるでラブシーンのようなものは望んでいる筈がないんだ。
 だからだ。見たくないのは。止めたいのは。
 弟と思っている相手とのラブシーンもどきなんて見たいわけはないのだから、見たくないのは当たり前で。
 なのに画面から目を逸らすことも出来ないまま、コントローラーを闇雲に押して止めようとしている手は震えて、どうしてだか胸が痛い。
 
『アメリカ……?』
 ただでさえ至近距離だった二人の距離が、さらに近づく。
 この先に訪れるであろう光景を思って、ひやりと胸が冷えた。
 やめろ。やめてくれ。嫌だ。見たくない。知りたくない。思いしりたくなんかないんだ。
 それを見て。訪れるであろう光景。迎えるであろう終わり。それを見て思いたくなんてない。
 困惑と少しの嫌悪以外のものなど、覚えたくない――!

 なのにどうしてか、目が離せない。瞼を閉じて耳を塞げばいいはずだった。でなければコントローラーを置いて電源を切ればそれで済む筈なんだ。
 現実と違ってゲームはリセットも電源オフも出来て、いつだってやり直しが可能で困ったら全てを消し去ることだって可能なのだから。
 どれだけ逃れようとしても逃れられない現実と違い、ゲームの世界はとても優しい。
 そう、優しいんだ。
 時に厳しく冷たいし俺の望み通りにいかない部分だって多くて、むしろそちらの方が多いけれど、それでも現実よりは遙かに優しい。
 嫌なのは、ゲームそのものではない。
 ハッピーエンドが嫌なのでも、ようやく迎えたらしいトゥルーエンドに不満があるわけでもない。

 だから問題なのだ。
 嫌じゃない。不満がない。それが嫌でたまらない。
 おかしく思わなければ嘘なのに。何だこれはと、戸惑って怒ってゲームを止めることが当たり前だと分かっているのに。
 有り得ない展開に。有り得ないエンディングに。
 それを優しいと思って現実よりもいいと思って、そして現実の冷たさを思い知って嫌になることが嫌だ。

『……好……』
 唇が、重なる――。

 そう思った瞬間だった。

 ヒュ、と何かが高速で頬を掠めたかと思うと―――

 ガシャァアアアアンッ!!!!!

 唐突に、突然に、画面が砕け散る。

「は……?」
「……ひっ」

 ぽかんと、砕け散った画面を見る俺の少し後ろから、日本が息を飲んだ音が聞こえた。
 一体、何が起こったんだ?

 テレビの画面の中央に、何かが刺さっている。白く細長いそれは、確かゲーム機のコントローラーのひとつだった筈だ。
 どうやらそれが、テレビ画面を粉々に砕いたらしい。
 コントローラーは随分と深くまで突き刺さったのか、画面だけでなく音声までも聞こえずに止まっている。
 図らずも、見たくないと思っていた俺の希望は叶えられたわけだが、予想外すぎる事態に思考が追いついていかない。 
 そもそも、このコントローラーはどこから飛んできたのだろう。
 俺の頬を掠めたということは、大凡俺の後ろから飛んできたと思われるのだが。日本が居るのは、後ろと言えども斜め左後ろにあたる為、違うだろう。
 それに、なんで日本が自分の家のテレビを壊す必要があるのか。自分で起こした不慮の事故というには、息を飲んだタイミングがおかしかった。
 俺がゲームをしていた日本の家のテレビは薄型で大きく、高そうなものだったし、日本が自分で壊したとは考えにくい。
 そして俺でもない。俺が使っていたコントローラーは、未だに俺の手の中にあるし、俺の両手はそれで塞がっている。
 となると――第三の人物が、居るということになる。
 これには間違いがあるまい。
 何故なら、背後に強烈なプレッシャーを感じているからだ。
 走ってきたのか、ぜーはーと苦しげな荒い呼吸が聞こえていることもあり、誰かが少し離れた位置とはいえ、俺の背後に立っていることは間違いがない。
 問題は、それが誰かと言うことだ。

 ギ、ギギ……と錆び付いた音がしそうな程のぎこちなさで、俺は恐る恐るに振り返る。
 すると、そこには――
「HAHAHAHAHA、随分と面白いゲームをしてるじゃないか、イギリス! あと、日本?」
 満面の笑みを浮かべながらも、肩で息をしてさらに額に青筋を浮かべて仁王立ちをしているアメリカの姿があった。

 ――ジーザス。




 数分後――


「……死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい」

 俺は、日本の家から随分と離れた住宅街の一角にある、小さな公園のベンチに居た。

 何故かと言えば、仁王立ちしているアメリカを見た瞬間、反射的に立ち上がって逃げ出していたからである。
 しょうがねーだろ。気がついたら足が勝手に逃げ出してたんだから。
 日本の家で寛いでいたから、携帯も財布も持ってない。
 どうやって逃げてきたかも分かってないので、どうすれば日本の家に戻れるのかも分からなかった。
 だが、そうした不安よりも今俺を埋め尽くしているのは――。
 逃げ遂せることが出来た安堵と、それを上回る後悔と羞恥である。

 見られた見られた見られた見られた見られた見られた……っ。

 よりによってアメリカに、よりによってあのゲームを遊んでいるところを。
 それもあんなシーンを暢気に(いや俺の心情で言うのならば暢気とはほど遠いものではあったのだが)見ていたところを見られた……っ。
 あんなところを見られるくらいなら、まだ部屋で自慰してるところ見られた方がマシだ。
 いや、それも随分と最悪だが。

 どちらにしろ駄目だ。もう駄目だ最悪だ終わりだ死ねる。
 笑顔でありながら、怒りも露わに額に青筋浮かべているアメリカなど、あまり見ない。
 あいつの場合は怒る時だって大概がストレートで、ぽこぽこと湯気をたてるような、拗ねるのに近い怒り方ばかりだってのに。
 いきなりコントローラーを投げるなんて、 アメリカにとっても相当な衝撃だったのだろう。
 俺が見たって驚いたんだ。突然現れて見てしまったアメリカが驚くのも当たり前と言えた。
 テレビを咄嗟に壊してしまったのも理解できる。普通、あんなもの見たくないだろうから。
 ゲームの中で自分そっくりの登場人物が誰かとラブシーンを演じているだけでも驚きだろうに、相手がよりにもよって俺ときているのだから、一秒でも見たくないと思ってテレビを壊すのも当たり前だった。
 考えたことすらない可能性に対する、生理的な拒否反応なのだろうから。

 ああ、日本に悪いことしちまったな。後でテレビは弁償しとかねーと……。
 壊したのはアメリカだが、壊させたのは俺みたいなものだし。
 ベンチに座りながら、膝に肘をついて項垂れるように地面に視線を落とす。
 ざらざらとした砂を意味もなくサンダルのつま先で蹴るようにしてから、深々と溜息をついた。

 途方に暮れて空を仰ぎ見れば、雲ひとつない青空が視界いっぱいに広がる。
 そうして見上げたまま目を凝らせば、空に重なるようにして、今のアメリカと……それからゲームの中で見た様々なアメリカの姿が過ぎっていった。

 出会ったばかりの頃の、小さなアメリカ。
 少しだけ成長して「イギリス」とちゃんと発音出来るようになったアメリカ。
 もう少し大きくなって、しきりに家の手伝いをしようとしていたアメリカ。
 空に映り蘇る姿はどれもこれも可愛くて、まさしく俺を癒してくれる天使だ。目に入れても痛くないほど愛しい。

 ああ、だけど――《トゥルーエンド》で見た、あのアメリカは一体、なんだったんだろう。
 あんなアメリカは知らない。
 本物のアメリカと同じように、冷たい言葉や適当な言葉で人を突き放したりもするのに。
 本物には有り得ない熱の篭もった目で俺を見て、請うように名を呼ぶようなアメリカは。
 勘違いだと、そういうものではないのだと誤魔化すことも許さず、ゲームのアメリカは『好きだ』と告げて、抱きしめてきた。
 あの時は驚く方が先で。ゲームの展開にも、それ以上に俺自身の思考にも驚いて冷静じゃなかったからな……。
 確かに俺は、アレを見てほんの少しだがゲームの中の俺を羨ましいと思ってしまった。それは認めよう。
 だが、あの展開は俺とアメリカということを抜きにしても、ゲームとしてもおかしいんじゃないかと俺は言いたい。

 日本は何を考えてあんなエンディング(しかも妙に凝ったもの)を作って、しかも《トゥルーエンド》だなどと言ったのだろうか。
 俺にプレイして欲しかったと言っていたが、最終的には多くの人間が遊ぶのだろうから、あのエンディングもそうした需要を見越してのことだったのかもしれない。
 とはいえ、主人公はモデルが俺なだけで別人だということを考えても、主人公もアメリカも男だ。
 その上であのエンディングが来る時点で何もかも間違っている気がするんだが……。

 本当に、日本はなんであんなゲームと、エンディングを作ったんだろう。
 アメリカ育成は、分かる。
 何しろ小さい時のアメリカは世界で一番可愛いのだ。誰もが癒され、そして幸福を味わうだろう。
 もし小さい頃のアメリカを見ても可愛くないと思う奴が居るのだとしたら、そいつの頭はおかしいに違いない。
 俺は全力でもってそいつの考えを矯正しにかかると誓う。
 もっとも――俺以外の奴がアメリカを育てて、あの眩しい笑みや「イギリス♪」と呼ばわる声を聞くのかと思うと、面白くもないけれど。

 ああ、そうか。その可能性を考えていなかった。
 あのゲームを多くの人がやるということは、多くの人間があの可愛らしいアメリカを見るということだ。
 どうだ、これが俺の可愛いアメリカだぞ、可愛いだろう! と自慢したい気がないではないが、それ以上に他人にあのアメリカを分けてやるのは癪だとも思う。
 それに――あの、トゥルーエンド。
 あれを、見るのか?
 多くの人が?
 
 どうしてだろう。
 どうしてかその想像は、小さなアメリカの可愛らしさを誰にもやりたくないと思うのと同じかそれ以上に、じりじりと胸を焦げ付かせるような苛立ちを俺に与えてきた。

 ――嫌だ。

 どうしてか分からないけれど、それは嫌だと思った。
 焦燥に急かされるようにして、俺は立ち上がる。
 まだ疲労は残っていたけれど、それよりも居ても立ってもいられない気持ちの方が勝った。
 
 けれど日本の家で戻ろうと足を踏み出した瞬間、重大な事実を俺は思い出した。

 そういえば、俺はあそこから――アメリカから、逃げてきたんじゃないか。
 今更ながらに思い出して一瞬足を止めるが、しばらく躊躇った末に結局は歩き出した。

 じっとしていることは出来なかったし、それにアメリカはとっくに帰っているかもしれない。
 怒って、憤慨して。俺と……顔を合わせたくないと思って。
 自分でその様を想像してズキリと胸が痛んだけれど、今ばかりはその方が助かる。

 いつまでも引きずる奴じゃないから、一年も我慢すれば忘れてくれるだろうし。
 元々、なくなるほどの好意もない。
 俺の方から会おうとしなければ、一年の間にアメリカと会う回数なんて、多分ほんの数回くらいのものだ。
 俺の顔を見なければ早めに忘れるだろうし、俺に会わなくて済めば向こうも万々歳で、はは……いいことだらけじゃねーか。
 良かったなアメリカ。
 何か言われたら、そう言ってやろう。
 暫くお前の前に顔出さないから、それでいいだろう。お前も嬉しいだろうと。

 自分で言っていてなんだが、流石にへこむな……。
 顔を合わさない、構わない。っていうのが交換材料になるってのはどうなんだ。
 くそ、どうせ俺はアイツに嫌われてる。

 精一杯の愛情を込めて育てても、結果はこの通りだ。ゲームのように行くわけがない。
 確かに小さい頃は俺を好きでいてくれたのに。
 何を間違えたのだか未だに分からないが、いつからか嫌われていた。挙げ句に独立までされた。
 今では、流石に独立そのものは仕方なかったと思っている。
 従順なカナダだって独立した。時代の流れで、どうあってもアメリカはいつか独立しただろう。
 けれど独立する少し前の態度や、独立後の態度を見ていれば、あいつが俺のことを嫌って独立したなんて明白すぎる。
 必要に迫られてもいたんだろう。機運だった。勢いもあった。
 それでも、根底に好意が――愛情が少しでも残っていたのなら。
 その後にあんな態度はとらない。……とれない筈じゃないのか?

 俺は、一体何を間違えたんだろう。
 ゲームの中で繰り返しアメリカを育てながら――本当は、ずっとそれを考えていた。

 何がいけなかった?
 どうすれば良かった?

 独立は避けられないとしても、俺への好意を消さないでいる方法が。
 愛情を残しておく方法が。
 どこかに、何か、あったんじゃないかと。

 独立されてから何度となく繰り返して、答えなんて出るわけもなく、結局は《そんな物はない》と諦めて切り捨てた疑問を、もう一度俺は、考えていた。
 俺を愛してくれたまま天へ返ったアメリカを見ても、答えなんて出なかったけれど。
 家族だと言ってくれたアメリカを育てられても、何がいけなかったのかなんて、分からなかった。

 ゲームと現実は違うけれど、ゲームでさえ分からなかったのだ。
 もし現実の過去を何度やり直すことが出来たとしても、俺にその答えは分からないのだろう。

 アメリカの中にあった筈の好意を消さない方法も。
 アメリカに嫌われない方法も。
 アメリカに、新たにでもいいから多少の好意を持ってもらう方法すら分からない。
 なのにどうしてあんな――《トゥルーエンド》のような好意など、抱かれる可能性があるだろう?

 ああ、分かってる。分かってるさ、そんなこと。
 今更だ。何度となく思い知った。この二百数十年の間に、飽きるほど。

 ――だったら。
 せめて、大切な過去くらい。
 アメリカを育てたという、人から見たら失敗だと言われて正直自分でもそう思うところがあったとしても、俺にとっては大事な過去を。俺だけが許された事実を。
 架空でさえも許さずに俺だけのものにしておくくらい、いいじゃないか。
 ついでに――ゲームの中のアメリカくらい、他の奴に渡したくないと思ったって、いいだろう。

 どうせアレを見られてアメリカには更に軽蔑されて嫌われたんだ。
 暫くは会えないだろうし、会っても喋るどころか目さえ合わせてくれなくてもおかしくない。
 だったらあのゲームを独占させてもらって、少しでも自分の心を慰めたい。
 それくらいは許されたっていいと思う。

 次に顔を合わせた時のアメリカの反応を思うと足が鈍りそうになるが、その度に頭を振って考えを払う。
 先延ばしにしたところで結果は同じなのだから、せめて心の慰めくらい確実に手にしておくんだと己を叱咤して歩を進めていたのだが、不意にそれが止められた。
 アメリカの反応とゲームの行方についてで頭がいっぱいになっていた俺は、周囲への注意が疎かになりすぎていたらしい。
 曲がり角の手前で、無様にも人に思い切りぶつかってしまったのだ。
 ぼけるにも程がある、と歯がみする思いと。
 それからぶつかった相手に謝らなければと、いつの間にか俯けていた視界を上げようとしたのだが――
 
 その前に、俺の意識と体は凍りついた。

「……ッギ、リス……!」
 目の前に居たのは、額から汗を流して俺以上に息をきらせた様子の、アメリカだったのだ。




「……ア、メリカ……」
 咄嗟に《逃げなければ》という言葉が脳裏を過ぎるが、驚愕に固まった体は今までの疲労もあってか咄嗟に動いてはくれない。
 その上アメリカはこちらの姿を認めると同時、殆ど反射と言っていい速さでこちらの肩をがっしりと掴んでいて、とてもじゃないが逃げ出せそうもなかった。
 手加減も忘れているのか、肩にかけられた手はぎしりと骨が軋み肌に跡が残りそうなほどの強さである。
 逃げられない。
 現状を認識すれば、次いで湧いてくるのは『痛い、離せ』という言葉だけれど、それすらも口に出来ずに俺は固まっていた。
 僅か見上げる視線の先。
 掴んだ肩を起点に己を引き寄せるようにして距離を詰めてきたアメリカの目には、苛立ちと同時に――必死の色が、強く浮かんでいて。
 その強い視線と、輪郭を幾筋もの汗が流れ落ちていく様。
 それから酸素を取り込もうと荒く喘ぐように繰り返される呼吸に、どうしてか意識を引きつけられて眼が離せなくなる。

 ――なんて顔を、してるんだ。

 瞳に滲む色そのままに、必死に。
 ずっと追って追いかけて探して、ようやく見つけたとでも言うような様子で、俺を見て俺を捕まえて俺の名を呼ぶ。
 そんなことが、どうして起こってる。
 まさか。あるわけない。
 と思うが、疑念は払えない。
 もしかして……俺が逃げ出してからずっと、追っていたのか。
 俺を、探していたのか……?
 そんなバカな。
 アメリカが俺を追う理由なんて、あまりない。
 あの光景を見て怒りか軽蔑か気色悪さか――。
 何かの感情を抱いたとしたって、わざわざ自ら追ってまで非難するほどの労力をアメリカがに俺にかけるとは思えないじゃないか。
 それとも――それほどに、あの光景はアメリカにとって許せないものだったのだろうか。
 画面を壊して見るのを止めただけでは済まないほど。
 その原因である俺を、間を置くことなく一刻も早く断罪しなければ気が済まない程?
 針で刺されたような痛みが、胃と心臓の合間あたりに走った。

 当たり前だ。それはそうだ。
 アメリカは正しい。
 あのゲームを見て。
 あのシーンを見て。
 嫌悪も覚えず驚愕よりも羨望を覚えるような俺を、アメリカが許しておく筈もない。

 一瞬でもアメリカの必死さを都合の良いように捉えようとした懲りない自分に嫌になる。
 気付いてしまえばアメリカの必死さが強ければ強い程に次にもたらされる言葉や表情が怖くて、自然と視線は俯いて唇を噛みしめていた。
 だがそんな逃げも許さないつもりなのか、ようやく呼吸が収まってきたらしいアメリカは、ひとつ大きな息を吐いてから無理矢理こちらに視線を合わせてくる。

「……君、いい加減にしなよね」
 だいぶ落ち着いてきたとはいえ乱れを残して向けられた声は、凍るような冷たさで響いて。
「何も持たずに急に飛び出したりしてさ。追いかけるオ……じゃない、探したり心配する日本の迷惑も考えなよ」
 言っておくけど俺は心配なんかしてないんだぞ。 日本がどうしてもって言うから仕方なくこうしているだけであって!
 なんて、次々と言葉が降ってきた。
 俺を突き落とすばかりの言葉に、なぜだか苦笑が浮かぶ。

 バカだな、アメリカ。
 そんなこと、言われなくても分かってる。
 ほんの数秒前に思い知ったから。
 自分のバカさ加減まで合わせて思い知ったばかりなんだから、そんな必死にならなくていい。
 お前が心配しなくても、もうそんな勘違い、一瞬だってしないようにするから。

 ――いや、きっとアメリカは正しいのだ。

 何度も何度も繰り返し俺を突き落とす言葉を放つのだって、必要に駆られてなんだろう。
 何故なら俺は何度繰り返されても懲りない。
 もうアメリカに視線すら向けて貰えないと思っておきながら、一瞬であれアメリカの必死さを都合良く受け止めかけてしまった。
 俺のしつこさを、どうしようもなさを、きっとアメリカは良く知っている。分かっている。
 だからアメリカは、俺にだけは他の奴にしないような、あえて突き放す態度をとるのだろう。
 
 俺はいつも、アメリカの俺に対する感情を読み間違える。
 願望のせいだろうか?
 ここまでは大丈夫だろうと思ったラインはいつでも間違えていて、アメリカを怒らせてばかりだ。
 今更アメリカを喜ばせる方法なんて、贅沢は言わないから。
 せめて気分を害さない方法くらい、分かればいいのに。
 たったそれだけのことさえ出来ない自分が嫌になる。
 俺を逃がしたままにしておけない程、お前が不快に思って怒っているなんて予想も出来なかった。
 そこまで厭われているのだとは、思いたくなかった。
 だから、逃げた。逃げていられた。
 戻っても大丈夫だなんて思っていられた。

「……悪ぃ……」
 胸の内に溜まる幾つもの思いを口に出来るわけもなく、短く謝罪を告げることしか出来ない。
 こんな簡単な謝罪では納得して貰えないだろうが、言葉にすることが怖かった。
 泣いてしまいそうだというのもあったし、口にすれば口にするほどアメリカを不快にさせるのではないかと思うと怖かったのだ。
 同じくらい、アメリカの反応が怖い。
 誠意のない謝罪だと詰られるのだろうか。
 謝罪くらいでは収まらないと、何某かの要求を――例えば今後一切、近寄るなだとか――されるだろうか。
 だからといって言い訳のような言葉を並べ立てる気にもならず、唇を強く噛んで身構えるしかない俺に向けられたのは――意外にも短い溜息で。
「もういいよ。それより、早く戻るんだぞ」
 肩を掴んでいた手を滑らせ、手首を強く握られて引っ張られる。
「……ああ」
 そうか。
 やっぱり俺には、アメリカのことなんて分からないんだな。
 視線を逸らすように踵を返し、無言で腕を引っ張って足早に歩く背中は、こちらの言葉の全て拒絶しているように見えた。
 詰る価値すらないのだと言いたいのかもしれない。
 一刻も早く戻らなければならないと思っていて。
 日本の家に戻る為に道を聞く誰かを捜していて、こうして無事に戻ることが出来るのだから喜ばなければならない筈だが――とても、そんな気分にはなれない。

 掴まれた手首が、苦しかった。

 そんな場合ではないのに、思い出してしまう。
 《トゥルーエンド》のアメリカを。
 彼に、同じように手首を掴まれていたゲームの《イギリス》を。
 同じ行為でありながら、こんなにも現実の俺達とは違うゲームの中の二人を。
 そして。

『君が……好きなんだ』
 切なさと愛しさを押し込めたような声で言った《アメリカ》を。

『信じてよ、イギリス』
 願うように口にされた言葉を。

 なんでこんな時に、《トゥルーエンド》を思い出したりするんだ、俺。
 馬鹿みたいだ。比べても仕方がないだろう。 
 アレはゲームなんだ。たかがゲーム。
 ゲームだからこその、有り得ない《トゥルーエンド》。

 引き合いに出すだけ馬鹿馬鹿しいと思うのに、思い返すだけで喉の奥が熱くなる。
 涙に似た、それよりも苦いものが溢れそうになる。

 そんな展開、望んでなどいない――と。繰り返した虚勢が、剥がれ落ちていく。
 考えたくはなかった。
 知りたくはなかった。
 考えるのを止めた。
 何度となく、何度となく、現実よりマシという意味での羨望だなんて、言い訳をした。
 ああ、だけど。

 思いを伝えたくて掴まれた手首。
 思いを否定する為に掴まれた手首。

 その差を思い知らされれば。
 現実に触れる熱の、その意味の冷たさを理解して。
 冷えて凍える胸とは相反して熱くなる眼の奥を喉の奥を誤魔化しようもなくなれば、認めざるを得ない。

 ――羨ましかったんだ。

 望んでいないと思っていた。
 ただ、ゲームよりも軽くどうでもいい存在でなくなれたら、それだけだと。

 考えたこともなかった。
 それも嘘ではないのに。

 現実には望むべくもない《トゥルーエンド》を見てしまった瞬間から、芽生えていた。
 自覚すらしていなかった酷く浅ましく醜く有り得ない望みを、知ってしまった。

 なんてことだ。
 俺は、あんなものを。
 あんな有り得ないものを、望んでるのか。
 これ以上、嫌われない方法すら俺には分からないのに。

 現実は残酷だ。
 トゥルーエンドなど、どこにもない。グッドエンドすら、有り得ない。
 こんな想いを自覚する前から決まってる。
 こんな想いを抱いてしまったのなら、尚更で。
 俺とアメリカにあるのは。
 この先に待っているのは。

 ――いつだって、バッドエンドだ。





 アメリカに引きずられるまま日本の家に戻り、先程までゲームをしていた居間へと入った俺は、そこに人の姿が見えないことに首を傾げる。
「日本はどうしたんだ?」
 家主である日本の姿がないことを不思議に思って問えば、アメリカは同じように俺の斜め左手に座りながら、どこか不機嫌な表情で答えてきた。
「夕飯の買い物に行ってくるってさ。『あとは若いお二人でどうぞ』とか、よくわかんないこと言ってたんだぞ」
「日本、いないのか!?」
「そう言ってるだろ。何か不都合でもあるのかい?」
 目を眇めるようにしてこちらを一瞥するアメリカの視線は冷たくて、つい「いや、そういうわけじゃ……」と返してしまったけれど、困った。
 そもそも俺は、日本にあのゲームの製造を止めさせる為に戻ろうと思ったのに。
 アメリカに見つかり連れ戻されたのは分かっていても、何故こんなことになっているのだろう。
 先程のことを問い詰めるなり責めるなりしたくて俺を連れ戻したんだろうに、不機嫌そうなままで何を言うでもなく座り込んでいるアメリカと二人きりというのは、どうにも落ち着かない。
 居間を覆い尽くす沈黙が重く、そわそわしていた俺は居たたまれなくなって口を開いた。
「そ、そうだ。紅茶でも淹れるか。俺ん家から持ってきた、良い茶葉があるんだ」」
 喉の渇きを覚える割に紅茶という気分ではなかったけれども、この空気の中でじっと座っているよりはと立ち上がりかけ――
「いらないよ」
 しかし、その腕をアメリカに掴まれて、強引に座布団の上に戻される。
「へあ!?」
 予期せぬ動きに真抜けた声をあげ、とすんと座布団の上に尻餅をつく形になった俺に、アメリカの呆れた溜息が落とされた。
「何やってんだい」
「お前のせいだろうがっ」
 自分でやっておいて、この言い草はないだろう。
 俺はただ手持ち無沙汰だし、紅茶でも淹れてやろうと思っただけじゃねーか。
 いらないにしたって、口で言えば済む筈なのに強引に止めておいて、溜息つくってどういう了見だ。
 アメリカが怒っているのも、アメリカに嫌われているのも、アメリカから心底軽蔑されただろうことも分かっている。
 だが、それと奴の行動や言動に腹が立つ立たないは全く別の話だ。
 それがいけないのだろうとは、思うのだけれども。
 たかが沈黙を誤魔化すことすら。たかが茶を淹れることすら、気にくわないと思われるのか。
 こんな些細な行動でさえ、アメリカの機嫌を損ねずにはいられないのかと思うと怒りよりも苦しさの方が強くなってくる。

 例えばこれが――ゲームなら。
 あの中の小さなアメリカなら、こんな風にはならなかっただろうか。
 立派に育って天へ帰ったアメリカだったなら?
 ああ、でも《トゥルーエンド》のアメリカは、俺への基本的な態度は本物に近いから似たようなことになったかもしれない。

 どちらにしろ、今はリセットなんて出来ない現実で。
 それはどこまでも俺には冷たく厳しい。
 《トゥルーエンド》など望むべくもなく、俺とアメリカの間にあるのは《バッドエンド》だけだなんて分かっているが、似たような道を辿りながら辿り着くのは全く違う場所というのが、一番堪える。
 望んだって仕方がないとは思うが、現実と殆ど同じ道を通った筈なのに迎えたあの《トゥルーエンド》を思うと、これが当たり前の現実なのだと分かっていても、理不尽に思う気持ちはどうしてもあって。
「ったく。何でこんなに横暴になっちまったんだか」
 二つの道の乖離を思って口から零れた言葉は、何故だか小さいアメリカを懐かしむ時と似たものになった。
 語る口調は懐かしむというよりボヤくと言った方が近かったけれど、アメリカにはどちらも変わらないものだったのか、瞬時に纏う空気がサーッと冷えていく。
「それ、《いつ》と比べてるんだい」
 低く冷たく吐き出される声。

 ――しまった。

 そう思う意識はあった。
 アメリカは自分の小さい頃を思い返されることや、引き合いに出されることを酷く嫌う。
 何度となく失敗して俺はさすがに分かっていた筈なのに、またやってしまった。そう、後悔する気持ちは。
 でも、違う。そうじゃない。そういう意味じゃない。
「別に、比べてなんかねーよ」
 言葉にしてしまえば、同じように聞こえるだろうけれど。実際に小さい頃のアメリカを全く思い浮かべなかったわけでもないけれど。
 かつて口にしていた似た言葉とは、少なくとも俺の中では意味が違う。
 今まではただ、理解できないだけだった。
 懐いてくれていた小さいアメリカの態度と、今のアメリカの態度の違いが理解できなくて。認めたくなくて。

『あんなに優しかったのに』
『あんなに可愛かったのに』
『こんなではなかった』

 現状を否定する、過去を望む故の言葉だった。
 それはいっそ――『返せ』と言うに、近いような。

 だけど今のは、そうじゃない。
 
 アメリカは冷たかろうが酷かろうが横暴だろうが俺のことを嫌いだろうが、それがアメリカで。
 天使のように可愛かった小さい頃も。
 KYで筋肉メタボで周りに迷惑もかけまくるけど、なくてはならない存在に育った今も。
 どれもこれも。俺が育てた、俺と暮らした、俺にめいっぱいの笑顔と愛情をくれた、アメリカだ。
 俺の手を振り払って独り立ちして。
 色々酷いことも不味いことも失敗もやらかしたけれど、いつの間にか俺よりも大きく逞しく育って。
 目の前で人をバカにしたり傷つけたり尊大に笑ったりしている、こいつこそが、あの小さかった天使。
 ああ、似合わねーなぁ。この筋肉メタボに天使とか。
 思って、笑いそうになるけれど。
 俺への好意をなくした、俺に冷たい、俺を嫌ってる――それこそがアメリカだと認めるのは、正直辛いものがあるけれど。
 ゲームを通して、何回も、いくつものアメリカを見て。
 《トゥルーエンド》のアメリカも見たから、分かった。諦めた。認めた。
 現実は厳しくて辛くてやり直しなどきかない。
 例え『あの時、どうすれば良かったのか』という答えが出せたとしたって、巻戻らない。繰り返せない。
 だからこそ、ゲームのように《違うアメリカ》なんて、存在しない。
 何周も何周もして、やっと迎えた《トゥルーエンド》が現実とあまりにもかけ離れすぎていたように。
 アメリカがアメリカとして在る限り、俺を好きでいてくれるアメリカなんて都合の用意ものは現実になり得る筈もないのだと。
 辛いからこそ、認めたくないからこそ、分かった。
 あの小さな天使の先に居るのが、このアメリカなのだと。

 だから今は、《小さいアメリカ》と比べて言ったわけではない。

「どうだか。君、小さい頃の俺が大好きだもんな。さっきまでやってんだろう、小さい俺を育てるゲームとやらを。今度は思う通りに育てられたかい?」
 意味を否定した俺に返るのは忌々しげに吐き捨てるような声と、棘のある言葉の羅列。
 不機嫌を通り越して怒りを露わにした顔の口元は、嘲笑を作ろうとして失敗したように奇妙に歪んでいて。
 掴んでいた俺の手を払うように離した後で逸らされた視線は、壁の方を睨みつけていた。

 ――なんだ?

 傷つくかとも思った。
 声に籠められた棘に、痛みを覚えなかったと言えば嘘になる。
 だが、それ以上に今のアメリカに感じたのは――違和感と、焦燥だった。

 アメリカの言葉に、冷たさを感じない。
 いつもの馬鹿にするものとは明らかに違うように思えてならない。
 いつもなら――もっと堂々とこちらを睨みつけている筈だ。
 真っ直ぐに俺を非難して嘲る筈なのに。
 逸らされた視線と嘲笑に辿り着かなかった口元は、むしろ自嘲にも似た感情を俺に伝えてくる。

『今度は、思う通りに育てられたかい?』

 今度は、とアメリカは言った。そして

『それ、《いつ》と比べてるんだい』とも――。

 なら、比較されているのは。
 アメリカが想定しているのは――かつて、目の前のアメリカを育てた時を指すのだろう。
 そして。こちらを嘲笑しているようで、しきれていないその表情の意味は。

『今度は、思う通りに育てられたかい?』
 今のアメリカを、思う通りに育てられたかと聞かれれば、それは否としか言えない。
 俺は何かを失敗してしまったと、思っている。

 だけど、違う。それは違う。意味が違う。
 失敗したと思うのは、俺がお前に好かれたままでいられなかったことで。
 嫌われるようなことを、してしまったことで。
 アメリカを責めるようなものでも、今のアメリカを否定したいものでもない。
 かつてはそうだったかもしれないけど、少なくとも今は違う。
 逸らされた視線に。歪み、噛みしめられた唇に、酷く焦燥を感じて――胸が、締め付けられる。

 こんな風に考えるのは、傲慢なのかもしれない。
 お前に嫌われている俺に、お前が某かの重みを感じてくれていると思うのは、自惚れなのかも知れない。
 だけど、疑念が拭えない。
 俺に直接向けられない、内へ向かうような嘲りの笑みは

『どうせ君は、俺が《失敗》だったとでも思ってるんだろう』

 そう言っているのではないかという。

 もしかしてアメリカは……過去を悔いて、今のアメリカ否定するような俺の言葉に――ずっと傷ついて来たのではないだろうか?
 そう考えることこそ、俺の傲慢なのかもしれないけれど。
 少なくとも俺が、自分を憐れんで現状を認めたくなくて吐いてきた言葉の数々は、確かに今のお前を否定する言葉だった。
 だけど俺は、いつだってお前を否定したいと思ったことはないんだ。
 嘘だと思うだろうけど、本当だ。
 かつて向けられた好意すら失ったと思いたくなかった。
 あの時の好意だけは、別物として遠い過去に《現存》するのだと、幻想を抱いていたかった。
 あの時、確かにあったのなら、それで充分だった筈のなのに。
 今はなくなったとしても、嘘になるわけでも、なかったことになるわけでもないのに。
 それでは足りないと。《今》も、好意がどこかにあるのだと、嘘でもいいから信じていたかった。
 否定したかったのは、《今》はどんな好意も得られない自分で。
 今のアメリカを否定したいわけではなかったのに。
 ごめん、ごめんな、アメリカ。
 謝っても仕方がない。口に出した言葉は戻らない。
 これを言ったからって、アメリカに好意が戻るわけではないだろう。一層嫌われる可能性の方が高いけれど。

「アメリカ……」
 躊躇いは、残る。
 それでも俺は、口を開いた。

「思う通りとか、そうじゃないとか、関係ねーよ」
 そうだ、関係ない。どうなっても。どう転んでも。どうあっても。

「どんなお前でも変わらない。小さい頃のお前も、いま俺の目の前に居る可愛くねーお前も。どっちも俺にとっては――」

 そうだ。
 例えとっくの昔に俺への好意など塵ひとつ残さず捨て去ってしまったお前でも。

「大切な、俺だけの天使だ」
 俺にとっては、大切な、大切なアメリカだ。

 真剣に、心底からの思いを込めて言った俺の言葉に、しかしアメリカはビキリと音を立てそうなくらいに固まる。
 なんだ。どうしたんだ。俺はいま、割といいこと言った筈んだが。
「……おい、アメリカ?」
 なんだろう。怒ったんだろうか。それとも、信じられないんだろうか。
 不思議に思って固まってしまったアメリカを呼んでみると、かなりの時間を置いてからギシギシと音がしそうにぎこちない動きで、逸らしていた視線がこちらに戻される。

「……君はバカか」

 そして、硬く乾いた声が発せられた。




 不機嫌な顔を怒りのあまりか呆れのあまりか引きつらせて、アメリカが俺を見る。
 その目に渦巻く感情に気圧されている隙に、伸びてきた手が肩を押さえつけてきて、勢いのままどさりと畳の上に倒された。
 真上から見下ろす視線は、苛立ちと苦渋を滲ませた強いもの。
 初めて見る筈のそれに何故だか既視感を覚えるけれど、記憶を辿ろうとする前に両の手が掴まれ、畳に押しつけられた。
 身動きすら取れなくなった俺に、詰るような声が降ってくる。

「真面目な顔して何言い出すのかと思えば《天使》とか、ホント君は気持ち悪いな! 俺は確かに世界一格好良いヒーローだけど、もう立派な大人なんだぞっ。 君はいい加減に目を覚まして現実を見るべきだ!」
「な……っ」
 そりゃ、言ったらまた嫌われるかと思ったが、『気持ち悪い』はないだろ『気持ち悪い』は!
「うるせぇ、目なんかとっくに覚めてるっての、ばかぁ! どうせ俺は気持ち悪いよっ」
 現実なんか見てるに決まってんだろ。こちとら今日は、思い知らされまくりだ。

 ゲームのあのシーン見られてたんだから、アメリカが俺からの好意なんて気持ち悪いと思うのは仕方がない。
 だけど、じゃあ――どうしろっていうんだ。

 好意を向けるのが迷惑だと分かっていたって、止められたら苦労しない。
 自分を騙しても。
 好きじゃないと、これは過去の名残の、癖になってしまった義務感なのだと言い聞かせようとしても。
 昔も今も、アメリカ以上に誰かを愛することなんて、俺には出来そうにないのに。
 しょうがないじゃないか。気持ち悪いとまで言われたって嫌いになんかなれない。
 既視感を覚える、怒りと苛立ちを込めた――けれど何故か思い詰めたようにも見える姿さえ、俺には天使に見えるんだから。

「ああ、そうだよ。もう一回、お前に好かれてた頃を過ごせて楽しかったよ。ただのゲームだって分かってても、お前に好きとか言われて喜んだよ、羨ましかったよ。しょうがねーだろ。お前が俺を嫌いでも、俺はお前が好きなんだよ!」
 自棄になって叫べば、昂ぶった感情を抑えられなくなって、言葉と一緒にぼろぼろと涙となって溢れ出す。
 情けない。せめて泣いたりせず、勝ち誇ったように言ってやりたかったのに。
 これじゃ、アメリカに言われるのも仕方ない。
 逆ギレて告白とかそれだけでも最悪だってのに、泣くとかホント俺、気持ち悪いじゃねーか。
 止めないと。もういい加減にしとかないと。
 思うけれど、一度堰を切ってしまった言葉と感情は容易には止まってくれない。

「昔が大事で悪いかよ。お前に好かれてたのなんか、あの時ぐらいなんだから仕方ねーだろ。お前が好きだから、嫌われてんの辛ぇんだよ。そんなに昔の話されたくなきゃ、俺のこと好きになりやがれアメリカのばかぁ!」
 みっともない恥ずかしい最悪だ。
 なんだコレ逆ギレにも程があるだろ俺。
 開き直るにしたって、これはない。どこまで口走ってんだ。
 好きになれとか、ほんとない。
 涙腺壊れたみたいに止まらない涙も、ぐしゃぐしゃのみっともない顔も見られたくないのに。
 出来ることなら自分の存在ごと消してしまいたいとも思うのに。
 両腕はアメリカの手によって畳に縫い止められたままで、顔を覆うことすら出来ない。
 ああもう、死にたい死にたい死にたい死にたい……。

「イギリス……」
 呆然とした様子のアメリカの声が嫌だ。
 頼むから何も言わないでくれ。
 気持ち悪いのも最悪なのも分かってるから、改めてお前に言われたくない。
「うっせぇ何も言うな黙ってろ見んなくそ死ねアホ離せ」
 お前に言われなくても、俺が一番俺に呆れてる。
 言ってやりたいのに、喉がつまって上手く喋れない。
 話しているつもりだけれど、未だ止まらない涙のせいか口にした言葉は随分と不明瞭だ。
「イギリス……」
 もう一度、アメリカが名を呼んだ。
 先程よりも呆れは増している筈なのに、どうしてか柔らかく聞こえる。
 憐れんでるんだろうか。
 もしもそうなら、やめてくれ。余計に惨めだ。
 憐れまれたいわけじゃない。嫌われたくもないが、憐れまれるくらいなら嫌ってくれたままでいい。
 そう言いたかったのに、涙のせいか喉がつまって、上手く喋れない。伝えられない。
 逃げることも顔を隠すことも出来ず、仕方なく硬く目を閉じていると――ようやく両の手を抑える手が外された。
 けれどホッとする間もなく、アメリカが。
「ほんとに、君はバカだな」
 苦しそうでありながら、暖かくさえ聞こえる優しげな声で言って。
 脇から掬い上げるように起こされた背中を、引き寄せられ抱き込まれ、抱えていた筈の言葉は全て霧散していった。

 なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ。

「君が俺のこと好きなんて今更だけどさ。……君のこと好きになれなんて。じゃあ君は、どんな《好き》が欲しいんだい」
 むしろ誰だこれ。
 こんな優しげな声をアメリカから向けられたことなんかない。ゲームの中でさえも。
 小さい頃のアメリカとも違う、初めて知る声に、様子に、驚き過ぎて涙が止まった。

 どんな《好き》――?

「……知るか、そんなの」
 問われても、分かるわけがない。いや、言えるわけがない。
 たとえ望むものがあったとしても、どうしてそれを求めることが出来る?
 そもそも好意自体が存在しない相手に。

 だけど――本当に、なかったのだろうか?

 いつも俺はアメリカを読み間違えて苛立たせてばかりで。
 好意なんて欠片も残されていなくて、嫌われてるんだろうと思っていたけれど。
 本当に、本当に欠片も好意が残っていないなら。
 いま、向けられてるこの声は。背に回る手は。触れる温もりは、なんだ。

「ちゃんと考えなよ。君の答えによっては、好きになってあげてもいいんだぞ!」
 なんだそれ。横暴すぎるだろお前、何様だよ。あげてもいいとか上から目線にも程がある。
 思うけれど。同情なんか欲しくはないけれど。
 からかうにしては、変な態勢。
 脇を抱えられて抱き込まれて、気が付けばアメリカの脚の上に乗り上げて抱きついているかのような状態に、ひょっとしたら本当に嫌われ尽くしたわけではないかもしれないと思えて、止まりかけていた脳を必死で動かそうとする。

 どんな《好き》――……?

 答えなら、ある。知りたくなかったのに、気づいてしまった最悪な答えならば。
 小さいアメリカから向けられたものと、《トゥルーエンド》のアメリカから向けられたもの。
 その間に確かに存在する、歴然とした差を思い知らされてしまったのだから。
 現状と《トゥルーエンド》を比較する度に、考えずにはいられなかった差異と違和感と胸に湧く羨望の意味までも。

「俺が見たのは小さい俺を育てるゲームには見えなかったけど、君が羨ましかったのって、どっちさ」
 アメリカの問いは、正確に痛いところを突いてきた。
 俺が羨ましいと思ったのは――たったひとつ。《トゥルーエンド》だけだったから。
 けれど、これを答えてしまえば自動的に《どんな好意》を望んでいるかが知れてしまう。
 答えられるはずがない。言える筈がない。

 俺が、望むものは。俺が望む《好意》は。
 大切な大切な俺の天使に向けていいものじゃないんだ。

 どうすればいい。どう答えればいい。だって無理だ、こんなの。
 ひょっとしたら……アメリカは俺のことをそこまで嫌いじゃないかもしれないのに。
 ほんの少しでも俺への好意を残していてくれたかもしれないのに。
 これを知られたら、終わりだ。もしかしたらの希望さえ消える。
 これ以上の悪化がないならと開き直っても。
 こうして、ほんの少しでも希望を覗かせられれば容易く俺は図にのってしまう。縋りたくなってしまう。
 万が一でもいい。ほんの一欠片でもいい。そこに好意があるのなら、それを失いたくないと思ってしまう。
「言いなよ、イギリス」
 答えられず、言葉に詰まって引きつった表情を隠すことも出来ないでいる俺を、アメリカが容赦なく急かしてきた。
 いつものからかうような笑みの中、どうしてか常よりも強く思える眼光は真剣にも見えて。簡単に誤魔化すことは出来そうにない。
 答えに窮して表情を作り損ねた時点で、もう遅いのだろうけれど。
 俺には、アメリカの嫌がることさえ、分からないのに。
 俺が望むことなど、とても言えない。
 アメリカが望む答えは、俺が望むものでは決してないんだから。
 答えても答えなくても、結果なんて一緒だ。
 アメリカを喜ばせることも、不快にさせないことも俺には出来ない。
 こんな時でさえ、俺は上手く選べなくて。
 ゲームと違ってやり直しなどきかない現実で、いつも間違える。
 だからバッドエンドにしか辿り着けないのだと分かっているのに、どうしてこう、僅かの希望をもって足掻こうとしてしまうのだろう。

 どうして、なんて。そんなの決まっているけれど。
 そんなの――アメリカが好きだからだ。

 好きだから嫌われたくない。
 好きだから好かれたい。
 だから言えない。
 言わなければ不快にさせる。
 言えば嫌われる。

 ――八方塞がりだ。

「……無理だ」
 強いられても、望まれても、言えない。
「何が無理なんだい。どっちか答えるだけだろう」
「無理だ」
 つまらなさそうに唇を尖らせるアメリカに、苦笑が浮かんでくる。
 聞けばどうせ、嫌な顔をするくせに。
「君が素直に言えば、好きになってあげてもいいって言ってるじゃないか」
 重ねられた譲歩に、今度は笑みだけじゃなく笑いが零れた。
「無理だよ」
 お前が俺を、好きになるわけがない。
 たとえ好意を少しだけ残してくれていたとしても、俺のこの醜く浅ましい《望み》を知ってしまえば、それも消えるだろう。
「無理するな」
 笑いは、思った以上に乾いた響きをたてた。
「俺はどうしたって、お前が好きだから。大丈夫、何があっても嫌いになったりしない。だから別に、お前は俺を嫌いでもいいんだ」
 嫌うことと、嫌われてもいいと思うことは違って。嫌っていても、嫌われれば辛い。
 そう。嫌われるってのは、辛いものだ。
 たとえ好きじゃない相手であっても。
 身に沁みるほどそれを分かっているからこそ、アメリカにはそんな思いを味わって欲しくなかった。

 嫌われるのは辛い。
 好きになって欲しい。

 脅すように願いを口にしながら、矛盾していると思うけれど。
 仕方がない。俺が、アメリカに好かれる存在でいられないのだから。
 アメリカは好きになろうと言ってくれているのに。
 その善意を上回るほどに俺が、アメリカに好かれようがないだけの話。

 けれど。

「君、ほんとに面倒くさいな!」

 かなりの労力でもって告げた言葉にアメリカが返してきたのは、苛立ちを含んだ、心底面倒そうな声だった。




「君、ほんとに面倒くさいな!」
  言い捨てるみたいに吐かれた言葉にムッとするが、面倒な人間だという自覚が少しばかりあるので、反論しづらい。
「どうせ俺は面倒くせーよ。だから、いいんだって。好きになるったって、答え聞いたら嫌われるんだから、どっちだって一緒だしな。昔の話は……まぁ、今後はしないように努力する。お前の気持ちは嬉しかったし、有り難かったからさ。安心して嫌え。な!」
 だから仕方なくヤケになってバンバンとアメリカの肩を叩き、深刻になりすぎないよう殊更に明るく笑顔で言い切ってみた。
 ……のに、何故かアメリカは胡散臭そうに半眼に目を細めてこちらを見てくるばかり。
 その目は明らかに不満と不信を伝えてきたけれど、だからと言ってより良い方法なんて思いつく筈もない。

 じっと見つめられると、困る。
 それが胡乱な視線であったとしても、真意を答えを探られそうで、とても困る。

 ……勘弁してくれ。俺に、これ以上どうしろってんだ。

 探らないでくれ。
 どれだけ格好つけたって強がったって、結果を比べてマシな方を選んだって。
 本当に本当の望みは、『好きになって欲しい』に決まってる。
 
 でもそれは無理だから、せめて嫌いにならないで欲しいと思う。
 それすらも無理ならば、嫌いでもいいから。
 放っておいてくれ。
 ただ、好きでいさせてくれ。

 アメリカの野郎、ほんと空気が読めない奴だな。
 俺がこれだけしてやってるんだ。少しは気遣って遠慮しやがれ。
 などと、アメリカ相手に求めても仕方がないことを思っていると――

「そうじゃないだろっ。ああもう、君はちょっと空気読みなよ!」
 思いも寄らない言葉を、投げられた。

 今まさにアメリカに対して思っていたことを当のアメリカから言われるとは思ってなくて、ぽかんとしてしまう。
 空気読めって、おい。
「……それはお前だろ……」
 賭けてもいい。世界の九割は俺の味方をしてくれると。
 空気の読めなさにかけてアメリカとタメ張れるのは、イタリアかポーランドくらいじゃねーか。
 だがアメリカは強く舌打ちしたと思うと、俺の反論など聞いていないかのようにぶつぶつと言い始める。

「日本が言ってた《フラグクラッシャー》って意味がようやく分かったぞ。君の答えを待ってたら、それこそ百年待っても事態が動かないってこともね!」
 ふらぐくらっしゃー、って何のことだ。
 そういえば日本が何回か口にしていたような気がするが、意味が分からない。
「俺のこと大好きなくせに、嫌われてるの辛いって泣くくせに、好きになれって言うくせに、安心して嫌えとか意味が分からないんだぞ。小さい俺を育てるとかいうゲームを嬉々としてやってたって言うし、かと思えばゲームなんかでキスしそうになってるってのに君はぼんやり見てるし。俺なんて成功したの何周目だと思ってるんだい冗談じゃないよ。毎回、伝説の樹の下に来るくせに絶対に断ってくるし、空気読めてないのは明らかに君だろう!」
 アメリカは更に俺には理解できないことを滔々と切れ目なく一息に近い勢いでまくしたてて、俺は圧倒されて口も挟めなかった。

 すまん、アメリカ。愛だけじゃどうにもならないことがあるんだ。
 お前が何を言っているのか、俺にはさっぱり分からない。
「……あ、アメリカ……?」
 説明を求めるべきか否か迷いながらも、ひとまずアメリカに正気に返ってもらう為に控えめに肩を叩いた。
 ……と、アメリカの視線がギロンとこちらに向けられて、それから両肩を強く掴まれ視線を強制的に合わせられる。

「イギリス」
 向けられたアメリカの目は、胡乱を通り越して、もはや《据わっている》と表現して差し支えない不穏なもの。
 どこまでも真剣に、切羽詰まった様子さえ滲ませた目が俺を射抜いた。
 何某かの強い決意を秘めた空色の瞳に、思わず息を飲む。

「俺はもう何度となくリセット繰り返すのも飽きたし、日本に君の攻略方法聞くのもやっぱり面白くないし、君は君で放っておいたら勝手に俺を育てるゲームとかやり始めて、挙げ句に人のこと天使とかバカなこと言い始めるし、ホントこんな面倒なこと二度と御免だから、仕方なく言うけど」
 なんとなく俺に対して失礼なことを言っているような気がしないでもないでもないのだが、前半の謎すぎる台詞に気を取られて良く分からない。
 ここ数日で、幾つかのゲームに関する単語を日本に教わったとははいえ、まだ使いこなせているわけではないのだ。
 どうして《リセット》だとか《攻略法》だとかいう言葉がこの場で出てくるのかが分からない。
 これらの単語には、俺の知らない用法でもあったのだろうか?
 困惑しながら問い質すべきか迷っているうちに、俺の肩を押さえる手が更に強められて、開きかけた口を閉じる。
 射抜く視線は一向に揺るがず、肩に感じる痛みよりも、眼に宿る決意らしき何かが、俺を押し留めた。

「君が素直に俺に『好きだ』って言って、それから俺の生涯の伴侶でパートナーになるって誓うなら、君とのベストエンドを迎える準備が俺にはあるんだぞ。だから君は、俺が言ったことを今すぐ実行すべきだ。勿論、反対意見は認めないからね!」

「……は?」

 ……いま、俺は、何を言われたんだ?
 なんかのゲームの話か?
 話が見えない読めない分からない。
 俺が素直にアメリカに『好きだ』って言って、アメリカの生涯の伴侶でパートナーになるって言う?
 そしたら、アメリカには俺とのベストエンドを迎える準備がある。
 だから俺が今すべきことは、アメリカの言う通りにアメリカに『好きだ』って言って生涯の伴侶でパートナーになるって誓うこと?
 ……。
 ………。
 ……………。
 それで迎えるベストエンドって何だ。
 もしかして、『ANGEL MAKER』の話か?
 俺か――いや、俺というのも変だな。
 ゲームの《主人公》がアメリカの言う通りのことをすれば、別のグッドエンドに行くって、教えてくれてるってことなのだろうか。
 そうとも思えないし、アメリカがあのゲームの先を知っているとも思えない。
 第一、あのゲームが無事かどうかも分からないんだ。
 よくよくアメリカの発言を吟味してみたが、やはりアメリカの意図も、アメリカがどうしたいかも、そもそも何についての話なのかも分からなかったので、素直に聞いてみた。
「……何の話だ?」
「……Oh、No……。さすがだよイギリス。まさかここまで言っても分からないとは思わなかった。君の空気の読めなさと鈍さは世界遺産レベルだね」
「いや、だから。お前には言われたくねーっての」
 わざとらしく身を震わせる真似までされると腹が立つ。
 空気読めないとかアメリカにだけは言われたくない台詞トップスリーに間違いなく入る言葉だろ。
 心からの感想をもう一度繰り返せば、アメリカはまたも忌々しげに睨みつけてきた。
「とにかく、反論は認めないんだぞ! 君が俺のこと大好きなのはお見通しなんだから、早く誓いなよ」
「だから何の話か分かんねーって言ってんだろ! 俺がお前に好きって言えば、お前の生涯のパートナーになるとか、そんな有り得ないゲームどこにあんだよ、あるなら俺に寄越せよ!」

 しまった、つい本音が出た。

 だってそうだろう。そんな有り得ない話でベストエンドがどうとか言うなら、何かのゲームである筈だ。
 俺がさっきやってたみたいなゲームがもう一つあるとするなら――そしてそこに、そんなエンディングの可能性があるとするなら欲しいに決まってる。

「~~~っ君は何でそう斜め上なんだい! なりたいなら、とっとと言えばいいだけじゃないかっ」
「どこが斜め上なんだ。俺はいつだってマトモだ」
「マトモな人は、人を天使天使言ったりしないよ! いいから、俺の伴侶になりたいの、なりたくないの、どっちだい!?」
「なりてーに決まってんだろばかぁ!」
 殆ど売り言葉に買い言葉だった。
 正直、自分が言っている言葉の意味を理解していたわけじゃない。
 ゲームの話だと思っていたから、特に考えもせずに、つい欲望を素直に口にしてしまっただけで。
 言ってしまってからも、「しまった」とは思ったけれど、その時はまだゲームの話だと思っていて。
 だからあくまで、そんなゲームを真剣に欲しがっていることが知られたらアメリカは俺をさらに気持ち悪がるだろうと思ったからだった。

 なのに――

「そうだろう! だからとっとと、俺に告白して誓うといいんだぞ! 拒否も認めないんだからなっ」
 アメリカがそう言って、俺を抱き潰しそうな勢いで嬉しそうに抱きしめてきたので。
「……え……?」
 ようやく、互いの認識に齟齬がある可能性に気づいた。
 あ、れ……。
 なんか、コレ、違くないか。
 ゲームの話だよな。
 何でここで抱きしめられてるんだ俺。
 しかもアメリカが更に『俺に告白して誓うといい』とか言いだしてるって、明らかにゲームの話じゃなくて。
 ――現在、絶賛俺を抱きしめ中であるところの、このアメリカに対しての……話だったのか?

「うぇえええええええええええええ!?」

 行き着いた結論を、理性が瞬時に受け入れることを拒否して、とりあえず俺は衝動のままに叫んだ。

 ない。ない。有り得ない。
 なんだそれ。なんでこうなったんだ。
 俺は日本の家でゲームをしてて。
 ちょっとヤバイ感じの画面をアメリカに見られて逃げ出して。
 でもそんなアメリカがゲームとして販売されるなんて許せなくてアメリカをゲームの中だけでもいいから独占したくて日本と交渉する為に帰ろうとしたら、怒った様子のアメリカに見つかって日本の家に連れ戻されて。
 俺の失言のせいでアメリカの機嫌を損ねたから、どうにかしようと思ったら呆れられて、キレられて。
 今度は俺が逆ギレして。
 それを聞いたアメリカがどんな《好き》が欲しいのか聞いてきて答えられなくて。
 好きになれって言ったけど、言えば嫌われるの分かってたから言えないって言った先が――なんで、これなんだよ。

「ちょ、イギリス。いきなり変な雄叫びあげないでくれよ。嬉しいのは分かるけど、もうちょっとムードとか考えてくれないかい」
 俺は理解がついていかない状態だというのに、アメリカはなんだか憑きものが落ちたように晴れ晴れとしていて、それが凄く解せない。
 つうかムードってなんだ。
 それより、なんでお前は機嫌良さそうなんだ。
 俺がアメリカを好きだって言って、伴侶になりたいって言ったりしたら、困らないと嘘だろう。
 なんで嬉しそうなんだ。意味が分からない。
「ほら、イギリス。早く言いなよ。告白と誓いの言葉が、まだなんだぞ」
 しかも、こんなことまで言ってくる。
 楽しそうに。そわそわして、早く聞きたくて堪らないといった様子で。

 俺からの告白と、誓いの言葉を?

 なんで。
 ああ、弱みになるからか?
 確かに弱みだ。凄く恥ずかしい。正直、そんなこと言ったら死ねる。
 俺がアメリカを好きなんて今更すぎるが、それをネタに一方的に優位に立たれるのは癪だ。
 だけど何故だかアメリカには、いつものからかう様子がなくて、それが俺を戸惑わせる。
 聞いても楽しくないだろうに、何でこんなことを言うんだ。俺の弱みを握る為と言うには邪気がない。
 いや、こいつは無邪気に酷いことするから、それだろうか。

「聞いて、どうするんだよ」
 録音でもして、弱味にでもするのか。
 録音までしなくても、後々のからかいの種にするのか。
 それとも単純に、俺をへこませて立場の優位を味わいたいだけなのか。
 欲望に任せて口を滑らせるから、こんなことになるんだ。
 自分で自分を責めてみるけれど、アメリカが嬉しそうだからまぁいいかと思いかけてしまう自分が嫌だ駄目だアホだ。
「どうするって……ベストエンドの準備は出来てるって言ったじゃないか」
 ベストエンド?
 言われた言葉に首を傾げる。
 アメリカの腕は俺の背中と肩の後ろ辺りをホールドしていて、実際には身じろぎした程度だったが、気分的には首を傾げたつもりだった。
 そう言えば言ってたな。
 俺が好きだって言って生涯の伴侶になるって誓えばベストエンドを俺と迎える準備は出来てるとか。

 ……。

 ………は?

 ……………え?

 ……えぇえええええええええええええ!?


 単に俺に言わせればそれで終わる話じゃなかったのか……!?
 俺とベストエンド迎える準備って。
 生涯の伴侶と誓えと言ったってことは、それか。それなのか。
 いくらなんでも有り得ないだろ。どうして。
 だってお前、俺のこと嫌いなのに。なんでそんな。
 確かに、どんな《好き》をアメリカから欲しいか聞かれて。
 答えによっては、俺を好きになってやってもいいとか言ってたけど。
 ひょっとしたら、思ってたよりは嫌われてないんだろうかと思いもしたけれど――まさか。
 一体、どんな気まぐれが働いたんだ。気まぐれにしたって性質が悪い。
 《生涯》なんて、国にとっては永遠に等しい長すぎる時間だ。
 だからこそ有り得なくて。
 有り得ないから、気まぐれな悪戯の一つだろうとは思えたけれど……そんな重たい枷をつけることなど、仮であってもアメリカは好む筈ないのに、何を考えてる?
 どう考えても、アメリカにメリットなんてない。からかう悪戯にしては度が過ぎている。
 ならなんでこんな無茶を俺に言わせて、それを叶えようとなんてするんだ。
 しかも嫌そうでなく、嬉しそうになんて。
 分からなくて、俺は必死に何度もアメリカの発言を思い返して考える。

『君とのベストエンドを迎える準備が俺にはあるんだぞ』
 そして、ようやくその言葉と、言葉が示す意味の可能性に思い至れば、すとんと納得がいって、肩から力が抜けた。
 ああ、そうか――そういうことか。
 それなら分かる。
 喜ばしいことではなくて、苦しさを覚えたけれど、理解は出来る。

「アメリカ……あのな?」
 慣れた苦しさや痛みは安堵にもなって、緊張を解いた手をアメリカの背に回し、宥めるように撫でた。
「さっきも言ったが、お前の気持ちは分かったし、有り難い。だけど、これは違うだろ。いくらお前がヒーローだって言ったって、それでお前の一生を棒に振っていいわけねーだろ」
 そうだ。アメリカは言った。

『君の答えによっては、好きになってあげてもいいんだぞ』と――。

 偉そうに。と詰る前に、俺は気づかなきゃいけなかったのにな。
 アメリカはKYでメタボでガキで自分勝手だけれど、ヒーローを自負して目指しているからか、根は優しい。
 俺がみっともなく泣いて逆ギレたりしたから、気にしたんだろう。
 ずっと過去に囚われて、ようやく過去だけの幻想を捨てられてもアメリカへの執着を断てない俺を、哀れんだのかもしれない。
 アメリカらしい。ヒーローらしい正義感で、きっと一生アメリカに拘り続けるだろう俺を、助けてくれようとしてるのだろう。
 そんなの、許していいわけがない。許されていいわけがない。
 昔はともかく、表向きは平和となった世界での国の一生なんて、永遠ではないにしろ人と違って数十年では終わらない。
 そんな長い間、義務感や正義感だけでアメリカを縛り付けておいて良い筈がなかった。
 しかも、思っていたよりは嫌われてなかったみたいだとは言え、そもそもが好かれてない俺なんかに。
 寂しいとも、苦しいとも思ったけれど、それ以上に俺は、嬉しかった。そこまでアメリカが言ってくれたことが。
 やっぱり、アメリカは天使だ。
 可愛げは随分となくなってしまったけど、俺にはあまり向けてくれなくなったけど、アメリカは小さい頃に持っていた優しさをちゃんと持ってる。
 間違えてばかりの俺に育てられたのに、立派に育ってくれたことが嬉しい。
 そして、その優しさを俺に向けてくれたことが嬉しい。
 それだけで、充分だ。俺は満足しなけりゃいけない。

「俺は大丈夫だから。そういうのは、ちゃんとお前の大切な人に言ってやれ。今はいなくたって、出来てから後悔しても遅いんだぜ。ま、その心がけは立派だけどな」
 なるべくアメリカを傷つけないように。穏やかに聞こえるよう、感謝の気持ちを込めながら告げた。




 泣きたいような気持ちになるのは、きっと嬉しいからだ。
 こんなにも優しく育っていたアメリカが、誇らしいから。
 他の理由なんかじゃ、決してない。他の理由でなど、あってはならない。

 あんまり触れていても嫌がられるかもしれないから、俺はそっと手を止めて、代わりにアメリカとの間に距離をとる。
 まだアメリカの腕の囲いの中ではあるけど、顔が見える程度まで離れれば、アメリカはいつの間にか楽しそうな様子を消していて。
 それどころか無表情と言っていいほど感情の読み取れない顔で俺を見ていたことに戸惑った。
 けれど疑問を口にするより前に、背中に回っていた手が不意にまた抱きしめる力を強めて、離した筈の距離が再びゼロに近くなる。
「……お、おい、アメリカっ、いてぇって」
 より強い戸惑いと焦りを得ながら、俺はなんとかアメリカの腕と自分の体に隙間を作って押しのけようとするが、アメリカは馬鹿力だ。
 一向に上手くいかないばかりか、身じろげば身じろぐほど押さえ込むみたいに抱え込み直されて、叶わない。
 なんなんだ、一体。

「おい……アメリカ?」
 せっかくの好意を踏みにじったことを怒ってるんだろうか。
 それとも、実行に移さずともよくなって安心してるんだろうか。
 どっちにしても、俺に顔を見られたくないのかもしれない。
 迷った末に、仕方なく俺は体から力を抜いて、こちらを抱え込んでいるアメリカへと体重を預けた。
 正直、そうでもしないと骨がおかしくなりそうだ。

「アメリカ……。なぁ、どうしたんだよ」
 肩の辺りに頬を寄せた状態で小声でもう一度問いかければ、長い間をおいてから、ようやく答えが返される。
「……君のバカさ加減に、心底呆れたんだよ」
「っ……」
 あんなことを言い出すお前の方がバカだと、言ってやりたかった。
 俺みたいなのが他にも居たら、お前は一体どうするつもりだったんだと。
 だけどアメリカの声が、らしくなく弱々しかったから。
 飛び出しかけた文句も口の中で萎れて、出ていくことはなかった。

「……いや……馬鹿なのは俺かな……」
「アメリカ……?」
 どうしたって言うんだ。
 いつだって要らないくらいに自信満々なのがアメリカなのに。
 そんな言葉は似合わなさすぎて、不安になる。
 どんな表情をしているのか知りたくて動こうとするけれど、やはりアメリカの腕に強く押さえられいて上手くいかない。
「それにしたって、君の酷さが減るわけじゃないけどね! 人の話は聞かないわ、聞いたとしても捉え方が斜め上だわ。これなら、確かにゲームの方が簡単なんだぞ」
 俺の酷さってなんだ。
 人が自分の辛さを押してお前のことを諦めようとしてるってのに、その言い草はない。
 大体、ゲームってなんのことだよ。
 文句と疑問だらけの言葉は、今度もまた出て行くことはなかった。
 背に回っていた手が一度離れたかと思うと、今度は俺の頬を掠めてから髪に差し込まれ、撫でてきたから。
 それどころじゃなかった。
 アメリカに似つかわしくない、力任せに人を抱き込んでいた腕と同じには思えないほど、優しく柔らかな手付きに、言葉をなくす。
 なんだこれ。
 なんだこれ。

「イギリス、君は俺を見くびり過ぎだぞ。いくら俺がヒーローだからって、生涯の伴侶を人助けでなんか選ばないよ。ヒーローだからこそ、ちゃんと愛し愛される人と結ばれなくちゃね!」
 手が髪を撫でて。親指だけがこめかみの辺りをなぞっている。
 そんな風に優しげな手付きで触れられた記憶など長い人生を顧みても見あたらなくて、未知の感触に戸惑った。それから考えてみれば凄い態勢の今を思い出して頬に血が上る。
 俺はアメリカの脚の上に座っていて、向かい合って抱き合うような状態だ。
 しかも距離をあけようとして出来なかった結果、上半身が殆ど密着しているのだから、端から見たら随分と拙いことになるんじゃないだろうか。
 それだけでも脳がパンクしそうだと言うのに、アメリカの言葉がまた俺を混乱に突き落とす。

 アメリカは優しいから。ヒーローらしい優しさと正義感で言いだしたのだと思っていたそれを、真っ向から否定されて。
 愛し愛される人とヒーローは結ばれなくちゃと言って。
 なんで、そんなこと言うんだ。
 有り得ない。有り得ないのに。
 どうしたって思考が傾く。愚かにも望む方向へ捉えようとしてしまう。

「勿論、愛し愛される人っていうのは、いつか出会うかもしれない何処かの誰かの話じゃないんだぞ」

 ――アメリカは俺を嫌いなのに。
 言い聞かせる胸の内の声が、どんどんと弱まっていく。

 ひとつ言葉が落とされる度。
 ひとつ優しく撫でられる度に。
 駄目だ、と思うのに、止まらない。
 信じそうになる。望みそうになる。
 ないと思っていた、その先を。《トゥルーエンド》のような、そんな未来を。

「好きだよ、イギリス。――だから君も、ちゃんと言わないと駄目なんだぞ!」

「……っ」
 言葉とほぼ同時にこめかみに触れたのは、掌ではなくて。
 もっと柔らかな感触のそれは恐らく唇で――血が、脳が、沸騰するかと思った。

『君が……好きなんだ』
 ゲームの中で聞いたものより、随分とあっさり明るく告げられた言葉。
 だけど今度は疑う隙も、他の意味を考える余裕もなく、強引に容赦なく、力業で脳に胸に入り込まれる。

『好きだよ、イギリス』
 なんで、だとか。どうして、だとか。
 俺こと嫌いなんじゃなかったのかとか。
 どうしていきなり好きってなるんだとか。
 ぐるぐると思考は回るけれど。ぐいと肩を押されて体が離れたところを正面から覗きこまれれば、それも止まった。

「今度は、ワケの分からないこと言いださないでくれよな。もう君にフラれるのは懲り懲りなんだぞ!」
 悪戯っぽく煌めくのは、俺の愛した空色の瞳。
 ついでとばかりに額にも唇を落とされて、飽和していたものがついに破裂する。

「……って。いつ俺がフったよ。いい加減なこと言ってんじゃねーぞゴルァ! ワケの分からないことも言ってねぇし、フられたって言うなら俺だろうが。何回も何回もお前にどんだけ酷い扱い受けてきたと思ってんだ。『君が泣いて頼み込んできたってお断りだぞ☆』って言われたこと、俺は忘れちゃいねーからな!」
 言われたことが嬉しくないわけじゃない。
 嬉しいに決まってる。天にも昇る気持ちってきっとこういうことを言うんだろうな、とも思う。
 だが喜んで安心し切ってしまえば、おかしなもので。一気に今までの苦労だとかが思い起こされてしまっただけだ。

「……君、そんなことまだ根にもってたのかい」
「もつに決まってんだろっ。俺がどんだけお前と休日過ごしたかったか分かってんのか!? 今更『好きだよ』とか、バカにするのもいい加減にしろ!」
 そうだ。どこを思い返しても、嫌われてると思いこそすれ、俺を好きだったように見える部分が全くない。
 俺が好きだって言うなら、それらしい態度のひとつでもとれよ!
「バカは君だろ。人が勇気を振り絞ったっていうのにさ! 大体、そういうのがフってるって言うんだぞ。俺がどれだけ君のフラグクラッシャーに泣かされたか、君こそ分かってないだろ!」
「なんで旗なんか壊さなきゃならないんだよ。それにフってねーって言ってるだろ。俺がお前フるとか有り得ないしな。俺のお前への愛を舐めてんじゃねーぞ」
 正面にアメリカの顔を見据えられるってことは、俺の腕もある程度自由になってるってことだ。
 アメリカの腕の隙間から抜き取った手で、襟元の緩んだTシャツの胸倉を掴みあげて傲然と言ってやれば、アメリカは顔を引きつらせて微妙な表情になる。
「そこ自慢するところなのかい……。ちょっと分かるだけに微妙な気分になるっていうか君ホント俺のこと好きすぎるよ」
「当然、自慢するところだろ」
 アメリカは俺を嫌ってると思っていたから、アメリカにだけは言えないと思っていたけれど。
 アメリカ以外の他の奴になら、いくらでも堂々と言えた。
 もしもゲームが販売されてアメリカを思う奴が出てきたなら、片っ端から喧嘩を売って亡き者にしてやる心づもりだったしな。

 たとえ含む意味合いが変わってしまっても、アメリカは今も昔も俺にとって最愛の――

「言っておくけど、もう《俺の天使》とかは要らないからね」
 まさに言おうと思っていたタイミングで先手を打たれて俺は口を開きかけたままで固まる。
「なんでだよっ」
 まさかそれを止められると思ってなくて、胸倉を掴んだまま締め上げるようにすれば、アメリカは呆れきった溜息を零して俺を半眼で見下ろしてきた。
「決まってるだろ。そんなの――《俺の恋人》が正解だからに決まってるじゃないか」
「こ……」
 おれのこいびと――?
 いやまあ確かに俺はアメリカが好きで、アメリカも俺を伴侶になれとかいう意味で好きだと言ったのだから、そう言ってもいいのかもしれないが。
 改めて言われると恥ずかしいものがある。
 考えてみれば伴侶も相当恥ずかしいよな。
 なのになんで今更俺は恋人とか言われて戸惑ってるんだろう。
 伴侶だとか、現実味がなさすぎて遠くて実感が湧かなかったのかもしれない。
 収まっていたと思っていた顔の熱が、再び一気に上昇するのが分かった。
 締め上げる手が緩んで、ただ掴むだけになる。

 こいびと、とか。
「……ほんとに、いいのかよ」
「何が?」
 俺で。俺に、そんなことを許して。
 アメリカの気持ちを疑う気はもうない。
 けれど、今まで言われてきたことを思い返せば、俺の性質自体をアメリカが厄介に思ってることだけは確かだろうから、やっぱり不安だった。

「俺、調子に乗るぞ」
「だろうね」
 しかも、あっさり頷きやがるし……。

「分かってんのかよ。俺、お前のこと好きなんだぜ?」
「嫌になるくらい知ってるよ」
 重ねて言い募っても、細めた目のまま、あっさりと答えが返る。

「こいびと、とか言ったら……多分、抑え効かないからな」
 そして最後と思って念を押せば――アメリカは眇めていた目を笑みにしならせて、言い切ってきた。

「望むところだね」

「……っ」
 なら、いい。
 本当に分かってんのかと、問い質して問いつめたい気持ちはあるけれど。
 覚悟してると、臨んでみせると言うのなら、もういい。

「だからさ、そろそろ観念して『好きだ』って言いなよ。俺まだ言われてないんだぞ」
 そうして明確な答えを望むのならば、もういい。
 どうなっても――知らないからな。

 視線を合わせれば、鮮やかな空色の目が期待に満ちた目でこちらを見つめてきていた。
 子供じみた素直さは、小さい頃そのままの可愛さで。
 けれど、期待に輝く瞳の奥に微かに見える熱のようなものは、立派な一人の男になった故のものだろう。
 どちらも、アメリカで。
 どちらも俺の、最愛の天使。

「仕方ねーなっ。別にお前に言われたからじゃねーぞ。俺が言いたくて言うだけだからな!」
 ねだられるままに言うのも面白くなくて、咄嗟にそんな風に言ってしまったけれど。
 顔が緩むのは止めようもない。

 初めて出会った草原と、その上に広がっていた空のような。
 俺が最も愛する色を見つめながら、手を伸ばして大きくなった体を抱きしめる。
 もう、かつてのように抱き上げることは出来ないけれど、悲しくはなかった。
 抱き上げられなくても。世話なんて出来なくても。
 抱きしめれば、抱きしめ返してくれる腕がある。
 小さな手ではなく、俺よりも大きく頼もしくなった腕が。
 それは悲しいことでも寂しいことでも何でもなく、俺を安心させ、喜ばせ、暖かくしてくれるもの。

 変わらないものを含んで、そして変わっていった全て。
 ふたつは途切れるものでも、分かたれるものでもなく――連綿と続く、一繋がりの存在。

 決して辿ることはないのだと思っていた《トゥルーエンド》。
 それとは随分と趣は違うけれど、俺は辿り着いたのかもしれない。
 トゥルーエンドよりも多少、滑稽で。
 けれど、トゥルーエンドよりも俺達らしい――アメリカが言っていた言葉を借りるなら《ベストエンド》というものに。

 日本が知ったら、こんな終わりをなんて言うだろう。
 考えると、少しだけ可笑しい。

「お前が好きだ、アメリカ」

 だって、そうだろう?
 きっと、誰だって驚くに違いない。

 俺の愛する天使は、育ちまくって可愛くなくなってそして。

 俺の愛する恋人になったんだ、なんて――。
 



畳む

#米英 #○○育成計画

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